« 2005年04月 | メイン | 2005年06月 »

2005年05月 アーカイブ

2005年05月06日

「能楽」ではなく「申楽」を

当サイトのコンテンツのうち、「今申楽 朧座とは」にいささかの加筆修正を行った。
要点を言えば、以前の文章から「能楽」色を消し、「申楽」色を前面に打ち出したという事である。

我々は、「能楽」ではなく、「申楽」を創って行かなければならない。

2005年05月12日

様式に精神は宿らない

能楽研究家の増田正造氏は、次のように述べている。
「下手な能はどうか。私にはこれがおもしろい。世阿弥用語でいう、われわれ『愚かなる目』の種族にも、文字盤が透き通っているある種の時計のように、能のからくりが見えるからである。」(『能をたのしむ』平凡社)
また、同じく能楽研究家の松岡心平氏は、次のようにも述べている。
「今の新作は、まだ、既存の能の形に当てはめただけだったり、崩したものを手探りで組み立て直しているという段階に留まっています。もっと根本的な能の組み換えがなされて初めて、能は大きく前へ進むのでしょう。」(『梅若六郎 能の新世紀 古典〜新作まで』小学館)

これらの人々は、未だに心のどこかで淡い期待を描いているものと、私の目には映ずる。
能は、やはり芸術であって欲しいという期待を。
彼らは、様式それ自体に能の本質を見出してはいないと思う。
「既存の型」にがんじがらめに縛られた(その最も象徴的なものは、役者の顔にピタリと張り付いた能面だろう)、その網の目のさなかに役者の「生」が垣間見えた時、能は初めて芸術たり得るのである。それを、結局彼ら信頼に足る能楽研究家は説いているのだと私は思う。

様式に精神は宿らない。そう、ある朧座衆は言った。全く、その通りである。

後輩Tの死相

先日、放送作家のW君と、とある居酒屋に飲みに行った時の事だ。
向こうの席で、会社員連中と思しい集団が飲み会をやっている。
ふと見ると、その飲み会の幹事と思しい男の顔に見覚えがある。
ああ、こいつは学生時代、同じ学科の後輩だったTではないか。
明るい性格で、人気者であった。威勢が良く、女性にもかなりもてるタイプであった。
なるほど、そのキャラクターは就職後も健在と見える。しかし、何年ぶりであろう。
あとで、奴に一声かけよう、などと思いながらW君と飲んでいた。

と、そのうち、私は思わぬ事に気が付いた。
Tが泥酔し始めたのである。
壁にもたれかかって前後不覚の体、そうかと思うと今度はトイレに長時間籠もって出て来ない。他の同僚達が心配している。
否、正直に言えば、心配しつつも、半ば敬遠しているかのようでもあった。
そりゃ、あんなガキみたいな飲み方をしていれば、敬遠されて当然である。

見ているこちらまで、ちょっと心配になってきてしまった。
「おい、T、お前飲み過ぎだぞ」と言ってやろうかと思っていた矢先、Tがトイレから出てきた。
そして、偶然フラフラと、私の席の近くまでやって来た。そして、正面から私の顔を見据えた。
何しろ泥酔しているから、私の顔を思い出す余裕などはない。
しかし、少しだけ、不思議そうな気配も感じられた。「どこかで見た顔…」と、最後に残った一抹の理性が訴えたのかも知れない。
が、そこまでであった。Tは宴会の終わった同僚達に抱えられて店を出て行った。

私は、Tに見据えられた時、「おい、T」と声をかけようと思った。
しかし、かけられなかった。あの泥酔ぶりでは、声をかけてもまともに応答など出来ないであろうという気持ちが働いたからだ。
あと、もう一つ。
間近に見てようやくわかったことだが、Tの顔は、完全に生気を失っていた。
あれは、ただの飲み過ぎでそうなったというような表情ではない。
一種の死相である。おそらく、今の生活に生きる喜びを見出してはいないのだろう。
学生時代、この男に漲っていた覇気は、もはや片鱗もうかがえない。
この数年、この男の辿った道がおおよそ看取されてしまう、可愛そうだがそんな顔であった。
そんなTの変貌ぶりに、私は思わず口をつぐまされたのである。

Tが心配である。元気になって欲しい。

2005年05月16日

怒り

先日、作曲家のO氏から戴いた言葉。

「自由なよそ者の私達はいずれにせよ、いつか独り立ちせねばならないのだという事ですよね。きっと。」

はい。そういうことだと思います。
岡本太郎氏の言葉(『今日の芸術』光文社)を借りて言えば「まったく縁もゆかりもない、一筆だって協力したわけでもない古典の名作を自分の権利のようにして言いがかりをつける」「他人のフンドシで相撲をとる根性」の世界の人々に、新作の苦しみがわかってたまりますか。

私は、「今」というものに、責任をもって対峙して行きたいと思う。「今」を生きる一員として。

「休ミツツ 前ヘ進メ」

先日、四谷の天窓comfortにライブを聴きに行った帰り、その近くのたいやき屋(わかば)でたいやきを食す。こじんまりとした店の前には、相変わらず行列が出来ている。良いなあ、こういう商い。見習いたい。
さて、風邪気味で頭が鈍っているのであろう、風邪薬をcomfortに置き忘れて来てしまった。後日、取りに行く。今度は、その近くのうどん屋(のらや)で釜揚げうどんを食す。ここに入るのは初めて。味も美味かった、が、とにかく店の内装が凄かった。素晴らしい。こういう小屋が欲しいなあ。

さて、風邪で体調が優れない。珍しく、声が出なくなってしまった。
声が出ないと、なんだか気まで滅入って来る。
邪気を祓わんと、いつものように近所の神社にお参り。二礼、二拍手、一礼、そしていつもの「朧太夫祝詞」を心内で唱える。朧座武運長久、朧座衆武運長久、朧太夫武運長久、今申楽武運長久…
と、その瞬間、例によって神木の葉がざわめき、一文のメッセ−ジが心に届いた。

「休ミツツ 前ヘ進メ」

2005年05月23日

クオリティーの高い夢

先日以来こじらせていた風邪が、ようやく治ってきた。
この間、医者からもらった風邪薬を飲み続けていたのだが、この薬、医者によれば「人によっては多少眠くなるかも知れません」との事。で、私の場合、これがもろに眠くなるのであった。

ある日、例によって服用後猛烈に睡魔に襲われ、倒れるようにして寝入った折に観た夢の内容。
どういう訳か、とある知人を刺し殺し、血塗れの庖丁を握ったまま意識朦朧と街を彷徨っているところ、それを見かけた通行人が警察に「おまわりさん、あの人、血塗れの庖丁持ち歩いてます」と知らせてその場で御用と相成る。ああ、これで朧座も終わりだ、家族も破滅だ、などと今更のように思っているところ、不意に目が覚めるというもの。
あまりのリアルさに、もう体中グッタリとなっている。「とある知人」を刺し殺す理由などは全くないのであって、そこは現実からかけ離れている(しかし潜在的には殺意がたまっているのか?)のだが、ここで言うリアルというのはそういう事ではない。訳もわからず相手をメッタ刺しにしている時のテンションの高さだとか、その後彷徨い歩く街の景色だとか、「おまわりさん、あの人…」と向こうの方で小さく聞こえる声の感じだとか、それを聞きつけてやって来る警官の表情だとか、それを見て私が心に思い浮かべる内容だとか、つまり「発作的殺人から逮捕に至るまでの一連の心象」が、物凄くリアルに描かれているのである。
緻密で、クオリティーが高いのである。

私は、たまにこういう、いささかアブナイ夢を観てしまう。こんな事なら寝なきゃ良かったと真面目に思う。
これを読んだ皆さん、どうか私を避けないで下さいね。

2005年05月27日

朧座衆募集のお知らせ

この度、私ども今申楽 朧座は、今後の公演活動に向けて新たな人材を募集する事と致しました。
詳しくは、朧座衆 募集要項を御覧下さい。

申楽という言葉は、平安時代からありました(もっとも、当初は「猿楽」という表記が使われていました。「猿」の字を嫌った後世の役者達が、「申」の字を用い始めたようです)。
本質的には、寺や神社の境内などで、演者・見者が一体となり、神仏に感謝の意を込めて奉納する芸能であったろうと思われます。
その本質は、しかしいつしか、「申楽」という名と共に忘れ去られて行きました。
そして今、現代に生きる私達は、現代に生きる申楽を創造したいと考えています。
「今申楽」──今の世に相応しい申楽を再興したい、と。

その為には、「今申楽」を共に創って行ける同志の存在が、どうしても必要です。

今申楽の三文字を見て、何かを感じた方。
我、朧座衆たらんと思う方。
この先の道のりを、共に歩んでみませんか?

経験不問。今申楽 朧座一同、たくさんの御応募をお待ち致しております。

About 2005年05月

2005年05月にブログ「日々朧々」に投稿されたすべてのエントリーです。新しい順に並んでいます。

前のアーカイブは2005年04月です。

次のアーカイブは2005年06月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type