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2005年02月 アーカイブ

2005年02月01日

「わわしい」は漢字で書かない

先日、「わわしい女」(狂言に登場する、典型的な中世の女性像)について、さる朧座衆からこんなメールを戴いた。

「『わわしい』は私には初語彙なのですが、『猥々しい』みたいな雰囲気でしょうか?」

これに対し、お送りした私の返信はおよそ下記の通りである。

「そういえば『わわしい』って漢字でどう書くのか私も知らなかったので調べてみました。で、わかった事ですが、この言葉、漢字では書かないようです。

漢字で書かない言葉。漢字で書けない言葉。これって、案外大事な事かも知れません。

『うつくしい』には『美』。『つよい』には『強』。『わるい』には『悪』。『いやしい』には『卑』…などなど。
上記の形容詞は、みな大和言葉ですが、それぞれ漢字のイメージを持っております。
しかし、「わわしい」という形容詞には、漢字のイメージが存在しないのです。平仮名のイメージしかない。
ある意味では、もっとも女性的な言葉の一つと考える事も出来るのではないでしょうか。
男は漢字で、女は仮名で物事を考えるのが昔の日本人ですから(今も?)。」

「わわしい」は漢字で書かぬとは。
はからずも興味深いやりとりとなったので、ここに転載しておく。

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2005年02月05日

飛鳥山公園野外舞台に想う

陳俊宏(朧座演出部)の勧めで、先日、北区王子の飛鳥山公園を見て来た。
曰く、今申楽にうってつけの野外舞台がここにあるのだという。
行ってみて驚いた。本当にうってつけであった。
素晴らしい野外舞台である。
野外舞台と言っても、普段は完全に公園の一画と化しており、市民が靴のまま舞台上に憩っていたりする。つまり、彼らには、ここが舞台であるというような意識がないわけだ。そのように市民の目を錯覚させておいて、しかしその実、よくよく見ればここはまぎれもない舞台なのである。
そういう二面性が、先ず以って深く私の心に響いた。
人々の行き交う公共の地が、ある瞬間、俄かに劇空間としての様相を帯び始める。ああ、これは夢か、現か…と、思うや、いつしか再び劇空間はもとの公共地へと帰していた。これぞ申楽というに相応しい。
また、この飛鳥山舞台、能舞台を基調としつつも能舞台の追従に終っていない。
そもそも現行の能舞台は安土桃山以降の産物である。能・狂言が近世において武家の式楽と化するとともに、舞台もまた、全く形式的に今の様態に固定されてしまったのであった。
そういう能舞台のいずこかに、しかし今もそこはかとなく流れる「申楽心」「申楽魂」を見出し汲み取って、それを基に新たな能舞台をこしらえる。
この舞台は、実は今申楽と同様の発想の下に創られている。

ネットでざっと見渡したところ、能楽師による演能も催されているようだが、惜しい。実に惜しい。
この舞台は、能楽よりも今申楽にこそ向いている。
能楽、それを総合芸術などと人はよく言うが、実はそうではない。
総合芸なのだ。
芸と芸術は違う。本質的に違う。そこを見誤ってはならない。
芸術にナントカ流だの家元だのというものは存在しない。日本文化を見ると、おおよそ全ての分野にナントカ流だの家元だのがヤクザよろしくシマを張りめぐらしている事実が明らかであろう。そこにカタギの者の分け入る隙はない。しかし芸術というものは、息をしたり水を飲んだりするのと同じ、もともと人間に普遍の営みであって、一部の特殊階級の独占物ではないのである。 
しばしば、半可通が訳知り顔で、「とにかく古式ゆかしいもの」を正道、「なんだか新しげなもの」を邪道などと言って憚らないが、こういう人々は既に裸の目で物事を観る態度を失ってしまっているのだ。一言で言えば、老人である。そして、日本文化なるもののほとんどは、芸と老人とで成り立っている。
私は、能楽という芸の総体を原料に、今申楽という芸術を創りたい。そして、それを老人にではなく、全ての層に観て戴きたいと思っている。
Les(朧座美術部)は「能楽批判などは朧座の最終目標ではないのだからほどほどにして、新芸術の提案により力点を置いてはいかが」などと私に忠告する。言っている事は誠に正しい。しかし、香港育ちの彼には、おそらくまだ実感し切れていないところがある。
日本文化に巣食う「芸と老人」の悪習、その百鬼夜行の凄まじさがいかに若者を日本文化から遠ざけ、自由な創造的発想を日本文化から摘み取り、日本に真の芸術が芽生える事を難しくしているか、その実態を。

ようやく話題はもとに戻る。
飛鳥山公園野外舞台。ここは、芸にあらず、芸術的発想のもとに設計されている。薪能なんぞに遊ばせておくのはもったいない。
今申楽を、いつかここでやりたい。

2005年02月09日

たまには湯船につからんとなあ

私が日頃お世話になっている、さるお寺の方からお電話を頂戴した。
「朧太夫氏、疲れてるでしょう」
そうなのだ。疲れているのである。
実は今、私はさる劇団に客演を頼まれて稽古中なのだ。今月末には本番である。
稽古自体はつつがなくこなしているつもりである。別に、役作りに悩んでいるとか他の役者とうまく絡めぬとか、そういう理由で疲れているのではない。
もちろん、稽古中なのだから生みの苦しみはあれこれあるけれど、それが直接、この疲れの元となっているとは思われない。
なんともいいようのない原因不明的な疲れが溜まっていたのだ。で、これは先生(お寺の方)に一度お電話して御助言を乞おうかな、などと思っていた矢先、先生より先にお電話を頂戴してしまった形だった。
先生は関西にお住まいである(私は東京)。しかし、お話を伺えば伺うほど、先生は私の状態を正確に察知していられた。誠に、未だ科学が説明し切れぬ事柄はあまりに多いと言わねばならない。
先生から戴いたアドバイスの一つに、「よく湯船につかりなさい」というものがある。言われてみれば、私はシャワーで済ましてしまうのが常なのだった(例えばそういう日頃の習慣なども、私が言うより前に先生は先刻お見通しなのである)。
そこで、近所の温泉に出かけた。杉並区高井戸にある、美しの湯というところ。ここ、お勧めである。安くて(平日800円)綺麗で泉質良し。露天風呂もある。おまけに夜の12時までやっている。

嗚呼、たまには湯船につからんとなあ、と実感。
何か、吹っ切れた模様である。

2005年02月11日

カエルの解剖を止めさせよ!

最近、稽古の疲れやら何やらストレスが溜まって来たので、近所の居酒屋に一人で赴く。
ワインをちびちびやっていると、隣で宴会中の中年男がいきなりテーブル上で戻し始めた。
ああ、大人がこういう恥ずかしい飲み方してるから若い子に示しがつかないんだよ、こんなことなりゃ飲みになんか来るんじゃなかったかな、などと気まずい思いでグラスを傾けていると、向こうの席から「お兄さん、こっちこっち」(そんな酔っ払いの近くで飲んでないで、こっちで一緒に飲みましょうよ)と声をかけて下さる女性陣がある。最初は「どうも、御心配なく」とお断りしたが、再び隣で件の中年が戻し始めたのを見て、女性陣、「そんなとこじゃ落ち着いて飲めないでしょ。こっちで飲もうよ」と、事ここに及んでさすがに私も席を移動する気になったのだった。
女性陣は、実は看護婦さんたちなのだった。仲間の一人が、例の酔っ払いを放っておけず、看病に付き添いながら男子便所へと運び込んだ。職場でなくても、病人と見れば見過ごしには出来ない性質らしい。

さて、その酔っ払いも程なく店を去り、残りの時間は看護婦さん達と楽しく杯を交わしたのだった。
そこで彼女たちとの話題に上ったのが、「小学生の時、カエルの解剖ってあった?」というものである。
このブログをお読みの皆様はどうですか。
私の小学校では、なぜか、カエルの解剖というものがなかった。

しかし、思う。それは幸いな事であったと。
既に死んだカエルの解剖なら、まだ良い。生きているカエルを、わざわざ解剖のために殺すのだ。
考えてみれば、こんな残酷な事を多感な子供時代にやらせるというのは、悪魔の所業ではなかろうか。
実は、理科の時間ってとんでもない事をやらせているのだな…と、そんな事を考えさせられる居酒屋の一時であった。

結論。カエルの解剖を止めさせよ!

2005年02月16日

真なるホラー

ここ最近は昼から夜まで、月末の芝居の稽古である。が、今日は休み。
というわけで、例によって近所の温泉に出掛けた。
入浴の後、サウナに入る。相当長いこと頑張る。サウナを出る。入浴。再びサウナ。その繰り返し。
かなりきつい。
4回目に入った時、室内のテレビで「Jホラー」すなわちジャパニーズホラーなるものの特集番組がちょうど始まっていた。
曰く、現在、アメリカなどで「Jホラー」がブームなんだそうである。日本の恐怖文化は凄い、と、随分人気らしい。
そういえば、ロスに数年いた私の友人が、向こうには能みたいなスピリチャルなものがないから、今申楽も受けるんじゃないかなんて言っていた。相撲が向こうで人気なのも、実はそういう理由なのだとか。
しかし、翻って、最近の日本のホラー映画なんてそんなに怖いだろうか。私が観た奴などは、ちゃちなコンピューターグラフィックスで手抜きばかりしていて、それはそれはただ眠たくなるだけの代物だった。
それにだいたい、アメリカ人に日本の恐怖文化なんて果して本当に理解出来るのか。実に疑問である。
本当に怖いのだよ。その怖さがわかったら、今のような戦争も自然破壊も出来なくなるのだよ。
あなた方は、毎日、どれだけの怨霊をこの世に生み出しておられることか…
まあいいや。

で、その番組では、「Jホラー」のキーワードは「女」である、とか何とか言っていた。
まあ、確かに日本の幽霊の基本は女なのだが…
と、その辺りまでが私の限界だった。もっと見ていたかったが、もう駄目だ。観念して、サウナを出た。

実は今、私は痩せなければならないのである。だからこそ、さっきからきつい思いをしてサウナに入り浸っているのだ。
なぜって、月末の芝居の為なのだ。痩せなければ、服が着られないのである。…女物ゆえ…

これぞ、真なるホラー?

2005年02月19日

強きにへつらい、弱きを苛む

来春、国立能楽堂委託作品として、美内すずえ氏の漫画『ガラスの仮面』を原作とする新作能『紅天女』なる作品が上演されるらしい。

マンガが原作か…私個人はあんまり観たいとは思わない。つまらなさそう。
(というと誤解を招くであろうから付言しておく。私も人並以上にマンガを愛でる一員である)
しかし、世の美内ファンが国立能楽堂に殺到し、その中から新たな能の観客もいくばくかは育つであろう。そう祈れば、この企画あながち無意味とも言い切れぬ。

しかしそれにつけても不思議でならぬのは、こういう企画をなぜ能楽界が潰しにかからぬのか、という事である。
朧座という、昨年生まれたばかりの弱小無名劇団については、たった一度の公演を行っただけで即座に悪意ある魔手を伸ばして来たくせに。
国立や名家というお上には追従する一方で、無力な者にはとことん陰湿な嫌がらせを加える。
強きにへつらい、弱きを苛む。卑劣な体質と言わざるを得ない。

能面の写真集を観ていると、よくわかる。
室町期の能面は、並々ならぬ創意と工夫、芸術性に溢れている。
江戸期の、ただ昔の能面を模倣しただけのものとは比べ物にならない。
この、室町期のような芸術性を今日の能楽界が取り戻す為には、相当ハードな体質改善が必要であろう。一見、絶望的とも思えるが、しかしこの世の中、何が起こるかわからない。

ともかく、ここに一座、ある種の人々の目から見れば誠に危険な集団が存するという事、これだけは何人たりとも否定のしようがない。
私一人ならヒットマンを雇って闇に葬るという手段も可能であろうが、既に朧座は朧太夫一人のものではないのであるから。

体質の上に胡坐をかいて、下々をお見下しの諸先生方。
先だって当座に賜った仕打ちは忘れぬ。この先、よくよく御用心あらん事を。

2005年02月20日

『泰山木』の秘密

世阿弥は忍者のような存在だったのではないか、と説く人もある。真偽の程はわからない。
が、もし仮にそのような存在だったとすれば、彼の最大の忍術、それは能という壮大な幻を操って今日なお人々の心を惑わし続けているところにあるのかも知れない。

『泰山木』という、世阿弥が書いた能がある。泰山木とは桜の事。その題名の通り、満開の桜を愛で、しかしやがてそれは散り行く事を惜しむ心を主題とする曲である。
大阪大学教授天野文雄氏は、本曲の主題を「花への愛惜」と明確に定義付けた後、さらに本曲の制作動機にまで踏み込んで次のように推測しておられる。すなわち、「花への愛惜」なる主題には、ある寓意(比喩)が込められているのではないか。それは、庇護者である将軍・足利義持の重病とその回復に対する祝意であったのではなかろうか、と(「《泰山木》の主題と趣向──世阿弥の『作意』を考える──」財団法人観世文庫設立十周年記念能当日パンフレット所収)。

制作動機に関する氏の推測は大変興味深い。が、私の推測は氏とは異なる。
私の推測、それは、義持以上の大庇護者大恩人であった義持の父義満、その皇位簒奪(天皇家乗っ取り)計画を密かに謳歌せんとするものではなかったか、というものである。将軍である限り、花はいつか散る。しかし、その将軍が万世一系の地位を得た時、春は悠久の季となる。泰山木よ永遠たれ…そのような賛美が世阿弥の本意であったかどうかはともかく。

果して義満の計画は、その急死によって未遂に終わった。
あとにはただ、世阿弥が彼の計画を美で彩る為にこしらえた壮大な幻だけが空しくとり残されて今日に至っている。

そういう事なのかも知れない。

「ラクァイ」とか「江原」とか

先日、知人が主宰する劇団の本番があり、お手伝いがてら拝見してきた。
実はその芝居は再演であって、二年ちょっと前の初演には私も出演していたのである。
私が演じた役の名は「ラクァイ」という。

初演には自分が出ていた、それを他の俳優が再演するのを客席から観る。
こういう経験は初めてではないが、やはりドキドキするものである。
再演する方を素直に応援したい気持ちと、そう簡単に負けてたまるかという初演者のつまらぬ意地と…

帰り道、色々と初演時の記憶が蘇ってきた。
そして、ラクァイの悔しさを思い出した。ラクァイというのはこの二十年間、悔しさだけで地下の暗闇の中を生きながらえてきた人物なのである。二十年前、ある拳法の使い手に敗れた、それがもう悔しくて悔しくて、その悔しさ、せめて奴よりも強い弟子を育てて奴を見返してやりたいというその一念だけが、幽鬼の如く残存して今も地の底を這いずり回っている、そういう役どころなのだ。
思い出すうち、歩きながら手に持った空のペットボトルをグシャグシャに握り潰し、あまつさえ不覚にも落涙して、ああ、私の中にはまだラクァイが生きているのだなあ、と思った。

さて、話は変わって、今日も稽古であった。今週末には本番である。
今日の稽古は、私としては非常に意義あるものだった。私の役は「江原」というのだが、今日二回目の通し稽古の最中、一瞬、私は「江原」になれた気がする。
俳優としては、ああいう感覚の裡に、常に在りたいと願うばかりだが…
終わって演出家に「江原、その感じで」と言われた時はほっと胸を撫で下ろしたのだった。

本番に向けて、ますます「江原」になりたいものである。

2005年02月21日

ロマンじゃなくて、ビジョンだね

笛麿(朧座制作部)と久方ぶりの長電話。議題は朧座第二回公演について。
彼は第一回公演の時、いくつかの極めて重要な提言を発する他は、ただひたすら静観を貫いた。私がどこまで本気なのか、今申楽とやらに将来性はあるのか、しかと見届けた上でこの座組に加わるべきかどうかを判断しようという腹なのだった。
我々第一回公演メンバーは、あたかも釈迦の掌中で力む孫悟空さながら、徹頭徹尾、笛麿の瞰視下にあってもがき苦しんでいたわけだ。
嫌な奴である。そう、制作者たる者、このくらいの腹黒さがなくては困るのだ。
そして、この腹黒いお釈迦様は、第一回公演を客席で二度観た上で、結論を下したのである。
二回目以降の制作総指揮は余が執り行う、と。

さて、議題も一通り出尽くしたところで、ふと私はこんな事を言ってみた。
「朧座衆にはロマンが必要だと思うんだけど」
笛麿の返しはこうである。
「違うね。ロマンじゃなくて、ビジョンだね」
参りました。ま、性格の差というものを如実に物語る会話ではある。

というわけで、朧座第二回公演からは、本格的にアートマネージメントの手が入る事となる。
第一回公演の時は、そんなものはなかった。ともかく第一歩を踏み出す事に意義があった。
しかし、きちんとした制作が入ってこそ真の公演である。そういう意味では、第二回こそが朧座の真なる誕生という事になろう。
御期待戴きたい。

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