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弥生文脈と縄文文脈

弥生文脈と縄文文脈。
日本文化にはこの二大文脈が伏流しているのだろうか。

朧座の第一作『香炉峯』、あとから考えてみたら花鳥風月の全要素を散りばめていた。散りばめようという意識は全くなかった、しかし結果的には全部使っていたのである。なお、おまけに雪まで使っているので、雪月花と言い換えても差し支えない。
知らず知らずのうちに、いつの間にか、花鳥風月に事寄せて恋や人生を思ったり語ったりしている。それを今、まったく仮に「弥生文脈」と名付けておく。

第二作では北条政子を取り上げたいと今のところ思っている。しかし、さすが一土豪の田舎娘といっては政子が怒るだろうが、彼女の近辺には花鳥風月の匂いが全くしない。次男実朝が嫌気がさして和歌に走った理由もわかる気がする。
まあ、鎌倉幕府なる政体の実態は、シマを預かる組同士が日々タマを獲る獲られるの抗争に明け暮れる極道の世界である。その娘たる政子は、花鳥風月なんかよりも親兄弟の流鏑馬だの笠懸だの犬追物だのを身近に観て育ったことであろう。

政子を能に描こうとすれば、世阿弥よりもむしろ彼の父観阿弥や、子息の元雅の書いた能が参考になる。世阿弥は、二条良基ら当代最高の知識人の支援と影響を受け、弥生文脈を能に大きく取り入れている。観阿弥の作品はその前の時期に書かれたものだし、元雅は父世阿弥とはまた異なる世界を能に創ろうとしていた。
彼らの作った能には、弥生文脈というよりもむしろ「縄文文脈」とでも名付くべきものが底流しているように思う。花鳥風月に飾らず、ありのままの人間を素描する今一つの詩世界の体系である。

今日、能というと世阿弥の代表作『井筒』や、その作風を継承している『野宮』など、弥生文脈系の能ばかりが思い起こされるのは、能全体の見取り図としては正しくない。むしろ観阿弥の『自然居士』や元雅の『弱法師』『隅田川』など縄文文脈系の
能を今は丹念に見つめなおしたいと思っている。

だいたい政子という女性は、縄文の土が似合いそうだ。
彼女が子息頼家と死別したのは、史料を信ずれば八百年前の今のこの季節である。
自然破壊の故であろうか、今年の残暑は凄まじいものがあるが、それでも昨日あたりからは少し「秋」めいてきた。
八百年前の一昨日辺り、政子と頼家は何を感じ何を見ていたであろうか。

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2004年08月16日 11:53に投稿されたエントリーのページです。

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