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2005年10月 アーカイブ

2005年10月13日

第二稿に向けて

私の芝居をよく御覧戴いているSさん(当座の旗揚げ公演『香炉峯』も観て下さっている)から、昨日こんなメールを頂戴した。
「次回作に向けてのご様子をHPで拝見しました。丁度、マンガ日本の古典『吾妻鏡 上・中・下』竹宮惠子作を読んだ後なので、大変興味深いです。」
こういうメールを戴くと、次回作『修禅寺』第二稿に向けて、ああでもないこうでもないと悩ましい今日この頃、泉のように勇気が沸いてくる。Sさん、ありがとうございました。
竹宮氏の漫画は、私も楽しく読ませて戴いた。氏が描くとどうしても美男美女の世界となる。好悪の分かれるところであろうが、果たして北条政子はあんなに美人だったのだろうか…と、いささか思わぬでもない。いや、案外、美人だったのかな。

北条政子は一体どんな顔だったのだろうか。近頃とみに気になり始めた。
これというのも、次回公演の日程・会場が決定したからであろう。
折を見て、当サイトに発表したい。

そして先日、鼓之丞(朧座制作部)とともに「あの場所」へ見学に行ってきた。
そこに行かぬ限りは、台本完成はない。と、以前から直感的に察していた場所である。

さて、行ったからとてめざましく筆が進むかと言えば、そういう訳でもない辺り、もどかしい。
しかし、行って良かった。やはり、一度は訪れておかねばならぬ土地であった。これだけは確かに言える。

本を書かねばならぬ時というのは、私の場合正直に言って半ば狂人半ば廃人の体である。ためにどうしてもブログ更新どころではなくなるというのが偽らざるところ、新記事をお待ち下さっている皆様には申し訳なくただただお詫びを申し上げる。ごめんなさい。
「日々朧々」も、そろそろ「時々朧々」辺りが相応しいかも知れぬ。

面掛行列

先月の事、鎌倉は坂ノ下にある御霊神社に、奇祭・面掛行列を観に行きました。
この祭り、神奈川県の無形文化財に指定されており、観光案内書などにも隅っこの方に小さく出ているので前からかなり気にはなっていたのですが、さて今年こそは是非とも観ておかねばならぬという気に何故かなって、足を運んだのでした。

想像はしていたのですが、なんと言うか、非常にムードのある神社であり面であり行事でしたね。
総勢十名の奇怪な異形面を着けた行列が、神社を出発して町内を練り歩くというもの。
殊に、大きく膨らましたお腹を突き出して歩く「おかめ」が人気キャラクターなのだとか。

と、ここまでは事前に観光案内等で知っていたのですが、ここから先は後で調べて分かった事です。

かつては「非人面行列」「孕みっと行列」等とも呼ばれたこの祭り、一説には、将軍源頼朝が当地の非人の娘を身ごもらせ、ためにその一族に無礼講を許したのが始まりとか、両人の逢引を娘の一族が警護する際、身分を憚り顔を面で隠したのが起源であるとか、そのような伝説があるそうです。

十人衆の中にはもう一名女性役がおり、こちらはどうも「おかめ」の世話をする産婆役のようです。
私、どうも、あの「おかめ」の表情が忘れられなくて…

今申楽次回作の主人公は頼朝正夫人とその息子。今年こそはと思って足を運んだのも、後から考えてみれば何かの因縁でしょうか。

何もかも手放しに因縁に事寄せてしまうのは迷信めいていて宜しくない、とは思うのですが。

2005年10月21日

モデル発見

最近は今申楽次回作『修禅寺』の公演日程・会場が本決まりした事もあり、はや逃げも隠れも能わぬ仕儀と相成って、第二稿に悶々とする日々である。
こうなると、朝な夕な念じ続ける事はただ一つ、
「今、私が事故なり病気なりにあって死んでみよ。『修禅寺』は第一稿があるばかり。朧座衆はそれを元に何とか上演にこぎつけてくれるであろうが、さて、それで私は本当に成仏出来るであろうか」
また縁起でもない事を書いてしまった。しかしこうでも思わぬ限り、筆の進みがのろくてのろくて、何より書いている本人がたまったものではない。

かかる折は気分転換が何よりの大事。
先日、ついに煩悶やる方なく、ええままよと、足の向くまま神奈川県のさる土地に気晴らしに出かけた。
と、そこで思いもかけず出会ってしまった訳なのである。

この作品の、二人いる主役のうちの一名と、今ひとり大事な脇役。
この二人が、なんとそこにはいたのである。

「ユー!」と叫んで街中の美少年を発掘するという、かの芸能事務所社長の心持がいささか分かる気がした。
ああ、人生はなんと未知と不思議とに満ちてある事か。
呆然と立ち尽くし、いつまでもいつまでも、ガラスケースの中に仲良く居並ぶその二面をためつすがめつ眺め続ける事であった。
帰りの車中の心中朗らかなる事、申すまでもない。あな、よき日なりけり。

「修禅寺」の読み方

先日、某テレビ局の地域紹介番組で伊豆修善寺が取り上げられていた。
で、この番組、地名としての修善寺をシュゼンジ、寺名としての修禅寺をシュウゼンジと、明確に読み分けていた。
実は以前、よく行く店のママさんに「次回の今申楽はシュゼンジっていう作品をやろうと思ってるんです」と言ったら「あら、あれはシュウゼンジでしょ。勉強が足りないわね。協力欄に私の名前を載せて御招待なさい」と言われていた。以来、気にはなっていたのだが、こうして大々的に放送されてはもはや居ても立ってもおれぬ。
テレビ局に電話したら制作会社に問い合わせてくれとの事。で、制作会社に電話したら、「街の方もお寺の方もシュウゼンジと読んでましたので」と誠にうるさげな対応であった。ちゃんと取材してるんだと言いたいのだろうが、こちらは単に聞いているだけ。も少し穏やかに対応して戴きたいものである。
この対応ぶりではこの会社、けだし信用ならぬと判断し、寺に直接確認をとったところ、御丁寧に御教示を戴いた。真相はかくの如くであるらしい。
すなわち修禅寺は、弘法大師創建の昔からシュゼンジと読むが正しい。しかしこれでは地名の修善寺と読み方が同じで紛らわしいという事から、二世代ほど前から、寺名の場合はシュウゼンジと仇名的に読み慣わす方々が地元に現れてきた。俗称の事とて寺でも特にそれを戒めだてるという事はせずに、ただ出版物や放送機関が公にこの寺を呼ぶ時には固くシュゼンジで通してもらってきた。この度の取材でもそれは言ってあった筈だが、制作会社の手違いから誤って放送されてしまったものである。なお修の字は修学旅行などシュウと読むイメージが強いが、修業という言葉もあるように寺院ではシュと読む場合も少なからずである。
との事であった。

という訳でママさん、せっかくながらお名前もお載せ出来ませんし、御招待も致しかねる結果と相成りました。
恐れ入りますが、お金を払って観に来て下さいませ。ツケは御容赦。太夫敬白。

エチゼンクラゲと書かないで

福井の皆様すみません、茶化している訳ではないのです。
越前海月、越前水母、または単純に越前くらげ、で行って戴きたいと思いまして。

詳細は既述「タイコウチの話」を御覧下さい。

2005年10月30日

感謝

昨日、一人の新たな朧座衆と出会いました。名古屋にお住まいのTさんです。
Tさんは言って下さいました。朧座を名古屋に招聘したいと。本当に嬉しかった。それに、他にも斬新なアイディアや、朧座を勇気付ける展望まで聞かせて下さって……

朧座の旅公演も、近い将来に実現しそうです。Tさん、これからもどうぞ宜しくお願いします!

夜は、デザイナーの方よりお電話を頂戴しました。次回作『修禅寺』に向けて、大まかなスケジュールを打ち合わせ。台本完成稿はいつごろ、修禅寺・鎌倉見学はこの辺りに、役者の初顔合わせまでにはお互いのイメージを出し合って採寸を、稽古始めには仮衣装、稽古が本格化するのはいつ頃から、本番何日前には面装束の完成を……時間をかけて良い作品を創るべく、お心をこめて下さっているのが伝わって来て、こちらも本当に嬉しかった。有難う御座います!

私は本当に人に恵まれています。感謝しなくては。

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