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新作差別

どうやら江戸以前の作品群が普通の能、正統の能とされるのに対して、明治以降の作品群を一括して称する用語であるらしい。この呼び方がそもそも良くない。その背景に、「明治以降の新作能なんて、例外、特殊。キワモノ、ゲテモノ。能はやっぱり、古典でしょ」という、伝統の何たるかを真に理解していない人々の浅薄な保守意識に裏打ちされた差別臭を嗅ぎ取らぬ訳には行かない。今は古典と崇め奉られている能も、かつては皆、「新作能」だったのだ。そして、本当の意味で伝統を享受する為には、先人の作品を追慕するに終らず、自らの内に取り込んで再生産して行く営為こそ必要不可欠なのだ。三島由紀夫氏は能を近代演劇に翻訳してみせた。俵万智氏は現代語で三十一文字(みそひともじ)を詠んでのけた。三島氏は能を、俵氏は歌を、こよなく愛している。自信をもって堂々と愛しているから、「今」を生きる人の心に直に訴える形を選び、形を変えてもなおその心は容易に揺るがない事を知っているのだ。いずれも伝統の破壊ではない、伝統の真なる享受である。紀貫之、藤原定家、今は古典の大偉人も皆、当時は伝統を人一倍愛するニューウェーブであった。伝統の真なる享受、それは遵守と再生産の両輪の上に初めて成り立つ事を忘れてはならない。

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2003年10月16日 04:25に投稿されたエントリーのページです。

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