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2004年10月 アーカイブ

2004年10月04日

久方ぶりの稽古

先日、久方ぶりに師匠に稽古をつけて戴いた。
朧座第一回公演終了後、実に数ヶ月ぶりの事である。
リハビリ(?)第一回は『東北』(謡曲の一。情熱的な恋歌で知られる王朝の才媛和泉式部の亡霊が主人公)の謡から始まった。

謡の稽古というのは、師匠がまず謡曲の詞章を謡い(つまり能の台詞を歌唱し)、それを弟子がリピートして行く、というごく単純なものである。
まずはワキ(脇役。精霊や鬼神など異界の者が主人公である能において、生きている人間の役)である旅の坊さんが登場し、東国から京都までののどかな旅の道のりを謡う。
さて、都に着いた坊さんは、そこで今を盛りと咲く梅の花と出会う。と、ここでいよいよシテ(能の主人公)の御登場と相成るのである。

「のうのうあれなる御僧」

と、シテの第一声を師が謡ったその時、私は心の中で、「ああ、この師と出会えて本当に良かった。」と改めて痛感した。稽古中にかかる雑念はよろしき筈がないが、しかし心中の事ゆえいかんともし難い。と、早速雑念が師に露見したものか、私がかの第一声をリピートすると、
「いえ、これは『のうのう』だけではなく『御僧』まで全体でもう少し遠くに呼びかけて下さい」
これは不覚。「これなる」「それなる」ではなく「あれなる」なのだから式部はいくばくかの距離の向こうから既に僧に向かって発語している訳である。
ああ、この師で良かったと、またしても雑念が生じてしまうのだった。

朧座第一回公演で、最も苦労したのが「シテ方」の台詞回しのまずさである。
第一声「花子さんよ、伊勢佐木町の雨はどうかしら」の「花子さんよ」一言がどうしても言えないのだ。
否、もっとビックリしたのは、「と言った」の「と」一文字すら言えないのである。

俳優がある台詞を言えない。その理由は様々で、例えば稽古場において俳優を精神的に虐待する変なヒエラルキー(階層制)などがあったりすると、当然虐げられている者としてはまともに台詞など言えようはずがない。台詞はおろか、その場に俳優として存在することさえ苦痛になってくる。そのヒエラルキーを生み出すもとは、誰も虐げてなどいないのに、勝手に虐げられている気になっている「人民階級」のお門違いだったりする場合もあるのだが。
曰く「あなたたちはお金持ちだからわからないのよ!」

あるいは、単なる技量不足という場合もある。「と」一字が言えぬというのは、もはやヒエラルキー云々以前に俳優失格の沙汰というべきであろう。

しかし、それにつけても、
「太夫さんは能を習っていらっしゃるから(私には出来ません)」
という役者さん(?)の言い訳には参ったなあ。
本当に参った。参りました。
共同演出の空也坊(朧座演出部・某流能楽師)からは、
「次回は今少し能の演技の教養をお持ちになっている方をお使いになっては?」
と言われてしまっている。

数年前NHKの大河ドラマで、伊達政宗役のすまけい氏が劇中、能舞台で能を舞っておられたのを思い出す。こういう役が来たら、一体全体どうされるのだろう。「私は能を習っていないので」と辞退なさるのであろうか。

そもそも、本当は「花子さんよ」なんて、能を習っていようがいまいが俳優なら誰でも言えるはずだ。しかし、能を習っているという一事がネックとなり出演者内に要らざる逆差別まで引き起こすというなら、あるいはそれ(空也坊の提案)も一つの手かも知れない。次元の低い話ではあるが。

(しかし恐ろしい事に、まずい芝居というのは国籍を問わず言語の垣根を越えて露見するもので、香港より来日の朧座美術班は稽古期間中夜な夜な事務所で装束をつくろったり面に色を塗ったりしつつしきりに「ハナコサンヨ」「ハナコサンヨ」と真似をしながら笑い転げていた。)

そう言えば能楽を習っている俳優ってどのくらいいるのだろうか。
上手くなくたって良い。私だって柔吟も剛吟も(よわぎん・つよぎん。共に能の歌唱法)決して上手くはない。
ただ、能楽に関して「最低限の教養」ある俳優。
調べてみるか。前向きに。
と、そんなことを思いつつ、久方ぶりの稽古を終え師のお宅を辞するのであった。

2004年10月05日

「花のある芸風」考

行きつけの喫茶店の、いつもの席に座を占める。
と、目の前の花瓶にいつの間にか、大小さまざまの花が生けてあった。
何せすぐ眼前の事ゆえ、花たちの色彩や形態が直に我が目に否応なく飛び込んでくる。

まじまじと花を観察する。否、この距離で置かれると、観察せざるを得ないのだ。
百合を中心として、他にも多くの種類の花々が添えられている。
しかし、この花という代物。
間近に見れば見るほど気持ちの悪い生態を呈しているではないか。

花弁の内奥には何やら妖怪じみた細かい毛のようなものが密集して、花粉がこれでもかというほどその毛の周りにまとわりついている。そこからめしべおしべがニュッとグロテスクに突き出し、そのおしべの先端がテラテラといかがわしく濡れている。

こういう事を書くと人格を疑われるかも知れないが、花ってやっぱり性器なのである。エロスなのである。生きていることの直截な、あまりに直截な現れなのだ。

花はやっぱり、しかるべき距離の彼方にほのかに匂うくらいが良い。近くにあってまじまじと見つめるものではないと私は思う。かつて京都鹿苑寺に詣でた友人が、「舎利殿(いわゆる金閣)は遠景に限る」と的確な評を下していたが、実に似たような事が花というものの愛で方にも言えるのではあるまいか。

植物界における「花」は、人間界における「色気」であろう。なくては堅物でつまらない。やはり若いうちはほどほどにあって然るべきものと思う。
しかし、あり過ぎるとそれは傍目に厭らしく煩わしく鬱陶しいのである。

堅物でつまらないなどと言ったがそれは若いうちの話で、花のない美しさというのも実は存在する。禅寺の紅葉なんかはそれであろう。凛冽と澄み切った秋の美である。

閑話休題。
「花のある芸風」というような言い方を時折耳にする。
能の通と呼ばれるような人々に、わりとこういう言い方は多いように思われる。
この「花のある芸風」なるものの実態について考えてみたい。

思うに、私ども俳優はすべからく役に生き、舞台の上に生きなければならぬ。
そのためには無論、まずは俳優本人が生きている事が大前提であると言える。
が、大前提に過ぎぬとも言える。
俳優本人として確かに生きて、さらにその上に、己とは異なる役を、この現実とは異なる世界を、何としてでも生き抜かなければならないのだ。
生きることの象徴が花であるならば、そして俳優が上記の意味で真に舞台上に生きる事が出来ているとするならば、そこは一面の花園であるはずだ。
つまり、俳優たる者、芸風にどこかしら何かしら花があるのは当たり前の話であって(無論、花と一口に言っても、種類は千差万別、ヒマワリからドクダミまで色んな花があった方が面白いのだが)、要するに「花のある芸風」などというのは俳優として果たしてそんなに嬉しい褒め言葉であろうか、と私は問いたいのである。もしも私ならば、頂戴してもあんまりありがたいとは思わない。
「よくあんなに台詞覚えられたねー」とおんなじくらい、スンナリとは拝受致し難い。

(なお、しばしば、生きていることを実感したいが為に芝居をやっているような不思議な人々をお見受けするが、こういう人たちの演技には管見の限りまず例外なく花が乏しい、または無い。順序が逆なのだから当然の話である。潔く就職するなり主婦業に専念するなりしたらいかがかとこの頃よく思う)

もし、仮に私が終演後に「花のある芸風」なる賛辞を賜ったなら、次の二点のうちいずれかを疑い、その疑念の的中せる事を恐れる。
一、やり過ぎた。それを先方は私が傷つかぬようほんのりオブラートに包んでねぎらいの辞へと転化している。あるいは慇懃に揶揄している。
一、やり過ぎた。それと知ってか知らずにか、先方はそのやり過ぎを心から喜んでいる。当方から見れば花の過剰つまり失敗に属する内容を、先方は花ある芸風などと讃えている。すなわちこちらが期待する性質の鑑賞眼を先方が持ち合わせていない。要するに趣味が合わない。

2004年10月06日

プロフェッショナルな能楽師たち

○先日、師匠のお宅にて久方ぶりの稽古をつけて戴いた際、稽古が終わってお暇する前に一言、
「次回は『北条政子』を取り上げたいと思っております」
と御報告したところ、
「え、どうして政子なんですか?もっと大変ですよ、色々出て来ちゃって。比企一族とか」
と笑っておられた。
北条政子と聞いて、たちどころに比企一族の名前が出る。
こんなことは鎌倉時代の常識だからだ。
常識のある人とやりたい。

○これまた先日、空也坊(朧座演出部・実は某流能楽師)御出演の能の催しがあったので香港の友人と共に観に行く。
受付にて「○○先生(空也坊本名)にチケットをお願いした田中(私)と申しますが…」と告げると、受付の方はチケットとともに、封筒を手渡して下さった。中には空也坊、否ここでは○○師が御多忙の中したためて下さったあらすじや見どころ等の解説文が入っている。
毎度、○○師のかたじけない御配慮である。
そして、文章を拝読し、○○師の観客に対するお心遣いに深謝の念を捧げると同時に、師の能に対するひたむきな情熱に改めて心打たれる。

○我が師といい、空也坊こと某師といい、私が存じ上げる能楽師の方々はみな大変なプロフェッショナルであられる。我々現代演劇の側はどうか?胸を張って彼らに対峙し得る用意はあるか?
居酒屋でビールを呑んでいる場合ではない。

2004年10月07日

子供に、観てもらいたい。

今日は放送作家のW君といろいろ話し合い、今後の朧座について意見を聞かせてもらった。
実はW君とは、先日観に行った都庁前での薪能で知り合ったばかり、会うのは今日でまだ三度目なのだ。
私はこの薪能、一つには無論演能そのものが目当てであったが、今一つ、西新宿の都民広場で無料で能が観られるとなると、観客数や観客層がいかなる変化を見せるか、常の能楽堂公演とはどう異なってくるものか見届けたいという思いがあった。

客の多さにも驚いた。が、それにもまして嬉しかったのは、普段の能楽堂ではまず見受けられない客層の存在だった。
全体から見ればごく少数派ではある。が、やっぱりいたのだ、若者が。
熱心に能を観ているその若者に、しかるべきタイミングを見計らって声をかけて良いものかどうか、私はちょっと悩んだ。
迷惑な顔をされるかも知れない。
しかし、これは朧座の一大課題なのだ。人材、特に若い人材の発掘が。
思い切って、ちょうど演能の合間に声をかけてみた。
「学生さんですか?」
だったろうか、最初に彼にかけた言葉は。正確には覚えていない。そこそこ緊張していた、やはり嫌な顔をされたら辛いから。
しかし、彼は嫌な顔どころか、大変気持ちよく私の問いかけに応じて下さったのだった。
彼は放送作家だった。まだ、その道に入ったばかりで、色々勉強しているそうだ。

海外旅行の際、彼はいつも「自分は本当に日本人だと胸を張って言えるのか」と感じてしまうのだそうだ。日本の伝統文化をやっているわけでもなく、知っているわけでもなく、ただ国籍を日本においているだけで、何も知らない自分。きっと、自分以外の日本人も同じことを考えているのでは…後日、彼はそんなメールをこのサイトに送って来てくれたのだった。

今日は朧座第一回公演のプロモーションビデオを観てもらった。薪能の際、能に対しても言っていたことだが、朧座もやはり言葉がわからないのは大きなネックであると彼は言う。
そうなのだ。私は能を知っているから、今申楽の言葉は能とは違うはずだ、わかるはずだなどと都合良く思いがちだが、一般の人が聴いたら、今申楽の言葉だって難しく聞こえてしまうのだ。
能も今申楽も、同じく「古文」だから。
ただ、その古文を、何とか現代人の心に届けたいと願って様々に工夫を施し台詞として読むか、あるいは江戸期以来の伝統的発声法に則って声楽的に吟ずるか、という違いが、実は今申楽と能との間にはあるのだ。
あるのだが、しかしそれは「古文」廃滅寸前の今日にあっては二次的問題なのであり、まず一時的問題として「古文」即「意味不明」という大問題が存するのであって、そこでは能も今申楽も等しく現代語からは遠い存在なのだ。

だが、そこはかえって強みかも知れない、とも彼は言う。つまり「教育」とリンクさせることが出来るのではないか、というわけだ。
小中学生や幼稚園児に今申楽なり能なりを見せる価値というのもあるのではないか、何しろ今申楽は長期戦なのだから、将来を見据えればそういう長いスパンでの「育成」も意義ない事ではあるまい、と、そんな話になった。

そういえば、空也坊(朧座演出部・能楽師)も日頃大変熱心に能楽普及活動に取り組んでいる。
我々は将来の観客をも養成しなければならない。

と、そんな文脈の中から生まれてきたキャッチコピーが
「子供に、観てもらいたい。」
何かに使えないだろうか。

2004年10月08日

世阿弥はライバル!

新作能に取り組んでおられる能楽師や研究者の方々は、しばしば次の如き言辞を口にされる。

「完成度という意味では、新作はやはり古典にはかなわない。それでもあえて作るのは、刺激とか活気というものこそ、今の能には必要だからだ」

これ、止めて戴くわけには行くまいか。
初手から言い訳、卑屈、敗北宣言。
そんな態度で臨むのは新作にも古典にも失礼というものではないだろうか。
そんな態度で臨んでも、真の刺激や活気は生まれないのではあるまいか。
「自分たちは新作をやっているのだ」という、単なる自己満足で終わるのではなかろうか。ちと辛い物言いではあるが。

「やるからには古典の上を行こうと、こちとら命懸けです。世阿弥の野郎はライバルです」
くらいの心意気でやり倒して戴きたいものだ。

それが古典に対する、世阿弥に対する、そして観客に対する最低限の礼節というものではないだろうか。
新作は古典にはかなわない?だったら、客は古典を観に行きますよ。
新作なんか誰が観るもんですか。

以上、私朧太夫、自分自身へのプレッシャーコーナーでした。
さて、頑張るか。

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2004年10月11日

コラボレーションなる美名のもと

先日、さる劇団の芝居を観てきた。
近松門左衛門の『心中天の網島』を、歌舞伎としてではなく現代演劇として蘇らせたもの。
出演者の熱演には大変に心動かされた。
しかし、それでもなお、私は根っこのところでこの劇に最後まで馴染むことが出来なかった。

主人公・紙屋治兵衛はおさんという女房がいながら、ついに遊女小春と心中に至る。そこでこの劇は終わるのであるが、この小春が最後の最後まで、二人連れ添って死んだらおさんさんに義理が立たない、せめて二人場所を違えて死のうじゃないかなどと言っているのだ。
こういうところが、私にはよくわからない。
心底愛する男とあの世で結ばれようと祈る女が、事ここに及んでこんな台詞をはくものであろうか。もしそうだとするならば、小春というのはどこまでも理性を失わぬ冷静な女であり、かつその理性は甚だ偽善の臭いにまみれたものの如くに私の眼には映る。
すでに小春は結果として男を妻子のもとから奪い、その家庭を滅茶苦茶にしているのである。今さら義理が立たぬもへちまもあるまい、だったら最初から心中なんかするなよ、と私は思ってしまうのである。

よく言われるように、近世江戸期の文芸は封建思想・儒教道徳の強い影響下に成立している。これを現代に蘇生させる試みは並大抵の苦労ではなかろうと思う。
それを思えば、能・狂言がいかに通時代的・普遍的テーマ(祭祀)を帯びた芸能であるかがよくわかる。その意味では歌舞伎よりも現代化しやすいはずなのだ。
問題は歌舞伎と違って「わかりやすくない・早くない」というところだ。
もちろん、今日の能・狂言(特に能)は「無駄に言葉遣いが難しく謡が聞き取り辛くかつ遅い」という「芸能疲労」を長い歴史のうちに生じており、これはなんとか朧座の手で払拭せねばならない。が、どんなに頑張ってみても最終的には、「わかりやすさとスピード」を盲目的に神聖視する現代とはどうしても折り合いの難しい部分はまず間違いなく残るだろう。
ただ、「わかりやすさとスピード」を追い求めるあまり、人間が相当馬鹿になってきているというのも一片の事実であるように思われるから、現代の肩ばかり持つ訳にも行かぬ。現代という時代を何とかするというのも、朧座に課せられた大変重い命題なのだ。

閑話休題。
明治の昔、能と歌舞伎の折衷運動が起こった。その名を「吾妻能狂言」と称する。
この悪趣味でナンセンスな運動の為に、狂言の鷺流などはついに廃絶の憂き目を見た(鷺流狂言師が吾妻能狂言に凝って本業をないがしろにしたため)。
現在でも「伝統」の権威を振りかざし、味噌も糞もごった煮にして「私たち、コラボレーションしています」などと呑気な錯覚に酔っておられる御仁が少なくないが、誠に目を覆わしめるものがある。
能と歌舞伎は各々本質を異にする芸能である。
能を現代演劇として蘇らせよう、歌舞伎を今風に創り直そう、これは言わば復興運動であって筋の通らぬ話ではない。
能と歌舞伎を一緒くたにしてみました、こんなのは土台筋が通らないのである。
伝統の権威と庶民の無知を良い事に無分別の限りを尽くして、お決まりのコラボレーションなる美名を僭称する。
下品、というのはこういう手合いを指す言葉なのであろう。
かくて「日本文化」はどんどん下品な階級の慰み物へとなり下がって行く。

何とかせねば。

2004年10月12日

洋食黒船亭

朧座旗揚げ公演協賛企業である�アダムス・キクヤが上野公園のほど近くに営む洋食店。フランス料理のベテランシェフが、型にはまらず日本人の心に合った逸品の数々を堪能させてくれる。なかんずく私朧太夫のお勧めはこちらのハヤシライスとロールキャベツ。上野には味覚の美術館もあるのだ。

サイト名:洋食黒船亭
URL:http://www.kurofunetei.co.jp/index.htm

2004年10月22日

「今申楽」って何ですか?

「コンテクストのずれ」が全ての悲喜劇の出発点である。

「おい、アレ持ってきてくれ」と亭主が女房に言う。
亭主としてはアレは灰皿を指しているのである。煙草が吸いたいのだ。
ところが女房が持ってきたのは『禁煙セラピー』の本。彼女としてはアレはてっきり『禁煙セラピー』の事だと受け取ったのだった。
お互い虫の居所でも悪ければ、ここではや一騒動勃発と相成るのである。

「コンテクストのずれ」とは、例えばそういうことである。

ここで話題はちと哲学的な趣を帯びてくる。

例えば「赤」という言葉がある。我々、日頃何気なく使っている言葉である。
我が用いる「赤」と、彼が言う「赤」との間に、さしたる差異があろうとは普通考えない。
しかし、本当にそこには「コンテクストのずれ」は存在しないのだろうか。
我は「夕日の燃えるような色」を、彼は「血の如きぶどう酒の色」を指しているかも知れないのだ。
まあ、しかし、お互い同じく色彩の事を指しているのだからまだマシかも知れない。

「今年はどっち応援する?」
「もちろんアカだよ」
「そうか、あんた共産主義だもんね」
「は?紅白の話じゃないの?」

お互い虫の居所でも悪ければ、ここでまたもや騒動勃発である。

返す返すも、あるコンテクストを、我も彼も共通のものと錯覚することの恐ろしさを思わぬわけには行かない。

話を朧座の事へと転ずる。

最終的には、生まれも育ちも異なる他者が同一のコンテクストを完全に共有するなど無理な話である。
しかし、ある程度なら摺り合わせは可能なはずだ。さもなくば世の中にはいかなる対話も在り得ない。恋愛も演劇も存在し得ない世の中となってしまうのだ。

で、朧座において、最も重要な単語は
「今申楽」
である。
この三文字は、ブッシュとか慎太郎とかいう単なる固有名詞ではなく、実はかなり濃密な語義を有しているのだ。
むしろ普通名詞に近いと言って良い。

この「今申楽」という言葉をめぐって、コンテクストを摺り合わせよう近付けよう、ずれを少しでもなくそう、と努力できるアタマの持ち主でなければ、朧座の表も裏も務まらない。

そして、そういうアタマの持ち主であったかどうかという事は、結果を見れば無論一目瞭然である。
が、これからは
「そういうアタマの持ち主であるかどうかを、先ずもって見究めなければならない」
のだ。
採用時に全ては決まっている、くらいの識別眼を持たねばならぬ。

「今申楽」って何ですか?と、最初に問わねばならないのだ。

2004年10月27日

2004年10月26日、今申楽朧座に関するとても悲しい出来事がありました。
しかし、私は必ずこの壁を乗り越えます。
暫くの間、サイト更新をお休みさせて戴きます。朧太夫

2004年10月30日

朧座五箇条

一、今申楽 朧座は、「当世の申楽能」たる「今申楽」を創造・興行する新舞台芸術集団である。

 尚、現代芸術たる「今申楽」に対し、前近代において行われた申楽をここでは「昔申楽」と総称し、その成立を1400年(『風姿花伝』第一〜三編成立)、終焉を1881年(能楽社設立)と仮に想定しておく。

一、朧太夫は「朧座の棟梁」の意であって、「朧流宗家」の意ではない。
 従って朧太夫職はその世襲的継承を認めない。

一、今申楽 朧座は、日本文化の「創造的継承」及び「享受層の多様化」を率先して遂行する。

一、今申楽 朧座は、昔申楽が既に近世において喪失した芸術性を復興し、近世以後の昔申楽(非演劇的封建式楽)では鎮魂し得ない神々を祭祀する事を目的とする。

一、今申楽 朧座は、今申楽を創造・興行したいと考える全ての舞台芸術家を朧座衆として広く募集する。

2004年10月29日成立

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