« 2004年08月 | メイン | 2004年10月 »

2004年09月 アーカイブ

2004年09月01日

お勧め能楽関係書�

久々に胸のすくような好著を発見したのでお勧めさせて戴く。

『現代能楽講義 能と狂言の魅力と歴史についての十講』
天野文雄著 大阪大学出版会 2004年

好著は体に良い。特に、くだらぬ本が多過ぎる能楽関係書の中にあって、本書の輝きはいよいよ目立つ。群いる悪書のせいで健康を害することの多い私としては、一服の清涼剤にも似た読後感を覚えたことであった。

「食わず嫌い」よりも性質の悪い「食わず好き」。そういう、能を取り巻く困った人達への教化宣言に始まって、能を「詩劇」として的確に定義しなおし、『砧』を読みなおし、『敦盛』を読みなおして行く、その読みなおし方の正当さ。前々からなんで能の学者って雰囲気でしか能を見ないのか、不思議で致し方なかった。あるいは典拠との関わりとか一語一語の注釈とかそういう細かいことばっかり神経症の如く気にして、肝心のテキスト全体を戯曲として統一的にとらえ論じる理性が乏しい。要は頭の鈍い文学オタクのたわごとばかりで、能を心より愛する一ファンとしてこの事態を非常に悲しく思ってきた。
評論家・林望氏の唱える「平宗盛馬鹿殿論」に対し、「もし《熊野》がこのような能であるのなら、こんな不愉快な人物が登場する能は私は見たくないと思うのですが、みなさんはいかがでしょうか」と謬説邪説を斬って捨てる快刀乱麻の鮮やかさ。こんなまともな学者もいたのか、と嬉しくなってしまう。

「能とは何か」という悠久のテーマに対し、「能本を戯曲として読む」という正攻法をもって肉薄する労作。
能を論ずる自称批評家たちの「思考停止」ぶりに我慢ならぬ方々にお勧めの一冊である。

2004年09月02日

海外で今申楽を催す意義はあるか

最近、私の中で考えを改めた部分がある。今回はその件について軽く触れておきたい。
今申楽朧座、海外に行って公演を催す価値があるのかどうか、という話(もし海外に行くとしたって、無論だいぶ先のことにはなるだろうが)。

当初、私の中では「懐疑的」であった。
山海塾のような舞踏系芸術ならばいざ知らず、日本語がわからない人たちに、日本語演劇がどこまで受け入れられるものか、一頃の私にはひどく難しそうに思われたからだ。しかも、現代語ではなく昔の言葉遣いでやるのだから、なおさらの事である。
というのも、その頃の私は、「言葉がわからない→観る気をなくしてしまう」という公式に対してかなり肯定的であった。私自身がそういう人間だったから。
そして、その考えが全面的に変わったというわけではない。やはり、昔同様今でも、全く未知の外国語演劇を観るのは私にはけっこう負担なのである。外国語が苦手なのだと言っても良い。言葉に対するこだわりが強過ぎるのだと言っても良い。潔癖症みたいなもので、ある程度は言葉がわからないと嫌なのだ。またわからない言葉を追うのはしんどいのだ。
なんとなく大づかみにできる人、というのは幸せである。そういう人は外国語の摂取も早かろう。残念ながら私はそうではない。
だから私は、能に連れて行った少なからぬ友人が「言葉がわからない点はきつい」と言う気持ちがわかるのである。「わからなくて良いんだよ」とアドバイスする気になれないのである。初心者に対しそういうアドバイスをする人は非常に多いのだが、私もやはり基本的には「言葉がわからないと嫌」派なのである。だから、今申楽の台本を書くときもそこはかなり神経を使う。ある種の観方をすれば、私は現代人に神経を使い過ぎだということになるのかも知れない。しかし基本的にはそのスタンスで一向に差し支えないと信じている。それこそが、私が今までの演劇経験で培った財産なのだ。現代の観客をこそ、大切に大切に感じないといけないのである。
それを忘れると……「申楽」ではなくなるであろう。
第一回公演では、私としては正直なところ、かなりの大盤振る舞い、出血大サービスで臨んだつもりであった。現代人の役を登場させたのがその最たるものである。他にも、「飲酒」を能では「おんじゅ」と読ませるが、それでは一般人には通じないので「いんしゅ」と読ませたとか、能では「弔ふ(とう)」という動詞が頻出するがこれも馴染みがないので「とむらう」に統一したとか、一々挙げればきりがない。
しかしそれでもまだ「言葉が少々難しい」というお客様のお声もあった、そしてそういうお声を聞き逃してはならないのである。もちろん、ちょうど良い、あれ以上壊してはならないというお声もあった。また、言葉はわからなかったが、それでも良かったのかも知れない、それより昔の人々が古典にこめた神仏や精霊の存在を感じさせることの方が大事だろうから、というお声もあった。もちろんこれらのお声からは実に励まされ多くの勇気を戴いた。

しかし、「言葉がわからない」という壁を、それでも良いのだというふうには私は考えたくない。もちろん、だからと言って媚びへつらうわけでもない。枕詞に掛詞、序詞に縁語、どれも現代語では死に絶えてしまった修辞技法だが、全部使わせてもらっている。「せいしょうなごん」を、現代人の如く一続きに発音してはどうかという意見も座内にあったが、やはり「せい・しょうなごん」と本来の読み方にこだわった。

古典を変に曲げてもならないし、さりとて現代の観客を忘れるわけにも行かぬ、そういう誠に微妙な綱を渡る感覚が今申楽には必要なのだ。

だが、「言葉は古いし難しい。しかし、案外通じるものなのかも知れない」と、最近ちょっと思い始めたのだ。
もちろん、役者の力、舞台の魔術というものは、最終的には言葉の壁など乗り越えてしまうものである。そこを、以前よりももっと信じるようになってきた、ということもある。
だが、さらに真実を書けば、古典を楽しもうと思ったら観る側だってそれなりの努力が必要なのである。ハッキリ言って、古典というものは本質的にそんなに簡単なものではない。私自身、古典にはまってはや十年以上が経つが、未だに新古今和歌集も源氏物語も原文だけではよくわからない。なんなんだろう、この摩訶不思議な世界は?と立ち向かう意識くらいは必要だ、ジャンプやマガジンではないのだから。

そして、日本語演劇を観に来るような外国人というのはもとより勉強熱心なのである。積極的に能動的に、観客席から劇に参加しようという意識がきわめて高いのだ。

そう考えてみると、能のみならず他のジャンルでも、日本語演劇が海外において公演を行う価値は十分にあるということになってくる。単なる箔付け、ええかっこしいを目的に海外かぶれを起こす手合いは心胆卑しく、馬鹿にして差し支えないと思うが、そうではなく真面目に真剣に海外の観客に向けて演じる意義ならば大いに検討されて良いわけだ。
赤塚不二夫氏の漫画に出てくるイヤミみたいな、おフランス帰りをチビ太やおそ松やつながり目玉の警察官らに自慢するようなシェー的愚者も決して少なくはないゆえに、私もああはなりたくない一心に凝り固まっていたふしがある。そういう方々には、あまり人を引きこもりに走らせないで戴きたいものだ。

能の海外公演が有意義ならば、今申楽もまたしかり、という結論にたどり着く。なぜなら、能はやはり、長い年月のうちに言い方は悪いが「退化」してしまっている要素があるのだ。特に、スピード面・テンポ面である。室町時代の人間が今の能を観たら、やはり退屈に感じるはずである。上演時間が当時の二倍以上も間延びしているのだから。

(実は、この間延び現象は、能が師匠から弟子へと受け継ぐ伝統芸能と化したことと無縁ではないのではないかと私は密かに思っている。というのは、私自身、能を師匠に習っていて、どうしても師匠よりも謡のスピードが遅くなりやすいからだ。師匠はもっとテンポ良く謡っているのに、苛立たしいことに私が謡うと遅くなるのだ。無論これは私の未熟の故に他ならないのだが、どうも、この私の未熟は、長い間繰り返されてきた歴史的現象とも軌を同じくしているような気がしてならない。
私個人の未熟を能の歴史になぞらえるなど、もとより僭越極まりない暴論ではあるのだが。)

ともかく、私の想像するところでは、能のスピードが遅すぎると感じるのは多くの日本人だけではあるまい。海外においても同様の感想が持たれるのではなかろうか。
そのときこそは、今申楽朧座の海外進出ということになるのかも知れない。

日本語教育日記�

先月末、香港のさる大学教授が来日した。東京大学に留学のため、半年間日本に滞在するのだという。で、思わぬことには、朧座衆香港勢の紹介により、私が彼女に日本語をお教えすることになってしまった。香港勢曰く、この半年で彼女が日本語の書物を読める域にまで持って行って欲しいとのこと。大役を仰せつかったものである。

昨日は、初めての授業であった。教授はまだ日本語を十分には聞き取れないので、直接法(日本語だけで教える教授法)というわけには行かない。こちらは貧しい英語力をとことんフル活用せねばならぬ。まあ、カタカナ英語でも存外意思疎通が可能であることは、香港勢とのつきあいで知ってはいたが、それでもこの度の教授には驚かされた。

教授、物凄い勉強家であられるのだ。
この一週間の予定を問うたら、国立劇場にこの日は文楽を観に行く、この日は和太鼓を聴きに行く、といった具合ですでにギッシリ詰まっている。文楽は地下鉄のポスターで見かけて早速チケットを購入したらしい。今から楽しみでならないが、果たして外国人の私にもわかるだろうか、と尋ねられた。文楽も、それに私の好きな能も、言葉を理解するのは大変難しい、日本人にも難しい、ただし感じることは何人においてもそう難しくはないはずだと答えた。また、文楽に使われる人形たちは、能面同様、単なる人形ではなくある種の呪具であるということも言い添えておいた。

教授の勤勉ぶりは枚挙にいとまがない。愛読書は松本清張『点と線』に川端康成『雪国』だという。他にも漱石やら三島やら一通り読んでいる。アイアムキャット、イェットノットネームと珍妙なる英語もどきを発したらウケてしまった。
現代は村上春樹しか読んでいない、『源氏物語』は夕顔あたりで挫折してしまった、と恥ずかしそうに頭をすくめ、かつて京都に行った時は、三島文学に興味があって金閣寺を訪れたが、それよりも銀閣寺の方が気に入ったと述懐する。

紫式部は二人以上いたかも知れない、明らかにあとから書き加えられている、だからあんなに長いし統一性を欠くのだと説明し、また金閣より銀閣の方が性に合うとはかなり日本人的なセンスである、日本人はしばしばゴージャスよりもシンプルを好む傾向にあるから、と説明したらひどく喜ばれた。

日本を楽しく学びに来ている。
日本人よりも日本のことを知っている。
この分なら、日本語の上達も早かろう。
半年後には、小泉八雲の『怪談』くらいは読めるようにして差し上げたいものだ。

2004年09月04日

オモテにはウラがある

先日、朧座制作部・笛麿&鼓乃丞と三人で鎌倉に行って来た。
ちょっとしたネタ探しの散歩に、二人に付き合ってもらったような格好である。

鎌倉は楽しいねえ。鶴ヶ岡八幡辺りの小路なんか、ブラブラしていてほんとに飽きませんね。
骨董品屋も多いのでちょっと覗いてみると、能面が売ってあったりする。贋物も多いが、このとき見かけた「猩々」の面(能『猩々』だけに使われる専用面。猩々とは酒に酔い戯れる幸福の妖精。真っ赤な美少年の顔をしている)は凄かった…一発で私の心を射止めてしまった。一目惚れ状態である。
店の主人に出所と値段を聞く。さる旧家から売られた明治の作らしい。十万円。
う〜む。
まあ正直に申せば、私が能楽師なら確実に買っていたでしょう。能面が十万というのは破格だし、とにかく良く出来た面なのだ。猩々ってこうでなきゃ、という出来ばえなのだ。さらに、年月がこの面にえもいわれぬ魅力を加えている。旧家の出ということなので断定は出来ないが、しかし私の直感では、この面は確実に何度か舞台にかけられている。旧家の主が能にとり憑かれて自分自身が舞ったのかも知れないし、あるいはどこかの能楽師に舞わせたのかも知れない。この面を使って。
と、そんな妄想を抱かせて止まない面なのである。

店頭で制作両名を待たせつつ、猩々とにらめっこすること十数分。結局、私は買わなかった。なぜかというと、この面は先述の通り、能『猩々』の専用面とされているからだ。『猩々』は古典である。古典は能楽師の方々にお任せしておく、というのが朧座の当面のスタンスであるから、この面が朧座の舞台に必要とされることはまずないのである。

それにしても、後ろ髪引かれる思いで店をあとにしたことであった。
…と、それほど魅力的な猩々面にこのあいだ出会ったよ、という話を朧座芸術監督Lesに話すと、Les曰く「なんでそれほど魅力的な面がそんなに安く売っているのか、考えて下さい」とピシャリ。

なるほど。
オモテにはウラがある、ということか。

2004年09月06日

秋成はアキナリかシューセイか

先日、どこかのテレビ局が『雨月物語殺人事件』なるサスペンスドラマをやっていた。
観ていてビックリしたのが、大学の国文科を出たという設定の女主人公が雨月物語の作者上田秋成をウエダシューセイと読んでいたことだ。
え?アキナリでないの?
私は上田秋成について明るくない。少なくともシューセイなる読み方は初めて聞いたが、しかしそれは私の寡聞というもので、大学の国文科ではシューセイが普通なのだろうか。嫌味や皮肉ではなく真面目な話、どなたか御教示を乞いたい。そういえば、最後の将軍徳川慶喜をケイキと読む人もある。朧座第一回公演の時も、一条帝の皇后定子をテイシと読ませるべきかサダコと読ませるべきか作者として悩んだものだった。後醍醐天皇の皇子たちは「宗良」「世良」「懐良」「護良」「義良」とみな良の字が付くが、これをヨシと読むかナガと読むかも意見がわかれるようである。
ことほどさように漢字の読み方は厄介である。戯作者上田秋成の名をシューセイと読む読み方も、あるいはどこかに存在するのかも知れぬ。少なくとも、無学な私には、俄かには判断がつきかねるところである。

しかし、それでもあえて言う。言わせて戴く。
この台詞は明らかに誤りである。アキナリ、でなければならない。
このシーンにおいて、かの女主人公は一般人に対し一般的な話題として上田秋成の名を口にしているのである。
一般人に対する一般的話題の中で、例えば源義経を遮那王(しゃなおう。義経幼名)と呼ぶ人があるだろうか。あるとすればその人は国史か国文オタクである。シューセイなる読み方、仮に実在するとしても遮那王以上にマイナーなはずである。そして、かの女主人公、国文科出身という設定ではあったが、決して国文オタクではなかった。

おそらく、台本には「上田秋成」とルビ抜きで印刷されてあった。それを女優がシューセイと読んだ(あるいは監督が女優にそう読ませた)。そして、それを誰も疑わなかった、または疑う者があったとしてもその疑いを差し挟む余地はないまま収録は進行してしまった、というのが事の真相であろう。

実は、時効と判断してしたためると、私は前にこれに似た経験があるのだ。
あるテレビドラマで、某女優の台詞に「おもねない」という言い回しがあった。
そのドラマには私も出演していた。リハーサル時にこの台詞が目に止まり、なんか変だぞと思ってさっそく高校時代の国語の恩師に電話してみた。で、判明したのである、正しくは「おもねらない」であると。
文法的に言えば、本来は五段活用動詞であるのに、人々の意識の中で下一段化が進んでいるのだ、ということになる。揺れているのだ。何しろ言葉のプロである脚本家が間違いに気付かないくらいだから。
しかし、この「おもねない」(正しくは「おもねらない」)という台詞を言う某女優の役どころは、「日本の文学に通暁し、伝統ある美しい日本語を心から愛し、それを世間に広めるべく日夜言論活動に励んでいるライター」というものであった。
私は意を決し、監督に真実を進言した。監督は真摯に耳を傾けてはくれたが、しかし結局のところは台本通りに撮影は行われ、そしてとうとうそれは全国に放映されてしまった。

昔のほろ苦き思い出である。

2004年09月07日

日本語教育日記�

あなたは古代に生きているのか
今日は教授にいわゆる形容詞・形容動詞(前者は暑い寒いの類、後者は綺麗なハンサムなの類。私は勝手に即席で「いファミリー」「なファミリー」などと命名してしまったが)及びそれを使った「夏は暑いです」「彼女は綺麗です」「夏は暑い季節です」「彼女は綺麗な女優です」型構文の肯定文・否定文・疑問文をお教えした。
また授業後には、朧座第一回公演『香炉峯』の映像及び使用した三つの面を御覧戴き、劇の内容、能や能面の本質、そして公演中に起きた不思議な出来事、ひいては日本の基層信仰(御霊信仰)にまで話が及んだ。本番中に霊が降りた云々はすでに朧座香港勢から耳に入っているらしい。それでもさすがに面を前に御霊の話をした時は少し怖そうにしておられた。中国文化圏では「鬼」(死者の霊)は基本的にマイナスイメージなのである。最近、朧座芸術監督のLesが言うには、あの一件を自分の中で整理するのに結局3ヶ月かかった、と言う。彼も香港人だからショックは相当激しかったはずだ。しかしこの3ヶ月という数字は日本人の私も全く同感で、公演終了から3ヶ月が経つ今日、ようやく真なる意味でのリラックスを味わうことが出来るようになってきた気がする。
怖い話ばかりもどうかと思い、去年12月に私が作演出した現代演劇のビデオも少し教授にお見せした。

その後、夕食を御一緒する。その時、私は教授に「あなたは古代に生きているのか」と英語で問われた(これは侮辱ではなく真面目な質問なのである。念の為)。「はい」と返答しかけたが、やはり止めて「どうでしょう、よくわからない。複雑です」と答えることした。
確かに私は時々、古代に生きている場合がある(この場合の古代とは遥か昔、遠いいにしえ、というほどの意)。それは一種の妄想癖なのだと今までは思ってきたが、昨今はあながち妄想とばかりも言い切れぬ気がしてきた。事実、妄想の一語では説明のつかぬ体験も第一回公演で味わった。
澁澤龍彦氏の文章を読んでいると、ある時期の氏は古代ヨーロッパに憑かれていたように思われる。また水木しげる氏は今でもよく「私は妖怪の絵を妖怪たちに描かされているのです」などと言う。大文豪や大漫画家を引き合いに出すのは甚だ恐縮であるが、強いて言うならおそらくそれに近い感覚なのだ。枕草子やら吾妻鏡やらを読み漁っている時の私というのは。

さりとて、古代にばかり遊んでいるわけにも行かぬ。私が「はい」と返答しかけて引っ込めた理由はそこにある。どんなに古代の海に遊泳しようとも、いずれは現代の浜に帰って来なければならぬ。神楽ではなく申楽なのだから。しかも、今申楽なのだから。
(それにしても、思う。中世、猿楽の連中は猿の字を嫌って、かわりに申の字を用いたという。おそらく、それが正しいのであろう。しかし私には、どうも、神楽から神意を表す示偏(しめすへん)を取り去って、純粋な神事を演劇の方向に促進させた人物が存在したような気がしてならない。)

ともかく、大事なのは「今」だ。「古代に生きているのか」という問いには、やはり「どうでしょう、よくわからない。複雑です」あたりが穏当な回答であろうと思う。

日本の方が中国よりも前近代を思い出しやすいのではないか
近代とはひたすら「スピード」と「わかりやすさ」を追い求める時代であり、それってかなりつまらないね、というところで教授とは気が合ってしまっている。下手をすると古代(=前近代)礼讃一辺倒に終始してしまう恐れがある。
…まあ、終始しても良いか。たまには。

というわけで私の厭近代論の一つ、抹殺された悲劇の仮名「ゐ」「ゑ」について、教授に話す。そして、外国人初級者用であるにもかかわらず、この二字を括弧付きで仮名一覧表に載せている教授のテキスト、及びそれを選択した教授のセンスを賞賛した。
すると教授は最後に面白い話を聞かせてくれた。
日本の近代化とは、中国のそれに比べてずいぶん性急なものであった。中国では緩やかに時間をかけて行われた(その分、根が深かった)。結果、日本の方が中国よりも前近代を思い出しやすいのではないか、というのだ。陶芸が残り、漆器が残り、茶道も書道もある。もちろん、能もそうだ。今の中国にはそういうものはない、文化大革命によって滅び去ってしまったのだ、という。

なるほど。いずれ「ゐ」「ゑ」復活なる日もあろうか。

2004年09月15日

根っからの悪人などは存在しない

毎日新聞より。


「<米国務長官>イラク大量破壊兵器情報の誤り認める
【ワシントン中島哲夫】パウエル米国務長官は13日、上院政府活動委員会での証言で、ブッシュ政権がイラク戦争開戦の大義名分とした旧フセイン政権の大量破壊兵器について「なんらかの備蓄を我々が発見するということは、ありそうにないと思う」と述べた。また「我々は過去にさかのぼり、なぜ(現実と)異なる判断をしたのか突き止めねばならない」とも語り、開戦前のイラクの大量破壊兵器に関する情報が誤っていたことを従来より明確に認めた。
パウエル長官を含めブッシュ政権高官は既に、旧フセイン政権には大量破壊兵器を開発し保有する「意図と能力」があり、それは十分に重大な脅威だったという論理で戦争を正当化する姿勢に転じている。しかし長官は、開戦前の昨年2月に国連安全保障理事会でイラクの同兵器保有を断定的に報告した経緯があるだけに、トレーラー型の「移動生物兵器実験室」について今年4月「確実な情報ではなかったようだ」と認めるなど、徐々に前言を撤回してきた。
パウエル長官はブッシュ大統領が11月の選挙で再選されても現職には留任しないと見られている。今月7日にはイスラエル軍とパレスチナのイスラム原理主義組織「ハマス」の報復合戦を等しく批判し、イスラエル支持一辺倒ではないところを示した。歴史の検証を意識し、誤りや偏りを正そうとしている可能性がある。」


我々はこういう誤りに自衛隊派遣という形で加担していることを忘れてはなるまい。

先日、空也坊(朧座第一回公演演出・声の出演)・横井さん(同舞台美術)・杉本さん(同舞台監督)、それに公演を御覧の上お手伝いまで戴いたMさんたちとお話しする機会があった。その席でつくづく考えさせられたことがある。何と言うか、公演終了以来私の胸の内にわだかまっていた思いがすっと解けたような気持ちになった。

やはり、この世に根っからの悪人などは存在しないのだ。
まして、「霊」や「魂」などという清浄の世界にあってはなおのこと。

ブッシュ大統領はかつて「悪の枢軸」なる言葉を用いたが、こういう言葉を軽々に使って良いものかどうか、我々はきちんと考えなければならないだろう。
そんなに世の中が単純であるかどうか。

少なくとも我が国の古き良き信仰は、人間は言うに及ばずありとあらゆるモノには魂が宿っており(八百万の神々)、中でもこの世に怨みを残して死んだ魂(怨霊)は退治されるべきではなく鎮め慰められなければならない(その結果御霊となって守護神と化す)と教えているのである。

先日、評論家林望氏の「平宗盛馬鹿殿論」に対する能楽研究者天野文雄氏の手厳しい批判を紹介し、私としては断然天野氏に賛成である旨したためた。つまり私が思うに、能とは神々の世界、霊の世界を描いている。そこには聖なる者や純なる者たちだけが登場する。林氏の言うような単純な「馬鹿殿」なぞは、能の世界には登場しないのである。

「悪の枢軸」「馬鹿殿」などという者は存在しない。それが霊や魂の世界であり日本の基層信仰でもある。
少なくとも私はそういう考えのもとに生きていきたい。

そういえば、私は第一回公演の企画書にこんなことを書いていた。
少し長いが、抜粋して御紹介させて戴く。


「日本人は、既に亡くなってしまった過去の人物に対して、
「直接言葉には出さなかったけど、いや出せなかったけど、本当はこんな思いを抱いていたんだろうな。あの人は」
と、故人の思いを想像してその魂を慰める優しさを持っている。死んだ後も、人の一生は続くのだ。その人を偲ぶ後世の人間によって。
そんなかつての死者たちに、生前口には出せなかった胸の内を語ってもらう。
そんな演劇が、無言の国日本にはある。
今日、「能楽」という名の下に、極めて形式的にではあるがその片鱗は伝えられている。
仮面を着けた役者に死者の霊が招かれて、在りし日の真情を観客たち生者に告白するという方法だ。

枕草子は、果たして、正確な読み方をされてきただろうか。今まで。
本当に、「軽いエッセイ」なのだろうか。
PILLOW BOOKとして世界に紹介されているこの書物を、著者の子孫、原文と同じ日本語で生きている私たちがあまり知らないとすれば、それは実に皮肉なことだ。
日本人、日本語の皮肉だろうか。清少納言の悲しみは、つのるばかりだろう。

私は、清少納言という女の人に、枕草子の真実を、能という方法で語ってもらいたい。
愛してるのに愛してると口にするのがどれだけ難しいことか、語ってもらいたい。
つまりは──世界に向かって、「日本」の優しさや切なさや悲しさを表現したいのである。」

2004年09月18日

ビルの谷間の幻想

シテ(能の主人公)は神田川淀橋に住む龍女。西新宿に巨大な庁舎が建ったために地脈の流れを断たれ、大いに怒ってここ庁舎前の広場に出現したのである。
「思へばあの楼(ろお)恨めしやとて」
真蛇の面に鱗箔の装束を身にまとったシテがキッと庁舎上層を見上げ、特設舞台の床を荒らかに踏みつのる。と、俄かに大地鳴動し、背後の庁舎が粉塵を巻き上げて崩れ落ちて行くではないか。まだ知事は中で仕事中だと言うのに…!
が、地謡(能の斉唱隊)はそんなことにはお構いなしに平然と端座して謡い続ける。
「瞋恚(しんに)の炎は尽きせぬままに。瞋恚の炎は尽きせぬままに。思ひ知らずや思ひ知れと」
シテが怒りに任せて打杖を振り上げるとどうだろう、周囲の高層ビル群までもが次々と倒壊し始め、やがて西新宿一帯は往時の如き大荒野と化してしまった。
かくて宿願を果たした龍女は、再び元の棲み処へと帰って行く。
「神田川荒き波間に失せにけり、水底深くぞ失せにける…」


…というような幻覚に一瞬とらわれてしまった。ほとんど円谷英二監督の世界である。
先日、東京都庁舎前の都民広場で開催された薪能を観に行った折の与太話。

会場は大盛況である。無料ということもあってか、若い見物人も多かった。
良いことですね。

2004年09月22日

日本語教育日記�

○さる向きより「外国人向けの日本語教育本を出してはどうか」というお声を頂戴する。果たして私如きの任に堪える話であるのかどうか、検討中。いずれにせよ、現在行っている香港教授(以後J氏とする)への指導の結果が出版の是非を占う試金石にはなりそうだ。

○先日、J氏とともに伊豆下田に一泊してきた。それというのもJ氏は川端康成の熱烈なファンで、中でも『伊豆の踊子』が愛読書なのだそうな。で、私にJ氏を紹介した朧座香港勢曰く、彼女が日本に滞在するこの半年間で日本語の書物が一通り読める域にまで持って行って欲しいとのことなのである。要するに、彼女が持参している日本語の教科書だけではそれは無理な話なので、私はその教科書と『伊豆の踊子』の二本立てで授業を進めることに決めたのだ。基本的な語彙や構文など細かな知識は前者で覚えさせ、後者はただひたすら【書写&朗読】の世界。

○行きは特急踊子で伊豆急下田まで一直線。帰りはまず電車で川津まで出て、そこからバスに乗りかえて一路天城峠へ。バス停二階滝で降車、しばし山道を経巡ったのち旧天城トンネルに辿り着く。明治38年開通、全長446メートル、重要文化財。中はひんやりと薄暗くあんまり長居すべき感じには思われなかったが、J氏は愛読書の名場面を思い出して大はしゃぎ、フラッシュをたきまくっていた。何も写っていなければいいが…

○トンネルを過ぎた途端、大粒の雨が降ってきた。ちょうど休憩用の東屋があったので雨宿りする。最初は通り雨かとも思ったのだが、一向に止む気配がない。まずい、このままでは予定のバスに間に合わない…と思っていたら、突如J氏が少年のような笑い声をあげながら、この大雨の中、かの「九十九折の坂道」の方角へと突進して行った。小説冒頭そのままのシチュエーションに遭遇して大喜びなのである。

○かくてお互いビショビショの濡れ鼠と化しつつも、命に別状なく天城越えを果たしたのちは、再びバスに搭乗し(皮肉なことにその頃には雨はあがっていた)、湯ヶ島温泉など小説ゆかりの地を車窓に認めつつ、修善寺温泉に到着。この地は朧座の次回作品の舞台となるかも知れぬと紹介しつつ、温泉にて天城の雨を流したのち湯葉丼やら天ざるやら食す。蕎麦に山葵、地味の豊饒言うばかりなし。その後三島から新幹線にて帰京。

○J氏が言うには、あの天城の大雨は川端の祝福に相違ないとの由。これにて【書写&朗読】にもいよいよ熱がこもることと祈りつつ。

2004年09月26日

「人間の肌は壊すな」

NHKで一風変わった番組をやっていた。
二億年後の地球上に棲む生き物たちの生態をCGでリアルに再現、もとい予現(?)している。時折、外国の大学教授たちが登場して大真面目に解説を差し挟む。空飛ぶ魚にはこの教授、歩く烏賊にはあの教授、といった具合で、もとより絵空事であるにもかかわらず専門別に細かく分担が決まっているらしいのがおかしい。
そして何よりこの教授連、実にいきいきと語るのである。ジャンプする蝸牛、それを捕獲して食う巨大食虫植物、二億年後の生物界はこうであってもおかしくはないという、その蓋然性を説く眼があまりに熱いのだ。誰か連中を諫めた方が良い。
馬鹿馬鹿しいとは思いつつ、しかしつい最後まで観てしまった私も私である。

なんか、この番組を観ていて久しぶりに『ウルトラマン』とか『ウルトラセブン』の世界を思い出した。否、宇宙人のヒーローは出てこなかったので『ウルトラQ』の世界と言うべきか。
私としては、精密なCGで描いた未来の生物より、アナログな特撮セットで大暴れする円谷怪獣の方が圧倒的に好きなのだが。
世上名高いバルタン星人やジャミラといった珠玉のような芸術品怪獣たちは、数年前に惜しくも亡くなった成田亨らデザイナーの秀抜なセンスと、「人間の肌は壊すな」と左右の者に訓戒し続けた「おやっさん」こと円谷英二監督の精神の賜物であろう。

「人間の肌は壊すな」
これはつまり、バケモノをリアルに作るな、詩で漉せ、という美学の教導であろうと私は解釈する。

このリアルという概念の扱いを誤るととんでもない悲喜劇が勃発するのであるが、それについては長くなるのでおいおい述べよう。
今はとりあえず、おやっさんの遺訓を改めて我が脳裏に刻んでおきたい。

続きを読む "「人間の肌は壊すな」" »

2004年09月27日

本アル限リ、憂フベカラズ

今でこそ、我が今申楽朧座には、「朧座衆」をもって自任してくれる有難く頼もしい同志たちがいる。が、その昔、「朧座衆」は朧太夫ただ一人であった。
私一人が台本を片手に、役者や裏方ら仲間を集めいつの日か公演を打つことを夢想していた。
今から思えば、まことにまことに孤独な日々であった。

決してあの時期に戻りたいなどとは思わない。
しかし、私は知っている。劇団なるものの運営がそう簡単になし得る業ではないということを。

「劇団という芸術集団は、本来は、在籍年数と実力が相関しにくい、いわばヒエラルキーのできにくい集団のはずだ。だが実際には、上記の演出家の権力性(朧註・「おろす」「使わない」などの人事権に代表される、俳優への種々の強制権)のために、芸術性が歪められ、演出家に近い者と遠い者というヒエラルキーが生まれてくる。
 私は集団を疲弊し腐敗させるもっとも大きな原因は、この無用なヒエラルキーの誕生だと考えた。年功などによるヒエラルキーをできるだけ排して、演出家と俳優が一対一で向き合えることが理想であり、その関係の維持が、コンテクストの摺り合わせを行う最低限の条件である。
 だが、集団を継続しようとすれば、自然とヒエラルキーは生まれてくる。それは、残念ながら、理想や理念だけでは回避不可能なものである。例えば民主主義の維持には三権分立という制御システムが必要なように、ヒエラルキーの派生は、何らかのシステムによって予防し、回避されるべきものだろうと私は思う。」(平田オリザ著『演劇入門』講談社)

私も、あまたの劇団が創立初期の新鮮さ、初々しさを失って、どんどん退化して行く様を、正直なところ少なからず見てきた。
しかし、それは平田氏も言う通り、止むを得ないことなのかも知れない。

「状況劇場の稽古場が天沼から阿佐ヶ谷に移ったころになると、はじめ観客として来ていた学生が劇団に参加してくるようになり、最初は数人しかいなかった劇団が入団試験をするような大所帯に変わります。とんでもない奴もいっぱい増えて、妙なるごろつき集団となっていきました。
一座を率いていた唐は、団員が手におえないような混乱状態に陥り、劇団自体がまとまりがつかないようなことになると、酒を飲みながら、
「てめえら、おれの言うことがわかんねえのか!」
と台所から出刃包丁を持ってきて、見てみろ、と自分の腕に庖丁でさっと傷をつけ、
「おめえたち、こういうことできるのか」
といって座をひきしめたものです。口で言って収拾できないことは体を張ってやるしかない、という気迫でした。唐の腕にはいまだに大きな傷がたくさんあります。それだけ体を張っていたから信頼もあったのです。事実、唐は命がけに近いところで芝居をしていたと思います。(中略)自分の体を傷つけて押さえ込むというのは象徴的な行為でした。これだけの気持ちでやっているんだというのを見せつけるのは、言葉ではなかったのです。」(四谷シモン著『人形作家』講談社)

これも、劇団運営の難しさを物語る証言の一つだろう。
唐十郎氏のひそみにならうというわけでもないが、この私だって今申楽朧座存亡の大事とあらば指の一本や二本詰めるもやぶさかではない。
だが、そんなことをしたって、どうにもならない時というのは万事どうにもならないというのも事実である。

今、私が何らかの理由で頼りにする朧座衆全員を失って、天涯孤独の昔に戻ったとしたらどうだろう。

考えていたら寒気がしてきて、近所の八幡さまにお参りに行った。実はここ、まことに霊験あらたかな神社なのである。昔、私が初めて作演出を務めた芝居の稽古中、役者を怒鳴って良いものかどうか、どうにも決心がつきかねてこの神社に詣でたことがあった。賽銭を投げ柏手を打って、一心不乱に神に祈る。
と、私の心に一文のメッセージが浮かんできたではないか。
「…悪ヲ砕クニ、何ノ憚ルトコロヤアラン…」
そうだ、その通りだ。悪を砕くに何の支障があろう。その悪を許しのさばらせては、私自身も悪の一味、いや悪の親玉となってしまうのだ(作演出なのだから)。おかげでその日の稽古終了後、私は思いっきり怒鳴らせてもらうことが出来たのだった(あの時の出演者の皆さん、ごめんなさい)。
そんな、霊験あらたかな神社なのだ。もともと私は闘争を好まない性質なので、武神たる八幡神の加護が一座の長としては必要なのであろう。
「何やら心が落ち着かないので、またまた来てしまいました。ご加護を…」
と、祈るそばから、私の心にはまたしても一文のメッセージが降りきたったのだった。

「…本アル限リ、憂フベカラズ…」

そうだ。天涯孤独の身であったあの頃も、私には持って出歩く一冊の台本があったではないか。その台本のおかげで、次第に人は集まりやがて旗揚げ公演実現へとつながって行ったではないか。そして、千秋楽前日にはついにあの事件が起きたのではなかったか…。
あの事件とはすなわち、千年前の原作者があるスタッフの身体に本番中降臨したと思われる一連の超常現象を指す。その名は清少納言。

台本がある限り、人を集めることは出来る。
本ある限り、憂うべからず。
南無八幡大菩薩。神託に謝し奉る。

一人で台本を書いていると、たまにこんな妙な精神状態に陥るものだ。

2004年09月30日

朧座制作部長始動

ある飲食店が一流であるかないか、見分けるのは簡単である。
その店のトイレを見れば良い。
どんなに新鮮なネタを仕入れていようが上手い料理が出ようが、トイレが不潔では興ざめである。夢はいっぺんに吹き飛ぶ。

さて、これを演劇に当てはめれば、飲食店における「トイレ」は劇団における「制作」と換言して良い。
つまり「制作」が駄目な劇団はすなわち一流とは言い難いのである。

つい、料理の出来不出来に終始して、トイレ掃除を怠るのがそこら三流飲食店の常態である。芝居を始めてもう何年にもなるのに、台本だの役者だのに血道をあげて、あいかわらず制作不首尾の劇団のなんとなんと枚挙にいとまなきことか。

かく言う朧座も、第一回公演、決して上首尾であったとは言い難い。
小劇場界にペストの如く蔓延するノルマ制は、客席の空気を親兄弟や学校の同窓生ら身内大会のノリへと劣化させ、かつまたそういう異常を異常とも思わず諾々とノルマを引き受ける俳優というのはえてしてホストやホステスから進化(?)したようなお水まがいが多く、そういう手合いに限ってやれ「自分は客を百人呼べます」だの「二百人呼べます」だのと臆面もなく痴れ言をのたまうのである。
この文章を御覧の一般読者の多くは「まさか、現実はそこまで低級ではあるまい」と首をかしげておいでの事と思うが、やんぬるかな、現実はそこまで低級なのだから恐ろしい。
(付言すれば、このお水臭の発散元はたいていネズミ講の教祖みたいな連中で、子ネズミどもにハッパをかける台詞もほぼ毎回決まっている。「魅力的な役者ちゅうもんはな、客もぎょうさん呼べるもんやねん」)
私はそういう不潔な便所臭さが嫌で嫌で、朧座は旗揚げ時からノルマ制を採用しない方針で行く事を早くに決めていた。その代わり、協賛企業からの援助金を募ったのである。
結果、客席は予想を裏切る賑わいを見せ、「原作は能」の強みを改めて思い知らされた。やはり六百年の風雪を生き抜いている実績は伊達ではないのだ。
しかし、制作というのはただ単にその公演のチケットの売れ行きにまつわる雑務ばかりを言うのではない。むろん、それも制作の最重要業務であることに間違いはないが、社会に向けて劇団をより大きくするためのありとあらゆる総務をこそ、「制作」という言葉は本来意味する筈なのである。

朧座第二回公演は、まだ当分先の事である。
関係各位は「次はいつやるのか」と声をそろえ楽しみにして下さっているのだが、残念ながら当分先である。
次回こそは作演出・俳優・制作に万全を期すと固く心に誓っているので。
特に、制作である。

朧座制作部長・笛麿がついに動き始める。
数字の鬼、趣味は競馬に株というこの男、私は早くに朧座のアートマネージメントを託してあったにもかかわらず、第一回公演では「お手並拝見」とばかり静観を貫いた。ただ一言、「朧太夫一人がプロデュースのうえ作・演出・主演というのは無理がある。信頼してこれらのうちいずれかを任せられる人材を発掘した方が良い」という声明を発するにとどまった。この声明の数ヵ月後、私は某流能楽師空也坊と出会うこととなる。

この笛麿という男、めったに「やる」とは言わないが、「やる」と言い出したらやるのである。

About 2004年09月

2004年09月にブログ「日々朧々」に投稿されたすべてのエントリーです。新しい順に並んでいます。

前のアーカイブは2004年08月です。

次のアーカイブは2004年10月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type