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眠い能ほど良い能か?

眠い能ほど良い能だ、と専門家はよくいう。私は、この言葉を昔はまったく信用していなかった。今でもあまり信用していない。少なくとも、初心者はみな、役者が何を言っているのかわからず、暇で退屈でウンザリ、疲れ果ててやむを得ず寝るのである。能は夢うつつの境を描くから、当の観客も夢うつつで良いのだと真面目に説く人もある。だとすれば、観客席を観客寝台に改めてもらいたい気がする。座りながら寝るのはなお疲れるのである。能から開放される頃にはもうクタクタになっている。チケット代を支払って体験させられる地獄。
だいたい何を言っているのかわからない、聞こえない、そういう精神状態で幽玄を味わうもへったくれもないのではなかろうか。

昔、私が中学生の時、音楽の授業中にオーケストラのビデオを見させられたのだが、あまりの心地よさに私は寝てしまった。授業が終わる時、音楽の先生が
「田中(私)が寝ていた」
と怖い声で皆に言う。謹厳で知られる先生だから叱られるかなと思いきや、先生、
「実に気持ちのよさそうな顔だった」
珍しく菩薩のような笑みをたたえていたのを今に忘れない。この時から私は彼を、心の中で正式に先生とカウントするようになった。
もうお気づきかも知れないが、私は先生でもない人間を先生呼ばわりするのが嫌いである。お上を闇雲にありがたがるのは日本人の悪弊だ。礼節は輸入したが易姓革命は輸入しなかったのだ。
学校の先生というのは、資格的には結構簡単に取れてしまう。事実、恐ろしいことに私はあと一歩のところで小中学校の国語教師の資格を取ってしまうところであった(自粛したが)。資格をとるのは簡単だが、真なる職業として学校の先生になるというのは、おそらく、相当難しい。想像を絶するほど難しい。何より真の先生は、当たり前のことだが、生徒の心がわからなければならない。生徒にどう見られているか、今自分は生徒にちゃんと通じる言葉で話しているかどうか、生徒のまなざし、生徒の声、生徒の反応にセンスティブであらねばならない。
そういう真なる先生は、小学校から大学を辞するまで、管見の限り数人であった。

私は、専門家の謬説を信じない(正しい説なら良いが)。世にも美しい夢の世界が眼前に展開されていて、人はそうやすやすと寝るものであろうか。なるほど、オーケストラの心地よさに寝ることはある。同様の理屈で、ある程度能に親しんだ者なら、能の心地よさに寝ることもある。それは、曲の内容や詞章を水や空気のように既に身体に取り込んでいるからだ。しかし、あえて言うが、それは演劇の観客としては消極的な楽しみ方だと私はやっぱり思う。
人生の劇的なる部分が描かれ、そこに観客が遭遇する。それが演劇ではないのか、世阿弥の説く「花」ではないのか。
寝ていては「花」が観られないではないか。

どんな夢が舞台上に紡ぎだされるのか?それを我々観客はもっとワクワクドキドキしながら体験するべきではなかろうか。

だから、私は言いたい。上手い能楽師の舞台が観たいと。
上手い能楽師とは、数々のハンディにもかかわらず、現代の観客に問いかけ訴える技量の持ち主を言う。

私は、眠い能ほど良い能だ、という説には賛同できない。
良い能なら、眠くならないはずだ。少なくとも、能を積極的に演劇として楽しもうとする立場からすれば。
なぜなら、上手い能楽師は必ず現代の観客の心に迫ってくるはずだからである。

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コメント (2)

朧太夫:

コメント有難うございました。
なるほど、クラシックも本気で聴けば(つまり参加すれば)そう簡単には眠れないはずですよね。言われてみれば仰る通りですね。
大変良い事を教えて戴きました。

演者のせいか観客のせいかはわかりませんが、とにかく「眠い能」なんてものが芸術として幸福な状態にあるなどと言えようはずがない。
しかし、専門家というのはえてしてそういう驚くべきことを平然と言ってのけるのですね。
本当に、「専門家」とやらにはなりたくないものです。

そういう、驚くべき「専門家」たちにヌクヌクと囲まれて惰眠を貪っているのが今日の能ですから…「眠い能ほど良い能だ」などという錯誤が正論としてまかり通っている異常な世界のことですから…
「客を寝かさない能楽師」というのが、少なくとも下手ではない能楽師と言えるかも知れません。

私の知人で舞台をよく観ている人間が、こう言っていたのが印象に残っております。
「悪い能も、良い能も、眠いのだ。《凄い能》だけが、眠くないのだ」と。

彼女は、今までに一度だけ、《凄い能》に出会ったことがあるのだとか。
私は、幸運な事に二、三度遭遇しております。

腰が抜けました。
能というのは演者だけでなく、観劇をしている側が作り出す劇であると思っていましたので。

私もそうたくさんの能を見てはいませんが、眠いというのは観客の負けだと思っています。
クラシックだって本気になって聞けば恐ろしく緊張し、演者の一挙手一投足も逃すまい、すべての音があるべきところに収まる様を聞き逃すまいと闘うものでしょう。

残念ながら何が上手い能楽師なのかは私にはわかりません。が、眠い演劇が観客に何かをもたらすとは思えません。

シロウトですので「眠い能ほど良い能」という説が専門家からでることに驚愕しました。

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2004年04月22日 22:24に投稿されたエントリーのページです。

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