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旧日本軍と同性愛的傾向

旧友が突然電話をかけてきた。「お前のブログ読んでるよ。読んでて重くなるんだよな」
だったら読むなというような子供じみた反応はしない。「ごめんねぇ」と返しておいた。
まあ、でも、旧友と同意見の方がおられたら、ほんと、ごめんなさいねぇ。

今日は、近所の温泉に行ったのだが、そこで少し驚いたことがある。
やたら体格の良い一行が入ってきたのだが、彼らは、温泉につかったり水風呂に移ったり、いちいちお互いに同じ行動を取るのである。ジャグジーも一緒、サウナも一緒。
あのぶんでは、トイレも一緒に行くのであろうか。まさかとは思うが、しかしそう思わせるほど、それほどまでに行動を合わせたがるのだ。
不思議だ。私にはない、少なくともないつもりの感覚、習性である。
土居建郎の『甘えの構造』に、確か、同性愛と同性愛的傾向に関する一章があったと思う。日本人は、甘えのなせる業として同性愛的傾向が強い(夏目漱石『こころ』にそれは顕著である)、ただしそれが同性愛に発展することは稀である、そんな内容だったかと記憶している。
土居の言説に従えば、あの温泉の光景は、まさに「同性愛的傾向」なるものの爆発図絵であったに違いない。あの体格は、大学の体育会系というより格闘技家の集団を思わせるものがあった。そういう集団では殊にそのような傾向があるのかもしれぬ。しかし、考えてもみれば、サラリーマンなんかの世界でも実は非常にありそうな傾向である。
極言すれば、日本的男社会にほぼ普遍的に認められる傾向なのではあるまいか。

旧日本軍でも、それはあったのであろうか。
次作の秘部に触れるので、これ以上書くわけには行かぬ。それにしても、ああ、わからない、悩ましい。

本日も重いネタで恐縮である。

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2009年03月09日 01:50に投稿されたエントリーのページです。

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