そもそもこれは「空也坊」と申す猿楽法師にて候。
ある人、我が名を尋ぬるに答えて曰く。「我、朧に在りて、その身を見せず。光もなく闇もなし。万物の本源みな《空》なれば、我が心の本質こそ《空》也。これをもって《空也》と号す」
さて、愚僧が朧太夫と初めて出逢ったのは、昨年の12月のこと。知人の誘いで、太夫殿が出演されていた舞台を拝見したのがきっかけであった。
演目は、芥川龍之介原作の「藪の中」。今回の「香炉峯」出演者や、関係者もその舞台にご出演されていた。
実をいうと、愚僧にはちと捻くれた所があり、自ら進んで人との交わりを持とうとすることが滅多に無かった。この日も誘われはしたものの、理由もなく即座に断ろうとしたのは事実。しかし、もとより観劇に興味のあった愚僧は、不思議と何の躊躇も無くそのお誘いを受け入れた。思えば、この時すでに、愚僧と「朧太夫」との出会いが運命付けられていたのではないか・・・・・・。
さて、劇場に到着。促されるままに最前列の席に座らせて頂く。そこで、受付にて手渡された公演のパンフや、出演の皆様による演劇のチラシなどに目を通す。そこで愚僧は、とある一枚のチラシに目を奪われた。それには墨字でこう記されていた。
「今申楽朧座」———
今申楽。能楽の台本を現代の戯曲として読み直す試み。
「香炉峯」なる新作を「新しい能楽」という方法で上演すべく、志を同じくする座衆との出会いを求めている———。
こんな大それたことを考える現代演劇者がいるとは!実際に現役の能楽師である愚僧が受けた衝撃は、計り知れないものがあった。しかし、この試み(今では実現に向かっているが)に、愚僧は密かに心から賛同した。実をいえば、愚僧もこれと同じようなことを考えていた時期が少なからずあったからだ。それについては、また別の機会に述べたいと思う。
かくして、舞台が始まった。狭い空間をふんだんに活かした迫真の演技に息を呑む。その時、愚僧は一人の「樵役」の青年に目が留まった。一人だけ、白塗りの顔をした怪しげなメーク。もちろん、舞台に上がる全ての役者陣が優れた演技を見せて下さったが、中でもこの「樵役」だけは、異様なオーラを発していた。恐れず言えば、良い意味で他の皆から「はずれていた」。それが、今回の朧座の座長・朧太夫その人であったのだ。
終演後、この舞台に誘って下さった、今回の美術担当でもある横井さんが「ねえ、ずっと樵さんのこと見てたでしょ?」と愚僧に話し掛けてきた。
「せっかくだからお話してみれば?」すぐに頷く。ややして、愚僧の目の前に、白塗りの顔のままで「樵役」の彼がやって来た。
横井さんを交え、暫し歓談。私はすかさず「今申楽」について尋ねた。熱く語る朧太夫氏。白塗りの顔から覗かせる鋭い目力が、彼の熱意が本物であることを何よりも証明していた。また先方も、愚僧が現役の能楽師であると言うことに、非常に興味を示して下さった。
「今申楽ですか・・・・・・。この発想にはまいりましたよ」
「ありがとうございます」
この言葉のやり取りだけで、我々は協力態勢を結んだも同然であった。
かくして、ここに「朧太夫」と「空也坊」、現代演劇と能楽師の邂逅が生まれた。
(以下、後日別記にて)