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その後の『香炉峯』�

祭りの後の寂しさなどとよく言うが、本当に「祭り」をやってしまったんだなあ、と今にして思う。「今申楽」とはそもそも何なのか、皆で模索に模索を重ねた数ヶ月であったが…結局のところ、「今申楽」という名前通りの事を行ってしまったのかなあと。

今日の能楽(能と狂言)なる芸能は、もとをたどれば祭り、神仏に捧げる奉納芸能であった。能楽大成以前、何者かが「神楽」の神の字から神意をあらわす示扁(しめすへん)を取り去り、もって純粋の神事から演劇の方向へとこの芸能を変質させた人物が存在する。それが観阿弥であるのか世阿弥であるのか、またはそれ以前の申楽者の所業であるのか、今ここに明らかにする力を持ち合わせてはいない。
いずれにせよ、能楽の前身たる申楽、それは祭りの性格を色濃く帯びた演劇であった。神々とともに在る芸能、「神劇」であった。

そこがつまり、近現代の演劇と決定的に異なる点であり、面というものを使う最大の理由でもあるのではないだろうか。

もとより世の中、数式や化学記号で解明できる内容が全てではない。現代日本人が手放しでよりかかる自然科学とは、近代(人類史から見ればつい最近)になって欧米辺りから流行りだした一思潮であろう。この思潮、顕微鏡やら望遠鏡やらをのぞきこんで世界のあらましがわかったような錯覚を人にもたらす悪しき一面がある。
解明できていない事もある、いやおそらく、解明できていない事の方が圧倒的に多いのだ。特に人間の脳や心について。

今回の経験を、仏教思想に造詣の深いある友人に紹介したところ、こんなことを教えてもらった。
すなわち、我々人間はまず個々人が各々の記憶を有する。では昨日乗った電車で隣に座った人物の顔を覚えているかと言えばふつう覚えていない。ところが、少し催眠をかけただけでたちどころに思い出すのだという。こういう、表層から埋もれたところに潜在的な記憶というものがある。これをどんどん掘り下げて行くと、やがて家族の記憶となり民族の記憶となって行くという。その最奥に「神」があるのだともいう。
この深層の記憶、神々は個々人に対し、時には宝となり時には毒となって作用するらしい。個々人が個々人を確かに持ち、しかも深層の記憶に正しく対すること、これが仏教の教えであるという。そして、今回の公演『香炉峯』では、たまたまそういう深層にまで事を掘り下げてしまったのだ、それは宝となるかも知れず毒となるかも知れず危険な要素をはらんでもいるのだが、しかしこういうところに行き当たらない限りは真なる芸術は生まれないのだから悲観することはない、要は己を失わず、しかも事を正しく処することが重要である──と彼は説明してくれた。
(なお付言すれば、ユングの精神医学は仏教の説とも符合するところがあるのだとか…いろいろと勉強すべきことは多い。)

今、私は香港に来ている。

今回、公演の生命ともいうべき面装束の制作をすべて香港の美術スタッフに依頼した。公演二日目、トランス状態に陥ったのは香港のファッションデザイナーであったが、この頃、実は面制作者もまた香港で体調不調をきたしていた(彼は、目も鼻も口もない、全く顔の要素を喪失した枕草子の精の面を打った。また、石膏で私のライフマスクを作り、かつ伝統的な能面のデザインを研究して、リアルな人面に能面の美学を盛り込んだ清少納言の面を打った。彩色は芸術監督が行った)。

彼らのその後の体調を見舞うためここ香港までやってきたのだが、今日に至ってようやく全員回復の方向に向かいつつあり、今はほっと胸をなでおろしている次第である。

しかし、「祭り」は、実はまだ終わってはいないらしい。
文献上は全く確認できないことだが──どうも、清少納言は生前、中国に渡っているらしいのである。

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2004年06月28日 05:24に投稿されたエントリーのページです。

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