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2005年03月 アーカイブ

2005年03月03日

酒臭くない座を目指して

今宵もほろ酔い加減である。
お酒って美味しいですねえ。ああ、コリャコリャ。
昼間、陳俊宏(朧座演出部)・川野誠一(朧座演技部)と今後の朧座をめぐって作戦タイム。何時間あっても議題が絶えない。
鼎談の愉悦忘れ難く、両人と別れた後、独り行きつけの居酒屋へ。

友人の看護婦M氏より「酒は一合までなら健康に良いらしい、が」と釘を刺されているにも関わらず、そんなもので足りるはずもなく、ついつい二合頼んでしまう。
それにしても、昔に比べて私は酒に弱くなった。
若かりし頃、私はなかなか酒に芯から酔うという事が出来ず、「どうして俺は酔えないんだろう」などと阿呆な愚痴を発しながら知り合いの店を片っ端から飲み歩いていた。ところが、最近はすぐにほろ酔い加減になってしまう。
年をとったという事であろう。

こうなると、あまり人前では飲みたくない。
これからは、飲む時は独りで飲むとしよう。かな。
(禁酒も検討したのだが、ちと無理っぽいので)

それにしても、陳といい川野さんといい、全く飲まない。
加えて笛麿(朧座制作部)が、これまた全然飲まない。否、奴は勤め先で散々鍛えられて昔に比べれば少しは強くなったらしいが(昔は一口飲んだだけで茹蛸のようになって卒倒していた)、今でも好んで飲むというわけではない。
従って、朧座の話し合いには居酒屋よりも喫茶店とかレストランの方が向いている、という事になる。
ヘベレケになるまで飲むのは朧太夫に空也坊(朧座第一回公演演出・声の出演)である。要はこの二人が自制すれば済むのだ。

酒臭くない座を目指して、私こと朧太夫、今後は独りでコソコソ飲む事と致します。

エールに深謝

インターネットマガジン『Nature Net』のリンク集「naturelinks」より、当サイトを推薦戴いた。
今月は能楽関連サイトが特集されており、「社団法人 能楽協会」やら「観世文庫」やら「お豆腐狂言 茂山千五郎家」やらに混じって我が朧座の名が…
イモリの群れに迷い込んだヤモリみたいな、なんか不思議な気分であります。

「表現者たちの苦労にエールを送りたくなる内容です。」とのお言葉が大変嬉しかった。
御紹介戴き有難う御座います。

2005年03月06日

佐久間二郎氏の能楽入門講座

佐久間二郎氏による能楽入門講座が、今月19日(土)、東京都内において開催される。氏は、長らく山梨県内を中心に能の普及に努めて来られた能楽師(観世流シテ方)。今回は、初の東京講座との事である。パンフレットを見ると、能の歴史や表現の解説・謡曲仕舞の実演・面装束の解説・能の鑑賞法伝授と、盛り沢山。この内容で1500円は破格と言えよう。私は以前から、能の普及に賭する氏の情熱に敬意を覚えてきた。今後はようやく東京でも氏の講義に触れる事が出来そうである。

氏の講座が、東京においても良き能楽入門の場とならん事、心より期待したい。
また、能に興味はあるものの今まできっかけがなかったという方々には、かかる好機をお見逃しなきよう是非お薦め申し上げる次第である。

驚くなかれ。日本には、こんなに素晴らしいものが、あったのだ。

2005年03月09日

アンテナを張り巡らせよう

朧座衆に一斉告知。各々、世の中にアンテナを張り巡らして戴きたい。
先日も陳俊宏(朧座演出部)が思い付いたように「朧座公演に飛鳥山公園の野外舞台はどうだ」と言ってきた。行ってみると、なるほど、実に魅力的な舞台である。なんでこんな場所を知っているのか、聞けば陳の通っていた大学がこの近くにあり、演劇の稽古に使っていたのだと言う。全く物知りな男である。
笛麿(朧座制作部)は、実のところ普段は某一流企業に勤務するサラリーマンである。朝は、電車の中で日経新聞を欠かさず精読、株だの為替だの一通り把握に努めねば気が済まない。で、目に止まった文化芸能系の情報はすかさず携帯電話からメールを送ってくる。この日は都庁前で薪能があるよ、この日はテレビで邦楽関係の特番があるよ、などなど。廣田さん(朧座制作部)も、事毎に京都から重要な情報を寄せて下さる。第一回公演時、物語の舞台となる逢坂の関に程近く、しかも料金手頃な合宿先を求めていた折に、数ある京都大津の宿の中からどんぴしゃりの宿坊を探し当てて下さったのも廣田さんであった。インターネットの出現によって、今や都会も地方もなくなった事が痛感される。

いかな情報社会とは言え、詰まるところ氾濫する情報をいかにキャッチするかが肝要である。
先日も、川野さん(朧座演技部)が思わぬ情報を私にもたらして下さった。ちょっとここに書く訳には行かないのだが…(いつか書ける日が来るとは思うが、今はちょっと)

とにかく、私一人の力ではとても収拾しきれない情報が、座衆のアンテナを借りる事で何十倍何百倍と広がるのである。
どんな些細な事でも良い。一見、朧座とは直接は無関係のように見えても良い。
「あ、これは太夫に知らせといた方が良いかも…」
ピンと来た時はすぐに一報をお願いしたい。時候の挨拶などは一切省いて戴いて構わないので。

お宝は、どこかに眠っているのである。

2005年03月16日

湯島の梅

二日ほど前から、花粉症と風邪とをいっぺんにこじらす。
この間、ほとんど家を出ず。ひたすら床に就く。
今日は、体調が多少回復してきたので、心に栄養を摂取せんと、湯島天神へと赴く。
ここは、いまどき珍しい都会のオアシスである。梅の季節には、大抵ここへ来てしまう。

腰折れ一首。
東風吹けば今も匂へる梅の花 あるじの声を忘れざるめり

湯島の梅は、まもなく見納めである。

2005年03月20日

早ク仕上ゲヨ

先日、朧座初の企画会議を開催。一部は公共施設の会議室にて。テーブルをロの字形に並べて、朧座の来し方行く末をとことん語り合う。二部は近くの中華料理屋の二階を借り切って。円卓を囲んで賑々しく。
気付いてくれた座衆もいるかも知れないが、私はとにかく今回の会合、座衆皆が円となって座して語らうというスタイルにこだわりたかった。そのスタイルが実現しやすい会場を、実は厳選したつもりであった。結果、その意図は功を奏したと私は思っている。ピラミッド型にはない、サークル型の良さがそこには確かにあったと思う。
あれこそが、「座」であると、私は信じるのだ。

楽しく、実り多き一時であった。

さて、実はこの会合の数時間前、朧座次回作の台本を、一応最後まで書き通してみたのだった。と言っても、まだまだ叩き台の段階に過ぎないのだが。しかし、今後は当面の間ともかくこれを叩いて行くのだと思えるものが、手元にあるとないとで大違いである。
私が、次回はこの題材で行きたいと決めてから、早九箇月になりなんとしている。
この間、誠に悶々たるものがあった。むろん、その悶々はこれからますます続いて行くわけであるが。

私の家の近所の、とある神社へとおもむいた。
「本アル限リ、憂フベカラズ」(台本が手元にある限り、余計な心配は要らぬ)
と、かつて私の心に一文のメッセージを送って下さった、霊験あらたかな神社である。
「おかげさまで、とりあえず叩き台が書き上がりました。有難う御座います」そう、念じつつ。
二礼、二拍手、一礼…
と、最後の一礼を終え切るより前に、またしても短いメッセージが私の心に届いたのであった。
否。今回は届くというより、飛んできたという感じだった。

「早ク仕上ゲヨ」

2005年03月22日

我々は観客に「服役」を強いている

先日、何気なくテレビをつけていたら、某局バラエティー番組にて、島田紳助・ビートたけし・所ジョージの三氏が舌戦を繰り広げていた。
いやはや、死ぬほど面白かった。テレビで本気になって笑わせてもらったのは何年ぶりであろうか。

昨今、テレビの質は著しく低下している。とは言え、いざこうして実力派の面々が火花を散らせば、我々は相変わらずブラウン管の前に気楽に寝っ転がりながら、しかも一銭も払わずに、高度な娯楽を享受する事が出来るのだ。

我々舞台表現に生きる者は、観客に対し、チケットの予約、劇場までの往復、木戸銭の支払、上演時間中の被拘束と、日頃様々の「服役」を強いている。これを単なる服役から、そこまでして劇場に足を運ぶ喜びへと転化する事は、そうそうたやすい事ではあるまい。

今の時代、よほど用心してかからねば、巷に氾濫する娯楽に我々が打ち勝つ事は難しい。

2005年03月24日

神道尽くし

近頃、腰が痛くて仕方がない。パソコンか寝るかという生活だったから、運動不足なのだろう。
風邪も少し治まってきたので、今日は久方ぶりにジョギングと水泳に繰り出す。
で、ジョギングの最中、初めて近所の荻窪八幡及び井草八幡に立ち寄り参拝。
二つともすごく良い神社でビックリさせられた。境内には、実に清浄な空気が漲っている。
おまけに双方とも、誠に立派な神楽殿を有していた。井草の方では、某流若手能楽師たちが、西荻薪能と銘打って町ぐるみで能を催しているらしい。結構な事である。
近所の天沼八幡と併せて、これからは荻窪三八幡として、朧座の武運長久を念ずる事としよう。

神社で思い出した話を二つ。

一つ目。漫画家・水木しげる氏の自伝漫画や自伝小説に、必ず「のんのんばあ」なるユニークなキャラクターが登場するのを御存知だろうか。この「のんのんばあ」は、水木氏の故郷・鳥取県境港に実在(?)していた人物(妖怪ではない)。職業は「拝み屋」で、神といわず仏といわず、とにかく片っ端から拝み倒すという信仰心の持ち主。氏は少年時代、この「のんのんばあ」から、様々な事を教わったのだった。「目に見えるモノが全てではない。目には見えないけれど、確かに、いる。そんなモノたちだって大勢いるのだ」という氏の人生哲理は、実にこの「のんのんばあ」によって、育まれたのである。
何でも拝む。とにかく、先ずは相手に敬意を表して一礼を手向ける。美しい態度というべきであろう。
人類は今世紀に入ってなお、相互の殺戮に余念なき日々、要するにサルの共食いを何ら笑う資格のない生活を送っている訳だが、ここらで一度、我々は「のんのんばあ」が説諭するところの本当の意味を顧みるべきではなかろうか。
いつまでも福澤諭吉なんかを一万円札に載せている場合ではない。

二つ目。首相の靖国神社参拝問題について。
もとより天下国家を論ずる力はないが、それにしても以前から疑問に思っていた事がある。いずれ誰かが言い出すだろうと思っていたが、どうやらそんな気配もない。仕方がないので、恐る恐る書いてみる。
首相は、靖国より前に、伊勢参拝をこそ優先すべきだ。
靖国は、我が国の歴史において、生まれて間もない神社である。まだ首の据わらぬ赤ん坊のようなものである。そんな所に額づいて要らぬ物議を醸すより前に、先ず詣でるべき国があろう。
もしも、伊勢をもってしてもまだまだ新しい、背骨が足りぬという事であれば、これはもう南は日向国、宮崎神宮だの鵜戸神宮だの、高天原だのといった辺りまで飛ぶしかない。
が、これは少々高度な提案。先ずは伊勢参拝を重視して戴きたい。
誤解されると困るが、私は街宣車で軍歌を歌うような趣味はないので、御安心を…

プールで泳いだ後、コンビニにて立ち読み、思わぬ記事を発見。
『週刊朝日』にて、天下の碩学大野晋氏が、ホリエモンこと堀江貴文氏の日本語能力に85点という高得点をつけている。大野氏と言えば、国語学最高権威の座にありながら、日本語の起源は南インドのタミル語にあり、という衝撃的新説を打ち出し、長らく学会に無視されてきた経緯がある。ホリエモンの逆境には、少なからず共感するところがあるらしい。ほのぼのと、ホリエモンに評価と忠告を寄せておられる、その口振りが好ましい。この度の氏の論旨には必ずしも全面的賛成というわけではないけれど、それでも氏の人柄には改めて心引かれてしまうのであった。
私は、かつて氏の著書から、日本と日本語を考える上で、本居宣長という人物がいかに偉大であるかを教わった。そして、いつか宣長を主人公とした歴史小説を書いてみたいと思ったのだった。(実は今でも思っている。見果てぬ夢である)

という訳で、今日はなんだか神道尽くしの雑文集となってしまった。

2005年03月26日

虫の知らせ

某チェーン店で夕食をとる。もうすぐ平らげようというところで、お椀の底に、小さな羽虫が一匹、入り込んでいるのを発見。可愛そうに、ご飯に押し潰されてそれこそ虫の息であった。
まあ、不注意と言えば、もちろん完全に店の不注意である。
だが、しかし、入っちゃう時は入っちゃうものなのだ。私も昔、こういう店でアルバイトしていたから、おおよそ察しはつく。
何も言わずに出て行こうかとも思ったが(食券制だから代金は支払済)、それでは世の中の為にならぬと考え直し、従業員を呼んで事態を説明した。従業員は丁寧に謝った上、すぐに電話で店長を呼び出した。この店長が、これまた丁寧な人で、ただもうひたすら平謝りを繰り返す。で、どうか作り直させて下さいと言うのだ。私は、もうお腹一杯なので(何しろほとんど平らげようという時に現れたのだ)結構ですよと断った。が、店長は引き下がらず、さぞや気を悪くされたに違いない、このままでは私どもとしても申し訳が立たぬと恐縮一辺倒である。そこまで言うなら…私は店長にこう言ったのである。
「じゃあ、このご飯代だけ、良いですか(サイドメニューも頼んでいたが、全額返済には及ばないので)」
「はぁ…誠に申し訳ございません!」店長は深々と最敬礼して、店長室へと消えて行った。
そして、消えて行ったきり、出てこないのである。
そんなことだろうとは思っていたが、一応、待った。しかし、二度と再び出てくる気配はなかったので、私は店を後にした。

あの店長は、悪い人間ではない。ただ、真面目過ぎるのだ。
ただもうひたすら謝り倒して、相手の言葉を聞き取るだけの冷静さを失っているのだ。もっと言えば、彼は、ある種の「ずるさ」に欠けているのである。
どんなに正気を失うような大失敗をしでかしても、正気を失ってはならない。さもなくば、この店長のように、知らぬ間にさらなる大々失敗を重ねる破目に陥るからである。

これは、けだし、外食などなるだけ控えて、今少し自炊をせよと、それこそ虫が知らせたのであろうか…
結局、客にそんな風に思わせてしまう。真面目なだけに、もったいない事である。

2005年03月28日

三つの反省

先日、私を含めた座衆4名で会食。
話題は朧座前回公演の総合得点論へ。来るべき今申楽の理想像を100点とすると…

笛麿「30点」朧太夫「いや、25点だろう」空也坊「いやいや、10点かも知れない」

結局、まあ0点ではなかったよな、というところで4名の一致を見る。
お足をお運び下さったお客様には面目次第もなき限り。
当時は、あれが精一杯だった。得られた三つの反省を生かし、次回は必ずより良いものを。

「現代演劇ではなく、申楽なのだ」
「能楽ではなく、申楽なのだ」
「キャスティングで、ほぼ決まる」

2005年03月29日

劇作家風に

最近、やたらに顔がかぶれるのである。
第一のピークは、先日の朧座企画会議の直前くらいであった。
今、第二のピークが来ている。

いやしくも俳優たる者の顔が、こんな具合では誠に宜しくない。
医者からは、既に第一ピーク時に軟膏をもらっているのだが、副腎皮質ホルモンが入っているのであんまり使いたくないのである(副腎皮質ホルモンの使い過ぎは肌に有害とされるため)。特に、今のようにあちこち炎症を起こしているような状態では。

確かに、もともとアレルギーの気味はあるのだけれど、しかしここ最近は、さほどの発作的症状はなかった。偏食もしていない、睡眠や運動がとりたてて足らぬというわけでもない(殊に第一ピーク沈静化以降は、肌を慮って、健康には留意しているつもり)…

けだし、昨今の気候の故か、さてまた、台本執筆のストレスのなせる業か。
いや、何かおかしい。そんな気もする。

台本に、思うところあっていささか手を加えた後、近所の温泉に出かけた。
ますますかぶれる、というような事がなければ良いと思っていたが、帰宅して様子をうかがうに、どうもそれはなさそうな気配。

早いところ、「叩き台」ではなく一応「第一稿」と呼べるものを書き終えたいのだが。
画竜点睛中。たぶん。
と、そんな事を思いつつ、鏡を見ながら、小難しげな表情にせっせとオロナインを摺り込んで行くのであった。

今日はちょっと劇作家風に書いてみた。なんだかお恥ずかしいけれど。

2005年03月30日

社会と芸術の幸福な出会い

昨日は大学を二軒ハシゴする。
昼は駒澤大学図書館へ。大学の図書館なる場所にマジメな目的で入るのは高校以来である(大学時代何やってたんだって話だが)。台本を書く為の調べものなのだ。伊豆・修禅寺蔵のさる資料の内容が知りたいので、寺に直接電話したところ、駒澤の図書館なら、あるいは置いてあるかも知れぬとの事だったので、こうして足を運んだというわけなのである。果して、御教示通り、目的の資料は地下の閉架式書庫に眠っていた!ついに御対面。感動ひとしお。
夜は東京大学工学部へ。建築家・渡辺治氏の講義を傍聴せんがため。氏は、長らく川崎で市民と芸術の橋渡し活動を行っており、その活動報告が主な内容である。氏の活動の一つ、「川崎ミステリーツアー」の様子も映像で紹介された。わけても不法占拠区の映像は衝撃的だった。『帰ってきたウルトラマン』第33話『怪獣使いと少年』(上原正三脚本・東條昭平監督)を思い出す。
ともあれ、講義全体を通じて改めて、現代日本における社会と芸術の幸福な出会いについて考えさせられるのだった。

2005年03月31日

遠隔会議

スカイプ(無料インターネット電話)とウェブカメラの併用で、朧座の地方勢・海外勢の何人かと実験的に遠隔会議してみる。スカイプだけでもタダで通話ができる(しかも音がまた良い)わけで、これだけでも十分に革命的であるが、これにウェブカメラが加わると、もはやかつてのSFの世界である。バーチャルリアリティもここに極まった感がある。
これからますます、朧座の遠隔地メンバーと仕事がはかどるようになる。誠にめでたい。
そして、こんな時代だからこそ逆に、いよいよ本格的に「リアル」の真価が問われ始めるであろう。

ともあれ、遠隔会議でまず言われた事、それは「台本見せて」だった。
本日、今申楽朧座次回予定作、第一稿脱稿予定。

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