「中正面から能を観る」。これはどういう意味かというと…能舞台を取り巻く客席(見所という)には三種類ある。正面、脇正面、そして中正面。正面は文字通り。脇正面というのは能に出てくるワキ(簡単に言えば脇役)にとっての正面だ。正面から観ると、ワキは常に普通の舞台用語で言うところの下手、つまり客席から向かって左手に向かって座る。つまり普通の舞台で言うところの下手の部分にも能では客席があるのだ。言葉で説明するとまことにややこしいが、そこを脇正面という。さて、正面と脇正面の間に存する客席部分を中正面という。能では正面・脇正面そして中正面の三区域の客席が、扇型をなして舞台を三方から取り囲んでいるわけだ。普通はやはり正面席を選ぶ。だが、役者や能面を横から観たいと思う能楽通などはしばしば脇正面に座る。さて、中正面、ここはあまり座る人がいない。三種類ある客席で最も入場料が安くなるとしたらまずここだ。ここに座ってしまうと、能舞台にある目付柱という奴が能を観るのに邪魔になってしまうのである。私が「中正面から能を観る」と言う場合、実はそれは私の能の見方の比喩なのだ。
つまりは、「お能拝見」などというかつての封建的遺風に遠慮する必要のない昨今、能を批判的に観る事が求められているのである。少なくとも、私はそう思って能を観るようにしている。すると、どうもおかしな事、演劇としては不成立な要素も能には少なからず散見されるのだ。例えば、目付柱の存在である。調べてみたら、あんなものは能の創立期にはなかったのである。「どう考えても邪魔なんだから、いっそのこと取っ払ってしまってはどうか」と提案できる理性が、演劇としての能楽を復興するためには欠かせない。
何もかもやみくもにありがたがっていては良いものは創れないと思う。好きだからこそ、愛があればこそ、心を鬼にしてクリティーク精神で能に臨むのである。
今申楽を創るには能リテラシーが必要である。