これまで3回読み稽古を行い、その要を痛感したので、歴史的仮名遣い及び台本の古語部分の現代語訳を行った。参ラスなどのいわゆる「謙譲語」については、狂言を習っている役者でさえ理解不十分であった。たまたま学生時代に国語科の恩師に恵まれ、国文法の基礎くらいは叩き込まれている私のような者は、言葉を商売道具とする役者の世界においてさえ決して多いとは言えない。それもそのはず、国語学者の発明(?)したこの「謙譲語」なる用語からして、実は多分に事の本質を見誤った命名であるのだ。本当はへりくだってなどいないのだ、古典の「謙譲語」は…。学者からして文法を誤解している向きが多いのだ、これでどうして真っ当な知識が世に広まろう。
誰の誰に対する敬意か。考えてみれば、そこを解さずに敬語文を読む事など不可能なはずだ。恐ろしい事である。
時代劇をやる時は、古文の知識が必要である。
その後、台本の後半部分を読み通した。
頼家政子のシーン、これはもう、何度でもやってみるに如くはなさそうだ。今のところ。