能は演劇である。
しかし、今日普通に見かける演劇と大きく異なる部分が、おそらく、一つだけある。
今日の演劇では「人」と「人」との関係性が描かれる。
能では、「人」と「霊」なのだ。
今日の演劇は「人」同士の関係性を描くのであるから、舞台は例えば駅の待合室とかカウンターバーなんかが適している。つまり「人」同士がお互い対等に対話しうる場だ。
能の舞台はそこが違う。全ての能は、この世とあの世を結ぶ橋の上が舞台となっている。電車に乗って能楽堂にたどり着き観客席に腰を下す、ここまではこの世だ。やがて五色の幕の向こうから笛や鼓の音が聞こえてくる。このとき、この世とあの世の境目はすでに揺らぎつつあるのだ。そろそろおしゃべりは止めなければならない。幕の向こう側は──あの世だ。
登場する霊たちはみな、能面を着けている。霊には顔面筋肉というものがない。そういう余計な仮面で真の顔を覆い隠し、泣いたり笑ったり怒ったりと大げさに振舞って見せるのが生者という奴なのだ。
能面は、仮面ではない。能では、能面こそ真の顔なのだ。
顔面筋肉などという、余計で嘘っぱちな仮面を脱ぎ捨てたとき、そこには真に美しい霊の顔が現れる。
能舞台という、この世とあの世を結ぶ不思議の橋の上で、能面を着けたあの世の者と能面を着けないこの世の者とが声言葉を交す。
能とは、そういうドラマなのだ。