沖縄取材旅行
先月下旬、初の沖縄訪問を果たしてきた。
目標は、ともかく沖縄の地を踏むこと、沖縄を肌で感じること、である。
25日
700頃羽田空港発─945頃那覇空港着─(モノレール)─旭橋駅─(駅付近で自転車を借り、国道329・331号線経由)─1350安座真港着・1400同港発─(高速船・自転車ごと搭乗)─1420久高島徳仁港着─(レンタサイクルで島内めぐり及び海水浴少々。カベール岬・フボー御嶽〈ウタキ〉入口・久高殿など)─1700同港発─(高速船)─1720安座真港着─(レンタサイクルにて331号線経由)─1740斎場(セイファー)御嶽入口(『てくてく歩き沖縄』に「見学自由」とあるのに騙される。実際には入場は1730までとのこと。後日出直しを期して撤退)─(レンタサイクルにて国道331・329号線経由)─県庁前・居酒屋兼民宿よね屋泊(夕食及びご主人と沖縄談義)
26日
1000頃よね屋発─(レンタサイクル)─旭橋駅─(駅付近で自転車を返した後、レンタカー会社に迎えに来てもらい、古波蔵で車を借りる。以下レンタカー)─旧海軍司令部壕─喜屋武岬─魂魄の塔─ひめゆりの塔・ひめゆり平和記念資料館─勇魂の塔・黎明の塔─2020古波蔵着(車を返し、よね屋まで送ってもらう)─よね屋泊(昨夜と同じく。ご主人から読谷在住の彫刻家K氏訪問を勧められる)
27日
900頃よね屋発─(前日と同じレンタカー会社に県庁前まで迎えに来てもらい、古波蔵で車を借りる。以下レンタカー。国道58号線を北上、右手に米軍嘉手納基地のフェンスを眺めつつ)─読谷村(地元の方に尋ねまわってようやくK氏のアトリエに辿り着くも、残念ながらお留守。ただし玄関に氏の活動を紹介した地元の新聞が張ってあったのでこれを読む。思うところ多々あり。ともかく氏の「芸術家・表現者はその属する国家や民族に正面から向き合わぬ限り、その資格なし」との趣旨に励まされ、また私自身はあくまでも戦後生まれのヤマトンチューでしかあり得ぬ事を思いつつ、読谷をあとにする。国道329号線を南下)─斎場御嶽─平和の礎─沖縄県平和祈念資料館─沖縄師範健児之塔─(帰路、レンタカー会社に電話、翌日まで延長)─国際通り(青島食堂にて夕食後、ぱやお栄町店にて泡盛少々。ここで地元の若者や酔っ払いらと少々会話。他に旧崇元寺石門周辺散策等)─よね屋泊
28日
800頃よね屋発─(レンタカーにて)─国立沖縄戦没者墓苑・沖縄平和祈念堂(公園内で花屋のオバアと歴史談義)─首里城・金城町石畳道─1530古波蔵着(車を返し、那覇空港まで送ってもらう)─1730頃那覇空港発─2000頃羽田空港着
来なければわからなかった。
特に、久高島と斎場御嶽で受けた印象。何を言っても安くなる。この印象は私一人の胸のうちに留め置くことにする。
南部の慰霊地一帯には、結局3日間とも足を運ぶこととなった。
次作の想を練りながら、というより、そもそも私に先の大戦を扱う資格があるか否かを問いながらの散策であった。
摩文仁の丘のそこかしこに建つ碑に手を合わせながら、やっぱり、私は先の大戦を書きたい、書かねば、と思った。どれほどの駄作に終わるかは書いて初めて分かること、と。
ただ、一つだけ、備忘録としてしたためておきたい。
私は、昨年7月の勧進今申楽のあと、骨休めに上海に行った。そして、そこで観た中国古代の青銅器群にすっかり魅了されてしまった。そこで、よし、今度はこういうものを零から生み出した連中、すなわち芸術家の話をやろう、と思った。
それが、昨年12月あたりを境に、戦争の話に移っていってしまったのだが、しかしこれは題材が変わったわけでは決してなかったのである。
芸術家の話と、戦争の話とは、私の中ではつながっている。その事に、私は沖縄に来てようやく確信を得たのだ。