継続は力
何気なくテレビをつけたところ、カウントダウンTVという歌番組をやっていた。夏の特番バージョンとのことで、この数年来、夏に流行ったポップスを一挙に総ざらいしている。観ていてすごいなあと思うのが、毎年のように新曲を発表ししかも人々を魅了し続けるサザンオールスターズらの天才ぶりである。『エロティカ・セブン』など全然古さを感じさせないが、画面の説明を見たらもう十年前の作品なのだった。名曲は常に新しい。
まあしかし、私はサザンの熱狂的ファンというわけではないので、彼らの曲ならば遮二無二良いというふうには思わない。好みの曲もあるし、そうでないのもある。私の耳が悪いのか、あるいは天才といえども当たり外れはあるということなのか。
だが、私の好みではない、私に言わせれば外れということになる曲にしても、あまりひどいものは見当たらない。楽曲として毎度ある一定のクオリティを保ち続ける。つまり極端な外れがない。その辺りも、天才のなせる業なのだろう。
その一方で、一過性の天才というタイプもある。数年前の夏、一世を風靡した天才が、今は杳として行方も知れない、などというケース。
まあ、いずれにせよ天才なわけで、一凡人としてはただ彼らの才能をうらやむより他ないが、欲の深い私のこと、どちらかと言えば前者のような息の長い才能者たちにより強くあこがれてしまう。
継続は力なり、という。
ともあれ、書かねば。ここ数日、つらつら私の思うところを約すれば、この一言に帰するであろう。
先月挙行した朧座第一会公演『香炉峯』の台本は約3年前に書いたものだ。新しい能を創りたいと思い始めた時期はさらにさかのぼる。上演に至るまでには、何年もの構想期間があった。
新しい能を創る、能楽の台本を現代の戯曲として読みなおす。
まず、私が能楽師に謡と仕舞を習うべく入門を決意したところから、朧座の前史は静かに幕を開けたのだ。そして、台本執筆(『香炉峯』等)や路上での実験的なワークショップなど様々な試行錯誤の末、昨年末、某流能楽師・空也坊と邂逅したとき、朧座に命が宿ったのである。その半年後、旗揚げ公演として朧座がこの世に産声をあげるまでには、数知れぬ陣痛があった。
何もかもが一からの創造作業だった。役者はどの程度までリアルな表現が許されるのか。能では役者は決して笑わないが、今申楽では笑って良いのかいけないのか。摺り足で歩かねばならないのか、どうするのか。発声はどうする。舞はどうする。面はどんなデザインがふさわしいか。ただの能面の模倣であってはならないし、リアルな人面というのもやはり違う。能装束というのはどんなふうに出来ているのか、どこでそれを詳しく教えてくれるのか。笛や鼓はどこで調達すれば良いのか。借りられるものなのか、もし借りられるとしていくらかかるのか。小道具は、大道具は、照明音響は…
能楽をやれば良いとか、普通に芝居をしていれば事足りるとか、そういう甘えが一切通用しない、演技者にとっては正直誠に恐ろしい試みが今申楽である。能の猿真似をしたところで能楽師の方々にかなうはずもなく、かといって普段我々が行っている現代演劇そのままの調子で能の本を読めばまことに変てこな具合になってしまう。
そこは苦心の連続だった。
第一回公演が好敵手
ところが、である。いざ生まれてしまうと、「次はいつ?」なる問題が恐ろしい勢いで浮上してきたのであった。次回公演を打つということが「ノルマ」的にならない方が良いと、何人もの信頼出来る人間が口を揃えて言っている。が、その一方で、この企画続けて行かねば意味がない、しかも人々が忘れぬようなペースで世に問い続けることが望ましいと、これまた信頼すべき多くの人間が言を同じくしている。
一定のペースで一定の完成度で新曲を作り続けるサザンオールスターズらが誠に羨ましい。まあ、そういう天才をうらやむこと自体おこがましいと承知はしているが、どうせやきもちを焼くならレベルの高い相手に焼いておこうではないか。
第二回公演を行うとして、繰り返してならぬ多くの問題がある。特に、演技面及び企画製作面において、踏まえねばならぬ実に実に多くの反省がある。
ああ、どうすれば良いのか…。
悩んでみても始まらない。まずは、台本を書かねば。
と、こうして至極当然の結論に落ち着くのであった。
などと雑念にまみれながらチャンネルを変えると、アテネ五輪の予告をやっている。
アナウンサーによる伝聞だから本当かどうかは知らないが、かの北島康介選手がこんなことを言ったそうな。
「ライバルは自分」
またもやおこがましい限りのことを書くが、今の私には、この言葉がとてもよく効く。北島選手はナンバーワンの能力があるから、自分の他にライバルがいないというわけだ。不肖ながら朧座の場合、ナンバーワンではないがオンリーワンとは自負して差支えないはず。能には大和猿楽四座(観世・宝生・金剛・金春)に江戸期成立の喜多、あわせて五つの流派があり、狂言には和泉・大蔵の二流派があるが、今申楽をやっているのは何を隠そう朧座だけだからである。
というわけで北島氏のひそみにならって言う、ライバルは自分、すなわち前回の第一回公演『香炉峯』が当面の間、我が最大の好敵手である。
『香炉峯』とはまったく違う、それでいて今申楽ならではの作品を。
まずは書かねば…!