太夫(たゆう)という言葉にはいろんな意味があるが、朧太夫という場合には「芸能者の集団の長または主な者」(『広辞苑』)の意味で使っている。つまりは朧座の座長ということだ。今はナントカ流の家元という具合になってしまっているが、昔は観世座の長は観世太夫、金春座の長は金春太夫であった。それにならったのである。
ちなみに、私が現代演劇の場において今まで使ってきた本名兼芸名は別に存在するのだが、その名を今申楽で使うことはない。
申楽の徒というものは本来名もなき流浪遍歴の民であった。名など一々記憶されることもない河原者達であった。和歌の世界にも、詠み人知らずとだけ記されて作者不明の作品がたくさんあるし、また、本歌取りといって、先行文芸を共通財産として再利用することは剽窃ではなくむしろ高度の技巧とされた。申楽もそれと同様で、つまり、和歌も申楽も特定個人の創作文芸ではなく、民族が継承し練り直して行く編集文芸であった。
だから、例えば朧座第一作の作者を仮に朧太夫と称しているが、本来の作者は明らかに清少納言を初めとする古人たちなのである。その流れの中に、新人・朧太夫も連なっていて、誠に恐れ多いことだが諸先輩方の創られた世界をお借りしたという言い方が本来ならば正しい。
第一作について言えば、朧太夫なる概念の中に、実は清少納言らが入っているのである。と、これは本当は執筆当時から漠然と感じていたのだけれど、その時はなんだか非科学的な考えのような気がしたし、それに作品を舞台に乗せる前から大言壮語するようで、本心を人に明かすことはなかった。
しかし、今はおそらく言える。あの、執筆当時の感覚、私個人の創作というより何だか清少納言に書かされているかのような直感は、間違っていなかったのだと。
私が書いたり演ったりするのではなく、私がナニモノかに書かされる演らされる感覚のゆえに、もともと芝居で使っていた本名兼芸名を今申楽においては封印することにしたのである。
つまり、朧座の座長であり、かつ特定個人性を棄却した概念が朧太夫であるということになるが、その責務は今のところ四つある。
�作家�演出家�俳優�プロデューサー
四足の草鞋を履いているので、言動には気を付けねばならない。
なぜかというと、例えば作家として言ったり書いたりしたことが、プロデューサーとしての言動と受け止められるようなことがあるからである。
作家としては、気分が乗った時、筆に何かが宿った時の勢いというのは何にもまして重要である。逃してはならぬ時勢というものがある。ところがプロデューサーとしてはそうは行かない。前回公演の反省、関係各部門との緊密な意思疎通などなど、踏むべき手順を踏んで慎重に事を運ぶ必要がある。土台が出来てもいないのに積み上げるピラミッドなどいつか崩壊するに決まっているのであるから。
いかなる立場でものを申しているのか、はっきりさせないと混乱を招いてしまう。
次回作の構想がやや見えてきた今日この頃、作家としての朧太夫は当面の間寡黙を守り、代わりにプロデューサーとして、まだ終わっていない前回公演の総括により多くの力を費やそうと思う。