私はこれまで本業の分野で「群集劇」と呼ばれるタイプの演劇と付き合ってきた。大勢の登場人物が出て来て、人間群像が描かれる。無論、各々にスポットライトが当てられる事もある。しかし最終的には、個々の人間像が綾なして大河の如き群集絵巻を織り成して行くのだ。そこにはもはや明確な主人公等存在しない。群集の一人一人が主人公なのだ。これを私は能でやりたいのである。応仁の乱前後の能、例えば『一角仙人』等を観ると、この時期の能作者らがいかにシテ独演主義に対して様々な試みを行ったかが判る。しかしなお大勢は揺るがず、ついに本格的な群衆能の実現、即ち能の本質的構造改革は六世紀後の今申楽に持ち越されたのであった。もはや私の頭の中では具体的な構想もかなり定まってきている。仮タイトルは『雲隠』。登場人物は光源氏、頭中将、空蝉、末摘花、玉鬘、六条御息所、桐壺更衣…そして二人の紫式部。皆、シテである。「源氏物語の主人公は実は光源氏ではない、源氏を取り巻く数多の女君である」という瀬戸内寂聴氏の説に、想を得た。