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2005年06月 アーカイブ

2005年06月06日

良いものを創るという事・作品は全体で一個であるという事

以前舞台で御一緒した俳優・金澤眞氏の勧めで、氏が御出演の映画『オトコタチノ狂』(ジョイ・イシイ氏原案・脚本・監督)をシネアートン下北沢に観に行った。好評につき、再上映が決まった作品なのだという(以前の上映時は、仕事で観に行けなかった)。
観て、思った。これは間違いなく名作である。映画館が、とてもこれはインディーズの枠に収まるようなものではないと判断、特段の厚意をもって再上映に踏み切ったという話も誠によくうなずける。
ことほどさように、良いものを創っていれば、自ずから周りがそれを放ってはおかないのである。
良いものを創る。先ずはただその一事をこそ、私ども物の創り手は心がけるべきである。

今一つ、この映画を観終わって思った事。
これは確かにカタルシスという奴であろう。呆けたように、しばらく席を立つのも忘れていた。
そしてそれはこの映画が、その全編をもって、私の心に為しおおせた業なのである。
カタルシスとは、本来、そういうものなのだという事を、改めて強く強く感じた。

欲を言えば、ここはこうすればもっと良くなったのではないか、というようなささやかな注文が、全くないとまでは言わない。しかし、それは瑣末に属する内容である。
つまるところ、作品は全体で一個である。ここはよかった、あそこは悪かった、などというのは、実は既に作品としての格を失しているのである。

例えるならば、御飯だけ、おかずだけ、味噌汁だけ、漬物だけ、優れていたって仕方がないのである。
全てが揃って、初めて優秀な定食たり得るのだ。

ともあれ、良い機会をお与え下さった金澤氏に、心より御礼申し上げたい。

2005年06月07日

「神仏」という語をめぐって

現在、今申楽 朧座は、新人募集に向けて動き始めている。
で、そのお知らせの文章について、ある朧座衆から貴重な意見をもらった。

「この文章の一番の本質は、

そして今、現代に生きる私達は、現代に生きる申楽を創造したいと考えています。
『今申楽』──今の世に相応しい申楽を再興したい、と。

というところの、朧太夫の考えを表明することにあると思います。
なぜ今、申楽を創造することが必要なのでしょうか?
もしくは、上記の説明が出来ないとしたら、今申楽が現在必要と思った動機は、どこにあるのでしょうか?

またここで、動機や理由を書くときに気をつけなければならないのは、『神』や『仏』に関わる文言や思想の使い方です。
神仏を公の場で引き合いに出すときは、細心の注意が必要です。
感覚の鋭い方ならすぐ分かるとおり、どう気をつけてもある種の政治性や宗教性を含んでしまい、誤解を生みかねないからです。
神仏の話すら満足に出来ないというのは申楽では致命的かもしれませんが、日本の演劇界というより社会全体がその種のことに過敏に反応し非寛容であるだけに、仕方ないように思います。
ここをいかに一般的な表現で、誤解の生じない形で説明をするか、という点を求めたいところです。」

概ね、このような意見である。
そうなのだ。全く、この座衆の言う通りなのである。
今申楽の必要性、存在理由、または動機を説明しようとすると、どうしても、どうしても、「神仏」は避けて通れぬキーワードとして今の私の中では浮上せざるを得ないのである。私は、お知らせの文章中、申楽についてはっきりと「本質的には、寺や神社の境内などで、演者・見者が一体となり、神仏に感謝の意を込めて奉納する芸能であったろうと思われます」と述べてしまっている。
この度は、包み隠さずに行こうと考え、敢えて正直にそういう言葉を使った。それが誠意であると考えた。
しかし、同時にそれは誠に語弊を招じやすい、リスキーな物言いでもある訳だ。

日本は、いつから、神仏をそんな色眼鏡で見るような国になってしまったのか。

ああ。やっぱり、一言で言うと、そういう事なのだ。

座頭覚書

今申楽を、創りたい。「今」の、「申楽」を。
歴史的に見れば、かつて申楽は、能と狂言とに分立の道を辿った。
が、元は申楽という、渾然一体たる芸能であったろう。
それは、能狂言面の歴史をひもとけば、自ずから諒解されるように思われる。
草創期の申楽面には、能面とも狂言面ともつかぬものが少なくない。
(現在伝わる能・狂言にも、狂言に近い内容を持つ能や、能に近い内容を持つ狂言が中には見受けられるが、これらは申楽時代の雰囲気を今に伝えるものではないかと思う。)
では、能と狂言とに分立する以前、草創期における申楽とは、いったいいかなる芸能であったのか。

しかも、それを昔の姿に復元するというのではなく(そんな事は学者にでも任せておけば良い)、「今申楽」なる名を冠するに相応しい新芸術を、我々朧座は創造して世に問うて行かねばならないのだ。

一つ、ここに座頭として願うところを率直に申し述べるならば、表方、裏方、そして観客、今申楽という名のこの催しの為にお集まり下さる全ての方々のかけがえのない尽力によって、最終的にこの催しがいかなる像を結ぶにせよ、それは本来の意味でのマツリに属するものであって欲しいと思う。
別に、目に見えぬ存在、この世ならざる存在を、劇場に直接呼び出すというような事が目的で行うわけではない。
そうではなく、この催しに関わった全ての人間が、一時なりとも彼らの魂に思いを致す。
その為のよすがとなるような、そんな良い意味での「素朴な思い出し」でありたいのだ。

そして、この覚書を、ことさら色眼鏡で見ようと欲する現代日本人に、私は心から問いたい。
あなたは、何の為に、正月初詣をしたり、お盆に墓参りを済ませたりするのですか。

2005年06月10日

御利益?

先日、行きつけ(?)の近所の神社にお参りしたところ、普段見かけぬものが賽銭箱の傍らに置いてある。

「大祓形代」(形代には「ひとがた」と振り仮名あり)

と大書された封筒の束。一つ、戴いて帰ってきた。中には、まだ開けてはいないが透けて見える、紙製の「形代」が入っているのであろう。封筒の裏に、解説文が認めてある。

「大祓は昔から毎年六月と十二月の二季に行った儀式で、お互が知らず識らずに犯した罪穢を払い除き真に清々しい気持で各自の勤めに精励し一家の幸福はもとより人類全体の繁栄を増進せんとする意義深い清神的神事であります。即ち家にあっては大掃除、人にあっては大祓、大祓は実に人の心の塵埃の御清めです。(後略)」

そうか、大掃除か。確かに、日本は理よりも情、物事より人間関係が先行しやすい鬱病民族、甘えの国である。そこでこういうシステムが必要となってくる訳か。
私も、この形代に日頃たまった垢をなで付け、祓い棄てて戴こう。

そう言えば、目下私のパソコンの周辺は、今申楽次回作『修禅寺』第一稿を上げる際に用いた文献やら資料やらがうずたかく積まれ、あるいは途中で崩れ、散らばり、誠に累々たる有様である。
(しかも、パソコンの中身が、これまたのっぴきならぬ状況を呈している)
思えば、脱稿から早二ヶ月。そろそろ、次なる段階を視野に収めるべき時期に入りつつあるのかなあ、などと思っていたところであった。
「台本」から「戯曲」へ。第一稿の問題点を一つずつ検討し、より良く質を高めて行かねばならない。

なんとかせねば。そうだ、先ずは整理をしよう、整理を。

帰宅して、ふと気が付く。
携帯電話が、ない!
再び近所に繰り出し、失くしたと思われる箇所を片っ端から訪ね歩く。しかし、ない、ない、出て来ない。
そそっかしい性格ではある。しかしここまで本格的に携帯電話を紛失するというのは、生まれて初めての経験であった。
警察に遺失の旨届け出た後は、もはや万策尽き果てて、再び家に帰ってきた。
喪失の感、徒労の念、実に止み難いものがある。
と、先にパソコンの傍らに置いていった封筒の四文字が、ふと私の目に映じた。

「大祓形代」

ま、まさか…

2005年06月13日

シナリオ完成が先でしょ

今申楽次回公演『修禅寺』のフライヤー、源頼家役と北条政子役、二人の主演者が対峙している写真を用いるのはどうか。
前回公演『香炉峯』では、俳優の写真を一切使わなかった。が、効果的に使う手もあるだろう。
ふと、そんな事を思いついて、意見を問うべく香港のデザイナー(朧座美術部)にスカイプをかけたところ、「うん、悪くはないかもね。でも、シナリオ完成が先でしょ」とあっさり言われた。

まあね…。

残念ながら、台本完成が遅い劇団は誠に多い。演劇の質の向上に、決して益するものではないと考える。
反面教師と心得ねば。

2005年06月20日

夢売り屋の仕事

関西の大学に通って文化政策学を学んでいる朧座衆が、彼の地で催されたとある演劇を観て、そのレポートをメールしてくれた。
以下は、それを読んで私が返信した内容を一部抜粋したものである。

「わけが分かる、あるいは、わけが分からないなりに圧倒的魅力がある、そんな作品が創りたいと私は思います。もっと直接、観ているそばから爆発的に感動して戴けるような作品を、朧座は追求して行きたいと。
正面から素直にお客様の心に迫ろう、お客様の心を捉えようという覚悟なくしてせっかくの工夫を重ねてみても、それは所詮、奇を衒っているとの謗りを免れない気がします。『ちょっと新鮮な感覚』で終わってしまうのではないでしょうか。
そういう衒学的態度で一部の見巧者自認者たちの目を騙す事は出来ても、一般の観客を真に心から感動させるというのは、そうたやすい事ではないと私は思うのです。 
(これは、現在の能楽についてもほぼ同じ事が言えますね。能楽だって生きている、現代的工夫を重ねながら歩んでいると擁護者達は言いますが。)

我々は夢売り屋なのです。日頃、辛い現実を生きつつ、縁あって劇場にお運び下さったお客様を、一時の間、夢の世界に拉し去らなければならないのです。そして、『ああ、こんな世界もあったのか、それじゃあ明日からも何とか生きていこう』というお気持ちで帰路について戴いて、初めて夢売り屋の本当の仕事たり得るのです。演劇の未来を信じられない者たちのやる演劇が、本当にお客様それぞれに、明日を生きる勇気や希望を生み出し得るものなのでしょうか。」

2005年06月21日

続・夢売り屋の仕事

前回、私がある朧座衆に送ったメールの内容を一部抜粋して御紹介した。
以下は、二通目に送ったメールの一部抜粋。言わば、前回の続編に相当するもの。

「むしろ、簡単にわかってしまうようなものでもいけないのかも。
芸術たるもの、『なんだ、これは!?』って、分類不能・分析不能の大パニック状態に、鑑賞者の感覚を陥れるくらいでなければいけないのかも知れません。これ、尊敬する岡本太郎の言葉から学んだ事なのですが。

それが岡本の言う「爆発」にまで、到達していたかどうか。
それを鑑賞する事で生がグラグラ揺さぶられて、この芝居を観たか観なかったかでその後の人生が少なからず違ってくる、そのような性質を帯びた出し物であったかどうか。
そこに、興味があります。

世阿弥の言う『花』というのも、『爆発』に近いのかも知れないなあと、今、思いました。
ほとばしる圧倒的な力。否応なしに人の心に何かを刻み込んでしまう力。
それが、植物のパーツで言えば花であり、化学反応の種類で言えば爆発なのだという事なのではないでしょうか。

(創り手としてここに密かな本心を言えば、花とか爆発とかいう形容の似合うものを創るには、やはり、苦労が伴います。しかし、そこをなんとか突破しなければならないと思うのです。)」

つまり、それが我々の売るべき「夢」というものの本質なのではないか。

何故、いささか声高に私がこういう事を問いかけるかと言うと、現代というのは夢の力が衰えかけている時代なのではないかという疑いをどうしても禁じ得ないからである。
今の時代に生きていて、夢売り屋自身が夢の価値を下げているような事態に遭遇する事、しばしばだからである。

類似品に御注意

去る5月20日、「今申楽 朧座」は、正式に商標登録が確定した。
既に特許庁の小川洋長官より登録証も授与戴いている。

これにて、明治の御世、「猿楽ノ名称字面穏当ナラザルヲ以テ」(『能楽社設立之手続』)華族らに打ち棄てられたサルガクの一語を、我が朧座が有難く、法的にも継承の運びと相成った事、ここに謹んで御報告申し上げる。

私ども朧座は、天から授かったサルガクの一語をいとおしみ、しかもそれにイマの一字を冠するに何の躊躇もない芸術を創造して行かねばならぬ。

さて、御存知の通り商標登録なるもの、いくばくかの料金を特許庁に納める事となる。
これが、恥を忍んで申し上げるが、私どもの如き駆け出しにとっては、決して安い額ではない。
にもかかわらず何故、申請に踏み切ったか。
言うまでもなく、「今申楽 朧座」を守らんが為である。私どもの大切な大切な売り物の名を。

昨今、「今申楽 朧座」をそっくり真似たと思しい興行が、あちらこちらで散見される。
悲しいかな、いずれも、はっきり言って朧座の敵ではない。しかし、それでも、朧座の類似品と見なされかねないような者達にそこらを徘徊されては甚だ迷惑である。朧座をまだ観ぬ方々に「きっとこの程度のものか、朧座も」などと誤解を招じては誠に安からぬ事である。
くれぐれも、類似品に御注意戴きたい。

2005年06月25日

藤原センセイに思う

近頃、朝日新聞を読むと思う事がある。
いしいひさいち氏の四コマ漫画『ののちゃん』に、藤原センセイなる小学校教諭がしばしば登場する。
主人公ののちゃんらのクラスの担任なのだが、このセンセイ、漫画に描かれるところを見る限り、実にすこぶるやる気がない。私は、このキャラクターが登場人物中最も好きなのだけれど、実は最近、これが素直に笑えなくなってきたのだ。
藤原センセイのような存在が、冗談では済まされない世の中になってきているように感じるからである。

学校の先生だって人間であり、時にはミスもする。藤原センセイは、言わばその象徴のようなキャラクターだ。
しかし、それは「学校の先生たる者、そうそう簡単には失敗などやらかさない。しかし、それでも、人間であるが故に時にはミスも犯してしまうのだ」という大前提のもとに、初めて健康な共感を、そして笑いを誘い得るものなのではないか。ののちゃんの学校の先生全員が全員、藤原センセイみたいな問題教諭である筈はなかろう。藤原センセイにしたって、漫画でこそ問題言動ばかりがことさら強調されてしまっているが、根本は至ってまともな教育者であるに違いない(と、信じたい)。

しかし、現今の時世は、それを戯画中の一こまとして笑い飛ばす事を難しくしつつあるのではないか。
先に述べた大前提、すなわち社会に本来存するべき「けじめ」が失われつつある気がするのである。

作者のいしい氏には、たまには立派な「藤原先生」も描いてやって戴きたい。
「藤原センセイ」の方は熱を出して学校を休んでしまうかも知れないが…

2005年06月28日

最後の晩餐

うう、暑い。暑くてならぬ。
今夏はまだ一度も事務所の冷房を入れずに来ている。今少し、踏ん張りたい。
しかしこの暑さ故、まともな文章が書けるかどうか、甚だ心もとない。
が、忘れる前に、是非ともここに認めておきたい事がある。

先日、私は積年の懸案であった禁酒断行に晴れて踏み切った。
この日の昼、鎌倉長谷寺に参詣。釈迦如来に不飲酒を誓願。
そして夜、行きつけの近所の居酒屋にて一人、ついに最後の晩餐を全うしたのであった。

今後、朧太夫が酒を飲んでいる光景に出くわしたらば、遠慮は御無用。張り倒してやって戴きたい。

台本の上がりが、これからは一日くらい早まるのではなかろうか。

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2005年06月29日

いかに無心になれるか

先日、朧座衆S氏(制作部)が運営に携わっている日本舞踊の会を拝見して来た。
で、関係者の方々のお誘いに甘えて、打ち上げにも参加させて戴いた。
こういう場が、実に色々と勉強になったりするのである。今回も例外ではなかった。
気付いた点を二点ほど。

一つ目。
S氏は、すすんで朧座の事を関係者の方々に宣伝して下さった(Sさん、有難う御座います)。
で、「イマサルガクって、何?」という問に対し、S氏は何のためらいもなく「現代能です」と答えていた。
なるほどなあ…と、思った。
S氏は舞台芸術に造詣が深い。日本の伝統芸能百般にも精通している。
私が、いわゆる本職の能楽師ではない事なども、もちろん先刻御承知だ。

氏は、「能」を、観世流とか宝生流とか言った家元制度の独占芸能の一種を言うのではなく、もっと緩やかで幅広い語として用いているのである。
私は、このナントカ流とやらの世界のうるささ、みみっちさ、穴のあなの小ささを多少知っているので、彼らに遠慮して「能」という言葉を最近は使わないようにしていた。
しかし元はと言えば、このS氏の使い方の方が、正統的用法なのである。「能」はもともと、広く芸能を意味する語であった。また後に、狭義には観阿弥世阿弥らの演劇を指すようになり、さらに降って観世流宝生流といった流儀が確立された後も、各流のいずれにも属さぬ「辻能」なる各座が存在していた。言わば非公認の演能集団である。
「能」という語は、実は本来、これほど広い裾野を持つ言葉なのだ。してみれば、観阿弥父子(結崎座)の演劇を申楽能と称するように、朧座の演劇を試みに当今の申楽能と呼んでみても、そこには日本語の用法上、何ら誤謬はないという事になる。
むしろ、「能」を各流の独占物と見なして疑わぬ浅見こそ、「能」本来の語義を著しく矮小化し、ひいては「能」という語の歴史を冒涜するものとさえ言い得るであろう。

私は、「現代能」なる形容、そこらのエキセントリックなチンピラ能楽師が好んで使いそうで、好きではない(彼らの場合、まずたいてい、狭義の「現代能」で終わる。ナントカ流ワールドの限界を越えられない)。
しかし、発想を転ずればこの言葉、簡潔にして明快、誠に分かりやすいのだ(我々は広義の「現代能」を志向してこの語を用いる事になる)。
しかも、この場は日舞の会の打ち上げであって、能楽師は不在。遠慮は無用という訳なのだった。

二つ目。
最近とみに思うのだが、結局、「能」だろうが何だろうが、そんな事は私にはどうだって良いのである。
日本人はやたらに自国の芸術をカテゴライズしたがり、さらにそれを流儀化し家元制度化して、そこに職人的専門性を見出す事を美徳としている(もちろん、この時点で芸術性は失われている。芸術とはそういうものではない)。
が、根本は、本来同じものなのではないか。やはり、同じ芸術なのだ。

それを改めて私に痛感させたのが、この打ち上げの席上、とある日舞の大師匠が発したスピーチの内容であった。

「結局、舞台の袖に立った時、いかに無心になれるか。芸能というのは何でもそうです」

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