まだ香港にいる。
街を歩いていて思った事をいくつか。
香港において、日常使われているのは広東語である。また、長らくイギリスの植民地支配が続いたとあって、香港における英語教育は行き届いている。従って英語の上手い香港人は多い。私は、片言の英語と漢字をフル活用しての筆談とで辛くも異文化交流をはかる日々である。そんな私がある時、香港の面々と会食した折に、高校時代に習ったうろ覚えの漢詩をパクって適当にこしらえたものを開陳したとたん、一座にちょっとした爆弾クラスの衝撃を与えてしまったのが楽しかった。
香港の街を歩いていると、中国の神々を祀った祠や廟所の類がそこかしこに点在し、線香の香りを漂わせている。また、通りで足元をよく見てみると、建物の一角などにも線香を供えるスペースがきちんと設けられている。つまり、道教や風水といった民間信仰が今なお健在であり、そういうものがいわゆる百万ドルの夜景、現代的な摩天楼の群れと妙に同居しているわけだ。なかなか不思議な、面白い光景である。
羨ましいのは、新暦と旧暦を見事に併用しきっているところである。いやむしろ、中国では旧正月の方が盛り上がるとのこと。朧座の次回予定作品の季節をお盆の頃に設定したいと思っていざ考えたら、地方では八月、都会では七月と、もう現代日本人の盆感覚は相当狂ってしまっていることを思い出した。なんで旧暦を止めたのだろうか。フクザワユキチの仕業か?便利なのに。
盆というのは祖先の霊をお迎えする行事。そんな大事な行事の日取りが、田舎では季節を尊重して八月に行います、いや東京では面倒なので昔の日付のまんま七月にやります、そんな手抜きな招待感覚ではご先祖様達も不愉快だろう。
道理で香港の街が元気に見えるわけだ。今の日本はどうも神々に祝福されていない感じである。
持参した香港のガイドブックにも「アジアを体感!」とか変てこな事が書いてある。
もともと日本はアジアなのである。