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稽古14日目

今日は頼家+声、政子+侍女の2組に分かれて、少し自主練の時間を設けた。
「声」は人間離れを意識するあまり、役者の人間性が死んでしまっては駄目である。発声法など、役者は工夫し始めたようだ。それにしても、ただでさえ複数の人格を有しそれらが複雑に入り乱れるという困難な役どころである上に、それをしかも役者二人で演じるのだ。ゆえになおさらの事、この「声」は難しい。最初から役者に全て委ねるというのではなく、少なくとも今の段階では、ある程度こちらから分担指定が必要かも知れない。
最後はマイクを使ってやってみた。当り前だがやはり全然違って聞こえる。

政子・侍女。対話に難しいものを感じる。侍女にはイン、政子にはアウトが必要だ。
稽古の途中、本公演企画書の最後に私がしたためた文章を読んでみた。
「そして《日本》人は、既に亡くなってしまった過去の人物に対して、
『ハッキリ言葉には出さなかったけれど、いや出せなかったけれど、本当はこんな思いを抱えていたんだろうな。あの人は』
と、故人の思いを想像してその魂を慰める優しさを持っている。
勝者が正義、敗者が悪とは限らない。
死んでしまえばそれまでのこと、ではないのだ。
死んだ後も、人の一生は続くのだ。その人を偲ぶ後世の人間によって。
そんなかつての死者たちに、生前口には出せなかった胸の内を語ってもらう。
そんな演劇が、無言の国《日本》には、存在する。
今日、能楽という名の下に、その片鱗は伝えられている。
仮面を着けた俳優に死者の霊が招かれて、在りし日の真情を観客たちに吐露するという方法だ。」

やはり我々は、帰するところここに辿り着かなくてはならない。
だから、普段の「演劇」で我々が普通に使っている手が、ここ今申楽では往々にして通用しないのである。
それは、私自身の演技についても痛感した。政子の読経シーンで、私はつい「感情」を表現してしまう。そんなもの、きっと観客は眉をしかめるだろう。

政子のシーンであるが、当初、連続的に演じる予定だった2シーンを、やはり1度政子も退場させて仕切り直す方向で考える事にした。それだけ、前のシーンが強すぎるのだ。
その間を、侍女の日常的光景で繋ぎたい。掃除か?給仕か?この話に出てくる侍女は政子のお付であり、将軍の伝言を取り次ぐなどかなり高位の侍女であるので、ひとまず給仕でもさせてみるかという事になった。その方が、次の芝居にも繋がりやすい(政子が侍女の頼家毒殺未遂を疑い出す)。

とにかく政子はどんどん惨めになってきている。息子の見ていないところで、床に飛び散った彼の血を拭くしかないのだ。

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2006年07月16日 22:43に投稿されたエントリーのページです。

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