あっという間に6月になってしまった。
去年の暮れから、新作の想を練り続けている。苦しい。難産である。今までで一番楽をしたかったのに、今までで一番の難産である。そういうものなのであろうか。
痩せる、肌が荒れる、自分の面倒が見られなくなる。ブログを更新する余裕なんか、まるでなくなる。
一言ぐらい書けば良いのにと、我ながら思う。このブログが唯一の近況報告なのだから。
しかし、一言も書けない。私の場合、どうしても、そういう期間がある。
今日は久しぶりに、心の余裕が出来たのだ。だから今、こうしてパソコンに向かっている。
前作『修禅寺』の一番最初の台詞は「万寿 万寿 やれいとしや/どれ 海を見に参らう」というものだった。が、誰にも見せたことのない「第零稿」では、こうだった。
「思ひは伊豆の湯の里に 思ひは伊豆の湯の里に 我が子の跡を弔(と)はうよ」
お恥ずかしいような、それでいて、忘れる前に、ついご披露しておきたいような。
(一生忘れないような気もするが…。)
前2作(『香炉峯』『修禅寺』)、そして今度の『○○○』(まだ内緒)、三つに共通して言えそうなのは、結局、全部私の「私演劇」なのだということ。いや、『○○○』は書いてみないとわからないが、おそらく、前2作以上に「私演劇」になるだろう。そんな気が、今はしている。
歴史に材を求めておいて、何が「私演劇」かと言われそうだが、しかし、これが私の偽らざる実感。
歴史を冒涜することなきよう、かえって肝に銘じておかねばならないと、最近とみに思うのである。
私の「私演劇」なんぞにお付き合いさせてしまった今までの登場人物たちには、正直、申し訳ないと思う。(源頼家には修禅寺に行く度に謝っている。清少納言は墓のありかさえ分からず、困っている…)
そして、この本は本当にこのままで良いのか、書き直すべきところはないか、せめて生あるうちは推敲に推敲を重ね、世に問い続けるよりほかはない。勝手に、そう信ずる次第。
さて、今度の『○○○』でお付き合い戴くのは…
私はこの半年、彼らとの接点を求めようと必死だった。そこに「遊び」を持たせる余地はなかった。
ところが、今日あたりから、なぜか楽しくなり始めたのである。彼らとの付き合いが。
彼らは、多く、無名の人である。しかしながら、彼らはまとめて「英霊」と称され、ある時は持て囃され、またある時は蔑まれ、その祭祀のあり方をめぐり長く紛糾の種であり続けてきた。彼らと遊ぶ余裕は、今まで、全くと言っていい程なかった。
その余裕が芽生えたのだ。楽しくない筈がない。
いつか産声を上げてくれるだろう。