先日、歌手(アーティストなんて私の性格上言えません、悪しからず)浜崎あゆみ氏の所属するレコード会社エイベックスで一騒動あった。専務の某氏が辞めると言い出したとか、もとの鞘に納まったとか、何とか。詳しい事は全然知らないが。で、この騒動に関連して、どこかのテレビ番組がこの専務氏の人となりを取り上げていた。
曰くこの専務氏、タレントをブレイクさせたりヒットを飛ばしたりするために、ある習慣を持っているのだという。それは、常に十代の若者を「メル友」にキープしておく事なのだそうな。道理で年々、世上をにぎわすヒット曲の歌詞が低年齢化して行くわけである。「恋はいいなあ」じゃなく「即エッチしたい!」という感じである(もちろん例外もあります。概ねの傾向に呆れているのです)。さもなくば醜悪で怪奇なラップもどきである、本場の黒人に聴かせたら一笑に付されて終わるに決まっているところの。
おっと、マイナス面を先に言ってしまった。今日の本題は、むしろこの専務氏をほめる事にある。
世間の売れ筋をつぶさに知るべく、常に顧客層とメールを交わして彼らの趣味嗜好にアンテナを張り巡らすなどというのは、企業家としては誠に尊敬すべき態度であると思うのだ。
翻って能の世界でも、室町の創立期においてはこういう努力は当然払われていたのだが(それは世阿弥らの伝書を読めばわかる)、いつしか能は「観客」という演劇の最重要要素を忘れてしまった。武家の式楽、貴族階級の慰み物と化してしまったからである。
思うに、「今申楽」などと号しているが、その実、私の提案はたった一つの事柄に尽きるのである。
能楽の台本を、現代語で読んでみては駄目ですか?現代人にわかるように。
能楽の台本には、時代を超えて通用する戯曲としてそれくらいの生命力があると私は思うのですが。
という、要すればたったこれだけの主張なのである。
さて、従って、今申楽は現代の観客というものに対して敏感であらねばならない。かのエイベックスの専務氏には、そういう意味では非常に共感を覚える。また、一部少数の伝統芸能家に対しては、現代の観客を見下す嘆かわしい蛮習を改めよと通告しておきたい。
というわけで、高い敷居の上に胡坐をかいて惰眠を貪ることを是としない朧座としては、エイベックスの専務氏よろしく、およそ能楽とは縁のなかった友人らを相手に、しばしば雑談に事寄せたアンケートを行わせて戴くことにしている(そういう人たちにこそ、能楽の面白さを最も伝えたいから)。
で、最近のアンケートで一番多くたずねるようにしているのが、
「北条政子って知ってる?」
というもの。
これが、やはりというべきか、朧座第一回公演の主人公・清少納言に比べて圧倒的に知名度が低いのである。
清少納言の凄いところは、何よりその知名度であった。「ああ、枕草子を書いた人でしょ」と、それくらいは多くの人が心得ているのだった。日本人は日本のことを知らないというが、さほど諦めたものでもないと意を強くした覚えがある。
まあ、国語の授業で必ず出て来るだけのことはあるのだ。
ところがである。政子は日本史にしか出てこないのだ。
しかも清少納言の時代は女達の文化が主役だが、政子の時代は男達の人殺しが主役なので、政子、知名度という点では残念ながら清少納言に今一歩及ばない。
頑張って、「源頼朝の奥さん」という事を思い出すのがやっとだったりする。
うーむ、私が朧座第二回に取り上げたいのは「源頼朝の奥さん」時代が終わった後の政子なのだが。来年のNHK大河ドラマには北条政子も登場するとのことなので、このドラマには頑張ってもらいたい。しかし主人公は義経、頼朝より前に死んでいる。政子の後家時代など描かれようはずがない。しかしそれでも良い、政子に興味を持つ人が増えてさえくれれば。
ちなみに、鎌倉時代が過ぎ室町時代に入ってなお「武家は公家の番犬である」という思想を貫き通した筋金入りの公卿・北畠親房はその著書『神皇正統記』に、政子をいかなる呼び方で呼んでいるか。
「後室の尼公」
この言い方。まともな正史に片田舎の土豪の娘の名など記すもはばかる事と、言わんばかりではないか。(一応、一箇所だけ、「平政子」と記してはいるが)
やはり、政子の真実というものは語り直されなければならないであろう。
「尼将軍」ではなく、「北条政子」という一人の女性が生きたであろう真実を。
そのためにも、政子の名がもっと世に広まることを切に願う。否、我々が広めなければならないのかもしれない。