絶望しない
例えるなら、一昨日あたりのことが1週間くらい前のように思える、そんな日々。
希望と不安が錯綜する中、本番の足音は否応なく迫りつつある。
まあ、いつものことといえば、いつものことではあるのだが。
稽古場でつくづく感じていること、それはとりもなおさず
「日本文芸史における近代と前近代との圧倒的断絶」
である。この溝の深さは、一見、絶望的である。
だが、しかし、私は絶望しない。
なぜならば、我々が創っているのは「今」申楽なのだから。
実のところ、私にとって、今ほど魅力のない時代はない。
私を「生まれてくる時代を間違えた」と評する人があるが、その通りかもしれないと思う。
懐古趣味に耽溺するつもりなど、さらさらない。
単純に、近代人はあまりにも日本文芸の伝統を忘れ過ぎている。ただその一点と言ってよい、私の主旨は。
なるほど、私が生まれる前、確かにこの国は敗れてしまったらしい。
虚ろな時代に生まれついたものだ。
だが、まだ、この国の言語は辛うじて生きている。生きているはずだ。
その思い一つを糧に、私は今、稽古場に立っている。
「今」申楽を創り続けている。
伊豆修禅寺の宝物館で見かけた、ある経本の末尾に付された1行の文字列。
それが、私を支えている。
果たすべきことの大きさを思えば、些事にかまけている場合ではない。
まもなく、本番を迎える。
是非、多くの方に見届けて戴きたい作品である。