能は観阿弥・世阿弥親子によって大成されたというけれど、実は大成されると同時に、その成長は以後六世紀の長きにわたってほとんど止まってしまったままなのだ。わずかに応仁の乱前後に若干の試行錯誤・模索が行われた形跡が認められるのを唯一の例外として。従って能の黄金期とは即ち室町の黄金期、将軍義満・義持・義教のわずか三、四代に限られているのであった。以後はおしなべて退化、劣化、悪化の一途を辿ったといって差し支えない。老化ではない、退化・劣化・悪化である。老化ならば救いもある。春の花の色気は失せるが、要らぬものが削ぎ落とされて秋の紅葉の美しさがある。そういう洗練の美を貫いて凛々たる老いに殉じた正統派はしかし極めて少数であり、かかる例外を除くほぼ全ての演者見者が江戸式楽以来今日に至るまでよってたかって能を腐らせてきたのであった。そろそろ能は若返らねばならない。その為に今私が模索している方法論の一つが、「群衆能」というものである。