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2006年08月 アーカイブ

2006年08月01日

稽古21日目

今日から八月。夏バテせぬよう健康第一で望みたいものである。
前半は、しばらく段取りを保留にしていた朧太夫と朧座衆の語りの場面を稽古した。ここで、当初の予定を変更し、私は政子の装束のまま、川野氏は頼家の装束のままで行く事にした。また、川野氏にはここで朧座衆として語って戴くわけだが、それは頼家の面に関する部分についてのみという事にした。スッキリしてきたと思う。さらに、私が語っている間、その内容を山本・阿部・JERSEY各氏に寸劇風に表現してもらう事にした。これがまた、面白いシーンになりそうだ。
そして、カーテンコールの稽古。否、本当の事を言えば「カーテンコール」という呼び方は私にはなんだかシックリ来ない。そこで密かにこのシーンを私は「附祝言」と呼んでみるのである。

今、私は、この「附祝言」こそが、ある意味では本作品における最重要場面になるのではないかという予感を抱いている。

稽古後半は、全シーンを一通りやった。細部の荒が大変目立つ。特に私がだ。ごめんなさい。明後日から、また気持ちを切り替えて臨みたい。
キャラクターや雰囲気でやってしまっている感がある。また、形態模写的になり過ぎている箇所もあった。
役ではなく役者になってしまっている箇所も…。

そんな中、山本氏がとても良かった。氏の演技に、私は大分救われた。

ともあれ、そろそろ次の段階に移行すべき時に来ているのだろうと思う。
それは──「今申楽」にして行く作業である。
私の創りたい今申楽、それはたぶん「無駄のない演劇」と表現してみても良いはずだ。

無駄のない演劇。無駄という無駄を削ぎ落とした結果、何十年でも何百年でも再演に耐え得るようになった、そんな演劇。
神話的な演劇、と言い換えてみても良いかも知れない。

行うに難い事とは知っている。私だって本当は書きたくないのだ、こんな事。
しかし、書かない訳には行かないではないか。

さし当たって、無駄を削ぐ作業から始めてみようか…

2006年08月03日

稽古22日目

今日は最初、役者皆に最近の気持ちを聞いてみた。阿部・JERSEY両氏は家臣役以上に声役に難しさを感じているようだった。川野氏は、「作品を愛するだけでは駄目で、今後は見せ物にしていかなければ」、山本氏は「先日の合宿で何かが吹っ切れた。由比ガ浜までの道を歩いた事で、政子が身近になってきた」と語った。

その後、蹴鞠シーン、政子・侍女シーン、殺陣をやった。
政子と侍女の掛け合いが、相変わらず大変難しく苦戦する。
本物の女性であるJERSEY氏に政子や侍女の代役をやってもらった。学ぶところ多し。

うーむ。悔しい…。

やっぱり「女」「母」に見えないとどうしようもない。当たり前だが。
赤子の抱き方、相手へのカマのかけ方…稽古あるのみ。

役者としての「品」を維持できるようになりたい。
男の濁声を張り上げるより、いっそ裏声になってしまった方がまだしも良い…

2006年08月04日

稽古23日目

最初の1時間あまり、冒頭の太夫の語りに付ける寸劇の自主稽古をしてもらう。悪魔がバックダンサーに見えては駄目だ、しっかり弘法大師に退治されないと。
このシーン、今回の物語と直接の関係は無い。それでいて、目下私の創りたいと思っている今申楽の在り方が最も如実に発露するシーンでもある。
つまり、無駄のない演劇という事だ。全ての所作が、結果的にある種の舞と化しているような、そんな演劇の事だ。
美に濾された演劇、といっても良い。

次に、洞窟の前半シーンをやった。
なかなか難しい。声の二人が苦戦している。試みに私が声をやってみたところ、頼家(川野氏)はやりやすかったという。決して私のが上出来という訳ではないのだが。
そこで川野氏は「シェイクスピア劇の朗誦術など参考になるのでは」と発言された。私は、つまりそれは詩を読む能力の事ではないかと思った。
声の台詞を詩として読んでもらったところ、阿部氏は最初「詩」の真に意味するところがわからず苦戦したが、最終的には何かを掴みかけたようだ。JERSEY氏が読んだところ、印象的な長編詩の様相を呈してきた。こんなJERSEY氏を見るのは初めてだ。本人も初めての経験だったようで、驚いていた。「すぐにまた前の状態に戻ってしまうのでは…」と案じていた。まあ、稽古あるのみだろう。

考えてもみれば全ての戯曲は詩である筈で、そういう意味では詩的でない台詞は「無駄」なのだ。そして無駄が多いと、観客は寝てしまうのだ。
阿部・JERSEY両氏には詩を読めるようになってもらいたい。それはもちろん、単に叙情的にやるのとは訳が違う。そこのところを、終わりの方の稽古では間違えてしまったようだ。

しかし、ともあれ、一縷の光明は仄見えた気がする。

山本氏に、歩くときは一足以内の歩幅で、立つときは爪先を揃えて、とお願いした。それだけでもだいぶ違って見えるはずだ。

今日は稽古場に唄演奏の今藤氏が見えたので、終わりの殺陣からカーテンコールまでざっと流した。この辺は特に演奏陣との絡みが重要である。最後、挨拶の口調が今一つ合わない。ここはまた、稽古する事にしよう。頼家政子に捧げる舞も作らねば…。

しかし、今日辺りから少しずつにではあるが、私は政子を演るのが楽しみになってきた。そんな気がする。

2006年08月05日

稽古24日目

今日はまず、「学校の生徒では駄目だ」「自分の殻をまだ壊していない」という話から始まった。
自分の殻を壊す事は大変難しい。そういえば私の高校時代の恩師は、死にかける程の大病か大恋愛にでも遭遇しない限り、人間はそうそう変わらないというような事を言っていた。しかし自分達の仕事の場合、己の殻に閉じこもっていては良い結果は生まれない。
要するに、演劇とは病や恋にも似た所業であるのかも知れぬ。
まだ、稽古場で圧倒的なものが生まれていない。岡本太郎風に言えばベラボーな演劇、爆発する演劇が私は見たいのだ。試験の答案を書くような態度では駄目だ。そんなつもりでやっている者は今回一人もいないのであって、皆真面目だし努力家だ。しかし、それでもまだ何か大切なものが足りない。
そろそろ綺麗事ばかり言ってはいられぬ時期となった。我々は残された貴重な時間に覚悟して臨まねばならない。

政子・侍女。初めて、仮の面を着けてやってみた。やっぱり「生」は観ていられないそうだ。「生」を排する必要がある、でもどうやって?能や狂言ではないのだ、家元だの師匠だのが教えてくれるわけではない、手探りでやってみるしかない!どうにか良い方向には進んでいるようだ…だが、まだ模索中もいいところだ。
抑えるあまり、大事なものが消し飛んでしまったきらいもある。母の愛情など…ここはまた明日やろう。

声は、やはり複数の役者でやるのが良いようだ。一人でやるのとは、やはりパワーや異様さが全然違う。故に、阿部・JERSEY両氏のコンビネーション、これが命だ。

川野氏から、政子が最初から頼家と対立し過ぎているのではないかとの意見を戴いた。母は第三者の視点から我が子を見てはいない、理屈を通り抜けたところで子を信じきっているというのだ。「うちの子に限って」というのがそれだと氏は言う。
氏は、自分が親になってそれを痛感されたようだ。

それにしても今日は、侍女と格闘し頼家と格闘し声と格闘して、あちこちに痣が出来た。痛い…。

2006年08月06日

稽古25日目

全員正念場。
繰り返し繰り返し稽古あるのみ。
政子頼家、初めて仮の面を着けて臨む。

今日は打楽器演奏・内田氏が稽古場に来て下さった。持参の打楽器を試演して戴く。イノベーションを見せたところ「演奏家も装束着られるのですか、嬉しい」との事。こちらこそ嬉しく思う。

さて、今日から侍女は政子に1日1回メールを出す約束である。

2006年08月08日

稽古26日目

朝、装束担当・福原氏邸にて、装束の進行状況を確認させて戴く。頼家装束には源氏の家紋・笹竜胆が。袴部分の素地は、修禅寺で観てきた頼家の直垂を彷彿とさせるもの。朧座紋入り座衆着は受付さんにも着て頂く予定だ。楽しみだ!福原氏によれば、今申楽には入口から別世界であって欲しいとの事。スーツとかではなく。
そして今回、氏が全ての装束に優先して作って下さったもの、それはなんと「万寿」であった。母魂爆発である。髪はわざと長めにしてあって、これは政子に切ってもらいたい、政子にこの万寿を完成して欲しいとの事。今まで、稽古場では他の人形で代用してきたが、それを観て「ならぬ、まずあそこを作らねば」と痛感されたらしい。福原さんならではのお気持ちである。

というわけで、今日から稽古場に万寿が来たのである。良かった。

あとは、鞠と伊豆弁とラストの舞をなんとかせねば。

さて、今日は演奏家全員を含めての初稽古でもある。
当然の事ながら、音楽が入ると作品の印象は大きく変わる。そういう経験は今回が初めてではないが、それにしても音楽担当・奥田氏のセンスには改めて驚かされる。正直、曲を聴くのは私も今日の稽古が初めてであったので、どうなる事かと期待と不安で一杯であったが…後者の方は取り越し苦労であった。
洞窟にかかる音楽に、どこか政子の唄う子守唄と通じるものがあり、良かった。一点だけ、銅鑼の音がそのままでは寺の梵鐘には聞こえないのだが、これも内田氏がなんとか奏法を工夫してくれそうだ。(その間、修禅寺に電話して鐘の衝き方を教わるなど、いろいろ勉強出来た)
唄奏者・今藤氏の椅子をどうするか、検討を要する。

三方の思いと奏でが今回の舞台に不可欠である事を強く感じた。
これが囃子の力だ。良かった。

そして、今日からようやく監修担当・陳氏が稽古場にお目見え。氏の口から発せられる注文の数々が、今までの稽古が確かに実を結んできている事の証明ともなっている。
これまた良かった。
今日は良かった尽くしである。

2006年08月09日

稽古27日目

政子・侍女の歩き方・立ち止まり方が汚いので稽古した。
川野氏に、骨盤は女の方が大きく(赤ちゃんの出口のため)、下を向いているのだと教わった。
私は猫背になりやすい。また歩くとき、両足が左右に大きくはみ出しすぎだ。気をつけます。

その後、今日は頼家シーンを重点的に稽古した。
山本氏に政子の代役をお願いして、今日はなるべく前から稽古を観ていた。
当たり前だが、やはり前から観ると全然違う。

そして、今日の稽古を終えてよくよく感じた事がある。
改めて──頼家とはどんな人であったのか。

2006年08月10日

稽古28日目

私は今日、初めて思った。
「なかなか悪くない台本じゃないか」と…
ああ、ついに書いてしまった。作者をしてこういう馬鹿な内容を書かせるほど、それほど今日の通しは悪くなかったのだ。

そう、今日は通し稽古をしたのである。途中1度も止めずに通すのはこれが初めて。
監修・陳氏の「3割くらいの力でやって下さい」が効を奏したものか、本当にまずまずの出来だったと思う。
ただ、音楽抜きで2時間を越えていた。テンポが時代劇のそれから今申楽のそれへと変わりつつあるのだ。にもかかわらず、陳氏によれば退屈には感じられなかったらしい。
さしあたり、目標2時間といったところか。

特に、声と御花がとても良かった。

今後は、原則毎日一回は通すつもり。

2006年08月11日

稽古29日目

こういう事を書くべきなのか、どうなのか。
心が壊れつつある。稽古開始以来辛うじて続けてきたこの日誌、果たして今後も継続なるか否か。微妙なところに差し掛かってきたと言わねばならない。

辛くて書けない事も、本当はたくさんあるのである。

ま、そういう仕事である。もちろん芯は倒れないのでご心配なく。それよりどうぞ、我らの今申楽、ぜひ観届けにいらして戴きたい。よろしくお願い致します。

○今日から原則として毎日一回は通す。
○現在のところ、約2時間30分。途中省略箇所あり、音楽もなしでこの数字である。何らかの方法で短縮を図るか、あるいは休憩を挟む等するか、検討を要する。
○今日、はっきりと「現代劇」から「今申楽」の稽古へと移った。
○時を同じくして今日から山戸氏が稽古場に篭城、面制作開始。まずは2枚の女面から着手。

2006年08月12日

自主稽古

○奥田氏から子守唄の譜面が届いたのでひたすら自主練。
○山戸氏、泊り込みで面制作を進めてくれている。出来上がりが非常に楽しみな今日この頃。
○甲乙の名前を決めた。二人に、本格的に「御家人」になってもらいたいためだ。阿部氏・JERSEY氏、頼んだぞ。

2006年08月13日

稽古30日目

通し稽古。本日のテーマは「巻き気味にやってみる」。
何やら、得体の知れぬ後味の悪さあり。
政子は抑え過ぎてしまった。
ビデオで撮っておいたのを皆で観た。私を含め、芝居に無駄な間が多い。それに感情の流れなど、も少し整理した方が良さそう。声、せっかく二人息が揃って来たのだから、さらにその上を行きたい。
演出助手・舞台監督助手の弥吉氏、本日から稽古場にお目見え。よろしくお願いします。

ラストはひらすら剣舞の稽古。美しく、とにかく美しく。

2006年08月14日

稽古31日目

鎌倉の道具屋に、川野氏と二人して舞台に使う太刀・懐剣・仕込み杖を買いに行った。
考えてみたら、今回、登場人物全員、物騒な小道具を持っている。厭な時代である。
帰り際、川野氏と由比ガ浜に立ち寄った。そこで川野氏から近況など伺った。

とにかく、良い舞台に仕上げたい。
そして、今回の作品が、川野氏にとっても生涯忘れ得ぬものとなってくれる事を心から望んだ。

東京の稽古場に着いてからは、ひたすら音楽入り稽古。奥田氏に、政子の唄う子守唄をも少し庶民的な曲調に修正して戴いた。
音楽入り稽古、基本的に時間が足りない。それでも皆の努力で、終始笑い声の絶えない稽古となる。
ほんと、笑い声って大事ですね。

声に迫力が出てきた。とても良い。
演奏も、心なしか、「囃子」的になってきたようだ。

本日より音響担当・田上氏、稽古場にお目見え。音響打ち合わせ、深夜に及ぶ。大ベテランの氏からは教わる事があまりにも多い。

今日で一ヶ月。

2006年08月15日

稽古32日目

○剣舞とその直前の芝居の抜き稽古。実はここ、非常に重要な場面なのだが(それは昨日の演奏入り稽古でも痛感した)、今まで後回しにしてしまってきた。稽古中、川野氏からも頼家政子の心情について提言あり、いよいよこの場面の重要性を認識した。
政子という女は、事ここに及んでついに母の愛を証明するのである。同時に、御家人たちと頼朝未亡人との関係性が端的に描かれる場面でもある。
○通し稽古。今日のテーマは「とにかく武士の魂に慣れる!」。昨日から稽古場に武器類が到着しているのである。まずはそれらの扱いに慣れねばならない。
今日の通しは大変良かった。今までで最高の出来である。
演出助手弥吉氏の指摘は的確であった。本日の達成点をさらに上げてくれることと思う。
○この度の我々の今申楽、何としてでも多くの方に観て戴きたい。今日の稽古を観て、そう強く願った。

2006年08月16日

稽古33日目

本日、演奏家を交えての初めての通し稽古。
政子が途中観音経を読む場面がある。弥吉氏川野氏によれば、そこのところが今日はあまり長くは感じられず、今までで一番良かったらしい。
ポイントは「念彼観音力」というフレーズにあるのではないかと川野氏に言われて思い出した。そのつもりで私もこのお経を選んだのだったという事を。

奥田氏に「途中、唄の末尾が収まってしまう感じがもったいない、ここは終わりではなく入口であって欲しい」と注文したところ、今藤氏が半音上げて唄ってみせて下さった。半音上げるだけでかくも印象が違うものか。とても良い。

このところ通し稽古を重ねて来た。弥吉氏の提案で、明日は久々に抜き稽古しようということに。
芝居も音楽も仕上がって来ている。あとはラストの舞をどうするか。

本日の通し、休憩抜きで2時間18分(これでもだいぶ縮まってきたのだ!)。終始座りっ放しの演奏家の疲労を考えると休憩抜きは考えられず、10分休憩を挟んでの2時間30分が目標という事になろうと最後に話し合った。休憩入りの作品を創るのは初めてで緊張する。休憩中、政子が舞台上でご飯を食べているというのはどうかと提案したが、太夫も休め、舞台上で何かやってるとお客さんの気が休まらないからと皆に止められた。それもそうか。

あとは、ただひたすら、お客様に観て戴きたい。
幸い、読売新聞が15日夕刊に本公演を取り上げて下さった。多くの方の目に止まる事を祈る。

2006年08月17日

稽古34日目

音響田上氏に、劇中の回想シーンを録音して戴く。本日から稽古場にお目見えの照明吉川氏にも武士団の一員としてご参加戴いた。吉川さんありがとうございます。 川野さんには少年頼家の声もお願いした。梶原景高役は弥吉氏。 今日は久々に抜き稽古を行った。皆の助言に支えられつつ、政子侍女のシーンを少しずつ高めて行く。

2006年08月18日

稽古35日目

昼、通し稽古。近頃の中では最悪の出来であった。監修陳氏によれば朧太夫がもっともまずかったらしい。芝居し過ぎだという。気を付けます。
とかくナチュラルでありたいものです。
夜。政子の面やら皆の仮装束やら小道具やらが続々と稽古場に届き始める。

最近、気になる事がある。皆、体調は大丈夫か。また、木を見て森を見ずになってはいないか。
ある者に私の代役をさせた時、絶対に間違えるはずのない台詞を言い間違えた。他人の台詞という事か。ある者は「そちら」「こちら」という言葉を稽古場で頻発する。演劇という共同作業にあって偏狭な分業意識は不要を通り越して害である。また演出家に第一に提出しなければならない資料がまだ届かない
のはどういう事か。

全体を見る目のない者が演劇に参加する事は許されない。

2006年08月19日

稽古36日目

政子の侍女・御花は有体に言って大女優の役どころである。
残された時間はわずかである。「勉強になっている」では済まされない。

川野氏曰く、今日、ようやく母の愛を感じられたらしい。
一喜一憂、生みの苦しみ。

2006年08月21日

稽古37日目(稽古場最終日)

稽古場最終日。早いものである。
昼、ハープ奏者・彩氏と子守唄の稽古。続いて政子・御花。そして演奏交えての通し稽古。

生演奏・効果音・マイク声と、洞窟シーンが音の洪水になってしまった。それを除けば、まあまずまずの出来ではあったろう。緩急も生まれてきた。冗長も抑えられてきた。そして何より、役者が生きてきた。
音に関しては残りの時間のどこかで整理しなければ…。
最後は皆さんと夕食会。これが一番大切な稽古なのだと、実は私は思っている。
宴会のさなか、場内アナウンスをJERSEY氏にお願いして田上氏に録音して戴く。

深夜、川崎ファクトリーのトラックが稽古場に到着。環八の大渋滞に巻き込まれたようだ。トラック部隊の皆様本当にご苦労様でした。
そして早朝、面担当山戸氏、ついにひとまず彫刻刀を手放す。

私は、この公演が終わったあと、皆で温泉に行こうと思っている。その時は、温泉に出かける前に有志でこの稽古場の掃除を行いたい。
最初の頃は私一人で後片付けをしていたが、最近は皆が手伝ってくれる。

演劇は人間芸術である。そんな当たり前の事を3か月もの間、改めて我々に教えてくれた稽古場であった。
掛け値なく、我々の汗も涙もとことん吸い尽くした稽古場である。猫や蛙や虫などがよく遊びに来たものだ。

2006年08月22日

小屋入り・仕込み

川崎ファクトリーの皆様の尽力で、実に魅力的な舞台が出来上がりつつある。
殊に、渡辺氏が鎌倉で調達してきて下さった松がとても良い!
かつて私がいたずらに描いたイノベーションに、この松はなかった。山戸氏も渡辺氏も当初から松案を唱えていたにもかかわらず、当時の私の選択に松はなかった。してみればこの松は、稽古のある段階から私の脳裏にぼんやりと宿り始めたものと思しい。
とても良い。何者か、この松に降り立つつもりででもあろうか。

舞台関係に時間が思いのほかかかってしまい、照明音響にしわ寄せが出てしまった。明日のゲネプロは中止し、その分じっくり場当たりに集中することに。
川野氏に、明朝浅草でまつり足袋を買ってきて戴く事になった。川野さん、ありがとうございます。

そして今日は、ご協力の塩澤・犬丸両氏に本当に助けられた。殊に塩澤氏は山戸氏の注文通り、見事に頼家面を加工して下さった。頼家面といい小道具の鞠といい、氏の職人芸に本公演はいみじく支えられている。
両氏にもこの場を借りて心よりお礼申し上げる。

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