私の家の近所に松屋があり、さっき入って昼食をとったのだが、そこでバイトしているおばさんが、非常に上品なのだ。そこの松屋はしばしば使うのだが、そのおばさんは初めて見る顔だった。働き出したばかりなのだろう、仕事が全然慣れていない。いつまでもつだろうか、おせっかいながら心配になってくる。スピ−ドが売りなんだからそんなに丁寧にお辞儀していたら間に合わないですよ、安さが売りなんだからそこまで笑顔でお見送りしなくてもいいですよ…
品というものは滲み出るものである。そのおばさんにはつくろいの厭らしさがない。本当に、純な心で発する彼女の声や表情が、全く計算なく自然で上品なのだ。
昔、私が水商売のバイトをしていた時分を思い出す。
何が苦痛かと言って、店長が「上品」という言葉を全く誤解して使っていることが苦痛でたまらなかった。
その店長は、「上品」を「金額が高い」という意味で使っていた。つまり、本当の意味で下品なのだ。
翻って、日本文化の周辺に巣食う人種にも、この手の人々が実に多い。
しばしば、上品という賛辞を、下品な対象に贈っている。
文化っぽいもの、芸術っぽいものに対して、その真贋を見究めることなく「上品」などと薄っぺらいおべっかを使って、自らの審美眼のなさを露呈している。
日本文化なるもの、これでは若者に嫌われ外国になめられ、残るは誤った既得権益に群がりしがみつくゾンビの如き御歴々。
まことに悲しい事である。