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陰暦2月25日

まもなく、当サイトのリニューアルを行います。
旗揚げからしばらくの間、「今申楽 朧座」は実質私一人でした。しかし時は流れ、今や朧座は私一人とはいえない状況になってきました。
この流れを反映して、サイトもより公式性あるものにします。

さて、リニューアルについて、デザインと運営管理をお願いしているクリエイターのMさんと先日話をしました。
Mさん、さっそく能の本を購入されて勉強されていた。さすがです。いつか、本物の能にお誘いせねば。
で、その席で能楽とはなんだ、申楽とはなんだという話をしたのですが、どうも自分自身の論に甘さというか不徹底というかを感じつつ帰路について、そのあとちょっと気付いたことがあります。

かつてさる能楽師が、能楽講座の席でこのような事を述べておられたのを思い出したのです。
「今日、能は演劇と芸能の両側面を持っている」
それで、その論法を拝借して言うと、私は能の芸能面にはひとまず興味がないのですね。あの職人芸の極みともいうべき摺り足。人によってはあれを2歳3歳から叩き込まれるわけです。もちろん、20歳を過ぎて初めて能に出会った私にあれが勤まるとは思っていないし、第一やろうとも思っていません。
さて、かの能楽師は今一つ、能には演劇の側面ありと言われたのですが、果たしてこれはどうでしょう。私の結論を先に言ってしまえば、本来そうあるべきだ、本当はそうでなければならないのに、実際に能を観ると必ずしもそうは言えない舞台も多い、という事になります。

能は、かつては「申楽の能」と呼ばれる演劇だったのです。が、今やその演劇面を捨て去りつつある。なぜ捨て去りつつあるか、今は深入りしません。
ともかく、私は演劇に携わる身として、今の能を「これも演劇」などと言うつもりはありません。この私の持論を力強く支えてくれている好著を二冊ご紹介しておきます。『能・狂言の芸』(堂本正樹著・東京出版)と『現代能楽講義 能と狂言の魅力と歴史についての十講』(天野文雄著・大阪大学出版会)です。双方とも理論的に書かれてはいますが、その根底にあるものは「能は本当は演劇のはずじゃないか」という血の出るような思いに他ならない、と一読者である私は思っています。

かつて私は「新しい能を創る」などと号していました。しかし、それは多くの語弊を招く表現であると、やがて気付きました。能は演劇・芸能の両側面、特に芸能の側面を強く喚起させてしまう言葉なのだと。私の本意としてはむしろ演劇面を強調したかったのですが、それは「能」という言葉を使ってしまうと難しくなるのだと。
もちろん、本当は「新しい能を創る」と言ったって間違いではないのです。能はもともと広く芸能を意味する語であり、私が現在仲間とともに創っているのは「今申楽の能」なのですから。
でも、まあ、あんまり語弊を伴う表現はプレゼン的には不向きですよね。ですから最近はこう言っています。
「申楽を、今、創り直す」と。

さて、ではその「申楽」とは一体どんなものだったのでしょう?
そして、我々の創るべき今の「申楽」とは?
ここに、演繹の旅は果てしもなく続くのであります。

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2006年03月24日 11:39に投稿されたエントリーのページです。

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