良いものを創るという事・作品は全体で一個であるという事
以前舞台で御一緒した俳優・金澤眞氏の勧めで、氏が御出演の映画『オトコタチノ狂』(ジョイ・イシイ氏原案・脚本・監督)をシネアートン下北沢に観に行った。好評につき、再上映が決まった作品なのだという(以前の上映時は、仕事で観に行けなかった)。
観て、思った。これは間違いなく名作である。映画館が、とてもこれはインディーズの枠に収まるようなものではないと判断、特段の厚意をもって再上映に踏み切ったという話も誠によくうなずける。
ことほどさように、良いものを創っていれば、自ずから周りがそれを放ってはおかないのである。
良いものを創る。先ずはただその一事をこそ、私ども物の創り手は心がけるべきである。
今一つ、この映画を観終わって思った事。
これは確かにカタルシスという奴であろう。呆けたように、しばらく席を立つのも忘れていた。
そしてそれはこの映画が、その全編をもって、私の心に為しおおせた業なのである。
カタルシスとは、本来、そういうものなのだという事を、改めて強く強く感じた。
欲を言えば、ここはこうすればもっと良くなったのではないか、というようなささやかな注文が、全くないとまでは言わない。しかし、それは瑣末に属する内容である。
つまるところ、作品は全体で一個である。ここはよかった、あそこは悪かった、などというのは、実は既に作品としての格を失しているのである。
例えるならば、御飯だけ、おかずだけ、味噌汁だけ、漬物だけ、優れていたって仕方がないのである。
全てが揃って、初めて優秀な定食たり得るのだ。
ともあれ、良い機会をお与え下さった金澤氏に、心より御礼申し上げたい。