再来年は平城遷都1300年。その1300年祭マスコットキャラクターをめぐる論争も、熱しやすく冷めやすい世間からは既に忘れ去られつつあるようだ。
だが、この話題が完全に風化してしまう前に一言言っておきたい。既に誰かがどこかで言っているかも知れないが、この一見たわいもない論争の背後には、実は日本文化の負の一面たる陰湿ないじめ根性が潜在している。私はそう思う。
何を可愛いと思い何を可愛くないと思うか、言うまでもなく人それぞれの自由勝手である。多数派の支持を得たものが人気者の座を占め、少数派は日陰にひっそりと生きて行かざるを得ぬこと、これまた無理からぬことであろう。
だが、しかし。「せんとくん」を可愛くないと思う者たちの作ったキャラクターは、なぜ、「まんとくん」なる皮肉めいた名を帯び、しかも実際、およそ無用と思しいマントを羽織っているのだろうか。平城遷都の象徴として鹿もわかる、朱雀門もわかる、しかしマントだけはわからない。皆目意味がわからない。
ただの偶然なのだろうか。「せんとくん」対抗キャラクターを募ったところ、最優秀作がたまたまマントを着けている、そこでただ素直に馬鹿正直に「まんとくん」と命名したのだろうか。たとえそうであったとしても、その無邪気さは逆に悪質で深く人を傷付けると思う。それにそもそも、他意なしなどということはあり得まい。要するに、よってかたってのあてつけ、いやみに他ならぬと私は推測する。
「せんとくん」に不満があるならば、関係者は堂々と潔く、一から新キャラクターを生み出すべきであったろう。ところが新キャラクターは残念ながら、生まれながらにして親たちの負の動機、負の情熱を背負ってしまっている。いやみったらしい卑屈なマントと、それにちなむいやみったらしい卑屈な名を与えられてしまっている。
大和路を見て歩くに、また時折万葉集などひもとくに、1300年前のこの国は、も少し太く大らかな国柄であった気もするのだが。いつしか、大勢にへつらい、それに属さぬものは苛め抜くという悪弊を身に付けてしまったように思われる。