「本番中、舞台の袖に控えていたスタッフの一人が、清少納言の霊に憑依されるという現象が発生した。そして清少納言は本番終了後もしばらくそのスタッフの身体に留まり続け、確かに私や共同演出の空也坊を初めとする何人かのスタッフに声言葉をかけてから、去っていったのである。」
今回の出来事の過程をよく知る、ある関係者の表現を借りるならば──どうやら、そういう結論に落ち着くらしい。
そして、正直に言うと、私はその結論にさほどの違和感を感じてはいない。
トランス状態に陥ったスタッフは私に泣きながらずっと「ありがとう」と言い続けていた。
また、芝居がはねた後の関係者の歓声をよそに、舞台袖で清少納言や定子皇后の面をずっと眺めていた。そして、舞台に出て卯の花を眺め、私が「あの方がこの花を作ってくれたんですよ」と紹介すると、舞台美術担当の横井さんを手招きして花を指差し「かわいい」という言葉を発した。
あくまで私の想像だが…あるいは彼女は「いとをかし」と言いたかったのではあるまいか。もしそのスタッフが「いとをかし」という言葉を知っていれば。
もし、この世の中にはそういう摩訶不思議なこともたくさんあるのだと仮定すると──
「清少納言」はこの公演への感謝とねぎらい、そして台本に一点だけ、作品をより良くするためのアドバイスの言葉を与えるために降りて来てくれたのではないか(このアドバイスについてはいつか述べる日が来よう)。霊というととかく怨みとか祟りとかいう話になりがちだが、そうではなく、言わば叱咤激励のお気持ちで現れて下さったのではないか。
だとすれば──本当に有難いことである。
神秘体験とでも言うのだろうか。「清少納言さんはやっぱりとてもいい人だったのではないか」と、改めてそんな思いを強くした。彼女を「軽薄な女」と悪く言う学者はとても多い。かかる偏見はその学者の器量の狭さの故であり、実は一見軽薄と見えなくもない彼女の筆致はすべて計算された演技、わざとやっていることであろうという推測のもとに今回の台本を書いた。
そしてその推測は、やはり間違っていなかったと思うのである。
スタッフの精神的錯乱である、またそれを見て周囲の者がかかった集団暗示である、と片付けるのはいともたやすい。
もちろん、そう解釈すべき部分もあろう。トランス状態をきたしたスタッフは、そのとき疲労の極にあったはずだし、またそれを見た私ども周囲の者も皆疲れていた。錯乱、暗示、そういう要素もおそらくある。
しかし、それだけでは説明できない要素もあったのだ。たぶん。
別に今回の経験でオカルト世界に開眼したというわけではないので御心配なく(そういう懸念を招きかねない内容であることは重々承知しているが)。
翻ってみれば、四谷稲荷に映画『ポルターガイスト』等々、古往今来この世界ではよく聞かれる話なのだから。