今度の9月に上演する『修禅寺』は、仏教の話である。
北条政子と源頼家。現代人となんら変わらぬ問題だらけのこの親子が、形ばかりの出家者から、本当の意味での仏に近づいて行く。その過程を描いた物語である。
という、たったそれだけの事に、3度目の上演にして初めて気が付いた。
これは、私以外の演出家であれば、実はすぐに見抜けたことなのかも知れない。自分の書いた台本に対し、真に客観に徹することは簡単でないとつくづく思う。作と演出を兼ねることに批判的な立場があることや、作・演出の兼任を認めるかわりにドラマトゥルク(ドラマターグ)を立てるやり方があることなどが、それを物語っている(朧座は後者)。
言ってみれば、自分の書いた台本は我が子も同然で、なかなか子離れが出来ないのだ。それが、3度目にして、ようやく少しはへその緒が切れてきたという感じ。
なんだか親馬鹿な文章でごめんなさい。
とにかく、『修禅寺』は、仏の話なのである。
書いた私が言うのも変だが、タイトルを見ただけで気付けよ俺、という心境である。
というわけで、最近、仏教に関心を持っている。
仏教は面白い。否、有難いという方が適切か。
仏の説いた教えであり、かつまた、自らが仏になるための教えでもある。
仏像だけじゃなく、お経の一文字一文字が、既に蓮の上の仏である。
などなど、おい、そんなの、学校じゃ一言も教わらなかったぞという感じで、日々、目から鱗である。昔、京都の寺で口から仏像を吐いている坊さんの像を見かけたことがあったが、ああ、そんな深い意味があったのか…と、驚きの連続。
自分の作品を練り続けていられる幸せを噛み締めている。
本作に関わって下さった方々、これから関わって下さる方々、もちろんお客様を含めて、全ての皆様に感謝致します。