花見
靖国神社に花見に出かけた。訳あって、今年はここの満開の桜を、是非とも目に焼き付けておきたかったのである。
いつもは何もない境内の一角が、今日は幕で仕切られ、かなりの数のパイプ椅子が置かれていた。今日から3日間、ここで恒例の「奉納夜桜能」が催されるというのである。
空模様は快晴、境内の桜という桜は今まさに満開の時を迎えている。咲き匂うそばから、しかも、こぼれるように散って行く。その桜のもと、由緒ある能舞台で演ぜられる今夜の『蝉丸』は、さぞ情緒も抜群であろうと思われた。受付の方が「今日は最高ですよ、是非ご覧になって行かれなさい」と熱心に勧めて下さる。
時間もあるし、観て行こうかな、と、一瞬思った。そして、すぐに取りやめた。
この贅沢なシチュエーションにただただ圧倒され、魅了され、その美に酔い尽くす。ああ、やっぱり日本人に生まれてよかった、などと思ってみたりもする。普通はそれで良いのだろう。神社という場所に足を運んだ者の所感として、妙な表現だが、まずは正解に属するのだろう。
浸るのは日本人の癖だ。そして、確かに桜の花というのは、無条件に人を浸らせてしまう。
だが、しかし。ここの桜は、本当はただの桜ではないはずである。
明日は『巻絹』、明後日は『杜若』が演ぜられるという。それもよい。
が、この靖国の桜のもとで真に演ぜられるべき曲を、おそらく世阿弥ら往古の能作者は、誰一人として手がけてはいないと私は思う。
舞台の前では、神職がお祓いをしている。客席では、スタッフが諸々の準備に駆け回っている。
関係者がそこかしこを忙しく行き交うなか、私は、パイプ椅子の一つに勝手に腰掛け、実は彼らと全く違うことばかり考えていた。