鎌倉武士の世界の物語
私は、今申楽次回作『修禅寺』脚本第一稿に「作者覚書」なるものを付して、そこでおおよそ以下のような事を書き付けている。
「もしかしたら、客席のどこかで、この作品の主人公である源頼家や北条政子がこの作品を観届けてくれているかも知れない。おそらくは、別々の席で…しかし帰って行く時は、親子、手を繋ぐまでは行かなくても、せめて、一緒に帰路について戴きたい──と、作者としては切に願うのである。」
そして、場合によっては、この文章をチラシの片隅にでも載せても良いかな、などと思っていた。
だが、どうやら私は間違っていたのかも知れない。
その事に、鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』を読んでいて、ようやく気が付いた。
もしも、私のこの度の読みがそこそこ的を射ているとするならば──あの書物には、思わぬ真相が暗に示されている事になる。
一緒に帰路になどつくだろうか。否、そんな筈はないのだ、きっと。
脚本を一部、書き改める必要がありそうだ。
その為には──ともかく、『吾妻鏡』に出てくる「あの場所」に行かなければならないだろう。
前々から一度は訪れる必要があると感じてはいたが。
『修禅寺』。それはあくまでも鎌倉武士の世界の物語である。質実剛健とは言い条、太刀と太刀とが火花を散らし、肉が裂け血が流れ、あまたの命が日常茶飯事の如くに失われる、そんな世界の物語なのである。
太平の御世のお気楽剣劇、チャンチャンバラバラチャンバラバラ、の世界ではなかったのだ。