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場末の桜に思う

先月の中旬あたりから、俄然、朧座の9月公演の準備が忙しくなり始めた。
嬉しかったのは、制作K氏と飲みに行った新宿の飲み屋T(私は初めてだったのだが、ここは演劇関係者の間では有名な店。というのも、店のご主人が俳優兼演出家であり、かつまた狂言師でもいらっしゃる)で、そのご主人が「えーっと、あなたをどこかで見たことがある!そうだ!杉並公会堂の修禅寺物語!」と、私のことを覚えて下さっていたことだ。(ちなみに、正確には「物語」は付かないのだけれど…)
舞台はたったの一回限り、演じたそばから消えてゆく。それをこうして記憶のどこかにとっておいて下さって、私の顔を見て思い出して下さった。役者の端くれとして、こんなに嬉しいことはない。
その後、伊豆の修禅寺に公演のご報告に参上したり、その途中、昼食をとりに入った地元のお蕎麦屋さんから、有難いといおうか恐れ多いといおうか、ともかく思いもかけぬお話をうかがったり…毎日何かしらの事件や出来事はあるわけで、それをいちいちブログに書き綴れば、それなりの読み物になるかもしれない。
しかし、そうは言ってもやはり、心の中にそっとしまっておきたいような事柄、また少なくとも今は公に出来ないような事柄もまた大変に多い。ちなみに、劇団を主宰する某大先達のブログのタイトルなど、ずばり「○○のたわごと」という。そう、たわごとぐらいしか書けないし、また、たわごとでいいんだという気もする。

そんな具合でこの半月ばかり、何かと慌しい日々を送っていたが、今日、ふと時間の余裕が出来て、心もそぞろに近所のプールに泳ぎに出かけた(つまり、わざわざ桜を見に出かけたわけではない、ここがポイントなのである)。
鷺宮にある何の変哲もない区営のプール。ここの手前の川岸に、それは見事な桜の花が、今を盛りと咲き満ちているではないか(つまり、世に知られた桜の名所でも何でもない、ありふれた場末の桜、これまたポイントなのである)。
花見が目的ではなかったわけだが、結果的には小1時間ほども近くの公園に座って眺めていた。通行人も「今日が最高だなぁ」なんて言いながら通り過ぎていく。実に庶民的な、西武新宿線沿いのちとうら寂しい一角に、ただ、今日はちょっとだけ特別に、桜が満開なのである。たまたまそこを通りがかった、近所の住民いくばくかの目を楽しませるためだけに咲いている、そんな風情である。千鳥が淵だの、飛鳥山だの、さては新宿御苑だの、そんな喧騒とはおよそ無縁の静謐がそこにはある。
ふと、一枚の花弁が、風に乗って襟元に滑り込んできた時、私の中で、ああ、これで全てが繋がったかな、というような感覚があった。
簡単に申せば、要するに、朧座の新作のラストシーンが出来たということなのである。たぶん。
そういうことにしておこう。そんな気分なのだ。

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2009年04月05日 02:10に投稿されたエントリーのページです。

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