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2006年07月 アーカイブ

2006年07月01日

稽古6日目

古語部分、皆だいぶ読めるようになってきた。あと一息というところ。

今日は稽古始まって以来、初めて全編読み通した。やはり通してみないとわからないもの、通してみて初めてわかる何ものかが確かにある!
ト書も全部私が読んだ所為か、終った後はクタクタであった…ト書も含めて1時間45分。悪くない時間である。

また今日はいくつかのゲームを行った。「その台詞、本当に言いたくなければ言わないゲーム」「台詞を全部狂言調で交してみるゲーム」「自傷行為を行う者とそれを止めに入る者、リアルにやったらどうなるか、それを型化してみるとどうなるか試すゲーム」など。発見の連続。

「その台詞、本当に言いたくなければ言わない」という条件は、本当は役者の全ての台詞に課したいところなのだ。(それが、私の究極の夢である。)

そしてやはり、最終的には何らかの型に濾して行きたいところである。

政子役としては、今日は侍女役との絡みで見えたものあり、収穫であった。そろそろ台詞を入れねば。

2006年07月02日

稽古7日目

今日辺りから皆、本当の意味でこの台本に向き合い始めてくれた。そんな気がする。

やはり頼家は万寿なのだ。今日の稽古で、改めてそう感じた。万寿を演ずるのは川野氏だが、万寿を創るのは氏と母・政子役の私である。心してかからねばならない。

「声」という役がある。この「声」に今日初めて流れが見えた。この「声」、役者に何度か無声音でやってもらった。独特の印象であった。

政子と侍女の課題は「女」だ。今申楽の女形を創る事だ。裏声を弄ぶでもなく、まして美しい小面の下から太った男の肉がはみ出ている奇観を呈するでもなく。「女」がポイントだ。

そして本日の忘れ難い達成、それは「蹴鞠シーン」に光が見え始めた事だ。
皆で、筆や太刀といった小道具はどうするのか、リアルに実物を使うのか、あるいは…といった話をしているうちに、「じゃあ、鞠はどうする」という事になった。あまり書くとネタバレとやらになるが、今回の話では鞠という小道具がかなり重要な位置を占めている。しかも、それを役者同士が蹴り合う場面があるのだ。私は、実をいえばさしたるプランもなしにこのシーンを書いた。今申楽に大劇場は似合わない。本当に舞台上で蹴鞠なんか出来るのか、仮に役者が蹴鞠の天才だったとしても、それでも鞠が客席に飛んでいってしまうリスクを拭い去る事は出来ないだろう…というような現実論は一切合切抜きにして、このシーンを書いた。台本第一稿にはこのシーンはなかった、だがやはりこのシーンは欲しいのだ。800年にも及ばんとする頼家像、蹴鞠に現を抜かした馬鹿殿様という『吾妻鑑』のイメージに疑義を呈する為には、あえてこのシーンが…。そう思って、第二稿執筆時に書き加えたのである。
皆の叡智を結集してこのシーン、なかなかのものになりそうだ。乞う御期待と申し上げておく。

やっぱり私は「型」が創りたかったのだ。しかも、訳の分らないごまかしめいた「型遊び」「型ごっこ」ではなく、正当なリアリズムに基づく「必然的な型」が。

面白くなって来た。

2006年07月04日

『修禅寺』制作日誌

今申楽 朧座制作・廣田典子による『修禅寺』制作日誌です。
山のような仕事にもめげず「頑張って更新する」とのことなので、こちらもどうぞご贔屓に。

『修禅寺』制作日誌
http://production-diary.blogspot.com/

稽古8日目(自由参加)

頼家役の川野氏と、今回の作品についてあれこれ語った。話題は多岐に及ぶが、その中から印象的ないくつかをご紹介したい。

まず、頼家は妻子をどのくらい愛していたのか、という事。
この点について、歴史的には全く不明である。親に愛されなかった子は人の愛し方が分らず、ゆえに自分の妻や子をも愛することが出来なくなる、とものの本で読んだ事がある。おそらくその通りであろう。ただ、頼家の場合は、決して政子に愛されていなかったわけではないと私は思う。プログラムにも書いたが、この話は政子頼家母子の愛とそのすれ違いの物語なのである。察するに政子は頼家を愛していた、が、どこかで何かを間違えてしまったのだ。そしてそれは、頼家をして母の愛を疑わせるほど大きな過ちであったに違いない。頼家にしてみれば「私を愛しているのかいないのか、ハッキリして下さい」とでも言いたいところではなかったか。
ともかく私は、頼家は母の愛を全く知らずに育ったという設定でこの台本を書いたのではないのだ。
すると、頼家だって妻(若狭局)や子(一幡)をそれなりに愛していたのではないか、少なくとも愛そうとしていた、愛しかけていたのではないか、という推測も成り立とう。母の影響で、人への愛し方が相当いびつで不器用になってしまっていた可能性がある彼なりに…とすれば、その妻子を殺された頼家の怒りと哀しみはなお一層根深いものがあるのかも知れない。
やはり、今月末の鎌倉・修善寺合宿において、妙本寺(比企館跡・一族墓所)は訪ねておかなければならない場所の一つであるようだ。

それにしても、政子の母は一体どんな母だったのだろう。そして政子はその母のもとでどんなふうに育てられたのか。

そして、川野氏と談じ合った話題のうちここが最も肝要な所だが、結局我々は、政子や頼家を通じて「母と子」というものを描きたいのだ、という事。否、描くという言葉を安易に使うことにも近頃の私は一抹の躊躇を覚える。ものを描くというのは、それを見下ろす絶対者の視点があって初めて為し得る営みである。古代ギリシャの劇場が巨大なすり鉢状をしているのを思い出して戴きたい。今、我々が普通に演劇と呼んでしまっているものの本質があの形にあると私は思う。観客は神の視座から、はるか下界の人間どもの愚かさを舞台上に俯瞰するのである。ちょうど貴族達が奴隷と猛獣とを闘技場で殺し合わせるように。
翻って、日本の伝統演劇はそこが違うと私は思う。能舞台の橋掛かり、芝居小屋の花道…そこでは客席は神の席ではない。役者は客席から登場し、客席に退場し、時には客席を舞台として演ずることさえ珍しくはない。つまり、演者見者が渾然一体となって神や仏に奉るのが、わが国本来の演劇の在りようではなかったか。頼家政子を依り代として、演者見者が一対の巨大な「母と子」と化する時、何かしら生まれるものがあるのではないか…。

「描写」「鑑賞」よりも「一体化」に今の私は関心があるのである。

と、そこまで話が及んだとき川野氏は、それを我々が為すに当って必要なのは「型」ではなく「術」ではないか、と発言された。今我々は「型」というより「術」とでも呼ぶべきものを模索すべきではないかと言われるのだ。「型」、それは正解のある、訓練すれば模倣可能なもの。「術」、それは正解のない、その役者以外の誰にも真似の出来ないもの。

なるほど。「型」ではなく、「術」、か。

2006年07月06日

稽古9日目(劇場下見)

今日は役者5名+舞台監督村信氏、装置渡辺氏、装束福原氏というメンバーで劇場下見を行った。

8月、ここでやるのだ…。2時間近く居座って、固く心に決めた事がある。

やっぱり「橋」を作る。何が何でも作る。そもそも台本のト書にあるのだ、「板敷の素舞台 それに向かって長々と橋が掛け渡してある」と。
客席の通路を塞いでしまうので無理かと半分諦めていたが、渡辺氏は言って下さった。橋は開演直前、即興で設えられると。

消防法に触れるというなら、いっそ椅子席を一部取り払って座布団に変えても良い。
…考えてもみれば、それもなかなか乙ではないか?

万寿がやってきた道。そして、万寿が帰って行く道。
そんな「橋」が、この物語には必要なのだ。

2006年07月08日

稽古10日目

今日から立ち稽古。が、その前にもう一度、台本を最初から最後まで読み通しておこうと思った。
出来は…まだまだである。テンポが悪い。これはもう、相互に醸し出してしまったまずさである。

悔やんでいても始まらない。いよいよ立ち稽古に入る。

ここで、川野氏にお願いをしたことがある。
頼家の生身の声ではなく、頼家の霊の声を聞かせて戴きたいと注文したのである。

夜は役者全員で、さる能楽師による能の講座を受けに行った。
ここだけの話、私は出かける前に、役者全員に言っておいた。

「騙されないように、疑いの心を忘れずに。それでもヒントになるような事は何かしらあると思います」

2006年07月09日

稽古11日目

午前中、装束担当福原氏に前回公演『香炉峯』の装束をお見せする。その時、氏から舞台衣裳について大変貴重な教示を得た。そもそも氏は衣裳に「思い」を込めすぎぬようにしておられるという。役者にとって水の如く空気の如くゼロなるもの、それが氏の心がける衣裳であるという。
翻って、「小野小町」とか「六条御息所」とか、そういう個人格を象る能面は存在しない(正確には存在するが、極めて例外的である)。可憐な乙女なら小面、嫉妬に狂った鬼女には般若…といった具合に、いわゆる「つぶしのきく」、汎用性ある面がほとんどである。
その事と氏の教唆とには、どこかしら通底するものがあるやに思われるのである。

思うに、面にせよ装束にせよ、そこに「思い」を込めるのは最終的には役者の仕事に他ならぬという事であろう。この話、体調不良のため残念ながら本日不参加の山戸氏(美術監督・面)を交えて、改めて論じ合いたいと思う。

さて福原氏は、前回公演の装束のうち、特に「里の女」(清少納言の化身姿)に手がかりを得られたらしい。

13時、稽古開始。最初の2時間ほど、「声」チーム(阿部氏・JERSEY氏)と「女」チーム(私・山本氏)に分かれて、自由に時を過す。こういう時間、非常に有意義ですね。

川野氏が来てからは、頼家シーンを重点的に稽古した。幽体離脱に狂乱に母との死闘である。氏は相当疲れたと思う。1日1ステージが限界ではなかろうかと、らしからぬ弱音を呈しておられた。
しかし、見えてきたものがあるとも言っておられた。

それにしても、立ち稽古に入ってからは殊更発見の連続で面白い。
当初の予定にはなかったが、政子が太刀を振り回すシーンまで出てきた。女にとっては相当重たい筈だ。気を付けねば。
また、今日であったか昨日であったか、山本氏が非常に印象的な事を呟かれた。
今回の稽古場、なぜか巨大なトトロの張りぼてが隅っこに置かれているのだが、氏曰く、この芝居を観てからあのトトロを見ると実に心が癒されるというのである。
なんでもない一言のようだが、この一言が数時間後、私に徹底的な示唆を与えてくれた。
これも当初の台本には書かれていない、この物語の最後のシーンが浮かんできたのである。

それはともかく、役者としての私の課題、それは政子である。母である。
己の腹を痛めた赤子のあやし方というものが正直まだよくわからない。
悩み始めた。子宮が欲しい今日この頃。

しかし共演者各位の演出補的協力によって、出演演出二足の草鞋ながら大分救われている。心から感謝している。

2006年07月13日

稽古12日目

昼間、音楽担当・奥田氏のご好意で、氏が関わっておられる舞台公演の当日パンフレットに当方のプログラムを折り込ませて戴く。一枚一枚、思いを込めて折り込ませて戴きました。
さて、夜からの稽古、まずは終盤の殺陣を仮で作ってみた。本日は川野氏がお休みなので、山本氏に頼家の代役をお願いする。殺陣のある芝居を作演出するのは今回が初めてである。とても楽しい。山本氏は殺陣師でもあり、自身で道場を主宰しておられるだけあって、「原則太刀で勝負してくれ」「ここだけは蹴りを入れてくれ」「ここらで政子を押しのけてくれ」「最後はこういう絵になってくれ」「そして瞬く間に消え失せてくれ」…などなどこちらが希望を言うと迅速かつ的確に案を出して下さる。氏が言うには、そういう希望を出してもらった方が殺陣師としてはやりやすい、困るのは「一切お任せ」タイプなのだとか。なるほど、そんな人もいるんだ。信じられないけど。
次に「声」の稽古。と言っても今日はエチュード的な内容に徹した。「声」を演ずる阿部・JERSEY両氏それぞれ、山本氏に罵詈雑言を吐きながら太刀を浴びせかけて行ってもらう。目標は「山本氏を傷付ける」事。二人とも根が良過ぎるせいか(?)かなり悪戦苦闘。悪役を研究してもらうように頼んだ。例として、角川映画『里見八犬伝』(深作欣二監督)を観るようにとも伝えた。夏木マリ・目黒祐樹両氏の悪党ぶり、直接参考になるかどうかは分らないが、まあ観ておいて損はないだろう。
二人の役作りに、期待するところ大だ。
次に「女」の稽古。政子がいかに助けを求め、侍女がいかに駆け寄って乱心の御所様を介抱するか、ひたすら研究あるのみである。そう、政子や侍女を演ずる我々(私と山本氏)は男である。今申楽版女形をつくらねばならないのだ。本物の女性であるJERSEY氏に、「女」考証を願った。いろいろと教えられる。中にはちょっと愕然とするような発見も…そうか、それで男は女々しく女は潔く、などと言われるのか。納得。
途中、台詞を間違えてしまい申し訳ありません。

皆それぞれに克服すべき課題がある。私もここ最近、政子を演ずる難しさをとみに痛感している。
つい最近も『毒になる親 一生苦しむ子供』(スーザン・フォワード著 講談社)なる本を見かけてついつい買ってしまったが…こういう書物も確かに参考にはなるが、やはり今となっては世の母親たちを観察するに如くはなさそうだ。

お母様方、勉強させて戴きます。

2006年07月15日

稽古13日目

「声」という役がある。この「声」から、人間臭を消し去りたいという思いがある。
それでいて、その役者本来の人間的魅力を損なうような事も決して本意ではない。そこが難しい。

女形。日本舞踊に学ぶところが大きそうだ。基本的な立ち方、座り方、歩き方…斜に、半身に!川野氏の御教示によれば、日舞には男が女を演じるための全ての所作が含まれているという。恐るべし。

頼家政子シーン。思うところあり、今日の政子はとことん悪魔のような鬼母で演じてみた。あとで川野氏に「3回ほど斬りたくなった」といわれた。今までの政子の台詞は正論だけに抗えない部分があったが、それが今回はなかったと。だからさほどの葛藤もなく、いつもに比べれば頼家は楽そうだった──私にはそう見受けられた。
つまりは逆効果だったのだろうと思う。私は本当は頼家を苦しめねばならないのに…。
観ていた他の役者からも「おい政子、それはないだろ」的な感想が上がっていた。
そりゃそうだろうなと演ってる私自身も思った。

母は難しい。

家臣甲乙(JERSEY氏・阿部氏)のシーンが良くなってきている。量自体は少ないが、頼家の孤独を描く為に欠くべからざるシーンである。

赤子の抱き方。これも川野氏に御教示を戴いた。氏は三年前に一児の父となられただけあってとても詳しい。右手は首に要注意、左手は体を締めすぎて窒息させぬよう…

母は大変である。

物語終盤の殺陣シーン。失われた頼家の表情がここで回復する事に。台詞も追加することに…
私の中でかねて思い浮かべていた台詞と、川野氏の口から飛び出してきた台詞が完全に一致していて嬉しかった。
ああ、このシーンに向けて全ての怒りも哀しみも収斂されて行くと良いのだが。

2006年07月16日

稽古14日目

今日は頼家+声、政子+侍女の2組に分かれて、少し自主練の時間を設けた。
「声」は人間離れを意識するあまり、役者の人間性が死んでしまっては駄目である。発声法など、役者は工夫し始めたようだ。それにしても、ただでさえ複数の人格を有しそれらが複雑に入り乱れるという困難な役どころである上に、それをしかも役者二人で演じるのだ。ゆえになおさらの事、この「声」は難しい。最初から役者に全て委ねるというのではなく、少なくとも今の段階では、ある程度こちらから分担指定が必要かも知れない。
最後はマイクを使ってやってみた。当り前だがやはり全然違って聞こえる。

政子・侍女。対話に難しいものを感じる。侍女にはイン、政子にはアウトが必要だ。
稽古の途中、本公演企画書の最後に私がしたためた文章を読んでみた。
「そして《日本》人は、既に亡くなってしまった過去の人物に対して、
『ハッキリ言葉には出さなかったけれど、いや出せなかったけれど、本当はこんな思いを抱えていたんだろうな。あの人は』
と、故人の思いを想像してその魂を慰める優しさを持っている。
勝者が正義、敗者が悪とは限らない。
死んでしまえばそれまでのこと、ではないのだ。
死んだ後も、人の一生は続くのだ。その人を偲ぶ後世の人間によって。
そんなかつての死者たちに、生前口には出せなかった胸の内を語ってもらう。
そんな演劇が、無言の国《日本》には、存在する。
今日、能楽という名の下に、その片鱗は伝えられている。
仮面を着けた俳優に死者の霊が招かれて、在りし日の真情を観客たちに吐露するという方法だ。」

やはり我々は、帰するところここに辿り着かなくてはならない。
だから、普段の「演劇」で我々が普通に使っている手が、ここ今申楽では往々にして通用しないのである。
それは、私自身の演技についても痛感した。政子の読経シーンで、私はつい「感情」を表現してしまう。そんなもの、きっと観客は眉をしかめるだろう。

政子のシーンであるが、当初、連続的に演じる予定だった2シーンを、やはり1度政子も退場させて仕切り直す方向で考える事にした。それだけ、前のシーンが強すぎるのだ。
その間を、侍女の日常的光景で繋ぎたい。掃除か?給仕か?この話に出てくる侍女は政子のお付であり、将軍の伝言を取り次ぐなどかなり高位の侍女であるので、ひとまず給仕でもさせてみるかという事になった。その方が、次の芝居にも繋がりやすい(政子が侍女の頼家毒殺未遂を疑い出す)。

とにかく政子はどんどん惨めになってきている。息子の見ていないところで、床に飛び散った彼の血を拭くしかないのだ。

2006年07月17日

頼家祭り

午前2時。昨夜稽古が終わったばかりではあるが、「朝の修善寺が見たい」という装束担当・福原氏の車に製作補・鼓之丞ともども乗り込み、一路伊豆修善寺へ。と言っても道中の記憶は皆無。「ごめんなさい、寝ます!」と叫んで寝て、気がついたら修善寺のコンビニだった。時計を見れば4時ジャスト。コンビニ到着後、なお30分ほど眠りこけていたというので、つまりは片道1時間半で来たことになる。舞台衣裳家は同時に偉大なる「走り屋さん」でもあったようだ…。

さて、ここ修善寺を訪ねるのはこれで幾度目になるだろう。前から行ってみたいスポットがあったので福原氏にお願いする。きっとそこからの眺めはいい筈だ。その名は達磨山高原。富士山と駿河湾とを一望のもとに見渡せることで有名である。案の定、すばらしい日の出を拝む事が出来た…福原氏も本懐叶った模様であった。次に、桂谷にある修禅寺奥の院へ。ここが、本作『修禅寺』のクライマックスの舞台となる。劇中、頼家と政子がこの辺りの山林から富士を眺めるシーンがある…しかし実際にはこの辺りから富士は見えない。桂谷の名の通り、この一帯は谷間であって、富士を拝したければ先の高原方面に向かって達磨山を上らねばならないのだ。
要するにこの物語はフィクションなのである。当たり前だが。

さて、明日の祥月命日を前に、本日この町で行われる頼家祭り。例年行われているそうだが、私は今回が初めてである。が、その前にまだ時間があるので、韮山方面に足を伸ばして願成就院という寺に詣でた。ここには政子の父、北条時政の墓がある。頼家の祭りの日に、併せてその仇敵の墓参りも済ませるとはいささかバツの悪い話だが、とにかくここ願成就院は車の旅でもないとなかなか来る機会がない。以前にも一度来かけたのだが、時間切れで終わってしまっていた。今日こそはと時政の墓前に祈ったものである。
「今回、完全に悪者扱いですがどうぞ御容赦を!!」
この他にもう一つ、見たいものがこの寺にはあった。政子の七回忌に甥の泰時が奉納した地蔵菩薩座像(重要美術品)である。世にはこの地蔵に政子の面影を見る人もあるらしく、見かけたあるサイトによれば通称政子地蔵菩薩とも呼ばれているのだとか(真偽の程は未確認)。
ただ私の見るところ、一般の地蔵像に比べて心なしか顔の作りがリアルな気がする。鎌倉期の作風を差し引いてみても、なお一抹引っかかるものがないではない。泰時は仏師に命じて亡き伯母の顔を模させたのであろうか。

さて、韮山から修善寺に戻って川野氏ご一家と合流。
頼家忌。現在、頼家の墓は修禅寺境内にはなく、修善寺町の管轄になっている。そこで町の依頼を受けた修禅寺のお坊様方が、頼家とその家臣達の墓前で読経供養するという形が取られているが…やはりどこか寂しいものがある。祭りの風情ではなく、在り方がである。有体に言って、非常に不徹底なものを感じる。何度もこの地を訪ねてきた私にはある程度予想がついていたが、川野氏には相当ショックだったようだ。この悔しさ、作品創りに生かそうではないか…。

修禅寺宝物館にて、「頼家の面」を福原氏とともに観る。この面とも、かれこれ深い付き合いとなる。
氏はこの面について、独自の感想を述べられた。
「頼家よりもっと前の時代の作ではないか」「頼家とは無関係ではないか」「もし関係があるとすれば、頼家をまどわした悪魔の面ではないか」「悪魔の面であるがゆえに、頼家政子の愛の力で真っ二つに割れてしまったのではないか」「もし頼家の面ならば政子が放っておく筈がない、必ず人目に触れぬよう計らった筈」
私は氏の感想に心打たれるものがあった。その場では反論できぬ何かがあった。

ともかく、世の中にはいろんな人間がいるのである。この伝承不明の一枚の古面が、かつて岡本綺堂をして『修禅寺物語』を書かせ、今また私をして『修禅寺』を書かせた。そういう力を持った面である事は疑いない。と、ひとまずそんな結論に達して宝物館を後にしたのだったが。

しかし、家に帰ってよくよく考えるに。

母親には悪魔のように見えるかも知れない。
でも、あれはやっぱり「頼家の面」なのではないか…。

2006年07月20日

稽古15日目

まず、殺陣の稽古。このシーンの稽古は、もちろん役者の安全面を考えても繰り返し行っておくべきであるが、この作品全体の演出を考える上においても非常に示唆的なものを含んでいる。ゆえに今後も毎日行いたい。

頼家と声の「洞窟」シーン。このシーンには前後2場があるが、今日は初めて後半の方を立ち稽古した。
頼家が元気過ぎると注文した。頼家の症状を考えるための一つの手がかりとして、「老い」という言葉も口にした。とにかく頼家は弱りきり疲れきっている筈だ。元気には見えない筈だ。

政子・侍女のシーン。このシーンがなぜうまく行かないか。今日は稽古を延長して、そこを皆で語り合った。そこで判ったことがある。

「演劇とは何か」という事を、突き詰めて考えねばこの公演の幕は開かない。

この当たり前の一事に気付くのに、2週間分の稽古日、期間にして1か月半を要した。
大なる収穫だったと言うべきであろう。
そして、あと1か月が残されている。あと1か月で、4千円の舞台を創らねばならない。

人間、存外変われるものだ。

2006年07月22日

稽古16日目

やるべき事は先日の稽古であらかた見えた。
何のことはない、要するにきちんと演劇を創るという事である。

今日は主に物語後半、まだ立ち稽古をつけていない場面をやった。
徐々にではあるが、光はうっすら見えてきている。進みたいと思う。

嘘はいけない。だから役者は台本に書かれていない部分を創らないといけない。
台本に書かれている事だけをやるのは、嘘だ。
嘘を真にしなければならない。

その役で生きて欲しい。その役を生きて欲しい。
その台詞が生きているかどうか。嘘つきな台詞は死んでしまっている…自戒を込めて。

夜、稽古終了後は福原氏と装束打ち合わせ。氏は稽古場に将軍御台所のイメージを持って来られた。
こちらも光が見えてきた。

2006年07月23日

稽古17日目

もう、朧太夫とやらになぞ任せては居れぬ。これからはこのわらはが筆を執る事と致す。
今日はまづ、役者皆で申楽(今は能楽とかいふのかえ)を観て参つた。曲は『鉄輪』と申した。夫に捨てられ悋気のあまり鬼と化したる女の話。よもや太夫とやらめ、この女を役作りの手本に致す所存ではあるまいの。

観終はつて稽古場に向かふ途中、阿部丈がかやうな事を言つて居られた。曰くこのところ酒の量も増え、いささか「気もたれ」が致して居る由。太夫答へて曰く、「そは正しき心の反応なるべし。世には言霊といふものありて、日頃悪しき言葉を使ひ居れば自づから心も悪しうなり行く道理なり。この本には醜き言ひざま多し、くれぐれも健康には留意せられたし」
さやうな本を書いたのは誰ぢや。さも他人事のやうな顔をしくさつて。

さて、稽古場に着いてからは、殺陣、頼家・声、政子・侍女の稽古を致した。
さう、今日から太夫と山本丈の両名、稽古中はかたみに役名で呼びあふ事にしたのぢや。

御花、久しいなう。

皆の努力の甲斐あつて、来月頭には通し稽古に入る由。
今週末には皆で鎌倉と修禅寺に参るとやら。

良いのぢや良いのぢや、何でも良いのぢや、あの子が成仏さへしてくれれば…

2006年07月27日

稽古18日目

今日は久方ぶりに、川野丈と二人きり。
髪型、血、太刀、鞠などなど、気になつて居る事どもを細かに洗ひ出して居つた。
ちなみに太夫は「走馬灯」をよく知らず、丈に教示を蒙つて居つた。(こたびの申楽で走馬灯を使ふ案があるさうな)

彼らは殺陣をただのチャンバラにはしたくないと言ふ。太刀と太刀とが斬り結ぶ時、そこにえもいはれぬ妙音の漂ふやうな、さやうな美しいものが創りたい。我ら二人が観てもつひぞ幻滅せぬやうな、本物以上の本物が創りたいと。

ほほほ。さてさて、お手並拝見と参らうか。

と、その時ぢや。丈が太夫にかやうな事を言ひ出したのは。
「最後、僕と太夫で、この親子に舞をプレゼントしませんか」

な、何ぢやと?

2006年07月29日

稽古19日目(合宿初日)

今日明日は合宿なる由にて、辰の半刻頃、役者五名鎌倉駅にうち揃ひまづは鶴岡に詣でた。公演成功を念じ、絵馬に五名連署して奉納す。
その後、大倉御所址、佐殿の墓、段葛、由比ガ浜、妙本寺、寿福寺と見て回つた。
佐殿の墓に詣でて、彼らはやうやく笹竜胆が源氏の家紋と悟つたやうぢや。太夫、勉強が足らぬて。それも見て歩きの妙味なぞと他の衆にごまかして居つたが…嘆かはしや。
段葛。二ノ鳥居から先はいづこに消えたのぢや…跡形も無く、言葉も無し。
太夫、わらははなう。この道を歩いたぞ。あの子と共に、歩いたぞ。
おぬしに、あの子を負うてこの道が歩けるかえ。

歩いてもらはねば、困るのぢや。
よしなにの。よしなに、よしなに、よしなにの。

由比ガ浜に着く。若い衆がなう、楽しげに遊んで居るのぢや。
あの子も将軍の家になぞ生まれなんだら、なう。

それにしても、川野丈。おことは心なしかあの子に似て参つたなう。

2006年07月30日

稽古20日目(合宿2日目)

役者らの泊まつた川崎屋敷は、こたびの舞台の匠・渡辺殿の仕事場兼邸宅なる由。役者といひ裏方といひ、まこと太夫は心強き仲間を得たものぢや。渡辺殿、わらはからも厚く御礼を申しまするぞ。

朝、一路修禅寺へ。

修禅寺──

御住僧方のお力尽しの故であらうか、加へて行楽の時季の為でもあらうか、今日この地にかつての陰は見当たらぬ。

まづは指月殿に詣でた。わらはの死後建てられたといふ頼家の墓、近臣どもの墓…そして修禅寺御住職との対話。御住職は本尊大日如来の胎内の黒髪をわらはの髪と断定せられた。えぬえいちけいの頼家正妻説を退けられた訳ぢや。太夫はどうぢや、いかが思ふ?「相当の曲つ毛ですね」なぞと、またぞろ他人事のやうに…ほほほ。

放光般若経。巻第二十三だけがこの寺に残り、あとは武蔵の増上寺とかいふ寺に寄進せられてしまうたやうぢや。段葛といひ、この経といひ、これが歴史といふものであらうか。往時の面影は見るべくも無い。が、僅かに残つただけでも幸と思はねばならぬのかも知れぬ。

その後、奥の院と達磨山高原を周つて、こたびの旅は終はつた。
修禅寺の方々も「楽しみにして居る」と仰せ下されたではないか。
太夫。川野丈。山本丈。阿部丈。じや〜じ〜丈。
そして囃子方、裏方の御歴々。
何卒、何卒、精一杯お勤め下されや。
無論、わらはも心待ちにして居りまするぞ。こたびの旅が、きつと彼らの申楽の為ならん事を念じ、且つ又、征夷大将軍左金吾督源頼家の菩提の為ならん事を念じつつ。

佛説摩訶般若波羅蜜多心経
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦疫 舎利子 色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是 舎利子 是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減 是故空中 無色無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色聲香味觸法 無眼界 乃至無意識界 無無明亦 無無明盡 乃至無老死 亦無老死盡 無苦集滅道 無智亦無得 以無所得故 菩提薩埵 依般若波羅蜜多故 心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖 遠離一切顛倒夢想 究竟涅槃 三世諸佛 依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提 故知 般若波羅蜜多 是大神咒 是大明咒 是無上咒 是無等等咒 能除一切苦眞實不虚 故説般若波羅蜜多咒 即説咒日 掲諦掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦 菩提薩婆訶
般若心経

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