劇団大樹主宰にして朧座演技部・川野さんが、先日、次のような事を教えて下さった。
曰く、いつかテレビで、金田一京助氏の御子孫(後で調べたところ金田一秀穂氏という方で、祖父京助氏・父春彦氏に引き続いての国語学者)が、日本語の変化を「乱れ」と否定的にとらえるのではなく「生きている証」と肯定的にとらえる見方を示されていたという。
我々は、古語に対する関心が高い。古語の魅力、古語でしか表せぬ世界がある事を知っている。しかし、それでもなお、金田一氏のような見方に立てば、常に変化し続ける現代語こそ生きた言葉だと考える事も出来るわけである。川野さんはそう仰っていた。
ここで、是非とも考えておきたい事がある。
私は、かつてこのブログで次のような文章を書いた。
「トランス状態に陥ったスタッフは私に泣きながらずっと『ありがとう』と言い続けていた。
また、芝居がはねた後の関係者の歓声をよそに、舞台袖で清少納言や定子皇后の面をずっと眺めていた。そして、舞台に出て卯の花を眺め、私が『あの方がこの花を作ってくれたんですよ』と紹介すると、舞台美術担当の横井さんを手招きして花を指差し『かわいい』という言葉を発した。
あくまで私の想像だが…あるいは彼女は『いとをかし』と言いたかったのではあるまいか。もしそのスタッフが『いとをかし』という言葉を知っていれば。」(「その後の『香炉峯』�」より)
これは、朧座第一回公演時、本番中に清少納言がスタッフに憑依したと思われる現象について述べたもの(この件の詳細については「その後の『香炉峯』�」「同�」「同�」「同�」及び「記憶の延長」を参照されたい)。
もし、本当にその時、少納言が憑依していたのだとすると、彼女は私や横井さんに現代語でコミュニケーションを図ってきたわけである。もちろん、そのスタッフが平安時代の日本語を知っていれば、少納言はその平安語を使って話が出来たかもしれない。しかし、そのスタッフは香港人であった。「ありがとう」とか「かわいい」とか、知っている語彙は限られていた。
しかし、少納言は辞書も通訳もなしに、スタッフの知っている現代語で、我々に語りかける事が出来たのである。それは何故か。
「ありがたし」という形容詞は平安時代すでに存在したが、「有る事が難しい」つまり「めったにない」の意で使われている。少納言自身、「ありがたきもの。舅にほめらるる婿、また姑に思はるる嫁の君」などと『枕草子』に書き付けている。この「めったにない」が「めったにないくらい優れている」になり、さらに変化して、現代語に通ずる「感謝にたえない」の意と化したのはいささか後のことである。
「かわいい」は、平安時代にはまだ誕生していない。その先祖「かほはゆし(顔映ゆし)」が「かははゆし」「かはゆし」に変化を遂げている頃であろう。「決まりが悪い、恥ずかしい、おもはゆい」あるいは「見るに耐えない、忍びない」といった意。これが「愛らしい」の意にも用いられるようになったのは室町時代の事。語形も「かはいい」に転じて今日の「かわいい」に至る。
「ありがとう」を見ても「かわいい」を見ても、変化する面と連続する面、言葉の歴史にはその双方がある事がわかる。少納言が辞書も通訳もなしに現代の語彙を用いる事が出来たのは、おそらく後者の面、「ありがとう」や「かわいい」に千年前から底流している語感を即座に感じ取った為ではないか。
外国語ではないのだ。同じ日本語である。
我々にとって古文(実は私は古文という言い方が嫌いである。「伝統文」でどうだろう)がさほど遠いものではないように、彼ら先人にとっても現代文なるもの、案外近しいものなのかも知れない。
思えば室町時代の申楽作者たちも皆、彼らにとっての現代語で、彼らよりも昔の人々を台本に書き起したのであった。
現代語は生きている。我々はそれによって日々暮らしているのだから。
そして、台詞というものは、生きていなければならない。
それを享受する観客がいるのだから。