「古い」という言葉
友人T君より久方ぶりに電話あり。今夏、靖国神社境内で劇団夜想会による野外劇が催され、それを観てきたという。映画『俺は君のためにこそ死ににいく』の舞台版だったとのこと。私も誘ったのだが、携帯電話が繋がらなかった由。
それに対するT君の感想、さてまた朧座の次作に対する希望、ともども聞かせてもらった。
私はといえば、実はこのところ完全に鬱状態。その鬱が嵩じて、先日、腰まで痛めてしまった。(整体して戴いている方によれば、私は頸椎による骨盤の歪みがあるため、ストレスに非常に弱い状態らしい。)
先日NHK教育で能狂言を観て、ああ、善竹十郎さんの息子さん(失礼、鬱で名前も覚えていない)が良い演技をしておられるなあ、申楽の正統はやはり狂言に伝えられているのだろうか、もっと狂言を勉強せねば…とかなんとかボンヤリ思い、そのことだけでもブログに書き綴っておこう、と思っている間にも早1、2週間経ってしまった。
鬱になると、私の場合、活字が読めない、時の流れについていけない、そしてとにかく眠くて眠くて仕方がない、等の症状が出る。
次作の執筆のために買い揃えた資料類に目を通す気力も、今はすっかり衰えている。
しかし、これもやむを得まい。こういう時期もあるのだ。
そういう時期にT君の言葉は良い励ましになった。T君、どうもありがとう。
「今」申楽を号する身として、「古い」作品を創るつもりは毛頭ない。彼がいくつかの戦争ものを批判していう「古い」という言葉が、今の私に一つのヒントを与えてくれたように思う。