« 2004年12月 | メイン | 2005年02月 »

2005年01月 アーカイブ

2005年01月02日

謹賀新年

新年明けましておめでとうございます。
昨年は、念願の当今申楽朧座の旗揚げを果たすなど、私にとりまして激動の一年でしたが、お蔭様をもちまして乗り切る事が出来ました。
表方(演技者・演奏者・制作者)、裏方(スタッフ)、そして見所方(お客様)、当朧座に関わって戴きました全ての方が朧座衆です。本当に多くの座衆に恵まれて、どうにか朧座、産声を上げる事が出来ました。これも皆々様のお見守りお力添えの故なる事と、改めて御礼申し上げます。
本当に有難うございました。

なお、私は常に常に、まだ見ぬ新たな座衆、殊に表方との出会いを心待ちにしております。
今年はいかなる出会いに恵まれる事か、今から楽しみでなりません。

ともあれ本年も、一歩一歩、着実に歩を進めて参りたいと思います。引き続き御鞭撻の程、宜しくお願い申し上げます。

2005年元旦

今申楽朧座主宰
朧太夫

2005年01月04日

今年の抱負

2日の夜、NHK教育で良い番組をやっていた。
坂東玉三郎・観世清和両氏の対談形式を取りながら、能を紹介するというもの。
対談中、観世氏がおよそ次のような事を語っておられるのが非常に印象に残った。

『井筒』という能がある。劇の終盤において、シテ(能の主人公)が、懐かしい恋人との思い出の井戸を覗き込む場面がある。水面に映って見えるのは、シテが待ちに待ち続けたかの恋人の姿である。ここでシテは「見れば懐かしや」なる独白を行うのであるが、これを観世氏は井戸の中を覗き込みながら言ってはならない、しばらく覗き込んだあと顔を上げてからようやく呟くべきなのだということ、それが能なのだということを、身振り手振りをもって示されていた。
真にわかりやすく、能の本質に触れられたと思う。

確かに、ここには、能の本質が潜んでいるはずだ。
私が能に惚れたのも、こういうところに理由があるはずなのだ。
ここには、現代演劇の世界にも十分に通用する秘密が隠されているはずなのだ。

能は語り・騙りの芸能なのだということ。
「単なるリアルな再現」という奴は、実は、観るに耐えない場合が多い。どこかで、「嘘」に漉すという作業を経ないと、観客側に拒絶感を生んでしまうのである。
それが、現実のリアルと虚構のリアルの違うところなのでなないかと思う。

「単なるリアルな再現」が我々の仕事なのではない。
「観客に語りおおせる事・観客を騙りおおせる事」こそが、我々の仕事なのだと信ずる。
「カタリおおせるリアリズム」こそが、必要なのだろう。
例えば、井戸を覗き込みながら言うのは「単なるリアルな再現」、覗き終えたのち顔を上げて呟くのは「カタリおおせるリアリズム」という事になるのではないか。

今年は、この辺りのカラクリについて、とことん思索を深めて行きたい。
そしてその成果を、朧座の次回作に反映させたい。
そんな一年でありたいと願う。

2005年01月09日

能本における擬態語率

能を俗に無形文化財などと呼び習わしているが、実はこの呼び方はちょっとおかしい。
面と台本がちゃんと残っているからだ。これらは無形ではなく、有形である。
そして、仕舞や謡といった能の無形要素というのは、有形要素に支えられているところが非常に大きいのである。
面と台本以外に、草創期の申楽を偲ばせるものなど何もない、というような暴論(しかしある意味では正論か?)を吐く人もあるらしい。
とにかく、そういう説も唱えられるくらい、能においては有形要素が重要なのだ。まず、それを言っておきたい。

そんな重要な要素でありながら、能の台本(以下能本と呼ぶ)の研究は十分に行われているとは言い難い。そう思う。
これは能本に限らず国文学全般に言える風潮であるが、「文学オタク」が多過ぎるのである。もっと語学的に詰めるべき事柄はたくさんあるのに、「文学的香気」とやらに酔い痴れて脳を半ば侵されていると思しい御仁が少なくない。
能の自称解説書など、管見の限り8割がたはこういう御仁の手になるものだから、ただでさえ大衆に縁遠い能が、いよいよますますオタク階級の慰み物へと転落していくのである。

例えばである。このコンピューター時代、「能本における擬態語の使用頻度」みたいなテーマをまともに論じた本が何故出てこないのか。擬態語、ヨロヨロとかサラリサラリとか言う言葉は、和歌などに用いられる雅な言葉(第一和語)に比べ、卑近で一段劣る第二和語などとされてきた。当然、貴族の好みに合うように能本に歌道に導入した世阿弥の作品には、擬態語は少ないものと思われる。つまり、逆に言えば、世阿弥以前の観阿弥作品などでは、擬態語率は高いのではないか。
詩劇的格調を高めたければ、擬態語率は下げるというのがセオリーになるだろう。しかし、登場人物にリアルな言葉を喋らせたいということであれば、擬態語率はむしろ上がるはずなのである。
何が言いたいかと言うと、つまり、例えば「能本における擬態語の使用頻度」みたいな事がもっと研究されれば、自ずと各時代各作者の作風の違い、ひいては能観念の変遷といった事柄が科学的に証明されるのでなないか、と言うことである。

2005年01月11日

何百年も昔の事などわからない、だが

つい最近、物をなくした。部屋のどこかにあるはずなのだが、何故か一向に見つからない。
大事な物なので、途方にくれている。

と、そういう大事な物をなくして途方にくれて、ようやく気付いた事がある。
つい先日まであった、そして今も部屋のどこかにあるはずの物ですら、見つからないという事があるのである。
何百年も昔の事となれば、ましてなおさらではなかろうか。

この年末年始、多くの朧座衆と会って話した。
第一回公演の総括、第二回公演への展望と、彼らとは何時間話していても尽きないが、分けても空也坊(第一回公演演出)の次の発言は印象に残った。

「演劇の台本を書く感覚で宜しいのでは」

なぜ彼がこういう言葉を口にしたかと言えば、今の私が過去の歴史に拘泥するあまり、申楽の祭祀性を偏重するあまり、
「学者じゃないんだから、所詮芝居なんだから、最終的には己の想像力を信じて絵空事でもなんでも書くしかないのだ」
という申楽作家としての最終的真実を見失ってはならんよ、と、これはそういう忠告なのだ。
何百年も昔の事である。確かに、いくら文献を読み漁っても、わからない事は山ほどあるのだ。

最終的には、己の想像力を信じて書くより他ない。
直感の世界である。
が、その直感が近頃、私に命じている事がある。

《あそこ》に行かぬ限りは、第二回作品の脱稿は叶わぬと。──

《あそこ》というのがどこなのかは、今は伏せておく。いずれ触れる機会もあろう。
陳(朧座演出部)は、この私の直感を聞いて、「一人では行かない方が良い」と助言を発した。
こういう時の陳の助言は軽視すべきでない事、私はよく知っている。
おそらく、笛麿&鼓乃丞(朧座制作部)・川野さん(朧座演技部)の同伴なくしては、叶わぬ旅となろう。

この旅の後、ようやく私は己を信じて脱稿する事が出来る。
そんな気がしている。

嗚呼、もうすぐ見つかりそうな気もするのだが…

2005年01月13日

摺り足論

少々長くなるが、まずは愛読書『演劇とは何か』(鈴木忠志著・岩波書店)の一節を御紹介したい。

「(前略)スタニスラフスキーや近代リアリズム演劇が追求した人間の内面を表現するという演技観に対して、能や歌舞伎が演技を通して追求しようとしたのは『身体感覚』それ自体の快感であるということが言えるかと思います。つまり、人間の特殊な感情や心理を表現しようとか、あるいは人間をさまざまな角度から見ることで人間的個の独自性を発見しようとか、というような観点から演技を発想していないのが能や歌舞伎だと思うのです。別な説明の仕方をすれば、能や歌舞伎は、舞台で演技することによって出てくる特殊な感覚、けっして日常生活に還元されない感覚、そういう感覚に対する人間の欲求や感受性があるということを身体的に追求してきた演劇だというふうに考えたらいいのではないでしょうか。
たとえば、能役者が舞台をそろそろ歩いているとします。その歩き方をスタニスラフスキー・システム的に考えますと、そろそろ歩くのは老人か病人というふうになってしまいます。しかし、能役者が舞台をそろそろ歩くのは、老人や病人をあらわしているのではなく、『そろそろ歩く』という身体感覚それ自体を遊び、表現しているのです。それ自体を生きているという以外にないのです。あるいは、そろそろ歩くことによって、観客が感じるであろうその感受性を前提として、その上で面を被り、衣裳をつけることで幽霊というような実在しないものを感じさせるきっかけ、あるいは死者という見えないものを想像させるきっかけをつくろうとしている行為です。『そろそろ歩く』という行為が、なにか日常現実のなかに対応するものをもっている、ということではないのです。(後略)」

鈴木氏の言われる「そろそろ歩く」というのは、能の用語で摺り足と呼ばれるものである。
現代の能楽では、演者も見者も、この摺り足の美しさを追求するのが常である。
多くの能楽師が、美しい摺り足を師匠から厳しく叩き込まれ、また多くの観客が、能に美しい摺り足を期待する。
だが、私という変わり者にとっては、実は摺り足の美しさなどというのは割合どうでも良いのである。
幽霊は、幽霊でありさえすれば、それで良い。
鈴木氏の言葉を借りれば、「幽霊というような実在しないものを感じさせるきっかけ、あるいは死者という見えないものを想像させるきっかけ」にさえなれば、もはや摺り足は十分にその使命を果していると私は思う。そこに美しさという要素を私は要求しないのである。

鈴木氏の表現を、誠に乱暴ながら私流にアレンジさせて戴くとこうなる。

「そろそろ歩くのは老人か病人、あるいは能における幽霊ということになります。ただし、老人や病人は実在しますが、そして多くの場合彼らは実際にそろそろ歩くのですが、幽霊は実在しません(というと語弊がありますが、少なくとも老人や病人のような目に見える存在ではありません)し、従って実際に幽霊がそろそろ歩くかどうかもわかりません。舞台で老人役や病人役がそろそろ歩くのは、狭い意味でのリアリズムの手法で彼らの歩き方を模写したものです。能の幽霊役がそろそろ歩くのは、『あ、確かにこれは幽霊の歩きかも知れぬ』と観客に錯覚させる、あるいは想像させるためのものです。これは、広い意味でのリアリズムの手法と言えるでしょう。」

だから、私は、同じ能役者でも幽霊以外の生者役はもっと普通に歩いても良いのではないか、という気もするし(朧座第一回公演でもその方向で演出した)、幽霊の歩き方にしても摺り足が全てとは限らないと思っている。いつか、とある舞踏家に、即興の舞踏を見せて戴いたことがあったが、いかにも何かこの世ならざる存在にでもとり憑かれたかような、幽霊的な足の運び方に驚かされたものであった。

摺り足。それは私にとって、幽霊というような不可視的存在を、広い意味でリアルに感じさせる歩き方である。必ずしも美しくなくたって良い。幽霊にさえ見えれば、死者の歩なるものがそこに感じられれば、私はそれで満足だ。
職人的に磨き込まれた美しい摺り足、それこそ能楽師の専売特許である。能楽堂へおもむけば、それに出会える。

朧座に、能楽師同様の美しい摺り足を求められても、困る。
お門違いというものである。

続きを読む "摺り足論" »

2005年01月16日

お勧めの舞台 

昨日観に行った芝居が素晴らしかったので御紹介しておく。

劇団きらら東京公演
『ほね屋』 作・演出池田美樹 
残り1公演 16日(日)13時開演
場所 新宿・タイニィアリス

大人の童話と言おうか。現代の説教節と言おうか。
私はこれを観て、日本の演劇がなすべき事を改めて思い出した。
そして、悪リアリズムに拘泥する現代演劇がいかに面白くない(少なくとも私にとっては)か、その矮小さを改めて痛感した。

日本語は、必要な事しか言わない言語である。「鳥!」一言で十分に文が成り立つ。
「There is a bird!」みたいに、わかりきった述語だの副詞だのをわざわざ言い立てたりはしないのだ。
これは「省略」ではない。英語の命令文や手紙文なんかで主語を省略するのとは本質的に訳が異なる。
繰り返す。日本語は、必要な事だけを言う言語である。

なぜなら日本語では、発せられる一言一言に宿る「重み」が、違うのである。
これを、最近私はいくばくかの日本語教育の経験から、嫌というほど思い知った。(これについては、いつか稿を改めて詳しく述べる)
日本人はそうそう簡単には喋らないのである。
日本人が喋るときというのは、その場に誰と誰と誰が居て、各々いかなる関係にあるのか、己の発言を取り巻く人間関係というものにものすごくセンスティブになりつつ喋っているはずなのだ。
ある意味、「喋る」のではなく「喋らされる」のである。

ところが、日本語の抱え持つ歴史や本質などろくすっぽ考えもせず、性急に欧米のリアリズムを輸入した日本の現代演劇は、劇場を舞台と客席とに二分し(したがって能楽の「橋掛り」も歌舞伎の「花道」も消えた)、舞台上で共演者にいかに「喋らされる」かに血道をあげて、肝心な事を忘れてしまった。
本当の日本語演劇なら、共演者もさることながら、観客にこそ喋らされなければならないなずなのである。
観客がその場に存在するにもかかわらず、かたくなに舞台上の虚構世界に閉じこもって客席に目を向けようとしない現代演劇の悪リアルな作風は、一生懸命「リアルな芸術」を志向しているつもりなのであろうが、残念ながらこの私にとっては、かえって全然リアルでない。

観客に語れ。観客の心に訴えかけよ。
日本語演劇は、欧米型リアリズムに馴染まない。
日本型リアリズムをこそ目指すべきだ。
観客がいるのに、観客を無視して台詞を喋るな。
その場に確実に存在する多数の人間に、初めて台詞を喋らされよ。
日本語の一言一言は、本来そのくらいの「重み」をもって発せられるはずだ。

日本の現代演劇とか称するものは、軽くて狭くてちっちゃい。そして当然つまらない。
そんな鬱屈がたまっていた時に、原点的な作品に出会えた事を感謝したい。
大人の童話と言おうか。現代の説教節と言おうか。
テーマがまた良い。
人間が生きることとはどういうことか。人類に普遍の根源的なテーマを、力強く語って観客の心に迫る。

語るなら、これくらい根源的なテーマが私は好きだ。

本当に面白かった。是非、お勧めである。

2005年01月18日

タイコウチの話

昨日、テレビで小学生用の理科の番組を何気なく観ていたら、水生昆虫タイコウチが出てきた。
実に懐かしい。この昆虫には思い出がある。
小学生の時分、私は生き物が好きだった。特に魚や虫を飼うのが好きだった。
ある時、親に田舎の田んぼに連れて行ってもらった。そこは私の好きな生き物たちの宝庫であった。
そして、そこで私はタイコウチの採集に成功したのである。
昆虫図鑑などではよく見ていたが、本物に接するのはこれが初めてであった。
これはぜひ飼育せねばならぬと、バケツに二、三匹入れて東京に持ち帰った。

異変は、その夜突如として勃発した。

「ポポポポポポポポポポポポポポ」

耳慣れぬ怪奇音が、深夜寝静まった我が家を襲ったのである。
父が起き、母が起き、妹が起き、弟がその頃生まれていたかどうかは忘れたが、とにかく一家全員を叩き起こすに十分な大音量なのである。

犯人はタイコウチであった。
否、この水中の虫たちがあれだけの鳴き声を発したとは俄かには信じられないが、他に音源は考えられないのである。
そして、私はその時ようやく、タイコウチ=太鼓打なのだと気付かされた。
私の中で理系と文系が出会った最初の出来事であった。

残念ながら、昨日の番組では、なぜこの虫が「タイコウチ」と呼ばれるのかという件には触れていなかった。

動植物名は片仮名で書く。これは自然科学のルールゆえ、理科の時間は致し方のない事。
せめて国語の時間で教える他あるまい。

鈴虫、なんてよく考えてみたら素晴らしいネーミングである。スズムシでは伝わらない。
ゴキブリ、調べてみたら案外これは奥ゆかしい名であった。名付け親は、やはり宮中の女官か何かであろうか。

続きを読む "タイコウチの話" »

2005年01月20日

現代語は生きている

劇団大樹主宰にして朧座演技部・川野さんが、先日、次のような事を教えて下さった。
曰く、いつかテレビで、金田一京助氏の御子孫(後で調べたところ金田一秀穂氏という方で、祖父京助氏・父春彦氏に引き続いての国語学者)が、日本語の変化を「乱れ」と否定的にとらえるのではなく「生きている証」と肯定的にとらえる見方を示されていたという。
我々は、古語に対する関心が高い。古語の魅力、古語でしか表せぬ世界がある事を知っている。しかし、それでもなお、金田一氏のような見方に立てば、常に変化し続ける現代語こそ生きた言葉だと考える事も出来るわけである。川野さんはそう仰っていた。

ここで、是非とも考えておきたい事がある。
私は、かつてこのブログで次のような文章を書いた。

「トランス状態に陥ったスタッフは私に泣きながらずっと『ありがとう』と言い続けていた。
また、芝居がはねた後の関係者の歓声をよそに、舞台袖で清少納言や定子皇后の面をずっと眺めていた。そして、舞台に出て卯の花を眺め、私が『あの方がこの花を作ってくれたんですよ』と紹介すると、舞台美術担当の横井さんを手招きして花を指差し『かわいい』という言葉を発した。
あくまで私の想像だが…あるいは彼女は『いとをかし』と言いたかったのではあるまいか。もしそのスタッフが『いとをかし』という言葉を知っていれば。」(「その後の『香炉峯』�」より)

これは、朧座第一回公演時、本番中に清少納言がスタッフに憑依したと思われる現象について述べたもの(この件の詳細については「その後の『香炉峯』�」「同�」「同�」「同�」及び「記憶の延長」を参照されたい)。
もし、本当にその時、少納言が憑依していたのだとすると、彼女は私や横井さんに現代語でコミュニケーションを図ってきたわけである。もちろん、そのスタッフが平安時代の日本語を知っていれば、少納言はその平安語を使って話が出来たかもしれない。しかし、そのスタッフは香港人であった。「ありがとう」とか「かわいい」とか、知っている語彙は限られていた。

しかし、少納言は辞書も通訳もなしに、スタッフの知っている現代語で、我々に語りかける事が出来たのである。それは何故か。

「ありがたし」という形容詞は平安時代すでに存在したが、「有る事が難しい」つまり「めったにない」の意で使われている。少納言自身、「ありがたきもの。舅にほめらるる婿、また姑に思はるる嫁の君」などと『枕草子』に書き付けている。この「めったにない」が「めったにないくらい優れている」になり、さらに変化して、現代語に通ずる「感謝にたえない」の意と化したのはいささか後のことである。
「かわいい」は、平安時代にはまだ誕生していない。その先祖「かほはゆし(顔映ゆし)」が「かははゆし」「かはゆし」に変化を遂げている頃であろう。「決まりが悪い、恥ずかしい、おもはゆい」あるいは「見るに耐えない、忍びない」といった意。これが「愛らしい」の意にも用いられるようになったのは室町時代の事。語形も「かはいい」に転じて今日の「かわいい」に至る。

「ありがとう」を見ても「かわいい」を見ても、変化する面と連続する面、言葉の歴史にはその双方がある事がわかる。少納言が辞書も通訳もなしに現代の語彙を用いる事が出来たのは、おそらく後者の面、「ありがとう」や「かわいい」に千年前から底流している語感を即座に感じ取った為ではないか。

外国語ではないのだ。同じ日本語である。
我々にとって古文(実は私は古文という言い方が嫌いである。「伝統文」でどうだろう)がさほど遠いものではないように、彼ら先人にとっても現代文なるもの、案外近しいものなのかも知れない。

思えば室町時代の申楽作者たちも皆、彼らにとっての現代語で、彼らよりも昔の人々を台本に書き起したのであった。

現代語は生きている。我々はそれによって日々暮らしているのだから。
そして、台詞というものは、生きていなければならない。
それを享受する観客がいるのだから。

2005年01月27日

舞台と客席の一体感

小劇場演劇制作者支援サイト『fringe』のウェブログ上において、荻野達也氏が次のような卓見を展開しておられる。

「(前略)中劇場なら数日で済む公演を敢えて小劇場で2週間やるのは、その距離感を大切にしているためです。中劇場が借りられないわけではなく、作品のために小劇場を選んでいるのです。この点は観客の方々がもっと実感し、評価していただいてもいいと私は考えます。寿司屋はトロばかり注文されると赤字だそうですが、小劇場公演はお客様のためにトロだけを出しているようなものなのです。(中略)現状ではカンパニーの経営を考えると、より大きな劇場を目指すのは仕方ないことですが、それってつまらないことだなと私は感じています。寿司屋に「トロはお一人様2カンまで」と貼ってあったら寂しいでしょ。猫も杓子も中劇場を目指すというのは、そういうことなんです。小劇場のイスをよくして、至近距離で芝居を楽しむことがステイタスであるかのような発想の転換を私はさせたい。格闘技のリングサイドが数万円で売れるように、小劇場で数万円のチケットがあってもいいじゃないですか。(後略)」(2005年1月15日「小劇場は寿司屋でトロだけを出すようなもの」より)

能も、あまり大きな能楽堂よりこじんまりとしたところで観る方が良い。その方が、能という芸能に向いていると思う。都内で言えば杉並能楽堂や矢来能楽堂などが、見所(客席のこと)のキャパシティも広過ぎず丁度良いし、おまけにこれらの能楽堂は、見所と舞台とが空間的に無理なく馴染んでいる。質量ともに、舞台と見所が程よい一体感を生んでいるのである。国立能楽堂などは、500名を越すキャパシティで、私などにはいささか大き過ぎる気がしないでもない。また見所も、なんだかお上品な映画館みたいでしっくり来ないのである。

そもそも能楽堂というのは、本来野外にあった能舞台を、近代的な発想のもとコンクリートの建物の中に閉じ込めたものである。大事な面装束が雨で濡れなくなった、暑さ寒さを気にする必要がなくなったなど、良い点もあろう。しかし、失われた面もある。何より、往古の能舞台は、自然や神々と共に在った。自然や神々の延長線上に、一つの舞台が形となって忽然と宙に浮かみ上がっている。我々をまだ見ぬ異界へと誘う橋の如く…それが古き良き申楽舞台というものであったろう。
だから、本当は能舞台とそれを取り巻く見所さえあれば事足りる訳で、従ってあの能楽堂というのはそういう意味では邪魔な建物なのだ。
杉並能楽堂や矢来能楽堂の場合、建築があまり過保護な造りになっていないから、まだしも良いということなのである。

(従って、杉並や矢来でさえ、百点満点を与える事は私は出来ない。いつか、能舞台というものと完全に一つに溶け合った、見事な能楽堂をどなたかに建築して戴きたいものである。)

ちなみに、朧座の旗揚げ公演は、東京阿佐ヶ谷にあるザムザ阿佐ヶ谷という小屋で行った。
ここは他所の小劇場にはなかなかない独特の雰囲気を持っていた。舞台と言わず客席と言わず、小屋全体が、土壁と天然の木材をふんだんにあしらって造られているのだ。聞けば、室町時代の建築技法を再現出来る数少ない職人がここを造ったのだという。キャパシティも約120名と、それこそ荻野氏の表現を借りて言えば「上トロ」ということになろう。
昔の芝居小屋とか寄席なんかをも髣髴とさせるものがあった。
主張ある、個性的な空間だった。その主張と個性は、今申楽に良く馴染んでいたように思う。

面が、時に笑い、時に泣く。
遠くかけ離れた席から観ていて起きる奇跡ではあるまい。
舞台と客席の一体感。そこは今申楽がもっとも追求して行きたい事柄の一つである。

2005年01月31日

老若二人の肖像

その時、私は自転車に乗っていた。私の前方には、警官がこれまた自転車に乗っていた。
と、歩道のさるお年寄が、警官に深々と頭を下げる様子が目に入った。警官も、お年寄に会釈で返していた。
ああ、今の日本に欠けているのはこういう事なのかなあ、と漠然と思った。

帰宅して、梨園のさる御曹司が、酒に酔って警官の顔を殴ったと聞き及ぶ。人の顔の大切さというもの、人一倍知悉する職業であろうに。釈放後会見を開いて曰く「親の顔に泥を塗り」云々。父親の襲名祝賀パーティーが「息子として嬉しく」泥酔して大立ち回りに及んだとやら。
暴力沙汰それ自体も論外であるが、この期に及んでなぜ恋々と「親」を持ち出すのであろう。
己一人の非を認め、己一人の罪を詫びるより他ないではないか。と、私は思うのだが。

道行く警官を一礼して見送る者と、警官の顔を殴ってなお恋々と「親」を持ち出す者と。
今のこの国を象徴するかの如き老若二人の肖像を見た。

About 2005年01月

2005年01月にブログ「日々朧々」に投稿されたすべてのエントリーです。新しい順に並んでいます。

前のアーカイブは2004年12月です。

次のアーカイブは2005年02月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type