今日は陰暦9月6日。という事は、ちょうど鎌倉の頼家が死の淵から蘇って、周囲を大いに狼狽させたという、あの時期に当るわけである。
先ほど、実に久しぶりに、部屋の大掃除と夕飯の自炊とを行った。どのくらい久しぶりかというと、8月の公演の準備が本格化して以来初という、私としては大変な快挙なのである。その間何ヶ月に及ぶかも定かではない。
己の性格はある程度知っている。この私が大掃除と自炊を始めた、という事は、つまり、いよいよ本格的に「我に返った」という事なのである。千秋楽からちょうど2ヶ月。正気に戻るのに2ヶ月も要するというのは、プロの芝居屋としていかがなものかと、内心忸怩たるものがある。一方で、そんなんでプロ失格と言われるようなら失格で結構、アマチュアで結構、バーカと開き直る私もどこかに潜んでいて、我ながらまったく始末に負えない。
見返してみると、この「修禅寺」のブログは、本番2日前の小屋入り・仕込み時のエントリーを最後に、事切れるようにして終わっている。本当は、他の同業者の真似をして、千秋楽までコツコツ書き続けるつもりであった。が、無理だった。白状するが、本番前日はほとんど徹夜だった。正確には1時間くらい寝たが、寝たというより、ありあまる雑務の中で突っ伏して気絶していたという方が、その場の雰囲気を言い得ている。まことにブログ更新どころではなかった。
一度禁を破ってしまうと、もう止まらない。生来のサボリ根性が頭をもたげて、本番中、ただの一言も言い残さぬまま、ついにとうとう今日に至る。
まあ、稽古場最終日までは無理やりにでもどうにか続けたのだから、稽古日誌としてはあれで良しという感じで、ひとつ大目に見てやって下さい。
とにかく、気が張っていたせいであろうか。千秋楽後は、さながら浦島太郎のごとく。我知らぬ間に、ただただ時は行き過ぎた。
むろん、この2ヶ月、単に廃人だったわけではない。公演の残務整理もある、自分の生活もある、それなりにいろいろやってはいるのだが、しかし、どこかで、心ここにあらずであった。
皆様。ただいま帰りました。
で、「ああ、自炊って良いなあ、なんて安くて美味いんだろう」などと(大したものは作ってないのだけれど)しみじみ思って、その後ふとウィキペディアで「源頼家」を検索してみて、そこで初めて、脳天に焼け火箸を打ち込まれるような感覚を味わわされたのである。
驚くなかれ。そこには、なんと、こう記されているではないか。
「(前略)反発した頼家は、比企氏と組み北条氏討伐を計るが、逆に比企氏は滅ぼされ(比企能員の変)、頼家は将軍職を剥奪され伊豆の修禅寺(静岡県伊豆市)に幽閉される。幽閉先の修禅寺では近隣の子供達と付近の山々を遊びまわったりして子供の面倒見は良かったらしく、現代でも愛童将軍地蔵というものが当地には残されています。翌年、北条氏からの刺客により暗殺。また、頼家の死体から大量の妖怪が生まれたという言い伝えがある。」
近隣の子供たちと遊んで面倒見が良かったなどというのは、かなりマニアックな伝承であって、私の知る限り、書籍では地元の書店発行の郷土史本の類でしか見かけたことがない。(しかし、余談だが、私はこのマイナーな伝承を、実はそれなりに重く見ているところがある。この時代の常として、怨霊説話の主となって一向におかしくない頼家がそうはならず、むしろ先述のごとき微笑ましい伝承が、しかも民間にささやかに残されている辺り、何かしら示唆的なものがあるやに私は思うのだ)
しかし、これは頼家や修禅寺について調べた者ならば出くわす話である。
私が己の目を疑ったのは、最後の一文だ。
「また、頼家の死体から大量の妖怪が生まれたという言い伝えがある。」
こ…これはいったい…。
この記述は、いささか刺激が強すぎる。心臓の弱い者が読むとショック死する恐れがあるのではないか。
「頼家の」「死体から」「大量の」「妖怪が」「生まれた」
どの文節を取り出してみても、十分にショッキングであり、読む者をして打ちのめさずには置かぬ破壊力を秘めている。否、秘めてなどいない、むき出しだ。
こんな言い伝えに接するのは、初めてである。
どなたか、詳細を知っておられたら、是非とも御教示を願いたい。