近頃、腰が痛くて仕方がない。パソコンか寝るかという生活だったから、運動不足なのだろう。
風邪も少し治まってきたので、今日は久方ぶりにジョギングと水泳に繰り出す。
で、ジョギングの最中、初めて近所の荻窪八幡及び井草八幡に立ち寄り参拝。
二つともすごく良い神社でビックリさせられた。境内には、実に清浄な空気が漲っている。
おまけに双方とも、誠に立派な神楽殿を有していた。井草の方では、某流若手能楽師たちが、西荻薪能と銘打って町ぐるみで能を催しているらしい。結構な事である。
近所の天沼八幡と併せて、これからは荻窪三八幡として、朧座の武運長久を念ずる事としよう。
神社で思い出した話を二つ。
一つ目。漫画家・水木しげる氏の自伝漫画や自伝小説に、必ず「のんのんばあ」なるユニークなキャラクターが登場するのを御存知だろうか。この「のんのんばあ」は、水木氏の故郷・鳥取県境港に実在(?)していた人物(妖怪ではない)。職業は「拝み屋」で、神といわず仏といわず、とにかく片っ端から拝み倒すという信仰心の持ち主。氏は少年時代、この「のんのんばあ」から、様々な事を教わったのだった。「目に見えるモノが全てではない。目には見えないけれど、確かに、いる。そんなモノたちだって大勢いるのだ」という氏の人生哲理は、実にこの「のんのんばあ」によって、育まれたのである。
何でも拝む。とにかく、先ずは相手に敬意を表して一礼を手向ける。美しい態度というべきであろう。
人類は今世紀に入ってなお、相互の殺戮に余念なき日々、要するにサルの共食いを何ら笑う資格のない生活を送っている訳だが、ここらで一度、我々は「のんのんばあ」が説諭するところの本当の意味を顧みるべきではなかろうか。
いつまでも福澤諭吉なんかを一万円札に載せている場合ではない。
二つ目。首相の靖国神社参拝問題について。
もとより天下国家を論ずる力はないが、それにしても以前から疑問に思っていた事がある。いずれ誰かが言い出すだろうと思っていたが、どうやらそんな気配もない。仕方がないので、恐る恐る書いてみる。
首相は、靖国より前に、伊勢参拝をこそ優先すべきだ。
靖国は、我が国の歴史において、生まれて間もない神社である。まだ首の据わらぬ赤ん坊のようなものである。そんな所に額づいて要らぬ物議を醸すより前に、先ず詣でるべき国があろう。
もしも、伊勢をもってしてもまだまだ新しい、背骨が足りぬという事であれば、これはもう南は日向国、宮崎神宮だの鵜戸神宮だの、高天原だのといった辺りまで飛ぶしかない。
が、これは少々高度な提案。先ずは伊勢参拝を重視して戴きたい。
誤解されると困るが、私は街宣車で軍歌を歌うような趣味はないので、御安心を…
プールで泳いだ後、コンビニにて立ち読み、思わぬ記事を発見。
『週刊朝日』にて、天下の碩学大野晋氏が、ホリエモンこと堀江貴文氏の日本語能力に85点という高得点をつけている。大野氏と言えば、国語学最高権威の座にありながら、日本語の起源は南インドのタミル語にあり、という衝撃的新説を打ち出し、長らく学会に無視されてきた経緯がある。ホリエモンの逆境には、少なからず共感するところがあるらしい。ほのぼのと、ホリエモンに評価と忠告を寄せておられる、その口振りが好ましい。この度の氏の論旨には必ずしも全面的賛成というわけではないけれど、それでも氏の人柄には改めて心引かれてしまうのであった。
私は、かつて氏の著書から、日本と日本語を考える上で、本居宣長という人物がいかに偉大であるかを教わった。そして、いつか宣長を主人公とした歴史小説を書いてみたいと思ったのだった。(実は今でも思っている。見果てぬ夢である)
という訳で、今日はなんだか神道尽くしの雑文集となってしまった。