ご報告
今月初旬、朧座の新作台本初稿が出来上がった。
構想に約4年を費やしてしまった。脱稿まであとしばらくはかかりそうだな、と思っていた矢先、何故か先日、突然スッスッと筆が運んで、どうにか最後までこぎつけた。
台本が書けたということは、つまり、上演までの戦いの日々が始まったということだ。
楽しみである。
今月初旬、朧座の新作台本初稿が出来上がった。
構想に約4年を費やしてしまった。脱稿まであとしばらくはかかりそうだな、と思っていた矢先、何故か先日、突然スッスッと筆が運んで、どうにか最後までこぎつけた。
台本が書けたということは、つまり、上演までの戦いの日々が始まったということだ。
楽しみである。
先日、縁あって友人らと能を見る(於・国立能楽堂)。能『竹生島』中村裕、狂言『梟山伏』三宅右近、能『半蔀』梅若万三郎の各氏が出演。『半蔀』はもう何回も観てきたが、この日初めてこの作品がわかった。「わかった」という表現では何か語弊を招きそうで他の表現を探してみるが、やはり「わかった」としか言いようがない。
「理解できた」のではない、「わかった」のだ。
よく、シテは源氏の愛人夕顔の亡霊なのか、はたまた夕顔の花の精であるのか…などと言われる曲だが、そんなことは要するにどうでもよいのであろう。このシテは、女心そのものであろう。男の手に触れられた時のほんの一瞬の、しかし永遠の恍惚感、それがたまたま「夕顔」という艶な歌言葉を借りて表現されているのであろう、おそらく。
能は、いつも私に新しい感動をもたらし続けてくれる。
民主主義なるものが、必ずしもこの国の美徳といったものを重んずるとは限らない。
実は昨日、私はそのような事態を目の当たりにしてしまった。
このブログをしたためつつ、今頃になって、静かに怒りが沸いてきた。
確かに、昨日私は、象徴的な体験を味わったようである。
最後の更新から、4か月あまりが過ぎ去ってしまった。辛抱強くお待ち下さった皆様に、まずは衷心よりお詫び申し上げる。
この間、私朧太夫は何をしていたか。
政治活動を行っていた。はっきり言えば、先の杉並区議会議員選挙に立候補したのである。
そして、有難いことに当選と相成り、選挙管理委員会から証書も頂戴して、今日に至る。
このサイトで、私はつまるところ「まつり」がやりたいのだ、と述べてきた。
語弊を恐れずに書くが、その願いが、極端な形で実現してしまったといえる。
今までも、まつりをやってきた。逢坂の関や伊豆修禅寺という「名所旧跡」をまつってきた。
しかし、今回のまつりはちょっと違う。
一言でいえば、杉並区の現在をまつるということだ。もって日本の現在をまつるということだ。
重い務めではあるが、逆に言えば、「今申楽」を号する者として、これほど栄えあるテーマを頂くこともめったにあるまい。
「議員」という名の面をかけて、そろりそろりと参ろう。
朧座の新作を書いているうちに気が付いた。
「戦後」どころか、実はまだ何も片付いてはいないのだと。
そして、この作品を書き上げる前に、現代日本人としてやるべきことがあると気が付いた。
ごめんなさい。しばらくの間、このブログの更新はお休みさせて下さい。
新作が、一応何とか最後まで、書けた。
前から、「次は特攻隊・靖国関連の新作を書く」と、半ば己への発破掛けとしてしたためてきたが、どうにかその言に違わぬ内容にはなっていると思う。
とは言っても、突貫工事もいいところである。まだ初稿として人に見せられる段階ですらない。
例えて言えば、ヒトの出産と似ている。
ヒトは、直立二足歩行の所為であったか、とにかく本来よりも胎児を産む時期が早過ぎるという話を聞いたことがある。
今、手元にある原稿も、それと同じで、初稿と呼ぶにはまだ早過ぎる内容なのである。
ただ、ここまで来れば、とりあえず中絶の危険だけは去ったので、親としてまずは一安心の段階である。
私の場合、この「一応最後まで辿り着く」という段階に至らぬうちは、いつ中絶してもおかしくないという考えで筆を進めるので、どうしてもその間、気が張り詰めてしまう。
ま、中絶したらしたでそれでもいいや、というほどの気楽さで取り組むというのも一つの方法だとは思うのだが、私にはなかなかそれが出来ない。
この先、いろいろ手を加えて行く必要のある、荒削りな、いや荒削り以前といった方が適切な内容である。
登場人物は3人。全員、軍人である。うち2人が主人公である。
この2人が、作者が言うのも何だが、なんとも愛しい。
私はこの2人が2人とも大好きである。
階級は、少尉と伍長である。あと、主人公ではないが、大事な脇役が登場する。その脇役の階級は、当分の間、内緒にしておく。タイトルと合わせて、そのうちお披露目する日が来るであろう。
ここまで来たら、いつか絶対にこれを板の上に乗せる日が来るのである。そう思うと、それなりに感慨深いものがある。
朧座の3作目が、ここに始動した。
最近、不愉快過ぎてニュースも新聞もろくに見ていない。
それでも最低限、見出し程度の内容は嫌でも目に飛び込んでくるわけである。
どうやらシナによる日本侵略が本格的に開始されている模様である。
尖閣はおろか、邦人4名の命までが質に取られているというではないか。
アメリカなんぞは頼りにならぬということも、これまた明々白々ではないか。
今日、日本が置かれている状況は、大東亜戦争勃発前夜のそれによく似ている。
大国の侵略に屈するか、さもなくば「悠久の大義」に生きるか。
遠からぬ将来、この問いが全ての日本人に、他人事ではなく我が事として突きつけられることであろう。
ご承知とは思うが、念のために言っておく。私はちっともふざけてなどいない。
最近、私は、特攻隊・靖国関連の新作を執筆中である。
まあ、「歴史に参画する以上、ただでは相済まぬ」というのが、我が一座の伝統ではある。しかし、よもやここまでの事態に至るとは私も想定していなかった。
普天間問題あたりから、「あれ?なんだ、これ?」という感覚は芽生えていたのだが。
「ひょっとして、次の公演、戦争中だったりして…」という、この感覚。
そういえば、観阿弥や世阿弥ら先達もみな、血腥い戦場の傍らで、申楽を創っていた。
執筆と、平和の崩壊とが、日々、なぜか同時に進んでいる。
先月27日から今月2日にかけ、行楽と新作の取材とを兼ねて沖縄に行ってきた。一昨年の夏に続き、2度目の訪問である。
31日には帰京の予定が、台風7号の直撃で延期を余儀なくされたのも、沖縄的といえば沖縄的な体験であった。ほうぼうに迷惑をかけることになってしまったが。
主に訪れたのは、久高島、奥武島、本部半島、古宇利島、美ら海水族館、塩屋湾海神祭(ウンガミ)、東村内、宜野湾市内、エメラルドビーチ、瀬底島、国際通り近辺、知念半島、喜屋武岬・平和の塔、波上宮、波の上ビーチ、護国寺、陸上自衛隊那覇駐屯地である。
美しい自然の中でシュノーケリングや乗馬、それに地元の味を楽しんだ。
しかしながら、例によってというべきか、とんでもない体験もどうやらしてしまったようである。
その内容をここに詳らかにすることは、おそらく憚るべきなのだろう。今はただただ、朧座に課せられた使命の大きさを思いつつ、先の大戦で犠牲となられた方々の御冥福をお祈り申し上げる他はない。
「戦争は終わってなどいない」という、ただただその一事を噛み締めつつ、沖縄を後にした。
そして、飛行機の窓から、どこまでも青い海と空とを眺めつつ、改めて、昭和20年5月25日、このあたりに散華した第55振武隊K少尉の辞世の歌を思い出していた。
私は新作を書き始めた。
去る8月15日、赤坂ACTシアターにて倉本聰作・演出『歸國』を鑑賞した。
素晴らしい作品だった。
ご出演の梨本謙次郎さんも水津聡さんもとても良かった。
終盤近く、主人公の妹が声だけで登場する場面があったが、能の面や作り物の手法を使えば、妹役本人を舞台上に出すという手もあったと思う。が、そんな細かい話はさておき、あっという間の2時間だった。ついつい同業者感覚を忘れて見入る、こんな気分を味わえたのは久しぶりだ。
自分も演劇に携わっていて良かったと思い出させてもらった。
「8月15日もの」としては、なかなかこれを越える作品を創るのは難しいだろうと思う。
ここで野暮を承知で白状すれば、数年前の私は、実はこういう作品が創りたかった。
日本兵がフジツボ付きの牛蒡剣で内閣顧問の東大教授を刺してしまうくだりなど、ほとんど同じことを企んでいた。もっとも私の場合は、フジツボ付きの零戦が永田町に突っ込んでくるという場面を思い描いていたのだが…。
だが、いつしか構想を練るうちに、私はその当初の案からだんだん離れていったのだ。たぶん、ある「英霊」の導きだろう。そして今では、だいぶ様変わりした案を温めている。
もうすぐ、産声が聞こえるのではないかと思う。
倉本さんはじめ皆様には心からの拍手を送りたい。
そして、私はともかく私の球を投げるしかないのだと、改めて誓った。
靖国のみやしろのことにうれひはふかし、と、先帝が詠んだその日が、今年もまた過ぎた。
今上天皇の最大の務めは靖国親拝の実現にあると私は思っている。昭和50年(これがまた皮肉なことに私の生年に当たる)まで、明治・大正・昭和の各帝はみな、九段下の境内に直接に足を運んで、近代日本の創設に殉じたあまたの武人たちの霊をねぎらってきた。
繰り返すが、昭和50年までは何の障りもなく訪れていた、ここが重要なのだ。つまりは、GHQの圧力で天皇親拝が強制的に阻止された、というようなことではまったくなく、要は昭和天皇(及びその路線を事実上踏襲していることになる今上)が、昭和50年を境に、どうやら自発的に靖国親拝を中断している状態なのである。
その後、宮内庁長官のメモなる怪文書がマスコミに取り沙汰され、あるいは昭和天皇は内心、いわゆる「A級戦犯」(そんなもの本当はありゃしないわけだが)合祀に不快感を抱いており、それがために親拝を取り止めたのではないか云々という俗説がいまだに根強く囁かれている。が、これも指摘されている通り、たかが宮内庁長官の私的文書で天皇の内意を推定しようなどという発想がそもそもおかしい。女性週刊誌の域なのだ。
それよりは、三木武夫の発言の方が、まだしも影響大と思われる。昭和50年、三木が首相として初めて終戦記念日に靖国を参拝した際に口走った左翼への阿諛追従、すなわち「総理ではなく三木個人としての参拝である」という妄言は、周知の通り、以後近隣国からの日本恫喝の格好の具と化した。これがあるために、天皇としても近隣国に配慮して親拝を見送らざるを得ない、という一面はあるのではないか。
だが、私は思う。遠慮することはない。天皇は堂々と、昭和50年以前の昔の如く、大鳥居を潜り抜けて英霊を拝し続けるべきだ。
武士の鑑のような人たちも、国家に殺されたも同然の人たちも、本心からにせよ名目に過ぎぬにせよ皆さんともかく「大君のために」ということで戦場に一命を投げ出された方々である。「行かない」だなんてそんな酷いことしていいのだろうか。
私の如き一介の不良国民ですら、たまにはお参りするのである。
天皇の靖国不親拝。実は、戦後日本の諸悪の根源はここにあると私は見ている。
パチンコに打ち興じて子供を車の中で蒸し殺しにする馬鹿親たち。その反動としての親殺し。
全ては、私に言わせると、天皇の靖国不親拝、もっと言えば「親が親ではなくなってしまった」ということ。
ここに尽きるのではないか、と、不良国民たる私はかねがね邪推している。
本当は、倉本聰作・演出『歸國』について述べるつもりだったのだが、序論で力尽きてしまった…。