野暮を恐れない
公演が終わった。
稽古開始が今年7月。企画開始が去年9月。
どうしてもボーッとしてしまう。残務整理も終わっておらず、そんな暇はないのだが。
銀行に来て、ぼんやりテレビを眺めていたら、原研哉さんと爆笑問題の対談をやっていた。
日本の美意識は応仁の乱以後だとか何だとか、よくは聞こえなかったがそんな話をしていたようだ。その後で、太田光さんが「間」の話をし始めた。世間、人間、どこを見ても日本は「間」だ。ミヤコ蝶々も「間」が命だと言っていた。確かそんな話だったかと思う。
その「間」というものが、しかしある時とんでもない化け物になってしまって、個人というものを脅かし始める。それを阻止するために、俺は「野暮」ということを嫌いたくない、と、そんな風に氏の論旨は発展していった。
今申楽とは何かということと、重なるところの多い議題であったように思う。
「間」を重んじるあまり、行間とか空気とかを察することが当然の態度として期待され、結果、何か大切なものがほったらかしにされる。皆なんとなくわかったような気になって日々やり過ごしているが、実は、問題の所在さえもうやむやのままになっている。そんな風景が、この国にはよくある。他の国にもあるのだろうが、特にこの日本という国にはある気がするのである。
野暮と言ってしまえば、今までに朧座で上演してきた『香炉峯』『修禅寺』、ともに野暮な話ということになるのだろう。しかし、私は枕草子に触れ、あるいは伊豆修禅寺に残された経文の奥書に接し、そういう野暮な劇を仕組まないではいられなかった。
清少納言や北条政子らにはいい迷惑かも知れぬが、それが要するに私の性というものなのだ。
さて、公演の残務整理も終わっていないというのに、どうしたことか、新作の想がこの三日ほどであらかた決まってしまった。あとは書き出すだけ、という状態である。公演の稽古が忙しくなるとともに、新作の構想は中断せざるを得なくなっていた。つまり、その間、うまく発酵していたのだろう。稽古で得たことどもが、またその発酵を促したのだと思う。
日本史上、最も野暮な話になることはもはや疑いがない。私を含む国民みなが耳を塞ぎ目を隠し、「そんなことはいまさら野暮さ」というすまし顔して、この60余年やり過ごしてきた。否、時折、すまし顔なんぞはできぬという性質の向きもあるが、こういう人々は人々でやたら街宣車を走らせたりなどするものだから、やっぱりどこかで私とは相容れないものがある。多分、彼らは私の作品を見て、「そんな野暮な取り上げ方では、ご英霊に申し訳が立たぬ」という感想を持つのではなかろうか。
野暮で結構。とことん野暮に参ろうではないか。
先の戦争を知る方々にもご覧頂きたい。少し、急ぎ目に行くとしようか。