昨日のワークショップは、地謡のお二人(小名さん・亀谷さん)に私、それに制作の近藤君が1時間ほど飛び入り参加してくれた。おかげで近藤君は私や高田さんの代役をやらされる破目になってしまった。近藤君にはもともと、置きチラシ(各劇場に置かせて戴くチラシ)のためにチラシを取りに来てもらったはずなのだが、つい甘えてしまった。実は彼は役者なのだ。しかし、制作といおうか演出助手といおうか、稽古場にこういう助っ人ないし守護神的な方がいて下さると本当に助かる。私は今回作・演出・出演を兼ねているのだが、昨日は実は作演出に専念したいところだったので、彼のおかげで非常に助かった。近藤君、ありがとう。
で、近藤君に地謡以外の役を代読してもらい、地謡のお二人には色々と注文をつけながら、ここは小名さん、あそこは亀谷さん、ここはお二人で、などと振り分けを決めて行く。実は地謡の振り分けは、空也さんから前々から宿題に出されていたのだが、ついつい結論を出さぬまま昨日まで及んでしまった。皆様申し訳ありません。しかし昨日でようやく決まった。なぜか今朝は目覚めが良い。
地謡の振り分け方を探りつつ、枕詞・助動詞「けり」・係り結びにまで話が及ぶ。まずは枕詞。受験勉強の世界では「ある特定の語を導き出すための飾り言葉なので、訳出の必要なし」と教わる。しかし今申楽ではそういうレベルでは困るのだ。例に出したのが斎藤茂吉の歌「のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にいて足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり」。「たらちね」を広辞苑で引けば、乳を垂らす女、また乳の足りた女、満ち足りた女の意などという、と説明されている。この書き方は、要するに、学者にもはっきりとはわかっていないということだ。しかし、わからずとも伝わるではないか。大好きな大好きな母親を失った男の悲痛さが。
「東」という語を導き出す「鶏(とり)がなく」という枕詞、これは関西人つまり当時の都会人が、東国人の言葉は鳥がなくようでようわかりまへんと馬鹿にして作ったものだという。小名さんが、鶏は洋の東西で良くないたとえに使われると指摘。なるほどアメリカでchickenと言えば青二才の意味となる。
で、今回の作品『香炉峯』にも三つの枕詞が登場する。その話をしていて、そもそも「栲」(たえ)って何だ?という話になった。私は詳しい意味も知らずにこの「栲」という語を作中に使ってしまっている。こういう盲点を衝いてくるのはたいてい亀谷さんだ。おかげで私も改めて辞書をひもとくことになる。「栲」はカジノキなどの繊維で織った布、あるいは一般に布、の意と判明。このイメージからいくつか有名な枕詞が生まれているのだった。どんな枕詞が生まれているか、詳しくは劇場にてお確かめ下さい。
「けり」は気付きの助動詞だ、ということもお二人にお話しした。何しろお二人の役である「地謡」にはこの助動詞が頻出するので。この言葉は、過去の事実に今気が付いた、というニュアンスなのだ。それを一人でしみじみ「たんだなあ……」と噛み締めれば詠嘆的になるし、長生きした爺さん婆さんが孫に昔を物語るシチュエーションで使えば「たとさ」と昔語りの色を帯びる。
亀谷「なるほどね〜もっと勉強しとけばよかったなあ…」
朧「そういう時こそケリを使う。もっと勉強しとけばよかりけり」
小名「よかりける、じゃなくて?」
大変良い御質問だが(なんだか学校の先生みたいでおこがましいが)、これにお答えするには少し時間をかけなければならない。後日に譲ろう。