2008年08月12日

「ゴーマンかましてよかですか?」

靖国や特攻隊の話を書くために必要な本を買い揃えていたら、読みかけのものがだいぶ溜まってきてしまった。小林よしのり氏の『ゴーマニズム宣言』シリーズもその一つ。並の類書を遥かに凌ぐ情報量、そして私は何よりその画力にいちいち感嘆しながら読むので、全て読破するには相当時間がかかる。先頃出た『パール真論』なども、本当はもっとちゃんと読まないといけないのだが、今月末まではじっくり読む時間が取れない。

例の「ゴーマンかましてよかですか?」のあと、私は実はこんなゴーマンをいつか氏にかましてもらいたいと思っている。
試みにネームを考えてみた(私なりのゴーマンである)。
「恐れながら天皇陛下に申し上げる!
せめて春秋の例大祭には昭和50年以前のごとく、御親拝を賜りたい。
このままでは天皇の御名のもと散華したわしらの祖父たちは浮かばれません。
靖国問題に終止符を打てるのは、まことは陛下御一人をおいて他にない。
英霊を安んずるのはわしら日本人のつとめ。陛下、あなたこそその代表者であります」

無理かなあ。氏はおそらく、上記のような考えを持ってはいると思う。時節にあらずということか。
最終回には是非、ぶちかまして戴きたいと思う。

2008年08月08日

ある能のチラシを見て

毎年恒例の新宿御苑薪能。今年のポスターを先日初めて見かけた。
デザインが格段に進歩している。今までの、能面(白式尉)を載せただけのものよりよほど良い。
能のチラシで能面を使うのは、私はあまり好きではない。そういうチラシから受ける印象、それは
「あ、能ね」
その一事に尽きる。これは、能に馴染みがあるなしにかかわらずである。
能に馴染みがある人々には「お、今度のは気合が入ってるな」と期待させ、馴染みがない人々には「へえ、一度行ってみるか」という気を起こさせないといけない。
やる側は「能でござい」、見る側は「あ、能ね」。これを思考停止というのである。やる側にも見る側にも「能ってなんだ?」そういう問いを突きつけ続けるようなチラシでないといけないと思う。
そんな能のチラシ、はっきり言って見たことないが、今回の新宿御苑のはいささかなりともそういう方向性を示している。今まで見た能のチラシの中では、相当の佳作だと思う。新宿区観光協会は、サイトにもっと大きくこのデザインをうち出した方が良い。

さて、たいぶ持ち上げたところで、苦言も一言。
デザインは良くなったが、惹句がひどい。曰く、

「王朝の美学─伊勢物語と源氏物語」

なんとかならんか、こういうの…。

続きを読む "ある能のチラシを見て" »

2008年08月05日

沖縄取材旅行

先月下旬、初の沖縄訪問を果たしてきた。
目標は、ともかく沖縄の地を踏むこと、沖縄を肌で感じること、である。

25日
700頃羽田空港発─945頃那覇空港着─(モノレール)─旭橋駅─(駅付近で自転車を借り、国道329・331号線経由)─1350安座真港着・1400同港発─(高速船・自転車ごと搭乗)─1420久高島徳仁港着─(レンタサイクルで島内めぐり及び海水浴少々。カベール岬・フボー御嶽〈ウタキ〉入口・久高殿など)─1700同港発─(高速船)─1720安座真港着─(レンタサイクルにて331号線経由)─1740斎場(セイファー)御嶽入口(『てくてく歩き沖縄』に「見学自由」とあるのに騙される。実際には入場は1730までとのこと。後日出直しを期して撤退)─(レンタサイクルにて国道331・329号線経由)─県庁前・居酒屋兼民宿よね屋泊(夕食及びご主人と沖縄談義)
26日
1000頃よね屋発─(レンタサイクル)─旭橋駅─(駅付近で自転車を返した後、レンタカー会社に迎えに来てもらい、古波蔵で車を借りる。以下レンタカー)─旧海軍司令部壕─喜屋武岬─魂魄の塔─ひめゆりの塔・ひめゆり平和記念資料館─勇魂の塔・黎明の塔─2020古波蔵着(車を返し、よね屋まで送ってもらう)─よね屋泊(昨夜と同じく。ご主人から読谷在住の彫刻家K氏訪問を勧められる)
27日
900頃よね屋発─(前日と同じレンタカー会社に県庁前まで迎えに来てもらい、古波蔵で車を借りる。以下レンタカー。国道58号線を北上、右手に米軍嘉手納基地のフェンスを眺めつつ)─読谷村(地元の方に尋ねまわってようやくK氏のアトリエに辿り着くも、残念ながらお留守。ただし玄関に氏の活動を紹介した地元の新聞が張ってあったのでこれを読む。思うところ多々あり。ともかく氏の「芸術家・表現者はその属する国家や民族に正面から向き合わぬ限り、その資格なし」との趣旨に励まされ、また私自身はあくまでも戦後生まれのヤマトンチューでしかあり得ぬ事を思いつつ、読谷をあとにする。国道329号線を南下)─斎場御嶽─平和の礎─沖縄県平和祈念資料館─沖縄師範健児之塔─(帰路、レンタカー会社に電話、翌日まで延長)─国際通り(青島食堂にて夕食後、ぱやお栄町店にて泡盛少々。ここで地元の若者や酔っ払いらと少々会話。他に旧崇元寺石門周辺散策等)─よね屋泊
28日
800頃よね屋発─(レンタカーにて)─国立沖縄戦没者墓苑・沖縄平和祈念堂(公園内で花屋のオバアと歴史談義)─首里城・金城町石畳道─1530古波蔵着(車を返し、那覇空港まで送ってもらう)─1730頃那覇空港発─2000頃羽田空港着

来なければわからなかった。
特に、久高島と斎場御嶽で受けた印象。何を言っても安くなる。この印象は私一人の胸のうちに留め置くことにする。
南部の慰霊地一帯には、結局3日間とも足を運ぶこととなった。
次作の想を練りながら、というより、そもそも私に先の大戦を扱う資格があるか否かを問いながらの散策であった。
摩文仁の丘のそこかしこに建つ碑に手を合わせながら、やっぱり、私は先の大戦を書きたい、書かねば、と思った。どれほどの駄作に終わるかは書いて初めて分かること、と。

ただ、一つだけ、備忘録としてしたためておきたい。
私は、昨年7月の勧進今申楽のあと、骨休めに上海に行った。そして、そこで観た中国古代の青銅器群にすっかり魅了されてしまった。そこで、よし、今度はこういうものを零から生み出した連中、すなわち芸術家の話をやろう、と思った。
それが、昨年12月あたりを境に、戦争の話に移っていってしまったのだが、しかしこれは題材が変わったわけでは決してなかったのである。
芸術家の話と、戦争の話とは、私の中ではつながっている。その事に、私は沖縄に来てようやく確信を得たのだ。

2008年07月06日

「舞歌」の次元に濾されなければ

親しくさせて戴いているSさんのお勧めで、大田文化の森ホールにオペラを観に行った。
皆さんオペラの演じ手としては大変魅力的なのだが、正統なオペラとオペラの間をつなぐ不正統(?)な寸劇的箇所になると、途端に人によって力の差が出てしまう。
なぜオペラをやってる時は魅力的なのに、寸劇となると駄目なのだろう…と考えつつ、もって自戒に変えることとした。
単に制御されていない身体を、「リアリズム」などという怪しげな美名で誤魔化すのはもうやめようや、という自戒である。舞台上のあらゆる所作は、制御されなければ、世阿弥の言う「舞歌」の次元に濾されなければならない。
(日本の伝統芸能の世界を知り尽くしている関係者が、朧座にしばしば惜しむように寄せる「美しくない」という言葉、それは上記の如き意味あいであるはずだ)
そして、オペラをやってる時はもちろん、やってない時も「舞歌」になってる方は、やはりとびきり魅力的なのである。九嶋香奈枝さんという方(モーツァルト『魔笛』のパパゲーナ役)が、まさにそういう演技をしておられた。
一面識もない演者に魅了されるというのは、実に幸福な体験である。

2008年07月04日

「なんでもいいから、なんかやろーよー」

ある劇団の芝居を観に行った。芝居自体はなかなか面白かったのだが、帰りしな、その芝居の関係者に言われた言葉。
「元気?みんな心配してるよ。朧太夫が演劇界からいなくなっちゃうんじゃないかって。書いてる?」
はい、頑張ってます、今までの奴の再演のチャンスもうかがってます、とかなんとか答える最中、他のお客も劇場から出てくる。その中にも知り合いがいて、
「あ、朧さん。元気ですか?」
これまた幽霊でも見たような顔つきだ。前出の関係者が「ほら」と合の手を入れる。

確かに、もう少しペースをあげたいとは私も思っているのだが。

要するに、ポンポン書けるような才能がないのだ。年に3本だの4本だの。
特に今回取り組んでいる戦争ものは厳しい。想はなんとなく熟しつつあるのだが、とにかく書き出すのがえらくしんどい。これは一度、沖縄あたりに行かんとならんかな、いや下手に行くとかえって何も書けなくなるかもしれんぞ、などと悩みに悩んでいる。
正直、顔つきなんかもかなりゲッソリしてきていると思う。季節のせいもあるかも知れないが、最近は1日1~2食である。そして、これがある意味一番きついのだが、変な夢ばかり見るのである。

「なんでもいいから、なんかやろーよー」と、その関係者は言って下さった。「なんでもいいのかよ!」と心の中で突っ込みながらも、しかし、こういう底抜けな明るさが、今の私にはとてもよく効く。1月あまり前だったか、嘔吐下痢症なるものに初めてかかり、近所の病院で点滴を受けながら昏睡した時の感じにちょっと似ている。
「スクワレルー」という感じなのだ。

2008年06月29日

歴史を冒涜してはならない

今申楽で大切なのは、「歴史を冒涜してはならない」ということだ。
これが、とにかく大変難しい。

せいぜいこちらも、生きるか死ぬかの思いで、そろそろ筆を握るとしようか。
何しろこの度の申楽は、「靖国」「特攻隊」がテーマなのだから。

2008年06月06日

産声

あっという間に6月になってしまった。
去年の暮れから、新作の想を練り続けている。苦しい。難産である。今までで一番楽をしたかったのに、今までで一番の難産である。そういうものなのであろうか。
痩せる、肌が荒れる、自分の面倒が見られなくなる。ブログを更新する余裕なんか、まるでなくなる。
一言ぐらい書けば良いのにと、我ながら思う。このブログが唯一の近況報告なのだから。
しかし、一言も書けない。私の場合、どうしても、そういう期間がある。

今日は久しぶりに、心の余裕が出来たのだ。だから今、こうしてパソコンに向かっている。


前作『修禅寺』の一番最初の台詞は「万寿 万寿 やれいとしや/どれ 海を見に参らう」というものだった。が、誰にも見せたことのない「第零稿」では、こうだった。

「思ひは伊豆の湯の里に 思ひは伊豆の湯の里に 我が子の跡を弔(と)はうよ」

お恥ずかしいような、それでいて、忘れる前に、ついご披露しておきたいような。
(一生忘れないような気もするが…。)


前2作(『香炉峯』『修禅寺』)、そして今度の『○○○』(まだ内緒)、三つに共通して言えそうなのは、結局、全部私の「私演劇」なのだということ。いや、『○○○』は書いてみないとわからないが、おそらく、前2作以上に「私演劇」になるだろう。そんな気が、今はしている。
歴史に材を求めておいて、何が「私演劇」かと言われそうだが、しかし、これが私の偽らざる実感。
歴史を冒涜することなきよう、かえって肝に銘じておかねばならないと、最近とみに思うのである。

私の「私演劇」なんぞにお付き合いさせてしまった今までの登場人物たちには、正直、申し訳ないと思う。(源頼家には修禅寺に行く度に謝っている。清少納言は墓のありかさえ分からず、困っている…)
そして、この本は本当にこのままで良いのか、書き直すべきところはないか、せめて生あるうちは推敲に推敲を重ね、世に問い続けるよりほかはない。勝手に、そう信ずる次第。
さて、今度の『○○○』でお付き合い戴くのは…

私はこの半年、彼らとの接点を求めようと必死だった。そこに「遊び」を持たせる余地はなかった。
ところが、今日あたりから、なぜか楽しくなり始めたのである。彼らとの付き合いが。
彼らは、多く、無名の人である。しかしながら、彼らはまとめて「英霊」と称され、ある時は持て囃され、またある時は蔑まれ、その祭祀のあり方をめぐり長く紛糾の種であり続けてきた。彼らと遊ぶ余裕は、今まで、全くと言っていい程なかった。

その余裕が芽生えたのだ。楽しくない筈がない。
いつか産声を上げてくれるだろう。

2008年05月06日

来宮にて

熱海の来宮神社は、私の大好きな神社の一つ。境内の大楠はいつ見ても飽きない。なるほど、これを見て神坐す座と感得する古代人のセンスの方が正しいと、いつもながらに思うのである。
先日もここを訪れた。
参道の石段を登る途中、とある家族連れと横並びになった。
おばあちゃんが孫に「ここにはね、木の神様がいるんだよ」と言った、その途端である。孫は「え?ほんと?」などと目を輝かせながら、元気に駆け出していた。その後大楠と対面して、祖母の解説に納得したことと思われる。

神社に詣でるというのは、つまるところ、こういう体験であろう。
観念だけでは、子供が走り出したりはしない。大人に神様がいると言われて、子供が思わず走り出さずにはいられぬような信憑性。ここには確かに神がいるかも知れぬと子供に思わせるだけの、その土地の持つ説得力。そのような、いわば論理を超越した何物かが、神社という場所にはある。

観念、それは往々にして政治や宗教に利用されつつ、民草の素朴な信仰とは別物の様相を呈して行く。

来宮の大楠を見るが良い。日本人は、おそらく、そこに無条件に「何か」を見出すはずである。
「何か」がそこにあるか否かをめぐって議論百出するようでは、つまり、まだまだそこは「お社」として熟していないということであろう。

2008年04月27日

神社にも歴史がある

昨日、久しぶりに修禅寺に行って来た。
近くの喫茶店にて、地元の方から思いもかけない嬉しい言葉をかけて戴いた。
本当に嬉しかった。

さて、行きはバスだったが、帰りは修善寺駅まで歩いてみることにした。徒歩40分くらいの道のりである。
途中の道沿いに、とある神社が建っているのは前から知っていた。そして、「前に一度くらいはお参りしたことがあるはずだ」と勝手に思い込んでいたが、昨日、境内に足を踏み入れてみて、もしかしたらそれは錯覚だったかも知れないと思いなおした。

『修禅寺』という本を書くにあたって、関連する場所には、基本的に全て足を運んでいるつもりだった。伊豆山神社や建仁寺などなど、話の内容と直接のつながりはない場所であっても、である。そして、この神社も、『修禅寺』とまったくの無縁というわけではないのだ。
訪れていておかしくない。むしろ、一度も訪れていない方がおかしい、といっても過言ではないような場所なのだ。

ここを訪ねたという明確な記憶がない。日記などつけていれば、確かめられたのだが。
境内を見渡した時に、既に「おや」と感じていたが、案内板の説明を読んでいくうちに、「やっぱりここに来るのは初めてではないか」という思いが増してきた。
もし、前にも来たことがあるとするなら、その記憶はほとんどまったく、私から失われているのである。

何らかの力によって、執筆中の私がここに来ることが阻まれた。又は、ここに来た記憶が消された。
一応、そう想像することも出来なくはなさそうだ。が、想像はこのあたりで措くとしよう。
事は人智の及び難い領域に属するのかも知れぬ。

ただただ、私は「神社にも歴史があるのだな」などと思いつつ、修善寺をあとにした。

2008年04月13日

矛と盾

映画『靖国 YASUKUNI』、何はともあれ、観てみたい。「一部の人々」のせいで観られないという事態は残念である。
しかし、もしも、実際に観てみて、そんな「一部の人々」に賛成したくなる内容だったとしたら…。