香港が歴史の表舞台に登場するのはこの150年ほどである。いわば現代人の一生二人分のうちに、一漁村から世界有数の都市へと変貌を遂げたのであった。確かに万事スピード感覚が違うように思われる。店やタクシーで料金を払う時も、日本より手早さが要求される。
英語が得意な香港人が多いと先の「香港雑感」に書いたが、香港で義務教育が始まったのは1980年である。確かに、英語教育が日本よりも行き届いているので英語の上手い人は多いが、しかしそう思って香港に行くと、実際はさほど多くもないという印象を持たれるかもしれない。
当然、香港の日常生活は広東語をもって行われるのである。
広東語と日本語は違う。香港式の英語教育は日本のそれよりはるかに成功している、だからといってすぐに日本に直輸入すべきかというとそんなに簡単な話ではないと私は思う。
さて、その広東語だが、昨夜、香港の友人と実験して判明した事がある。
いや、判明とまでいってしまうと非学問的なので、「浮上した」とでも言っておこう。
日本の漢字の音読みは、北京語よりも広東語に近いものがかなり多いのだ。
(また、その漢字も、中国大陸のように原形を思い出せないような略字がないので日本人にはわかりやすい。かなりスムーズに筆談する事ができる。)
古代日本語はインド南部のタミールから到来したという説がある。
飛行機が常識となった今でこそ、日本は島国などと思い込みがちだが、その昔はずいぶんと活発に海上交通が行われていたとも聞く。現代人が想像するよりもアジアは近かったというわけだ。
それに遣唐使廃止の後も、インドに行く仏教関係者は多かった。彼らに頼んで船に同乗させてもらい、途中のどこかで降ろしてもらう。あとは陸路で目的地を目指す。そういう、「高僧と一緒の船旅」の方が、ひょっとしたら昔は安全だったかも知れないし(坊さんだから手を出される心配はないし何かあれば祈ってもらえる。しかも坊さんたちも女を船に同乗させたとは言えないから、完全にお忍びで行ける)、目的地によってはその方が近道でもあったろう。
清少納言は南方から唐入りを果たし、現地の人間に白居易の詩の読み方などを教わりながら、「え、日本の音読みと似てる!」などとビックリしながら、一路、香炉峯を目指した。そう想像することは不可能であろうか。
(そういえば、これは余談だが、ピーターグリーナウェイ監督の映画『PILLOW BOOK』もまた、撮影地は日本と香港であった。)
当サイトは学問の場ではないので、こういう妄想的記述も悪しからずお許し願いたい。