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朧座の名の由来

昨日、第一回公演『香炉峯』のワークショップ中、出演者の高田べんさんから次のような質問を戴いた。

「太夫くん、僕は直面(ひためん)なわけだけど、表情は動かして良いの?」

直面とは能の用語で、能面を着けず素顔で演じること。現在の能では、顔面筋肉による表現はご法度とされている。
非常に本質を衝いた鋭い質問だ。
で、私は彼に次のようにお願いした。
「普段我々が行っている現代演劇の要領で結構です。
ただ、もし能のスピリットに学ぶところがあるとすれば、やはり過剰な表情、無駄な表現は避け、動かすべきところで初めて動かすのが良いと思います。
…まあ、考えてみれば普段から我々やっていることですが…」

帰宅して共同演出の空也坊氏と電話でこの件について話す。氏曰く。
「いやー今だから言いますとね。僕も最初、この台本をもらった時、ト書きに『笑い転げんばかりに』と書いてあるのを見て、この企画に乗るべきかどうか、非常に迷ったんです」(注・オーソドックスな能には「笑いの演技」は存在しない)
そこでこう答えた。「僕がこの台本を能の台本として書いた当初は、このト書きは現実に笑えという意味ではなく、演者の心が笑いそうになるくらいに、という意味だったんです。能の台本にも『気ヲカへ』といったト書きがあるのと同じように。しかし、今申楽ではこのト書きをどう解釈するのか、実は皆が知りたがっていることだと思います。
例えば、今申楽朧座では顔面表情をどうするのか、あるいは笑いの演技をどう処理するのか、そういったことを解決して行くうちに、今申楽のスタンダードといったものが生まれて行くと思います」

ワークショップを終えて夜空を見上げると、昨夜は見事な朧月夜であった。
べんさんに言った。「朧座って、まさにあの月みたいなものなんです」と。
朧という言葉は、月の光がぼんやりとして、輪郭がはっきり見えないさまを言う。
今、我々は全員、朧だ。自分たちが行おうとしていることを、「芝居だ」「能だ」と単純にはカテゴライズ出来ない状況にある。
しかし、もちろん、帰するところは現代の観客と心を通わす現代演劇でなくてはならない。
見知らぬ土地を歩くのは勇気が要るが、今となってはそこを楽しむしかないだろう!

それに全ての演劇は、本来、朧なはずなのだし。

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2004年04月08日 10:21に投稿されたエントリーのページです。

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