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日々朧々 アーカイブ

2003年09月29日

能の進化は止まっている

能は観阿弥・世阿弥親子によって大成されたというけれど、実は大成されると同時に、その成長は以後六世紀の長きにわたってほとんど止まってしまったままなのだ。わずかに応仁の乱前後に若干の試行錯誤・模索が行われた形跡が認められるのを唯一の例外として。従って能の黄金期とは即ち室町の黄金期、将軍義満・義持・義教のわずか三、四代に限られているのであった。以後はおしなべて退化、劣化、悪化の一途を辿ったといって差し支えない。老化ではない、退化・劣化・悪化である。老化ならば救いもある。春の花の色気は失せるが、要らぬものが削ぎ落とされて秋の紅葉の美しさがある。そういう洗練の美を貫いて凛々たる老いに殉じた正統派はしかし極めて少数であり、かかる例外を除くほぼ全ての演者見者が江戸式楽以来今日に至るまでよってたかって能を腐らせてきたのであった。そろそろ能は若返らねばならない。その為に今私が模索している方法論の一つが、「群衆能」というものである。

2003年10月02日

「群集能」

私はこれまで本業の分野で「群集劇」と呼ばれるタイプの演劇と付き合ってきた。大勢の登場人物が出て来て、人間群像が描かれる。無論、各々にスポットライトが当てられる事もある。しかし最終的には、個々の人間像が綾なして大河の如き群集絵巻を織り成して行くのだ。そこにはもはや明確な主人公等存在しない。群集の一人一人が主人公なのだ。これを私は能でやりたいのである。応仁の乱前後の能、例えば『一角仙人』等を観ると、この時期の能作者らがいかにシテ独演主義に対して様々な試みを行ったかが判る。しかしなお大勢は揺るがず、ついに本格的な群衆能の実現、即ち能の本質的構造改革は六世紀後の今申楽に持ち越されたのであった。もはや私の頭の中では具体的な構想もかなり定まってきている。仮タイトルは『雲隠』。登場人物は光源氏、頭中将、空蝉、末摘花、玉鬘、六条御息所、桐壺更衣…そして二人の紫式部。皆、シテである。「源氏物語の主人公は実は光源氏ではない、源氏を取り巻く数多の女君である」という瀬戸内寂聴氏の説に、想を得た。

2003年10月04日

名曲と駄曲

能は現行曲といって約二百番程のレパートリーが決まっている。能の長い歴史の中でいつしか演ぜられなくなったもの(廃曲)もあるし、それがまた何らかの機会に再び演ぜられるようになる(復曲)場合もある。ともあれ、現行曲の全てが面白いとは限らない。駄作も案外多い。駄作であるが故に廃曲と化していたものを、わざわざ復曲する場合もある。何か変った能がやりたいという物好きな役者の所業か(だとしたらつまらぬ廃曲等に手を出すより新作能に挑むべきだと私は思うが)、さもなくば埋れる無形文化を発掘せんという学問的関心の故か。とにかく「今ある能は全て面白いから残った」等というのは能に肩入れする者の詭弁に過ぎない。何しろ能が本当に面白かったのは室町黄金期だけなのだから。かの秀吉が既に相当歪んだ楽しみ方をしている辺りからもそれは容易に察せられる。面白いから残った名作と、面白いのかつまらないのか誰も判らぬという悲惨な状況の下、たまたま残ってしまった駄作とが、今日、現行曲等といって無形文化の名の下に一緒くたにされてしまっているのだ。

2003年10月06日

「能楽堂」の功罪

古仏にせよ古建築にせよ、生きていなければならない、という事だ。博物館や美術館のガラスケースに収まってしまった古仏は、確実に死んで行く。古建築もそう。例えば奥州平泉の中尊寺金色堂などは、文化財保護の為余儀ない事とはいえ、コンクリートの覆堂によってすっぽりと覆われ、さらに四方をガラス窓で遮られてしまって、完全に死んでいる訳だ。仏像も堂宇内陣で間近に拝観出来るものでないと駄目である。屈指の傑作・奈良聖林寺の十一面観音も、折角堂宇に安置されながら、ガラスケースに囚われの身である。実にもったいない。これら古美術を考える時忘れてならないのは、同時にそれらは現在に生きる信仰の対象であり続けているのだ、という事である。能についても、全く同じ事が言える。ガラスケースに入った能面は確実に死んで行くという増田正造氏の説は正しいが、面のみならず、能それ自体をガラスケースに入れてしまってはならないのだ。外気に触れねば死んでしまう。故に、実は「能楽堂」なる近代の覆堂もまた、野外こそ真骨頂たる能にとって諸刃の剣なのであった。

2003年10月09日

「日本昔話」の復権を

これは大変よく出来た、本当に素晴らしい作品だったのに、なぜ放送が終わってしまったのだろう。最終回からもう何年も経った先日、古本屋をぶらぶらしていたら、こんな本を見つけた。『錦絵 京都のむかし話』(浅井収編著・蝸牛社)。素晴らしい本だ。明けてみると、かつて自分がテレビで親しんだ世界がそこにはある。アニメのもとのイメージは、この本に収められているような錦絵、浮世絵にあったのだろう。もくじには、「草子洗小町」「百夜通い」「頼政のぬえ退治」「祇王寺」…このような世界に幼心から親しんでいれば、能はそんなに難しくなくなるはずだ。なぜなら、こういった昔話こそ、能の元ネタ、「本説」(典拠の意)なのだから。百夜通いと聞いて何のことだかわからない現代の大人は、一昔前の子供たちより無教養ということになるのではないか。漏れ聞くところ、昨今は幼稚園でも英語にパソコンという。それより子供にはまず日本の昔話なんかいかがでしょう、教育関係者各位。

2003年10月16日

新作差別

どうやら江戸以前の作品群が普通の能、正統の能とされるのに対して、明治以降の作品群を一括して称する用語であるらしい。この呼び方がそもそも良くない。その背景に、「明治以降の新作能なんて、例外、特殊。キワモノ、ゲテモノ。能はやっぱり、古典でしょ」という、伝統の何たるかを真に理解していない人々の浅薄な保守意識に裏打ちされた差別臭を嗅ぎ取らぬ訳には行かない。今は古典と崇め奉られている能も、かつては皆、「新作能」だったのだ。そして、本当の意味で伝統を享受する為には、先人の作品を追慕するに終らず、自らの内に取り込んで再生産して行く営為こそ必要不可欠なのだ。三島由紀夫氏は能を近代演劇に翻訳してみせた。俵万智氏は現代語で三十一文字(みそひともじ)を詠んでのけた。三島氏は能を、俵氏は歌を、こよなく愛している。自信をもって堂々と愛しているから、「今」を生きる人の心に直に訴える形を選び、形を変えてもなおその心は容易に揺るがない事を知っているのだ。いずれも伝統の破壊ではない、伝統の真なる享受である。紀貫之、藤原定家、今は古典の大偉人も皆、当時は伝統を人一倍愛するニューウェーブであった。伝統の真なる享受、それは遵守と再生産の両輪の上に初めて成り立つ事を忘れてはならない。

2003年10月22日

中正面から能を観る

「中正面から能を観る」。これはどういう意味かというと…能舞台を取り巻く客席(見所という)には三種類ある。正面、脇正面、そして中正面。正面は文字通り。脇正面というのは能に出てくるワキ(簡単に言えば脇役)にとっての正面だ。正面から観ると、ワキは常に普通の舞台用語で言うところの下手、つまり客席から向かって左手に向かって座る。つまり普通の舞台で言うところの下手の部分にも能では客席があるのだ。言葉で説明するとまことにややこしいが、そこを脇正面という。さて、正面と脇正面の間に存する客席部分を中正面という。能では正面・脇正面そして中正面の三区域の客席が、扇型をなして舞台を三方から取り囲んでいるわけだ。普通はやはり正面席を選ぶ。だが、役者や能面を横から観たいと思う能楽通などはしばしば脇正面に座る。さて、中正面、ここはあまり座る人がいない。三種類ある客席で最も入場料が安くなるとしたらまずここだ。ここに座ってしまうと、能舞台にある目付柱という奴が能を観るのに邪魔になってしまうのである。私が「中正面から能を観る」と言う場合、実はそれは私の能の見方の比喩なのだ。
つまりは、「お能拝見」などというかつての封建的遺風に遠慮する必要のない昨今、能を批判的に観る事が求められているのである。少なくとも、私はそう思って能を観るようにしている。すると、どうもおかしな事、演劇としては不成立な要素も能には少なからず散見されるのだ。例えば、目付柱の存在である。調べてみたら、あんなものは能の創立期にはなかったのである。「どう考えても邪魔なんだから、いっそのこと取っ払ってしまってはどうか」と提案できる理性が、演劇としての能楽を復興するためには欠かせない。
何もかもやみくもにありがたがっていては良いものは創れないと思う。好きだからこそ、愛があればこそ、心を鬼にしてクリティーク精神で能に臨むのである。

今申楽を創るには能リテラシーが必要である。

2004年02月29日

能作者・多田富雄氏のこと

その代表作『無明の井』は脳死と心臓移植を、『望恨歌』は朝鮮人強制連行を、『一石仙人』はアインシュタインの相対性理論をテーマとする。まず、テーマが良い。現代性、また理系という従来の能楽界になかった視点、群を抜いて鮮やかだ。稀にこういう正統派の創作に接すると、私も頑張らねば、などと勇気が湧いて来る。唯一、疑義を差し挟むとすれば、これほどの現代的テーマを厳選しながら、何故古語にこだわっていられるのだろう。テーマから言うなら、口語謡に挑戦されるべきではなかったかと私は思うが、どうだろう。あるいはやはり、現代語の謡曲能本は不可能とお考えなのだろうか。『香炉峯』はオーソドックスな伝統語で書いたが、いずれ、完全な現代語でも能を書きたい。そちらも乞御期待である。

2004年03月11日

プロデュースの日々

ただ、最近多くの方から「事務方の補佐が必要だね」とよく言われる。その通りだと思う。というわけで、朧座の事務面を補佐下さる方を募集します。我はと思う方、ぜひ一報下さい。とにかく、今のこの時期というのは、本番直前の次に忙しいようだ。私一人ではどうしても仕事に穴があるので、朧座衆の面々には事あるごとに「私をどんどん突っついて下さい、たいてい忘れているので」とお願いしている。我ながら誠に情けない。ただ一つ救いなのは、何故こんなに慌しいかといえば、この企画が今ほうぼうで予想外に大きな反響を集めているからだということ。一歩を踏み出すまではわからなかったが、思いのほか多くの方が期待を寄せて下さっている。

2004年03月14日

「意外と通じる」

本日、記憶にとどめたい知人友人の言葉。

T君「枕草子か〜懐かしいなあ」
T君は決して古典が得意というわけではない、それでも中学で覚えさせられた冒頭を見てそう言うのである。
枕草子なら、行ける。今でも多くの人に出だしくらいは覚えてもらっている、珍しい古典である。わかりやすくて親近感が持てる。典拠(元ネタのこと)として、これほど現代人にとって入りやすいものはあるまい。にもかかわらず、能の世界で採り上げられていないのはなぜだろう。古典離れとよく言われるが、お世辞にも勉強好きとは言えないT君がしみじみ回想するのだ、「春は曙」と。

思うに、「春は曙が趣がある」などという嘘の訳を強要する学校の先生たちが、古典を現代人から遠ざけている。今でも言うではないか、「男は度胸」とか「女は愛嬌」とか。これを「男は度胸が趣がある」「女は愛嬌が趣がある」などと言ったら訳がわからない。

Yさん「歌舞伎座のイヤホンガイドって要らないですよね」
そう、まったくそうなのだ。言葉なんかわからなくても良いのだ、通じれば。
先日、香港で過ごした日々を思い出す。はっきり言って、私の英語力など中学生レベルなのだが、にもかかわらず面を創ってもらうデザイナー・陳大成とはものすごく内容の濃い対話を交わしてきたのだ。
能楽師にとって能面は命である。つまり私は俳優の生命を陳に託してきたのだ。
古語だろうが外国語だろうが関係ない、片言の英語でも命懸けの文化交流は出来るしやっぱり歌舞伎座にイヤホンガイドは必要ないのである。

今のこの季節、早起きしてみるとよくわかる。
「古典」は、思ったほど古くないと。
春は曙…ふと口をついて出るこの言葉は、果たして古語か、それとも…?

2004年03月16日

新作能から今申楽へ

能の本を俳優が読む。とうとう、そういう段階に来たのだなあと、しみじみ思ってしまう。ワークショップが終わって、空也坊・出演者と食事をしながら、そう思った。
『香炉峯』は、2001年5月に書いた。今でもはっきり覚えているが、当時はただ単純に能に惚れてこの本を書き上げた。惚れた直後で、今ほど能のことを冷静に見ていなかった。だから、書いているときは漠然と「いつかこの本が誰か能楽師の目に止まって上演してもらえたらいいなあ」などと夢想していた。自分自身で演ずるなど思いも寄らない、まったくの他力本願だった。つまり、その頃これはまだ「新作能」の本であって、「今申楽」の本ではなかった。
「今申楽」という発想が湧いてきたのは、その後のことである。この本を何人かの能楽師に見せたが、反応はたいてい「まあ、大変ご熱心ですね」とか、そんなのばかり。私としては「よし、じゃこれを舞台に上げましょう」というような心強い言葉を待っているわけだが、そういう情熱的な気配はあまりなかった。そうこうしてうちに、惚れた直後の熱はやや冷めはじめて、もう少し能をクールに考えるようになってきた。流儀流派、家元制度、お稽古事としての能…
だんだん、自分たちでやっても良い気がしてきた、「今申楽」として。もちろん、能楽師に「新作能」として演じてもらう夢も放棄したわけではない、でもしばらくは保留にすることに決めた。もう私は待ちくたびれたのである。早くやりたいのだ。
で、この台本でやってもらう俳優を募るにあたり、気を使ったことが一つある。
変な言い方だが、芝居の出来る方だけを誘った。はっきり言って、現代語の芝居が出来ない役者にこの台本は読めない。
「ノルマを課して下手な役者を出す」という段階を卒業して、「ノルマなんか課さずに上手い人を使う」という段階に進まなければ、到底「今申楽」は成り立たないと思う。
今日のワークショップを見ていて思った。この人たちとなら、『香炉峯』が出来る、と。彼らと食事をしながら、新作能ではなく今申楽として今確かに産声をあげつつあるこの作品の明日を思うのである。

2004年03月17日

能楽への思い

昨日から今日にかけて、朧座衆の面々の言葉が私の心に深く残っているのでご紹介する。まずは空也坊氏のこの言葉。
能楽師たる者、立っては舞、座しては謡が勝負。
この言葉の何たる重み。

朧座システム管理部長yusukeのアドバイス。
「このサイトを訪れる人の中には『能楽の一般知識を求めている』人もいるだろう。
その場合に、あまり偏った情報(今の能楽は、だめだ!みたいな)だけを提供しているのは、よくない。『能楽の文化に尊敬を抱きながらも、新しいことをしたい』というメッセージにならないと。
朧太夫は、十分に文化へ知識や尊敬の念を持った上で、『新しいことをしたい』と言っていると思う。でも、今のサイトでは、前半が抜けている。それは、君にとって、
前半が当たり前のことだから。その当たり前を、言葉にすることも意識してみてはどうでしょうか。」

持つべきものは、友人である。感謝。
今申楽朧座、これまでもたくさんの方にお世話になり、これからもまた然りなのだが、一つ最大の恩人を挙げよと言われれば、ためらわず次のように答える。

それは、能楽である。

今後は、yusukeの助言を生かし、空也氏とも相談して、より詳しく能楽、その魅力についても述べて行こうと思う。

2004年04月08日

朧座の名の由来

昨日、第一回公演『香炉峯』のワークショップ中、出演者の高田べんさんから次のような質問を戴いた。

「太夫くん、僕は直面(ひためん)なわけだけど、表情は動かして良いの?」

直面とは能の用語で、能面を着けず素顔で演じること。現在の能では、顔面筋肉による表現はご法度とされている。
非常に本質を衝いた鋭い質問だ。
で、私は彼に次のようにお願いした。
「普段我々が行っている現代演劇の要領で結構です。
ただ、もし能のスピリットに学ぶところがあるとすれば、やはり過剰な表情、無駄な表現は避け、動かすべきところで初めて動かすのが良いと思います。
…まあ、考えてみれば普段から我々やっていることですが…」

帰宅して共同演出の空也坊氏と電話でこの件について話す。氏曰く。
「いやー今だから言いますとね。僕も最初、この台本をもらった時、ト書きに『笑い転げんばかりに』と書いてあるのを見て、この企画に乗るべきかどうか、非常に迷ったんです」(注・オーソドックスな能には「笑いの演技」は存在しない)
そこでこう答えた。「僕がこの台本を能の台本として書いた当初は、このト書きは現実に笑えという意味ではなく、演者の心が笑いそうになるくらいに、という意味だったんです。能の台本にも『気ヲカへ』といったト書きがあるのと同じように。しかし、今申楽ではこのト書きをどう解釈するのか、実は皆が知りたがっていることだと思います。
例えば、今申楽朧座では顔面表情をどうするのか、あるいは笑いの演技をどう処理するのか、そういったことを解決して行くうちに、今申楽のスタンダードといったものが生まれて行くと思います」

ワークショップを終えて夜空を見上げると、昨夜は見事な朧月夜であった。
べんさんに言った。「朧座って、まさにあの月みたいなものなんです」と。
朧という言葉は、月の光がぼんやりとして、輪郭がはっきり見えないさまを言う。
今、我々は全員、朧だ。自分たちが行おうとしていることを、「芝居だ」「能だ」と単純にはカテゴライズ出来ない状況にある。
しかし、もちろん、帰するところは現代の観客と心を通わす現代演劇でなくてはならない。
見知らぬ土地を歩くのは勇気が要るが、今となってはそこを楽しむしかないだろう!

それに全ての演劇は、本来、朧なはずなのだし。

2004年04月09日

能、それは「人」と「霊」とのドラマである

能は演劇である。
しかし、今日普通に見かける演劇と大きく異なる部分が、おそらく、一つだけある。
今日の演劇では「人」と「人」との関係性が描かれる。
能では、「人」と「霊」なのだ。

今日の演劇は「人」同士の関係性を描くのであるから、舞台は例えば駅の待合室とかカウンターバーなんかが適している。つまり「人」同士がお互い対等に対話しうる場だ。
能の舞台はそこが違う。全ての能は、この世とあの世を結ぶ橋の上が舞台となっている。電車に乗って能楽堂にたどり着き観客席に腰を下す、ここまではこの世だ。やがて五色の幕の向こうから笛や鼓の音が聞こえてくる。このとき、この世とあの世の境目はすでに揺らぎつつあるのだ。そろそろおしゃべりは止めなければならない。幕の向こう側は──あの世だ。

登場する霊たちはみな、能面を着けている。霊には顔面筋肉というものがない。そういう余計な仮面で真の顔を覆い隠し、泣いたり笑ったり怒ったりと大げさに振舞って見せるのが生者という奴なのだ。
能面は、仮面ではない。能では、能面こそ真の顔なのだ。
顔面筋肉などという、余計で嘘っぱちな仮面を脱ぎ捨てたとき、そこには真に美しい霊の顔が現れる。

能舞台という、この世とあの世を結ぶ不思議の橋の上で、能面を着けたあの世の者と能面を着けないこの世の者とが声言葉を交す。
能とは、そういうドラマなのだ。

2004年04月22日

眠い能ほど良い能か?

眠い能ほど良い能だ、と専門家はよくいう。私は、この言葉を昔はまったく信用していなかった。今でもあまり信用していない。少なくとも、初心者はみな、役者が何を言っているのかわからず、暇で退屈でウンザリ、疲れ果ててやむを得ず寝るのである。能は夢うつつの境を描くから、当の観客も夢うつつで良いのだと真面目に説く人もある。だとすれば、観客席を観客寝台に改めてもらいたい気がする。座りながら寝るのはなお疲れるのである。能から開放される頃にはもうクタクタになっている。チケット代を支払って体験させられる地獄。
だいたい何を言っているのかわからない、聞こえない、そういう精神状態で幽玄を味わうもへったくれもないのではなかろうか。

昔、私が中学生の時、音楽の授業中にオーケストラのビデオを見させられたのだが、あまりの心地よさに私は寝てしまった。授業が終わる時、音楽の先生が
「田中(私)が寝ていた」
と怖い声で皆に言う。謹厳で知られる先生だから叱られるかなと思いきや、先生、
「実に気持ちのよさそうな顔だった」
珍しく菩薩のような笑みをたたえていたのを今に忘れない。この時から私は彼を、心の中で正式に先生とカウントするようになった。
もうお気づきかも知れないが、私は先生でもない人間を先生呼ばわりするのが嫌いである。お上を闇雲にありがたがるのは日本人の悪弊だ。礼節は輸入したが易姓革命は輸入しなかったのだ。
学校の先生というのは、資格的には結構簡単に取れてしまう。事実、恐ろしいことに私はあと一歩のところで小中学校の国語教師の資格を取ってしまうところであった(自粛したが)。資格をとるのは簡単だが、真なる職業として学校の先生になるというのは、おそらく、相当難しい。想像を絶するほど難しい。何より真の先生は、当たり前のことだが、生徒の心がわからなければならない。生徒にどう見られているか、今自分は生徒にちゃんと通じる言葉で話しているかどうか、生徒のまなざし、生徒の声、生徒の反応にセンスティブであらねばならない。
そういう真なる先生は、小学校から大学を辞するまで、管見の限り数人であった。

私は、専門家の謬説を信じない(正しい説なら良いが)。世にも美しい夢の世界が眼前に展開されていて、人はそうやすやすと寝るものであろうか。なるほど、オーケストラの心地よさに寝ることはある。同様の理屈で、ある程度能に親しんだ者なら、能の心地よさに寝ることもある。それは、曲の内容や詞章を水や空気のように既に身体に取り込んでいるからだ。しかし、あえて言うが、それは演劇の観客としては消極的な楽しみ方だと私はやっぱり思う。
人生の劇的なる部分が描かれ、そこに観客が遭遇する。それが演劇ではないのか、世阿弥の説く「花」ではないのか。
寝ていては「花」が観られないではないか。

どんな夢が舞台上に紡ぎだされるのか?それを我々観客はもっとワクワクドキドキしながら体験するべきではなかろうか。

だから、私は言いたい。上手い能楽師の舞台が観たいと。
上手い能楽師とは、数々のハンディにもかかわらず、現代の観客に問いかけ訴える技量の持ち主を言う。

私は、眠い能ほど良い能だ、という説には賛同できない。
良い能なら、眠くならないはずだ。少なくとも、能を積極的に演劇として楽しもうとする立場からすれば。
なぜなら、上手い能楽師は必ず現代の観客の心に迫ってくるはずだからである。

2004年05月07日

能は原作

よく聞かれる。今申楽にとって、能とは何なのか、と。答えよう。能は今申楽にとって「原作」である。
小説を映画化したい時、監督は小説の書き方を学ぶ必要があるだろうか。ない。知る必要があるのはその小説に表されている世界の方である。その世界を、彼の技術で映画の世界に換骨奪胎するわけだ。
アニメーションの原作が漫画である場合、違和感は比較的少なく済むと言う人もいるけれど、ものによるだろう。私が子供の頃テレビで放映されたアニメの『ゲゲゲの鬼太郎』は、水木しげる氏の原作とあまりにも違い過ぎるということで、水木ファンには評判がよくなかった。私も水木ファンだが、その違いが面白かった。アニメにはアニメの良さがあった。アレンジの妙と、アニメの作り手たちの冒険を好意的に受け止めていたものである。
水木漫画には、農村とか、太平洋戦争前後の雰囲気が横溢している。それはそれ、私の眼には異郷として魅力的に映えるわけだが、しかしアニメ放映当時というのは80年代、バブル全盛時代である。妖怪ぬらりひょんがベンツを乗り回していたり、妖怪いやみが原宿の歩行者天国に出没したり、水木ワールドの住人たちを時代の空気にうまく生かしていたと思う。

話は脱線したが、要はそういうことである。
今申楽は、能ではない。能を「原作」としてはいるが、別物である。しかも、能の小説版とか漫画版とかの方が違和感は少ないだろう。今申楽の場合、同じ舞台芸術であるだけに、かえって違和感は大きいだろう。
最近、市川猿之助氏の「スーパー歌舞伎」なる造語の上手さをつくづく痛感している。「スーパー」なんて変わった形容詞が付いてるから、明らかに別物なのだ。それでいて、猿之助氏なら「歌舞伎」を名乗る資格があるだろう、歌舞伎役者なのだから。訳せば超歌舞伎、歌舞伎を超えてかつ歌舞伎であるという心意気であろう。
だから、古典歌舞伎のファンがスーパー歌舞伎を観た時味わうであろう違和感よりも、もっともっと大きいはずである。能だと思って来られた方が今申楽を観て経験されるであろう違和感は…。

その違和感をこそ、ぜひともお楽しみ願いたい。
能は原作。御期待の程、こいねがう次第である。

2004年05月11日

花ってなんだろう

芝居というものがよく分からなくなるときがある。

私は、ずっと役者をやってきたが、近頃は作演出の面白味に気付きつつある。
作演出デビューは『如人草(にょにんそう)』なる作品だった。
こちらは、登場人物全員、完全に現代口語を操る普通の芝居(内容はあんまり普通じゃなかったが)。

何しろデビュー作、作演出家として経験もない実績もない。
だから、自ずから私の先輩に当たるような役者は誘いにくく、出演者の多くは私と同じくらいか私よりも後輩に当たるような役者であった。その中には(これは狙いでもあったのだが)観劇体験は誠に豊富だが演劇体験はゼロ、といういわゆる素人も何人かいた。

この、いわゆる素人さんたちの放った存在感、舞台に生きる躍動感といったらなかった。彼らは普段は役者という肩書きを背負って生きていない(これから先は知らないが)、『如人草』終了後はとりあえず再び堅気(?)の世界に戻ったようなのでここに実名を出すことは一応控えて、役名で呼んでおくことにしよう。

奈菜篠権兵衛さんと、山辺宮弘仁親王殿下である。
舞台が終わった今だからハッキリ白状するが、私はこの二人の存在感を生涯忘れることはないだろう。
奈菜篠さんは、普段、何も喋らない役である。台詞がほとんどない役なのだ。その彼が「…悟じゃなくて?」という台詞を放つ瞬間、舞台上にとんでもない花が咲いてしまうのだった。殿下は、普段、ヘラヘラ酒を呑んで徹夜で麻雀やってるだけの遊び人である。その遊び人が一瞬「山田」と、自らの使用人の名を真面目に発する瞬間、やはりこれまた忘れ難い花がほころぶのである。

この二人を観ていてつくづく考えさせられた。花ってなんだろうと。
世阿弥もさかんに花、花、花、と言っている。
一つ、確かに言えることがある。
彼らは普段、役者という肩書きを背負って生きていない。

だから、決して造花になることはないのである。

芝居というものがよく分からなくなるときがある。

2004年05月14日

グチ

そもそもまともに批評をする・されるという風俗習慣が定着していないので、嘆いてみても始まらないのだろうが、とかく私は「おたく」「内輪受け」が嫌で嫌で嫌でたまらない。しかし、そういう作品は多い。どこの誰とは言わないが、もう、そういう作品(?)は圧倒的に多いのだ。
オタクというのはもちろん多義語で、もっと良い意味で使われるべき場合もあるとは思うが、今言っているのは最悪な人々による最悪な作品群、そこに流れ漂う最悪な腐臭を申します。

「つまんねーよ、バカ。」「おまえの作品、魅力ないよ。」って誰かが教えてあげないとわからないんでしょうか。そういうこと、親でもないと言ってくれない年頃かなとも思うのですが。

義理で行きたくもない芝居を見に行き、結果ますます鬱になる。やな国ですねえ。

品とは

私の家の近所に松屋があり、さっき入って昼食をとったのだが、そこでバイトしているおばさんが、非常に上品なのだ。そこの松屋はしばしば使うのだが、そのおばさんは初めて見る顔だった。働き出したばかりなのだろう、仕事が全然慣れていない。いつまでもつだろうか、おせっかいながら心配になってくる。スピ−ドが売りなんだからそんなに丁寧にお辞儀していたら間に合わないですよ、安さが売りなんだからそこまで笑顔でお見送りしなくてもいいですよ…

品というものは滲み出るものである。そのおばさんにはつくろいの厭らしさがない。本当に、純な心で発する彼女の声や表情が、全く計算なく自然で上品なのだ。

昔、私が水商売のバイトをしていた時分を思い出す。
何が苦痛かと言って、店長が「上品」という言葉を全く誤解して使っていることが苦痛でたまらなかった。
その店長は、「上品」を「金額が高い」という意味で使っていた。つまり、本当の意味で下品なのだ。

翻って、日本文化の周辺に巣食う人種にも、この手の人々が実に多い。
しばしば、上品という賛辞を、下品な対象に贈っている。
文化っぽいもの、芸術っぽいものに対して、その真贋を見究めることなく「上品」などと薄っぺらいおべっかを使って、自らの審美眼のなさを露呈している。
日本文化なるもの、これでは若者に嫌われ外国になめられ、残るは誤った既得権益に群がりしがみつくゾンビの如き御歴々。

まことに悲しい事である。

2004年06月06日

千秋楽

「千秋楽は民を撫(な)で、
万歳楽(まんざいらく)には命を延ぶ。
相生(あいおい)の松風、
颯々(さつさつ)の声ぞ楽しむ、颯々の声ぞ楽しむ」
謡曲・高砂の切(きり)、即ち結びの一節である。
一日の番組の最後に付けるめでたい能を祝言能と呼ぶ。
分けてもめでたい一節を、役者が舞う替りに、
地謡が謡い納めてその日一日の演能を締め括る、
これを付(つけ)祝言と称する。
囃子は加わらない。普通、先に紹介した高砂の切が謡われる。
今日、結婚式等の晴の場に、嗜(たしな)みのある人が招かれて、
祝いのしるしに謡ったりするのが、このめでたい一節なのである。

能は、元々、祭りの性格を色濃く持っていた。
その祝祭性は後の歌舞伎にも大いに継承された。
そして近代の洗礼を浴びた筈の我々もまた、当り前のようにして、この言葉に親しんでいる。
カーテンコールの際、劇団の主催者等が
「本日楽日につき、役者紹介をさせて戴きます」なんて挨拶して、客出しして、
芝居の間ずっと世話になった舞台を惜しむ間もなく叩き壊して、跡形もなく片付けて、
それが終るや否や打ち上げに直行である。
もう終ってしまった、明日からは稽古も本番もないのだと思うとちょっと寂しくもなるが、
「千秋楽」
この、いかにもめでたくはなやかな言葉が、そんな寂しさを束の間忘れさせてくれるのだ。
かくて宴の夜は心楽しく更けて行く。

そんな訳で、我々もまた、随分とこの言葉の恩恵に浴している訳だが、
しかし当の能の世界にあっては、祝祭もいつの間にやら儀礼と堕して、
めでたさよりもしかつめらしさが先に立つようになってしまった。
祝言能と言うと、やれ「神能(かみのう)の後半を一定の方式に基づき演ずる」だの、
「しかし猩々(しょうじょう)・石橋(しゃっきょう)等めでたい曲が切能(きりのう)の時は添えぬ」だのと、喧(やかま)しい。

それはさておき、興行最終日を言うめでたい言葉として、
同じく高砂の結句でありながら、「千秋楽」が選ばれて「万歳楽」が採られなかったのは何故か。
これにつき、服部幸雄氏が面白い事を述べておられるのでご紹介しよう。
 
《歌舞伎の興行関係者は、たび重なる火災によって劇場を焼かれたため、「火」の文字をタブーとした。そのために、あえて「秋」の字を避けて「千穐楽」と表記してきた。そこまでしても、「万歳楽」ではなく、あくまでも「千秋楽」に固執しつづけたのは、この世界における習慣の強さということの他に、「秋(しゅう)」と「終(しゅう)」との音通による、江戸人らしい洒落の感覚が働いていたのではあるまいか。》(『歌舞伎のキーワード』岩波新書より)
この説は面白い。なるほど、言葉というものに対して、今日の我々には想像もつかぬ程の豊穣な感性を有していた前近代人の事である。
服部氏の言うような事もあったかも知れない。
しかし私は役者として、自らの実体験から、あえて文化史学者とは異なる私見を述べてみようと思うのだ。

何故に「万歳楽」ではなく「千秋楽」か。
普通に考えたら、「万歳楽」の方が「千秋楽」以上にめでたそうではないか。
と、ここまで考えて、ふと私は自らの経験に思い至ったのである。
実は私にとって、芝居の最終日を迎えるというのは、結構辛い事なのだ。
芝居で完全燃焼出来る事など、正直言って私の場合、皆無に近い。
芝居をやれば必ずといって良い程、多かれ少なかれ未完走の気味を残したまま千秋楽を迎える破目に陥るのである。
いつも「途上」にあるまま、芝居は終ってしまうのだ。
到達点は、まだ先にあるのだ。
だから、「万歳楽」は、私にとって見果てぬ夢、完走の日である。
まだまだだけど、全然まだまだだけど、
しかし何はともあれ、まあまずはよく頑張った、とりあえずご苦労さん。
これが私の「千秋楽」である。

未熟者のとりあえずの成果を、ともかく祝おう。
見果てぬ夢に向かって、まずは乾杯。
今の私によく似た、悩み多き役者が昔の世にもいて、
そんな人間が「万歳楽」ではなく「千秋楽」を選んだのだとしたら、
怠惰な私は、何だかとても救われる。

そして、もし「千秋楽」がそういう言葉であったとして。
能という芸能それ自体、まだまだ「千秋楽」である。
「万歳楽」では、決してない。
幾多もの「千秋楽」を重ねながら、未だ見ぬ「万歳楽」を追い続けて行く事が出来る筈だ。
未完の故に、無限の可能性が、そこにはある。
私は、そう信ずるのである。
(H13.10.9)

2004年06月30日

朧座第二回公演は

今となっては笑い話である。もうそろそろ書いてもよかろう。

能の魅力にとりつかれてからはや数年。ただ私の場合、一般客とは少し事情が違って、同じ舞台人、広い意味での同業者だったのだ。
私ども現代演劇の場合、よほどの名作傑作なら再演ということもあるが、基本的には公演のつど作家が新作を書き下ろすというのが常態である。
脚本を書く、脚本が上がるというところからふつう出発するのである。
だから、能にぞっこん惚れこんだ時も私はすぐに看破した。「ああ、能って昔のレパートリーばっかりなのか、もったいない。新作もやらないと駄目だろう!」
看破などと、つい偉そうな言葉を使ってしまったのは他でもない。後で調べてみたら、やっぱり大成者世阿弥は著書の中で声高らかに宣言していたのだ。「能の本を書くこと、この道の命なり」と。しかも能楽関係者なら絶対に熟読しているはずの『風姿花伝』の中で。
だから当時は、新作能なる挑戦に不熱心な多くの能楽師のスタンスに批判的だった。今では多少成長して、何でもかんでも挑戦すれば良いというものではないということも知っている。むしろ、正統継承者の方々には正統をこそ継承して戴きたい、生半可な試みはお遊びであり邪道であるとさえ思っている。
こんなことを書くとは、私も一頃に比べれば少しは大人になったものである。

さて、このままではまずい!なんとかしなければ!と義憤の念にかられた当時の幼い私は、とるもとりあえず猛然と能の台本、記念すべき我が能本第一作を書き上げた。
タイトルは、色々吟味したあげく『晴明』と決定した。
お察しの通り、当時大流行だった夢枕獏氏の小説に便乗したわけだ。まあ、私にとっては習作みたいなものだったわけで、その辺りの軽さはどうか笑って許してやって戴きたい(ちなみにその後書いた朧座第一回公演『香炉峯』同様、こちらもきっちり複式夢幻能の形式を守っている。ストーリーは内緒)。
さる名門能楽師の口から『安倍晴明』なる新作能制作が発表されたのはその直後のことであった。先を越されてしまった格好で、正直それなりにはくやしかったが大した痛手でもなかった。安倍晴明という、流行りの小説で既に手垢のついた素材で勝負をかけるつもりは私にはなかったので。
(しかし余談ではあるがこの新作能、なんでも京都の晴明神社でも再演されたとか。やっぱりちょっと羨ましいなあ。いいけど。)

まあ、我が処女作には、しばらく眠っておいてもらうこととしよう。
しかし、この安倍晴明の一件は、私に一つの重大な教訓を与えてくれた。すなわち、いかに名もない一庶民がとある能本を独り寂しく手掛けたとて、たまたまそれと同じ題材に目をつけた名門能楽師が記者会見を開いて「やる!」と言い出し、著名な作家や文化人に台本を書かせて実際に演じてしまえば、もう既成事実として後者の存在感は揺るぎないものとなり、反対に前者が今後発表される可能性は著しく減退してしまうということだ。
これは厳然たる事実である。

そんな苦渋、というほどでもないか、そんな経験も過去には味わった。しかし今は違う。新作能という、新作台本を既存の能の形式にあてはめて演ずる従来のやり方ではなく、今申楽という全く新たな方法で行く事を決めた我々朧座は、すでに第一回公演を確かに見届けて下さった約500名の証人を有している。
今申楽朧座はもはや母胎の内なる存在にあらず、明らかな産声を上げて既にこの世に生誕したのだ。

同じ轍は踏むまい。というわけでここに大音声にて発表するのである。


今申楽朧座 第二回公演
『修禅寺』
尼将軍 北条政子

公演日時・会場等々、詳細一切未定。
出演者募集。経験不問、但しともに真剣に舞台芸術を志せる方に限らせて戴く。
なお題名・内容は変更の可能性あり。ちょっとずるいか?
何はともあれ乞う御期待。


嗚呼、書いてしまった……どうしよう。

2004年07月03日

「新作能」の明日

新作能が今、静かなブームの兆しを見せている。あちこちで、色々な取り組みがなされ始めた。こうした取り組みがきっかけとなって、「真なる意味で能を新しく作る」という機運が芽生えたら大変素晴らしいことである。

新作能。実を言えば、私も昔は「新作能の作者」と呼ばれてみたかった時期がある。まだ「今申楽」という発想が湧いてくる前の頃の話だ。能を観に行く時には、駄目でもともと、何か大事な出会いがあるかも知れないと思って、必ず『香炉峯』など新作能のつもりで書いた自作の台本を何部か印刷して持参したものだ。機会に恵まれて、何人かの能楽師の目にとまった時など、もう何と感想を言われるものやら、期待と不安でカチンコチンにしゃちほこばっていた。結局、感想らしき感想が帰ってくるのは稀であった。今にして思えば、感想と言われても、何を言えば良いのかよくわからないという方も多かったことであろう。

しかし、今では今申楽朧座の主宰者兼座付き作家になってしまったので、「新作能の作者」と呼ばれたいという気持ちはもう存在しない。だが、空也坊が「私はいつか『香炉峯』を新作能という形でも上演したい。ただし準備が整うまで、あと何年かかるかわからないが…」と言ってくれたので、いつかは「新作能の作者」と呼んでもらえる日が来るかも知れない。その暁には、能舞台で能楽師たちが本式の能『香炉峯』を演じて下さるわけである。主人公・清少納言を演ずるはやはり空也坊であろうか。空也坊、否、その時こそは彼の能楽師としての名がパンフレットに燦然と記載されているに相違ない。そしてその頃、見所(=客席)の奥にて呆々と舞台を眺める白髪の老人が私だ。

閑話休題。方法として、昔は今申楽の方が難しいと思っていた。今では新作能の方がはるかに難しいと思う。第一回公演の幕が上がるまでは、私をはじめ朧座一同みなヒヤヒヤであった。何しろ初めての試みなのでお客様がどう受け止めて下さるか…全くの未知数であったから。だが、千秋楽を終えた今、第二回が楽しみだと多くの方が言って下さっている。必ず第二回はやる。もちろん、第一回の反省点を生かし、万全の準備を行ってからの話だが。
しかし、生みの苦しみもいろいろ味わった分、生まれた喜びも大きい。そして、今申楽という方法を生んでみて、初めて実感したのだ。ああ、これは新作能の方がよっぽど難しいな、と。

一般に言うところの新作能、それは能に造詣の深い文学者などが台本を新作し(場合によっては、面や装束も台本のイメージに合うものが新調される)、それに能楽師が既存の謡や舞を当てはめて演じるという方法をとる。

しかし、その方法は、実は非常に大きな矛盾を孕んでいるのである。
「既存の謡や舞を当てはめて」というところに、誠に大きな陥穽がある。
結論から言えば、既存の謡や舞は、既存の台本でやれば良いのである。
台本を新調する以上、謡も舞も新調するべきだと私は考える。面や装束のような物質面だけ新調して「新作」を名乗るのは、ちょっとせこいのではないか。

作家に新作を書かせて、デザイナーに面や装束を新作させて、謡や舞はどっかの切り張り、いつものまんま。なんだかねえ、という気持ちになってしまうのは果たして私だけであろうか。

要は、何をもって能と名付けるか、定義の仕方である。
能とは何か、という問題である。
伝統芸能?無形文化財?それとも、あるいは…?という話。

「真に能を新しく作る」ためには、相当多くの人間が相当多くの事柄を考え直さなければならないだろう。本質的に。
昔、私がプロの能楽師に能を習いたいと言い出した時、私の計画(その後「今申楽」と呼ばれることになる。当時は単に「新しい能楽を創る」と称していた)をよく知る何人かの友人が真剣に私に忠告してくれたものだ。
「やめておけ。お前のやりたいこと、出来なくなるぞ」
友人たちの忠告はありがたかったし、その意図もよくわかったが、私は入門を決断したのだった。
そして、その決断は正しかったのである。師匠に恵まれたため。

ともかく、もう一度繰り返す。
「真に能を新しく作る」ためには、おそらく、多くの人間の意識改革が必要である。「能」とは何か、関係者全員、徹底的に考え直さなければならないと思う。そしてその結果、既存の型をただ当てはめて事足れり、などという微温的結論を突き抜けたところにまで行かないと、ことは新作能ごっこに終わり、関係者もそれを持ち上げたマスコミも足を運んだ観客も、全員頭が悪くなるか空しい思いを味わうかという結末を迎えるに相違ない。

…と、この辺りの事をきちんと皆で考え合えるようになったら、新作能という方法にも初めて未来は開けてくることと私は思う。
空也坊が「私が『香炉峯』を新作能で上演できる日が来るまで、あと何年かかるかわからない」というのは、「新作能がやれるような身分になるまで」の意ではあるまい。「真なる意味での『新作能』がやれるような機運が熟するまで」の意に相違ない。

想像をたくましくするに、もうその頃には、「今申楽」と「新作能」の距離は相当縮んでいるのではあるまいか。
まあ、夢のような話ではあるが、いつかかなう日も来よう。

2004年07月04日

香港雑感

まだ香港にいる。
街を歩いていて思った事をいくつか。

香港において、日常使われているのは広東語である。また、長らくイギリスの植民地支配が続いたとあって、香港における英語教育は行き届いている。従って英語の上手い香港人は多い。私は、片言の英語と漢字をフル活用しての筆談とで辛くも異文化交流をはかる日々である。そんな私がある時、香港の面々と会食した折に、高校時代に習ったうろ覚えの漢詩をパクって適当にこしらえたものを開陳したとたん、一座にちょっとした爆弾クラスの衝撃を与えてしまったのが楽しかった。

香港の街を歩いていると、中国の神々を祀った祠や廟所の類がそこかしこに点在し、線香の香りを漂わせている。また、通りで足元をよく見てみると、建物の一角などにも線香を供えるスペースがきちんと設けられている。つまり、道教や風水といった民間信仰が今なお健在であり、そういうものがいわゆる百万ドルの夜景、現代的な摩天楼の群れと妙に同居しているわけだ。なかなか不思議な、面白い光景である。

羨ましいのは、新暦と旧暦を見事に併用しきっているところである。いやむしろ、中国では旧正月の方が盛り上がるとのこと。朧座の次回予定作品の季節をお盆の頃に設定したいと思っていざ考えたら、地方では八月、都会では七月と、もう現代日本人の盆感覚は相当狂ってしまっていることを思い出した。なんで旧暦を止めたのだろうか。フクザワユキチの仕業か?便利なのに。
盆というのは祖先の霊をお迎えする行事。そんな大事な行事の日取りが、田舎では季節を尊重して八月に行います、いや東京では面倒なので昔の日付のまんま七月にやります、そんな手抜きな招待感覚ではご先祖様達も不愉快だろう。
道理で香港の街が元気に見えるわけだ。今の日本はどうも神々に祝福されていない感じである。

持参した香港のガイドブックにも「アジアを体感!」とか変てこな事が書いてある。
もともと日本はアジアなのである。

2004年07月07日

私の仕事

私は、お客様の為の表現に生きていたい。
お客様に夢を与え勇気付ける、そのような舞台芸術の一担い手であり続けたい。
何やら経営方針みたいな書き出しで始まってしまったが、切にそう思う。

つい、「何を表現するか」に血道をあげるあまり、「誰に表現するか」を忘れがちである。お客様の為の表現なのだ。表現者自身の為の表現であってはならないのだ。木戸銭を頂戴するとは、つまりそういうことである。
戒めているつもりでも、いつの間にかつい、その戒めが緩んでくる。厳に用心しなければならない。舞台芸術の最終完成者は観客である。
私が最終的に信用するのは、お客様である。そして、お客様を忘れる事なくちゃんとお客様の期待に応ずるだけの力を備えた台本と共演者である。

何もこびへつらって言うのではない。「お客様は神様です」は名言である。

では、どうすればお客様に夢を与え勇気付けることが出来るのだろうか?
私の場合、どうすればお客様の為の表現に生きて行くことが出来るのだろうか?

最近、それは「埋もれた過去の神話を掘り起し、それを現代の観客に語りかける」ということなのだろうか、などと漠然と考えている。
「神話的」という言葉は、「共有の記憶にある」「共通に記憶されている」などと言い換える事が出来ると思う。小さな仲間うちにおける共通ではなく、大きな大きな、民族的規模における共通である。
ところがたまに、「皆に当然記憶されているはずの事項であるのに、何かの事情で忘れられている、または誤解されている」というような事柄がある。長い歴史の背後には、後世の人間が正しく記憶しなおすべき案件がたくさんあるはずだ。
例えば──この例は、神話というにはまだちょっと新し過ぎる、ごく最近の人物と私は思うが──「犬公方」こと五代将軍・徳川綱吉に対する現代人の記憶などは大いに訂正の余地があると思う。犬には犬権あり猫には猫権あり、いわんや人においてをや、江戸を殺人の世から文化の世へと転換させた大仕掛け人ではないのか。テロが毎日のように起こり、人殺しが平然と行われる今日、我々現代人は生類憐れみの令を手放しで笑う資格があるであろうか。
北条政子だってそうだ。恐ろしいやきもちを焼いて夫頼朝を困らせたというが、一夫多妻が理の当然、誰もがこれを信じて疑わなかったあの時代に、「一夫一妻」じゃなきゃ駄目よ!と直感で看破した女性である。「生涯この女を妻とし変わらぬ愛を…」などと誓ってもらえる時代ではないのだ。大変な炯眼である。

という訳で、今は政子にちょっと関心をもっている。
多くの歴史家が彼女に対して、ひどく雑な言い方をしているのが気になるのだ。
例えば「政子は子よりも実家の北条家を中心に考えて行く。そして、最後まで彼女自身のいわば間接的な命令でその子供たち──頼家、実朝──が死んで行く」というような言がまかり通っている。本当であろうか。
やはりどうも、この人も「記憶の訂正」を待っている一人という気がしてならない。

歴史上かくかくしかじかと伝えられるあの人物の、真の言い分。
それを代弁して現代人に語りかける時、観客の内奥に、ある何事かが確かに起きる、その何事かの為に生きられれば、もう他にさしたる望みはない。

以上の雑言を要するに、現代の人々の心に届き伝わることを待っている過去の人々が多くいる、その橋渡しこそが私の仕事なのではないか?現代の人々の心に届き伝わらなければ意味がないのだ。なぜなら過去の人々はそれを心待ちにしているのだから。
返す返すも、お客様の為の表現に生きていたいと思う、私は。
と、こうして結論はここに帰ってくるのであった。

2004年07月11日

広東語あれこれ

香港が歴史の表舞台に登場するのはこの150年ほどである。いわば現代人の一生二人分のうちに、一漁村から世界有数の都市へと変貌を遂げたのであった。確かに万事スピード感覚が違うように思われる。店やタクシーで料金を払う時も、日本より手早さが要求される。
英語が得意な香港人が多いと先の「香港雑感」に書いたが、香港で義務教育が始まったのは1980年である。確かに、英語教育が日本よりも行き届いているので英語の上手い人は多いが、しかしそう思って香港に行くと、実際はさほど多くもないという印象を持たれるかもしれない。
当然、香港の日常生活は広東語をもって行われるのである。
広東語と日本語は違う。香港式の英語教育は日本のそれよりはるかに成功している、だからといってすぐに日本に直輸入すべきかというとそんなに簡単な話ではないと私は思う。

さて、その広東語だが、昨夜、香港の友人と実験して判明した事がある。
いや、判明とまでいってしまうと非学問的なので、「浮上した」とでも言っておこう。
日本の漢字の音読みは、北京語よりも広東語に近いものがかなり多いのだ。
(また、その漢字も、中国大陸のように原形を思い出せないような略字がないので日本人にはわかりやすい。かなりスムーズに筆談する事ができる。)

古代日本語はインド南部のタミールから到来したという説がある。
飛行機が常識となった今でこそ、日本は島国などと思い込みがちだが、その昔はずいぶんと活発に海上交通が行われていたとも聞く。現代人が想像するよりもアジアは近かったというわけだ。
それに遣唐使廃止の後も、インドに行く仏教関係者は多かった。彼らに頼んで船に同乗させてもらい、途中のどこかで降ろしてもらう。あとは陸路で目的地を目指す。そういう、「高僧と一緒の船旅」の方が、ひょっとしたら昔は安全だったかも知れないし(坊さんだから手を出される心配はないし何かあれば祈ってもらえる。しかも坊さんたちも女を船に同乗させたとは言えないから、完全にお忍びで行ける)、目的地によってはその方が近道でもあったろう。

清少納言は南方から唐入りを果たし、現地の人間に白居易の詩の読み方などを教わりながら、「え、日本の音読みと似てる!」などとビックリしながら、一路、香炉峯を目指した。そう想像することは不可能であろうか。
(そういえば、これは余談だが、ピーターグリーナウェイ監督の映画『PILLOW BOOK』もまた、撮影地は日本と香港であった。)

当サイトは学問の場ではないので、こういう妄想的記述も悪しからずお許し願いたい。

2004年07月12日

朧座が外国語上演に踏み切る可能性

舞台芸術批評フリーペーパー『プチクリ』Vol.8(2004年3月15日プチクリオフィス発行)を読んでいたら、現在のフランスにおける日本事情を紹介する記事が載っていた。フランスの日本イメージには、サムライ・ハラキリなどオリエント憧憬から生まれる“JAPON”型とテクノロジー・サブカルチャーの氾濫する都市“TOKYO”型、二つの極端な原形があるという。そして、「北野映画の世界戦略は明らかにJAPON型をますます強める作風からも明らかである。そんないわゆる“世界マーケット”は、日本色をあえて前面に出さない日本ダンサーたちの果敢で率直な欲求に対しては、皮肉な現状ではある。」(豊島由佳氏)と結んでいる。

なるほど。

フランスの人が今申楽朧座を観たらどう反応するだろう。やっぱりJAPON型に分類されるのだろうか。
私としては、ずばり“日本”型を目指しているのだが…
つまり、まずは日本国内の世に問いたいのだ。日本語がわかる人達に向けて発したいのである。
「英語能」という大変ユニークな試みを行っている外国の学者もおられる。その賛否はともかく、英語を母語とする人々が能を何とか演じようとすれば、そういう形になるというのも一つの意見であろう。私は、英語能をやるなら、ケルトの神話伝説あたりに典拠を求めるのが良いと思う。シテ(能の用語。主役のこと)はアーサー王とか妖精パックなど。それなら賛成だ。英語で小野小町や在原業平など日本の古典をやるのは反対。小町や業平は英語を喋れないから。つまり、小町や業平が英語を喋ったら、それはごくチープな演劇になってしまい、能にはならないと私は思うのである。

今申楽朧座は、当面、日本語での上演を考えている。
英語で演じても良いが、それは英語が話せる俳優が座衆に何人か加わった時初めて検討され得る路線であろう。そしてその俳優は、アーサー王や妖精パックの言葉が喋れるくらいネイティブないしネイティブも同然の英語能力が問われる。かつ、能楽スピリットの研究までしなければならないわけだから大変だ。

で、少なくとも私にはそんな偉業は為し得ない。
私に出来そうなことと言えば、せいぜい、母語を同じくする「古人」たちと、さながら現代人同志のようにつきあうことくらいだろう。
だから、まずは母語を同じくする観客に対して演じたい。外国の方には、申し訳ないけれど私が演ずる分には、それこそ字幕か当日パンフの翻訳台本で理解を補って戴くより他ない。
“JAPON”型ではなく“日本”型を目指したいと称する所以である。お客様にはあくまでも「観光」ではなく「鑑賞」して戴きたいからだ。

2004年07月13日

人間国宝ってなんなんざます?

とある日本の伝統芸能関係のサイトを眺めていて、ふと気付いたことがある。
このサイト、他の同類サイトとは一線を画している点が一つある。「重要無形文化財保持者」なる表現がたびたび登場し、そして一切、「人間国宝」という表現を使っていないのだ。
なるほど、センスとか品位とかいうものはこういうところに滲み出るものか、と痛感。

実は、「人間国宝」というのはマスコミが勝手に作り上げた呼び方である。「重要無形文化財保持者」が正しい。
私は昔からこの「人間国宝」という言い様がどうにも肌に合わなかったクチである。

その理由。まず、国宝というのは重要文化財、いわゆる重文の一部を指す概念である。「重要文化財のうち、世界文化の見地から価値の高いもので、たぐいない国民の宝たるものであるとして文部科学大臣が指定したもの」(文化財保護法27条2項)がすなわち国宝である。つまり、国宝と重文は同じではない。異なる概念である。
しかも、重文のうちどれを国宝と定めて良いものかというと、この判断が大変難しいのである。日本史の教科書に出てくる有名な国宝円覚寺舎利殿、あれを国宝にしてしまったのも実は学者の早とちりで、本当は重文で十分(失礼)なんだそうである。他にも、「え、なんでこれが重文なの?国宝で良いのに」「え、なんでこれが国宝なの?重文で良いのに」と思わせる例は、管見の限りでも少なくない。奈良・談山神社十三重塔などは前者の好例であろう。
国宝というのは、相当重い言葉である。ことほどさように、国宝と重文は違うのだ。

だから、せめて「人間国宝」はやめて「人間重文」にして欲しい。と、言いたいところだが…「人間重文」という呼び方もまた間違っている。私はそう思う。
「財」や「宝」は、ふつう、人が人以外の事物を指して使う言葉であろう。
否、人が人を指して使う場合もあるかも知れない。その場合、国民はみな国宝のはずだし、人類はみな重要文化財に認定されるべきである。
「国宝や重文の枠内に特定個人がカウントされる」などという現象は、理想から言っても事実から言っても存在しない。「国宝や重文を持っている特定個人」ということならばあり得る。
というわけで、ここはやはり「重要無形文化財保持者」が正しいという結論に落ち着くのである。ちょっと長いからといって、「人間国宝」などという法的にも倫理的にも誤った略称を軽々に用いるべきではあるまい。
特に文化財関係者やマスコミといった、文化に関わる仕事をしている人間こそ率先して慎重な言葉使いを心がけるべきであろう。

「人間国宝」などと言われるとつい鼻白んでしまう庶民感覚の方が、よほど文化的だ。そちらの方が言葉に対して敏感であり、かつ正当な反応というものである。
私はそう思う。

2004年07月16日

田中一光氏の文章より

故・田中一光氏と言えば、現代日本を代表するデザイナーの一人であった。
その氏が、こんなことを書いている。


  私の古典
  私にとっては興福寺にしろ、東大寺にし
  ろ、幼年のころからの遊び場であった。
  また、少なくとも月に一度や二度は
  祖母たちに手をひかれて、参詣した
  信仰の寺々でもあり、国宝になって
  しまった興福寺の三重塔など
  小学校帰りの道草の場所であった。
  当時は興福寺三重塔の周辺はまだ
  囲いもなく雑草が生い繁るうす暗い
  ところであった。
  塔を三度廻って石を投げると鬼婆が出
  るというので、塔に石をぶつけては一
  目散に逃げ帰ったりした記憶がある。
  早春の東大寺二月堂のお水取りも、
  その後に行われる
  達陀(だったん)帽子の行事も、
  春日大社の雅楽も薪能も、
  すべて奈良の市民のお祭りである。
  なんの不思議もなく、
  千数百年前の古典に対して日常的
  な接触を繰り返していたのである。
  (『第7回現代芸術祭「田中一光展 伝統と今日のデザイン」カタログ』
  富山県立近代美術館発行)

誠に、奈良の魅力を語って余すところがない。
氏の示唆する如く、《真に古代が生きている》ところにこの地の得難い良さがある。
猿沢の池や奈良町辺りの小路など、県庁所在地だというのに、夜は真なる闇である。
これが京都では、こうは行くまい。
祇園の喧騒、高瀬川のネオン。私の求める情緒は、そこにはない。

再び、田中氏の文章を引く。

  能の美しさ 
  能の舞台に登場する「造り物」は、簡素
  で華やかで、夾雑物をすっかり取り除
  いてしまったまるで彫刻の骨格のよう
  である。いつも、その存在感と優雅な
  美しさにみとれてしまうのである。
  なにしろ、戦後は欧米の舞台美術の
  リアリズムがどこまでも主流であり、  
  写実を越えることのできる抽象の美の  
  真髄を、私は改めて能から教わったと
  思っている。
  一畳台の貧しい宿で枕をとる寝台が
  一転して、貴族の部室に転換する。  
  能が美しいと思うのは単に視覚的な
  ことを指すばかりではない。
  詞による文学性が舞台一面に満々と
  たたえられていて、動かない。
  老いた小町が美しい過去を語る
  場面で、人間のはかなさが
  ハラリと落ちる。
  そんな時、能は近代を越えていると
  いつも思う。
  (同)


あまりにも良い文章なので引用してみた。
今申楽も、むろん現代の観客というものを両手に受け止めた上で、最終的に帰するところはこういう境地でありたい。
今の能を観て、何から何までこれが能本来の抽象美であるとは私は思わない。
さりとて、江戸期の洗練過剰・形骸化の弊を厭う余り、能を目先の近代リアリズムに近付けようなどと企てるのは甚だ愚かな蛮行と言わねばならぬ。
能を殺す所業である。

今の能から、現代の観客にも《ハンディなし》に通ずる能本来の美のありようをすくい上げることこそ、我ら今申楽朧座が天に課された(?)使命なのである。

それにしても、現代美術の大家が能に造詣が深かったなどというのは、もっと知られて良い事実だと思う。
無印良品をぶらつきながら、ふと能の抽象美と出くわす事だって出来るかも知れないのだから。

2004年07月25日

久しぶりの観能

久しぶりに能を観てきた。朧座第一回公演以来、初めての観能である。
能楽堂に到着、客席中正面に座を占める。そうそう、この中正面というポジション、舞台の柱が邪魔になって客の視界をさえぎるという問題があるのだった。
舞台後方、鏡板に描かれた巨大な松の木に目が止まる。この松の木を今申楽ではどう処理したものか、舞台美術の横井さんらとさんざん話し合ったものだ。そういえば大昔、照明の吉川さんに「いつか新しい能を創るのでその時は是非力をお貸し下さい」とお願いした時、「タユー、あれが何を意味しているか、知ってるか?」と聞かれたのもこの松の木であった。
やがて橋掛かりの奥、五色の幕の向こうから囃子方のお調べが聞こえてくる。ああ、橋掛かり、幕、お調べ、全部一から検討したなあ…などと既に感無量。能はまだこれからだというのに。
能が始まる。曲は『雷電』。鬼や化け物が登場して比較的派手な展開を見せる切能(きりのう)の一つ。本曲ではかの菅原道真の怨霊が登場し、都に怨念の雷を雨あられのごとくほとばしらせる。台詞がよく聞き取れないのは別に今回の演者のせいではなく、私に言わせるとほぼ能一般に言えること。そして今申楽がもっとも力を注いで立ち向かわなければならない問題でもある。
昔の私は若気の至りで、この「言葉がよく聞き取れない」という一事を、能楽なる芸能が今日抱え持つ最大の瑕疵(キズ)と悪くとらえていた。まあ、その観方が100パーセント間違っているとは今でも思わない。しかし、そんな昔に比べて、ずいぶん好意的に能を眺めるようになった自分自身に、今回ビックリさせられた。これも、今申楽を実際に世に送り出してしまった事の一つの結果であろうか。もう、言葉を追うのは止めていたのだ。能に「聞き取れる言葉」を期待するのは止めていたのだ。役者が何を言っているのか聞き取れない、それでもシテが俄かに面色を変えた様、そのただならぬ気配に気付いて祈祷の構えをとるワキの緊張、そして地謡勢の醸し出す「吟」の迫力。日本国の臣下にあっては史上最強の怨念をもって憤死した菅公の異様なオーラがまざまざ舞台にみなぎっているのを、言葉に頼らずとも肌で感ずることは十分出来る。
それで良いのだ…という、能の観方としては初歩の初歩に属するような事柄を、私というへそ曲がりは今になってようやく体得出来たようである。
「聞き取れる言葉」で能の本を読む、それはもはや能ではなく我々の仕事なのだ。
そして、後段。この曲が、まさにそのタイトルが示す如く、落雷に対する古代人の恐怖をそのまま舞台にすくい上げたものであることを痛感する。現代人にとっても、雷は怖い。その原理がわかっているつもりでも、本能的にあの音、しかもそれが連続する時人に与える精神的な影響というものをこの能は描いていると思う。
シテが所狭しと舞台上を蹂躙して床を踏みとどろかせる様は、まさしく京の都のあちこちに次々と下る怒りの鉄槌、神の雷鳴なのだ。
と、そう考えると、切能というものも全く馬鹿には出来ないものだと気付く。切能というとつい、ショー的な派手な見せ場で退屈させないものだというふうに考える演者見者が多いのではないか。違う、その根っ子にある日本人本来の自然物に対する畏怖や恐怖こそが大切なのではなかろうか。ショーで退屈させないなどというのは皮相な見方であって、そういう誤解がまかり通っている以上、能はいつまでも「基本的には退屈な芸能」であり続けることだろう。
切能を、芸術的なホラーと言い換える事は許されるような気がする。人間精神の内奥に根ざした、深い深いホラーである。単なる化け物ショーではないのだ、そんなものは遊園地に行って満喫すれば良い。
その辺りの事情を、『風姿花伝』は次の一言でズバリ見事に言い切る。
「ただ鬼のおもしろからむ嗜み、巌(いわお)に花の咲かんがごとし」
巌に花が咲くようであれというわけだ。
そんな切能を、いつか私も今申楽で創ってみたいものだ。

閑話休題。
今の能に対する《理解》と、その《理解》の上に初めて生まれる《違和感》──《理解》の上に立たない《違和感》は今申楽には不要である。それは単なる食わず嫌いでありアレルギーである。《理解》する前に《違和感》だけを覚える、そういう人間は能にも今申楽にも関わるべきではない──《理解》とその上での《違和感》、この二つなくして、今申楽を演ずることは出来ないだろう。それどころか、作・演出が演技者に何を要求しているのかもわからず、ただ空しさだけを感ずる結果となるだろう。
たとえば、「高貴」とか「品格」とかいう言葉を演出が使った場合、まず、能ではそれらがどういうイメージで使われる言葉であるのかを演技者は当然の用意として知る必要がある。漫画『ドラえもん』に登場するスネ夫の母親は、自分の息子をスネちゃまと称し、また「ざます」なる助動詞を頻発するわけだが、これを「高貴」な「品格」ある言葉遣いなのだと彼女は思っているわけである。だからもし仮にスネ夫の母が今申楽に出演する場合、まず「高貴」「品格」なる語彙をめぐって、己と演出との間にいかなる受容の差があるかをまず知ろうとしなければならない。
いくら今申楽といったって、おおもとは能楽なのだ。ハッキリ言ってしまえば現代演劇の俳優が新しく創る能楽なのだ。
つまり、今申楽って能楽じゃないんでしょ?という感想を以上の文脈から抱くとしたら、私はそういう人たちと日本語でまともに交流をはかれる自信はない。

朧座第一回公演のある出演者の言葉を借りて言えば「能スピリッツ」である。
それを消化しようという意識が今申楽参加者には当然必要だ。

前回公演のビデオを観ながら、またこうして本式の能を観ながら、改めてその感を強く強くせざるを得ない。
演劇は言うまでもなく俳優によって演ぜられる。舞台上には劇作家も演出家も存在しない。にもかかわらず、俳優を観に来る観客は一人もいないのだ(新宿コマなんかは別。歌舞伎も別)。
お客様は全てを観ている。

2004年07月28日

まずは書かねば…!

継続は力

何気なくテレビをつけたところ、カウントダウンTVという歌番組をやっていた。夏の特番バージョンとのことで、この数年来、夏に流行ったポップスを一挙に総ざらいしている。観ていてすごいなあと思うのが、毎年のように新曲を発表ししかも人々を魅了し続けるサザンオールスターズらの天才ぶりである。『エロティカ・セブン』など全然古さを感じさせないが、画面の説明を見たらもう十年前の作品なのだった。名曲は常に新しい。
まあしかし、私はサザンの熱狂的ファンというわけではないので、彼らの曲ならば遮二無二良いというふうには思わない。好みの曲もあるし、そうでないのもある。私の耳が悪いのか、あるいは天才といえども当たり外れはあるということなのか。
だが、私の好みではない、私に言わせれば外れということになる曲にしても、あまりひどいものは見当たらない。楽曲として毎度ある一定のクオリティを保ち続ける。つまり極端な外れがない。その辺りも、天才のなせる業なのだろう。
その一方で、一過性の天才というタイプもある。数年前の夏、一世を風靡した天才が、今は杳として行方も知れない、などというケース。
まあ、いずれにせよ天才なわけで、一凡人としてはただ彼らの才能をうらやむより他ないが、欲の深い私のこと、どちらかと言えば前者のような息の長い才能者たちにより強くあこがれてしまう。

継続は力なり、という。

ともあれ、書かねば。ここ数日、つらつら私の思うところを約すれば、この一言に帰するであろう。
先月挙行した朧座第一会公演『香炉峯』の台本は約3年前に書いたものだ。新しい能を創りたいと思い始めた時期はさらにさかのぼる。上演に至るまでには、何年もの構想期間があった。

新しい能を創る、能楽の台本を現代の戯曲として読みなおす。

まず、私が能楽師に謡と仕舞を習うべく入門を決意したところから、朧座の前史は静かに幕を開けたのだ。そして、台本執筆(『香炉峯』等)や路上での実験的なワークショップなど様々な試行錯誤の末、昨年末、某流能楽師・空也坊と邂逅したとき、朧座に命が宿ったのである。その半年後、旗揚げ公演として朧座がこの世に産声をあげるまでには、数知れぬ陣痛があった。

何もかもが一からの創造作業だった。役者はどの程度までリアルな表現が許されるのか。能では役者は決して笑わないが、今申楽では笑って良いのかいけないのか。摺り足で歩かねばならないのか、どうするのか。発声はどうする。舞はどうする。面はどんなデザインがふさわしいか。ただの能面の模倣であってはならないし、リアルな人面というのもやはり違う。能装束というのはどんなふうに出来ているのか、どこでそれを詳しく教えてくれるのか。笛や鼓はどこで調達すれば良いのか。借りられるものなのか、もし借りられるとしていくらかかるのか。小道具は、大道具は、照明音響は…
能楽をやれば良いとか、普通に芝居をしていれば事足りるとか、そういう甘えが一切通用しない、演技者にとっては正直誠に恐ろしい試みが今申楽である。能の猿真似をしたところで能楽師の方々にかなうはずもなく、かといって普段我々が行っている現代演劇そのままの調子で能の本を読めばまことに変てこな具合になってしまう。
そこは苦心の連続だった。

第一回公演が好敵手

ところが、である。いざ生まれてしまうと、「次はいつ?」なる問題が恐ろしい勢いで浮上してきたのであった。次回公演を打つということが「ノルマ」的にならない方が良いと、何人もの信頼出来る人間が口を揃えて言っている。が、その一方で、この企画続けて行かねば意味がない、しかも人々が忘れぬようなペースで世に問い続けることが望ましいと、これまた信頼すべき多くの人間が言を同じくしている。

一定のペースで一定の完成度で新曲を作り続けるサザンオールスターズらが誠に羨ましい。まあ、そういう天才をうらやむこと自体おこがましいと承知はしているが、どうせやきもちを焼くならレベルの高い相手に焼いておこうではないか。

第二回公演を行うとして、繰り返してならぬ多くの問題がある。特に、演技面及び企画製作面において、踏まえねばならぬ実に実に多くの反省がある。
ああ、どうすれば良いのか…。
悩んでみても始まらない。まずは、台本を書かねば。
と、こうして至極当然の結論に落ち着くのであった。

などと雑念にまみれながらチャンネルを変えると、アテネ五輪の予告をやっている。
アナウンサーによる伝聞だから本当かどうかは知らないが、かの北島康介選手がこんなことを言ったそうな。
「ライバルは自分」
またもやおこがましい限りのことを書くが、今の私には、この言葉がとてもよく効く。北島選手はナンバーワンの能力があるから、自分の他にライバルがいないというわけだ。不肖ながら朧座の場合、ナンバーワンではないがオンリーワンとは自負して差支えないはず。能には大和猿楽四座(観世・宝生・金剛・金春)に江戸期成立の喜多、あわせて五つの流派があり、狂言には和泉・大蔵の二流派があるが、今申楽をやっているのは何を隠そう朧座だけだからである。
というわけで北島氏のひそみにならって言う、ライバルは自分、すなわち前回の第一回公演『香炉峯』が当面の間、我が最大の好敵手である。
『香炉峯』とはまったく違う、それでいて今申楽ならではの作品を。

まずは書かねば…!

2004年08月02日

カメラ小僧とモデル美女〜現代幽玄考〜

とあるイベントでスタッフの仕事をしてきた。
某大企業が主催する、商品の展示会である。
会場内では見目麗しいモデルの美女たちが、商品の傍らにはべってめいめい悩ましいかっこうで突っ立っている。
主催者としては、当然目的は商品の宣伝広告にあり、美女たちはその目的遂行のためのプロセスに過ぎない。
ところが、そのプロセスをこそ主なる目的と考えて来場する向きがある。
数は多い。この炎暑の中めいめい重たげなカメラを持参し、商品そっちのけで美女の前に殺到、フラッシュをたきまくる。
イベント関係者は彼らをカメラ小僧と呼びならわし、ほとんど人間扱いしていない。
「カメコがこの辺りまで来たら追っ払っちゃって下さい」
「カメコには景品渡さなくていいです、もったいないから」
「カメコは基本的に無視して下さい」

カメコ軍団、さりとは知らず猛然とシャッターを切り続ける。モデルはただ艶然と微笑み続ける。
観察していたら、そのうち面白いことに気が付いた。
最初私は、カメコさんたちは何が楽しくてモデルに夢中になっているのか理解出来なかった。
モデルは、人形のように、微笑みながらただ突っ立っているだけだ。
美しいと言えばもちろん確かに美しいのだが、グラビアアイドルなんかにもっと上位に属する女性はたくさんいそうな気がする。
台詞は、司会者にマイクを向けられてほんの一言、見え透いた商品のお世辞を口にするだけ。もちろん、予め台本で決められているヤラセである。
こんなの、いったい何が楽しいというのか。

ところが、だんだんわかってきた。
彼女たちはカメコ軍団にとって、目と鼻の先という至近距離で拝める美女なのだ。手を伸ばせば体に触れてしまえる近さで、彼女らのまばたきやら息遣いやらを直に見聞することが出来る。ここがグラビアアイドルと決定的に違うところだ。
一言の台詞。毎度言う内容(お世辞)も言い方(可愛く)も決まりきっている。
だからこそ、そこに微妙な、甚だ微妙な陰影がかすかに見え隠れしたとき、かえって彼女たちの「生」が奇妙に強く印象に残るのではなかろうか。何を言っても良い、どう言っても良いという、「何でもありの自由さ」に比べて。
何もかも決まっているからこそ、「あ、今少しだけ声がかすれたな、緊張してるのかな」「あれ、今一瞬俺と目が合ったぞ、いつもは商品の方ばかり見ているのに。三日間通い続けた想いが通じたのかな」などなどの想像をかきたてられるわけであろう。
本当は彼女は何を考えながらそこに存在しているのか。彼女の言葉や顔の表情、その表面には決して現れることのない彼女の心の奥底をのぞきこみ推し量りたくなるのである。

こういう、うわべからはうかがい知れない物事の奥深くに存する魅力を世阿弥は「幽玄」と名付け、能という芸能の言わばタグライン(人の心に訴えるメッセージ)としてこの言葉を事あるごとに使っている。
しからば、このカメコさんたちも、モデル勢の幽玄にどっぷりしてやられたということになるのであろう。能の幽玄にしてやられた私も、同じようなものだ。

まあ、生身のモデルが発散する幽玄と、木彫りの女面が醸し出す幽玄とはちと違う気もするが。
しかし、この二つ、室町時代には現代の我々が想像するよりかなり近いものだった可能性もある。
生身の「モデル」という現代的枠組ではなく、生身の「遊女や巫女や白拍子や稚児」という中世的枠組で想像すると、室町時代の幽玄に一歩近づけるのかも知れない。
そういえば昔、ストリッパーに能面を着けさせ「ヌード能」なる実験を試みた演出家(武智鉄二氏)がいたそうだ。どんなものか、ちょっと想像もつかない。怖いもの見たさでものは試しに一度見てみたかった。
かの足利義満も世阿弥にストリップ能くらいさせているかも知れない。山田風太郎氏の小説『婆娑羅』の最終場面などは、その可能性を大いに示唆するものである。いや、示唆どころか、若き日の義満と世阿弥が能『石橋』(歌舞伎で言うところの連獅子)をともに舞い戯れながら、いつしか舞台上でほんももの獣と化して交わり始める、それを独り客席で見ている、いや見せつけられているバサラ大名佐々木道誉がついに観能中に悶絶に及ぶというのだから、いやはや凄まじい内容なのだ。ゲイ能とでもいうべきか。

「幽玄」。今ひとつ、彼が能のタグラインとして打ち立てたものに「花」がある。
まあ、花について思うところはまたいつか述べることになろう。
閑話休題。商品の展示会だけあって、会場はバイライン(商品やサービス内容の明確な提示)・タグラインのオンパレードである。
今申楽朧座のバイラインは、昔は「新しい能楽を創る」だった。しかし、これは仮のもので、私自身なんとなく違和感を伴うものだった。そこで、新しく「能楽の台本を現代の戯曲として読みなおす。俳優と能楽師、二つの身体の邂逅──」というバイラインを考えてみた。これは今申楽朧座の内容説明としてはわりあい正確である。しかし、いささか長過ぎると思っていた。そこへ、ふと思いついたのである。

いつから、
「能楽」になってしまったのだろう。

これは朧座のバイラインとタグライン、どちらかに使えそうな気がするのだが、いかがだろうか。

2004年08月05日

とりとめもなく心に思うことども

○新作能は、やれば良いというものではない。むしろ、きちんと考えるべきことを考えてから取り組まないと、単なる目立ちたがりの手慰みに終わってしまうと思う。朧座では、例えば「能楽師がこの曲をやりたがるだろうか?」といったことを常に考えている。「私はこれをやりたいのだ!」だけではなく「他の人間もこれをやりたいだろうか?」が大事だ。でないと、所詮私独りがやり続けるだけで終わってしまうだろう。広がりが出ないと思うのだ。

○演出という作業では、どこからどこまでを共通言語として演出家と俳優が共有できるか、食い違いなく一つの概念を一つの言語で相互に送受信できるか、まずそこをお互い明らかにしないといけないと思う(当たり前の事だが、改めて)。もちろん、言語化不可能の領域は当然あるので、何から何までコンピューターの如く理路整然とはいかない。特に、今申楽という未完成芸術ではなおのこと。だからこそ、「ここからここまでは共有できる」という基盤を確認していかなければならない。朧座第二回公演最大の目的である。

○信頼関係がないと演出・演技はできない。信頼関係を損なう程あまりにハード過ぎる演出方法は俗にいう荒療治というもので、おそらく効果はないだろう(場合によっては逆効果かも知れない)。慢性的処方箋が必要な時に、理想に焦って急性的処方箋を出すのも宜しくない。人間であり、心の問題が絡むから、そこはデリカシーをもって臨む必要があると感じた。特によくも悪くも日本人は「事実」より「対人」の民族であるから、演出家は言葉の使い方にセンスティブでなければならない。一方で、その演出家の方法を理解しよう、演出家の言語圏内に入ってこようという姿勢の見えない俳優は舞台世界の一員たり得ないわけだから、シビアな話だがおろされても文句は言えない。以上を要するに、演出サイドと俳優サイド、相互の「歩み寄り」の精神がとても重要だと感じた。

○古典を現代に読み直すというのは朧座に課せられた使命であるが、実はこれは現代人が錯覚しているほどに難しいことではなさそうだ。錯覚の主要なる原因は学校教育の貧困にあるに相違ない。そして、実はそれほど難しいことではなさそうだと言い切れるのは、民族には文化的な遺伝子があると思われるからである。例えば、明日は出撃という状況にある特攻隊員のうち、口語よりも文語を選んで遺書をしたためた人の数は少なくない。単に今と当時とでは教養に差があるという一事では片付けられない問題がそこにはあると思う。和歌を詠もうとするとどうしても文語になってしまう人もいる、それと同じではないのか。民族的な記憶というものは、生きている。そういう大切な記憶を、ハリウッドかどこかに売り飛ばすために英語や米語で喋り散らす卑しい日本人にはなりたくない。私は、アメリカで公開するために英語で喋る戦時中の広島県民を演じよと言われれば、即座にお断り申し上げる。

2004年08月11日

現代の観客、政子の知名度

先日、歌手(アーティストなんて私の性格上言えません、悪しからず)浜崎あゆみ氏の所属するレコード会社エイベックスで一騒動あった。専務の某氏が辞めると言い出したとか、もとの鞘に納まったとか、何とか。詳しい事は全然知らないが。で、この騒動に関連して、どこかのテレビ番組がこの専務氏の人となりを取り上げていた。
曰くこの専務氏、タレントをブレイクさせたりヒットを飛ばしたりするために、ある習慣を持っているのだという。それは、常に十代の若者を「メル友」にキープしておく事なのだそうな。道理で年々、世上をにぎわすヒット曲の歌詞が低年齢化して行くわけである。「恋はいいなあ」じゃなく「即エッチしたい!」という感じである(もちろん例外もあります。概ねの傾向に呆れているのです)。さもなくば醜悪で怪奇なラップもどきである、本場の黒人に聴かせたら一笑に付されて終わるに決まっているところの。
おっと、マイナス面を先に言ってしまった。今日の本題は、むしろこの専務氏をほめる事にある。
世間の売れ筋をつぶさに知るべく、常に顧客層とメールを交わして彼らの趣味嗜好にアンテナを張り巡らすなどというのは、企業家としては誠に尊敬すべき態度であると思うのだ。

翻って能の世界でも、室町の創立期においてはこういう努力は当然払われていたのだが(それは世阿弥らの伝書を読めばわかる)、いつしか能は「観客」という演劇の最重要要素を忘れてしまった。武家の式楽、貴族階級の慰み物と化してしまったからである。
思うに、「今申楽」などと号しているが、その実、私の提案はたった一つの事柄に尽きるのである。
能楽の台本を、現代語で読んでみては駄目ですか?現代人にわかるように。
能楽の台本には、時代を超えて通用する戯曲としてそれくらいの生命力があると私は思うのですが。

という、要すればたったこれだけの主張なのである。
さて、従って、今申楽は現代の観客というものに対して敏感であらねばならない。かのエイベックスの専務氏には、そういう意味では非常に共感を覚える。また、一部少数の伝統芸能家に対しては、現代の観客を見下す嘆かわしい蛮習を改めよと通告しておきたい。
というわけで、高い敷居の上に胡坐をかいて惰眠を貪ることを是としない朧座としては、エイベックスの専務氏よろしく、およそ能楽とは縁のなかった友人らを相手に、しばしば雑談に事寄せたアンケートを行わせて戴くことにしている(そういう人たちにこそ、能楽の面白さを最も伝えたいから)。
で、最近のアンケートで一番多くたずねるようにしているのが、
「北条政子って知ってる?」
というもの。
これが、やはりというべきか、朧座第一回公演の主人公・清少納言に比べて圧倒的に知名度が低いのである。
清少納言の凄いところは、何よりその知名度であった。「ああ、枕草子を書いた人でしょ」と、それくらいは多くの人が心得ているのだった。日本人は日本のことを知らないというが、さほど諦めたものでもないと意を強くした覚えがある。
まあ、国語の授業で必ず出て来るだけのことはあるのだ。
ところがである。政子は日本史にしか出てこないのだ。
しかも清少納言の時代は女達の文化が主役だが、政子の時代は男達の人殺しが主役なので、政子、知名度という点では残念ながら清少納言に今一歩及ばない。
頑張って、「源頼朝の奥さん」という事を思い出すのがやっとだったりする。
うーむ、私が朧座第二回に取り上げたいのは「源頼朝の奥さん」時代が終わった後の政子なのだが。来年のNHK大河ドラマには北条政子も登場するとのことなので、このドラマには頑張ってもらいたい。しかし主人公は義経、頼朝より前に死んでいる。政子の後家時代など描かれようはずがない。しかしそれでも良い、政子に興味を持つ人が増えてさえくれれば。

ちなみに、鎌倉時代が過ぎ室町時代に入ってなお「武家は公家の番犬である」という思想を貫き通した筋金入りの公卿・北畠親房はその著書『神皇正統記』に、政子をいかなる呼び方で呼んでいるか。
「後室の尼公」
この言い方。まともな正史に片田舎の土豪の娘の名など記すもはばかる事と、言わんばかりではないか。(一応、一箇所だけ、「平政子」と記してはいるが)

やはり、政子の真実というものは語り直されなければならないであろう。
「尼将軍」ではなく、「北条政子」という一人の女性が生きたであろう真実を。
そのためにも、政子の名がもっと世に広まることを切に願う。否、我々が広めなければならないのかもしれない。

2004年08月13日

能楽師に対する精神的遠慮

『能って、何?』(松岡心平編、新書館)という本の中に、能楽研究者である松岡氏が観世流シテ方能楽師・梅若六郎氏に行ったインタビューを収めた箇所がある。ちょっと長いが引用してみる。

  梅若 ひとつは能役者そのものがサラリーマン化してしまって、収入とかが非常に安定しているというのもありますが、それは時代がこうだからしようがないところもある。ただ、ぼくが思うに能が好きな人が少なくなったということは確かですよね。たとえ飯が食えなくても能が舞えればいいやという奴が少ないという感じがとてもするんです。「仕事」になっちゃっているのかなという気もするんです。

ここまでは異論なし。なんだ、今はそんな能楽師が多いのか、梅若氏頑張れという感じ。問題はこの後に続く箇所である。

  ──そういうなかで、新作であるとか復曲であるとか、六郎さんには能を動かそ  うというような意識が感じられます。
  梅若 そうですね。あくまでこれは模索かもしれませんけれども。とにかくいまぼくはお恥ずかしいほど、ちょっと演能の数が多すぎるというくらい舞っているらしいんですけれど……。
  ──以前、白洲正子さんも苦言を呈していらっしゃいましたね。(笑)  
  梅若 ありがたいと言ったらありがたいんですけれどね。でも、そういうときに、無理にでも、新作とか復曲とか、逆に積極的にしようと思っているんです。

これを地下の白洲氏が読んだらどう反応するであろうか。女に能はつとまらないと悟って、以後二度と能を舞わなかった白洲氏だが、「本物になって出てきたわ」などと
御立腹でなければ良いのだが…
さて冗談はともかく、この箇所、読んだ当時は今一つピンと来なかった。ところがその後、梅若氏の別の著書を読んでようやく合点の行った事がある。
作家の故・白洲氏が生前、梅若氏に苦言を呈したのは演能の数の多さではなく、正確には新作演能の数の多さであったのだ。新作ばかりやっていないで、古典をやりなさいと諭されたのだという。
そう知ってから先の引用箇所を読むと意味がスッキリ通るのだ。多くの読者にとって「演能の数が多すぎる」その内容が古典ではなく新作なのだという事をこの二氏の会話に補って読むのは結構難しいと私は思う。よくよく読み直せば不可能とは言えないが、不親切である。やはり「(新作・復曲の)演能の数が多すぎる」と、編集時に文脈を補足すべきであったろう。

と、そこで思い至るのが「能楽師に対する精神的遠慮」という重大問題である。
本当に、この本の編集者は、上記の旨気付かずに刊行に至ったのであろうか。あるいは、気付きつつも「面倒な問題」ゆえわざわざ触れずに素通りしたということはあるまいか。
ささいなことをチマチマと疑うようだが、こういうところにこそ敏感でないと私の存在意義がないも同然なので、あえて疑念を表明する次第である。
学者と能楽師の共同作業などとよくいうが、本当に学者たちは能楽師に対し要らざる遠慮なくもの申しているのだろうか。

白洲氏のような歯に衣着せぬ直言居士を失ったことは、能界にとっても大きな損失であったろう。
どうも、「そんなの駄目!」と能に対してハッキリ言える人が今少ないような気がしてならない。「先生、恐れ入ります」みたいな人ばっかりに思えて致し方ない。

梅若氏も松岡氏も能界の明日を占うキーパーソンであられる。私もこれまで両氏の著作からどれだけ勉強させて戴いたことか、はかり知れない。さればこそ、生意気も省みず本心から御意見申し上げた次第。

2004年08月16日

弥生文脈と縄文文脈

弥生文脈と縄文文脈。
日本文化にはこの二大文脈が伏流しているのだろうか。

朧座の第一作『香炉峯』、あとから考えてみたら花鳥風月の全要素を散りばめていた。散りばめようという意識は全くなかった、しかし結果的には全部使っていたのである。なお、おまけに雪まで使っているので、雪月花と言い換えても差し支えない。
知らず知らずのうちに、いつの間にか、花鳥風月に事寄せて恋や人生を思ったり語ったりしている。それを今、まったく仮に「弥生文脈」と名付けておく。

第二作では北条政子を取り上げたいと今のところ思っている。しかし、さすが一土豪の田舎娘といっては政子が怒るだろうが、彼女の近辺には花鳥風月の匂いが全くしない。次男実朝が嫌気がさして和歌に走った理由もわかる気がする。
まあ、鎌倉幕府なる政体の実態は、シマを預かる組同士が日々タマを獲る獲られるの抗争に明け暮れる極道の世界である。その娘たる政子は、花鳥風月なんかよりも親兄弟の流鏑馬だの笠懸だの犬追物だのを身近に観て育ったことであろう。

政子を能に描こうとすれば、世阿弥よりもむしろ彼の父観阿弥や、子息の元雅の書いた能が参考になる。世阿弥は、二条良基ら当代最高の知識人の支援と影響を受け、弥生文脈を能に大きく取り入れている。観阿弥の作品はその前の時期に書かれたものだし、元雅は父世阿弥とはまた異なる世界を能に創ろうとしていた。
彼らの作った能には、弥生文脈というよりもむしろ「縄文文脈」とでも名付くべきものが底流しているように思う。花鳥風月に飾らず、ありのままの人間を素描する今一つの詩世界の体系である。

今日、能というと世阿弥の代表作『井筒』や、その作風を継承している『野宮』など、弥生文脈系の能ばかりが思い起こされるのは、能全体の見取り図としては正しくない。むしろ観阿弥の『自然居士』や元雅の『弱法師』『隅田川』など縄文文脈系の
能を今は丹念に見つめなおしたいと思っている。

だいたい政子という女性は、縄文の土が似合いそうだ。
彼女が子息頼家と死別したのは、史料を信ずれば八百年前の今のこの季節である。
自然破壊の故であろうか、今年の残暑は凄まじいものがあるが、それでも昨日あたりからは少し「秋」めいてきた。
八百年前の一昨日辺り、政子と頼家は何を感じ何を見ていたであろうか。

2004年08月20日

「日々朧々」の執筆意図

この「日々朧々」と題する雑文集は、私朧太夫が日々とりとめもなく朧座の諸事について思い考えるところを書き散らすものである。後から読み直してみれば、恥ずかしくなるような偏りや誤りも多々含まれていることであろう。しかし、「その時の私はこう考えそれを世に問うていたのだ」という一種の記録のつもりもあって、恥をしのんで未熟な思考を未熟なままにともかく掲載しているわけである。
とにかく、「日々、朧太夫が朧座について書く」を四字に略した結果が「日々朧々」である。ゆえに、その内容は、直接間接に必ず朧座と関わりのある内容とならざるを得ない。
この雑文集を読んだら、「朧太夫という奴は朧座のことしか考えていないのか」と思われそうだが、致し方のないところであろう。
率直に言えば、私だって朧座のことなどほとんど考えるいとまもない日はあるし(それもあるから毎日更新というわけには行かぬ)、さらに腹をぶち割ったところを明かせば、先に言った事と矛盾するようだが、主宰者たるもの、己の主宰する劇団なりプロデュースユニットなりを一顧だにせぬ日などというのはそうそうないのではないか。
親が子を毎日思ったところで格別の不自然はあるまい。

ただし思い過ぎは考えものかも知れぬ。「朧太夫よ、この頃ちと歩みが早かろうぞ」とさる友人に忠告され、それもそうかも知れぬと反省。

そうそう、長期戦なんである。長丁場なんである。
何せ敵は六百年間を生き抜いた妖怪であった。

2004年08月22日

衆人愛敬〜V6に学ぶ〜

私の立ち位置から見ると、ちょうど、メンバーの誰かが花道で歌いながらお客さんたちと握手を交わしているところであった。
本物を生で観られただけでも興奮しているのに、何と手まで握れて、お客さんたちの幸せそうな事と言ったらない。
そのとき私は心底思った、彼らはお客さんに夢を与えているのだと。

今、私はアイドルグループV6のコンサートのスタッフの仕事をしているのだ。
上記は、開演中、場内でふと覚えた感想である。

連日、このコンサートの仕事をしていて痛感させられるのは彼らの話術の上手さである。毎日決められたプログラムの中で喋っているのに、会話が色あせない。日々、新鮮に雑談しているのだ。
これはなかなか真似の出来ないことである。
ここでひとつ、私なりに彼らの話術を分析してみることにしよう。
まず、役割分担がきちんとなされている。雑談の司会進行役、いわゆる仕切り役に徹しているのは井ノ原快彦氏である。そしてこの井ノ原氏の司会業を様々に補足するのが坂本昌行・長野博そして岡田准一の三氏である。他の二氏(三宅健・森田剛)はいわゆる「いじられキャラ」といったところであろう。三宅氏はともかく、森田氏などはいじられない限り自ら積極的に会話に加わることはほとんどない。たまにいじられてやむを得ず会話に参加しても、あまり他人の話を聞いていないと見えて、見当違いなボケをかましたりする。V6は基本的に真面目そうに見えるタイプが多いので、中にはこういうある種の不良キャラも必要なのであろう。
それにしても井ノ原氏の喋りの上手さはおそらくメンバー中トップであろう。子供番組でも人気があるように、老若男女誰からも親しまれる節度と愛嬌がある。ただおしむらくは司会業に忠実なあまり、総括癖とでも言おうか、いささか話をまとめたがる気味がある。話題が思わぬ方向に転がっても、氏は軌道修正などせず、いま少し静観していて良いと思う。井ノ原氏が黙っていてもおそらく坂本・長野・岡田三氏が何とか収拾をつけるであろう。それでもどうにもならぬ事態に至った時こそ、井ノ原氏のまとめ癖が真に生きるのではあるまいか。
まあ、ついつい場の空気を取り持ってしまわずにはいられぬ人の良さそうなあたりが氏の魅力なのでもあろうが。

しかし、役割分担がきちんとなされているなどというのはグループなのだから当たり前の話だ。
彼らの話術の真骨頂は、観客を上手く話題に巻き込んでいくところにある。飾ったり気取ったりしないから親しみやすいのだ。昨日は朝まで井ノ原の家でテレビゲームをやっていた、坂本の実家は八百屋で長野の実家は自転車屋だ、坂本はゴキブリが苦手で岡田はゴキブリを取るのが得意だ、一時が万事こんな話題ばかりである。まともなアイドルがコンサートで話す内容ではないと、本人たちが笑っていた。

そういう、アイドルにあるまじき身近な雰囲気に徹することで、彼らは芸能界という雲の上から代々木体育館の地上に降り立ち観客の心を見事に掴んでいるのだ。
つまり、彼らは常に観客を意識し、観客と対話しているのである。
たとえ観客と直接言葉をかわすことは稀であっても、心の内においては常に観客と対話していることがよくわかる。
単に顔が良いだけで花のないアイドルとは、そこのところが決定的に違うのだ。

ここで突然、世阿弥の『風姿花伝』を引く(便宜上、現代仮名遣・新字に改める)。
「この芸とは、衆人愛敬(=観客みんなから愛されること)をもて、一座建立の寿福とせり。(中略)よくよく、この風俗の極めを見るに、貴所・山寺・田舎・遠国・諸社の祭礼に至るまで、おしなべて、そしりを得ざらん(=全国どこをまわっても、そしりを受けぬような芸人)を、寿福の達人の為手(あっぱれ達人の役者)とは申すべきか」

返す返すも、我々は観客の存在を忘却してはならない。

そういえば先日、さる有名劇団演出部に所属する友人と話していて教えてもらったことがある。彼女の劇団では、出演者のみならず、制作関係者、受付の者など、観客の前に立つ全てのポジションを裏方に対し「表方」と総称するのだそうだ。
これは大変良い考えだと思う。受付や係員の対応が良ければ、気持ちよく芝居を観る気になれるし、その逆の事態もまたあり得る。
さらに私は、舞台の最終完成者は観客であるという信念が非常に強い。
そこで、朧座衆とは実は表方(客前に立つ。主に出演者と制作)・裏方(客前に立つことなく舞台を支える。制作以外のスタッフ一般)・見所方(観客)という、朧座の舞台を成り立たせる三部門すべてを指し示す概念なのだと私は考えている。

2004年08月23日

「朧太夫」の定義とその四責務

太夫(たゆう)という言葉にはいろんな意味があるが、朧太夫という場合には「芸能者の集団の長または主な者」(『広辞苑』)の意味で使っている。つまりは朧座の座長ということだ。今はナントカ流の家元という具合になってしまっているが、昔は観世座の長は観世太夫、金春座の長は金春太夫であった。それにならったのである。

ちなみに、私が現代演劇の場において今まで使ってきた本名兼芸名は別に存在するのだが、その名を今申楽で使うことはない。
申楽の徒というものは本来名もなき流浪遍歴の民であった。名など一々記憶されることもない河原者達であった。和歌の世界にも、詠み人知らずとだけ記されて作者不明の作品がたくさんあるし、また、本歌取りといって、先行文芸を共通財産として再利用することは剽窃ではなくむしろ高度の技巧とされた。申楽もそれと同様で、つまり、和歌も申楽も特定個人の創作文芸ではなく、民族が継承し練り直して行く編集文芸であった。
だから、例えば朧座第一作の作者を仮に朧太夫と称しているが、本来の作者は明らかに清少納言を初めとする古人たちなのである。その流れの中に、新人・朧太夫も連なっていて、誠に恐れ多いことだが諸先輩方の創られた世界をお借りしたという言い方が本来ならば正しい。
第一作について言えば、朧太夫なる概念の中に、実は清少納言らが入っているのである。と、これは本当は執筆当時から漠然と感じていたのだけれど、その時はなんだか非科学的な考えのような気がしたし、それに作品を舞台に乗せる前から大言壮語するようで、本心を人に明かすことはなかった。
しかし、今はおそらく言える。あの、執筆当時の感覚、私個人の創作というより何だか清少納言に書かされているかのような直感は、間違っていなかったのだと。
私が書いたり演ったりするのではなく、私がナニモノかに書かされる演らされる感覚のゆえに、もともと芝居で使っていた本名兼芸名を今申楽においては封印することにしたのである。

つまり、朧座の座長であり、かつ特定個人性を棄却した概念が朧太夫であるということになるが、その責務は今のところ四つある。
�作家�演出家�俳優�プロデューサー
四足の草鞋を履いているので、言動には気を付けねばならない。
なぜかというと、例えば作家として言ったり書いたりしたことが、プロデューサーとしての言動と受け止められるようなことがあるからである。
作家としては、気分が乗った時、筆に何かが宿った時の勢いというのは何にもまして重要である。逃してはならぬ時勢というものがある。ところがプロデューサーとしてはそうは行かない。前回公演の反省、関係各部門との緊密な意思疎通などなど、踏むべき手順を踏んで慎重に事を運ぶ必要がある。土台が出来てもいないのに積み上げるピラミッドなどいつか崩壊するに決まっているのであるから。

いかなる立場でものを申しているのか、はっきりさせないと混乱を招いてしまう。
次回作の構想がやや見えてきた今日この頃、作家としての朧太夫は当面の間寡黙を守り、代わりにプロデューサーとして、まだ終わっていない前回公演の総括により多くの力を費やそうと思う。

2004年08月24日

若者に国語や日本史に興味を持ってもらう事が大事

一頃、「自虐史観」なる言葉が流行った。
戦前戦中の「皇国史観」に対するアレルギーから、戦後歴史学はおよそ左傾化の道をたどったと言って良い。その最たる現象は、天皇制に関する研究をタブー視したことである。臭いものには蓋をしろという、一部左翼学者の低次元な発想がその原因であった。
今日、時代劇というと武家を主役にしたものばかりで、公家はほとんど登場せず、たまに出てきても白粉を塗りたくった妖怪のように描かれるのはその影響である。
京都とか朝廷とかいうものに対して、現代人の多くは一部の左翼のせいで非常に鼻馬鹿になっているのだ。
作家の故・松本清張氏が「なぜ天皇制が続いたのか、歴史家は説明してくれない。平氏も源氏も、足利氏も徳川氏も、天皇に代わろうと欲すれば簡単に代わることは出来た。にもかかわらず、なぜ?」と、歴史学会を痛切に批判した一件は有名である。
近年亡くなった歴史学者・網野善彦氏は、マルクス史学という立場にありつつも、歴史学の正面から、天皇とは何かを終生問い続けた。
ここ最近は、戦後以来の左翼傾向に警鐘を鳴らすべく、漫画家・小林よしのり氏らが反動的に右傾化し始めた。余談だが氏の代表作『ゴーマニズム宣言』は、初期の、まだ氏が右翼でも左翼でもなかった頃が一番面白かった気がする。最近はギャグ漫画ではなく言論漫画になってしまった。御坊茶魔の馬鹿さ加減をいつか取り戻してもらいたい。
さて、この最近の右傾化を「ぷちナショナリズム」と呼んだのは精神科医・香山リカ氏であったと記憶するが、この一連の右翼系論陣から、戦後歴史学は「自虐史観」なる蔑称を送られることとなったのであった。
一頃は『新しい歴史教科書』騒動で、この言葉もだいぶ流行ったものだが、今は沈静化した模様である。

私自身は、右であるか左であるかということに要らぬこだわりを持ってはいない。
双方の歴史書を流し読みしていると、ある一つの史実をいかに観るか、単なる史観の相違というに過ぎぬこともままある。複数の史観をもって考えた方が良いような、複雑な史実もある。源頼朝だの織田信長だのはかなり複雑な人物だと私は思うので、彼らに対する複数の意見を知っておきたくなる。
とにかく、違うのは史実をいかに観るかであって、史実を知ろうという態度は右翼左翼ともに共通している。

私は、とにかく右でも左でも良いから、もっと民族の歩んだ道とか民族の残したものに興味を持たせる教育が、今の世の中すごく必要なことだと思う。
現代人はあまりにも自らの足元に関心がなさ過ぎると思う。

そういえば、こんなことを思い出した。
私の弟が、高校時代、修学旅行に行くことになった。旅行先は京都だという。
で、どこをまわるかは生徒が自分たちで決めて良いということだった。自主性を育む狙いなのだろう、そこは大いに結構だと思う。
ただ、そこで生徒が大阪にオープンしたばかりのユニバーサルスタジオジャパンに行くと提案し、教員らがそれに対し何も文句を言っていないと聞いて私は怒った。

いったい何のために京都に行くのか。

何も百パーセント遊びに行くというわけじゃない、それも立派な現代社会の見学じゃないか、などと愚弟が言い出したところまではうすボンヤリと覚えている。あとはあんまり詳しく覚えていない。とにかく猛烈な勢いで弟を論難し、(しかし弟の高校の方針を全否定するわけにも行かぬから)ユニバーサルナントカが断じてならぬとまでは言わぬが、とにかく修学旅行中、京都が長らく日本の首都であったという事を示す証拠に必ず触れて来なさい、大阪での出張遊びはほどほどにせよと訓戒を垂れたのであった。
あとで聞けば、弟は旅行委員の一人だったらしい。

帰って来てから弟に京都の感想をたずねたところ、こちらが思いがけぬほど楽しげに報告するには、嵯峨野清凉寺の釈迦如来像に感動した、あと二条陣屋の色んな仕掛けが楽しかった、などと言っていた。

兄馬鹿と言われて一向に構わぬ。私は及ばずながら、私より若い一人の日本人を救ったつもりである。
学校の先生方にお願い申し上げる。
京都での修学旅行で生徒が大阪のユニバーサルスタジオに行きたいと言い出したら、たしなめて戴きたい。
自主性尊重は大いに結構だが、若者に対し国語とか日本史に興味を持ってもらうきっかけの旅であることを忘れないで戴きたい。
もしもアメリカの映画文化に触れさせたいという事であれば、修学旅行地は京都ではなくハリウッドがよかろうと思う。あるいはテーマパークにおける社会科見学ということであれば、東京ディズニーランドの方が近いし勉強になるはずである。

でも、そういうことではなく、ただ単に何も考えていないだけの話なのであろうから、そういう病を次世代にうつすのは止めましょうと提言してこの稿を終える。

2004年08月26日

オリンピック嫌い

私はオリンピックなんか大嫌いである。
なぜって、普段日本のことなどろくに考えてもいない人々が、突然頬を赤らめニッポン!ニッポン!などと騒ぎ立てるのが気持ち悪くて仕方がないからだ。
はっきり言わせて戴くが、北島さんや谷さんがすごいのであって、あなた方がすごいのではないのですよ。
まあ、御近所を応援したくなる人情はわからなくもないが、だったらせめて、常日頃から御近所のことに興味を持ちましょうよ。と、言いたい。

そういえば、今日の国民の八割ほどは天皇制を支持していると聞くが、その中には、南朝北朝の区別もあんまりつかない人や、古今集と万葉集を間違えたりするような人も少なからず含まれているのだろうなあ。それと似たような現象ですかね、あれは。

殊に、日本人選手がメダルなど取った日にはもう大変。まるで戦争にでも勝ったかようなはしゃぎぶりである。Jリーグの際の、サポーターと称する人々の一部もそうだったが、もうなんか馬鹿丸出しで品がないのだ。勝った者があれば、負けた者もあるのである。勝利を讃えるにしても、もうちょっと慎み深い讃え方があるのではなかろうか。

勝った勝ったでシンプルに大騒ぎしている人たちは、能の中の修羅物と呼ばれるジャンルなどは一生理解出来ないでしょうね。何しろ主人公はみな敗者ですから。

本当にニッポンなる国に健全な意味での愛国心を持っているなら、以上述べ来ったようなところにこそ、もう少しセンスティブになるべきなのではなかろうか。

2004年09月01日

お勧め能楽関係書�

久々に胸のすくような好著を発見したのでお勧めさせて戴く。

『現代能楽講義 能と狂言の魅力と歴史についての十講』
天野文雄著 大阪大学出版会 2004年

好著は体に良い。特に、くだらぬ本が多過ぎる能楽関係書の中にあって、本書の輝きはいよいよ目立つ。群いる悪書のせいで健康を害することの多い私としては、一服の清涼剤にも似た読後感を覚えたことであった。

「食わず嫌い」よりも性質の悪い「食わず好き」。そういう、能を取り巻く困った人達への教化宣言に始まって、能を「詩劇」として的確に定義しなおし、『砧』を読みなおし、『敦盛』を読みなおして行く、その読みなおし方の正当さ。前々からなんで能の学者って雰囲気でしか能を見ないのか、不思議で致し方なかった。あるいは典拠との関わりとか一語一語の注釈とかそういう細かいことばっかり神経症の如く気にして、肝心のテキスト全体を戯曲として統一的にとらえ論じる理性が乏しい。要は頭の鈍い文学オタクのたわごとばかりで、能を心より愛する一ファンとしてこの事態を非常に悲しく思ってきた。
評論家・林望氏の唱える「平宗盛馬鹿殿論」に対し、「もし《熊野》がこのような能であるのなら、こんな不愉快な人物が登場する能は私は見たくないと思うのですが、みなさんはいかがでしょうか」と謬説邪説を斬って捨てる快刀乱麻の鮮やかさ。こんなまともな学者もいたのか、と嬉しくなってしまう。

「能とは何か」という悠久のテーマに対し、「能本を戯曲として読む」という正攻法をもって肉薄する労作。
能を論ずる自称批評家たちの「思考停止」ぶりに我慢ならぬ方々にお勧めの一冊である。

2004年09月02日

海外で今申楽を催す意義はあるか

最近、私の中で考えを改めた部分がある。今回はその件について軽く触れておきたい。
今申楽朧座、海外に行って公演を催す価値があるのかどうか、という話(もし海外に行くとしたって、無論だいぶ先のことにはなるだろうが)。

当初、私の中では「懐疑的」であった。
山海塾のような舞踏系芸術ならばいざ知らず、日本語がわからない人たちに、日本語演劇がどこまで受け入れられるものか、一頃の私にはひどく難しそうに思われたからだ。しかも、現代語ではなく昔の言葉遣いでやるのだから、なおさらの事である。
というのも、その頃の私は、「言葉がわからない→観る気をなくしてしまう」という公式に対してかなり肯定的であった。私自身がそういう人間だったから。
そして、その考えが全面的に変わったというわけではない。やはり、昔同様今でも、全く未知の外国語演劇を観るのは私にはけっこう負担なのである。外国語が苦手なのだと言っても良い。言葉に対するこだわりが強過ぎるのだと言っても良い。潔癖症みたいなもので、ある程度は言葉がわからないと嫌なのだ。またわからない言葉を追うのはしんどいのだ。
なんとなく大づかみにできる人、というのは幸せである。そういう人は外国語の摂取も早かろう。残念ながら私はそうではない。
だから私は、能に連れて行った少なからぬ友人が「言葉がわからない点はきつい」と言う気持ちがわかるのである。「わからなくて良いんだよ」とアドバイスする気になれないのである。初心者に対しそういうアドバイスをする人は非常に多いのだが、私もやはり基本的には「言葉がわからないと嫌」派なのである。だから、今申楽の台本を書くときもそこはかなり神経を使う。ある種の観方をすれば、私は現代人に神経を使い過ぎだということになるのかも知れない。しかし基本的にはそのスタンスで一向に差し支えないと信じている。それこそが、私が今までの演劇経験で培った財産なのだ。現代の観客をこそ、大切に大切に感じないといけないのである。
それを忘れると……「申楽」ではなくなるであろう。
第一回公演では、私としては正直なところ、かなりの大盤振る舞い、出血大サービスで臨んだつもりであった。現代人の役を登場させたのがその最たるものである。他にも、「飲酒」を能では「おんじゅ」と読ませるが、それでは一般人には通じないので「いんしゅ」と読ませたとか、能では「弔ふ(とう)」という動詞が頻出するがこれも馴染みがないので「とむらう」に統一したとか、一々挙げればきりがない。
しかしそれでもまだ「言葉が少々難しい」というお客様のお声もあった、そしてそういうお声を聞き逃してはならないのである。もちろん、ちょうど良い、あれ以上壊してはならないというお声もあった。また、言葉はわからなかったが、それでも良かったのかも知れない、それより昔の人々が古典にこめた神仏や精霊の存在を感じさせることの方が大事だろうから、というお声もあった。もちろんこれらのお声からは実に励まされ多くの勇気を戴いた。

しかし、「言葉がわからない」という壁を、それでも良いのだというふうには私は考えたくない。もちろん、だからと言って媚びへつらうわけでもない。枕詞に掛詞、序詞に縁語、どれも現代語では死に絶えてしまった修辞技法だが、全部使わせてもらっている。「せいしょうなごん」を、現代人の如く一続きに発音してはどうかという意見も座内にあったが、やはり「せい・しょうなごん」と本来の読み方にこだわった。

古典を変に曲げてもならないし、さりとて現代の観客を忘れるわけにも行かぬ、そういう誠に微妙な綱を渡る感覚が今申楽には必要なのだ。

だが、「言葉は古いし難しい。しかし、案外通じるものなのかも知れない」と、最近ちょっと思い始めたのだ。
もちろん、役者の力、舞台の魔術というものは、最終的には言葉の壁など乗り越えてしまうものである。そこを、以前よりももっと信じるようになってきた、ということもある。
だが、さらに真実を書けば、古典を楽しもうと思ったら観る側だってそれなりの努力が必要なのである。ハッキリ言って、古典というものは本質的にそんなに簡単なものではない。私自身、古典にはまってはや十年以上が経つが、未だに新古今和歌集も源氏物語も原文だけではよくわからない。なんなんだろう、この摩訶不思議な世界は?と立ち向かう意識くらいは必要だ、ジャンプやマガジンではないのだから。

そして、日本語演劇を観に来るような外国人というのはもとより勉強熱心なのである。積極的に能動的に、観客席から劇に参加しようという意識がきわめて高いのだ。

そう考えてみると、能のみならず他のジャンルでも、日本語演劇が海外において公演を行う価値は十分にあるということになってくる。単なる箔付け、ええかっこしいを目的に海外かぶれを起こす手合いは心胆卑しく、馬鹿にして差し支えないと思うが、そうではなく真面目に真剣に海外の観客に向けて演じる意義ならば大いに検討されて良いわけだ。
赤塚不二夫氏の漫画に出てくるイヤミみたいな、おフランス帰りをチビ太やおそ松やつながり目玉の警察官らに自慢するようなシェー的愚者も決して少なくはないゆえに、私もああはなりたくない一心に凝り固まっていたふしがある。そういう方々には、あまり人を引きこもりに走らせないで戴きたいものだ。

能の海外公演が有意義ならば、今申楽もまたしかり、という結論にたどり着く。なぜなら、能はやはり、長い年月のうちに言い方は悪いが「退化」してしまっている要素があるのだ。特に、スピード面・テンポ面である。室町時代の人間が今の能を観たら、やはり退屈に感じるはずである。上演時間が当時の二倍以上も間延びしているのだから。

(実は、この間延び現象は、能が師匠から弟子へと受け継ぐ伝統芸能と化したことと無縁ではないのではないかと私は密かに思っている。というのは、私自身、能を師匠に習っていて、どうしても師匠よりも謡のスピードが遅くなりやすいからだ。師匠はもっとテンポ良く謡っているのに、苛立たしいことに私が謡うと遅くなるのだ。無論これは私の未熟の故に他ならないのだが、どうも、この私の未熟は、長い間繰り返されてきた歴史的現象とも軌を同じくしているような気がしてならない。
私個人の未熟を能の歴史になぞらえるなど、もとより僭越極まりない暴論ではあるのだが。)

ともかく、私の想像するところでは、能のスピードが遅すぎると感じるのは多くの日本人だけではあるまい。海外においても同様の感想が持たれるのではなかろうか。
そのときこそは、今申楽朧座の海外進出ということになるのかも知れない。

日本語教育日記�

先月末、香港のさる大学教授が来日した。東京大学に留学のため、半年間日本に滞在するのだという。で、思わぬことには、朧座衆香港勢の紹介により、私が彼女に日本語をお教えすることになってしまった。香港勢曰く、この半年で彼女が日本語の書物を読める域にまで持って行って欲しいとのこと。大役を仰せつかったものである。

昨日は、初めての授業であった。教授はまだ日本語を十分には聞き取れないので、直接法(日本語だけで教える教授法)というわけには行かない。こちらは貧しい英語力をとことんフル活用せねばならぬ。まあ、カタカナ英語でも存外意思疎通が可能であることは、香港勢とのつきあいで知ってはいたが、それでもこの度の教授には驚かされた。

教授、物凄い勉強家であられるのだ。
この一週間の予定を問うたら、国立劇場にこの日は文楽を観に行く、この日は和太鼓を聴きに行く、といった具合ですでにギッシリ詰まっている。文楽は地下鉄のポスターで見かけて早速チケットを購入したらしい。今から楽しみでならないが、果たして外国人の私にもわかるだろうか、と尋ねられた。文楽も、それに私の好きな能も、言葉を理解するのは大変難しい、日本人にも難しい、ただし感じることは何人においてもそう難しくはないはずだと答えた。また、文楽に使われる人形たちは、能面同様、単なる人形ではなくある種の呪具であるということも言い添えておいた。

教授の勤勉ぶりは枚挙にいとまがない。愛読書は松本清張『点と線』に川端康成『雪国』だという。他にも漱石やら三島やら一通り読んでいる。アイアムキャット、イェットノットネームと珍妙なる英語もどきを発したらウケてしまった。
現代は村上春樹しか読んでいない、『源氏物語』は夕顔あたりで挫折してしまった、と恥ずかしそうに頭をすくめ、かつて京都に行った時は、三島文学に興味があって金閣寺を訪れたが、それよりも銀閣寺の方が気に入ったと述懐する。

紫式部は二人以上いたかも知れない、明らかにあとから書き加えられている、だからあんなに長いし統一性を欠くのだと説明し、また金閣より銀閣の方が性に合うとはかなり日本人的なセンスである、日本人はしばしばゴージャスよりもシンプルを好む傾向にあるから、と説明したらひどく喜ばれた。

日本を楽しく学びに来ている。
日本人よりも日本のことを知っている。
この分なら、日本語の上達も早かろう。
半年後には、小泉八雲の『怪談』くらいは読めるようにして差し上げたいものだ。

2004年09月04日

オモテにはウラがある

先日、朧座制作部・笛麿&鼓乃丞と三人で鎌倉に行って来た。
ちょっとしたネタ探しの散歩に、二人に付き合ってもらったような格好である。

鎌倉は楽しいねえ。鶴ヶ岡八幡辺りの小路なんか、ブラブラしていてほんとに飽きませんね。
骨董品屋も多いのでちょっと覗いてみると、能面が売ってあったりする。贋物も多いが、このとき見かけた「猩々」の面(能『猩々』だけに使われる専用面。猩々とは酒に酔い戯れる幸福の妖精。真っ赤な美少年の顔をしている)は凄かった…一発で私の心を射止めてしまった。一目惚れ状態である。
店の主人に出所と値段を聞く。さる旧家から売られた明治の作らしい。十万円。
う〜む。
まあ正直に申せば、私が能楽師なら確実に買っていたでしょう。能面が十万というのは破格だし、とにかく良く出来た面なのだ。猩々ってこうでなきゃ、という出来ばえなのだ。さらに、年月がこの面にえもいわれぬ魅力を加えている。旧家の出ということなので断定は出来ないが、しかし私の直感では、この面は確実に何度か舞台にかけられている。旧家の主が能にとり憑かれて自分自身が舞ったのかも知れないし、あるいはどこかの能楽師に舞わせたのかも知れない。この面を使って。
と、そんな妄想を抱かせて止まない面なのである。

店頭で制作両名を待たせつつ、猩々とにらめっこすること十数分。結局、私は買わなかった。なぜかというと、この面は先述の通り、能『猩々』の専用面とされているからだ。『猩々』は古典である。古典は能楽師の方々にお任せしておく、というのが朧座の当面のスタンスであるから、この面が朧座の舞台に必要とされることはまずないのである。

それにしても、後ろ髪引かれる思いで店をあとにしたことであった。
…と、それほど魅力的な猩々面にこのあいだ出会ったよ、という話を朧座芸術監督Lesに話すと、Les曰く「なんでそれほど魅力的な面がそんなに安く売っているのか、考えて下さい」とピシャリ。

なるほど。
オモテにはウラがある、ということか。

2004年09月06日

秋成はアキナリかシューセイか

先日、どこかのテレビ局が『雨月物語殺人事件』なるサスペンスドラマをやっていた。
観ていてビックリしたのが、大学の国文科を出たという設定の女主人公が雨月物語の作者上田秋成をウエダシューセイと読んでいたことだ。
え?アキナリでないの?
私は上田秋成について明るくない。少なくともシューセイなる読み方は初めて聞いたが、しかしそれは私の寡聞というもので、大学の国文科ではシューセイが普通なのだろうか。嫌味や皮肉ではなく真面目な話、どなたか御教示を乞いたい。そういえば、最後の将軍徳川慶喜をケイキと読む人もある。朧座第一回公演の時も、一条帝の皇后定子をテイシと読ませるべきかサダコと読ませるべきか作者として悩んだものだった。後醍醐天皇の皇子たちは「宗良」「世良」「懐良」「護良」「義良」とみな良の字が付くが、これをヨシと読むかナガと読むかも意見がわかれるようである。
ことほどさように漢字の読み方は厄介である。戯作者上田秋成の名をシューセイと読む読み方も、あるいはどこかに存在するのかも知れぬ。少なくとも、無学な私には、俄かには判断がつきかねるところである。

しかし、それでもあえて言う。言わせて戴く。
この台詞は明らかに誤りである。アキナリ、でなければならない。
このシーンにおいて、かの女主人公は一般人に対し一般的な話題として上田秋成の名を口にしているのである。
一般人に対する一般的話題の中で、例えば源義経を遮那王(しゃなおう。義経幼名)と呼ぶ人があるだろうか。あるとすればその人は国史か国文オタクである。シューセイなる読み方、仮に実在するとしても遮那王以上にマイナーなはずである。そして、かの女主人公、国文科出身という設定ではあったが、決して国文オタクではなかった。

おそらく、台本には「上田秋成」とルビ抜きで印刷されてあった。それを女優がシューセイと読んだ(あるいは監督が女優にそう読ませた)。そして、それを誰も疑わなかった、または疑う者があったとしてもその疑いを差し挟む余地はないまま収録は進行してしまった、というのが事の真相であろう。

実は、時効と判断してしたためると、私は前にこれに似た経験があるのだ。
あるテレビドラマで、某女優の台詞に「おもねない」という言い回しがあった。
そのドラマには私も出演していた。リハーサル時にこの台詞が目に止まり、なんか変だぞと思ってさっそく高校時代の国語の恩師に電話してみた。で、判明したのである、正しくは「おもねらない」であると。
文法的に言えば、本来は五段活用動詞であるのに、人々の意識の中で下一段化が進んでいるのだ、ということになる。揺れているのだ。何しろ言葉のプロである脚本家が間違いに気付かないくらいだから。
しかし、この「おもねない」(正しくは「おもねらない」)という台詞を言う某女優の役どころは、「日本の文学に通暁し、伝統ある美しい日本語を心から愛し、それを世間に広めるべく日夜言論活動に励んでいるライター」というものであった。
私は意を決し、監督に真実を進言した。監督は真摯に耳を傾けてはくれたが、しかし結局のところは台本通りに撮影は行われ、そしてとうとうそれは全国に放映されてしまった。

昔のほろ苦き思い出である。

2004年09月07日

日本語教育日記�

あなたは古代に生きているのか
今日は教授にいわゆる形容詞・形容動詞(前者は暑い寒いの類、後者は綺麗なハンサムなの類。私は勝手に即席で「いファミリー」「なファミリー」などと命名してしまったが)及びそれを使った「夏は暑いです」「彼女は綺麗です」「夏は暑い季節です」「彼女は綺麗な女優です」型構文の肯定文・否定文・疑問文をお教えした。
また授業後には、朧座第一回公演『香炉峯』の映像及び使用した三つの面を御覧戴き、劇の内容、能や能面の本質、そして公演中に起きた不思議な出来事、ひいては日本の基層信仰(御霊信仰)にまで話が及んだ。本番中に霊が降りた云々はすでに朧座香港勢から耳に入っているらしい。それでもさすがに面を前に御霊の話をした時は少し怖そうにしておられた。中国文化圏では「鬼」(死者の霊)は基本的にマイナスイメージなのである。最近、朧座芸術監督のLesが言うには、あの一件を自分の中で整理するのに結局3ヶ月かかった、と言う。彼も香港人だからショックは相当激しかったはずだ。しかしこの3ヶ月という数字は日本人の私も全く同感で、公演終了から3ヶ月が経つ今日、ようやく真なる意味でのリラックスを味わうことが出来るようになってきた気がする。
怖い話ばかりもどうかと思い、去年12月に私が作演出した現代演劇のビデオも少し教授にお見せした。

その後、夕食を御一緒する。その時、私は教授に「あなたは古代に生きているのか」と英語で問われた(これは侮辱ではなく真面目な質問なのである。念の為)。「はい」と返答しかけたが、やはり止めて「どうでしょう、よくわからない。複雑です」と答えることした。
確かに私は時々、古代に生きている場合がある(この場合の古代とは遥か昔、遠いいにしえ、というほどの意)。それは一種の妄想癖なのだと今までは思ってきたが、昨今はあながち妄想とばかりも言い切れぬ気がしてきた。事実、妄想の一語では説明のつかぬ体験も第一回公演で味わった。
澁澤龍彦氏の文章を読んでいると、ある時期の氏は古代ヨーロッパに憑かれていたように思われる。また水木しげる氏は今でもよく「私は妖怪の絵を妖怪たちに描かされているのです」などと言う。大文豪や大漫画家を引き合いに出すのは甚だ恐縮であるが、強いて言うならおそらくそれに近い感覚なのだ。枕草子やら吾妻鏡やらを読み漁っている時の私というのは。

さりとて、古代にばかり遊んでいるわけにも行かぬ。私が「はい」と返答しかけて引っ込めた理由はそこにある。どんなに古代の海に遊泳しようとも、いずれは現代の浜に帰って来なければならぬ。神楽ではなく申楽なのだから。しかも、今申楽なのだから。
(それにしても、思う。中世、猿楽の連中は猿の字を嫌って、かわりに申の字を用いたという。おそらく、それが正しいのであろう。しかし私には、どうも、神楽から神意を表す示偏(しめすへん)を取り去って、純粋な神事を演劇の方向に促進させた人物が存在したような気がしてならない。)

ともかく、大事なのは「今」だ。「古代に生きているのか」という問いには、やはり「どうでしょう、よくわからない。複雑です」あたりが穏当な回答であろうと思う。

日本の方が中国よりも前近代を思い出しやすいのではないか
近代とはひたすら「スピード」と「わかりやすさ」を追い求める時代であり、それってかなりつまらないね、というところで教授とは気が合ってしまっている。下手をすると古代(=前近代)礼讃一辺倒に終始してしまう恐れがある。
…まあ、終始しても良いか。たまには。

というわけで私の厭近代論の一つ、抹殺された悲劇の仮名「ゐ」「ゑ」について、教授に話す。そして、外国人初級者用であるにもかかわらず、この二字を括弧付きで仮名一覧表に載せている教授のテキスト、及びそれを選択した教授のセンスを賞賛した。
すると教授は最後に面白い話を聞かせてくれた。
日本の近代化とは、中国のそれに比べてずいぶん性急なものであった。中国では緩やかに時間をかけて行われた(その分、根が深かった)。結果、日本の方が中国よりも前近代を思い出しやすいのではないか、というのだ。陶芸が残り、漆器が残り、茶道も書道もある。もちろん、能もそうだ。今の中国にはそういうものはない、文化大革命によって滅び去ってしまったのだ、という。

なるほど。いずれ「ゐ」「ゑ」復活なる日もあろうか。

2004年09月15日

根っからの悪人などは存在しない

毎日新聞より。


「<米国務長官>イラク大量破壊兵器情報の誤り認める
【ワシントン中島哲夫】パウエル米国務長官は13日、上院政府活動委員会での証言で、ブッシュ政権がイラク戦争開戦の大義名分とした旧フセイン政権の大量破壊兵器について「なんらかの備蓄を我々が発見するということは、ありそうにないと思う」と述べた。また「我々は過去にさかのぼり、なぜ(現実と)異なる判断をしたのか突き止めねばならない」とも語り、開戦前のイラクの大量破壊兵器に関する情報が誤っていたことを従来より明確に認めた。
パウエル長官を含めブッシュ政権高官は既に、旧フセイン政権には大量破壊兵器を開発し保有する「意図と能力」があり、それは十分に重大な脅威だったという論理で戦争を正当化する姿勢に転じている。しかし長官は、開戦前の昨年2月に国連安全保障理事会でイラクの同兵器保有を断定的に報告した経緯があるだけに、トレーラー型の「移動生物兵器実験室」について今年4月「確実な情報ではなかったようだ」と認めるなど、徐々に前言を撤回してきた。
パウエル長官はブッシュ大統領が11月の選挙で再選されても現職には留任しないと見られている。今月7日にはイスラエル軍とパレスチナのイスラム原理主義組織「ハマス」の報復合戦を等しく批判し、イスラエル支持一辺倒ではないところを示した。歴史の検証を意識し、誤りや偏りを正そうとしている可能性がある。」


我々はこういう誤りに自衛隊派遣という形で加担していることを忘れてはなるまい。

先日、空也坊(朧座第一回公演演出・声の出演)・横井さん(同舞台美術)・杉本さん(同舞台監督)、それに公演を御覧の上お手伝いまで戴いたMさんたちとお話しする機会があった。その席でつくづく考えさせられたことがある。何と言うか、公演終了以来私の胸の内にわだかまっていた思いがすっと解けたような気持ちになった。

やはり、この世に根っからの悪人などは存在しないのだ。
まして、「霊」や「魂」などという清浄の世界にあってはなおのこと。

ブッシュ大統領はかつて「悪の枢軸」なる言葉を用いたが、こういう言葉を軽々に使って良いものかどうか、我々はきちんと考えなければならないだろう。
そんなに世の中が単純であるかどうか。

少なくとも我が国の古き良き信仰は、人間は言うに及ばずありとあらゆるモノには魂が宿っており(八百万の神々)、中でもこの世に怨みを残して死んだ魂(怨霊)は退治されるべきではなく鎮め慰められなければならない(その結果御霊となって守護神と化す)と教えているのである。

先日、評論家林望氏の「平宗盛馬鹿殿論」に対する能楽研究者天野文雄氏の手厳しい批判を紹介し、私としては断然天野氏に賛成である旨したためた。つまり私が思うに、能とは神々の世界、霊の世界を描いている。そこには聖なる者や純なる者たちだけが登場する。林氏の言うような単純な「馬鹿殿」なぞは、能の世界には登場しないのである。

「悪の枢軸」「馬鹿殿」などという者は存在しない。それが霊や魂の世界であり日本の基層信仰でもある。
少なくとも私はそういう考えのもとに生きていきたい。

そういえば、私は第一回公演の企画書にこんなことを書いていた。
少し長いが、抜粋して御紹介させて戴く。


「日本人は、既に亡くなってしまった過去の人物に対して、
「直接言葉には出さなかったけど、いや出せなかったけど、本当はこんな思いを抱いていたんだろうな。あの人は」
と、故人の思いを想像してその魂を慰める優しさを持っている。死んだ後も、人の一生は続くのだ。その人を偲ぶ後世の人間によって。
そんなかつての死者たちに、生前口には出せなかった胸の内を語ってもらう。
そんな演劇が、無言の国日本にはある。
今日、「能楽」という名の下に、極めて形式的にではあるがその片鱗は伝えられている。
仮面を着けた役者に死者の霊が招かれて、在りし日の真情を観客たち生者に告白するという方法だ。

枕草子は、果たして、正確な読み方をされてきただろうか。今まで。
本当に、「軽いエッセイ」なのだろうか。
PILLOW BOOKとして世界に紹介されているこの書物を、著者の子孫、原文と同じ日本語で生きている私たちがあまり知らないとすれば、それは実に皮肉なことだ。
日本人、日本語の皮肉だろうか。清少納言の悲しみは、つのるばかりだろう。

私は、清少納言という女の人に、枕草子の真実を、能という方法で語ってもらいたい。
愛してるのに愛してると口にするのがどれだけ難しいことか、語ってもらいたい。
つまりは──世界に向かって、「日本」の優しさや切なさや悲しさを表現したいのである。」

2004年09月18日

ビルの谷間の幻想

シテ(能の主人公)は神田川淀橋に住む龍女。西新宿に巨大な庁舎が建ったために地脈の流れを断たれ、大いに怒ってここ庁舎前の広場に出現したのである。
「思へばあの楼(ろお)恨めしやとて」
真蛇の面に鱗箔の装束を身にまとったシテがキッと庁舎上層を見上げ、特設舞台の床を荒らかに踏みつのる。と、俄かに大地鳴動し、背後の庁舎が粉塵を巻き上げて崩れ落ちて行くではないか。まだ知事は中で仕事中だと言うのに…!
が、地謡(能の斉唱隊)はそんなことにはお構いなしに平然と端座して謡い続ける。
「瞋恚(しんに)の炎は尽きせぬままに。瞋恚の炎は尽きせぬままに。思ひ知らずや思ひ知れと」
シテが怒りに任せて打杖を振り上げるとどうだろう、周囲の高層ビル群までもが次々と倒壊し始め、やがて西新宿一帯は往時の如き大荒野と化してしまった。
かくて宿願を果たした龍女は、再び元の棲み処へと帰って行く。
「神田川荒き波間に失せにけり、水底深くぞ失せにける…」


…というような幻覚に一瞬とらわれてしまった。ほとんど円谷英二監督の世界である。
先日、東京都庁舎前の都民広場で開催された薪能を観に行った折の与太話。

会場は大盛況である。無料ということもあってか、若い見物人も多かった。
良いことですね。

2004年09月22日

日本語教育日記�

○さる向きより「外国人向けの日本語教育本を出してはどうか」というお声を頂戴する。果たして私如きの任に堪える話であるのかどうか、検討中。いずれにせよ、現在行っている香港教授(以後J氏とする)への指導の結果が出版の是非を占う試金石にはなりそうだ。

○先日、J氏とともに伊豆下田に一泊してきた。それというのもJ氏は川端康成の熱烈なファンで、中でも『伊豆の踊子』が愛読書なのだそうな。で、私にJ氏を紹介した朧座香港勢曰く、彼女が日本に滞在するこの半年間で日本語の書物が一通り読める域にまで持って行って欲しいとのことなのである。要するに、彼女が持参している日本語の教科書だけではそれは無理な話なので、私はその教科書と『伊豆の踊子』の二本立てで授業を進めることに決めたのだ。基本的な語彙や構文など細かな知識は前者で覚えさせ、後者はただひたすら【書写&朗読】の世界。

○行きは特急踊子で伊豆急下田まで一直線。帰りはまず電車で川津まで出て、そこからバスに乗りかえて一路天城峠へ。バス停二階滝で降車、しばし山道を経巡ったのち旧天城トンネルに辿り着く。明治38年開通、全長446メートル、重要文化財。中はひんやりと薄暗くあんまり長居すべき感じには思われなかったが、J氏は愛読書の名場面を思い出して大はしゃぎ、フラッシュをたきまくっていた。何も写っていなければいいが…

○トンネルを過ぎた途端、大粒の雨が降ってきた。ちょうど休憩用の東屋があったので雨宿りする。最初は通り雨かとも思ったのだが、一向に止む気配がない。まずい、このままでは予定のバスに間に合わない…と思っていたら、突如J氏が少年のような笑い声をあげながら、この大雨の中、かの「九十九折の坂道」の方角へと突進して行った。小説冒頭そのままのシチュエーションに遭遇して大喜びなのである。

○かくてお互いビショビショの濡れ鼠と化しつつも、命に別状なく天城越えを果たしたのちは、再びバスに搭乗し(皮肉なことにその頃には雨はあがっていた)、湯ヶ島温泉など小説ゆかりの地を車窓に認めつつ、修善寺温泉に到着。この地は朧座の次回作品の舞台となるかも知れぬと紹介しつつ、温泉にて天城の雨を流したのち湯葉丼やら天ざるやら食す。蕎麦に山葵、地味の豊饒言うばかりなし。その後三島から新幹線にて帰京。

○J氏が言うには、あの天城の大雨は川端の祝福に相違ないとの由。これにて【書写&朗読】にもいよいよ熱がこもることと祈りつつ。

2004年09月26日

「人間の肌は壊すな」

NHKで一風変わった番組をやっていた。
二億年後の地球上に棲む生き物たちの生態をCGでリアルに再現、もとい予現(?)している。時折、外国の大学教授たちが登場して大真面目に解説を差し挟む。空飛ぶ魚にはこの教授、歩く烏賊にはあの教授、といった具合で、もとより絵空事であるにもかかわらず専門別に細かく分担が決まっているらしいのがおかしい。
そして何よりこの教授連、実にいきいきと語るのである。ジャンプする蝸牛、それを捕獲して食う巨大食虫植物、二億年後の生物界はこうであってもおかしくはないという、その蓋然性を説く眼があまりに熱いのだ。誰か連中を諫めた方が良い。
馬鹿馬鹿しいとは思いつつ、しかしつい最後まで観てしまった私も私である。

なんか、この番組を観ていて久しぶりに『ウルトラマン』とか『ウルトラセブン』の世界を思い出した。否、宇宙人のヒーローは出てこなかったので『ウルトラQ』の世界と言うべきか。
私としては、精密なCGで描いた未来の生物より、アナログな特撮セットで大暴れする円谷怪獣の方が圧倒的に好きなのだが。
世上名高いバルタン星人やジャミラといった珠玉のような芸術品怪獣たちは、数年前に惜しくも亡くなった成田亨らデザイナーの秀抜なセンスと、「人間の肌は壊すな」と左右の者に訓戒し続けた「おやっさん」こと円谷英二監督の精神の賜物であろう。

「人間の肌は壊すな」
これはつまり、バケモノをリアルに作るな、詩で漉せ、という美学の教導であろうと私は解釈する。

このリアルという概念の扱いを誤るととんでもない悲喜劇が勃発するのであるが、それについては長くなるのでおいおい述べよう。
今はとりあえず、おやっさんの遺訓を改めて我が脳裏に刻んでおきたい。

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2004年09月27日

本アル限リ、憂フベカラズ

今でこそ、我が今申楽朧座には、「朧座衆」をもって自任してくれる有難く頼もしい同志たちがいる。が、その昔、「朧座衆」は朧太夫ただ一人であった。
私一人が台本を片手に、役者や裏方ら仲間を集めいつの日か公演を打つことを夢想していた。
今から思えば、まことにまことに孤独な日々であった。

決してあの時期に戻りたいなどとは思わない。
しかし、私は知っている。劇団なるものの運営がそう簡単になし得る業ではないということを。

「劇団という芸術集団は、本来は、在籍年数と実力が相関しにくい、いわばヒエラルキーのできにくい集団のはずだ。だが実際には、上記の演出家の権力性(朧註・「おろす」「使わない」などの人事権に代表される、俳優への種々の強制権)のために、芸術性が歪められ、演出家に近い者と遠い者というヒエラルキーが生まれてくる。
 私は集団を疲弊し腐敗させるもっとも大きな原因は、この無用なヒエラルキーの誕生だと考えた。年功などによるヒエラルキーをできるだけ排して、演出家と俳優が一対一で向き合えることが理想であり、その関係の維持が、コンテクストの摺り合わせを行う最低限の条件である。
 だが、集団を継続しようとすれば、自然とヒエラルキーは生まれてくる。それは、残念ながら、理想や理念だけでは回避不可能なものである。例えば民主主義の維持には三権分立という制御システムが必要なように、ヒエラルキーの派生は、何らかのシステムによって予防し、回避されるべきものだろうと私は思う。」(平田オリザ著『演劇入門』講談社)

私も、あまたの劇団が創立初期の新鮮さ、初々しさを失って、どんどん退化して行く様を、正直なところ少なからず見てきた。
しかし、それは平田氏も言う通り、止むを得ないことなのかも知れない。

「状況劇場の稽古場が天沼から阿佐ヶ谷に移ったころになると、はじめ観客として来ていた学生が劇団に参加してくるようになり、最初は数人しかいなかった劇団が入団試験をするような大所帯に変わります。とんでもない奴もいっぱい増えて、妙なるごろつき集団となっていきました。
一座を率いていた唐は、団員が手におえないような混乱状態に陥り、劇団自体がまとまりがつかないようなことになると、酒を飲みながら、
「てめえら、おれの言うことがわかんねえのか!」
と台所から出刃包丁を持ってきて、見てみろ、と自分の腕に庖丁でさっと傷をつけ、
「おめえたち、こういうことできるのか」
といって座をひきしめたものです。口で言って収拾できないことは体を張ってやるしかない、という気迫でした。唐の腕にはいまだに大きな傷がたくさんあります。それだけ体を張っていたから信頼もあったのです。事実、唐は命がけに近いところで芝居をしていたと思います。(中略)自分の体を傷つけて押さえ込むというのは象徴的な行為でした。これだけの気持ちでやっているんだというのを見せつけるのは、言葉ではなかったのです。」(四谷シモン著『人形作家』講談社)

これも、劇団運営の難しさを物語る証言の一つだろう。
唐十郎氏のひそみにならうというわけでもないが、この私だって今申楽朧座存亡の大事とあらば指の一本や二本詰めるもやぶさかではない。
だが、そんなことをしたって、どうにもならない時というのは万事どうにもならないというのも事実である。

今、私が何らかの理由で頼りにする朧座衆全員を失って、天涯孤独の昔に戻ったとしたらどうだろう。

考えていたら寒気がしてきて、近所の八幡さまにお参りに行った。実はここ、まことに霊験あらたかな神社なのである。昔、私が初めて作演出を務めた芝居の稽古中、役者を怒鳴って良いものかどうか、どうにも決心がつきかねてこの神社に詣でたことがあった。賽銭を投げ柏手を打って、一心不乱に神に祈る。
と、私の心に一文のメッセージが浮かんできたではないか。
「…悪ヲ砕クニ、何ノ憚ルトコロヤアラン…」
そうだ、その通りだ。悪を砕くに何の支障があろう。その悪を許しのさばらせては、私自身も悪の一味、いや悪の親玉となってしまうのだ(作演出なのだから)。おかげでその日の稽古終了後、私は思いっきり怒鳴らせてもらうことが出来たのだった(あの時の出演者の皆さん、ごめんなさい)。
そんな、霊験あらたかな神社なのだ。もともと私は闘争を好まない性質なので、武神たる八幡神の加護が一座の長としては必要なのであろう。
「何やら心が落ち着かないので、またまた来てしまいました。ご加護を…」
と、祈るそばから、私の心にはまたしても一文のメッセージが降りきたったのだった。

「…本アル限リ、憂フベカラズ…」

そうだ。天涯孤独の身であったあの頃も、私には持って出歩く一冊の台本があったではないか。その台本のおかげで、次第に人は集まりやがて旗揚げ公演実現へとつながって行ったではないか。そして、千秋楽前日にはついにあの事件が起きたのではなかったか…。
あの事件とはすなわち、千年前の原作者があるスタッフの身体に本番中降臨したと思われる一連の超常現象を指す。その名は清少納言。

台本がある限り、人を集めることは出来る。
本ある限り、憂うべからず。
南無八幡大菩薩。神託に謝し奉る。

一人で台本を書いていると、たまにこんな妙な精神状態に陥るものだ。

2004年09月30日

朧座制作部長始動

ある飲食店が一流であるかないか、見分けるのは簡単である。
その店のトイレを見れば良い。
どんなに新鮮なネタを仕入れていようが上手い料理が出ようが、トイレが不潔では興ざめである。夢はいっぺんに吹き飛ぶ。

さて、これを演劇に当てはめれば、飲食店における「トイレ」は劇団における「制作」と換言して良い。
つまり「制作」が駄目な劇団はすなわち一流とは言い難いのである。

つい、料理の出来不出来に終始して、トイレ掃除を怠るのがそこら三流飲食店の常態である。芝居を始めてもう何年にもなるのに、台本だの役者だのに血道をあげて、あいかわらず制作不首尾の劇団のなんとなんと枚挙にいとまなきことか。

かく言う朧座も、第一回公演、決して上首尾であったとは言い難い。
小劇場界にペストの如く蔓延するノルマ制は、客席の空気を親兄弟や学校の同窓生ら身内大会のノリへと劣化させ、かつまたそういう異常を異常とも思わず諾々とノルマを引き受ける俳優というのはえてしてホストやホステスから進化(?)したようなお水まがいが多く、そういう手合いに限ってやれ「自分は客を百人呼べます」だの「二百人呼べます」だのと臆面もなく痴れ言をのたまうのである。
この文章を御覧の一般読者の多くは「まさか、現実はそこまで低級ではあるまい」と首をかしげておいでの事と思うが、やんぬるかな、現実はそこまで低級なのだから恐ろしい。
(付言すれば、このお水臭の発散元はたいていネズミ講の教祖みたいな連中で、子ネズミどもにハッパをかける台詞もほぼ毎回決まっている。「魅力的な役者ちゅうもんはな、客もぎょうさん呼べるもんやねん」)
私はそういう不潔な便所臭さが嫌で嫌で、朧座は旗揚げ時からノルマ制を採用しない方針で行く事を早くに決めていた。その代わり、協賛企業からの援助金を募ったのである。
結果、客席は予想を裏切る賑わいを見せ、「原作は能」の強みを改めて思い知らされた。やはり六百年の風雪を生き抜いている実績は伊達ではないのだ。
しかし、制作というのはただ単にその公演のチケットの売れ行きにまつわる雑務ばかりを言うのではない。むろん、それも制作の最重要業務であることに間違いはないが、社会に向けて劇団をより大きくするためのありとあらゆる総務をこそ、「制作」という言葉は本来意味する筈なのである。

朧座第二回公演は、まだ当分先の事である。
関係各位は「次はいつやるのか」と声をそろえ楽しみにして下さっているのだが、残念ながら当分先である。
次回こそは作演出・俳優・制作に万全を期すと固く心に誓っているので。
特に、制作である。

朧座制作部長・笛麿がついに動き始める。
数字の鬼、趣味は競馬に株というこの男、私は早くに朧座のアートマネージメントを託してあったにもかかわらず、第一回公演では「お手並拝見」とばかり静観を貫いた。ただ一言、「朧太夫一人がプロデュースのうえ作・演出・主演というのは無理がある。信頼してこれらのうちいずれかを任せられる人材を発掘した方が良い」という声明を発するにとどまった。この声明の数ヵ月後、私は某流能楽師空也坊と出会うこととなる。

この笛麿という男、めったに「やる」とは言わないが、「やる」と言い出したらやるのである。

2004年10月04日

久方ぶりの稽古

先日、久方ぶりに師匠に稽古をつけて戴いた。
朧座第一回公演終了後、実に数ヶ月ぶりの事である。
リハビリ(?)第一回は『東北』(謡曲の一。情熱的な恋歌で知られる王朝の才媛和泉式部の亡霊が主人公)の謡から始まった。

謡の稽古というのは、師匠がまず謡曲の詞章を謡い(つまり能の台詞を歌唱し)、それを弟子がリピートして行く、というごく単純なものである。
まずはワキ(脇役。精霊や鬼神など異界の者が主人公である能において、生きている人間の役)である旅の坊さんが登場し、東国から京都までののどかな旅の道のりを謡う。
さて、都に着いた坊さんは、そこで今を盛りと咲く梅の花と出会う。と、ここでいよいよシテ(能の主人公)の御登場と相成るのである。

「のうのうあれなる御僧」

と、シテの第一声を師が謡ったその時、私は心の中で、「ああ、この師と出会えて本当に良かった。」と改めて痛感した。稽古中にかかる雑念はよろしき筈がないが、しかし心中の事ゆえいかんともし難い。と、早速雑念が師に露見したものか、私がかの第一声をリピートすると、
「いえ、これは『のうのう』だけではなく『御僧』まで全体でもう少し遠くに呼びかけて下さい」
これは不覚。「これなる」「それなる」ではなく「あれなる」なのだから式部はいくばくかの距離の向こうから既に僧に向かって発語している訳である。
ああ、この師で良かったと、またしても雑念が生じてしまうのだった。

朧座第一回公演で、最も苦労したのが「シテ方」の台詞回しのまずさである。
第一声「花子さんよ、伊勢佐木町の雨はどうかしら」の「花子さんよ」一言がどうしても言えないのだ。
否、もっとビックリしたのは、「と言った」の「と」一文字すら言えないのである。

俳優がある台詞を言えない。その理由は様々で、例えば稽古場において俳優を精神的に虐待する変なヒエラルキー(階層制)などがあったりすると、当然虐げられている者としてはまともに台詞など言えようはずがない。台詞はおろか、その場に俳優として存在することさえ苦痛になってくる。そのヒエラルキーを生み出すもとは、誰も虐げてなどいないのに、勝手に虐げられている気になっている「人民階級」のお門違いだったりする場合もあるのだが。
曰く「あなたたちはお金持ちだからわからないのよ!」

あるいは、単なる技量不足という場合もある。「と」一字が言えぬというのは、もはやヒエラルキー云々以前に俳優失格の沙汰というべきであろう。

しかし、それにつけても、
「太夫さんは能を習っていらっしゃるから(私には出来ません)」
という役者さん(?)の言い訳には参ったなあ。
本当に参った。参りました。
共同演出の空也坊(朧座演出部・某流能楽師)からは、
「次回は今少し能の演技の教養をお持ちになっている方をお使いになっては?」
と言われてしまっている。

数年前NHKの大河ドラマで、伊達政宗役のすまけい氏が劇中、能舞台で能を舞っておられたのを思い出す。こういう役が来たら、一体全体どうされるのだろう。「私は能を習っていないので」と辞退なさるのであろうか。

そもそも、本当は「花子さんよ」なんて、能を習っていようがいまいが俳優なら誰でも言えるはずだ。しかし、能を習っているという一事がネックとなり出演者内に要らざる逆差別まで引き起こすというなら、あるいはそれ(空也坊の提案)も一つの手かも知れない。次元の低い話ではあるが。

(しかし恐ろしい事に、まずい芝居というのは国籍を問わず言語の垣根を越えて露見するもので、香港より来日の朧座美術班は稽古期間中夜な夜な事務所で装束をつくろったり面に色を塗ったりしつつしきりに「ハナコサンヨ」「ハナコサンヨ」と真似をしながら笑い転げていた。)

そう言えば能楽を習っている俳優ってどのくらいいるのだろうか。
上手くなくたって良い。私だって柔吟も剛吟も(よわぎん・つよぎん。共に能の歌唱法)決して上手くはない。
ただ、能楽に関して「最低限の教養」ある俳優。
調べてみるか。前向きに。
と、そんなことを思いつつ、久方ぶりの稽古を終え師のお宅を辞するのであった。

2004年10月05日

「花のある芸風」考

行きつけの喫茶店の、いつもの席に座を占める。
と、目の前の花瓶にいつの間にか、大小さまざまの花が生けてあった。
何せすぐ眼前の事ゆえ、花たちの色彩や形態が直に我が目に否応なく飛び込んでくる。

まじまじと花を観察する。否、この距離で置かれると、観察せざるを得ないのだ。
百合を中心として、他にも多くの種類の花々が添えられている。
しかし、この花という代物。
間近に見れば見るほど気持ちの悪い生態を呈しているではないか。

花弁の内奥には何やら妖怪じみた細かい毛のようなものが密集して、花粉がこれでもかというほどその毛の周りにまとわりついている。そこからめしべおしべがニュッとグロテスクに突き出し、そのおしべの先端がテラテラといかがわしく濡れている。

こういう事を書くと人格を疑われるかも知れないが、花ってやっぱり性器なのである。エロスなのである。生きていることの直截な、あまりに直截な現れなのだ。

花はやっぱり、しかるべき距離の彼方にほのかに匂うくらいが良い。近くにあってまじまじと見つめるものではないと私は思う。かつて京都鹿苑寺に詣でた友人が、「舎利殿(いわゆる金閣)は遠景に限る」と的確な評を下していたが、実に似たような事が花というものの愛で方にも言えるのではあるまいか。

植物界における「花」は、人間界における「色気」であろう。なくては堅物でつまらない。やはり若いうちはほどほどにあって然るべきものと思う。
しかし、あり過ぎるとそれは傍目に厭らしく煩わしく鬱陶しいのである。

堅物でつまらないなどと言ったがそれは若いうちの話で、花のない美しさというのも実は存在する。禅寺の紅葉なんかはそれであろう。凛冽と澄み切った秋の美である。

閑話休題。
「花のある芸風」というような言い方を時折耳にする。
能の通と呼ばれるような人々に、わりとこういう言い方は多いように思われる。
この「花のある芸風」なるものの実態について考えてみたい。

思うに、私ども俳優はすべからく役に生き、舞台の上に生きなければならぬ。
そのためには無論、まずは俳優本人が生きている事が大前提であると言える。
が、大前提に過ぎぬとも言える。
俳優本人として確かに生きて、さらにその上に、己とは異なる役を、この現実とは異なる世界を、何としてでも生き抜かなければならないのだ。
生きることの象徴が花であるならば、そして俳優が上記の意味で真に舞台上に生きる事が出来ているとするならば、そこは一面の花園であるはずだ。
つまり、俳優たる者、芸風にどこかしら何かしら花があるのは当たり前の話であって(無論、花と一口に言っても、種類は千差万別、ヒマワリからドクダミまで色んな花があった方が面白いのだが)、要するに「花のある芸風」などというのは俳優として果たしてそんなに嬉しい褒め言葉であろうか、と私は問いたいのである。もしも私ならば、頂戴してもあんまりありがたいとは思わない。
「よくあんなに台詞覚えられたねー」とおんなじくらい、スンナリとは拝受致し難い。

(なお、しばしば、生きていることを実感したいが為に芝居をやっているような不思議な人々をお見受けするが、こういう人たちの演技には管見の限りまず例外なく花が乏しい、または無い。順序が逆なのだから当然の話である。潔く就職するなり主婦業に専念するなりしたらいかがかとこの頃よく思う)

もし、仮に私が終演後に「花のある芸風」なる賛辞を賜ったなら、次の二点のうちいずれかを疑い、その疑念の的中せる事を恐れる。
一、やり過ぎた。それを先方は私が傷つかぬようほんのりオブラートに包んでねぎらいの辞へと転化している。あるいは慇懃に揶揄している。
一、やり過ぎた。それと知ってか知らずにか、先方はそのやり過ぎを心から喜んでいる。当方から見れば花の過剰つまり失敗に属する内容を、先方は花ある芸風などと讃えている。すなわちこちらが期待する性質の鑑賞眼を先方が持ち合わせていない。要するに趣味が合わない。

2004年10月06日

プロフェッショナルな能楽師たち

○先日、師匠のお宅にて久方ぶりの稽古をつけて戴いた際、稽古が終わってお暇する前に一言、
「次回は『北条政子』を取り上げたいと思っております」
と御報告したところ、
「え、どうして政子なんですか?もっと大変ですよ、色々出て来ちゃって。比企一族とか」
と笑っておられた。
北条政子と聞いて、たちどころに比企一族の名前が出る。
こんなことは鎌倉時代の常識だからだ。
常識のある人とやりたい。

○これまた先日、空也坊(朧座演出部・実は某流能楽師)御出演の能の催しがあったので香港の友人と共に観に行く。
受付にて「○○先生(空也坊本名)にチケットをお願いした田中(私)と申しますが…」と告げると、受付の方はチケットとともに、封筒を手渡して下さった。中には空也坊、否ここでは○○師が御多忙の中したためて下さったあらすじや見どころ等の解説文が入っている。
毎度、○○師のかたじけない御配慮である。
そして、文章を拝読し、○○師の観客に対するお心遣いに深謝の念を捧げると同時に、師の能に対するひたむきな情熱に改めて心打たれる。

○我が師といい、空也坊こと某師といい、私が存じ上げる能楽師の方々はみな大変なプロフェッショナルであられる。我々現代演劇の側はどうか?胸を張って彼らに対峙し得る用意はあるか?
居酒屋でビールを呑んでいる場合ではない。

2004年10月07日

子供に、観てもらいたい。

今日は放送作家のW君といろいろ話し合い、今後の朧座について意見を聞かせてもらった。
実はW君とは、先日観に行った都庁前での薪能で知り合ったばかり、会うのは今日でまだ三度目なのだ。
私はこの薪能、一つには無論演能そのものが目当てであったが、今一つ、西新宿の都民広場で無料で能が観られるとなると、観客数や観客層がいかなる変化を見せるか、常の能楽堂公演とはどう異なってくるものか見届けたいという思いがあった。

客の多さにも驚いた。が、それにもまして嬉しかったのは、普段の能楽堂ではまず見受けられない客層の存在だった。
全体から見ればごく少数派ではある。が、やっぱりいたのだ、若者が。
熱心に能を観ているその若者に、しかるべきタイミングを見計らって声をかけて良いものかどうか、私はちょっと悩んだ。
迷惑な顔をされるかも知れない。
しかし、これは朧座の一大課題なのだ。人材、特に若い人材の発掘が。
思い切って、ちょうど演能の合間に声をかけてみた。
「学生さんですか?」
だったろうか、最初に彼にかけた言葉は。正確には覚えていない。そこそこ緊張していた、やはり嫌な顔をされたら辛いから。
しかし、彼は嫌な顔どころか、大変気持ちよく私の問いかけに応じて下さったのだった。
彼は放送作家だった。まだ、その道に入ったばかりで、色々勉強しているそうだ。

海外旅行の際、彼はいつも「自分は本当に日本人だと胸を張って言えるのか」と感じてしまうのだそうだ。日本の伝統文化をやっているわけでもなく、知っているわけでもなく、ただ国籍を日本においているだけで、何も知らない自分。きっと、自分以外の日本人も同じことを考えているのでは…後日、彼はそんなメールをこのサイトに送って来てくれたのだった。

今日は朧座第一回公演のプロモーションビデオを観てもらった。薪能の際、能に対しても言っていたことだが、朧座もやはり言葉がわからないのは大きなネックであると彼は言う。
そうなのだ。私は能を知っているから、今申楽の言葉は能とは違うはずだ、わかるはずだなどと都合良く思いがちだが、一般の人が聴いたら、今申楽の言葉だって難しく聞こえてしまうのだ。
能も今申楽も、同じく「古文」だから。
ただ、その古文を、何とか現代人の心に届けたいと願って様々に工夫を施し台詞として読むか、あるいは江戸期以来の伝統的発声法に則って声楽的に吟ずるか、という違いが、実は今申楽と能との間にはあるのだ。
あるのだが、しかしそれは「古文」廃滅寸前の今日にあっては二次的問題なのであり、まず一時的問題として「古文」即「意味不明」という大問題が存するのであって、そこでは能も今申楽も等しく現代語からは遠い存在なのだ。

だが、そこはかえって強みかも知れない、とも彼は言う。つまり「教育」とリンクさせることが出来るのではないか、というわけだ。
小中学生や幼稚園児に今申楽なり能なりを見せる価値というのもあるのではないか、何しろ今申楽は長期戦なのだから、将来を見据えればそういう長いスパンでの「育成」も意義ない事ではあるまい、と、そんな話になった。

そういえば、空也坊(朧座演出部・能楽師)も日頃大変熱心に能楽普及活動に取り組んでいる。
我々は将来の観客をも養成しなければならない。

と、そんな文脈の中から生まれてきたキャッチコピーが
「子供に、観てもらいたい。」
何かに使えないだろうか。

2004年10月08日

世阿弥はライバル!

新作能に取り組んでおられる能楽師や研究者の方々は、しばしば次の如き言辞を口にされる。

「完成度という意味では、新作はやはり古典にはかなわない。それでもあえて作るのは、刺激とか活気というものこそ、今の能には必要だからだ」

これ、止めて戴くわけには行くまいか。
初手から言い訳、卑屈、敗北宣言。
そんな態度で臨むのは新作にも古典にも失礼というものではないだろうか。
そんな態度で臨んでも、真の刺激や活気は生まれないのではあるまいか。
「自分たちは新作をやっているのだ」という、単なる自己満足で終わるのではなかろうか。ちと辛い物言いではあるが。

「やるからには古典の上を行こうと、こちとら命懸けです。世阿弥の野郎はライバルです」
くらいの心意気でやり倒して戴きたいものだ。

それが古典に対する、世阿弥に対する、そして観客に対する最低限の礼節というものではないだろうか。
新作は古典にはかなわない?だったら、客は古典を観に行きますよ。
新作なんか誰が観るもんですか。

以上、私朧太夫、自分自身へのプレッシャーコーナーでした。
さて、頑張るか。

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2004年10月11日

コラボレーションなる美名のもと

先日、さる劇団の芝居を観てきた。
近松門左衛門の『心中天の網島』を、歌舞伎としてではなく現代演劇として蘇らせたもの。
出演者の熱演には大変に心動かされた。
しかし、それでもなお、私は根っこのところでこの劇に最後まで馴染むことが出来なかった。

主人公・紙屋治兵衛はおさんという女房がいながら、ついに遊女小春と心中に至る。そこでこの劇は終わるのであるが、この小春が最後の最後まで、二人連れ添って死んだらおさんさんに義理が立たない、せめて二人場所を違えて死のうじゃないかなどと言っているのだ。
こういうところが、私にはよくわからない。
心底愛する男とあの世で結ばれようと祈る女が、事ここに及んでこんな台詞をはくものであろうか。もしそうだとするならば、小春というのはどこまでも理性を失わぬ冷静な女であり、かつその理性は甚だ偽善の臭いにまみれたものの如くに私の眼には映る。
すでに小春は結果として男を妻子のもとから奪い、その家庭を滅茶苦茶にしているのである。今さら義理が立たぬもへちまもあるまい、だったら最初から心中なんかするなよ、と私は思ってしまうのである。

よく言われるように、近世江戸期の文芸は封建思想・儒教道徳の強い影響下に成立している。これを現代に蘇生させる試みは並大抵の苦労ではなかろうと思う。
それを思えば、能・狂言がいかに通時代的・普遍的テーマ(祭祀)を帯びた芸能であるかがよくわかる。その意味では歌舞伎よりも現代化しやすいはずなのだ。
問題は歌舞伎と違って「わかりやすくない・早くない」というところだ。
もちろん、今日の能・狂言(特に能)は「無駄に言葉遣いが難しく謡が聞き取り辛くかつ遅い」という「芸能疲労」を長い歴史のうちに生じており、これはなんとか朧座の手で払拭せねばならない。が、どんなに頑張ってみても最終的には、「わかりやすさとスピード」を盲目的に神聖視する現代とはどうしても折り合いの難しい部分はまず間違いなく残るだろう。
ただ、「わかりやすさとスピード」を追い求めるあまり、人間が相当馬鹿になってきているというのも一片の事実であるように思われるから、現代の肩ばかり持つ訳にも行かぬ。現代という時代を何とかするというのも、朧座に課せられた大変重い命題なのだ。

閑話休題。
明治の昔、能と歌舞伎の折衷運動が起こった。その名を「吾妻能狂言」と称する。
この悪趣味でナンセンスな運動の為に、狂言の鷺流などはついに廃絶の憂き目を見た(鷺流狂言師が吾妻能狂言に凝って本業をないがしろにしたため)。
現在でも「伝統」の権威を振りかざし、味噌も糞もごった煮にして「私たち、コラボレーションしています」などと呑気な錯覚に酔っておられる御仁が少なくないが、誠に目を覆わしめるものがある。
能と歌舞伎は各々本質を異にする芸能である。
能を現代演劇として蘇らせよう、歌舞伎を今風に創り直そう、これは言わば復興運動であって筋の通らぬ話ではない。
能と歌舞伎を一緒くたにしてみました、こんなのは土台筋が通らないのである。
伝統の権威と庶民の無知を良い事に無分別の限りを尽くして、お決まりのコラボレーションなる美名を僭称する。
下品、というのはこういう手合いを指す言葉なのであろう。
かくて「日本文化」はどんどん下品な階級の慰み物へとなり下がって行く。

何とかせねば。

2004年10月22日

「今申楽」って何ですか?

「コンテクストのずれ」が全ての悲喜劇の出発点である。

「おい、アレ持ってきてくれ」と亭主が女房に言う。
亭主としてはアレは灰皿を指しているのである。煙草が吸いたいのだ。
ところが女房が持ってきたのは『禁煙セラピー』の本。彼女としてはアレはてっきり『禁煙セラピー』の事だと受け取ったのだった。
お互い虫の居所でも悪ければ、ここではや一騒動勃発と相成るのである。

「コンテクストのずれ」とは、例えばそういうことである。

ここで話題はちと哲学的な趣を帯びてくる。

例えば「赤」という言葉がある。我々、日頃何気なく使っている言葉である。
我が用いる「赤」と、彼が言う「赤」との間に、さしたる差異があろうとは普通考えない。
しかし、本当にそこには「コンテクストのずれ」は存在しないのだろうか。
我は「夕日の燃えるような色」を、彼は「血の如きぶどう酒の色」を指しているかも知れないのだ。
まあ、しかし、お互い同じく色彩の事を指しているのだからまだマシかも知れない。

「今年はどっち応援する?」
「もちろんアカだよ」
「そうか、あんた共産主義だもんね」
「は?紅白の話じゃないの?」

お互い虫の居所でも悪ければ、ここでまたもや騒動勃発である。

返す返すも、あるコンテクストを、我も彼も共通のものと錯覚することの恐ろしさを思わぬわけには行かない。

話を朧座の事へと転ずる。

最終的には、生まれも育ちも異なる他者が同一のコンテクストを完全に共有するなど無理な話である。
しかし、ある程度なら摺り合わせは可能なはずだ。さもなくば世の中にはいかなる対話も在り得ない。恋愛も演劇も存在し得ない世の中となってしまうのだ。

で、朧座において、最も重要な単語は
「今申楽」
である。
この三文字は、ブッシュとか慎太郎とかいう単なる固有名詞ではなく、実はかなり濃密な語義を有しているのだ。
むしろ普通名詞に近いと言って良い。

この「今申楽」という言葉をめぐって、コンテクストを摺り合わせよう近付けよう、ずれを少しでもなくそう、と努力できるアタマの持ち主でなければ、朧座の表も裏も務まらない。

そして、そういうアタマの持ち主であったかどうかという事は、結果を見れば無論一目瞭然である。
が、これからは
「そういうアタマの持ち主であるかどうかを、先ずもって見究めなければならない」
のだ。
採用時に全ては決まっている、くらいの識別眼を持たねばならぬ。

「今申楽」って何ですか?と、最初に問わねばならないのだ。

2004年10月27日

2004年10月26日、今申楽朧座に関するとても悲しい出来事がありました。
しかし、私は必ずこの壁を乗り越えます。
暫くの間、サイト更新をお休みさせて戴きます。朧太夫

2004年10月30日

朧座五箇条

一、今申楽 朧座は、「当世の申楽能」たる「今申楽」を創造・興行する新舞台芸術集団である。

 尚、現代芸術たる「今申楽」に対し、前近代において行われた申楽をここでは「昔申楽」と総称し、その成立を1400年(『風姿花伝』第一〜三編成立)、終焉を1881年(能楽社設立)と仮に想定しておく。

一、朧太夫は「朧座の棟梁」の意であって、「朧流宗家」の意ではない。
 従って朧太夫職はその世襲的継承を認めない。

一、今申楽 朧座は、日本文化の「創造的継承」及び「享受層の多様化」を率先して遂行する。

一、今申楽 朧座は、昔申楽が既に近世において喪失した芸術性を復興し、近世以後の昔申楽(非演劇的封建式楽)では鎮魂し得ない神々を祭祀する事を目的とする。

一、今申楽 朧座は、今申楽を創造・興行したいと考える全ての舞台芸術家を朧座衆として広く募集する。

2004年10月29日成立

2004年12月02日

応仁元年

久しぶりに、埃をかぶっていた『花の乱』のビデオを引っ張り出して観てみた。
もう十年くらい前にやっていたNHKの大河ドラマである。
私は、この『花の乱』と、あともう一つ、この数年前にやっていた『太平記』とで、室町時代に興味を持ったのだった。こういう私の生い立ちから言わせて戴くと、大河ドラマは歴史教育に重要な役割を果たす場合もあるのだから、NHKはエビジョンイルなどという阿呆な醜聞にまみれていないで、もっと面白くワクワクするような大河を作って戴きたい。

さて、『花の乱』は視聴率こそ低かったものの、私は割合面白いと思って観ていたクチである。私が久しぶりに観た回のサブタイトルは「応仁元年」、つまり京の都を十年間にわたって焼き尽くした応仁の乱勃発の年を描いた回だった。今でも京都で「先の大戦」などというとこの応仁の乱を指すのだとか。古き良き王朝文化はこの戦乱でついに全く息の根を止められたのだから、なんとも凄まじい戦だったわけである。

オープニングの画面を見ていたら、まず「能楽考証 表章」という名が目についた。
放送当時、能楽に深い関心のなかった頃は知る由もなかったが、この表氏は能楽研究の第一人者なのだった。すると今度は「能楽指導 観世清和」というテロップが映し出される。この観世氏こそ、能楽界の最大流派・観世流の宗家であると、これまた後に知ったのだった。

果たして、この回の劇中には、三田佳子氏演ずる主人公日野富子の謡に合わせて大名たちが舞を舞うという、つまり能楽の知識を要する場面があったのだ。
曲は『猩々』であった。
当時は何気なく流し観ていたが、「今申楽」をぶち上げた今はついついしっかり観てしまう。そして、当時は気付く筈もなかった事柄が、今は透けるように見えてきてしまう。

遅い!遅過ぎるのだ、テンポが。
これは江戸時代後期のドラマではない。応仁元年、つまり室町時代中期の話なのである。
表氏は、能の上演時間が室町中期までは現在の半分以下であったことを証明されている学者である。その頃の能時間を100%とすると、室町末期は150%、江戸中期は200%、現在はなんと240%に延びていることを明らかにされた方である。
そういう方が考証の任に当たっておられるのに、何故、何故、日野富子はその240%にも膨れ上がった現在のテンポで『猩々』を謡っているのか!?

何故だろう。何故だろう…
何故、せっかくの表氏の貴重な学説が、ここでは無残に踏みにじられているのだろう。室町時代中期の能の上演形態の再現という、氏の学説が最もよく生かされるべき筈のシーンではなかったか。にもかかわらず、一体、何故…

実は、ここには日本文化の根底に流れる世にもおぞましい因習が見え隠れしているのである。理性の芽を摘み、真なる意味での芸術的精神を荒廃させる、あるのっぴきならぬ邪悪な因習が、チロチロと舌を覗かせているのである。

それにしても、三田氏の謡はなかなかのものであった。
室町時代の将軍御台所が何故か現代のテンポで謡っているという不自然不合理はさておき、劇中、能楽師でもない三田氏の謡で相当の時間を持たせているのである。
台本に「ここで富子、猩々を謡う」というト書きがあって、「私は能楽師じゃないから出来ません」などと意味不明の痴れ言をのたまうそこら三文役者とは脳の構造が根本的に違うのであろう。
さすが、こういうところを大女優の貫禄とでも言うのであろうか。
否、こんな事で大女優などと評しては、おそらく世の多くの大女優から叱責をこうむるに相違ない。

「私には出来ません」などと平然と言い放って恥じぬ自称俳優が悉く廃業すればそれで事は穏便におさまるのである。
さもなければ、世の多くの劇作家、演出家、さてまたそういう自称俳優と舞台上で絡まざるを得ぬ他の俳優らの底知れぬ苦悩は絶える事があるまい。
むろん、そんな自称俳優の学芸会を見せつけられる観客に至っては、たまったものではなかろう。

底辺を基準に物事を考えてはならない。
レベルが下がってしまうからだ。

時は応仁元年でもあるまいに、良からぬ制度に良からぬ人々、誠に目を覆わしめるものがある。一天の大乱となるべきか。

2004年12月05日

能は五流の専売特許か

能というのは、果たして五流の専売特許なのであろうか。

五流というのは室町時代から続いている観世・宝生・金剛・金春、それに江戸時代になって出来た喜多の五流派の事である(この五流はいずれもシテ、つまり能における主役を専門に担う流派であり、他にも脇役を担う流派、狂言を担当する流派、それに能の器楽である囃子を司る流派と、実際には全部で二十余りの流派が存するのであるが、煩わしいのでここではひっくるめて五流と呼んでおく事にする)。

能と言えば、この五流のいずれかに属するプロの能楽師またはそれに準ずるアマチュアによって演ぜられるものとまことしやかに信ぜられている。が、実はこれは全く事実無根の謬説なのだ。
それを証明するのが、今も山形県に伝わる黒川能や京都壬生寺の壬生狂言に代表される地方の能・狂言の存在であろう。

さる事情通に聞いた話では、かつて千駄ヶ谷の国立能楽堂に初めて黒川能が招聘された折、五流の一部能楽師の間には「なんであんなものが」と眉をひそめる向きもあったという。さもありなんと思わせる話である。

私は、観客の間に息づいている親しまれているという意味においては、断然黒川能の方に軍配が上がると思う。たとえその観客の大多数は黒川一帯の人々なのだとしても。
演劇が演劇であるためには、何よりもまず、それが俳優と観客との間において生きていなければならない。評論家や老人ばかりが、舞台そっちのけで謡本(能の台本)とにらめっこしながら、「眠い能ほど良い能だ」などと怪しげな説をもてあそんで居眠りに及んでいる五流の客席を散見するにつけ、果たしてこういう今日の状況を招いたのは全て観客側の責任であろうか、こういう観客を育ててしまった五流の側に非はないのかと、私などはつい問わずにはいられない。

そもそも「能」とは、元はと言えば広く芸能を意味する言葉であった。
そういう意味ではジャニーズも吉本も皆、ある種の能なのである。
実際、昔の能は今と違いアイドル的な要素もお笑い的な要素も持っていた。
そういう能という言葉がいつの間にか、五流というものに独占され、評論家や老人達に蝕まれ、一般とは甚だしく乖離させられているというのが今日の能の実態なのである。もはやその痛々しい姿は、無形文化財の名こそ相応しけれ、果たして俳優と観客との間を生きる「演劇」の名を冠し得るものかどうか、甚だ微妙なところに差し掛かっていると言わねばなるまい。

重ねて言う。能は広く芸能を意味していた。
ということはつまり、本来、様々な意味において能はもっと自由なはずだ。
能は、もっと色々な事を試して良いはずだ。探って良いはずだ。
まだまだ、多様な可能性があるはずだ。

くれぐれも、「五流」に御用心と申し上げておきたい。
一見、五流をただただ口汚く罵っているようだが、さにあらず。
心ある楽師にはきっとお分かり戴けるはずである。

2004年12月17日

「能楽の能」「申楽の能」

もともと、私に「今申楽」なる発想は存在しなかった。
あくまでも新作能のつもりで、つまりはプロの能楽師にいつか正規の能として演じてもらう事を想定して、『香炉峯』を初めとする幾つかの能の台本を書いてみたのである。
ところがどっこい、運命は私が当初思い描いていた路線から大きく大きく飛躍していくのであった。  

芝居の役者といわず能楽師といわず、「俳優」という自覚を持つ者達の手で、今日伝わる「能楽の能」をなぞるのではなく、既に失われた「申楽の能」を新たに創り直す──我ながら遠大と言おうか無謀と言おうか、とにかく神をも怖れぬ所業に手を染めてしまったのである。

そして、私はこの先いかなる暴風雨に見舞われようと、この道を突き進む事に決したのである。

さて、そこで、改めて問われねばならぬ。厳に厳に問われねばならぬ。
「今申楽」とは、そも、何であるか。
「当世の申楽能」、と最近の私は答えるようにしている。
では、「当世の申楽能」とは、詰まるところ、何か。
この問いに何とか答えを見出そうと、日々熟考中である。
否、考えるだけでは駄目だ。その答えを、舞台芸術という形でしかと観客の五感に供する事、それが我ら朧座の一大使命なのだから。

先日、故・観世寿夫氏の著作を読んでいて、考えさせられた事がある。
(観世寿夫氏は、「戦後を代表する天才能役者」などとよく言われる。しかし、氏の没年の三年前に生まれた私は、残念ながら氏の舞台に生で接した事がない。が、そんな私にも、氏の遺した秀抜な能理論を読む幸福は与えられている)
氏は、観阿弥の書いた能『自然居士(じねんこじ)』について、次のように述べている。

「(前略)現行曲の中で比較的古い時代の作品、つまり能が足利義満に認められて観客の対象が武家貴族に移行する前に創られた曲ですから、物語もその当時の社会を生き生きと描いており、俗語を交じえた活発な会話のやりとりによって進められてゆく等、他の曲では見られない面白さです。たとえばこの曲の中ほどで、自然居士が人買いに向かって、『ああ、船頭殿のお顔の色こそ直つて候へ』といって揶揄すると、『いやいやちつとも直らず候』というところなど、当時の観客はどっと笑ったのだと思います。」(『観世寿夫著作集 一 世阿弥の世界』平凡社)

そして、氏は「現在私達が能を仕事として、世阿弥の創り出した幽玄の美の深さを感じて敬服すると同時に、この曲に現されているような観阿弥の生き生きした庶民性を能の中に見いだすことが、最も重要なことであろうと感じるしだいです。」という言葉でこの文章を締めくくっている。

が、その氏にして、結局『自然居士』を客が「どっと笑」うような本来の作品性に復し得たかと言えば、そんな話はついぞ聞いた事がない。先述の如く、私は氏の舞台に接していないので断定的な事は言えないが、氏の演ずる『自然居士』を観て、「どっと笑った」観客というのはおそらく一人もいなかったのではあるまいか。
否、氏ならずとも、『自然居士』を観阿弥の昔の如く、笑いありの庶民劇に戻すという事は、今日の能の伝承形態から言っても非常に絶望的な難事であるし、また現代の観客を「どっと笑」わせるには、そもそも観阿弥の台本のままではちと無理があるとも言えるかも知れない。これは何も観阿弥のギャグセンスを難じているのではない。時代が600年ほど異なる以上は多少の修正は必要かも知れぬと提案しているまでの事である。(しかしその一方で、この人買いを、例えば故いかりや長介氏などといった名喜劇俳優が演じた場合には、あるいは観阿弥台本のままでも行けるかも知れぬ、などとも考える。)

閑話休題。
要は、能が「能楽の能」である限りは、どうしても達し得ない演劇的真実──例えば『自然居士』なら、本来客をどっと笑わせねばならぬ、といった事柄──がありそうに思う。
と、この一事をこそ言いたかったのである。
もしも能が「申楽の能」であるならば──例えば、『自然居士』の人買いを、能楽師ではなく、ものは試しに喜劇俳優に演じさせてみたとしたら…そんな自由を、能という芸能が持っているとすれば…

何やら、今申楽のヒントはここら辺りにありそうな、そんな気がする今日この頃。

2004年12月18日

新芸術創造への希求

「中世の将軍の御所」のイメージが欲しくて、このところ昔のNHK大河ドラマのビデオを引っ張り出しては観ている。一応、時代考証を一流の学者たちが担当しているので、当時のビジュアル的なイメージを膨らませるにはそこそこ安心して観られるのだ。

日本史の教科書に「幕府」なんて言葉が出てきても、その「幕府」が具体的にどういうところで、どんな床で、どんな壁で、どんな雰囲気であったかということになると、これはもう教科書ではお手上げですからね。

今回観たのは『太平記』。私が高校の時にやっていたものだ。
私はこのドラマに出演していた藤木孝氏(坊門清忠役)・麿赤兒氏(文観役)らの物凄い名演怪演に打ちのめされ、すっかり南朝好きになってしまった。南北朝時代というもの、演技というもの、この二つをいっぺんに私の心に焼き付けてくれた貴重な番組である。藤木氏も麿氏も、舞台の世界に疎かった当時の私はこのドラマで初めてその存在を知ったのだが、実は舞台の世界ではお二方とも大ベテランであられたのだ。(そういう幸福な経験があるから今でも、へったくそな方々が大河を荒らしているのを観ると、怒りを通り越して深い悲しみを禁じ得ないのである。)

で、この番組の「芸能考証」を務めておられたのが、今年亡くなった狂言師の野村万之丞(当時は野村耕介)氏である。氏は、本業(?)の狂言のみならず、様々なジャンルの舞台芸術で活躍された。特に、失われた古の芸能を今に蘇らせようと、多くの復興運動に邁進された方だった。
氏の活動が、どこまで正確に、過去に滅びた幻の芸能の真の姿に迫ったものであるのか、詳らかにする力は私にはない。
一つ言えるのは、氏が芸能考証の任に当たったドラマ『太平記』、その劇中に描かれる雑芸シーンの、何と素晴らしく魅力的なことか。
ああ、当時の雑芸とはもしかしたらこういう感じだったのかも知れない。そう思わせる見事なシーンになっている。

どこまで正確な復元であるかはわからない(実は、誰にもわからないのだと思う)。ただ、一つの魅力的な復元ではあったと言えるだろう。野村氏が生涯追求された作業というものは。

さて、これら先人の跡を眺めつつ、思う事がある。
朧座がなさねばならぬ事、それは「昔申楽」の復元ではなく、「今申楽」なる新芸術創造への飽くなき希求であるということだ。

「申楽」の本質を見極めた上で、新たな「申楽」を創るのだ。

2004年12月21日

記憶の延長

とある芸術系の雑誌を読んでいて驚いた。
学生時代の友人カオル(仮名)の写真が何枚も大きく取り上げられている。
最初、誰かに似ていると思ってよく見たら、カオルである。間違いない。
カオルの他にもう一人、見知らぬ人物と二人で写っている写真もある。
どこかの島で撮影したものであろうか。カオルと今一人の人物、二人して砂浜で楽しそうに遊んでいる光景である。 

カオルの顔を見たのは久しぶりである。

カオルは学生時代、同じ学科の後輩であり、同じ部活の後輩でもあった(日本語日本文学科いわゆる国文科・演劇部)。
一緒に水商売のアルバイトなんかしたこともある。
気さくで優しい人間だった。

最後に出会ったのはいつだったろう。
数ヶ月前、同じ演劇部だった人間から突然電話を受けた。
カオルは死んだのだという。
どうやら、自分から、海に飛び込んだらしい。

真相は私にはよくわからない。
が、今、写真とともに掲載されている文章を読んで、そしてまたカオルの人となりを思い出してみて、ある程度は察せられるようにも思う。
文章は、たぶん、写真のもう一人の人物の手になるものなのだろう。
カオルとの思い出を振り返り、その死を悼む詩が綴られている。
カオルは芸術人間だったから、こういう詩人のような人物がカオルのまわりにはよくいたものだ。

この詩を読んでいて、私もカオルの事を思い出した。
カオルは死んだ。しかし、この詩の作者や読者の記憶の中では生きているのだ。
死には二種類ある。物質的な死と、人々の記憶における死と。
そして私は、清少納言を思い出した。
彼女も、若くして亡くなった最愛の人物(定子という名の皇后)を、その著書『枕草子』の中に生かしている。そして彼女自身もまた、『枕草子』の中に、定子とともに生きている。
私は、この二人に、朧座の第一回公演の主役と準主役になってもらった。
が、あろうことか、台本に一箇所、痛恨のミスがあった。「歴史」を借りているのに、その「歴史」に反するような台詞とト書きを私は書いてしまっていたのだ。朧座演出部の陳俊宏だけは、台本を読んだ当初、「枕草子にこういう事実は描かれているのか」と、その箇所に疑義を唱えたのだが、私は「想像で補った」とだけ答えて、それほど深く考えなかった。それがいけなかった。また、さすがの俊英陳も、「いや、それはよくない。この箇所は何が何でも書き換えるべきだ」とまで断言したわけではなかった。

初めてそれを私に伝えた人物、それは実は清少納言その人なのである。
否、彼女も直接私に台本の非を難じるということ(演劇界で言うところの駄目出し)は躊躇われたらしく、それを少し遠慮がちな方法で伝えて来たのだった。
初め、彼女の「駄目出しの意向」を受け取ったのは、私ではなく、私がかつて大変お世話になったさる仏教僧である。その方が、本番二日目の夜、電話で知らせて下さったのだ。「台本のどこか一箇所に、重大な問題がある。事実と異なる、歴史に反する、清少納言さんがお困りの箇所が、どこか一箇所…」
その方には、もとより台本をお渡ししていないし、第一粗筋すらご存知でない。そこで大まかに内容をお伝えした上で、お尋ねしてみた。「あるいは…清少納言の定子皇后に対する感情を、ある種の恋と捉えていること、枕草子を一冊のラブレターだったと解釈していること、この辺りの事を清少納言さんは指していらっしゃるのでしょうか」
私は、恐る恐るこの質問を発した時の恐怖と緊張を今に忘れない。おそらく、一生忘れないであろう。もし、その方が次の瞬間「はい、そうです。そこのところを清少納言さんは困る、変えろと仰っているのです」とお答えになっていたとしたら…
これは、一言で言えば「作品の全否定」に当たる。台本を一から書き直さねばならぬという事を意味する。しかもその駄目出しは、原作者と言おうか主演女優と言おうか、いやいやそういう安っぽい現代的役職名では到底表し尽くせぬ偉い偉い雲の上の御方(思い切って言うが、ひょっとすると観客より偉い)が、聖職者を介して天から告げ給うた聖なる駄目出しなのである。灰皿が飛んでくるとか言うレベルではないのである。
しかし、次のステージまで残り正味10時間。これでは台本を一から書き直すというより、実質的には「公演中止」という最も恐ろしい選択肢も浮上してきてしまうではないか。
と、そんな最悪の展開をも脳裏に浮かべつつ、先の問いをば発したのであった。
私の恐怖と緊張、どうかこの拙い文章からお汲み取り戴ければ幸いである。

が、しかし、その方の御返事は、私が怖れたものとは異なっていた。
「いいえ、そういうことではありません、清少納言さんが言って来られているのは。どこか一点、太夫さんが、史実とあべこべの事を書き加えてしまっている筈なんです。そこだけ変えれば、あとは大丈夫な筈です」

史実とあべこべの事を書き加えてしまっている…
そうか、あそこか。なるほど、あそこに違いない。そう言えば前に陳も指摘していた、あの箇所!
ようやく、気が付いた。と同時に、すっきり納得がいった。
なるほど、なるほど、なるほど…
ごめんなさい、清少納言さん。
あなたは、私なんかがうっかり思い描いていたよりも、もっともっと素晴らしい方でいらっしゃいました。
優しくて、知的で、そして本当に友達思いで…
大変、失礼致しました。心よりお詫び申し上げますとともに、遅ればせながら、次のステージ以降、問題の箇所につきましては訂正させて戴きましたこと、御報告申し上げます。

この文章をお読みになって、あまりに宗教的、あまりに非科学的、到底信じ難いとの印象をお持ちの向きも少なからずおられるかも知れぬ。
が、せめて、これだけはどうか信じて戴きたい。
ただ、一箇所。それによって、ストーリーが大きく一変するというような性質のものではない。一見、台詞やト書きの字句を多少言い換えたに過ぎぬような、誠にささやかな微修正と、人の目には映ずるかも知れぬ。

しかし、この訂正によって、作品のクオリティは確実に上がったのである。

こういう事を作者本人が書くとは誠におこがましい限りである(真の作者は清少納言であり、朧太夫は代筆者のようなものに過ぎぬ。実は私はそういう認識に立っているのだが)。また訂正前のステージを御覧下さったお客様には、ただただお詫びを申し上げるより他ない。が、将来この記録が、あるいは何らかの役に立つ事もあるかも知れぬと願って、ここに正直にしたためておきたいと思う。

重ねて言う。
清少納言は生きている。
少なくとも、私や共同演出の空也坊、他何人かの記憶の中に生きている。
ということは、自ずから、皇后定子も生きているのである。
定子は少納言の記憶の中に生きているのであるから。

カオルに手向けられた何人かの詩。
そこから私は清少納言をも思い出したのだった。
そして、ふと思いついた、それは、
「記憶の延長。それが、申楽の本質ではないのか。私の仕事ではないのか」
という仮説である。

2005年01月02日

謹賀新年

新年明けましておめでとうございます。
昨年は、念願の当今申楽朧座の旗揚げを果たすなど、私にとりまして激動の一年でしたが、お蔭様をもちまして乗り切る事が出来ました。
表方(演技者・演奏者・制作者)、裏方(スタッフ)、そして見所方(お客様)、当朧座に関わって戴きました全ての方が朧座衆です。本当に多くの座衆に恵まれて、どうにか朧座、産声を上げる事が出来ました。これも皆々様のお見守りお力添えの故なる事と、改めて御礼申し上げます。
本当に有難うございました。

なお、私は常に常に、まだ見ぬ新たな座衆、殊に表方との出会いを心待ちにしております。
今年はいかなる出会いに恵まれる事か、今から楽しみでなりません。

ともあれ本年も、一歩一歩、着実に歩を進めて参りたいと思います。引き続き御鞭撻の程、宜しくお願い申し上げます。

2005年元旦

今申楽朧座主宰
朧太夫

2005年01月04日

今年の抱負

2日の夜、NHK教育で良い番組をやっていた。
坂東玉三郎・観世清和両氏の対談形式を取りながら、能を紹介するというもの。
対談中、観世氏がおよそ次のような事を語っておられるのが非常に印象に残った。

『井筒』という能がある。劇の終盤において、シテ(能の主人公)が、懐かしい恋人との思い出の井戸を覗き込む場面がある。水面に映って見えるのは、シテが待ちに待ち続けたかの恋人の姿である。ここでシテは「見れば懐かしや」なる独白を行うのであるが、これを観世氏は井戸の中を覗き込みながら言ってはならない、しばらく覗き込んだあと顔を上げてからようやく呟くべきなのだということ、それが能なのだということを、身振り手振りをもって示されていた。
真にわかりやすく、能の本質に触れられたと思う。

確かに、ここには、能の本質が潜んでいるはずだ。
私が能に惚れたのも、こういうところに理由があるはずなのだ。
ここには、現代演劇の世界にも十分に通用する秘密が隠されているはずなのだ。

能は語り・騙りの芸能なのだということ。
「単なるリアルな再現」という奴は、実は、観るに耐えない場合が多い。どこかで、「嘘」に漉すという作業を経ないと、観客側に拒絶感を生んでしまうのである。
それが、現実のリアルと虚構のリアルの違うところなのでなないかと思う。

「単なるリアルな再現」が我々の仕事なのではない。
「観客に語りおおせる事・観客を騙りおおせる事」こそが、我々の仕事なのだと信ずる。
「カタリおおせるリアリズム」こそが、必要なのだろう。
例えば、井戸を覗き込みながら言うのは「単なるリアルな再現」、覗き終えたのち顔を上げて呟くのは「カタリおおせるリアリズム」という事になるのではないか。

今年は、この辺りのカラクリについて、とことん思索を深めて行きたい。
そしてその成果を、朧座の次回作に反映させたい。
そんな一年でありたいと願う。

2005年01月09日

能本における擬態語率

能を俗に無形文化財などと呼び習わしているが、実はこの呼び方はちょっとおかしい。
面と台本がちゃんと残っているからだ。これらは無形ではなく、有形である。
そして、仕舞や謡といった能の無形要素というのは、有形要素に支えられているところが非常に大きいのである。
面と台本以外に、草創期の申楽を偲ばせるものなど何もない、というような暴論(しかしある意味では正論か?)を吐く人もあるらしい。
とにかく、そういう説も唱えられるくらい、能においては有形要素が重要なのだ。まず、それを言っておきたい。

そんな重要な要素でありながら、能の台本(以下能本と呼ぶ)の研究は十分に行われているとは言い難い。そう思う。
これは能本に限らず国文学全般に言える風潮であるが、「文学オタク」が多過ぎるのである。もっと語学的に詰めるべき事柄はたくさんあるのに、「文学的香気」とやらに酔い痴れて脳を半ば侵されていると思しい御仁が少なくない。
能の自称解説書など、管見の限り8割がたはこういう御仁の手になるものだから、ただでさえ大衆に縁遠い能が、いよいよますますオタク階級の慰み物へと転落していくのである。

例えばである。このコンピューター時代、「能本における擬態語の使用頻度」みたいなテーマをまともに論じた本が何故出てこないのか。擬態語、ヨロヨロとかサラリサラリとか言う言葉は、和歌などに用いられる雅な言葉(第一和語)に比べ、卑近で一段劣る第二和語などとされてきた。当然、貴族の好みに合うように能本に歌道に導入した世阿弥の作品には、擬態語は少ないものと思われる。つまり、逆に言えば、世阿弥以前の観阿弥作品などでは、擬態語率は高いのではないか。
詩劇的格調を高めたければ、擬態語率は下げるというのがセオリーになるだろう。しかし、登場人物にリアルな言葉を喋らせたいということであれば、擬態語率はむしろ上がるはずなのである。
何が言いたいかと言うと、つまり、例えば「能本における擬態語の使用頻度」みたいな事がもっと研究されれば、自ずと各時代各作者の作風の違い、ひいては能観念の変遷といった事柄が科学的に証明されるのでなないか、と言うことである。

2005年01月11日

何百年も昔の事などわからない、だが

つい最近、物をなくした。部屋のどこかにあるはずなのだが、何故か一向に見つからない。
大事な物なので、途方にくれている。

と、そういう大事な物をなくして途方にくれて、ようやく気付いた事がある。
つい先日まであった、そして今も部屋のどこかにあるはずの物ですら、見つからないという事があるのである。
何百年も昔の事となれば、ましてなおさらではなかろうか。

この年末年始、多くの朧座衆と会って話した。
第一回公演の総括、第二回公演への展望と、彼らとは何時間話していても尽きないが、分けても空也坊(第一回公演演出)の次の発言は印象に残った。

「演劇の台本を書く感覚で宜しいのでは」

なぜ彼がこういう言葉を口にしたかと言えば、今の私が過去の歴史に拘泥するあまり、申楽の祭祀性を偏重するあまり、
「学者じゃないんだから、所詮芝居なんだから、最終的には己の想像力を信じて絵空事でもなんでも書くしかないのだ」
という申楽作家としての最終的真実を見失ってはならんよ、と、これはそういう忠告なのだ。
何百年も昔の事である。確かに、いくら文献を読み漁っても、わからない事は山ほどあるのだ。

最終的には、己の想像力を信じて書くより他ない。
直感の世界である。
が、その直感が近頃、私に命じている事がある。

《あそこ》に行かぬ限りは、第二回作品の脱稿は叶わぬと。──

《あそこ》というのがどこなのかは、今は伏せておく。いずれ触れる機会もあろう。
陳(朧座演出部)は、この私の直感を聞いて、「一人では行かない方が良い」と助言を発した。
こういう時の陳の助言は軽視すべきでない事、私はよく知っている。
おそらく、笛麿&鼓乃丞(朧座制作部)・川野さん(朧座演技部)の同伴なくしては、叶わぬ旅となろう。

この旅の後、ようやく私は己を信じて脱稿する事が出来る。
そんな気がしている。

嗚呼、もうすぐ見つかりそうな気もするのだが…

2005年01月13日

摺り足論

少々長くなるが、まずは愛読書『演劇とは何か』(鈴木忠志著・岩波書店)の一節を御紹介したい。

「(前略)スタニスラフスキーや近代リアリズム演劇が追求した人間の内面を表現するという演技観に対して、能や歌舞伎が演技を通して追求しようとしたのは『身体感覚』それ自体の快感であるということが言えるかと思います。つまり、人間の特殊な感情や心理を表現しようとか、あるいは人間をさまざまな角度から見ることで人間的個の独自性を発見しようとか、というような観点から演技を発想していないのが能や歌舞伎だと思うのです。別な説明の仕方をすれば、能や歌舞伎は、舞台で演技することによって出てくる特殊な感覚、けっして日常生活に還元されない感覚、そういう感覚に対する人間の欲求や感受性があるということを身体的に追求してきた演劇だというふうに考えたらいいのではないでしょうか。
たとえば、能役者が舞台をそろそろ歩いているとします。その歩き方をスタニスラフスキー・システム的に考えますと、そろそろ歩くのは老人か病人というふうになってしまいます。しかし、能役者が舞台をそろそろ歩くのは、老人や病人をあらわしているのではなく、『そろそろ歩く』という身体感覚それ自体を遊び、表現しているのです。それ自体を生きているという以外にないのです。あるいは、そろそろ歩くことによって、観客が感じるであろうその感受性を前提として、その上で面を被り、衣裳をつけることで幽霊というような実在しないものを感じさせるきっかけ、あるいは死者という見えないものを想像させるきっかけをつくろうとしている行為です。『そろそろ歩く』という行為が、なにか日常現実のなかに対応するものをもっている、ということではないのです。(後略)」

鈴木氏の言われる「そろそろ歩く」というのは、能の用語で摺り足と呼ばれるものである。
現代の能楽では、演者も見者も、この摺り足の美しさを追求するのが常である。
多くの能楽師が、美しい摺り足を師匠から厳しく叩き込まれ、また多くの観客が、能に美しい摺り足を期待する。
だが、私という変わり者にとっては、実は摺り足の美しさなどというのは割合どうでも良いのである。
幽霊は、幽霊でありさえすれば、それで良い。
鈴木氏の言葉を借りれば、「幽霊というような実在しないものを感じさせるきっかけ、あるいは死者という見えないものを想像させるきっかけ」にさえなれば、もはや摺り足は十分にその使命を果していると私は思う。そこに美しさという要素を私は要求しないのである。

鈴木氏の表現を、誠に乱暴ながら私流にアレンジさせて戴くとこうなる。

「そろそろ歩くのは老人か病人、あるいは能における幽霊ということになります。ただし、老人や病人は実在しますが、そして多くの場合彼らは実際にそろそろ歩くのですが、幽霊は実在しません(というと語弊がありますが、少なくとも老人や病人のような目に見える存在ではありません)し、従って実際に幽霊がそろそろ歩くかどうかもわかりません。舞台で老人役や病人役がそろそろ歩くのは、狭い意味でのリアリズムの手法で彼らの歩き方を模写したものです。能の幽霊役がそろそろ歩くのは、『あ、確かにこれは幽霊の歩きかも知れぬ』と観客に錯覚させる、あるいは想像させるためのものです。これは、広い意味でのリアリズムの手法と言えるでしょう。」

だから、私は、同じ能役者でも幽霊以外の生者役はもっと普通に歩いても良いのではないか、という気もするし(朧座第一回公演でもその方向で演出した)、幽霊の歩き方にしても摺り足が全てとは限らないと思っている。いつか、とある舞踏家に、即興の舞踏を見せて戴いたことがあったが、いかにも何かこの世ならざる存在にでもとり憑かれたかような、幽霊的な足の運び方に驚かされたものであった。

摺り足。それは私にとって、幽霊というような不可視的存在を、広い意味でリアルに感じさせる歩き方である。必ずしも美しくなくたって良い。幽霊にさえ見えれば、死者の歩なるものがそこに感じられれば、私はそれで満足だ。
職人的に磨き込まれた美しい摺り足、それこそ能楽師の専売特許である。能楽堂へおもむけば、それに出会える。

朧座に、能楽師同様の美しい摺り足を求められても、困る。
お門違いというものである。

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2005年01月16日

お勧めの舞台 

昨日観に行った芝居が素晴らしかったので御紹介しておく。

劇団きらら東京公演
『ほね屋』 作・演出池田美樹 
残り1公演 16日(日)13時開演
場所 新宿・タイニィアリス

大人の童話と言おうか。現代の説教節と言おうか。
私はこれを観て、日本の演劇がなすべき事を改めて思い出した。
そして、悪リアリズムに拘泥する現代演劇がいかに面白くない(少なくとも私にとっては)か、その矮小さを改めて痛感した。

日本語は、必要な事しか言わない言語である。「鳥!」一言で十分に文が成り立つ。
「There is a bird!」みたいに、わかりきった述語だの副詞だのをわざわざ言い立てたりはしないのだ。
これは「省略」ではない。英語の命令文や手紙文なんかで主語を省略するのとは本質的に訳が異なる。
繰り返す。日本語は、必要な事だけを言う言語である。

なぜなら日本語では、発せられる一言一言に宿る「重み」が、違うのである。
これを、最近私はいくばくかの日本語教育の経験から、嫌というほど思い知った。(これについては、いつか稿を改めて詳しく述べる)
日本人はそうそう簡単には喋らないのである。
日本人が喋るときというのは、その場に誰と誰と誰が居て、各々いかなる関係にあるのか、己の発言を取り巻く人間関係というものにものすごくセンスティブになりつつ喋っているはずなのだ。
ある意味、「喋る」のではなく「喋らされる」のである。

ところが、日本語の抱え持つ歴史や本質などろくすっぽ考えもせず、性急に欧米のリアリズムを輸入した日本の現代演劇は、劇場を舞台と客席とに二分し(したがって能楽の「橋掛り」も歌舞伎の「花道」も消えた)、舞台上で共演者にいかに「喋らされる」かに血道をあげて、肝心な事を忘れてしまった。
本当の日本語演劇なら、共演者もさることながら、観客にこそ喋らされなければならないなずなのである。
観客がその場に存在するにもかかわらず、かたくなに舞台上の虚構世界に閉じこもって客席に目を向けようとしない現代演劇の悪リアルな作風は、一生懸命「リアルな芸術」を志向しているつもりなのであろうが、残念ながらこの私にとっては、かえって全然リアルでない。

観客に語れ。観客の心に訴えかけよ。
日本語演劇は、欧米型リアリズムに馴染まない。
日本型リアリズムをこそ目指すべきだ。
観客がいるのに、観客を無視して台詞を喋るな。
その場に確実に存在する多数の人間に、初めて台詞を喋らされよ。
日本語の一言一言は、本来そのくらいの「重み」をもって発せられるはずだ。

日本の現代演劇とか称するものは、軽くて狭くてちっちゃい。そして当然つまらない。
そんな鬱屈がたまっていた時に、原点的な作品に出会えた事を感謝したい。
大人の童話と言おうか。現代の説教節と言おうか。
テーマがまた良い。
人間が生きることとはどういうことか。人類に普遍の根源的なテーマを、力強く語って観客の心に迫る。

語るなら、これくらい根源的なテーマが私は好きだ。

本当に面白かった。是非、お勧めである。

2005年01月18日

タイコウチの話

昨日、テレビで小学生用の理科の番組を何気なく観ていたら、水生昆虫タイコウチが出てきた。
実に懐かしい。この昆虫には思い出がある。
小学生の時分、私は生き物が好きだった。特に魚や虫を飼うのが好きだった。
ある時、親に田舎の田んぼに連れて行ってもらった。そこは私の好きな生き物たちの宝庫であった。
そして、そこで私はタイコウチの採集に成功したのである。
昆虫図鑑などではよく見ていたが、本物に接するのはこれが初めてであった。
これはぜひ飼育せねばならぬと、バケツに二、三匹入れて東京に持ち帰った。

異変は、その夜突如として勃発した。

「ポポポポポポポポポポポポポポ」

耳慣れぬ怪奇音が、深夜寝静まった我が家を襲ったのである。
父が起き、母が起き、妹が起き、弟がその頃生まれていたかどうかは忘れたが、とにかく一家全員を叩き起こすに十分な大音量なのである。

犯人はタイコウチであった。
否、この水中の虫たちがあれだけの鳴き声を発したとは俄かには信じられないが、他に音源は考えられないのである。
そして、私はその時ようやく、タイコウチ=太鼓打なのだと気付かされた。
私の中で理系と文系が出会った最初の出来事であった。

残念ながら、昨日の番組では、なぜこの虫が「タイコウチ」と呼ばれるのかという件には触れていなかった。

動植物名は片仮名で書く。これは自然科学のルールゆえ、理科の時間は致し方のない事。
せめて国語の時間で教える他あるまい。

鈴虫、なんてよく考えてみたら素晴らしいネーミングである。スズムシでは伝わらない。
ゴキブリ、調べてみたら案外これは奥ゆかしい名であった。名付け親は、やはり宮中の女官か何かであろうか。

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2005年01月20日

現代語は生きている

劇団大樹主宰にして朧座演技部・川野さんが、先日、次のような事を教えて下さった。
曰く、いつかテレビで、金田一京助氏の御子孫(後で調べたところ金田一秀穂氏という方で、祖父京助氏・父春彦氏に引き続いての国語学者)が、日本語の変化を「乱れ」と否定的にとらえるのではなく「生きている証」と肯定的にとらえる見方を示されていたという。
我々は、古語に対する関心が高い。古語の魅力、古語でしか表せぬ世界がある事を知っている。しかし、それでもなお、金田一氏のような見方に立てば、常に変化し続ける現代語こそ生きた言葉だと考える事も出来るわけである。川野さんはそう仰っていた。

ここで、是非とも考えておきたい事がある。
私は、かつてこのブログで次のような文章を書いた。

「トランス状態に陥ったスタッフは私に泣きながらずっと『ありがとう』と言い続けていた。
また、芝居がはねた後の関係者の歓声をよそに、舞台袖で清少納言や定子皇后の面をずっと眺めていた。そして、舞台に出て卯の花を眺め、私が『あの方がこの花を作ってくれたんですよ』と紹介すると、舞台美術担当の横井さんを手招きして花を指差し『かわいい』という言葉を発した。
あくまで私の想像だが…あるいは彼女は『いとをかし』と言いたかったのではあるまいか。もしそのスタッフが『いとをかし』という言葉を知っていれば。」(「その後の『香炉峯』�」より)

これは、朧座第一回公演時、本番中に清少納言がスタッフに憑依したと思われる現象について述べたもの(この件の詳細については「その後の『香炉峯』�」「同�」「同�」「同�」及び「記憶の延長」を参照されたい)。
もし、本当にその時、少納言が憑依していたのだとすると、彼女は私や横井さんに現代語でコミュニケーションを図ってきたわけである。もちろん、そのスタッフが平安時代の日本語を知っていれば、少納言はその平安語を使って話が出来たかもしれない。しかし、そのスタッフは香港人であった。「ありがとう」とか「かわいい」とか、知っている語彙は限られていた。

しかし、少納言は辞書も通訳もなしに、スタッフの知っている現代語で、我々に語りかける事が出来たのである。それは何故か。

「ありがたし」という形容詞は平安時代すでに存在したが、「有る事が難しい」つまり「めったにない」の意で使われている。少納言自身、「ありがたきもの。舅にほめらるる婿、また姑に思はるる嫁の君」などと『枕草子』に書き付けている。この「めったにない」が「めったにないくらい優れている」になり、さらに変化して、現代語に通ずる「感謝にたえない」の意と化したのはいささか後のことである。
「かわいい」は、平安時代にはまだ誕生していない。その先祖「かほはゆし(顔映ゆし)」が「かははゆし」「かはゆし」に変化を遂げている頃であろう。「決まりが悪い、恥ずかしい、おもはゆい」あるいは「見るに耐えない、忍びない」といった意。これが「愛らしい」の意にも用いられるようになったのは室町時代の事。語形も「かはいい」に転じて今日の「かわいい」に至る。

「ありがとう」を見ても「かわいい」を見ても、変化する面と連続する面、言葉の歴史にはその双方がある事がわかる。少納言が辞書も通訳もなしに現代の語彙を用いる事が出来たのは、おそらく後者の面、「ありがとう」や「かわいい」に千年前から底流している語感を即座に感じ取った為ではないか。

外国語ではないのだ。同じ日本語である。
我々にとって古文(実は私は古文という言い方が嫌いである。「伝統文」でどうだろう)がさほど遠いものではないように、彼ら先人にとっても現代文なるもの、案外近しいものなのかも知れない。

思えば室町時代の申楽作者たちも皆、彼らにとっての現代語で、彼らよりも昔の人々を台本に書き起したのであった。

現代語は生きている。我々はそれによって日々暮らしているのだから。
そして、台詞というものは、生きていなければならない。
それを享受する観客がいるのだから。

2005年01月27日

舞台と客席の一体感

小劇場演劇制作者支援サイト『fringe』のウェブログ上において、荻野達也氏が次のような卓見を展開しておられる。

「(前略)中劇場なら数日で済む公演を敢えて小劇場で2週間やるのは、その距離感を大切にしているためです。中劇場が借りられないわけではなく、作品のために小劇場を選んでいるのです。この点は観客の方々がもっと実感し、評価していただいてもいいと私は考えます。寿司屋はトロばかり注文されると赤字だそうですが、小劇場公演はお客様のためにトロだけを出しているようなものなのです。(中略)現状ではカンパニーの経営を考えると、より大きな劇場を目指すのは仕方ないことですが、それってつまらないことだなと私は感じています。寿司屋に「トロはお一人様2カンまで」と貼ってあったら寂しいでしょ。猫も杓子も中劇場を目指すというのは、そういうことなんです。小劇場のイスをよくして、至近距離で芝居を楽しむことがステイタスであるかのような発想の転換を私はさせたい。格闘技のリングサイドが数万円で売れるように、小劇場で数万円のチケットがあってもいいじゃないですか。(後略)」(2005年1月15日「小劇場は寿司屋でトロだけを出すようなもの」より)

能も、あまり大きな能楽堂よりこじんまりとしたところで観る方が良い。その方が、能という芸能に向いていると思う。都内で言えば杉並能楽堂や矢来能楽堂などが、見所(客席のこと)のキャパシティも広過ぎず丁度良いし、おまけにこれらの能楽堂は、見所と舞台とが空間的に無理なく馴染んでいる。質量ともに、舞台と見所が程よい一体感を生んでいるのである。国立能楽堂などは、500名を越すキャパシティで、私などにはいささか大き過ぎる気がしないでもない。また見所も、なんだかお上品な映画館みたいでしっくり来ないのである。

そもそも能楽堂というのは、本来野外にあった能舞台を、近代的な発想のもとコンクリートの建物の中に閉じ込めたものである。大事な面装束が雨で濡れなくなった、暑さ寒さを気にする必要がなくなったなど、良い点もあろう。しかし、失われた面もある。何より、往古の能舞台は、自然や神々と共に在った。自然や神々の延長線上に、一つの舞台が形となって忽然と宙に浮かみ上がっている。我々をまだ見ぬ異界へと誘う橋の如く…それが古き良き申楽舞台というものであったろう。
だから、本当は能舞台とそれを取り巻く見所さえあれば事足りる訳で、従ってあの能楽堂というのはそういう意味では邪魔な建物なのだ。
杉並能楽堂や矢来能楽堂の場合、建築があまり過保護な造りになっていないから、まだしも良いということなのである。

(従って、杉並や矢来でさえ、百点満点を与える事は私は出来ない。いつか、能舞台というものと完全に一つに溶け合った、見事な能楽堂をどなたかに建築して戴きたいものである。)

ちなみに、朧座の旗揚げ公演は、東京阿佐ヶ谷にあるザムザ阿佐ヶ谷という小屋で行った。
ここは他所の小劇場にはなかなかない独特の雰囲気を持っていた。舞台と言わず客席と言わず、小屋全体が、土壁と天然の木材をふんだんにあしらって造られているのだ。聞けば、室町時代の建築技法を再現出来る数少ない職人がここを造ったのだという。キャパシティも約120名と、それこそ荻野氏の表現を借りて言えば「上トロ」ということになろう。
昔の芝居小屋とか寄席なんかをも髣髴とさせるものがあった。
主張ある、個性的な空間だった。その主張と個性は、今申楽に良く馴染んでいたように思う。

面が、時に笑い、時に泣く。
遠くかけ離れた席から観ていて起きる奇跡ではあるまい。
舞台と客席の一体感。そこは今申楽がもっとも追求して行きたい事柄の一つである。

2005年01月31日

老若二人の肖像

その時、私は自転車に乗っていた。私の前方には、警官がこれまた自転車に乗っていた。
と、歩道のさるお年寄が、警官に深々と頭を下げる様子が目に入った。警官も、お年寄に会釈で返していた。
ああ、今の日本に欠けているのはこういう事なのかなあ、と漠然と思った。

帰宅して、梨園のさる御曹司が、酒に酔って警官の顔を殴ったと聞き及ぶ。人の顔の大切さというもの、人一倍知悉する職業であろうに。釈放後会見を開いて曰く「親の顔に泥を塗り」云々。父親の襲名祝賀パーティーが「息子として嬉しく」泥酔して大立ち回りに及んだとやら。
暴力沙汰それ自体も論外であるが、この期に及んでなぜ恋々と「親」を持ち出すのであろう。
己一人の非を認め、己一人の罪を詫びるより他ないではないか。と、私は思うのだが。

道行く警官を一礼して見送る者と、警官の顔を殴ってなお恋々と「親」を持ち出す者と。
今のこの国を象徴するかの如き老若二人の肖像を見た。

2005年02月01日

「わわしい」は漢字で書かない

先日、「わわしい女」(狂言に登場する、典型的な中世の女性像)について、さる朧座衆からこんなメールを戴いた。

「『わわしい』は私には初語彙なのですが、『猥々しい』みたいな雰囲気でしょうか?」

これに対し、お送りした私の返信はおよそ下記の通りである。

「そういえば『わわしい』って漢字でどう書くのか私も知らなかったので調べてみました。で、わかった事ですが、この言葉、漢字では書かないようです。

漢字で書かない言葉。漢字で書けない言葉。これって、案外大事な事かも知れません。

『うつくしい』には『美』。『つよい』には『強』。『わるい』には『悪』。『いやしい』には『卑』…などなど。
上記の形容詞は、みな大和言葉ですが、それぞれ漢字のイメージを持っております。
しかし、「わわしい」という形容詞には、漢字のイメージが存在しないのです。平仮名のイメージしかない。
ある意味では、もっとも女性的な言葉の一つと考える事も出来るのではないでしょうか。
男は漢字で、女は仮名で物事を考えるのが昔の日本人ですから(今も?)。」

「わわしい」は漢字で書かぬとは。
はからずも興味深いやりとりとなったので、ここに転載しておく。

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2005年02月05日

飛鳥山公園野外舞台に想う

陳俊宏(朧座演出部)の勧めで、先日、北区王子の飛鳥山公園を見て来た。
曰く、今申楽にうってつけの野外舞台がここにあるのだという。
行ってみて驚いた。本当にうってつけであった。
素晴らしい野外舞台である。
野外舞台と言っても、普段は完全に公園の一画と化しており、市民が靴のまま舞台上に憩っていたりする。つまり、彼らには、ここが舞台であるというような意識がないわけだ。そのように市民の目を錯覚させておいて、しかしその実、よくよく見ればここはまぎれもない舞台なのである。
そういう二面性が、先ず以って深く私の心に響いた。
人々の行き交う公共の地が、ある瞬間、俄かに劇空間としての様相を帯び始める。ああ、これは夢か、現か…と、思うや、いつしか再び劇空間はもとの公共地へと帰していた。これぞ申楽というに相応しい。
また、この飛鳥山舞台、能舞台を基調としつつも能舞台の追従に終っていない。
そもそも現行の能舞台は安土桃山以降の産物である。能・狂言が近世において武家の式楽と化するとともに、舞台もまた、全く形式的に今の様態に固定されてしまったのであった。
そういう能舞台のいずこかに、しかし今もそこはかとなく流れる「申楽心」「申楽魂」を見出し汲み取って、それを基に新たな能舞台をこしらえる。
この舞台は、実は今申楽と同様の発想の下に創られている。

ネットでざっと見渡したところ、能楽師による演能も催されているようだが、惜しい。実に惜しい。
この舞台は、能楽よりも今申楽にこそ向いている。
能楽、それを総合芸術などと人はよく言うが、実はそうではない。
総合芸なのだ。
芸と芸術は違う。本質的に違う。そこを見誤ってはならない。
芸術にナントカ流だの家元だのというものは存在しない。日本文化を見ると、おおよそ全ての分野にナントカ流だの家元だのがヤクザよろしくシマを張りめぐらしている事実が明らかであろう。そこにカタギの者の分け入る隙はない。しかし芸術というものは、息をしたり水を飲んだりするのと同じ、もともと人間に普遍の営みであって、一部の特殊階級の独占物ではないのである。 
しばしば、半可通が訳知り顔で、「とにかく古式ゆかしいもの」を正道、「なんだか新しげなもの」を邪道などと言って憚らないが、こういう人々は既に裸の目で物事を観る態度を失ってしまっているのだ。一言で言えば、老人である。そして、日本文化なるもののほとんどは、芸と老人とで成り立っている。
私は、能楽という芸の総体を原料に、今申楽という芸術を創りたい。そして、それを老人にではなく、全ての層に観て戴きたいと思っている。
Les(朧座美術部)は「能楽批判などは朧座の最終目標ではないのだからほどほどにして、新芸術の提案により力点を置いてはいかが」などと私に忠告する。言っている事は誠に正しい。しかし、香港育ちの彼には、おそらくまだ実感し切れていないところがある。
日本文化に巣食う「芸と老人」の悪習、その百鬼夜行の凄まじさがいかに若者を日本文化から遠ざけ、自由な創造的発想を日本文化から摘み取り、日本に真の芸術が芽生える事を難しくしているか、その実態を。

ようやく話題はもとに戻る。
飛鳥山公園野外舞台。ここは、芸にあらず、芸術的発想のもとに設計されている。薪能なんぞに遊ばせておくのはもったいない。
今申楽を、いつかここでやりたい。

2005年02月09日

たまには湯船につからんとなあ

私が日頃お世話になっている、さるお寺の方からお電話を頂戴した。
「朧太夫氏、疲れてるでしょう」
そうなのだ。疲れているのである。
実は今、私はさる劇団に客演を頼まれて稽古中なのだ。今月末には本番である。
稽古自体はつつがなくこなしているつもりである。別に、役作りに悩んでいるとか他の役者とうまく絡めぬとか、そういう理由で疲れているのではない。
もちろん、稽古中なのだから生みの苦しみはあれこれあるけれど、それが直接、この疲れの元となっているとは思われない。
なんともいいようのない原因不明的な疲れが溜まっていたのだ。で、これは先生(お寺の方)に一度お電話して御助言を乞おうかな、などと思っていた矢先、先生より先にお電話を頂戴してしまった形だった。
先生は関西にお住まいである(私は東京)。しかし、お話を伺えば伺うほど、先生は私の状態を正確に察知していられた。誠に、未だ科学が説明し切れぬ事柄はあまりに多いと言わねばならない。
先生から戴いたアドバイスの一つに、「よく湯船につかりなさい」というものがある。言われてみれば、私はシャワーで済ましてしまうのが常なのだった(例えばそういう日頃の習慣なども、私が言うより前に先生は先刻お見通しなのである)。
そこで、近所の温泉に出かけた。杉並区高井戸にある、美しの湯というところ。ここ、お勧めである。安くて(平日800円)綺麗で泉質良し。露天風呂もある。おまけに夜の12時までやっている。

嗚呼、たまには湯船につからんとなあ、と実感。
何か、吹っ切れた模様である。

2005年02月11日

カエルの解剖を止めさせよ!

最近、稽古の疲れやら何やらストレスが溜まって来たので、近所の居酒屋に一人で赴く。
ワインをちびちびやっていると、隣で宴会中の中年男がいきなりテーブル上で戻し始めた。
ああ、大人がこういう恥ずかしい飲み方してるから若い子に示しがつかないんだよ、こんなことなりゃ飲みになんか来るんじゃなかったかな、などと気まずい思いでグラスを傾けていると、向こうの席から「お兄さん、こっちこっち」(そんな酔っ払いの近くで飲んでないで、こっちで一緒に飲みましょうよ)と声をかけて下さる女性陣がある。最初は「どうも、御心配なく」とお断りしたが、再び隣で件の中年が戻し始めたのを見て、女性陣、「そんなとこじゃ落ち着いて飲めないでしょ。こっちで飲もうよ」と、事ここに及んでさすがに私も席を移動する気になったのだった。
女性陣は、実は看護婦さんたちなのだった。仲間の一人が、例の酔っ払いを放っておけず、看病に付き添いながら男子便所へと運び込んだ。職場でなくても、病人と見れば見過ごしには出来ない性質らしい。

さて、その酔っ払いも程なく店を去り、残りの時間は看護婦さん達と楽しく杯を交わしたのだった。
そこで彼女たちとの話題に上ったのが、「小学生の時、カエルの解剖ってあった?」というものである。
このブログをお読みの皆様はどうですか。
私の小学校では、なぜか、カエルの解剖というものがなかった。

しかし、思う。それは幸いな事であったと。
既に死んだカエルの解剖なら、まだ良い。生きているカエルを、わざわざ解剖のために殺すのだ。
考えてみれば、こんな残酷な事を多感な子供時代にやらせるというのは、悪魔の所業ではなかろうか。
実は、理科の時間ってとんでもない事をやらせているのだな…と、そんな事を考えさせられる居酒屋の一時であった。

結論。カエルの解剖を止めさせよ!

2005年02月16日

真なるホラー

ここ最近は昼から夜まで、月末の芝居の稽古である。が、今日は休み。
というわけで、例によって近所の温泉に出掛けた。
入浴の後、サウナに入る。相当長いこと頑張る。サウナを出る。入浴。再びサウナ。その繰り返し。
かなりきつい。
4回目に入った時、室内のテレビで「Jホラー」すなわちジャパニーズホラーなるものの特集番組がちょうど始まっていた。
曰く、現在、アメリカなどで「Jホラー」がブームなんだそうである。日本の恐怖文化は凄い、と、随分人気らしい。
そういえば、ロスに数年いた私の友人が、向こうには能みたいなスピリチャルなものがないから、今申楽も受けるんじゃないかなんて言っていた。相撲が向こうで人気なのも、実はそういう理由なのだとか。
しかし、翻って、最近の日本のホラー映画なんてそんなに怖いだろうか。私が観た奴などは、ちゃちなコンピューターグラフィックスで手抜きばかりしていて、それはそれはただ眠たくなるだけの代物だった。
それにだいたい、アメリカ人に日本の恐怖文化なんて果して本当に理解出来るのか。実に疑問である。
本当に怖いのだよ。その怖さがわかったら、今のような戦争も自然破壊も出来なくなるのだよ。
あなた方は、毎日、どれだけの怨霊をこの世に生み出しておられることか…
まあいいや。

で、その番組では、「Jホラー」のキーワードは「女」である、とか何とか言っていた。
まあ、確かに日本の幽霊の基本は女なのだが…
と、その辺りまでが私の限界だった。もっと見ていたかったが、もう駄目だ。観念して、サウナを出た。

実は今、私は痩せなければならないのである。だからこそ、さっきからきつい思いをしてサウナに入り浸っているのだ。
なぜって、月末の芝居の為なのだ。痩せなければ、服が着られないのである。…女物ゆえ…

これぞ、真なるホラー?

2005年02月19日

強きにへつらい、弱きを苛む

来春、国立能楽堂委託作品として、美内すずえ氏の漫画『ガラスの仮面』を原作とする新作能『紅天女』なる作品が上演されるらしい。

マンガが原作か…私個人はあんまり観たいとは思わない。つまらなさそう。
(というと誤解を招くであろうから付言しておく。私も人並以上にマンガを愛でる一員である)
しかし、世の美内ファンが国立能楽堂に殺到し、その中から新たな能の観客もいくばくかは育つであろう。そう祈れば、この企画あながち無意味とも言い切れぬ。

しかしそれにつけても不思議でならぬのは、こういう企画をなぜ能楽界が潰しにかからぬのか、という事である。
朧座という、昨年生まれたばかりの弱小無名劇団については、たった一度の公演を行っただけで即座に悪意ある魔手を伸ばして来たくせに。
国立や名家というお上には追従する一方で、無力な者にはとことん陰湿な嫌がらせを加える。
強きにへつらい、弱きを苛む。卑劣な体質と言わざるを得ない。

能面の写真集を観ていると、よくわかる。
室町期の能面は、並々ならぬ創意と工夫、芸術性に溢れている。
江戸期の、ただ昔の能面を模倣しただけのものとは比べ物にならない。
この、室町期のような芸術性を今日の能楽界が取り戻す為には、相当ハードな体質改善が必要であろう。一見、絶望的とも思えるが、しかしこの世の中、何が起こるかわからない。

ともかく、ここに一座、ある種の人々の目から見れば誠に危険な集団が存するという事、これだけは何人たりとも否定のしようがない。
私一人ならヒットマンを雇って闇に葬るという手段も可能であろうが、既に朧座は朧太夫一人のものではないのであるから。

体質の上に胡坐をかいて、下々をお見下しの諸先生方。
先だって当座に賜った仕打ちは忘れぬ。この先、よくよく御用心あらん事を。

2005年02月20日

『泰山木』の秘密

世阿弥は忍者のような存在だったのではないか、と説く人もある。真偽の程はわからない。
が、もし仮にそのような存在だったとすれば、彼の最大の忍術、それは能という壮大な幻を操って今日なお人々の心を惑わし続けているところにあるのかも知れない。

『泰山木』という、世阿弥が書いた能がある。泰山木とは桜の事。その題名の通り、満開の桜を愛で、しかしやがてそれは散り行く事を惜しむ心を主題とする曲である。
大阪大学教授天野文雄氏は、本曲の主題を「花への愛惜」と明確に定義付けた後、さらに本曲の制作動機にまで踏み込んで次のように推測しておられる。すなわち、「花への愛惜」なる主題には、ある寓意(比喩)が込められているのではないか。それは、庇護者である将軍・足利義持の重病とその回復に対する祝意であったのではなかろうか、と(「《泰山木》の主題と趣向──世阿弥の『作意』を考える──」財団法人観世文庫設立十周年記念能当日パンフレット所収)。

制作動機に関する氏の推測は大変興味深い。が、私の推測は氏とは異なる。
私の推測、それは、義持以上の大庇護者大恩人であった義持の父義満、その皇位簒奪(天皇家乗っ取り)計画を密かに謳歌せんとするものではなかったか、というものである。将軍である限り、花はいつか散る。しかし、その将軍が万世一系の地位を得た時、春は悠久の季となる。泰山木よ永遠たれ…そのような賛美が世阿弥の本意であったかどうかはともかく。

果して義満の計画は、その急死によって未遂に終わった。
あとにはただ、世阿弥が彼の計画を美で彩る為にこしらえた壮大な幻だけが空しくとり残されて今日に至っている。

そういう事なのかも知れない。

「ラクァイ」とか「江原」とか

先日、知人が主宰する劇団の本番があり、お手伝いがてら拝見してきた。
実はその芝居は再演であって、二年ちょっと前の初演には私も出演していたのである。
私が演じた役の名は「ラクァイ」という。

初演には自分が出ていた、それを他の俳優が再演するのを客席から観る。
こういう経験は初めてではないが、やはりドキドキするものである。
再演する方を素直に応援したい気持ちと、そう簡単に負けてたまるかという初演者のつまらぬ意地と…

帰り道、色々と初演時の記憶が蘇ってきた。
そして、ラクァイの悔しさを思い出した。ラクァイというのはこの二十年間、悔しさだけで地下の暗闇の中を生きながらえてきた人物なのである。二十年前、ある拳法の使い手に敗れた、それがもう悔しくて悔しくて、その悔しさ、せめて奴よりも強い弟子を育てて奴を見返してやりたいというその一念だけが、幽鬼の如く残存して今も地の底を這いずり回っている、そういう役どころなのだ。
思い出すうち、歩きながら手に持った空のペットボトルをグシャグシャに握り潰し、あまつさえ不覚にも落涙して、ああ、私の中にはまだラクァイが生きているのだなあ、と思った。

さて、話は変わって、今日も稽古であった。今週末には本番である。
今日の稽古は、私としては非常に意義あるものだった。私の役は「江原」というのだが、今日二回目の通し稽古の最中、一瞬、私は「江原」になれた気がする。
俳優としては、ああいう感覚の裡に、常に在りたいと願うばかりだが…
終わって演出家に「江原、その感じで」と言われた時はほっと胸を撫で下ろしたのだった。

本番に向けて、ますます「江原」になりたいものである。

2005年02月21日

ロマンじゃなくて、ビジョンだね

笛麿(朧座制作部)と久方ぶりの長電話。議題は朧座第二回公演について。
彼は第一回公演の時、いくつかの極めて重要な提言を発する他は、ただひたすら静観を貫いた。私がどこまで本気なのか、今申楽とやらに将来性はあるのか、しかと見届けた上でこの座組に加わるべきかどうかを判断しようという腹なのだった。
我々第一回公演メンバーは、あたかも釈迦の掌中で力む孫悟空さながら、徹頭徹尾、笛麿の瞰視下にあってもがき苦しんでいたわけだ。
嫌な奴である。そう、制作者たる者、このくらいの腹黒さがなくては困るのだ。
そして、この腹黒いお釈迦様は、第一回公演を客席で二度観た上で、結論を下したのである。
二回目以降の制作総指揮は余が執り行う、と。

さて、議題も一通り出尽くしたところで、ふと私はこんな事を言ってみた。
「朧座衆にはロマンが必要だと思うんだけど」
笛麿の返しはこうである。
「違うね。ロマンじゃなくて、ビジョンだね」
参りました。ま、性格の差というものを如実に物語る会話ではある。

というわけで、朧座第二回公演からは、本格的にアートマネージメントの手が入る事となる。
第一回公演の時は、そんなものはなかった。ともかく第一歩を踏み出す事に意義があった。
しかし、きちんとした制作が入ってこそ真の公演である。そういう意味では、第二回こそが朧座の真なる誕生という事になろう。
御期待戴きたい。

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2005年03月03日

酒臭くない座を目指して

今宵もほろ酔い加減である。
お酒って美味しいですねえ。ああ、コリャコリャ。
昼間、陳俊宏(朧座演出部)・川野誠一(朧座演技部)と今後の朧座をめぐって作戦タイム。何時間あっても議題が絶えない。
鼎談の愉悦忘れ難く、両人と別れた後、独り行きつけの居酒屋へ。

友人の看護婦M氏より「酒は一合までなら健康に良いらしい、が」と釘を刺されているにも関わらず、そんなもので足りるはずもなく、ついつい二合頼んでしまう。
それにしても、昔に比べて私は酒に弱くなった。
若かりし頃、私はなかなか酒に芯から酔うという事が出来ず、「どうして俺は酔えないんだろう」などと阿呆な愚痴を発しながら知り合いの店を片っ端から飲み歩いていた。ところが、最近はすぐにほろ酔い加減になってしまう。
年をとったという事であろう。

こうなると、あまり人前では飲みたくない。
これからは、飲む時は独りで飲むとしよう。かな。
(禁酒も検討したのだが、ちと無理っぽいので)

それにしても、陳といい川野さんといい、全く飲まない。
加えて笛麿(朧座制作部)が、これまた全然飲まない。否、奴は勤め先で散々鍛えられて昔に比べれば少しは強くなったらしいが(昔は一口飲んだだけで茹蛸のようになって卒倒していた)、今でも好んで飲むというわけではない。
従って、朧座の話し合いには居酒屋よりも喫茶店とかレストランの方が向いている、という事になる。
ヘベレケになるまで飲むのは朧太夫に空也坊(朧座第一回公演演出・声の出演)である。要はこの二人が自制すれば済むのだ。

酒臭くない座を目指して、私こと朧太夫、今後は独りでコソコソ飲む事と致します。

エールに深謝

インターネットマガジン『Nature Net』のリンク集「naturelinks」より、当サイトを推薦戴いた。
今月は能楽関連サイトが特集されており、「社団法人 能楽協会」やら「観世文庫」やら「お豆腐狂言 茂山千五郎家」やらに混じって我が朧座の名が…
イモリの群れに迷い込んだヤモリみたいな、なんか不思議な気分であります。

「表現者たちの苦労にエールを送りたくなる内容です。」とのお言葉が大変嬉しかった。
御紹介戴き有難う御座います。

2005年03月06日

佐久間二郎氏の能楽入門講座

佐久間二郎氏による能楽入門講座が、今月19日(土)、東京都内において開催される。氏は、長らく山梨県内を中心に能の普及に努めて来られた能楽師(観世流シテ方)。今回は、初の東京講座との事である。パンフレットを見ると、能の歴史や表現の解説・謡曲仕舞の実演・面装束の解説・能の鑑賞法伝授と、盛り沢山。この内容で1500円は破格と言えよう。私は以前から、能の普及に賭する氏の情熱に敬意を覚えてきた。今後はようやく東京でも氏の講義に触れる事が出来そうである。

氏の講座が、東京においても良き能楽入門の場とならん事、心より期待したい。
また、能に興味はあるものの今まできっかけがなかったという方々には、かかる好機をお見逃しなきよう是非お薦め申し上げる次第である。

驚くなかれ。日本には、こんなに素晴らしいものが、あったのだ。

2005年03月09日

アンテナを張り巡らせよう

朧座衆に一斉告知。各々、世の中にアンテナを張り巡らして戴きたい。
先日も陳俊宏(朧座演出部)が思い付いたように「朧座公演に飛鳥山公園の野外舞台はどうだ」と言ってきた。行ってみると、なるほど、実に魅力的な舞台である。なんでこんな場所を知っているのか、聞けば陳の通っていた大学がこの近くにあり、演劇の稽古に使っていたのだと言う。全く物知りな男である。
笛麿(朧座制作部)は、実のところ普段は某一流企業に勤務するサラリーマンである。朝は、電車の中で日経新聞を欠かさず精読、株だの為替だの一通り把握に努めねば気が済まない。で、目に止まった文化芸能系の情報はすかさず携帯電話からメールを送ってくる。この日は都庁前で薪能があるよ、この日はテレビで邦楽関係の特番があるよ、などなど。廣田さん(朧座制作部)も、事毎に京都から重要な情報を寄せて下さる。第一回公演時、物語の舞台となる逢坂の関に程近く、しかも料金手頃な合宿先を求めていた折に、数ある京都大津の宿の中からどんぴしゃりの宿坊を探し当てて下さったのも廣田さんであった。インターネットの出現によって、今や都会も地方もなくなった事が痛感される。

いかな情報社会とは言え、詰まるところ氾濫する情報をいかにキャッチするかが肝要である。
先日も、川野さん(朧座演技部)が思わぬ情報を私にもたらして下さった。ちょっとここに書く訳には行かないのだが…(いつか書ける日が来るとは思うが、今はちょっと)

とにかく、私一人の力ではとても収拾しきれない情報が、座衆のアンテナを借りる事で何十倍何百倍と広がるのである。
どんな些細な事でも良い。一見、朧座とは直接は無関係のように見えても良い。
「あ、これは太夫に知らせといた方が良いかも…」
ピンと来た時はすぐに一報をお願いしたい。時候の挨拶などは一切省いて戴いて構わないので。

お宝は、どこかに眠っているのである。

2005年03月16日

湯島の梅

二日ほど前から、花粉症と風邪とをいっぺんにこじらす。
この間、ほとんど家を出ず。ひたすら床に就く。
今日は、体調が多少回復してきたので、心に栄養を摂取せんと、湯島天神へと赴く。
ここは、いまどき珍しい都会のオアシスである。梅の季節には、大抵ここへ来てしまう。

腰折れ一首。
東風吹けば今も匂へる梅の花 あるじの声を忘れざるめり

湯島の梅は、まもなく見納めである。

2005年03月20日

早ク仕上ゲヨ

先日、朧座初の企画会議を開催。一部は公共施設の会議室にて。テーブルをロの字形に並べて、朧座の来し方行く末をとことん語り合う。二部は近くの中華料理屋の二階を借り切って。円卓を囲んで賑々しく。
気付いてくれた座衆もいるかも知れないが、私はとにかく今回の会合、座衆皆が円となって座して語らうというスタイルにこだわりたかった。そのスタイルが実現しやすい会場を、実は厳選したつもりであった。結果、その意図は功を奏したと私は思っている。ピラミッド型にはない、サークル型の良さがそこには確かにあったと思う。
あれこそが、「座」であると、私は信じるのだ。

楽しく、実り多き一時であった。

さて、実はこの会合の数時間前、朧座次回作の台本を、一応最後まで書き通してみたのだった。と言っても、まだまだ叩き台の段階に過ぎないのだが。しかし、今後は当面の間ともかくこれを叩いて行くのだと思えるものが、手元にあるとないとで大違いである。
私が、次回はこの題材で行きたいと決めてから、早九箇月になりなんとしている。
この間、誠に悶々たるものがあった。むろん、その悶々はこれからますます続いて行くわけであるが。

私の家の近所の、とある神社へとおもむいた。
「本アル限リ、憂フベカラズ」(台本が手元にある限り、余計な心配は要らぬ)
と、かつて私の心に一文のメッセージを送って下さった、霊験あらたかな神社である。
「おかげさまで、とりあえず叩き台が書き上がりました。有難う御座います」そう、念じつつ。
二礼、二拍手、一礼…
と、最後の一礼を終え切るより前に、またしても短いメッセージが私の心に届いたのであった。
否。今回は届くというより、飛んできたという感じだった。

「早ク仕上ゲヨ」

2005年03月22日

我々は観客に「服役」を強いている

先日、何気なくテレビをつけていたら、某局バラエティー番組にて、島田紳助・ビートたけし・所ジョージの三氏が舌戦を繰り広げていた。
いやはや、死ぬほど面白かった。テレビで本気になって笑わせてもらったのは何年ぶりであろうか。

昨今、テレビの質は著しく低下している。とは言え、いざこうして実力派の面々が火花を散らせば、我々は相変わらずブラウン管の前に気楽に寝っ転がりながら、しかも一銭も払わずに、高度な娯楽を享受する事が出来るのだ。

我々舞台表現に生きる者は、観客に対し、チケットの予約、劇場までの往復、木戸銭の支払、上演時間中の被拘束と、日頃様々の「服役」を強いている。これを単なる服役から、そこまでして劇場に足を運ぶ喜びへと転化する事は、そうそうたやすい事ではあるまい。

今の時代、よほど用心してかからねば、巷に氾濫する娯楽に我々が打ち勝つ事は難しい。

2005年03月24日

神道尽くし

近頃、腰が痛くて仕方がない。パソコンか寝るかという生活だったから、運動不足なのだろう。
風邪も少し治まってきたので、今日は久方ぶりにジョギングと水泳に繰り出す。
で、ジョギングの最中、初めて近所の荻窪八幡及び井草八幡に立ち寄り参拝。
二つともすごく良い神社でビックリさせられた。境内には、実に清浄な空気が漲っている。
おまけに双方とも、誠に立派な神楽殿を有していた。井草の方では、某流若手能楽師たちが、西荻薪能と銘打って町ぐるみで能を催しているらしい。結構な事である。
近所の天沼八幡と併せて、これからは荻窪三八幡として、朧座の武運長久を念ずる事としよう。

神社で思い出した話を二つ。

一つ目。漫画家・水木しげる氏の自伝漫画や自伝小説に、必ず「のんのんばあ」なるユニークなキャラクターが登場するのを御存知だろうか。この「のんのんばあ」は、水木氏の故郷・鳥取県境港に実在(?)していた人物(妖怪ではない)。職業は「拝み屋」で、神といわず仏といわず、とにかく片っ端から拝み倒すという信仰心の持ち主。氏は少年時代、この「のんのんばあ」から、様々な事を教わったのだった。「目に見えるモノが全てではない。目には見えないけれど、確かに、いる。そんなモノたちだって大勢いるのだ」という氏の人生哲理は、実にこの「のんのんばあ」によって、育まれたのである。
何でも拝む。とにかく、先ずは相手に敬意を表して一礼を手向ける。美しい態度というべきであろう。
人類は今世紀に入ってなお、相互の殺戮に余念なき日々、要するにサルの共食いを何ら笑う資格のない生活を送っている訳だが、ここらで一度、我々は「のんのんばあ」が説諭するところの本当の意味を顧みるべきではなかろうか。
いつまでも福澤諭吉なんかを一万円札に載せている場合ではない。

二つ目。首相の靖国神社参拝問題について。
もとより天下国家を論ずる力はないが、それにしても以前から疑問に思っていた事がある。いずれ誰かが言い出すだろうと思っていたが、どうやらそんな気配もない。仕方がないので、恐る恐る書いてみる。
首相は、靖国より前に、伊勢参拝をこそ優先すべきだ。
靖国は、我が国の歴史において、生まれて間もない神社である。まだ首の据わらぬ赤ん坊のようなものである。そんな所に額づいて要らぬ物議を醸すより前に、先ず詣でるべき国があろう。
もしも、伊勢をもってしてもまだまだ新しい、背骨が足りぬという事であれば、これはもう南は日向国、宮崎神宮だの鵜戸神宮だの、高天原だのといった辺りまで飛ぶしかない。
が、これは少々高度な提案。先ずは伊勢参拝を重視して戴きたい。
誤解されると困るが、私は街宣車で軍歌を歌うような趣味はないので、御安心を…

プールで泳いだ後、コンビニにて立ち読み、思わぬ記事を発見。
『週刊朝日』にて、天下の碩学大野晋氏が、ホリエモンこと堀江貴文氏の日本語能力に85点という高得点をつけている。大野氏と言えば、国語学最高権威の座にありながら、日本語の起源は南インドのタミル語にあり、という衝撃的新説を打ち出し、長らく学会に無視されてきた経緯がある。ホリエモンの逆境には、少なからず共感するところがあるらしい。ほのぼのと、ホリエモンに評価と忠告を寄せておられる、その口振りが好ましい。この度の氏の論旨には必ずしも全面的賛成というわけではないけれど、それでも氏の人柄には改めて心引かれてしまうのであった。
私は、かつて氏の著書から、日本と日本語を考える上で、本居宣長という人物がいかに偉大であるかを教わった。そして、いつか宣長を主人公とした歴史小説を書いてみたいと思ったのだった。(実は今でも思っている。見果てぬ夢である)

という訳で、今日はなんだか神道尽くしの雑文集となってしまった。

2005年03月26日

虫の知らせ

某チェーン店で夕食をとる。もうすぐ平らげようというところで、お椀の底に、小さな羽虫が一匹、入り込んでいるのを発見。可愛そうに、ご飯に押し潰されてそれこそ虫の息であった。
まあ、不注意と言えば、もちろん完全に店の不注意である。
だが、しかし、入っちゃう時は入っちゃうものなのだ。私も昔、こういう店でアルバイトしていたから、おおよそ察しはつく。
何も言わずに出て行こうかとも思ったが(食券制だから代金は支払済)、それでは世の中の為にならぬと考え直し、従業員を呼んで事態を説明した。従業員は丁寧に謝った上、すぐに電話で店長を呼び出した。この店長が、これまた丁寧な人で、ただもうひたすら平謝りを繰り返す。で、どうか作り直させて下さいと言うのだ。私は、もうお腹一杯なので(何しろほとんど平らげようという時に現れたのだ)結構ですよと断った。が、店長は引き下がらず、さぞや気を悪くされたに違いない、このままでは私どもとしても申し訳が立たぬと恐縮一辺倒である。そこまで言うなら…私は店長にこう言ったのである。
「じゃあ、このご飯代だけ、良いですか(サイドメニューも頼んでいたが、全額返済には及ばないので)」
「はぁ…誠に申し訳ございません!」店長は深々と最敬礼して、店長室へと消えて行った。
そして、消えて行ったきり、出てこないのである。
そんなことだろうとは思っていたが、一応、待った。しかし、二度と再び出てくる気配はなかったので、私は店を後にした。

あの店長は、悪い人間ではない。ただ、真面目過ぎるのだ。
ただもうひたすら謝り倒して、相手の言葉を聞き取るだけの冷静さを失っているのだ。もっと言えば、彼は、ある種の「ずるさ」に欠けているのである。
どんなに正気を失うような大失敗をしでかしても、正気を失ってはならない。さもなくば、この店長のように、知らぬ間にさらなる大々失敗を重ねる破目に陥るからである。

これは、けだし、外食などなるだけ控えて、今少し自炊をせよと、それこそ虫が知らせたのであろうか…
結局、客にそんな風に思わせてしまう。真面目なだけに、もったいない事である。

2005年03月28日

三つの反省

先日、私を含めた座衆4名で会食。
話題は朧座前回公演の総合得点論へ。来るべき今申楽の理想像を100点とすると…

笛麿「30点」朧太夫「いや、25点だろう」空也坊「いやいや、10点かも知れない」

結局、まあ0点ではなかったよな、というところで4名の一致を見る。
お足をお運び下さったお客様には面目次第もなき限り。
当時は、あれが精一杯だった。得られた三つの反省を生かし、次回は必ずより良いものを。

「現代演劇ではなく、申楽なのだ」
「能楽ではなく、申楽なのだ」
「キャスティングで、ほぼ決まる」

2005年03月29日

劇作家風に

最近、やたらに顔がかぶれるのである。
第一のピークは、先日の朧座企画会議の直前くらいであった。
今、第二のピークが来ている。

いやしくも俳優たる者の顔が、こんな具合では誠に宜しくない。
医者からは、既に第一ピーク時に軟膏をもらっているのだが、副腎皮質ホルモンが入っているのであんまり使いたくないのである(副腎皮質ホルモンの使い過ぎは肌に有害とされるため)。特に、今のようにあちこち炎症を起こしているような状態では。

確かに、もともとアレルギーの気味はあるのだけれど、しかしここ最近は、さほどの発作的症状はなかった。偏食もしていない、睡眠や運動がとりたてて足らぬというわけでもない(殊に第一ピーク沈静化以降は、肌を慮って、健康には留意しているつもり)…

けだし、昨今の気候の故か、さてまた、台本執筆のストレスのなせる業か。
いや、何かおかしい。そんな気もする。

台本に、思うところあっていささか手を加えた後、近所の温泉に出かけた。
ますますかぶれる、というような事がなければ良いと思っていたが、帰宅して様子をうかがうに、どうもそれはなさそうな気配。

早いところ、「叩き台」ではなく一応「第一稿」と呼べるものを書き終えたいのだが。
画竜点睛中。たぶん。
と、そんな事を思いつつ、鏡を見ながら、小難しげな表情にせっせとオロナインを摺り込んで行くのであった。

今日はちょっと劇作家風に書いてみた。なんだかお恥ずかしいけれど。

2005年03月30日

社会と芸術の幸福な出会い

昨日は大学を二軒ハシゴする。
昼は駒澤大学図書館へ。大学の図書館なる場所にマジメな目的で入るのは高校以来である(大学時代何やってたんだって話だが)。台本を書く為の調べものなのだ。伊豆・修禅寺蔵のさる資料の内容が知りたいので、寺に直接電話したところ、駒澤の図書館なら、あるいは置いてあるかも知れぬとの事だったので、こうして足を運んだというわけなのである。果して、御教示通り、目的の資料は地下の閉架式書庫に眠っていた!ついに御対面。感動ひとしお。
夜は東京大学工学部へ。建築家・渡辺治氏の講義を傍聴せんがため。氏は、長らく川崎で市民と芸術の橋渡し活動を行っており、その活動報告が主な内容である。氏の活動の一つ、「川崎ミステリーツアー」の様子も映像で紹介された。わけても不法占拠区の映像は衝撃的だった。『帰ってきたウルトラマン』第33話『怪獣使いと少年』(上原正三脚本・東條昭平監督)を思い出す。
ともあれ、講義全体を通じて改めて、現代日本における社会と芸術の幸福な出会いについて考えさせられるのだった。

2005年03月31日

遠隔会議

スカイプ(無料インターネット電話)とウェブカメラの併用で、朧座の地方勢・海外勢の何人かと実験的に遠隔会議してみる。スカイプだけでもタダで通話ができる(しかも音がまた良い)わけで、これだけでも十分に革命的であるが、これにウェブカメラが加わると、もはやかつてのSFの世界である。バーチャルリアリティもここに極まった感がある。
これからますます、朧座の遠隔地メンバーと仕事がはかどるようになる。誠にめでたい。
そして、こんな時代だからこそ逆に、いよいよ本格的に「リアル」の真価が問われ始めるであろう。

ともあれ、遠隔会議でまず言われた事、それは「台本見せて」だった。
本日、今申楽朧座次回予定作、第一稿脱稿予定。

2005年04月16日

舞台を映像で流す意義

テレビで桂三枝氏の新作落語『お忘れもの承り所』を観る。
すごく面白かった。ああいう芸は寄席で直に拝見したかった。そういう気になる番組だった。

そういう意味では、テレビも使い方次第かなあと思う。
劇場に足を運びたい、生で観たい、と、そう視聴者に思わせる事が出来れば、舞台作品を映像で流す事にも一定の意義はあるわけだ。

2005年04月22日

一日僧体験記

先日、関西のさる門跡寺院にて、劇団大樹主宰・川野誠一氏とともに一泊二日の僧体験を終えて来た。川野氏には、当朧座にも座衆として御参加戴いている。

涼しい土地柄のせいか、その寺の桜は今がちょうど見納めという頃であった。鶯のさえずる中、桜が庭の池に音もなく散り敷くのを眺めながら、座禅を組んだり殿舎のお掃除をお手伝いしたり、はたまた御門跡の御法話を拝聴したりした。否、拝聴というよりも、恐れ多い表現ではあるが、御門跡と膝を突き合わせて対話させて戴いたという方が近いと思う。実に気さくな御門跡でいられたが、そのお話は我々にとって、人間として、また演劇人として、得るべき多くの示唆に富むものであった。
この度の感想を書き出すときりがないし、また上手く文章化できるほど気持ちの整理がまだついていないという部分もある。が、個人的に、大変印象に残っている事を、ここに二点ほど御紹介する事にしたい。

御門跡はお話の最中、「居抜く」という言葉を何度かお使いになった。普通「抜く」という補助動詞は「やり抜く」「勝ち抜く」など意志的動作に使われるのに、御門跡は「居抜く」事の大切さを説かれるのである。
で、そのお話が一段落ついたところで私が「先の、御門跡の言われた居抜くという事が大変印象に残りました」と申し上げたところ、御門跡は、居抜くなんて言葉を発した事をすっかり忘れていられるのだ。
私はついさっき自分が言った事でもよく忘れてしまう、何故ならその時その時感じた事を感じたままに言っているから、との事であった。
そして、常に考えているのは、お二人が今回ここに来て、仏様と縁を結んで良かったなあと思って帰って戴く、例えば、「ああ、庭の桜が綺麗だったなあ」と、ただそう思って帰って戴くだけでも良い。考えているのは、ただそれだけだとも仰った。

実を言えば私は、この御門跡の在り方に、俳優としての一理想像を観た思いがした。
台本に書かれた台詞も演出に言われた事も最後には全て忘れて、ただ、その時その時感じた事を感じたままに言う。常に考えているのは、己に与えられた役を全うする、ただそれだけ──そんな芝居が出来たら、どんなに素晴らしい事であろう。

私も、御門跡に見習って、この先「朧太夫」で居抜いて行きたい。そう、強く思ったのだった。

今一つ。その御門跡が、非常に印象深い表情をお見せになった瞬間がある。
清少納言の話を、私が御紹介申し上げた時の事である。昨年、私どもは彼女を主役とした演劇を行った。物語の舞台がこの近くなので、役者や何人かのスタッフでこちらの宿坊に合宿もさせて戴いた。そして本番中、どうも彼女がいらしたのではないかと思われる出来事があった──と、概ねそのように申し上げた瞬間、目頭を押さえて、それは確かに来たね、と、そう仰ったのであった。

(そして思えば、この門跡寺院のある地域一帯は、実は今申楽次回作『修禅寺』とも浅からぬ縁があるように思われるのだが、それについては今は措く事とする)

何はともあれ──私は朧太夫として、あるがままに居抜いて行く。
ま、ほどほどに(これもまた、御門跡の教訓である)。
そう、神仏に誓って、東京に帰って来たのだった。

御門跡をはじめ、この度お導きを賜った諸先生方に、心より御礼を申し上げたい。
また、御出演の公演が終了したばかりという強行軍にもかかわらず、快く御一緒下さった川野さんにも、あわせて厚く御礼申し上げたい。
一日僧体験。実に、貴重な体験であった。合掌。

2005年04月23日

一連の反日騒動に思う

私は、この朧座を旗揚げしてからというもの、自分が昔学校で受けた教育、特に歴史教育を、甚だ悔やむところが大きかった。思いつくままに今申楽と名付けたこの道は、歩を進めれば進める程、己がかつて教わった歴史学(いわゆる戦後歴史学)がいかに著しく偏ったものであるかを、まざまざと私に思い知らせて行くのである。
既に井沢元彦氏らによって指弾されて久しいが、今の日本史教育には思想的・宗教的見地が致命的に脱落している。端的に言えば、天皇に触れたくない、触れる事それ自体が天皇賛美だ、皇国史観の復活だ、などという埒もない戦後左翼病の一症状なのである。

ところがここ最近は、この戦後歴史学にも、一抹の良さはあったのだなと感じている。
韓国や中国における、一連の反日騒動を見ていて、そう思うのである。
もしも仮に、私が戦前の教育など植え付けられていたとしたら、あの騒ぎを見て、正直、相当頭に血が上ったであろうと思われるのである。はからずも、戦後歴史学という強力な熱冷ましを頭のどこかに持ち合わせているおかげで、ああいう不愉快な風俗を見ても、こちらは理性を失う事なく冷静を保っていられるのではないか。

これは昨今のアメリカを見ていても痛感される事であるが、人間、品は保ちたいものである。

私は、今申楽という道を歩むうちに、ますます日本という国が好きになった。しかし、それでもなお、戦前戦中の日本の行動を美化する気には到底なれない。戦後、多くの日本人が「もう嫌だ、戦争なんて本当に嫌なものだ。あのような経験を二度と繰り返してはならない」という痛切な思いから、自浄的歴史観を醸し出して行った事自体は決して間違っていないと私は考える。かかる歴史観は、実は、慎み深く和を尊ぶ日本人的心情に根差していると思うからだ。

近年は、そうした自浄史観を自虐史観と呼び、声高に愛国を叫ぶ風潮も散見されるが、どうも私は好きになれない。そういうのは本当の愛国者のやる事でない、ここ日本では。と、思う。
日本というのは、もっと静けく清やかに愛でるべき国柄である。

ただ、元は自浄に発した態度が、いつしか見境をなくして自虐に陥るという極端症、これまた侮り難い弊害をもって戦後の日本人の思想を毒してきた傾向は否めない。かくして天皇は悪だ、害毒だと決め付けているうちに、テレビの時代劇に出てくる京都の公家はみな妖怪化してしまった。そうして相対的に、今度は武家こそ人民の代表などと錯覚されて今日に至る訳だが、思えば愚かな話である。

もはや、戦前とか戦後とかいういささか古ぼけた基準を超えて、新たな国意識を探るべき時に来ていると思う。

2005年04月25日

ポール牧氏を偲ぶ

ポール牧氏が亡くなった。報道によれば、酒と抗鬱剤をチャンポン飲みした翌日の自殺であったという。

氏は私にとって、不思議な芸人さんであった。
氏の事を、特別によく知っている訳ではない。「指パッチン」くらいしか知らない。
しかし、ブラウン管で時折見かけた折など、氏は奇妙に目が離せぬ存在であった。
こういう事を見抜く目だけは、私、人一倍敏感なのだが、氏は「何かやらかす顔」なのであった。
何かとんでもない事を、場合によっては平然と為しおおせてしまうような、ある種の妖気みたいなものが、氏の風貌にはいつもそこはかとなく垣間見えた。私はそんな気がする。

それが、自殺という不幸な結果に結び付いてしまったのであろうか。

愛する者とか、愛する表現とか、そういうものはなかったのであろうか。
死にたくなるという気持ちは、私の場合、はっきり言って判らないでもない。特に、うまい事ものが書けずに悶々としている時とか、主宰などという因果な稼業を始めたせいで人に嫌われ憎まれる時とか、あとは過去に負った心の致命傷なぞをふと思い出してしまったりとか、そんな時は私もそれなりに人生嫌になってみたりする。まあ、こういう事を書いていると自己憐憫めいてくるのでこの辺にしておくが、有り体に言ってそんな具合である。そういう時、昔は多少、薬なんかも飲んだりしたが、朧座が走り出してこの方、飲んでいない。薬を飲む前に、やらなければならない事が今の私には山のようにあるからだ。

今、私は生かされているのである。朧太夫として。
そんな私は、途方もない幸せ者である。
台本が書けぬだの、見渡す限り敵ばかりだの、昔の傷が癒え切らぬだの、そんな些事にこだわっている暇なんぞ、ありゃしないのである。

おそらく、他人の計り知り得るところを遥かに遥かに越えているのであろう。ポール氏の抱えておられた苦しみは。
心より、御冥福をお祈り申し上げる。

宝は日々の散策の中に

今日、皇居に宮内庁楽部の雅楽を鑑賞しに行った。昨年に引き続き、これが二回目である。
とは言え相変わらず、特段の感動は覚えない。私にとっては、あれは今を生きる芸術とは言い難い。
しかし、だからと言って、こういうものが世の中にとって全く無価値であるという事にはならない。いつか、こういうものを原材料に、今申楽ならぬ「今雅楽」を提唱する恐るべき才能者集団が出現しないとも限らない。そういう若き創造者たちには、文化財を芸術に昇華せんと欲する良心のあまり、宮内庁を敵に回して「破門」されたりせぬよう、老婆心より御忠告申し上げたい(否、いっそ破門されちまえとそそのかす方が正直というものか)。
ともあれ、前回に引き続き、絶滅を危惧すべき稀少な文化財として鑑賞。
笙篳篥などの音色は好きなのだが、それ以外には特に心に響く要素を見出し難いまま、終演後、雅楽の舞台や楽器をつぶさに見学していたところに、大学時代の先輩N氏と数年ぶりの邂逅を果たす。氏も、つてあってここに見えたらしい。
互いの近況報告などしながら、皇居内を散策する。氏は、芸術に造詣が深く、私としては是非にも朧座の旗揚げ公演を御覧戴きたかったお一人なのだが、残念ながら転居先がわからず御案内を差し上げる事が出来なかった。ために、思い余っていささか熱弁をふるい過ぎたかも知れぬ。先輩申し訳ありませんでした。
途中、三の丸尚蔵館にて「雅楽──伝統とその意匠美」なる展覧会が行われていたので、先輩と共に立ち寄ってみた。と、ここでようやく、思わぬものを見つけて心が動いた。
それは、ガラスケースに収められた「納曽利」という雅楽の面であった。
なぜ、どのように心動いたかという事は、今申楽次回作のいわゆるネタバレになる恐れがあるのでここには書かない。
ともかく、思いがけぬ知己との再会にせよ、創作の為のヒントにせよ、宝は日々の散策の中にこそ埋もれているのであった。

2005年04月26日

たぶん、信玄は喜んだと思う

先日、山梨は甲府・武田神社に薪能を観に行った。
昼過ぎに甲府駅に到着。開演までにはまだ時間があるので、武田神社の後方、要害山の麓にある温泉宿に足を延ばす。武田神社の祭神である武田信玄はこの要害の地に生まれ、この温泉で産湯をつかったという。また川中島の合戦で上杉謙信の越後勢を撃退し、甲斐に凱旋したとき、この温泉で傷病兵を治療させたのは有名な史実だそうで、これが「信玄公の隠し湯」と呼ばれる由縁なのだとか。
武田神社から徒歩40分。立ち寄り湯700円也。
あけびの湯と称する露天風呂からは、甲府盆地が一望出来、誠に気分が良い。

この度の薪能は、信玄公の神前に能を奉納したいという、地元の方々の長年の夢がようやく実を結んでの催しと聞いている。されば、信玄も愛でたという絶景の秘湯に浸かり、殿様気分を追体験しながら悠々と見所(能の客席)に赴くというのも一興であろう。

一風呂浴びた後、要害の宿から神社にかけての道のりというのがまた、花あり緑あり、路傍には名も知れぬ石仏ありと言った風情で、いかにも戦国の往古が偲ばれる。

何が言いたいかというと、能だけではなくて、能を含む全ての環境を、元来私は味わいたいのである。これは、都会の能楽堂などでは決して出来ない事なのだ。能楽堂とは周囲の環境から能を隔絶する為のバリケードであり、周囲の環境とは騒音と排気ガスとに塗れた現代の毒々しい殺風景を言う。
いみじくも、この度の能は「武田の杜 薪能」と銘打たれている。今宵の能は武田の杜に包まれて在る筈だ。

会場に到着して知ったのだが、この薪能には、信玄公の御子孫も実行委員として参画しておられるのであった。そして、この境内はちょうど武田氏の居館跡に当たり、記録によればその館には能舞台も設えてあったそうな。そういう場所に、今、火が赤々と灯されて行く。

さて、この日観た能の感想をここに申し述べる事は差し控えたい。
感動のあまり、うまく言葉にするのはちと骨が折れそうなのである。
小学生に本の感想など安易に書かせるのは間違いだと痛感した。人間、本当に感動したら、それをそう簡単に文章化出来るものではないのだと知った。
能のくせに、芸術であった。これだから名人という奴は性質が悪い。
一つだけ、記しておく。今申楽は、あの上を目指さねばならぬ。ちょっと大変かも(弱音)。

これは、楽屋におられた演者の方々よりも、むしろ見所で観ていた観客の方が、様々な点から賛成して下さるのではないかと思うが、私はあの舞台、ほぼ確実に、神々も観ていたと思う。
とにかく、そんな能であった。

今も昔も、百歳生きる人というのはさほど珍しくない。ある人が百年生きて死ぬ、その日に生まれた人がまた百年生きて死ぬ…そう考えて行くと、信玄などは、ついこの間の人物という事になってくる。
たぶん、信玄も、家臣達も、あれは相当喜んだと思う。

2005年05月06日

「能楽」ではなく「申楽」を

当サイトのコンテンツのうち、「今申楽 朧座とは」にいささかの加筆修正を行った。
要点を言えば、以前の文章から「能楽」色を消し、「申楽」色を前面に打ち出したという事である。

我々は、「能楽」ではなく、「申楽」を創って行かなければならない。

2005年05月12日

様式に精神は宿らない

能楽研究家の増田正造氏は、次のように述べている。
「下手な能はどうか。私にはこれがおもしろい。世阿弥用語でいう、われわれ『愚かなる目』の種族にも、文字盤が透き通っているある種の時計のように、能のからくりが見えるからである。」(『能をたのしむ』平凡社)
また、同じく能楽研究家の松岡心平氏は、次のようにも述べている。
「今の新作は、まだ、既存の能の形に当てはめただけだったり、崩したものを手探りで組み立て直しているという段階に留まっています。もっと根本的な能の組み換えがなされて初めて、能は大きく前へ進むのでしょう。」(『梅若六郎 能の新世紀 古典〜新作まで』小学館)

これらの人々は、未だに心のどこかで淡い期待を描いているものと、私の目には映ずる。
能は、やはり芸術であって欲しいという期待を。
彼らは、様式それ自体に能の本質を見出してはいないと思う。
「既存の型」にがんじがらめに縛られた(その最も象徴的なものは、役者の顔にピタリと張り付いた能面だろう)、その網の目のさなかに役者の「生」が垣間見えた時、能は初めて芸術たり得るのである。それを、結局彼ら信頼に足る能楽研究家は説いているのだと私は思う。

様式に精神は宿らない。そう、ある朧座衆は言った。全く、その通りである。

後輩Tの死相

先日、放送作家のW君と、とある居酒屋に飲みに行った時の事だ。
向こうの席で、会社員連中と思しい集団が飲み会をやっている。
ふと見ると、その飲み会の幹事と思しい男の顔に見覚えがある。
ああ、こいつは学生時代、同じ学科の後輩だったTではないか。
明るい性格で、人気者であった。威勢が良く、女性にもかなりもてるタイプであった。
なるほど、そのキャラクターは就職後も健在と見える。しかし、何年ぶりであろう。
あとで、奴に一声かけよう、などと思いながらW君と飲んでいた。

と、そのうち、私は思わぬ事に気が付いた。
Tが泥酔し始めたのである。
壁にもたれかかって前後不覚の体、そうかと思うと今度はトイレに長時間籠もって出て来ない。他の同僚達が心配している。
否、正直に言えば、心配しつつも、半ば敬遠しているかのようでもあった。
そりゃ、あんなガキみたいな飲み方をしていれば、敬遠されて当然である。

見ているこちらまで、ちょっと心配になってきてしまった。
「おい、T、お前飲み過ぎだぞ」と言ってやろうかと思っていた矢先、Tがトイレから出てきた。
そして、偶然フラフラと、私の席の近くまでやって来た。そして、正面から私の顔を見据えた。
何しろ泥酔しているから、私の顔を思い出す余裕などはない。
しかし、少しだけ、不思議そうな気配も感じられた。「どこかで見た顔…」と、最後に残った一抹の理性が訴えたのかも知れない。
が、そこまでであった。Tは宴会の終わった同僚達に抱えられて店を出て行った。

私は、Tに見据えられた時、「おい、T」と声をかけようと思った。
しかし、かけられなかった。あの泥酔ぶりでは、声をかけてもまともに応答など出来ないであろうという気持ちが働いたからだ。
あと、もう一つ。
間近に見てようやくわかったことだが、Tの顔は、完全に生気を失っていた。
あれは、ただの飲み過ぎでそうなったというような表情ではない。
一種の死相である。おそらく、今の生活に生きる喜びを見出してはいないのだろう。
学生時代、この男に漲っていた覇気は、もはや片鱗もうかがえない。
この数年、この男の辿った道がおおよそ看取されてしまう、可愛そうだがそんな顔であった。
そんなTの変貌ぶりに、私は思わず口をつぐまされたのである。

Tが心配である。元気になって欲しい。

2005年05月16日

怒り

先日、作曲家のO氏から戴いた言葉。

「自由なよそ者の私達はいずれにせよ、いつか独り立ちせねばならないのだという事ですよね。きっと。」

はい。そういうことだと思います。
岡本太郎氏の言葉(『今日の芸術』光文社)を借りて言えば「まったく縁もゆかりもない、一筆だって協力したわけでもない古典の名作を自分の権利のようにして言いがかりをつける」「他人のフンドシで相撲をとる根性」の世界の人々に、新作の苦しみがわかってたまりますか。

私は、「今」というものに、責任をもって対峙して行きたいと思う。「今」を生きる一員として。

「休ミツツ 前ヘ進メ」

先日、四谷の天窓comfortにライブを聴きに行った帰り、その近くのたいやき屋(わかば)でたいやきを食す。こじんまりとした店の前には、相変わらず行列が出来ている。良いなあ、こういう商い。見習いたい。
さて、風邪気味で頭が鈍っているのであろう、風邪薬をcomfortに置き忘れて来てしまった。後日、取りに行く。今度は、その近くのうどん屋(のらや)で釜揚げうどんを食す。ここに入るのは初めて。味も美味かった、が、とにかく店の内装が凄かった。素晴らしい。こういう小屋が欲しいなあ。

さて、風邪で体調が優れない。珍しく、声が出なくなってしまった。
声が出ないと、なんだか気まで滅入って来る。
邪気を祓わんと、いつものように近所の神社にお参り。二礼、二拍手、一礼、そしていつもの「朧太夫祝詞」を心内で唱える。朧座武運長久、朧座衆武運長久、朧太夫武運長久、今申楽武運長久…
と、その瞬間、例によって神木の葉がざわめき、一文のメッセ−ジが心に届いた。

「休ミツツ 前ヘ進メ」

2005年05月23日

クオリティーの高い夢

先日以来こじらせていた風邪が、ようやく治ってきた。
この間、医者からもらった風邪薬を飲み続けていたのだが、この薬、医者によれば「人によっては多少眠くなるかも知れません」との事。で、私の場合、これがもろに眠くなるのであった。

ある日、例によって服用後猛烈に睡魔に襲われ、倒れるようにして寝入った折に観た夢の内容。
どういう訳か、とある知人を刺し殺し、血塗れの庖丁を握ったまま意識朦朧と街を彷徨っているところ、それを見かけた通行人が警察に「おまわりさん、あの人、血塗れの庖丁持ち歩いてます」と知らせてその場で御用と相成る。ああ、これで朧座も終わりだ、家族も破滅だ、などと今更のように思っているところ、不意に目が覚めるというもの。
あまりのリアルさに、もう体中グッタリとなっている。「とある知人」を刺し殺す理由などは全くないのであって、そこは現実からかけ離れている(しかし潜在的には殺意がたまっているのか?)のだが、ここで言うリアルというのはそういう事ではない。訳もわからず相手をメッタ刺しにしている時のテンションの高さだとか、その後彷徨い歩く街の景色だとか、「おまわりさん、あの人…」と向こうの方で小さく聞こえる声の感じだとか、それを聞きつけてやって来る警官の表情だとか、それを見て私が心に思い浮かべる内容だとか、つまり「発作的殺人から逮捕に至るまでの一連の心象」が、物凄くリアルに描かれているのである。
緻密で、クオリティーが高いのである。

私は、たまにこういう、いささかアブナイ夢を観てしまう。こんな事なら寝なきゃ良かったと真面目に思う。
これを読んだ皆さん、どうか私を避けないで下さいね。

2005年05月27日

朧座衆募集のお知らせ

この度、私ども今申楽 朧座は、今後の公演活動に向けて新たな人材を募集する事と致しました。
詳しくは、朧座衆 募集要項を御覧下さい。

申楽という言葉は、平安時代からありました(もっとも、当初は「猿楽」という表記が使われていました。「猿」の字を嫌った後世の役者達が、「申」の字を用い始めたようです)。
本質的には、寺や神社の境内などで、演者・見者が一体となり、神仏に感謝の意を込めて奉納する芸能であったろうと思われます。
その本質は、しかしいつしか、「申楽」という名と共に忘れ去られて行きました。
そして今、現代に生きる私達は、現代に生きる申楽を創造したいと考えています。
「今申楽」──今の世に相応しい申楽を再興したい、と。

その為には、「今申楽」を共に創って行ける同志の存在が、どうしても必要です。

今申楽の三文字を見て、何かを感じた方。
我、朧座衆たらんと思う方。
この先の道のりを、共に歩んでみませんか?

経験不問。今申楽 朧座一同、たくさんの御応募をお待ち致しております。

2005年06月06日

良いものを創るという事・作品は全体で一個であるという事

以前舞台で御一緒した俳優・金澤眞氏の勧めで、氏が御出演の映画『オトコタチノ狂』(ジョイ・イシイ氏原案・脚本・監督)をシネアートン下北沢に観に行った。好評につき、再上映が決まった作品なのだという(以前の上映時は、仕事で観に行けなかった)。
観て、思った。これは間違いなく名作である。映画館が、とてもこれはインディーズの枠に収まるようなものではないと判断、特段の厚意をもって再上映に踏み切ったという話も誠によくうなずける。
ことほどさように、良いものを創っていれば、自ずから周りがそれを放ってはおかないのである。
良いものを創る。先ずはただその一事をこそ、私ども物の創り手は心がけるべきである。

今一つ、この映画を観終わって思った事。
これは確かにカタルシスという奴であろう。呆けたように、しばらく席を立つのも忘れていた。
そしてそれはこの映画が、その全編をもって、私の心に為しおおせた業なのである。
カタルシスとは、本来、そういうものなのだという事を、改めて強く強く感じた。

欲を言えば、ここはこうすればもっと良くなったのではないか、というようなささやかな注文が、全くないとまでは言わない。しかし、それは瑣末に属する内容である。
つまるところ、作品は全体で一個である。ここはよかった、あそこは悪かった、などというのは、実は既に作品としての格を失しているのである。

例えるならば、御飯だけ、おかずだけ、味噌汁だけ、漬物だけ、優れていたって仕方がないのである。
全てが揃って、初めて優秀な定食たり得るのだ。

ともあれ、良い機会をお与え下さった金澤氏に、心より御礼申し上げたい。

2005年06月07日

「神仏」という語をめぐって

現在、今申楽 朧座は、新人募集に向けて動き始めている。
で、そのお知らせの文章について、ある朧座衆から貴重な意見をもらった。

「この文章の一番の本質は、

そして今、現代に生きる私達は、現代に生きる申楽を創造したいと考えています。
『今申楽』──今の世に相応しい申楽を再興したい、と。

というところの、朧太夫の考えを表明することにあると思います。
なぜ今、申楽を創造することが必要なのでしょうか?
もしくは、上記の説明が出来ないとしたら、今申楽が現在必要と思った動機は、どこにあるのでしょうか?

またここで、動機や理由を書くときに気をつけなければならないのは、『神』や『仏』に関わる文言や思想の使い方です。
神仏を公の場で引き合いに出すときは、細心の注意が必要です。
感覚の鋭い方ならすぐ分かるとおり、どう気をつけてもある種の政治性や宗教性を含んでしまい、誤解を生みかねないからです。
神仏の話すら満足に出来ないというのは申楽では致命的かもしれませんが、日本の演劇界というより社会全体がその種のことに過敏に反応し非寛容であるだけに、仕方ないように思います。
ここをいかに一般的な表現で、誤解の生じない形で説明をするか、という点を求めたいところです。」

概ね、このような意見である。
そうなのだ。全く、この座衆の言う通りなのである。
今申楽の必要性、存在理由、または動機を説明しようとすると、どうしても、どうしても、「神仏」は避けて通れぬキーワードとして今の私の中では浮上せざるを得ないのである。私は、お知らせの文章中、申楽についてはっきりと「本質的には、寺や神社の境内などで、演者・見者が一体となり、神仏に感謝の意を込めて奉納する芸能であったろうと思われます」と述べてしまっている。
この度は、包み隠さずに行こうと考え、敢えて正直にそういう言葉を使った。それが誠意であると考えた。
しかし、同時にそれは誠に語弊を招じやすい、リスキーな物言いでもある訳だ。

日本は、いつから、神仏をそんな色眼鏡で見るような国になってしまったのか。

ああ。やっぱり、一言で言うと、そういう事なのだ。

座頭覚書

今申楽を、創りたい。「今」の、「申楽」を。
歴史的に見れば、かつて申楽は、能と狂言とに分立の道を辿った。
が、元は申楽という、渾然一体たる芸能であったろう。
それは、能狂言面の歴史をひもとけば、自ずから諒解されるように思われる。
草創期の申楽面には、能面とも狂言面ともつかぬものが少なくない。
(現在伝わる能・狂言にも、狂言に近い内容を持つ能や、能に近い内容を持つ狂言が中には見受けられるが、これらは申楽時代の雰囲気を今に伝えるものではないかと思う。)
では、能と狂言とに分立する以前、草創期における申楽とは、いったいいかなる芸能であったのか。

しかも、それを昔の姿に復元するというのではなく(そんな事は学者にでも任せておけば良い)、「今申楽」なる名を冠するに相応しい新芸術を、我々朧座は創造して世に問うて行かねばならないのだ。

一つ、ここに座頭として願うところを率直に申し述べるならば、表方、裏方、そして観客、今申楽という名のこの催しの為にお集まり下さる全ての方々のかけがえのない尽力によって、最終的にこの催しがいかなる像を結ぶにせよ、それは本来の意味でのマツリに属するものであって欲しいと思う。
別に、目に見えぬ存在、この世ならざる存在を、劇場に直接呼び出すというような事が目的で行うわけではない。
そうではなく、この催しに関わった全ての人間が、一時なりとも彼らの魂に思いを致す。
その為のよすがとなるような、そんな良い意味での「素朴な思い出し」でありたいのだ。

そして、この覚書を、ことさら色眼鏡で見ようと欲する現代日本人に、私は心から問いたい。
あなたは、何の為に、正月初詣をしたり、お盆に墓参りを済ませたりするのですか。

2005年06月10日

御利益?

先日、行きつけ(?)の近所の神社にお参りしたところ、普段見かけぬものが賽銭箱の傍らに置いてある。

「大祓形代」(形代には「ひとがた」と振り仮名あり)

と大書された封筒の束。一つ、戴いて帰ってきた。中には、まだ開けてはいないが透けて見える、紙製の「形代」が入っているのであろう。封筒の裏に、解説文が認めてある。

「大祓は昔から毎年六月と十二月の二季に行った儀式で、お互が知らず識らずに犯した罪穢を払い除き真に清々しい気持で各自の勤めに精励し一家の幸福はもとより人類全体の繁栄を増進せんとする意義深い清神的神事であります。即ち家にあっては大掃除、人にあっては大祓、大祓は実に人の心の塵埃の御清めです。(後略)」

そうか、大掃除か。確かに、日本は理よりも情、物事より人間関係が先行しやすい鬱病民族、甘えの国である。そこでこういうシステムが必要となってくる訳か。
私も、この形代に日頃たまった垢をなで付け、祓い棄てて戴こう。

そう言えば、目下私のパソコンの周辺は、今申楽次回作『修禅寺』第一稿を上げる際に用いた文献やら資料やらがうずたかく積まれ、あるいは途中で崩れ、散らばり、誠に累々たる有様である。
(しかも、パソコンの中身が、これまたのっぴきならぬ状況を呈している)
思えば、脱稿から早二ヶ月。そろそろ、次なる段階を視野に収めるべき時期に入りつつあるのかなあ、などと思っていたところであった。
「台本」から「戯曲」へ。第一稿の問題点を一つずつ検討し、より良く質を高めて行かねばならない。

なんとかせねば。そうだ、先ずは整理をしよう、整理を。

帰宅して、ふと気が付く。
携帯電話が、ない!
再び近所に繰り出し、失くしたと思われる箇所を片っ端から訪ね歩く。しかし、ない、ない、出て来ない。
そそっかしい性格ではある。しかしここまで本格的に携帯電話を紛失するというのは、生まれて初めての経験であった。
警察に遺失の旨届け出た後は、もはや万策尽き果てて、再び家に帰ってきた。
喪失の感、徒労の念、実に止み難いものがある。
と、先にパソコンの傍らに置いていった封筒の四文字が、ふと私の目に映じた。

「大祓形代」

ま、まさか…

2005年06月20日

夢売り屋の仕事

関西の大学に通って文化政策学を学んでいる朧座衆が、彼の地で催されたとある演劇を観て、そのレポートをメールしてくれた。
以下は、それを読んで私が返信した内容を一部抜粋したものである。

「わけが分かる、あるいは、わけが分からないなりに圧倒的魅力がある、そんな作品が創りたいと私は思います。もっと直接、観ているそばから爆発的に感動して戴けるような作品を、朧座は追求して行きたいと。
正面から素直にお客様の心に迫ろう、お客様の心を捉えようという覚悟なくしてせっかくの工夫を重ねてみても、それは所詮、奇を衒っているとの謗りを免れない気がします。『ちょっと新鮮な感覚』で終わってしまうのではないでしょうか。
そういう衒学的態度で一部の見巧者自認者たちの目を騙す事は出来ても、一般の観客を真に心から感動させるというのは、そうたやすい事ではないと私は思うのです。 
(これは、現在の能楽についてもほぼ同じ事が言えますね。能楽だって生きている、現代的工夫を重ねながら歩んでいると擁護者達は言いますが。)

我々は夢売り屋なのです。日頃、辛い現実を生きつつ、縁あって劇場にお運び下さったお客様を、一時の間、夢の世界に拉し去らなければならないのです。そして、『ああ、こんな世界もあったのか、それじゃあ明日からも何とか生きていこう』というお気持ちで帰路について戴いて、初めて夢売り屋の本当の仕事たり得るのです。演劇の未来を信じられない者たちのやる演劇が、本当にお客様それぞれに、明日を生きる勇気や希望を生み出し得るものなのでしょうか。」

2005年06月21日

続・夢売り屋の仕事

前回、私がある朧座衆に送ったメールの内容を一部抜粋して御紹介した。
以下は、二通目に送ったメールの一部抜粋。言わば、前回の続編に相当するもの。

「むしろ、簡単にわかってしまうようなものでもいけないのかも。
芸術たるもの、『なんだ、これは!?』って、分類不能・分析不能の大パニック状態に、鑑賞者の感覚を陥れるくらいでなければいけないのかも知れません。これ、尊敬する岡本太郎の言葉から学んだ事なのですが。

それが岡本の言う「爆発」にまで、到達していたかどうか。
それを鑑賞する事で生がグラグラ揺さぶられて、この芝居を観たか観なかったかでその後の人生が少なからず違ってくる、そのような性質を帯びた出し物であったかどうか。
そこに、興味があります。

世阿弥の言う『花』というのも、『爆発』に近いのかも知れないなあと、今、思いました。
ほとばしる圧倒的な力。否応なしに人の心に何かを刻み込んでしまう力。
それが、植物のパーツで言えば花であり、化学反応の種類で言えば爆発なのだという事なのではないでしょうか。

(創り手としてここに密かな本心を言えば、花とか爆発とかいう形容の似合うものを創るには、やはり、苦労が伴います。しかし、そこをなんとか突破しなければならないと思うのです。)」

つまり、それが我々の売るべき「夢」というものの本質なのではないか。

何故、いささか声高に私がこういう事を問いかけるかと言うと、現代というのは夢の力が衰えかけている時代なのではないかという疑いをどうしても禁じ得ないからである。
今の時代に生きていて、夢売り屋自身が夢の価値を下げているような事態に遭遇する事、しばしばだからである。

類似品に御注意

去る5月20日、「今申楽 朧座」は、正式に商標登録が確定した。
既に特許庁の小川洋長官より登録証も授与戴いている。

これにて、明治の御世、「猿楽ノ名称字面穏当ナラザルヲ以テ」(『能楽社設立之手続』)華族らに打ち棄てられたサルガクの一語を、我が朧座が有難く、法的にも継承の運びと相成った事、ここに謹んで御報告申し上げる。

私ども朧座は、天から授かったサルガクの一語をいとおしみ、しかもそれにイマの一字を冠するに何の躊躇もない芸術を創造して行かねばならぬ。

さて、御存知の通り商標登録なるもの、いくばくかの料金を特許庁に納める事となる。
これが、恥を忍んで申し上げるが、私どもの如き駆け出しにとっては、決して安い額ではない。
にもかかわらず何故、申請に踏み切ったか。
言うまでもなく、「今申楽 朧座」を守らんが為である。私どもの大切な大切な売り物の名を。

昨今、「今申楽 朧座」をそっくり真似たと思しい興行が、あちらこちらで散見される。
悲しいかな、いずれも、はっきり言って朧座の敵ではない。しかし、それでも、朧座の類似品と見なされかねないような者達にそこらを徘徊されては甚だ迷惑である。朧座をまだ観ぬ方々に「きっとこの程度のものか、朧座も」などと誤解を招じては誠に安からぬ事である。
くれぐれも、類似品に御注意戴きたい。

2005年06月25日

藤原センセイに思う

近頃、朝日新聞を読むと思う事がある。
いしいひさいち氏の四コマ漫画『ののちゃん』に、藤原センセイなる小学校教諭がしばしば登場する。
主人公ののちゃんらのクラスの担任なのだが、このセンセイ、漫画に描かれるところを見る限り、実にすこぶるやる気がない。私は、このキャラクターが登場人物中最も好きなのだけれど、実は最近、これが素直に笑えなくなってきたのだ。
藤原センセイのような存在が、冗談では済まされない世の中になってきているように感じるからである。

学校の先生だって人間であり、時にはミスもする。藤原センセイは、言わばその象徴のようなキャラクターだ。
しかし、それは「学校の先生たる者、そうそう簡単には失敗などやらかさない。しかし、それでも、人間であるが故に時にはミスも犯してしまうのだ」という大前提のもとに、初めて健康な共感を、そして笑いを誘い得るものなのではないか。ののちゃんの学校の先生全員が全員、藤原センセイみたいな問題教諭である筈はなかろう。藤原センセイにしたって、漫画でこそ問題言動ばかりがことさら強調されてしまっているが、根本は至ってまともな教育者であるに違いない(と、信じたい)。

しかし、現今の時世は、それを戯画中の一こまとして笑い飛ばす事を難しくしつつあるのではないか。
先に述べた大前提、すなわち社会に本来存するべき「けじめ」が失われつつある気がするのである。

作者のいしい氏には、たまには立派な「藤原先生」も描いてやって戴きたい。
「藤原センセイ」の方は熱を出して学校を休んでしまうかも知れないが…

2005年06月28日

最後の晩餐

うう、暑い。暑くてならぬ。
今夏はまだ一度も事務所の冷房を入れずに来ている。今少し、踏ん張りたい。
しかしこの暑さ故、まともな文章が書けるかどうか、甚だ心もとない。
が、忘れる前に、是非ともここに認めておきたい事がある。

先日、私は積年の懸案であった禁酒断行に晴れて踏み切った。
この日の昼、鎌倉長谷寺に参詣。釈迦如来に不飲酒を誓願。
そして夜、行きつけの近所の居酒屋にて一人、ついに最後の晩餐を全うしたのであった。

今後、朧太夫が酒を飲んでいる光景に出くわしたらば、遠慮は御無用。張り倒してやって戴きたい。

台本の上がりが、これからは一日くらい早まるのではなかろうか。

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2005年06月29日

いかに無心になれるか

先日、朧座衆S氏(制作部)が運営に携わっている日本舞踊の会を拝見して来た。
で、関係者の方々のお誘いに甘えて、打ち上げにも参加させて戴いた。
こういう場が、実に色々と勉強になったりするのである。今回も例外ではなかった。
気付いた点を二点ほど。

一つ目。
S氏は、すすんで朧座の事を関係者の方々に宣伝して下さった(Sさん、有難う御座います)。
で、「イマサルガクって、何?」という問に対し、S氏は何のためらいもなく「現代能です」と答えていた。
なるほどなあ…と、思った。
S氏は舞台芸術に造詣が深い。日本の伝統芸能百般にも精通している。
私が、いわゆる本職の能楽師ではない事なども、もちろん先刻御承知だ。

氏は、「能」を、観世流とか宝生流とか言った家元制度の独占芸能の一種を言うのではなく、もっと緩やかで幅広い語として用いているのである。
私は、このナントカ流とやらの世界のうるささ、みみっちさ、穴のあなの小ささを多少知っているので、彼らに遠慮して「能」という言葉を最近は使わないようにしていた。
しかし元はと言えば、このS氏の使い方の方が、正統的用法なのである。「能」はもともと、広く芸能を意味する語であった。また後に、狭義には観阿弥世阿弥らの演劇を指すようになり、さらに降って観世流宝生流といった流儀が確立された後も、各流のいずれにも属さぬ「辻能」なる各座が存在していた。言わば非公認の演能集団である。
「能」という語は、実は本来、これほど広い裾野を持つ言葉なのだ。してみれば、観阿弥父子(結崎座)の演劇を申楽能と称するように、朧座の演劇を試みに当今の申楽能と呼んでみても、そこには日本語の用法上、何ら誤謬はないという事になる。
むしろ、「能」を各流の独占物と見なして疑わぬ浅見こそ、「能」本来の語義を著しく矮小化し、ひいては「能」という語の歴史を冒涜するものとさえ言い得るであろう。

私は、「現代能」なる形容、そこらのエキセントリックなチンピラ能楽師が好んで使いそうで、好きではない(彼らの場合、まずたいてい、狭義の「現代能」で終わる。ナントカ流ワールドの限界を越えられない)。
しかし、発想を転ずればこの言葉、簡潔にして明快、誠に分かりやすいのだ(我々は広義の「現代能」を志向してこの語を用いる事になる)。
しかも、この場は日舞の会の打ち上げであって、能楽師は不在。遠慮は無用という訳なのだった。

二つ目。
最近とみに思うのだが、結局、「能」だろうが何だろうが、そんな事は私にはどうだって良いのである。
日本人はやたらに自国の芸術をカテゴライズしたがり、さらにそれを流儀化し家元制度化して、そこに職人的専門性を見出す事を美徳としている(もちろん、この時点で芸術性は失われている。芸術とはそういうものではない)。
が、根本は、本来同じものなのではないか。やはり、同じ芸術なのだ。

それを改めて私に痛感させたのが、この打ち上げの席上、とある日舞の大師匠が発したスピーチの内容であった。

「結局、舞台の袖に立った時、いかに無心になれるか。芸能というのは何でもそうです」

2005年07月05日

梅雨時に芝居をやる時は

近所のスーパー(クイーンズ伊勢丹・杉並桃井店)で夕飯を買っていたら、雨が降って来た。降らないだろうと思って傘を持たずに来たのだが、当てが外れた訳である。
これだから梅雨時は困る。仕方がないので傘を買おうしたら、店員が「傘ならお貸ししてますよ」と言う。
案内された一角には、ちゃんと貸出用の傘と、借用者名簿が用意されていた。
私はビックリして、これはこのスーパー全店舗で行っているサービスなのですかと問うたところ、杉並桃井店が独自に行っているとの事であった。

すごく嬉しかった。こういうサービスをされたら、またこの店に来ようという気に誰でもなるのではないか。

梅雨時に芝居をやる時は、劇場に何本か傘を用意しておくのも一案だなあと思った。

2005年07月12日

朧座衆募集 締切迫る

この度、私ども今申楽 朧座は、今後の公演活動に向けて新たな人材を募集する事と致しました。
詳しくは、朧座衆 募集要項を御覧下さい。

申楽という言葉は、平安時代からありました(もっとも、当初は「猿楽」という表記が使われていました。「猿」の字を嫌った後世の役者達が、「申」の字を用い始めたようです)。
本質的には、寺や神社の境内などで、演者・見者が一体となり、神仏に感謝の意を込めて奉納する芸能であったろうと思われます。
その本質は、しかしいつしか、「申楽」という名と共に忘れ去られて行きました。
そして今、現代に生きる私達は、現代に生きる申楽を創造したいと考えています。
「今申楽」──今の世に相応しい申楽を再興したい、と。

その為には、「今申楽」を共に創って行ける同志の存在が、どうしても必要です。

今申楽の三文字を見て、何かを感じた方。
我、朧座衆たらんと思う方。
この先の道のりを、共に歩んでみませんか?

経験不問。今申楽 朧座一同、たくさんの御応募をお待ち致しております。

2005年07月15日

「いまどき」のヒーロー像に物申す

MSN Japanによれば、今秋、『仮面ライダー THE FIRST』と題する映画が公開されるらしい(詳細)。悪の組織「ショッカー」の幹部役で出演しているという辺土名一茶氏が、「仮面ライダーとして参加したかった。羨ましいなと複雑な気持ち」などと記者会見で冗談を披露している。
否、辺土名氏本人は冗談のつもりかも知れぬが、実は冗談では済まされぬものがあるのではないか。
というのも、私の目にはどうしても、主役(仮面ライダー1号・2号)の方々よりはまだしも辺土名氏の方がライダー役に近いのではないかと映じてしまうのだ。

根本的真理として、そも仮面ライダーとは屈強の猛者であらねばならないのではないか。私はそう思う。
しかるに、この度の主役のお二人は、正直なところあんまり腕っ節が強そうには思われないのである。彼らよりむしろ辺土名氏の方が喧嘩が強そうに見えるのだ。少なくとも、もしも私が女子供であれば、彼らよりも辺土名氏を頼る。

この映画に限った事ではないが、「いまどき」のヒーローはアイドル的な整った顔立ちであるという事がむやみやたらに優先され、強そうに見えるか否かという事は二の次に置かれるらしい。アイドル好きな母親達と制作会社とが、あるべきヒーロー像の秩序を崩してしまったのであろう。老婆心ながら、昨今のあんなモヤシみたいなヒーローもどきを見て育つ子供達の将来が案ぜられてならない。

「いまどき」なるものを無批判盲目的に過信して、壊してはならないものまで壊してしまう。
ヒーローは悪と戦い抜くために強くあらねばならぬ、そのヒーロー役に細身の美形を配してしまう。
これを要するに、ミスキャストであり、古き良き伝統に対する悪しき無理解であり、「ヒーロー物」の何たるかを本腰入れて考えぬ怠慢とまで断じては、いささか口が過ぎようか。
考えても見れば、これらの事全て、今申楽 朧座旗揚げ公演における反省点とも相通ずるものがあるやに思われる。人のふり見て我がふり直せという事か。

悪役には悪役の醍醐味がある。今秋の映画、辺土名氏には思うさま悪の華を咲かせてやって戴きたいし、また1号2号のお二人には、会見の様子からは想像もつかぬ名演技で彼奴ら悪の一味を粉砕し、この昔気質なヒーローファンを一発黙らせてやって戴きたいと密かに願うのである。

2005年07月18日

ある虚構を真に賞味せんと欲すれば

かつて、私はさる大学の日本語日本文学科に数年在籍していたのだが、そこはどこまでも「解釈」と「分析」とが重んぜられる世界であった。
例えば本当に『源氏物語』というような文学を研究しようと思うのであれば、京都に引っ越して宇治に数年住んでみるとか、明石や伊勢まで実際に歩いてみるとか、比叡山で修行してみるとか、そういう事の方が私は大事だと思う。あるいは、世にも上等の恋をして、男を磨く、女を磨くというのもあの物語の読み手としては一見識であろう(こういう事に私がとかく言う資格はないけれど)。そうして、あの物語に登場する男女さながら、調べ優しい恋歌の一つや二つ、さらりと自然に口をついて出てくるようになれば、これはいよいよ資格十分という事になるのではないか。
ともかく、図書館にこもっている暇など、あまりないのではないか。それが、私が「国文学」に対して抱いた最大の疑義であった。

ある虚構を真に賞味せんと欲すれば、早その世界の住人となってしまう事。
そこが要諦であろうと信ずるのである。
そこで私は、申楽を大学の図書館に学ぼうとするより、朧太夫と名乗り朧座を率いて、現代に今申楽という名の新しい芸術を創ろうと心に決めたのであった。

2005年07月24日

余計なお世話

とある知り合いの劇団から頼まれ、公演の受付周りをお手伝いがてら本番も観て来た。
うーむ…ああ、もったいない。
中には力のある役者さんもいて、よく奮戦していると思うのだが…ああ、もったいない、もったいない。
もったいないお化けとやらが出るのでは。

ゲッソリして帰って来た。
他所さまの芝居なんぞにあんまり情が移ってしまうのはすこぶる危険であるなと痛感。
言うなれば人妻に惚れるようなもんである。
ああ、いかん。一体何をくだらん事を書いているのだ。
精神衛生上、実に実に宜しくない。

ひとつ滝にでも打たれたい心境である。

返す返すも、もっと愛してやれば良いものを…。
作品を。共演者を。そして自分を。
自分の演ずる役と、自分という演技者とを。
ま、お人好しもこの辺にしておこうか。私は朧座の主宰、朧太夫。

何やら、書いているうちに悲しくなってきてしまった。
柄にもなく、深く溜息をついてみる。

2005年08月02日

ク・ナウカ『王女メディア』を観て

Wさん

こんにちは。昨日、朧座衆の一名も誘ってク・ナウカの千秋楽を観て来ました。
私の場合、どうしても作り手の目で見てしまいます。
(これってやや悲しい気もしますが、もはやどうにもなりません。まあ、そういう醒めた意識を束の間忘れさせてくれる作品との出会いを求めているという事になりましょうか…)
従って、感動一辺倒という訳には行きませんでしたが、さすが大先達劇団、学ぶところ思うところは多々ありました。

残念ながら中盤、動きの女優と語りの男優のテンションが合っていない箇所があり、女優にかなりムカついたり(これ、人間浄瑠璃なら致命的だと思うのです)、千秋楽のせいか終演後の役者の挨拶がやたらサービス過剰でしつこかったり(これは観客にも責任がありますが)。
しかし最も感じた事は、自分の産んだ息子を殺して悠然と去ってゆく母、こういう人物造形に、私はついに全くリアリティを見出せなかったという事です。それにもし仮に脚本・演出・俳優等の力量によってこれがリアリティを持ち得ていたとしても、私はおそらくそこに共感する事はないのではないか。そう思わざるを得ませんでした。
だって、日本人の女はそんなえげつない事しませんもの…。

日本に生まれて良かった。あの作品に対し、こういう招かれざる感想を抱いてしまうところが私の厄介な性分であります。

思えば北条政子もまた、「我が子を見殺しにした」「いや、自ら手にかけた」などと一部の人々から言われておりますが、改めて、私どもに課せられた責任は重大である事を、思わぬところで再確認させられました。
僭越を承知で断ずれば、朧座はとにもかくにも大先達ク・ナウカによる大古典『王女メディア』を凌駕する作品を是非とも産み出さねばなりません。
と、そこのところを今一人の座衆と確認しあって、帰路につきました。

読み返せばひねくれた物言いの数々、どうかお許し下さい。Wさんならきっと笑いながらお読み下さるだろうと思いまして…

朧太夫

2005年08月04日

つまらなさそう

昔、私がまだ幼かった頃、父にこっぴどく叱られた事がある。
とある本の題名を見て私が「つまらなさそう」と感想を洩らしたところ、「内容も読まぬうちから決め付けるな」と雷を落とされたのだ。
ちなみにその書名、『路傍の石』と言う。いざ中身を読んだところ涙が止まらなかった私は、いたく己の不明を恥じたものだった。

さて、そんな苦い経験を持つ私ではあるが、それでも言わせて戴こう。
井沢元彦氏の手になると言う新作能『桐葵』、これはきっとつまらないに違いないと。
かつて瀬戸内寂聴氏は新作能(『夢浮橋』)を手がけた時、能に造詣の深い知人に「それだけはやめておけ。晩節を汚す事になるから」と諌められたそうだが、ことほどさように「新作能」なる催しは作家をして満天下に恥をかかせる悪行であるのだろうか。
井沢氏の『逆説の日本史』シリーズを読んでいると、時折卓見を展開されているやに思う箇所もある。
しかしどうも、この度の『桐葵』、あらすじを読んでいると、氏の歴史観を今度は新作能に託して開陳しようという魂胆が見え隠れしている。とまで断じてはいささか穿った態度に過ぎようか。
いや、この際氏の歴史観云々はどうでも良いとして、このあらすじ、ただ単純につまらなさそうである。

私が大阪城をネタに新作能を書けと言われたら、(今のところ大阪という土地にシンパシーを持ち合わせていないので先ずは丁重にお断りするが、どうあっても書け、さもなくば家族を殺すと脅されたら)仕方がない。夏の陣の後、壊滅炎上した城の跡地、ちょうど太閤殿下御愛用の能舞台のあった辺りから、夜な夜な笛や鼓の音が風に乗じて聞こえて来るとの噂が立つ。ある夜、京の都から一人の尼僧が人目を憚りつつ彼の地を訪い、密かに読経を上げている。と、いつしか彼女の眼前にはかつて見た能舞台が現出、俄かに幕が揚がって煌びやかな面装束に身を包んだシテ(能の主役)が躍り出る、太刀を振るって敵の明智勢を討ち果たす武勲を謡うその声は、懐かしいそのお声は…「まんかか様、殿下にあらせられまするぞ」そう尼僧の耳元で囁くのは、おお、見ればこれも懐かしい顔ぶれ、先に滅んだ豊臣家恩顧の大名どもではないか。見所(観客席)の向こうには、秀頼君、そして相変わらず小癪な茶々の顔までもが…
シテは明智を討ったる後、あっぱれ天下人となって尼僧にかく謡いかける。「浪花のことも 夢のまた夢…」
と、舞台も失せ見所も失せ、役者も見物も皆夢の如くに消え失せて、一人件の尼僧だけが彼の城址に残されるのであった。完。

やれやれすっかり脱線してしまったが(ゴメンナサイ)、とにかく私が言いたかったのは、
「題名とかあらすじとかチラシとかを見て、『つまらなさそう』くらいの感想は言わせてもらっても良いのではないか」
と言う事である。演劇は観てみないとわからない、故に看板の果たす役割は大きいのである。
そも日本の演劇には看板にちっとも神経を払わぬというところが多過ぎると思う。
従って、宣伝美術にそれ相応の気を使っている劇団には一定の敬意を表するし(しかし一方ではそんな事当たり前の話ではないかという気もするが)能のチラシなんかは私、口が悪くて申し訳ないが、他人事ながら本当に気恥ずかしくなるような資源の無駄遣いがほとんどで、能楽堂で私が一体どういう顔をしながらかかるチラシの一群を手に取って眺めているか、ひとつビデオに収めて関係各位に御高覧戴きたいものと痛感する。好意一辺倒のお弟子の御婦人方だけではない、世の中には根性の曲がった悪質な客もあるのだと言う事を知って戴きたいのだ。

言い過ぎであろうか。正論は時に人を追い詰める。

要は『路傍の石』さながらに、幼い私を黙らせて下されば良いのである。看板から中身の質の高さを読み取れぬ、この目の利かぬ幼稚千万な私を。

もっとも『路傍の石』は今見れば素晴らしい題名だと思うけれども、『桐葵』なる題名の良さがわかる日が将来私に訪れるかどうかはちと怪しい。ついでにも一つ意地悪を申せば、この題名このあらすじで実際に本番に足を運ぶかどうかとなると、さらに怪しい。遠いし。

2005年08月06日

どの駅も同じ発車メロディーではつまらない

朧座制作部より「日々朧々、このところネガティブな話題が続いていますねえ」と、感想とも軽い警告ともつかぬ声が聞こえてきた(ちなみに制作部判断でお蔵入りとなったエントリーは過去2、3回ある)。いざ読み返してみれば、我ながらいかがなものかと思われる憎まれ口の数々ではあるが、はっきり言って根がネガティブなのだから致し方ない。そもそも「今申楽」という発想自体、現状に対する極めてネガティブな眼差しに端を発しているのだから。そうは言っても、今日立ち読みしてきたビジネス関係の古本にもこんな事が書いてあった、「人の悪口を言うのは止めましょう」と。だから、という訳でもないが、今回はポジティブに行く事にする。

以前私はJR蒲田駅で感動した事がある。発車メロディーが、あの素晴らしい『蒲田行進曲』なのだ。
それはもう、階段から落っこちるくらい感動した。なんて乙な趣向であろう。
ああいう遊び心を持ち合わせた駅がもっと増えれば良いのに…と思っていたら、先日恵比寿駅の発車メロディーがヱビスビールのCMソングになっている事に気付いた。良いぞ良いぞと思っていたら、今日高円寺駅で鳴り響いたのは阿波踊りの発車メロディーであった。
調べたところ、8月の間だけという懲り様であるらしい。素晴らしい。神は細部に宿る。

どの駅も同じ発車メロディーではつまらない。そう思ってしまう私の感性はやはり日本人的ではないのであろう。
しかし私は、日本文化なるものはおよそ日本人らしからぬ日本人たちによってこそ創造されて来たと考えている。紀貫之も藤原定家も世阿弥も、皆そうだ。そういう意味では、私は己の感性を不満には思っていない。そう、繰り返すが、どの駅も同じ発車メロディーではつまらないのである。

そこでJR東日本に提案である。今度は四ツ谷駅の発車メロディーを、ヒュードロドロドロ…とやってはどうか。
もちろん、四ッ谷駅の職員は全員お岩稲荷にお参り必須である。事故が起きてはいけない。

と、締めは再びネガティブに収めてみた。

2005年08月10日

この世はアナログに出来ている

今月22日まで、静養のため国外逃亡致します。携帯電話はつながりません。御用の趣はtayu@oboroza.comまでお願い致します。
静養と言ったってその実、次なる脚本の事を四六時中考えねばならない訳で、真なる静養などはあり得ぬと腹を括っている。腹を括ってはいるが、ともかくこの机この書斎、この日常を離れて別天地に身を置く事が今は肝要なのである。

先日、親友Yと久しぶりに遅くまで会食した。Yの仕事はシステムエンジニアである。いつもノートパソコンを持ち歩き、レストランの食卓にもそれを置きキーボードを叩きながら食事をし会話をしていた。
仕事柄、パソコンを手離せる時間が他人より少ない事は承知しつつも、いささか心配になった。第一普通に考えれば、相手に失礼だし消化に悪い。
「運動不足に気を付けろよ」と忠告したところ、「いや、それは朧太夫が常にペンを手離さないのと同じ事さ」と言う。
そんなものかなとも思い、その時は強く反論もせず帰路についたが、今にして思えばペンとパソコンとでは雲泥の開きがあるのであった。故にこの場を借りYに反論しておく(直接反論すれば良いのだが、電話よりメールの方が有難いなどと寂しい事を言っていたので)。
ペンは、あくまでも己一人の脳内に生ずる様々の想念を書き記すものである。対してパソコンは情報機器である、そこには世界中の他者の想念が氾濫している。
ハッキリ言う、Yよ。パソコンは便利だが、同時に頗る危険な代物である。向き合う時間は必要最低限に抑えるべきだ。でないと、体によくない。
君はデジタルの専門家であるが、私はアナログの専門家である。そして、言うまでもないが、この世はアナログに出来ているのだ。
こんな事、わかりきっているに違いない。わかりきっている事が、次第次第に怪しくなって行くところが、パソコンをはじめ人間の作り出した麻薬というものの恐ろしいところだ。

NHKの『ニュース10』という番組、お天気キャスターがコンピューターグラフィックスで描かれた空間で天気予報をやっているが、あんな演出、ほんとに必要あるのだろうか。普通にスタジオで当たり前にやるのはいまどきダサいという訳なのだろうか。NHK教育でもやたらにコンピューターグラフィックスが濫用されているが、ああいう画面、子供の目や脳にはむしろ有害でさえあるのではなかろうか。
しかし世間では、何か新しい技術が開発されると、それをいかにも素晴らしい前進、歓迎すべき発展であるかのように誉めそやすのが常である。ああ、またどうでも良い技術が増えてしまった、これでまたややこしい事になる、戦争だの飢餓だの公害だの、世の中考えねばならぬ事は他にいくらも山積しているのに…そういう考え方は果たしてネガティブなのだろうか。

Yよ。君もたまには別天地に身を置いたらどうだ。パソコンなしネットもなしという別天地に、たまには。
水商売の人間ほど、休肝日を設けて酒から身を守る必要があるよ。

(そういう反論をブログなんかで行っている私も、相当問題があるな…)

2005年08月27日

祭りは生きている

一昨日・昨日の両日は、事務所の御近所・天沼八幡神社の御祭礼でした。一昨日は大変な台風でしたので、さぞ関係者の方々は御苦労なさった事と思います。私は昨日、お参りをすませて参りました。
ここで大変興味深かったのが、普段は雨戸で閉め切られている神楽殿が開け放たれ、そこでお神楽が催されていた事です。能舞台と構造は一見よく似ておりますが、しかしいざこうして見ると、やはり神楽殿は神楽のためにあるのかなあという気になりました。
この神楽を拝見していてとりとめもなく思いついた事を、いくつかしたためておきます。

○出し物は、私が見た限り『倭建命』『稲荷山』『巫女舞』『福徳の舞・宝授け』、それにタイトルはよく聞き取れませんでしたが日本神話に取材したもの、それに確か『納めの舞』と称する大団円の舞でした。
「私が見た限り」というのは、境内に居座って神楽の一部始終を眺めていた訳ではないからです。途中、昼食に一度、喫茶店に一度、出かけました。神楽は演じられては休憩、また演じられては休憩というリズムで、合計すると非常に長時間の上演に及ぶのですね。従って祭りに訪れる人も、ずっと境内に張り付いているのではなく、私のように神社に出たり入ったりを繰り返しながら、その時々の神楽を楽しむという方が多いのではないでしょうか。
これを要するに、いつでもその時々の見物人が参加出来るストリートパフォーマンス性が神楽にはあるという事になるでしょう。無料で、興味があれば立ち寄って見ていくも可、なければ通り過ぎるも可、という形態です。

○とにかく、今日の能・狂言(またその原型であった申楽)、その源流を体感する為には、神楽を見るに如くはなし、と痛感しました。(もちろん、能・狂言が神楽に逆輸入されている場合もありますので、一概に言う事は危険なのですが)。

○「舞」はやっぱり必要ではないか。すみません、詳しい事は一切省きますが、とにかくそう思ったという事だけ記しておきます。

○当り前の事かも知れませんが、神楽というのはとにかく「神話」を伝えるという事が目的なのですね。従って、「神話」性さえあれば、古いとか新しいとか言う事は大した問題ではなくなるのかも知れません。
ごめんなさい、これも詳細は省きます。

○この神楽には、素朴で大らかで荒削りな良さがありました。それは今日の能の洗練されつくした様式美とは別種のものです。

○神々の面を着けた演者の方々はほとんど無言(ただしごく稀に短い台詞を発する。それは神の声を模したと思われる特殊な発声法で、よく聞き取れませんでした)。その仮面無言劇に、舞台の幕の後にいる禰宜さんが現代語でナレーションを入れて行くという手法でした。言わば人間浄瑠璃の趣です。このナレーションが、一人何役も演じ分ける上に、なるべく子供にも分かるような解説を交えながら物語の地の文をも担当するというもの。禰宜さんの語りの腕は相当のもので、私などは聞いていて名声優の故はせさん治氏を髣髴させられました。

○大黒役の衣装が素晴らしく、殊に目を奪われました。

○「もどき」(いわゆるひょっとこ)の舞が、これまた素晴らしかった。おかしく滑稽でありながらもどこか神秘的で、子供たちがそれを飽きずに見入っているのです。
見物人を見渡すと、とにかく平均年齢が若かった。子供さんや私より若い方々がたくさんおられました。
この方々なら将来今申楽を支えて下さる筈だと、大いに勇気が沸きました。

○祭りは生きていると実感出来ました。

2005年08月28日

そろそろ真剣に朧太夫の面を

日々朧々の文体を変えてみる事にしました。デアル調からデスマス調に。これには訳があります。

昔、芝居を本格的に始めたばかりの20代前半の頃、諸先輩方と仕事を御一緒しながら心の奥底で密かに感じていた事があります。
「30代の役者って、なんであんなにとんがってるんだろう?」
いやもう、それはそれはいろんな目に遭いました。もちろん、その全てが今の私の貴重な肥やしになっている訳で、いびり抜いて下さった方、ぶん殴って下さった方、千秋楽が済んだら殺しに行くと真面目に宣告して下さった方をはじめ、諸先輩方には本当に感謝しております。有難う御座いました。
まあ、それはさておき。
「30代の役者って、なんであんなにとんがってるんだろう?」
これが、幼い当時の私には疑問に思われて致し方がなかった。ところが、最近ようやく、その訳がわかってきたのです。
今年30になる私自身が、いつの間にやら、とんがってきているのです。これは、自分の文章をあとから読み返してみるとよくわかります。非常に攻撃的な筆致を帯びがちなのですね、このところ。好ましい事ではないと知りつつも、言葉を紡ぐうち、ついついキーボードを叩く指先に毒がこもってしまうのです。これはいったい何故か。

恥を忍んで白状すれば、これは要するに焦りの故ですね。本来の及第点よりも、はるかにはるかに売れていないという焦り。30代ともなればもう良い大人であって、本当ならもっと売れていなければならない筈なのに、現実は厳に深刻である。かかる焦りこそが、今の私を含めた多くの同年代の同業者を、しばしばやけにとんがった態度へと硬直させる原因なのではないか──と、思い至ったのです。

そしてこのままでは、私はますますとんがった方向へと進んで行く可能性があります。
なぜなら、私には実は三大願望というものがありまして、
一、朧座衆には、朧座の仕事だけで美味しい御飯を食べて戴く
一、朧座専用劇場兼宿泊施設を建てる
一、将来、日本文芸史の教科書に今申楽という一項目を立てさせる

以上三点を、なるべく早期に実現したいと私は考えているのですね。ところが、これらの願望に比べて、今現在の私が置かれている現実と言ったら…!この理想への距離、考えただけでも眉がイライラとつり上がって来るではありませんか。
これは精神衛生上、大変宜しくない。こんな顔色の悪い人間に一座の太夫が務まるものでしょうか。
そもそも、昔の私は諸先輩方のつり上がった眉を見ながら密かに決意していたのです。決して自分は、ああはなるまい、と。
では、この不機嫌の傾向をいかに断つか。と、そこで思い至ったのが、この日々朧々の文体問題なのです。
今まではデアル調で書いていました。私はもともとデアル調が好きですから。
しかしこのデアル調、論文論説の類で社会の悪を斬るといった趣にはよく馴染むのですが、読者への感謝の念とか尊敬の念とかを表現するにはなかなか向いていません。そういう目的には常体よりも敬体、デスマス調の方が向いています。
実際、私も朧座衆のメーリングリスト等では日々デスマス調を使っているのです。
よし、先ずはここからだと思いました。座衆メーリングリストだけではなく、日々朧々をお読み下さる全ての方々に、もっと言葉で敬意を表するところから始めよう。
朧座衆とは、もとは朧座に御縁を持って下さった全ての方というのが原義なのですから。そういう意味では、このブログをお読み下さっている方全てが朧座衆なのですから。

考えてもみれば、こういうスタンスの方が、今申楽一座という「サービス業の本分」論から言っても妥当のようです。三大願の実現も、こちらの行き方で行く方が早そうですね。
という訳で、悪を斬ると言ったスタンスはもうそろそろ止めておきます。
そろそろ、真剣に朧太夫の面を着けませんとねえ。

とは言いながら、これから先も時には怒りが爆発して、デアルが噴き出す場合もあるでしょう。
その時は、どうぞ再びお付き合い下さいませ。

2005年09月08日

脚本家は無理っぽいかも

先日、プロデューサーのW氏に「この2年くらいを目処に、『川崎もの』を書いて戴きたい。無理ですか」というような事を聞かれました。
「うーん、頑張ります」などと答えてしまったのですが。どうしましょう。
この川崎の話は当朧座とは別枠の企画ですが、本当は朧座でも、本路線たる「今申楽」シリーズの他に、いつかアナザーバージョンとして「現代劇」も上演してみたいんですよね。
さしあたってピアノとか音楽の話を書いてみたいなあ、などと漠然と企んでいる今日この頃。

そんな訳で、暇が出来た時は川崎…ピアノ…頼家政子(今申楽次回作主人公)…川崎…ピアノ…頼…という感じで、今、頭の中がグチャグチャです。
世の中の脚本家と呼ばれる方々は、よくもあんなに掛け持ちでいろんな仕事をこなせるもんですね。

私、いわゆる脚本家は無理っぽいかも知れません。

2005年10月13日

面掛行列

先月の事、鎌倉は坂ノ下にある御霊神社に、奇祭・面掛行列を観に行きました。
この祭り、神奈川県の無形文化財に指定されており、観光案内書などにも隅っこの方に小さく出ているので前からかなり気にはなっていたのですが、さて今年こそは是非とも観ておかねばならぬという気に何故かなって、足を運んだのでした。

想像はしていたのですが、なんと言うか、非常にムードのある神社であり面であり行事でしたね。
総勢十名の奇怪な異形面を着けた行列が、神社を出発して町内を練り歩くというもの。
殊に、大きく膨らましたお腹を突き出して歩く「おかめ」が人気キャラクターなのだとか。

と、ここまでは事前に観光案内等で知っていたのですが、ここから先は後で調べて分かった事です。

かつては「非人面行列」「孕みっと行列」等とも呼ばれたこの祭り、一説には、将軍源頼朝が当地の非人の娘を身ごもらせ、ためにその一族に無礼講を許したのが始まりとか、両人の逢引を娘の一族が警護する際、身分を憚り顔を面で隠したのが起源であるとか、そのような伝説があるそうです。

十人衆の中にはもう一名女性役がおり、こちらはどうも「おかめ」の世話をする産婆役のようです。
私、どうも、あの「おかめ」の表情が忘れられなくて…

今申楽次回作の主人公は頼朝正夫人とその息子。今年こそはと思って足を運んだのも、後から考えてみれば何かの因縁でしょうか。

何もかも手放しに因縁に事寄せてしまうのは迷信めいていて宜しくない、とは思うのですが。

2005年10月21日

エチゼンクラゲと書かないで

福井の皆様すみません、茶化している訳ではないのです。
越前海月、越前水母、または単純に越前くらげ、で行って戴きたいと思いまして。

詳細は既述「タイコウチの話」を御覧下さい。

2005年10月30日

感謝

昨日、一人の新たな朧座衆と出会いました。名古屋にお住まいのTさんです。
Tさんは言って下さいました。朧座を名古屋に招聘したいと。本当に嬉しかった。それに、他にも斬新なアイディアや、朧座を勇気付ける展望まで聞かせて下さって……

朧座の旅公演も、近い将来に実現しそうです。Tさん、これからもどうぞ宜しくお願いします!

夜は、デザイナーの方よりお電話を頂戴しました。次回作『修禅寺』に向けて、大まかなスケジュールを打ち合わせ。台本完成稿はいつごろ、修禅寺・鎌倉見学はこの辺りに、役者の初顔合わせまでにはお互いのイメージを出し合って採寸を、稽古始めには仮衣装、稽古が本格化するのはいつ頃から、本番何日前には面装束の完成を……時間をかけて良い作品を創るべく、お心をこめて下さっているのが伝わって来て、こちらも本当に嬉しかった。有難う御座います!

私は本当に人に恵まれています。感謝しなくては。

2005年12月02日

お詫び

ごめんなさい。久々のサイト更新です。
次回公演の台本執筆に追われておりました。

一段落しましたので、そろそろ更新を再開していきたいと思います。
が、いかんせん産後の女性みたいなもので、まだあまりものが書けません。
ボチボチといった感じで、お許し戴きたいと思います。

2005年12月05日

陰暦11月4日

先日、古今亭志ん輔さんの落語を聞きに行きました。
生の落語はちょっと久々。さらに志ん輔さんのを聞くのは初めて。
そんなこんなでドキドキしながら足を運んで、出てくる頃にはいやはや、すっかりファンになってしまっていました。
あのサービス精神。そして芸。見習いたいものです。

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2005年12月06日

陰暦11月5日

実は近頃、殺陣を教えて下さる道場に通い始めました。昨日で三回目。ようやく、木刀を握っているという実感が少しだけ湧いて来ました。この調子で、もっと木刀を持ち慣れて行きたいものです。
道場主のYさんも、「朧太夫が殺陣を覚えたら面白いよね」と仰って下さって、とても嬉しかった。この言葉を糧に、頑張って行きたいと思います。

テーマは、「30歳から始める殺陣」であります。

2005年12月08日

陰暦11月7日

昨日、「横浜トリエンナーレ2005」に行ってきました。
この催し、「ヨコハマ発、現代美術の祭典」というキャッチコピーが付されています。
「現代」という言葉について、また「祭典」という言葉について、考えさせられるものがありました。
ここで感じた事は、決して今申楽を創っていく上で無関係ではありません。
生かそう。そう思いました。

閑話休題。会場の屋台スペースに「あっちゃんのチャーシューメンドッグ屋さん」というお店がありました。
私はここで生まれて初めて「麺+パン」という組み合わせに挑んだのですが(食文化というのは一番頑固なんだそうです、焼きそばパンとか今までどうしても抵抗がありました)、チャーシューメンドッグ、美味しかった。お薦めであります。

2005年12月12日

陰暦11月11日

先日、久しぶりに小学校の同窓会がありました。
持つべきものは友。楽しかったですね。
懐かしい担任の先生方にも御挨拶出来て良かったです。

旧友のみなさんに是非朧座の事を知って戴きたいと思い、いささか宣伝に熱弁をふるい過ぎたかな。いや、そうでもないか。
赤ちゃん同伴のお母さん方も結構見えていましたからね。もっと大きいお子さんもいたなあ。
変な言い方ですが、朧座もある意味では私の子供みたいなものですから。私なりの近況報告という事で、ひとつお許し戴きたいと思います。

何しろ、お渡しする名刺が「朧太夫」ですから、私の本名しか知らない皆さんはビックリなさるわけです。
「なんて読むの?」「オボロダユー?」
で、実はその三文字を下から音読みすると本名になってるんだと教えて、「ああなるほど」「そういうオチかよ」と。
オチってわけじゃないんですけどね。

白状すると、確かに朧座という固有名詞は、もともと私の本名から生まれたものです。
新しく一座を旗揚げするに当たって、それに相応しい新しい芸名を考えていた時に、どこかで本名を生かしたいなあと思っていました。で、試しに本名を逆さに音読みしてみたら、ロータユー。タユーといえば太夫という言葉があったな、劇団の座長という意味だからちょうど良いじゃないかと。
ロー太夫。で、ローは何が良いかなあ……と思っているうちに、朧の字がボワッと、それこそオボロに浮かんできたのです。
朧太夫。そして、その一座の名は自ずから朧座、と決まったのでした。

新芸名は朧太夫で行きます!と、仲良しの日舞の先生に報告したら、こう言われました。
「あのね、オボロってのは、頭が薄い、ハゲって意味ですよ。よしときなさいな、ユータロー君」
ハゲに近づけば近づくほど光ってくる、末永く使える芸名という事で、採用を決定いたしました。

もちろん、「ぼんやりしたさま」「はっきりしないさま」が本来の意味であって、「ハゲ」は俗語的用法と思われます。私が見た限り、どの辞書にも載っていません。念のため。

2006年01月02日

陰暦12月3日

「陰暦12月3日」というタイトルでこんな話もなんですが、今日、朧座衆の何人かと一緒に初詣に行ってきました。新春とは言い条、実はまだ真冬です。体調を崩して来られなくなってしまった座衆も何人かいました。皆様、どうぞお体に気をつけて。
行ったお宮は井草八幡宮。荻窪駅からバスで10分ほどの場所にあります。普段は閉まっている宝物館も公開されていて、縄文時代以来の出土品(この神社、途方もなく歴史が長いらしいのです)のほか、各種史料が陳列されていました。入口にはこの神社にゆかりある源頼朝公の狩姿の人形も。頼朝さん、朧座の次回公演はあなたの奥さんと息子さんの話です、劇場もこの近くです、お見守りの程どうぞよろしくお願いいたします。

さて、今日一番嬉しかったのは、ここで引いたおみくじの内容です。
御利益が薄まるといけないので詳しくは書きませんが、とにかく嬉しかった。今の私の心に、ばっちり効く御言葉を戴きました。
八幡さま、有難う御座います。いま一度心の中で、二礼、二拍手、一礼。

今年の朧座は、大吉であります。

2006年01月31日

陰暦1月3日

先日、NHK教育で新作能『紅天女』が紹介されていた。
この能(?)について、私は以前このサイトで「つまらなさそう」と述べた事がある。観てもいないのに「つまらない」と断言する訳にはいかない、ゆえに「つまらなさそう」と書いたのだ。
残念ながら、番組を見てますますそう思ってしまった。
これについて、jilin氏は「これでは『ガラスの仮面』の名前につられて見に来た観客は失望して能から更に遠ざかるのではないだろうか」と卓見を述べておられる。その危険性は少なくなかろう。は「世の美内ファンが国立能楽堂に殺到し、その中から新たな能の観客もいくばくかは育つであろう。そう祈れば、この企画あながち無意味とも言い切れぬ」などと述べてしまったが、今にして思えば呑気な物言いであったかも知れぬ。

いつもの事ながら、能楽界の「革新」とは、どうしてかくもうわべの「お遊び」に終始するのであろう。画面を見ながらそう思った。
やはり、どこまで行っても上様御用達の「お能」なのであろうか。観阿弥世阿弥はカミサマなのであろうか。
先日も、さる邦楽一門の実験的な新作を聴く機会に恵まれた。賛否両論あろうけれど、ともかく芯から遊び、大いに壊して世に問うている。腹を括っているのだ。

芸術とは、本来、そういうもの。

今一つ指摘したいのは、テーマの問題である。
「紅天女」は、美内すずえ氏の漫画『ガラスの仮面』に登場する劇中劇である。
劇中劇を劇にする事に、果たして内なる必然はあるのか。私は、そうは思えない。
やるなら、劇そのものをこそ、劇化するべきではないのか。
『ガラスの仮面』そのものをこそ、能に仕立て上げてみせるべきではないのか。
『ガラスの仮面』が能っぽくないというなら、美内氏に断って『硝子の小面』とでもなんとでもやれば良いではないか。

ちまちまやってないで飛躍せよと言いたい。
しかしまあ、NHKという局も、能楽師のやることとなればろくに考えもせず味噌も糞もごたまぜにして垂れ流す観がある。
『羽衣』を、『井筒』を、『野宮』を、流しなさい。

それにしても、jilin氏の御期待に背かぬよう、朧座次回作『修禅寺』、ひとつ頑張らねば。

2006年03月02日

陰暦2月3日

昨日、朧座次回作の仮チラシを持って、とある劇場を訪れました。そこで今日から行われる公演の当日パンフに折り込んで戴く為です。
この公演には、朧座の関係者も俳優・スタッフとして携わっており、彼らの御好意でちょっとだけ劇場の中を見せて戴く事が出来ました。
いやはや、緊張しますね。他所様の公演、それも本番前日の小屋の中というのは。
この劇場に来るのは、私は初めてでした。県が建てた大型の劇場で、駅から歩いて7分ほどのところにあります。
歩きながら考えたことがあります。
劇場の周りになんにもないなあ…と。

この国の舞台芸術をとりまく現状を象徴しているかのような物寂しさでした。

ここはたまたま、とある県だからそれがわかりやすいのです。
これが東京だと、やみくもに人が多いので、店なんかもやたらにあってわかりにくい。
下北沢など良い例で、小劇場がたくさんあるところに、若者の街ということでいつも賑わっているものだから、ついここが「演劇の街」であるかのような錯覚を抱きがちです。
本当に下北沢は演劇の街なのか。
若者の街にたまたま本多系の小劇場が集中しているという事ではないのか。

日本で舞台芸術が本当に生きていく為には、何をなすべきか、何がなされるべきか、このところ真剣に考えています。
おそらく興行者の側、観客の側、双方に意識改革が必要なのでしょう。
ただ私自身は興行者の側なので、その線で言いますと、やはり関係者は自分達を「売る」という努力をしなければならないと思います。主催者は当然ですが、主催者だけではなく、俳優もスタッフも全員、せっかく自分達の創るものをより多くの方に観て戴こう、観て戴かねば自分達の仕事はまるで意味がないのだという意識を持つべきだと考えます。

それがチケットノルマというような次元でなく、根本的な意識の部分においてなされる事を私としては望んでいます。また、俳優やスタッフが自分達の作品を誇りを持って宣伝できるような、そんな作品を創らなければならないと思います。大前提として。

2006年03月10日

陰暦2月11日

私朧太夫は、当朧座の公演において、主に四つの仕事を兼務している。
作・演出・出演、そして製作である。

前回公演でも、私はこの四つを兼務していた。その四つのうち、私が「よくやった」と自分で自分を褒めてやりたいもの、それは製作である。人はあまり褒めてはくれないのだが。
他の三つは、どれも私一人の仕事ではない。台本は私が書いたというより原作者が私に書かせたようなもの。演出は共同演出。演技は共演者、特にワキ僧に支えられての事。
出来にしても、後から思えばああすれば良かった、こうすれば良かったと思う部分が少なくない。
ところが、製作、これだけは明らかに私一人の仕事だった。出来についても、まずは納得している。ともかくも、今申楽の第一歩を踏み出すという当初の目標を達成できたのだから。

人はあまり褒めてくれない。が、それで良いと思っている。
裏方の中の裏方なのだから。

観阿弥も、世阿弥も、学者たちはその芸術家としての美しい「面」にばかり心奪われて、面の裏側にある興行師の「素顔」を忘れている。
それで、良いのだ。

製作という仕事を、今の私はとても楽しんでいる。
それを幸せに感じる。

2006年03月24日

陰暦2月25日

まもなく、当サイトのリニューアルを行います。
旗揚げからしばらくの間、「今申楽 朧座」は実質私一人でした。しかし時は流れ、今や朧座は私一人とはいえない状況になってきました。
この流れを反映して、サイトもより公式性あるものにします。

さて、リニューアルについて、デザインと運営管理をお願いしているクリエイターのMさんと先日話をしました。
Mさん、さっそく能の本を購入されて勉強されていた。さすがです。いつか、本物の能にお誘いせねば。
で、その席で能楽とはなんだ、申楽とはなんだという話をしたのですが、どうも自分自身の論に甘さというか不徹底というかを感じつつ帰路について、そのあとちょっと気付いたことがあります。

かつてさる能楽師が、能楽講座の席でこのような事を述べておられたのを思い出したのです。
「今日、能は演劇と芸能の両側面を持っている」
それで、その論法を拝借して言うと、私は能の芸能面にはひとまず興味がないのですね。あの職人芸の極みともいうべき摺り足。人によってはあれを2歳3歳から叩き込まれるわけです。もちろん、20歳を過ぎて初めて能に出会った私にあれが勤まるとは思っていないし、第一やろうとも思っていません。
さて、かの能楽師は今一つ、能には演劇の側面ありと言われたのですが、果たしてこれはどうでしょう。私の結論を先に言ってしまえば、本来そうあるべきだ、本当はそうでなければならないのに、実際に能を観ると必ずしもそうは言えない舞台も多い、という事になります。

能は、かつては「申楽の能」と呼ばれる演劇だったのです。が、今やその演劇面を捨て去りつつある。なぜ捨て去りつつあるか、今は深入りしません。
ともかく、私は演劇に携わる身として、今の能を「これも演劇」などと言うつもりはありません。この私の持論を力強く支えてくれている好著を二冊ご紹介しておきます。『能・狂言の芸』(堂本正樹著・東京出版)と『現代能楽講義 能と狂言の魅力と歴史についての十講』(天野文雄著・大阪大学出版会)です。双方とも理論的に書かれてはいますが、その根底にあるものは「能は本当は演劇のはずじゃないか」という血の出るような思いに他ならない、と一読者である私は思っています。

かつて私は「新しい能を創る」などと号していました。しかし、それは多くの語弊を招く表現であると、やがて気付きました。能は演劇・芸能の両側面、特に芸能の側面を強く喚起させてしまう言葉なのだと。私の本意としてはむしろ演劇面を強調したかったのですが、それは「能」という言葉を使ってしまうと難しくなるのだと。
もちろん、本当は「新しい能を創る」と言ったって間違いではないのです。能はもともと広く芸能を意味する語であり、私が現在仲間とともに創っているのは「今申楽の能」なのですから。
でも、まあ、あんまり語弊を伴う表現はプレゼン的には不向きですよね。ですから最近はこう言っています。
「申楽を、今、創り直す」と。

さて、ではその「申楽」とは一体どんなものだったのでしょう?
そして、我々の創るべき今の「申楽」とは?
ここに、演繹の旅は果てしもなく続くのであります。

2006年04月28日

陰暦4月1日

卯月と相成りました。もう夏なんですねえ。

忙しすぎて本なんか読んでる暇もない、てのは言い訳だってよく言いますが、忙しすぎてブログ更新してる暇もありません。読んで下さっている方々、本当にごめんなさい。この夏は必ず、良い作品を創って埋め合わせしますから。どうか不義理をお許し下さい。

このところ、私の周りでは次回作『修禅寺』に向けて毎日必ず何かしら起こっているわけで、なにしろ本番まで4か月を切っているわけで、そういう日々の事どもを差し支えなき範囲でちょこちょこと御報告して行けば良いのかしらん。
でも、それもなんだかねえ…

2006年05月26日

陰暦4月29日

田舎者、失せろ!と、久々に怒鳴りつけたくなるような記事を『YAHOO!』のニュースで見かけた。

首相もここではまともだ。「愛国心があるかどうか、そんな評価は必要ない」
大田教授と違って、私は「学習指導要領が『国を愛する心情を育てる』ことを目標に挙げている点」が「一番の問題」とは思わない。そんな指導要領があっても良いとさえ思う。
問題は、「愛」をガタガタ「評価」しようなどと言う輩。まことに小賢しい。
こういう手合いに限って、真なる郷土愛はゼロである。それを私は田舎者と総称するのである。

お国自慢は田舎者の十八番である。久々に腹が立った。

2006年09月02日

陰暦閏7月10日

いつの間にやら、秋の足音が聞こえておりますね。
皆様いかがお過ごしですか。
私はと言えば、どうもまだ頭がボーっとしてしまっておりまして…いやはや。
先日も仕事に出かけたのですが、備品を全部家に置き忘れたりして。

清少納言を扱った旗揚げ公演『香炉峯』が一昨年6月。その直後、「次回は北条政子で行くか」というような話になって、で、とある日の昼、先ずはとるものとりあえず修善寺に出かけたのがちょうど今から約2年前。何も深くは考えず、ただ気の赴くままふらふらと家を発った覚えがあります。鈍行を乗り継ぎ(東海道の景色を眺めながら行きたかった)修禅寺に着いたのは16時近くだったでしょうか。足早に宝物館を見学して(そこで見た宝物たちとその後浅からぬ付き合いになろうとは、その時は知る由もなかった)、で、その足で奥の院に向かったのでした。まさかあんなに遠いとは思わなかったので…歩けども歩けども目的地には辿り着かず。ただひたすら物寂しい道が延々と続くのです。時折、路傍に小さな石仏なんかが登場するのが尚一層たまらなく寂しい気分にさせる。そうこうするうちに、ついに日が暮れ始める。街灯なんか本当にわずかなのです。
何度、引き返そうかと思ったことか。
奥の院に着く頃には、あたりは真っ暗闇になっていました。何も見えない。ただ、上の方から滝の音が聞こえるのですね。どうやら石段みたいなものを上がっていかねばならないらしい。私は、石段を上がるのは断念しました。ただ、滝の音のする方角に向かって手を合わせひたすら祈りました。
「どうか、良い作品が書けますように」

今だから書きますが、この時私は、何者かに励まされたような気持ちになったのをよく覚えています。
そして先の道を引き返し、修禅寺近くの宿に一泊し、帰京して構想に取り掛かった。否、帰りの電車の中で既に構想は始まっていた。
爾来、掛け値なしに地獄の日々が私を待ち受けていたのですが、それについては今は述べません。とにかく、物を書くとは地獄の苦しみであるということを、その後2年かけて私は知った。

いつの間にやら、秋の足音が聞こえておりますね。
あれから2年も経ってしまったのだと、うすぼんやり思う今日この頃です。

2006年09月03日

陰暦閏7月11日

世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし 在原業平

この歌、確か学校か予備校でこんなふうに教わりました。昔は娯楽が今と比べて少なかったから、桜が咲く!なんて他愛もない事が人々にとってはそれこそ人生の一大事だったのだと。
でも、それはちょっと違うのではないかと最近思う。
人生の一大事を後回しにさせてしまうような、誠に遺憾な事情が現代には多過ぎるのではないかと。

ふと、今夜鈴虫の音をゆっくり聴く機会があったのですね。
改めて聴き入ってみて、やっぱり最高の贅沢と思う。
自動車の騒音やなんかで現代人は麻痺させられているのです。
昔は娯楽が今と比べて少なかったのではなく、現代人はエセ文明の為に五感が鈍って来ているに過ぎない。私はそう思う。

私は、今度今申楽をやる時は、なるべく自然の中でやってみたい。
日本の自然や史蹟の良さを思い出してもらう事が、我々一座の願いなのだから。
そういう意味では、我々の活動を「劇団」という語で括る事には無理があると最近気が付きました。

鈴虫が鳴いているような土地で、今申楽を催したい。
その為には、鈴虫が鳴いているような土地を探さねばならない、いやもっと言えば、そういう土地を増やして行かねばならない。

そういうことこそが、実を言えば我々一座の本当の仕事なのです。
やはり我々は、いわゆる「劇団」ではないようです。

2006年09月07日

陰暦閏7月15日

秋篠宮妃の「帰って参りました」は、名台詞というべきではないでしょうか。
それに比べてご実家のコメントは全然感心出来ません。そもそもあの陶淵明はお別れの時の詩でしょう。
「宮様、ごきげんよう」で良かったのに。

物書きとして勉強になります。

2006年09月09日

陰暦閏7月17日

さて、ところで申楽の「嫡流」とも言うべき今日の能・狂言の世界において、清少納言や源頼家・北条政子らは一体いかように取り扱われているのでしょうか。
これが驚くべきことに、彼らを取り上げたものはついぞ見当たらないのです。
600年の歴史の中で埋もれて行った中には、そういう幻の曲もあったのでしょうか。とにかく現行曲の中に、彼らを取り上げたものはどうやら存在しないらしい。
平安・鎌倉期と言えば、世阿弥ら往時の能作者らがこぞって材を求めた時代です。広く知られているように、源氏物語も、義経や静御前もみな悉く能に取り上げられています。それがなぜ、少納言や頼家政子らについては皆無であるのか。
思うに、無視されてきたのではないかと私などは推察しています。
事情があって、取り上げるわけには行かなかったのではないか。
そしてそういう題材の方が、どうも私とは相性が良いらしいのですね。なぜか。

何しろ今となっては私、少納言や頼家政子、ほとんど友達感覚ですからね。
書き始めるまでは、そんなに詳しく知らなかったけど。

『修禅寺』が終わり残務に当たる日々ですが、早くも私の周囲からは「次は日野富子か」「遡って額田王あたりはどうか」「卑弥呼はムリか」「いや、朧太夫にはそろそろ六条御息所をやってほしい」などなど有難いご意見を戴いています。
いや、別に女形で行くと決めているわけじゃないんですが…。
畜生塚をやってほしいなんて渋いご要望もありました。殺生関白・豊臣秀次ですね。

さーて、ほんとに次は何をやりましょうかね。
(でも、実を言えば私、まだそれほど元気じゃない。)

という訳で、小声でひっそり告知してみます。「今申楽で次見たいと思うネタ、募集中…」

2006年09月18日

陰暦閏7月26日

最近知ったのですが、先月の公演以来、このブログを毎日チェックして下さっている方もいらっしゃるとの事。
すみません、その後あんまり更新してなくて…
同業者のブログを覗きますと、律儀な方なんか毎日更新してたりね。なかなか真似出来ません。
元来のズボラな性格に加えて、書けるような事、書くに値するような事、があんまり無いんですよねえ。
困ったなあ。

生きていればそれなりに毎日何かしら感じたりしているわけですよ。
でもねえ、それを書くかねえ。書いたところでそんなもの、面白いかしら。
仕事柄、書くって事に多少神経質過ぎるのか。なんてうだうだ考えてます。最近。

2006年09月21日

陰暦閏7月29日

先日、書けるような事、書くに値するような事があんまりない、と書きました。
が、考えてみるとそれは嘘でした。
書けるような事も、書くに値するような事も本当はたくさんあるのですが、単に書く体力が湧いて来ないんですね。
私は、台本なんかはもとよりブログに書き散らす駄文に至るまで、ものを書く時はそれなりに疲れるのです。
疲れずに書く技を習得したいものです。ねーよそんな技、と突っ込む肩の上のもう一人の私…

2006年10月07日

陰暦8月16日

日々朧々。
数年前、このブログを書き始めた当時は、「今申楽 朧座」といってもほとんど私朧太夫一人であり、さらに観客に至ってはゼロ(まだ旗揚げ公演前だった)という状況でした。よってその頃はあたりかまわず随分勝手に書き散らしていたものですが、いつの間にか朧座には仲間が増え、お客様が増え、誠に有難い事ではあるのですが、しかし昔ほど自由気ままにあれこれ書けなくなって来ているのも事実。
ところがさらに苦しい事に、仲間やお客様が増えたという事は、つまりこのブログを見ていて下さる方が増えたという事でもあるのですよね…。前作『修禅寺』台本執筆中などは、筆が進まず気が塞いだ折などは一ヶ月間更新無しというような事態もザラでしたが、そういう事が果たして今、許されるのか。
断じて許されないという程ではないにせよ、あんまり好ましい事でもない、と、私どこかで思うのです。
無理するほどの事はないにせよ、なるべくならマメに更新すべきと思うのです。
そんなふうに思う今日この頃。

さて、そろそろ次の作品を書き始めようと思っています。
今度は一つ、円谷プロばりの特撮怪獣物をやってみたいなあ、などとも思うのですが、どうなるかまだ全然わかりません。
ともかく突貫工事でも最後まで書いてみないと何とも言えない、というのが今までの教訓ですし。

また溜息と自棄酒の日々が始まるのでしょうか。
いーえ、今回は楽しく書くと決めたのです。乞う御期待。

2006年10月12日

陰暦8月21日

先日、ご縁があったもので、カポエィラ教室を体験して来ました。カポエィラに関する知識もほとんどなく、また直前まで体調が今一つだったので、当初は見学だけさせて戴こうかと思っていたのです、が、不思議なもので、自転車で教室の近くに着いた時、なぜか「体験してみたい」という気持ちが沸々と湧いてきたのですね。自転車が良かったのかも知れません。急遽、スーパーでジャージを買いなどし。

いやはや、カルチャーショックでした。
老後はイギリスの湖水地方に隠居して古代エジプト語を勉強しようかなどと思っておりましたが、そんなこと言っている場合じゃありません。
格闘技というから実は非常に構えてしまっていたのですが、想像していたのと全然違ってびっくりしたのは、皆様結構笑顔を湛えながらやっておられること。もしかすると私の顔が一番引きつっていたかも知れません。というのも、ダンスや音楽の要素がかなりあるのですね。実際に殴る蹴る痛めつけるという種の格闘技ではないようです。

とても興味を持てたのでした。翌日、筋肉痛でしたが。
しかし私がこういうスポーツと出会ってしかも興味を抱くとは、人間長生きしてみるものですね。
なんでまたカポエィラを体験してみる気になったか、その話はまたおいおいということで。

2006年10月13日

陰暦8月22日

学習院大学人文科学研究科の公開連続セミナー「身体表象文化学プロジェクト」。今年、4回受講させて戴きました(講師は各回違います。私が受けたのは太田省吾・岡本章・鈴木忠志・野田秀樹各氏の担当回)。斯界の大先達の講義が無料で受けられるのですから、大変有難い企画です。
それぞれに得るものはありましたが、特に太田・鈴木両氏の講義内容は、私が朧座で抱いている問題領域ともじかに関わるため大変印象的でした。殊に太田氏の紡ぎ出される言葉の数々は圧巻でした。
各講師ならびに当セミナーの企画責任者である佐伯隆幸教授にこの場を借りて深甚の謝意を捧げたいと思います。

それにしても学習院といえば初等科以来16年間、実は私の学び舎でもあったのですが、こんなに真面目に授業を受けたのは高等科の須田信正先生の古文の時間を例外として初めてです。
神田龍身氏とか兵藤裕己氏とか、そういう興味ある教授はだいたい私が中退してから赴任されたのです。

(でも諏訪春雄先生の授業はまあまあ真面目に受けていましたし、大野晋先生には直接習っていないのに語学塔の入口で待伏せして質問をぶつけた事もありました。だからなんだという話ではありますが。)

真面目に勉強していたら今頃どうなっていたのでしょう。能楽師にペコペコしながら「申楽復興論」なんて卒論でも書いていたのでしょうか。
ゾッとしちゃいます。

2006年10月21日

陰暦8月30日

先日、上野の国立科学博物館で開催中の「化け物の文化誌展」に行ってきました。
化け物を科学するという心意気。しかし、それならば「天狗のミイラ」「河童の手」ではなくテング・カッパと表記すべきではないかと思うのですがどうでしょう。
いや、やっぱりカタカナではどうにも収まりきらないあたりこそ、化け物たちの化け物たちたる所以と申すべきでありましょうか。

私の勘違いでなければ、この展示、江戸期の本草学者や蘭癖大名らの間にあっては化け物も一種の実在性を帯びて語られていた、という視座に重きが置かれていたかと思います。
でも、これもどうなのでしょう。本当に、他の動植物同様に実在が信じられていたとするならば、サルやネコの骨を使ってミイラを捏造などするでしょうか。
私は、半ば信じ半ば疑うといった辺りの心持ちで遊んでいたのではないかと思うのです。好奇と諧謔、相交じる感覚とでもいうような。その諧謔の方を忘れてしまうと、化け物の醍醐味は損なわれてしまうような…

ぐたぐたと述べ来って参りましたが、要するに私は、やはり文系志向が強いようであります。
しかしながら、本展示を通じ寺田寅彦氏に興味を持つ事が出来たのは収穫でした。

2006年11月19日

陰暦9月29日

私ごとでバタバタと身辺あわただしく、とうとう風邪をひきました。
そんな中でも、先週は縁あってとある踊りの会で拍子木を打たせて戴いたり(狂言作者初体験)、友人お勧めのダンスを見たりしました。外を出歩く体力がないときは、せめて家で寝っころがりながら、ネタ探しに源氏物語なぞ読んでおりました。光源氏というのはどんな男だったんでしょうかねえ。

近々、皆様に良いご報告が出来ると思います。お楽しみに。

2006年11月29日

陰暦10月9日

ああ、かっこいい。溜息が出る。

YouTubeで、私が子供の頃見ていた『科学戦隊ダイナマン』のオープニングを発見してしまったのである。今見ても本当にかっこいい、こんなの二十数年ぶりに見てしまった日にはもう興奮して夜眠れなくなるではないか。

もう、涙が出るほどかっこいいのである。

何がかっこいいかというと、要するに強くて優しそうなのだ。今どきのヒーローは弱くて性格は悪そうで、もう見ていられない。これというのも、テレビ局がお母さんたちのアイドル趣味を優先し始めたからである。結果、ジャニーズ崩れみたいなヒーローもどきばかりになってしまった。やだやだ。

今申楽でヒーロー物を書いてみようかなあ。書いてみたいなあ。

2006年12月24日

陰暦11月5日

今月に入ってからというもの、風邪はこじらす、パソコンは壊れるで、すっかり更新を怠ってしまいました。しかしながら、実はこの間、ご報告すべき事柄はたくさんあったのです。
まず、今夏、杉並公会堂で上演した『修禅寺』の再演が決まりました。
来年7月21日(土)・22日(日)夕刻、場所は伊豆修禅寺境内にて。
今回はお寺様が主催です。来年は修禅寺開創1200年、ということは地元修善寺温泉もまた弘法大師に見出されて1200年という、大変な節目の年にあたっており、お寺やご当地では1200年祭ということで種々の催事が予定されている。その中でも、ひときわ責任重大な役目を私ども朧座が仰せつかる事となりました。
光栄なことです。一座を上げてとりかからねばなりません。
詳細は随時ご報告して参ります。どうぞ、ご期待下さい。

『修禅寺』に関連して、今一つ。
実は先日、私、生まれて初めて「蹴鞠」なるものを体験しました。
というのも、私のある友人が今夏の『修禅寺』を観に来てくれていて、で、後日お茶を飲んでいたら、こう言うのです。
「今頃言って悪いんだけど、実は私、蹴鞠習ってるの。」
えー!と、こちらは仰天しました。何しろ、『修禅寺』の中に蹴鞠の場面があるのです。実はほとんど想像で作ってしまったのですが、本当は、その道に詳しい人に考証してもらいたかったのです。と、その旨を伝えたら、友人は「そりゃそうでしょうねえ、あれじゃ」という顔をして(Nちゃんごめん)、今度練習があるから見学してみたら、という大変有難いお誘いを戴いたわけです。
で、体験してきましたよ。蹴鞠。
意外だったのは、右足しか使わないこと。ただ、思っていた以上に、サッカーに近かった(気がする)。ある参加者は「先生だけ本物で、あたしたちが真似してるのは邪道よ。」と笑いながらおっしゃっていました。
これは全くの想像ですが、源頼家が凝っていたという蹴鞠も、案外、邪道的だったのではないか。頼家にしてみれば日頃のストレス解消が出来れば良いわけで、公家文化の忠実な再現に努めたとはどうも思えないフシがある。その証拠に、頼家が和歌を詠んだという話を聞いたことがありません。いや、正確には、台本を書いている間に一つだけ、そんな話を何かで見かけた覚えがあるのですが、どうもガセネタっぽくて忘れてしまいました。とにかく、頼家の歌というのを見かけない。
例の『吾妻鑑』によれば、京都から鞠の師匠を呼んだということですが、どうも、うるさい約束事なんかはさておいて、とにかく体を動かして日頃の憂さを発散したかったんではないか。そんな気もするのです。
しかし、それはともかく、本物の鞠を「アリヤア」とか「オウ」とか言いながら蹴ってみる機会というのはそうそうありません。Nちゃん、どうもありがとう。

待てよ。前回は屋内だったから、滑車と糸で蹴鞠を表現できたけれど、来夏はお寺の境内、つまり野外。
どうしよう。

2007年01月08日

陰暦11月20日

昨日は祖母の誕生日。家族みんなで祝ったのですが、その席上、祖母の口から一同が知らされた驚愕の事実(特に私が一番驚愕したのですが)。
祖母の実家、おおもとを辿れば清和源氏だそうで、家紋は笹竜胆でございました。
戦時中亡くなった曾祖母の喪服も初公開されまして、そこにはくっきりと、かの紋が入っておりました。

先祖が源氏だの天皇家だのと言うのはどこのお百姓でも思い付くことであります。
しかし、少なくともこの私が笹竜胆なる紋に、思いのほか縁ある身であったことは事実。
自分の書いた台本の主人公と、同じ家紋に連なる身であった。そして、もしかしたら、もしかしたら、遠い遠い親戚なのかも知れない。

世の中、不思議に満ち満ちております。

2007年01月26日

陰暦12月8日

日本で最も有名な某劇団の公演を観に行きました。そこのオペラ座の怪人は凄いらしいので。
前場の終わりで、怒った怪人がシャンデリアを落下させるのですが、なんでああいうダサい落とし方をするんだろう。信じられません。あれだけ装置にお金をかけているのに、不思議でした…
能の『道成寺』の釣鐘の方がよっぽど「凄い」落ち方をします。

なんでああまで西洋人の真似して、マイク使って、これでもかってほどやるのだろうか。やはり日本人には合わない、真面目にやってる方も観てる方もなんだか滑稽だと私は正直思います。これが、それでも主宰者が人生をかけて追求してきた一つの形なんだよなあ、それを大企業がせっせと協賛してるんだよなあ、なんてつい考え込んでしまったりして。上演中だよ、真面目に芝居観ろよ、俺。

そういえば、同劇団の他の作品だったと思いますが、電車の中吊り広告で「一瞬さえドラマ」とかいうコピーを見かけた覚えがあります。私だったら絶対に「さえ」を「こそ」にしますが、その辺が私の世間様とずれてるとこなんでしょうね。だから真面目に観ろってばよ、俺。

最後は怪人の熱演にほだされて何もかも許す気になれていたのに、まあ、カーテンコールがまたくどいことくどいこと。回数とか演出とか全部決め打ちらしくて、全然「ファントム」って感じじゃないんですよねえ。

なんのかのと悪態をついたところで、一時代を築いた大先達の一つの到達には違いないわけです。大いに学ばせて戴きました。
「やっぱりこの国の演劇を一つ真面目に考えないといけない」と。

2007年02月19日

陰暦1月2日

いろいろありました、最近。
まず、鎌倉の寿福寺に行ってきました。ここには北条政子のお墓があります。実は昨年、政子を演じて以来、まだ一度もお墓参りしていなかったので、ようやく念願かなってのことでした。しかも、両親・祖母と一緒に行ってきました。私の母とその母を、心の中で政子に紹介しておきました。
次に、伊豆修禅寺に座禅体験をしに行ってきました。毎週火曜日の午前中に開催されているものです。
大変貴重な体験でした。殊に、御住職の法話が今の私にはとてもこたえる内容でした。
「不立文字」の意味について考えさせられました。

言葉には出来ない。言葉にしたら、余計なものがくっ付いて来てしまう。
物書きにとって、なんとも示唆的な御法話でした。

この日の夜はなかなか寝付かれませんでした。

2007年03月09日

陰暦1月20日

そういえば、秋田の某友人から戴いた今年の年賀状に、こんなことが書いてありました。

「朧豆腐よ、もっと簡単なネタはないのか?」

見てから言って下さい。
と言っても、秋田から見に来てくれとはなかなか言えません。
いつか東北公演もやらんとねえ。ネタはきっと、あの人でしょう。

近々、奥州にご縁が出来そうでワクワクしているのです。

2007年03月16日

川ファク+朧座 試演喫茶【1号店】のご案内

近頃、朧座に若者が集まってきた。「芝居をやりたい」という。そこで、本公演の他にもう一つ、発表の場が欲しいと思っていた。この話を、建築家の渡辺治さんに持ちかけたところ、「一緒にやろう」という誠に有難いご返事を戴いた。そこで今回始めるのが、この「川ファク+朧座 試演喫茶」(川ファク=渡辺さんの事務所兼アトリエ「川崎ファクトリー」の略)である。お茶でもお飲みになりながら、私どもの寸劇の試演会にお付き合い下さいという催し。
何しろ試演であるから、関係者だけ呼んでこっそりやろうと思っていた。
ところが、稽古を見ていると、これがどんどん良くなってきていて、世間に内緒でやるというのはちと少し惜しい気がしてきた。そこで、本番1日前ではあるが、ここにお知らせさせて戴く。

3月17日(土) 川ファク+朧座 試演喫茶【1号店】
出演:八田俊介・富田千香子 演出:山戸ちひろ(今申楽 朧座)
開店16:00 開演17:00 入場無料 場所/川崎ファクトリー

私朧太夫も会場におります(今回は出ません。お茶くみしております)。ぜひ遊びにいらして下さい。
お待ちしております。

2007年03月26日

陰暦2月8日

川崎ファクトリーでの試演喫茶にご来場・ご協力戴いた皆様、有難うございました。これからも一定頻度で行っていきたいと思っています。

先ほど、夜道を散歩していましたら、大宮八幡の桜が咲き始めていました。
ベンチに腰掛け、考えるのです。
『修禅寺』、今度の7月の勧進今申楽用の台本が出来ました。次はあれを書くぞと。

ものを書いている時というのは、当たり前ですが一人でね。
ブログなんて便利なものがあるせいで、ますます孤独感が募ったりもします。
肝心なことは何一つ書けやしないのですからね。

社交辞令みたいなものは、もう日頃やり尽くしているわけでね。
もう、あんまり書きたくないのですね。中途半端なご挨拶は。

部屋の掃除と散歩ですかね、こういう時の薬は。

2007年04月18日

惨事

アメリカで、同国史上最悪という銃の乱射事件が起きた。銃社会なる風習、あの国との付き合い方等々について、改めて考えさせられる。そこへ、今度は長崎市長の訃報である。集中治療中、首相は「真相究明を」というコメントを出したそうだが、「一刻も早いご回復を」くらい添えてはいかがなものか。しかし、それも今や空しい話となってしまった。

亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げる。

2007年05月18日

陰暦4月3日

映画『ゲゲゲの鬼太郎』の予告編をヤフーで観た。
鬼太郎役が美男子過ぎるので賛否両論聞こえてくる。水木先生はおそらくご不満であろう。
が、私はこういう方面には結構寛容で、所詮映画と原作は別物と割り切るたちである。無論原作のイメージも大事にしなければならないが、その場合最も重要なのは、鬼太郎などよりむしろねずみ男を誰がやるかという一事であろう。私はそう考える。予告編を観た限り、期待出来そうな配役であった。

『鬼太郎』を演劇でやったらどうなるのであろう。どうなってしまうのであろう。映画と違って目玉の親父や一反木綿をCGでごまかすわけにもいかぬ。
『鬼太郎』の舞台版だったら出てみたい。ぬらりひょんといやみのどちらかであれば、正直なところ、私が一番うまいと思う。それに、吸血鬼エリート・シルクハット狸・バックベアードなどもやってみたい。
あと、もちろん、ねずみ男も。

『鬼太郎』の舞台化。想像するだけなら誠に楽しい。実際にやったら大変でしょうなあ。

2007年05月25日

陰暦4月9日

昨日発売の『歴史読本』(新人物往来社)7月号243ページに、今度の勧進今申楽をご紹介戴いた。
是非ご覧下さい。後南朝に関する特集記事も大変興味深い。

2007年06月04日

陰暦4月19日

3年前の今日、今申楽 朧座の旗揚げ公演『香炉峯』は初日を迎えたのでした。
あれから3年。お陰様をもちまして、朧座、日々前進を続けております。

日本の古寺社の境内で、しかもその地の歴史を掘り起こすような内容の公演を行う。来月、伊豆修禅寺で、私の夢が一気に二つも実現する事になりました。
今一つの夢は、登場人物の御子孫の方々に劇を見て戴くことであります。ところが、最近わかったことなのですが、実はどうも私自身がさる登場人物の遠い遠い親戚に当たる可能性があるようなのです。

空恐ろしくもありますが、今はひたすら精進あるのみ。今日も裾野市にお住まいの学生時代の先輩から数年ぶりにお電話を戴き、今まで陰ながら応援してきたが、今回こそは地元公演、家族で見に行くとのお言葉を賜りました。これに勝る励みがありましょうか。Kさん、本当に有難うございます。

皆様、7月の勧進今申楽、何卒御期待下さいませ。

2007年06月12日

陰暦4月27日

昨日も、お世話になっているとある方からこんなメールを戴きました。

「修禅寺の境内で作品が上演されるとは誠におめでとうございます。朧太夫の苦心が実ったのでしょうが頼家の霊が喜んで呼び寄せたのかもしれませんね。生憎と伺えませんが当日のご盛会を心より祈っています。今後とも益々頑張って下さい。」

そうか、喜んで呼び寄せてくれたのか…と思うと、勇気が湧いて来ます。
本当に嬉しく、有難い限りです。
応援して下さっている皆様、いつも有難うございます。どうぞ、7月の勧進今申楽にご期待下さい。

陰暦4月27日その2

いろんな劇団のホームページを見ていると、まだ台本が全然上がっていないのに稽古に突入というようなケースが多いのに驚く。需要から言えば、役者はたくさんいる、作家は少ない。だからであろう、稽古に遅刻する役者は怒鳴られるが、本番ギリギリになって最終稿を上げてくる作家に対しては、大先生、よくぞ仕上げて下さいました、といった趣。「あの人は遅筆で有名」なんて、逸話にまでなってしまう。
まったくおかしな話である。

演劇人ならば、二三行書いて眩暈がするというような人たちを除いて(確かにそういう人も中にはいるようだ)、すべからく本を書くべきである。最近そう思う。
書いて初めてわかることがあまりにも多い。本を書かない役者の言う事を聞いていると、「ああ、この人も書けばこんなことは言わなくなるだろうな」というような事柄が多い。かくいう私も、書くようになってようやくわかったのだが。

第一稿なしで平然と稽古初日を迎えおおせる「作家の心臓」。私にも、そんな魔法の品があればと思う。
私は、とかく勝算がないと駄目なタイプなのである。(人は意外に思うらしい。)

勝算といえば。
目下、勧進今申楽の稽古中である。これも、ある日の稽古中、ふとしたはずみにある種の勝算を見出しているから、そこに向かって走れるのだろうな、と思う。
あの日はとても晴れていたので、外で稽古したのである。
陽の光を浴びながら、一人の女が、赤子を腕に抱きつつ歩んでいる。
折からの柔らかな風を受けて、子守唄か何か口ずさみつつ、歩んでいる。
私は、それを見て、美しいと感じた。
そして、ただそれだけで良い、と思った。

こういう勝算がある時の演劇は楽しい。誠に楽しい。困難も含めて楽しめる。

陰暦4月27日その2

いろんな劇団のホームページを見ていると、まだ台本が全然上がっていないのに稽古に突入というようなケースが多いのに驚く。需要から言えば、役者はたくさんいる、作家は少ない。だからであろう、稽古に遅刻する役者は怒鳴られるが、本番ギリギリになって最終稿を上げてくる作家に対しては、大先生、よくぞ仕上げて下さいました、といった趣。「あの人は遅筆で有名」なんて、逸話にまでなってしまう。
まったくおかしな話である。

演劇人ならば、二三行書いて眩暈がするというような人たちを除いて(確かにそういう人も中にはいるようだ)、すべからく本を書くべきである。最近そう思う。
書いて初めてわかることがあまりにも多い。本を書かない役者の言う事を聞いていると、「ああ、この人も書けばこんなことは言わなくなるだろうな」というような事柄が多い。かくいう私も、書くようになってようやくわかったのだが。

第一稿なしで平然と稽古初日を迎えおおせる「作家の心臓」。私にも、そんな魔法の品があればと思う。
私は、とかく勝算がないと駄目なタイプなのである。(人は意外に思うらしい。)

勝算といえば。
目下、勧進今申楽の稽古中である。これも、ある日の稽古中、ふとしたはずみにある種の勝算を見出しているから、そこに向かって走れるのだろうな、と思う。
あの日はとても晴れていたので、外で稽古したのである。
陽の光を浴びながら、一人の女が、赤子を腕に抱きつつ歩んでいる。
折からの柔らかな風を受けて、子守唄か何か口ずさみつつ、歩んでいる。
私は、それを見て、美しいと感じた。
そして、ただそれだけで良い、と思った。

こういう勝算がある時の演劇は楽しい。誠に楽しい。困難も含めて楽しめる。

2007年07月04日

陰暦5月20日

勧進今申楽の稽古に余念なき日々。
ふと、傍らの『風姿花伝』をひもといて、教えられる事があまりにも多い。

やはり、申楽を号する以上、世阿弥くらいもっと読んでおかねばと痛感した。

陰暦5月20日

勧進今申楽の稽古に余念なき日々。
ふと、傍らの『風姿花伝』をひもといて、教えられる事があまりにも多い。

やはり、申楽を号する以上、世阿弥くらいもっと読んでおかねばと痛感した。

2007年09月13日

安倍首相が

辞めてしまうそうだ。駄目な閣僚がバタバタと不祥事を起こして辞めて行った時期、規模こそ違えちょうど私も彼と似たような境遇に置かれていた。「頑張れ、俺も頑張る。鈍感力だ」などと、顔中バンソウコウだらけの大臣なんかを連日テレビで見ながら、私は心ひそかに安倍氏に同情し、かつ応援していた。若いし、どこか応援したくなる何かを持っている人ではあった。と思う。
健康的にも厳しい事情があったようだが、そりゃそうだろう。私もあの時期はきつかった。まして一国の首相となればなおさらである。おかゆに点滴、そうなるだろうなと思う。

お疲れ様でした。ゆっくり休養して、また頑張って下さい。

2007年11月18日

THE 日本

先日、仕事でとある小学校の学芸会を見学して来ました。
「THE 日本」と題されたその演目、小学生達が武道・和太鼓・狂言・琴・日本舞踊を披露しながら、各自、出番の終わりに百人一首を読み上げるというもの。
小学生でもあれだけのことが出来るんだなあ、偉いなあ、と思って見ていました。見習わねば。
「THE 日本」というタイトルだけが、どなたが付けたのでしょうか、戴けないなあ、という感じです。
THEが要らない、美しくないし文法的にもおかしいし。と思うのですが、皆様はどう思われますか。

THE 日本

先日、仕事でとある小学校の学芸会を見学して来ました。
「THE 日本」と題されたその演目、小学生達が武道・和太鼓・狂言・琴・日本舞踊を披露しながら、各自、出番の終わりに百人一首を読み上げるというもの。
小学生でもあれだけのことが出来るんだなあ、偉いなあ、と思って見ていました。見習わねば。
「THE 日本」というタイトルだけが、どなたが付けたのでしょうか、戴けないなあ、という感じです。
THEが要らない、美しくないし文法的にもおかしいし。と思うのですが、皆様はどう思われますか。

2007年11月19日

合掌

この数年使い続けたプリンターが、廃タンク一杯となり、メーカーに問い合わせたところ「その機種については今年5月をもって対応を終了した」とのこと。お別れの時が来ました。
朧座を旗揚げから見守ってきたプリンターです。台本、企画書、すべてこれでやって来ました。そう思うと、聊か感慨深いものがあります。
それにしても、なぜ「対応を終了」しちゃうのでしょうか。ツクモガミになりますぞ。

2007年11月20日

饕餮紋に呼ばれて

今年8月、上海博物館で私がすっかり虜になってしまった古代中国青銅器群。
最近、あの魅惑の文様を専門家の間では饕餮紋(とうてつもん)と呼び習わしていること、その背後に、これまた虜にならずにはいられない種種の謂れがあることなどがわかってきました。

朧座の次回作では、この「饕餮紋」が重要な役割を演じることになりそうです。

つまるところ、私は7月の勧進今申楽『修禅寺』が終わるや否や、饕餮紋に呼ばれて中国まで行って来たようです。
これを言ったら、私を当地に招待してくれた友人が怒っておりました。

2007年12月21日

変化

最後の更新から早くも1ヶ月が経ってしまった。
前回書いた内容を読んでみると、この一月の間、私の脳の中に非常に大きな変化があったことを改めて思い知らされる。妙な表現だが。
大風邪をこじらせ難儀したこともあったが、今にして思えばこの脳内の変化に体がついていけなかったせいかもしれない。

私は、今年の8月くらいから、朧座の次回作について構想を温めてきた。『川太郎』と題し、川原に生きる人々を取り上げるつもりでいた。
そう、「生きる」人々を描くつもりでいたのだ。
前回も前々回も、鎌倉時代や平安時代の死者に捧げる話だった。今回は、生者に捧げる話を書こうと思っていたのである。

この気持ちは変わっていない。必ず書きたいと思う。

が、その前にどうしても書いておかねばならない死者の話が、もう一つ、あるようなのだ。
私はそのことを先日、九段下で感じたのである。

2008年01月03日

恋心

さっき、テレビで『徳川風雲録』という時代劇を観ていて、大奥取締・絵島を演じる黒谷友香さんに恋心を抱いてしまいました。美しすぎる…。
新年早々くだらない話でごめんなさい(でも私にとってはくだらなくないんです。ネットで調べたら私と同い年なんですね。へぇー)。
ともあれ、今年も皆様にとってよき一年でありますよう。

2008年02月08日

勉強中

最近は朧座の新作に向けてあれこれ勉強中である。気持ちの整理がついていないので、文章化に時間がかかる私としては、なかなかこのブログの更新が手につかない。そもそも、ある程度軽い気持ちでないとブログなど出来ないと思うが、そのような気持ちに今は到底なれないのである。
待って下さっている方、ごめんなさい。
新作の題材を打ち明けたとある友人が「思いつめる前に電話下さいね」と言ってくれた。持つべきものは友である。

2008年02月29日

暇があれば

先の大戦や靖国神社に関する本や映画など観ています。
知れば知るほど、何と言うか、心がひび割れていくような感じです。読んでいて、いつの間にか微熱気味になってくるのです。
今申楽では、これまでに平安時代や鎌倉時代の話を取り上げてきました。次は、漠然と室町時代あたりで行こうかな、などと思っていた矢先、すーっと私の心に「近現代」という時代がやって来たのです。
室町もやりたいし、いつかは奈良時代なんてのにも挑戦してみたいと思っていますが、しかし今は近現代。ここを乗り越えないと、「今申楽」を名乗る資格もない。最近、そう思うようになりました。
ふとニュースに目を転ずれば、中国の毒餃子に米兵の中学生暴行、さてまた自衛隊の不祥事と、今の私の心にはいささか刺激の強い話題が続いています。「早くやれ」と、どこからか言われているような気がしてなりません。
必ず書き上げます。

2008年03月07日

多忙

先日、用事があって、多摩の東京都埋蔵文化財センターを訪れた。
そこで驚いたのだが、玄関を入ってすぐのところに、縄文土器が置かれていて、その表面に、不思議なモノが、張り付くようにして描かれている。
なにやら、人とも精霊ともつかぬそれは、バンザイをしているように見える。

これが、去年の夏から構想を温めてきたものの、暮れに目下の目標が「戦争もの」に移ってしまい、当面棚上げ状態にある「芸術家もの」に登場させようと思っていたキャラクターに、瓜二つなのである。

水木しげる氏が、江戸時代の鳥山石燕の絵など見て、自分の捉えた妖怪の感じが既にそっくり描かれていることを知って驚いたというようなことをしばしば述べておられる。ああ、こういうことかと思った。

私は、誠に僭越な表現で恐縮だが、次作の戦争ものは命がけで執筆、上演する覚悟であるので(そういう覚悟でないと許されない作品になる予定であるので)、その後に命があるかどうかわからない。
しかし、無邪気なバンザイで私を出迎えて見せた多摩の縄文人を見て、ああ、こっちも待っている、おちおち死んでもいられぬと少し思い直した。

2008年03月18日

にほんの里100選

にほんの里100選候補地募集」とのことなので、静岡県伊豆市修善寺・湯舟地区(修禅寺奥の院道)を推薦させて戴きました。以下、その内容です。
「修善寺温泉街の中心に位置する修禅寺から西へ5キロメートルほどのところに奥の院・正覚院があります。寺の開祖とされる弘法大師が若い時修業を積んだという場所で、いわば修禅寺並びに修善寺温泉発祥の地であり、地元の人たちに親しまれています。寺と奥の院との間を結ぶ小道は、奥の院道と呼ばれ、傍らを流れる桂川のせせらぎとともに、箱庭のように美しい田園風景を楽しみながら散策することができます。この辺りで採れる地野菜の美味しさは格別。さらに足を伸ばせば、県の天然記念物・カツラの木など、達磨山麓に広がる大自然に触れることもできます。」
寅さんも行けば良かったのに。良いところです。

2008年03月30日

導き

小笠原島に行ってきた。今日、帰ってきたところである。
まだまだ心が整理出来ていない。

この島には、先の戦跡が、今も生きて残っている。このような場所は、この小笠原の父島・母島・硫黄島だけだと、現地のガイド・板長さんが教えて下さった。かの島で戦跡案内をご希望の折は、是非ともこの板長さんをお勧めする。上の兄何人かを兵隊にとられ、うち一人は戦死。5歳の時、終戦。今でも、当地の戦跡研究に没頭しておられるという。こういう方でなければ、わからない事がたくさんある。

またこの島には、人情が残っている。
島を発つ時、地元の方々が港で送ってくれるのだが、あれほど純な人情というものを、私は生まれて初めて見た。
一緒に行った86歳の祖母が、「昔の日本人だ」と言っていた。

そのようなわけで、小笠原こそは今も日本の砦である。と、結論してみるのである。

それにしても、なぜだろう。
祖母が「鯨を見たい」と言い出し、母が連れて行くことになり、私はついでに誘われて、金魚の糞のようについて行っただけの話なのだが。
そこには、実に様々な光景が私を待っていた。朧座の新作で先の大戦を扱おうとしている私にとって、それはあまりにも必要な光景ばかりだったのである。

改めて、見えざるものの導きを感じた。
「書け」と。

2008年04月03日

花見

靖国神社に花見に出かけた。訳あって、今年はここの満開の桜を、是非とも目に焼き付けておきたかったのである。
いつもは何もない境内の一角が、今日は幕で仕切られ、かなりの数のパイプ椅子が置かれていた。今日から3日間、ここで恒例の「奉納夜桜能」が催されるというのである。
空模様は快晴、境内の桜という桜は今まさに満開の時を迎えている。咲き匂うそばから、しかも、こぼれるように散って行く。その桜のもと、由緒ある能舞台で演ぜられる今夜の『蝉丸』は、さぞ情緒も抜群であろうと思われた。受付の方が「今日は最高ですよ、是非ご覧になって行かれなさい」と熱心に勧めて下さる。
時間もあるし、観て行こうかな、と、一瞬思った。そして、すぐに取りやめた。

この贅沢なシチュエーションにただただ圧倒され、魅了され、その美に酔い尽くす。ああ、やっぱり日本人に生まれてよかった、などと思ってみたりもする。普通はそれで良いのだろう。神社という場所に足を運んだ者の所感として、妙な表現だが、まずは正解に属するのだろう。
浸るのは日本人の癖だ。そして、確かに桜の花というのは、無条件に人を浸らせてしまう。

だが、しかし。ここの桜は、本当はただの桜ではないはずである。

明日は『巻絹』、明後日は『杜若』が演ぜられるという。それもよい。
が、この靖国の桜のもとで真に演ぜられるべき曲を、おそらく世阿弥ら往古の能作者は、誰一人として手がけてはいないと私は思う。

舞台の前では、神職がお祓いをしている。客席では、スタッフが諸々の準備に駆け回っている。
関係者がそこかしこを忙しく行き交うなか、私は、パイプ椅子の一つに勝手に腰掛け、実は彼らと全く違うことばかり考えていた。

2008年04月13日

矛と盾

映画『靖国 YASUKUNI』、何はともあれ、観てみたい。「一部の人々」のせいで観られないという事態は残念である。
しかし、もしも、実際に観てみて、そんな「一部の人々」に賛成したくなる内容だったとしたら…。

2008年04月27日

神社にも歴史がある

昨日、久しぶりに修禅寺に行って来た。
近くの喫茶店にて、地元の方から思いもかけない嬉しい言葉をかけて戴いた。
本当に嬉しかった。

さて、行きはバスだったが、帰りは修善寺駅まで歩いてみることにした。徒歩40分くらいの道のりである。
途中の道沿いに、とある神社が建っているのは前から知っていた。そして、「前に一度くらいはお参りしたことがあるはずだ」と勝手に思い込んでいたが、昨日、境内に足を踏み入れてみて、もしかしたらそれは錯覚だったかも知れないと思いなおした。

『修禅寺』という本を書くにあたって、関連する場所には、基本的に全て足を運んでいるつもりだった。伊豆山神社や建仁寺などなど、話の内容と直接のつながりはない場所であっても、である。そして、この神社も、『修禅寺』とまったくの無縁というわけではないのだ。
訪れていておかしくない。むしろ、一度も訪れていない方がおかしい、といっても過言ではないような場所なのだ。

ここを訪ねたという明確な記憶がない。日記などつけていれば、確かめられたのだが。
境内を見渡した時に、既に「おや」と感じていたが、案内板の説明を読んでいくうちに、「やっぱりここに来るのは初めてではないか」という思いが増してきた。
もし、前にも来たことがあるとするなら、その記憶はほとんどまったく、私から失われているのである。

何らかの力によって、執筆中の私がここに来ることが阻まれた。又は、ここに来た記憶が消された。
一応、そう想像することも出来なくはなさそうだ。が、想像はこのあたりで措くとしよう。
事は人智の及び難い領域に属するのかも知れぬ。

ただただ、私は「神社にも歴史があるのだな」などと思いつつ、修善寺をあとにした。

神社にも歴史がある

昨日、久しぶりに修禅寺に行って来た。
近くの喫茶店にて、地元の方から思いもかけない嬉しい言葉をかけて戴いた。
本当に嬉しかった。

さて、行きはバスだったが、帰りは修善寺駅まで歩いてみることにした。徒歩40分くらいの道のりである。
途中の道沿いに、とある神社が建っているのは前から知っていた。そして、「前に一度くらいはお参りしたことがあるはずだ」と勝手に思い込んでいたが、昨日、境内に足を踏み入れてみて、もしかしたらそれは錯覚だったかも知れないと思いなおした。

『修禅寺』という本を書くにあたって、関連する場所には、基本的に全て足を運んでいるつもりだった。伊豆山神社や建仁寺などなど、話の内容と直接のつながりはない場所であっても、である。そして、この神社も、『修禅寺』とまったくの無縁というわけではないのだ。
訪れていておかしくない。むしろ、一度も訪れていない方がおかしい、といっても過言ではないような場所なのだ。

ここを訪ねたという明確な記憶がない。日記などつけていれば、確かめられたのだが。
境内を見渡した時に、既に「おや」と感じていたが、案内板の説明を読んでいくうちに、「やっぱりここに来るのは初めてではないか」という思いが増してきた。
もし、前にも来たことがあるとするなら、その記憶はほとんどまったく、私から失われているのである。

何らかの力によって、執筆中の私がここに来ることが阻まれた。又は、ここに来た記憶が消された。
一応、そう想像することも出来なくはなさそうだ。が、想像はこのあたりで措くとしよう。
事は人智の及び難い領域に属するのかも知れぬ。

ただただ、私は「神社にも歴史があるのだな」などと思いつつ、修善寺をあとにした。

2008年05月06日

来宮にて

熱海の来宮神社は、私の大好きな神社の一つ。境内の大楠はいつ見ても飽きない。なるほど、これを見て神坐す座と感得する古代人のセンスの方が正しいと、いつもながらに思うのである。
先日もここを訪れた。
参道の石段を登る途中、とある家族連れと横並びになった。
おばあちゃんが孫に「ここにはね、木の神様がいるんだよ」と言った、その途端である。孫は「え?ほんと?」などと目を輝かせながら、元気に駆け出していた。その後大楠と対面して、祖母の解説に納得したことと思われる。

神社に詣でるというのは、つまるところ、こういう体験であろう。
観念だけでは、子供が走り出したりはしない。大人に神様がいると言われて、子供が思わず走り出さずにはいられぬような信憑性。ここには確かに神がいるかも知れぬと子供に思わせるだけの、その土地の持つ説得力。そのような、いわば論理を超越した何物かが、神社という場所にはある。

観念、それは往々にして政治や宗教に利用されつつ、民草の素朴な信仰とは別物の様相を呈して行く。

来宮の大楠を見るが良い。日本人は、おそらく、そこに無条件に「何か」を見出すはずである。
「何か」がそこにあるか否かをめぐって議論百出するようでは、つまり、まだまだそこは「お社」として熟していないということであろう。

2008年06月06日

産声

あっという間に6月になってしまった。
去年の暮れから、新作の想を練り続けている。苦しい。難産である。今までで一番楽をしたかったのに、今までで一番の難産である。そういうものなのであろうか。
痩せる、肌が荒れる、自分の面倒が見られなくなる。ブログを更新する余裕なんか、まるでなくなる。
一言ぐらい書けば良いのにと、我ながら思う。このブログが唯一の近況報告なのだから。
しかし、一言も書けない。私の場合、どうしても、そういう期間がある。

今日は久しぶりに、心の余裕が出来たのだ。だから今、こうしてパソコンに向かっている。


前作『修禅寺』の一番最初の台詞は「万寿 万寿 やれいとしや/どれ 海を見に参らう」というものだった。が、誰にも見せたことのない「第零稿」では、こうだった。

「思ひは伊豆の湯の里に 思ひは伊豆の湯の里に 我が子の跡を弔(と)はうよ」

お恥ずかしいような、それでいて、忘れる前に、ついご披露しておきたいような。
(一生忘れないような気もするが…。)


前2作(『香炉峯』『修禅寺』)、そして今度の『○○○』(まだ内緒)、三つに共通して言えそうなのは、結局、全部私の「私演劇」なのだということ。いや、『○○○』は書いてみないとわからないが、おそらく、前2作以上に「私演劇」になるだろう。そんな気が、今はしている。
歴史に材を求めておいて、何が「私演劇」かと言われそうだが、しかし、これが私の偽らざる実感。
歴史を冒涜することなきよう、かえって肝に銘じておかねばならないと、最近とみに思うのである。

私の「私演劇」なんぞにお付き合いさせてしまった今までの登場人物たちには、正直、申し訳ないと思う。(源頼家には修禅寺に行く度に謝っている。清少納言は墓のありかさえ分からず、困っている…)
そして、この本は本当にこのままで良いのか、書き直すべきところはないか、せめて生あるうちは推敲に推敲を重ね、世に問い続けるよりほかはない。勝手に、そう信ずる次第。
さて、今度の『○○○』でお付き合い戴くのは…

私はこの半年、彼らとの接点を求めようと必死だった。そこに「遊び」を持たせる余地はなかった。
ところが、今日あたりから、なぜか楽しくなり始めたのである。彼らとの付き合いが。
彼らは、多く、無名の人である。しかしながら、彼らはまとめて「英霊」と称され、ある時は持て囃され、またある時は蔑まれ、その祭祀のあり方をめぐり長く紛糾の種であり続けてきた。彼らと遊ぶ余裕は、今まで、全くと言っていい程なかった。

その余裕が芽生えたのだ。楽しくない筈がない。
いつか産声を上げてくれるだろう。

2008年07月04日

「なんでもいいから、なんかやろーよー」

ある劇団の芝居を観に行った。芝居自体はなかなか面白かったのだが、帰りしな、その芝居の関係者に言われた言葉。
「元気?みんな心配してるよ。朧太夫が演劇界からいなくなっちゃうんじゃないかって。書いてる?」
はい、頑張ってます、今までの奴の再演のチャンスもうかがってます、とかなんとか答える最中、他のお客も劇場から出てくる。その中にも知り合いがいて、
「あ、朧さん。元気ですか?」
これまた幽霊でも見たような顔つきだ。前出の関係者が「ほら」と合の手を入れる。

確かに、もう少しペースをあげたいとは私も思っているのだが。

要するに、ポンポン書けるような才能がないのだ。年に3本だの4本だの。
特に今回取り組んでいる戦争ものは厳しい。想はなんとなく熟しつつあるのだが、とにかく書き出すのがえらくしんどい。これは一度、沖縄あたりに行かんとならんかな、いや下手に行くとかえって何も書けなくなるかもしれんぞ、などと悩みに悩んでいる。
正直、顔つきなんかもかなりゲッソリしてきていると思う。季節のせいもあるかも知れないが、最近は1日1~2食である。そして、これがある意味一番きついのだが、変な夢ばかり見るのである。

「なんでもいいから、なんかやろーよー」と、その関係者は言って下さった。「なんでもいいのかよ!」と心の中で突っ込みながらも、しかし、こういう底抜けな明るさが、今の私にはとてもよく効く。1月あまり前だったか、嘔吐下痢症なるものに初めてかかり、近所の病院で点滴を受けながら昏睡した時の感じにちょっと似ている。
「スクワレルー」という感じなのだ。

「なんでもいいから、なんかやろーよー」

ある劇団の芝居を観に行った。芝居自体はなかなか面白かったのだが、帰りしな、その芝居の関係者に言われた言葉。
「元気?みんな心配してるよ。朧太夫が演劇界からいなくなっちゃうんじゃないかって。書いてる?」
はい、頑張ってます、今までの奴の再演のチャンスもうかがってます、とかなんとか答える最中、他のお客も劇場から出てくる。その中にも知り合いがいて、
「あ、朧さん。元気ですか?」
これまた幽霊でも見たような顔つきだ。前出の関係者が「ほら」と合の手を入れる。

確かに、もう少しペースをあげたいとは私も思っているのだが。

要するに、ポンポン書けるような才能がないのだ。年に3本だの4本だの。
特に今回取り組んでいる戦争ものは厳しい。想はなんとなく熟しつつあるのだが、とにかく書き出すのがえらくしんどい。これは一度、沖縄あたりに行かんとならんかな、いや下手に行くとかえって何も書けなくなるかもしれんぞ、などと悩みに悩んでいる。
正直、顔つきなんかもかなりゲッソリしてきていると思う。季節のせいもあるかも知れないが、最近は1日1~2食である。そして、これがある意味一番きついのだが、変な夢ばかり見るのである。

「なんでもいいから、なんかやろーよー」と、その関係者は言って下さった。「なんでもいいのかよ!」と心の中で突っ込みながらも、しかし、こういう底抜けな明るさが、今の私にはとてもよく効く。1月あまり前だったか、嘔吐下痢症なるものに初めてかかり、近所の病院で点滴を受けながら昏睡した時の感じにちょっと似ている。
「スクワレルー」という感じなのだ。

2008年07月06日

「舞歌」の次元に濾されなければ

親しくさせて戴いているSさんのお勧めで、大田文化の森ホールにオペラを観に行った。
皆さんオペラの演じ手としては大変魅力的なのだが、正統なオペラとオペラの間をつなぐ不正統(?)な寸劇的箇所になると、途端に人によって力の差が出てしまう。
なぜオペラをやってる時は魅力的なのに、寸劇となると駄目なのだろう…と考えつつ、もって自戒に変えることとした。
単に制御されていない身体を、「リアリズム」などという怪しげな美名で誤魔化すのはもうやめようや、という自戒である。舞台上のあらゆる所作は、制御されなければ、世阿弥の言う「舞歌」の次元に濾されなければならない。
(日本の伝統芸能の世界を知り尽くしている関係者が、朧座にしばしば惜しむように寄せる「美しくない」という言葉、それは上記の如き意味あいであるはずだ)
そして、オペラをやってる時はもちろん、やってない時も「舞歌」になってる方は、やはりとびきり魅力的なのである。九嶋香奈枝さんという方(モーツァルト『魔笛』のパパゲーナ役)が、まさにそういう演技をしておられた。
一面識もない演者に魅了されるというのは、実に幸福な体験である。

2008年08月05日

沖縄取材旅行

先月下旬、初の沖縄訪問を果たしてきた。
目標は、ともかく沖縄の地を踏むこと、沖縄を肌で感じること、である。

25日
700頃羽田空港発─945頃那覇空港着─(モノレール)─旭橋駅─(駅付近で自転車を借り、国道329・331号線経由)─1350安座真港着・1400同港発─(高速船・自転車ごと搭乗)─1420久高島徳仁港着─(レンタサイクルで島内めぐり及び海水浴少々。カベール岬・フボー御嶽〈ウタキ〉入口・久高殿など)─1700同港発─(高速船)─1720安座真港着─(レンタサイクルにて331号線経由)─1740斎場(セイファー)御嶽入口(『てくてく歩き沖縄』に「見学自由」とあるのに騙される。実際には入場は1730までとのこと。後日出直しを期して撤退)─(レンタサイクルにて国道331・329号線経由)─県庁前・居酒屋兼民宿よね屋泊(夕食及びご主人と沖縄談義)
26日
1000頃よね屋発─(レンタサイクル)─旭橋駅─(駅付近で自転車を返した後、レンタカー会社に迎えに来てもらい、古波蔵で車を借りる。以下レンタカー)─旧海軍司令部壕─喜屋武岬─魂魄の塔─ひめゆりの塔・ひめゆり平和記念資料館─勇魂の塔・黎明の塔─2020古波蔵着(車を返し、よね屋まで送ってもらう)─よね屋泊(昨夜と同じく。ご主人から読谷在住の彫刻家K氏訪問を勧められる)
27日
900頃よね屋発─(前日と同じレンタカー会社に県庁前まで迎えに来てもらい、古波蔵で車を借りる。以下レンタカー。国道58号線を北上、右手に米軍嘉手納基地のフェンスを眺めつつ)─読谷村(地元の方に尋ねまわってようやくK氏のアトリエに辿り着くも、残念ながらお留守。ただし玄関に氏の活動を紹介した地元の新聞が張ってあったのでこれを読む。思うところ多々あり。ともかく氏の「芸術家・表現者はその属する国家や民族に正面から向き合わぬ限り、その資格なし」との趣旨に励まされ、また私自身はあくまでも戦後生まれのヤマトンチューでしかあり得ぬ事を思いつつ、読谷をあとにする。国道329号線を南下)─斎場御嶽─平和の礎─沖縄県平和祈念資料館─沖縄師範健児之塔─(帰路、レンタカー会社に電話、翌日まで延長)─国際通り(青島食堂にて夕食後、ぱやお栄町店にて泡盛少々。ここで地元の若者や酔っ払いらと少々会話。他に旧崇元寺石門周辺散策等)─よね屋泊
28日
800頃よね屋発─(レンタカーにて)─国立沖縄戦没者墓苑・沖縄平和祈念堂(公園内で花屋のオバアと歴史談義)─首里城・金城町石畳道─1530古波蔵着(車を返し、那覇空港まで送ってもらう)─1730頃那覇空港発─2000頃羽田空港着

来なければわからなかった。
特に、久高島と斎場御嶽で受けた印象。何を言っても安くなる。この印象は私一人の胸のうちに留め置くことにする。
南部の慰霊地一帯には、結局3日間とも足を運ぶこととなった。
次作の想を練りながら、というより、そもそも私に先の大戦を扱う資格があるか否かを問いながらの散策であった。
摩文仁の丘のそこかしこに建つ碑に手を合わせながら、やっぱり、私は先の大戦を書きたい、書かねば、と思った。どれほどの駄作に終わるかは書いて初めて分かること、と。

ただ、一つだけ、備忘録としてしたためておきたい。
私は、昨年7月の勧進今申楽のあと、骨休めに上海に行った。そして、そこで観た中国古代の青銅器群にすっかり魅了されてしまった。そこで、よし、今度はこういうものを零から生み出した連中、すなわち芸術家の話をやろう、と思った。
それが、昨年12月あたりを境に、戦争の話に移っていってしまったのだが、しかしこれは題材が変わったわけでは決してなかったのである。
芸術家の話と、戦争の話とは、私の中ではつながっている。その事に、私は沖縄に来てようやく確信を得たのだ。

2008年08月08日

ある能のチラシを見て

毎年恒例の新宿御苑薪能。今年のポスターを先日初めて見かけた。
デザインが格段に進歩している。今までの、能面(白式尉)を載せただけのものよりよほど良い。
能のチラシで能面を使うのは、私はあまり好きではない。そういうチラシから受ける印象、それは
「あ、能ね」
その一事に尽きる。これは、能に馴染みがあるなしにかかわらずである。
能に馴染みがある人々には「お、今度のは気合が入ってるな」と期待させ、馴染みがない人々には「へえ、一度行ってみるか」という気を起こさせないといけない。
やる側は「能でござい」、見る側は「あ、能ね」。これを思考停止というのである。やる側にも見る側にも「能ってなんだ?」そういう問いを突きつけ続けるようなチラシでないといけないと思う。
そんな能のチラシ、はっきり言って見たことないが、今回の新宿御苑のはいささかなりともそういう方向性を示している。今まで見た能のチラシの中では、相当の佳作だと思う。新宿区観光協会は、サイトにもっと大きくこのデザインをうち出した方が良い。

さて、たいぶ持ち上げたところで、苦言も一言。
デザインは良くなったが、惹句がひどい。曰く、

「王朝の美学─伊勢物語と源氏物語」

なんとかならんか、こういうの…。

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2008年08月12日

「ゴーマンかましてよかですか?」

靖国や特攻隊の話を書くために必要な本を買い揃えていたら、読みかけのものがだいぶ溜まってきてしまった。小林よしのり氏の『ゴーマニズム宣言』シリーズもその一つ。並の類書を遥かに凌ぐ情報量、そして私は何よりその画力にいちいち感嘆しながら読むので、全て読破するには相当時間がかかる。先頃出た『パール真論』なども、本当はもっとちゃんと読まないといけないのだが、今月末まではじっくり読む時間が取れない。

例の「ゴーマンかましてよかですか?」のあと、私は実はこんなゴーマンをいつか氏にかましてもらいたいと思っている。
試みにネームを考えてみた(私なりのゴーマンである)。
「恐れながら天皇陛下に申し上げる!
せめて春秋の例大祭には昭和50年以前のごとく、御親拝を賜りたい。
このままでは天皇の御名のもと散華したわしらの祖父たちは浮かばれません。
靖国問題に終止符を打てるのは、まことは陛下御一人をおいて他にない。
英霊を安んずるのはわしら日本人のつとめ。陛下、あなたこそその代表者であります」

無理かなあ。氏はおそらく、上記のような考えを持ってはいると思う。時節にあらずということか。
最終回には是非、ぶちかまして戴きたいと思う。

「ゴーマンかましてよかですか?」

靖国や特攻隊の話を書くために必要な本を買い揃えていたら、読みかけのものがだいぶ溜まってきてしまった。小林よしのり氏の『ゴーマニズム宣言』シリーズもその一つ。並の類書を遥かに凌ぐ情報量、そして私は何よりその画力にいちいち感嘆しながら読むので、全て読破するには相当時間がかかる。先頃出た『パール真論』なども、本当はもっとちゃんと読まないといけないのだが、今月末まではじっくり読む時間が取れない。

例の「ゴーマンかましてよかですか?」のあと、私は実はこんなゴーマンをいつか氏にかましてもらいたいと思っている。
試みにネームを考えてみた(私なりのゴーマンである)。
「恐れながら天皇陛下に申し上げる!
せめて春秋の例大祭には昭和50年以前のごとく、御親拝を賜りたい。
このままでは天皇の御名のもと散華したわしらの祖父たちは浮かばれません。
靖国問題に終止符を打てるのは、まことは陛下御一人をおいて他にない。
英霊を安んずるのはわしら日本人のつとめ。陛下、あなたこそその代表者であります」

無理かなあ。氏はおそらく、上記のような考えを持ってはいると思う。時節にあらずということか。
最終回には是非、ぶちかまして戴きたいと思う。

2008年09月19日

「古い」という言葉

友人T君より久方ぶりに電話あり。今夏、靖国神社境内で劇団夜想会による野外劇が催され、それを観てきたという。映画『俺は君のためにこそ死ににいく』の舞台版だったとのこと。私も誘ったのだが、携帯電話が繋がらなかった由。
それに対するT君の感想、さてまた朧座の次作に対する希望、ともども聞かせてもらった。

私はといえば、実はこのところ完全に鬱状態。その鬱が嵩じて、先日、腰まで痛めてしまった。(整体して戴いている方によれば、私は頸椎による骨盤の歪みがあるため、ストレスに非常に弱い状態らしい。)
先日NHK教育で能狂言を観て、ああ、善竹十郎さんの息子さん(失礼、鬱で名前も覚えていない)が良い演技をしておられるなあ、申楽の正統はやはり狂言に伝えられているのだろうか、もっと狂言を勉強せねば…とかなんとかボンヤリ思い、そのことだけでもブログに書き綴っておこう、と思っている間にも早1、2週間経ってしまった。
鬱になると、私の場合、活字が読めない、時の流れについていけない、そしてとにかく眠くて眠くて仕方がない、等の症状が出る。

次作の執筆のために買い揃えた資料類に目を通す気力も、今はすっかり衰えている。
しかし、これもやむを得まい。こういう時期もあるのだ。

そういう時期にT君の言葉は良い励ましになった。T君、どうもありがとう。

「今」申楽を号する身として、「古い」作品を創るつもりは毛頭ない。彼がいくつかの戦争ものを批判していう「古い」という言葉が、今の私に一つのヒントを与えてくれたように思う。

「古い」という言葉

友人T君より久方ぶりに電話あり。今夏、靖国神社境内で劇団夜想会による野外劇が催され、それを観てきたという。映画『俺は君のためにこそ死ににいく』の舞台版だったとのこと。私も誘ったのだが、携帯電話が繋がらなかった由。
それに対するT君の感想、さてまた朧座の次作に対する希望、ともども聞かせてもらった。

私はといえば、実はこのところ完全に鬱状態。その鬱が嵩じて、先日、腰まで痛めてしまった。(整体して戴いている方によれば、私は頸椎による骨盤の歪みがあるため、ストレスに非常に弱い状態らしい。)
先日NHK教育で能狂言を観て、ああ、善竹十郎さんの息子さん(失礼、鬱で名前も覚えていない)が良い演技をしておられるなあ、申楽の正統はやはり狂言に伝えられているのだろうか、もっと狂言を勉強せねば…とかなんとかボンヤリ思い、そのことだけでもブログに書き綴っておこう、と思っている間にも早1、2週間経ってしまった。
鬱になると、私の場合、活字が読めない、時の流れについていけない、そしてとにかく眠くて眠くて仕方がない、等の症状が出る。

次作の執筆のために買い揃えた資料類に目を通す気力も、今はすっかり衰えている。
しかし、これもやむを得まい。こういう時期もあるのだ。

そういう時期にT君の言葉は良い励ましになった。T君、どうもありがとう。

「今」申楽を号する身として、「古い」作品を創るつもりは毛頭ない。彼がいくつかの戦争ものを批判していう「古い」という言葉が、今の私に一つのヒントを与えてくれたように思う。

2008年12月01日

まんとくんは全然かわいくない

再来年は平城遷都1300年。その1300年祭マスコットキャラクターをめぐる論争も、熱しやすく冷めやすい世間からは既に忘れ去られつつあるようだ。
だが、この話題が完全に風化してしまう前に一言言っておきたい。既に誰かがどこかで言っているかも知れないが、この一見たわいもない論争の背後には、実は日本文化の負の一面たる陰湿ないじめ根性が潜在している。私はそう思う。
何を可愛いと思い何を可愛くないと思うか、言うまでもなく人それぞれの自由勝手である。多数派の支持を得たものが人気者の座を占め、少数派は日陰にひっそりと生きて行かざるを得ぬこと、これまた無理からぬことであろう。

だが、しかし。「せんとくん」を可愛くないと思う者たちの作ったキャラクターは、なぜ、「まんとくん」なる皮肉めいた名を帯び、しかも実際、およそ無用と思しいマントを羽織っているのだろうか。平城遷都の象徴として鹿もわかる、朱雀門もわかる、しかしマントだけはわからない。皆目意味がわからない。
ただの偶然なのだろうか。「せんとくん」対抗キャラクターを募ったところ、最優秀作がたまたまマントを着けている、そこでただ素直に馬鹿正直に「まんとくん」と命名したのだろうか。たとえそうであったとしても、その無邪気さは逆に悪質で深く人を傷付けると思う。それにそもそも、他意なしなどということはあり得まい。要するに、よってかたってのあてつけ、いやみに他ならぬと私は推測する。
「せんとくん」に不満があるならば、関係者は堂々と潔く、一から新キャラクターを生み出すべきであったろう。ところが新キャラクターは残念ながら、生まれながらにして親たちの負の動機、負の情熱を背負ってしまっている。いやみったらしい卑屈なマントと、それにちなむいやみったらしい卑屈な名を与えられてしまっている。

大和路を見て歩くに、また時折万葉集などひもとくに、1300年前のこの国は、も少し太く大らかな国柄であった気もするのだが。いつしか、大勢にへつらい、それに属さぬものは苛め抜くという悪弊を身に付けてしまったように思われる。

2009年01月19日

鬱と構想の間

年末あたりに1度、新しい文章を載せようとしたのだが、キーボードを打っている最中にパソコンの電源が突然切れ、すっかり投げ出したまま年を越してしまった。
このブログの感想を、年賀状の中にしたためて下さったり、新年会で久々に会う方が「読んでるよ」と伝えて下さったりすると、こんな更新頻度ではいかんなあと改めて思うのである。しかしながら、本当に今、余裕がないのである。余裕がないのに無理して必死に書いているのに、途中で電源がぶっ飛んだりするものだから、余計に心に傷を負ってますます遠ざかったりするのである。
傷を負ったと言えば、他にもいろいろある。『篤姫』を観ていても傷付く、『天地人』を観ていても傷付く。なんであんなに武士を弱そうに、ことさらに弱そうに描くのか。そして、そういうものが結構な人気を獲得しているのだろうか。私にはわからない。(『篤姫』のオープニングテーマは良かったと思うのだが。)
友人邸でのゲーム大会に誘われて、そこで初めてさる有名なテレビゲームをやってみて、またまた傷付く。最初のうちは面白いと思っていたのだが…「他社を乗っ取る」というような選択肢が当たり前のように出てくるのに驚き、呆れる。いまどきの子供はこんなもので遊んでいるのかと思うと本当に恐ろしい。「他社を乗っ取る」ような者には「穢れがたまった」「天罰が当たった」「破滅した」というようなペナルティーを設けるのがゲームデザイナーとして当然である。誠に今の世の中、倫理というものが失われて久しい。江戸時代の方がまだしも上だったのではないかというのが最近の私の所感である。
他にも言い出せばきりがないほど、今の私には諸事、鬱のもとである。

今、作家としての私は、鬱と構想の間を行きつ戻りつしながら生きている。日々、魂が生きたり死んだりを繰り返している。新作脱稿まで、道のりはまだ長い。お待ち戴いている皆様には心苦しいが、今少しお待ち戴きたい。


2009年02月09日

歴史を冒涜することなく

一昨年の勧進今申楽で「笛」をお願いした太田さん。ひょんなことから先日一緒に飲むことになった。
曰く「朧太夫のブログを読んでると心配でしょうがない。およそ文章家のブログじゃない。狂ってるよ。」

最近は本当に洒落ではなくなってきているのである。元海軍の方に面識を得てインタビューさせて戴いたり、世田谷の特攻観音にお参りしたところ、思わぬ方と出会い思わぬ御助言を戴いたり、つい先日もさる堂上貴族の御子孫に偶然お会いし、そこで靖国にまつわる思わぬお話をうかがったり…
いずれも、どう考えても偶然で片付ける訳には済みそうにない出会いが、さらに次なる出会いを呼び…という感じ。
私は、とにかく靖国・特攻隊に関する作品を最後まで書き上げねばならない。果たして私に書けるかどうか、荷が重すぎはしまいかと一時は弱気にもなったが、今では腹を決めている。

手元の構想メモは、結構な分量になりつつある。何せほぼ毎日、何かしら書き綴っている。それをこのブログに載せるわけには行かないのがもどかしい。
ポイントは、とある少尉が残した辞世の歌である。あまりの純粋さゆえ、私が今までに見かけた中で、もっとも心打たれる一首。その中に「御国」という言葉が出てくる。さて、少尉がこの一語に込めたものはなんであろう。それが知りたい。知ることは永久に不可能であろう。にもかかわらず、私はそれを知りたい。また、おそらくそれを次作の中に描かねばならぬ。
私は、ここ数日、その少尉の心が、ほんの少しだけわかってきた気がするのである。
歴史を冒涜することなく作品にその歌を引用するためには、作家として少なくともかくかくしかじかの手続きを経ねばならないであろう、ということが。

と、次作にまつわる話はあれこれと尽きないのだが、さて、次作のことばかりかかずらっているわけにも行かない。
『修禅寺』3度目の上演を現在企画中である。詳細は決定次第、随時当サイトでお伝えさせて戴く。御期待を乞う次第である。

2009年03月09日

旧日本軍と同性愛的傾向

旧友が突然電話をかけてきた。「お前のブログ読んでるよ。読んでて重くなるんだよな」
だったら読むなというような子供じみた反応はしない。「ごめんねぇ」と返しておいた。
まあ、でも、旧友と同意見の方がおられたら、ほんと、ごめんなさいねぇ。

今日は、近所の温泉に行ったのだが、そこで少し驚いたことがある。
やたら体格の良い一行が入ってきたのだが、彼らは、温泉につかったり水風呂に移ったり、いちいちお互いに同じ行動を取るのである。ジャグジーも一緒、サウナも一緒。
あのぶんでは、トイレも一緒に行くのであろうか。まさかとは思うが、しかしそう思わせるほど、それほどまでに行動を合わせたがるのだ。
不思議だ。私にはない、少なくともないつもりの感覚、習性である。
土居建郎の『甘えの構造』に、確か、同性愛と同性愛的傾向に関する一章があったと思う。日本人は、甘えのなせる業として同性愛的傾向が強い(夏目漱石『こころ』にそれは顕著である)、ただしそれが同性愛に発展することは稀である、そんな内容だったかと記憶している。
土居の言説に従えば、あの温泉の光景は、まさに「同性愛的傾向」なるものの爆発図絵であったに違いない。あの体格は、大学の体育会系というより格闘技家の集団を思わせるものがあった。そういう集団では殊にそのような傾向があるのかもしれぬ。しかし、考えてもみれば、サラリーマンなんかの世界でも実は非常にありそうな傾向である。
極言すれば、日本的男社会にほぼ普遍的に認められる傾向なのではあるまいか。

旧日本軍でも、それはあったのであろうか。
次作の秘部に触れるので、これ以上書くわけには行かぬ。それにしても、ああ、わからない、悩ましい。

本日も重いネタで恐縮である。

2009年04月05日

場末の桜に思う

先月の中旬あたりから、俄然、朧座の9月公演の準備が忙しくなり始めた。
嬉しかったのは、制作K氏と飲みに行った新宿の飲み屋T(私は初めてだったのだが、ここは演劇関係者の間では有名な店。というのも、店のご主人が俳優兼演出家であり、かつまた狂言師でもいらっしゃる)で、そのご主人が「えーっと、あなたをどこかで見たことがある!そうだ!杉並公会堂の修禅寺物語!」と、私のことを覚えて下さっていたことだ。(ちなみに、正確には「物語」は付かないのだけれど…)
舞台はたったの一回限り、演じたそばから消えてゆく。それをこうして記憶のどこかにとっておいて下さって、私の顔を見て思い出して下さった。役者の端くれとして、こんなに嬉しいことはない。
その後、伊豆の修禅寺に公演のご報告に参上したり、その途中、昼食をとりに入った地元のお蕎麦屋さんから、有難いといおうか恐れ多いといおうか、ともかく思いもかけぬお話をうかがったり…毎日何かしらの事件や出来事はあるわけで、それをいちいちブログに書き綴れば、それなりの読み物になるかもしれない。
しかし、そうは言ってもやはり、心の中にそっとしまっておきたいような事柄、また少なくとも今は公に出来ないような事柄もまた大変に多い。ちなみに、劇団を主宰する某大先達のブログのタイトルなど、ずばり「○○のたわごと」という。そう、たわごとぐらいしか書けないし、また、たわごとでいいんだという気もする。

そんな具合でこの半月ばかり、何かと慌しい日々を送っていたが、今日、ふと時間の余裕が出来て、心もそぞろに近所のプールに泳ぎに出かけた(つまり、わざわざ桜を見に出かけたわけではない、ここがポイントなのである)。
鷺宮にある何の変哲もない区営のプール。ここの手前の川岸に、それは見事な桜の花が、今を盛りと咲き満ちているではないか(つまり、世に知られた桜の名所でも何でもない、ありふれた場末の桜、これまたポイントなのである)。
花見が目的ではなかったわけだが、結果的には小1時間ほども近くの公園に座って眺めていた。通行人も「今日が最高だなぁ」なんて言いながら通り過ぎていく。実に庶民的な、西武新宿線沿いのちとうら寂しい一角に、ただ、今日はちょっとだけ特別に、桜が満開なのである。たまたまそこを通りがかった、近所の住民いくばくかの目を楽しませるためだけに咲いている、そんな風情である。千鳥が淵だの、飛鳥山だの、さては新宿御苑だの、そんな喧騒とはおよそ無縁の静謐がそこにはある。
ふと、一枚の花弁が、風に乗って襟元に滑り込んできた時、私の中で、ああ、これで全てが繋がったかな、というような感覚があった。
簡単に申せば、要するに、朧座の新作のラストシーンが出来たということなのである。たぶん。
そういうことにしておこう。そんな気分なのだ。

2009年05月01日

3度目の『修禅寺』が始まる

このところ、今年9月の『修禅寺』出演者関係の舞台が続いている。
伊東由美子さん、山本常文さん、遊達人さん、田渕正博さん…観ていると、ああ、この人たちと新しい『修禅寺』を創るのかと、今からとても楽しみになってくる。小栗銀太郎さんの芝居ももうすぐだ。

さて、ところで、私は彼らの舞台の当日パンフレットに『修禅寺』の仮チラシを折り込ませてもらっている。仮チラシにはこのサイトのアドレスも載せてある。ということは、つまり、彼らの舞台に足を運んで、そして当方の仮チラを見かけて気になった方々が、このサイトを見始めて下さっているということだ。

更新せねば…もっとヒンピンと…シュクシュクと…

9月の『修禅寺』では、朧座として新しい試みをいくつか行うつもりである。その関係もあって、今は忙しい。地味な作業に追われる日々である。
そのさなか、ふと気分転換を兼ねて、先日久しぶりに靖国神社に足を運んだ。
今年創立140周年を迎えるというこの社の事を、私は朧座の新作に何らかの形で取り上げるつもりなのだ。それで、この社の来し方行く末を私なりに考え続けているのである。
考えれば考えるほど、深い、単純でない問題が、そこには横たわっている。私は、この問題にがっぷり正面から取っ組みたいと思っている。いやしくも今申楽を号する身が、これを取り上げずして何の今申楽か、とまで最近は思っている。
しかし…境内の新緑を眺めつつ思った。今は、9月の『修禅寺』に向けて全力投球あるのみである。
新作──タイトルももうほとんど決まっているのだが──の構想には、しばらくの暇を請う事としよう。

さあ、3度目の『修禅寺』が始まる。政子は、頼家は、花は、三郎は、四郎は、声は…どこにいる?

2009年05月24日

相撲を観ながら

ふと、力士のあの贅肉は、格闘家の体格の生々しさを消す為の知恵なのだろうか、と思った。相撲は、あまり生々しくないから、私のような格闘技嫌いでもなんとか観られるのである。
そういえば、昨日、舞踊家Kさんと久しぶりに話をしていたら、今は母から教わった地唄舞をやっているが、昔は父から空手も習っていたという話をうかがった。Kさんは物腰すこぶる穏やかで、空手というイメージは全くなかったので、大いに驚き、色々と空手談義に花が咲いた。そこで、なぜ私が格闘技が嫌なのかという話をしたら、Kさんも非常に賛同して下さったのである。
私は、ただ単に相手を痛めつけて事足れりとする種の格闘技というのは、要するに野蛮すぎて観ていられないのである。大晦日などに民放が非常に残虐な番組をやって、しかも結構な視聴率を稼いでいるそうだが、あんなのはコロシアムで奴隷に殺し合いをさせて楽しむ趣味といくらも変わらない。はっきり言ってそう思う。(だから私は少年漫画雑誌の類も大嫌いで、まともに読んだことは一度もない)

相撲は生々しくないというのは、要するにそういうことなのである。
日馬富士の立会い時の力み方は、あれくらいまでなら許せる、あれ以上やられると私は不愉快でテレビを消したくなるというその臨界点をうまい具合に(?)示していて、変な意味で興味深かった。

そんなことは昔はどうでもよかったのに、年々、潔癖になってきているというか。

私のいとこが、やっぱり役者をやっていて、しかもアクションも出来る有能な人だったのだが、数年前に突然、役者を辞めたという。なんで辞めたのかと聞いたら、自分がヤクザ役などで暴力シーンを演じているのを観て(彼はそういう役が多かったのだろう)、若い人が本当に真似をしてしまうのが耐えられなくなって辞めたと言っていた。筋骨逞しい人だったのに、今は肉も断って菜食主義に凝っているということだったから、相当の深い考えがあったのであろう。
そのいとこの気持ちが、最近ようやく、ほんの少しわかる気がする。

生々しい暴力、殺し合い、そういうのは見せ物にすべきでないと私は思う。
新作に戦争を取り上げようと思い立ってから、なぜかますますその考えが強まっている。生々しい暴力、殺し合い、そういうものを描かずに、しかも戦士の実際というものを描きたい。そんなことは無理な話かも知れないが、しかし、朧座は常に常に、無理との格闘なのである。

そして、それは新作にとっての懸案であるのみならず、『修禅寺』にとっての懸案でもあるのである。
そう、『修禅寺』には2箇所、こんなものを見せ物にしていいのかどうか、書いている私自身が悩み躊躇いながら書いたシーンがある。そして、そのどちらも、おそらくカットするわけにはいかない。カットしたら、『修禅寺』ではなくなってしまう。そういうシーンなのである。

相撲を観ながら、ふと、そんなことを考える今日この頃である。

2009年06月07日

例外

非常に多くの政治家・非常に多くの官僚・非常に多くのマスコミ・非常に多くのサラリーマン。
以上の四大害毒が日本の文化芸術を停滞させ、あるいは破滅に追いやっているわけであるが、しかしである、先日の讀賣新聞1面に、南は鬼界ヶ島で初めて能『俊寛』が催されたという記事が出ていた。
何事にも例外というのはあるものですね。

2009年06月30日

かくありたい

近所の安くて美味い回転寿司屋。人気の店で、私も常連である。
そこの店長、見かけだけで言うとほとんどヤクザのような感じである。ただし怖いという感じはまったくしない(だいたい怖かったら行かない)。しないのだが、しかし、ほんと、見かけはヤクザそのものなのである。「あ、ヤクザが勘定してる」「お、今日はヤクザがじきじきに握ってやがるぞ」などと思いながら、こちらはいつものように寿司をパクついているわけである。
さて、この店にはスタンプカードがあって、1000円ごとに1回、スタンプを押してくれることになっている。で、昨日私が飲み食いして勘定してもらったところ、1700円くらいだったのだが、よく見ると、そのヤクザは2回、スタンプを押してくれているではないか。
極めてなにげなく、さりげなく、ポポンと押すものだから、うっかりすると、いやうっかりしていなくても、まあ見過ごしてしまいそうな、しかしこれはサービスなのであった。
「ああ、おまけしてくれたんですね。ありがとうございます」
と、私があんまり他のお客に聞こえない程度の小さな声で言った刹那、そのヤクザ、いやもう店長という言い方に戻すが、その店長が浮かべた恥ずかしそうな照れ笑いと言ったら、もうそれはそれは、ちょっと筆舌に尽くせぬような、とにかく満面の照れ笑いを浮かべ、そのドスの利いた声で何やらゴニャゴニャと短めの言葉を発して(たぶん「ええ、まあ」みたいなことを言おうとしてちゃんとした文字列音韻に至らなかったのであろう)急くように私を送り出したのであった。

ああ、美味かった。

かくありたい

近所の安くて美味い回転寿司屋。人気の店で、私も常連である。
そこの店長、見かけだけで言うとほとんどヤクザのような感じである。ただし怖いという感じはまったくしない(だいたい怖かったら行かない)。しないのだが、しかし、ほんと、見かけはヤクザそのものなのである。「あ、ヤクザが勘定してる」「お、今日はヤクザがじきじきに握ってやがるぞ」などと思いながら、こちらはいつものように寿司をパクついているわけである。
さて、この店にはスタンプカードがあって、1000円ごとに1回、スタンプを押してくれることになっている。で、昨日私が飲み食いして勘定してもらったところ、1700円くらいだったのだが、よく見ると、そのヤクザは2回、スタンプを押してくれているではないか。
極めてなにげなく、さりげなく、ポポンと押すものだから、うっかりすると、いやうっかりしていなくても、まあ見過ごしてしまいそうな、しかしこれはサービスなのであった。
「ああ、おまけしてくれたんですね。ありがとうございます」
と、私があんまり他のお客に聞こえない程度の小さな声で言った刹那、そのヤクザ、いやもう店長という言い方に戻すが、その店長が浮かべた恥ずかしそうな照れ笑いと言ったら、もうそれはそれは、ちょっと筆舌に尽くせぬような、とにかく満面の照れ笑いを浮かべ、そのドスの利いた声で何やらゴニャゴニャと短めの言葉を発して(たぶん「ええ、まあ」みたいなことを言おうとしてちゃんとした文字列音韻に至らなかったのであろう)急くように私を送り出したのであった。

ああ、美味かった。

2009年10月04日

野暮を恐れない

公演が終わった。
稽古開始が今年7月。企画開始が去年9月。
どうしてもボーッとしてしまう。残務整理も終わっておらず、そんな暇はないのだが。
銀行に来て、ぼんやりテレビを眺めていたら、原研哉さんと爆笑問題の対談をやっていた。
日本の美意識は応仁の乱以後だとか何だとか、よくは聞こえなかったがそんな話をしていたようだ。その後で、太田光さんが「間」の話をし始めた。世間、人間、どこを見ても日本は「間」だ。ミヤコ蝶々も「間」が命だと言っていた。確かそんな話だったかと思う。
その「間」というものが、しかしある時とんでもない化け物になってしまって、個人というものを脅かし始める。それを阻止するために、俺は「野暮」ということを嫌いたくない、と、そんな風に氏の論旨は発展していった。

今申楽とは何かということと、重なるところの多い議題であったように思う。
「間」を重んじるあまり、行間とか空気とかを察することが当然の態度として期待され、結果、何か大切なものがほったらかしにされる。皆なんとなくわかったような気になって日々やり過ごしているが、実は、問題の所在さえもうやむやのままになっている。そんな風景が、この国にはよくある。他の国にもあるのだろうが、特にこの日本という国にはある気がするのである。
野暮と言ってしまえば、今までに朧座で上演してきた『香炉峯』『修禅寺』、ともに野暮な話ということになるのだろう。しかし、私は枕草子に触れ、あるいは伊豆修禅寺に残された経文の奥書に接し、そういう野暮な劇を仕組まないではいられなかった。
清少納言や北条政子らにはいい迷惑かも知れぬが、それが要するに私の性というものなのだ。

さて、公演の残務整理も終わっていないというのに、どうしたことか、新作の想がこの三日ほどであらかた決まってしまった。あとは書き出すだけ、という状態である。公演の稽古が忙しくなるとともに、新作の構想は中断せざるを得なくなっていた。つまり、その間、うまく発酵していたのだろう。稽古で得たことどもが、またその発酵を促したのだと思う。
日本史上、最も野暮な話になることはもはや疑いがない。私を含む国民みなが耳を塞ぎ目を隠し、「そんなことはいまさら野暮さ」というすまし顔して、この60余年やり過ごしてきた。否、時折、すまし顔なんぞはできぬという性質の向きもあるが、こういう人々は人々でやたら街宣車を走らせたりなどするものだから、やっぱりどこかで私とは相容れないものがある。多分、彼らは私の作品を見て、「そんな野暮な取り上げ方では、ご英霊に申し訳が立たぬ」という感想を持つのではなかろうか。
野暮で結構。とことん野暮に参ろうではないか。

先の戦争を知る方々にもご覧頂きたい。少し、急ぎ目に行くとしようか。

2009年12月09日

お詫び

9月の公演後、しばらく体調を崩してしまっていた。
ブログの更新もすっかり滞ってしまった。お待ち戴いた方々にお詫び申し上げる。

まだ完全に回復したわけではないが、ぼつぼつ更新を再開していきたいと思う。

不調の理由は、一つには9月の公演で、やはり私は燃え尽きたのである。
ただ、その燃え尽き方が今回はやや変わっていて、単に燃え尽きたというより、何かこう、火傷の跡のようなものが心に残ったとでも言おうか。
で、正直に言うが、相当の無気力状態に陥ってしまったのである。

もう一つ、そんな無気力状態だというのに、不思議なもので、新作の構想だけは、9月の公演が終わった瞬間、堰を切ったように、私の脳内にほとばしり始めたのである。
この新作、前から書いているように「靖国神社」「特攻隊」に取材するつもりなのだが、それはつまり、現代日本人としての自己の生き様や天皇観が、いっさい丸裸にされてしまうということ。己は無傷なまま靖国だの特攻だのを取り上げるわけには行かないのだ。
こういう精神状態が、たまらなく疲れるのである。

『英霊の聲』なんて小説を読みながら、これを死の直前に物した三島由紀夫という人の心境を思ってみたりする。
こんな具合であるから、このところ、ニュース一つ見ても鬱の元である。あれならその辺の中学生でももっとマシな政治が務まる。本気でそう思う。
あな、もの憂、という感じなのである。

2010年02月17日

朗報

高円寺で酔っ払いの女の命を救った24歳の若者は本当に偉い。偉すぎる。
政治家も脱税や収賄ばっかりやってないで表敬訪問でもしろ!新聞も一面で扱いなさい。五輪どころの騒ぎではない。

2010年04月20日

遅筆堂逝去に思う

作品の出来不出来はともかくとして、遅筆堂などというのは不名誉な二つ名である。本人は気に入っていたのだろうが、台本が間に合わず公演休止も数多度などという作家を最高権威に戴く日本の演劇界なるもの全体の不名誉である。
私は、朧座を旗揚げする以前、稽古初日に第一稿さえなく、下手をすると本番直前に上がってくることも珍しくない斯界の常態を目の当たりに見て、ああ、俳優とは劇作家の奴隷の謂であったのか、これでは未だ日本に演劇が実在しない(していませんよね)のも無理からぬことと悟った。
なぜ、俳優は稽古に遅刻も許されないのに、劇作家は本番間近に第一稿を上げて「おめでとう」なんて言われて宴の席まで用意されるのか、まったく理解に苦しむ。
最後まで書き上げたら、遡っていろいろ手を加えるべきところがあるはずだ、本来。それが本番直前では、もう俳優への遠慮で出来ない。第一、時間もない。
そんな演劇は、要するに滓と言って差し支えない。
そのうえ私の場合、敵は数百年間磨き込まれてきた台本である。稽古中に第一稿なんか上げてるようではもとより勝ち目はない。何が遅筆堂だ、そんな堂は取り壊せという気分にどうしてもなってしまうのである。
私の気分をわかって戴きたい。

ちなみに私は、第一稿が上がるまでは小屋を押さえない主義なので、よく「ごたくはいいから早く書け」「忘れ去られるぞ」などと周囲から叱咤の声を頂戴する。私は、そういう方々にこの場を借りて深甚の謝意を表する。

まあ、この話は、もういい。冥福を祈ります。
とにかく、我々は日本の演劇を創らねばならぬ。
そのためには、劇作家を先生呼ばわりする悪弊を改め、稽古初日に第一稿があるのは当たり前という矜持を持つことである。
やっぱり、日本の演劇はこれからである。

2010年06月05日

今、この国は、言葉が軽い

前回、大作家某の悪口を書いた数日後、今度は別の大作家某がNHKの朝のニュースで馬鹿な事を言っていた。著書『親鸞』をネットで無料公開するという。「これからはネットの時代。プロもあぐらを書いてはいられない」とかなんとか得々と語り、NHKのキャスターも提灯を持っていたが、金を出して本を買った読者は一体どうなる。いわんや悪人をやなどというのは、さしずめ彼らのような者のことを言っているのであろう。
そうこうしているうちに、とうとう首相が辞めた。沖縄や徳之島の人々の心を弄び、世界の警察気取りのあの国にはなめられ、警戒され、愚者とまで罵られ、近隣諸国はやりたい放題。辞任の弁を聞けば、国民が聞く耳を持たなくなったとなどと責任転嫁しておきながら最後に、それも己の不徳などと唐突に陳謝を装ってみたりする。週刊誌の広告に「阿呆か詐欺師か」なる小見出しを見かけたが、けだし的を得た評であろう。

大作家と言われる人々から政治の長に至るまで、なぜ、かくもかくも、言葉が軽いのであろう。
今、この国は、言葉が軽い。その理由について、私はいささか考えるところがある。
これすなわち、目下構想中の新作のテーマとも繋がってくるのであるが。
日々朧々ならぬ、日々鬱々の今日この頃なのである。

言霊の幸わう国と歌われたのは、いずれの御世のことであったか。

2010年07月01日

歌は音読するもの

ほとんどテレビを見ない私だが、わりと好きな番組がある。
わりと好きと言ったって、もとがあまりテレビを見ないものだから、積極的にチェックしているというわけではない。
ただ、電源を入れているとたまにやっていて、それがふと目に入ってくる。そしてそのたび、ほのかな好感を抱く。そんな番組である。

NHK教育でやっていて、壇ふみさんが万葉集の一首を読む番組だ。
壇ふみさんの原文及び現代語訳の音読だけでよい。その間、映像は歌にゆかりの風物や大和路の眺望でも流しておけばよかろう。
途中、余計な文化人なんかが出てきて余計なコメントを喋々する、あれは要らない。まったく要らない。
今ネットで調べたら、『日めくり万葉集』という番組だそうだ。タイトルも忘れていた。

壇ふみさんの声は良いねえ。
歌は音読するものだという、当たり前だがついつい忘れがちなことを思い出させてくれる番組だ。

『日めくり靖国辞世集』なんてのも、あっても良さそうなもんだけどねえ。

2010年07月07日

『翁』を越える

先日、友人Kの誘いで、根津美術館の能面・能装束展を観に行った。
Kは、自分自身あまり能に触れたことがないので見てみたい、また私の新作構想の刺激ともなればという思いで誘ってくれたのだった。
残念ながら、展示された能面の多くは江戸時代のものでつまらなかった(すなわち職人による古作の模倣が多く、概して創造性に乏しい)のだが、ただし私の観るところ、格別に凄まじいのが一つだけあった。泥眼である。桃山から江戸にかけての作らしい。
その頃は、まだ申楽は芸術の息吹を保っていたということか。
こういう面を見ると、そう感じる。作者はもちろん狂っているし、あんなものを着けて舞った日には役者もみんな狂うだろう。また、そういうものを目撃した客の精神もおそらく無傷ではすむまい。そんな面だった。「こりゃ怖えわ」「フツーじゃねえわ」と、ガラス越しの「魔女」の美貌にKともどもしばし魅入られたことだった。

Kは「もともと能面はすべて専用面(どの曲に使うか、決まっている面。一角仙人、俊寛、猩々など)だったのではないか、それが時代が降って量産体制に移ったために、小面や般若などの非専用面が主流化したのではないか」「格闘技の観点から観ると(彼は空手をやっていた)、まず対戦相手の目の動き、ついで足の動きを読まねばならないが、能の場合は面のために視線も読めず、装束のために足はおろか体全体の動きも読めない。そこが怖い」という感想を述べていた。
そして、今申楽にとっての能の位置を実感してくれたようだった。

今申楽にとっての能の位置。それは、一般の観客にとって必ずしも必要な知識ではない。私はそう思っている。
しかし、実際のところ、今申楽『香炉峯』にとっては能『井筒』『杜若』等が、今申楽『修禅寺』にとっては能『葵上』『隅田川』『自然居士』等が、劇作術上におけるいわば原作に該当するのである。
以前の私は、能を尊敬しているとか、能から影響を受けているとか、そういうことを馬鹿正直に言っていた。近頃は、そういう昔の馬鹿正直さに一抹の羞恥心を覚えぬでもない。覚えぬでもないが、しかし、すでに今申楽などと銘打ってしまっている。どこまで行っても能と全くの無縁ではあり得ぬという出自を語ってしまっている。
願わくは、いつか能から極めて遠く、しかもそれでいてなお申楽の名に最も相応しいようなものをこしらえてみたいものである。
少し話が逸れた。とにかく、これまでの今申楽2作の言わば原作に当たるものが実は能なのである。
そういうことを、能をあまり知らない今申楽の観客が、何かのきっかけで気付いてくれるという現象。今の私にはいささか気恥ずかしい。しかし、正直なところ、やはり嬉しい。つまるところ、私は性懲りもなく能にいまだに惚れているということである。
惚れ直さざるを得ないではないか、ああいう「魔女」に突然出会ったりすると…。

再び話は逸れる。
ここ最近、私は伊藤若冲の動植物画、円空の仏像、そして映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』と出会った。それらは、いずれも、凄まじいまでの異形の美をみなぎらせて私を魅了した。
そして、これは私の独断だが、やはり各々原作を有しているのである。そして、その原作に対する真なる尊敬の故に、どうにかしてそれを凌駕してやろう、克服してやろうという決意をも。
若冲の動植物画の原作。私は、それは釈迦涅槃図であろうと思う。
円空にあっては、平安期以来の木造仏がその原作に当たっていよう。
『ヱヴァンゲリヲン』に描かれる異形(作中では使徒と呼ばれる)の原作は、故・成田亨らが『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』等でデザインした怪獣・宇宙人に他ならないであろう。ああいうものを子供物と高を括ってはいけない。子供は嘘を見破るので若き日の芸術家連中も本気であった。『ヱヴァ』にビラ星人やプリズ魔が出てきた時は正直驚いたものである。
そして、今申楽では、それが能なのだ。

私もまた、若冲や円空、さてまた『ヱヴァ』のひそみにならって、原作を越えたいものと思う。
目下構想中の今申楽の新作、その原作にあたる能は、『翁』という曲目である。
したがって、私のさしあたっての願いは、この『翁』を越えることにある。

ああ、書いてしまった──。と、まあ、こうやって、己を追い込んでいくわけである。

2010年07月09日

角界一考

昨今、角界の荒れ果て様には巷間喧しいものがあるが、はてさて度を過ぎた騒ぎ方はいかがなものであろうか。
そう思っていた矢先、相撲協会のこのところの自粛ぶりについて、横綱白鵬が「やり過ぎなのではないか」「自分たちの手で国技をつぶすつもりかなあ。そう思いませんか」等々と語ったそうである。
全く同感なのだが、それはともかく、この度の角界の風紀引き締めに当たって、私はそもそも次の事から抜本的に考え直す必要があると思うのである。
すなわち、外国人力士の問題である。
相撲はスポーツではない。国技であり、さらに言えば、もと神事芸能であった。
参政権の問題に至って、ようやく目が覚めたというお気楽な向きも少なからずおられるらしいが、何でもかんでも外国人OKなどというのは困るのである。
力士は、少なくとも日本国籍を有し、かつ、日本文化に関する常識を備える者でなければならない。
私などが喋々するまでもなく、こんなのは当たり前のことではないか。

要するに、外国人力士なる存在を無批判に許容する態度は、日本人力士の尊厳を踏みにじる愚挙に他ならぬというのが、私の考えである。
このところ、外国人力士が続けざまに横綱の地位を席巻しているのは、何のことはない、私に言わせれば、そもそも根本的な世界観、文化が違っているからである。
「勝ちさえすれば良い」というあの元横綱の薄汚いやり口、品のなさ、こんなのが横綱かよと、一時は相撲など観るのも不愉快であった。
「勝ちさえすれば良い」、それ故に「最低限のルールがある」。それがスポーツというものの本質であってみれば、件の者に綱の品格云々を説いたところで、馬の耳に念仏であったろう。内館牧子は、至極まっとうな苦言を呈し続けていたのである。
外国人力士を甘やかし、日本人力士の尊厳を傷付けてきたこと、今日の角界問題と決して無関係ではないと私は推察する。

2010年07月19日

タイトルを見ただけで吐き気を催す

『広島に原爆を落とす日』というタイトルの戯曲がある。私は、昔からこのタイトルが大嫌いだった。
私は信じる。日本人は、言霊感覚というものをいまだに忘れ去ってはいないはずだということを。広島という地名を使えば、そこには、広島という土地の霊が宿るのである。米国による大量虐殺の犠牲者も、当然ここに含まれよう。
「タイトルを見ただけで吐き気を催す」これが日本人として正しい生体反応というものであろう。私はそう信じる。
そんなわけで、私は実のところ、生まれてこの方この作品を読んだこともないし、上演成果を観たこともない。私の周囲に、いかにこの作品の影響を受けて育った演劇人が多いか──にもかかわらず、である。
そして、宣せずばなるまい。こういうタイトルの作品が、堂々と大手を振って表を練り歩くような演劇界の現状には、一日も早く終止符を打たねばならないと。
そう、場末の薄汚いちっちゃい小屋で、人目を憚ってもっとこそこそと演じられるべきなのである、本来。
アングラは、アングラのままでいいのである。アングラのままがいいのである。

2010年08月08日

そろそろ。

友人Kと護国寺に行ってきた。
有名なお寺だが、訪れるのは実は初めて。
Kはもう何度も来ているらしい。参道の途中にある「不老門」なる門が、なんだかエキゾチックでかっこいいのと、あとは境内の雰囲気が好きなのだという。
言われてみれば、確かにこの寺、独特の気に満たされている気がする。私はそれを試みに、「一種サブカル的なオーラ」と呼んでみた。Kは笑って肯んじていた。

綱吉だの桂昌院だのゆかりの品々ほか、結構貴重な文化財も多い。
それでいて、本堂から出てみれば、多宝塔やなんかに交じって、おちこちのビルが不思議とここの境内の眺めにマッチしている。

久々の寺参りは、かなりの個性系と相成った。
「さては今申楽4作目は『お犬様』かな、アハハ~」とやったら、早速Kに「いやおめー、まずその前に3作目だべが」と突っ込まれた。

3作目は…う~ん…一歩一歩進んでおりますよ。
探していた特攻隊員の遺筆もようやく出てきたし。
そろそろ、本気モードっす。

2010年08月16日

この年のこの日にもまた

靖国のみやしろのことにうれひはふかし、と、先帝が詠んだその日が、今年もまた過ぎた。

今上天皇の最大の務めは靖国親拝の実現にあると私は思っている。昭和50年(これがまた皮肉なことに私の生年に当たる)まで、明治・大正・昭和の各帝はみな、九段下の境内に直接に足を運んで、近代日本の創設に殉じたあまたの武人たちの霊をねぎらってきた。
繰り返すが、昭和50年までは何の障りもなく訪れていた、ここが重要なのだ。つまりは、GHQの圧力で天皇親拝が強制的に阻止された、というようなことではまったくなく、要は昭和天皇(及びその路線を事実上踏襲していることになる今上)が、昭和50年を境に、どうやら自発的に靖国親拝を中断している状態なのである。
その後、宮内庁長官のメモなる怪文書がマスコミに取り沙汰され、あるいは昭和天皇は内心、いわゆる「A級戦犯」(そんなもの本当はありゃしないわけだが)合祀に不快感を抱いており、それがために親拝を取り止めたのではないか云々という俗説がいまだに根強く囁かれている。が、これも指摘されている通り、たかが宮内庁長官の私的文書で天皇の内意を推定しようなどという発想がそもそもおかしい。女性週刊誌の域なのだ。
それよりは、三木武夫の発言の方が、まだしも影響大と思われる。昭和50年、三木が首相として初めて終戦記念日に靖国を参拝した際に口走った左翼への阿諛追従、すなわち「総理ではなく三木個人としての参拝である」という妄言は、周知の通り、以後近隣国からの日本恫喝の格好の具と化した。これがあるために、天皇としても近隣国に配慮して親拝を見送らざるを得ない、という一面はあるのではないか。
だが、私は思う。遠慮することはない。天皇は堂々と、昭和50年以前の昔の如く、大鳥居を潜り抜けて英霊を拝し続けるべきだ。
武士の鑑のような人たちも、国家に殺されたも同然の人たちも、本心からにせよ名目に過ぎぬにせよ皆さんともかく「大君のために」ということで戦場に一命を投げ出された方々である。「行かない」だなんてそんな酷いことしていいのだろうか。
私の如き一介の不良国民ですら、たまにはお参りするのである。

天皇の靖国不親拝。実は、戦後日本の諸悪の根源はここにあると私は見ている。
パチンコに打ち興じて子供を車の中で蒸し殺しにする馬鹿親たち。その反動としての親殺し。
全ては、私に言わせると、天皇の靖国不親拝、もっと言えば「親が親ではなくなってしまった」ということ。
ここに尽きるのではないか、と、不良国民たる私はかねがね邪推している。

本当は、倉本聰作・演出『歸國』について述べるつもりだったのだが、序論で力尽きてしまった…。

2010年08月19日

演劇に携わっていて良かった

去る8月15日、赤坂ACTシアターにて倉本聰作・演出『歸國』を鑑賞した。
素晴らしい作品だった。
ご出演の梨本謙次郎さんも水津聡さんもとても良かった。
終盤近く、主人公の妹が声だけで登場する場面があったが、能の面や作り物の手法を使えば、妹役本人を舞台上に出すという手もあったと思う。が、そんな細かい話はさておき、あっという間の2時間だった。ついつい同業者感覚を忘れて見入る、こんな気分を味わえたのは久しぶりだ。
自分も演劇に携わっていて良かったと思い出させてもらった。

「8月15日もの」としては、なかなかこれを越える作品を創るのは難しいだろうと思う。

ここで野暮を承知で白状すれば、数年前の私は、実はこういう作品が創りたかった。
日本兵がフジツボ付きの牛蒡剣で内閣顧問の東大教授を刺してしまうくだりなど、ほとんど同じことを企んでいた。もっとも私の場合は、フジツボ付きの零戦が永田町に突っ込んでくるという場面を思い描いていたのだが…。

だが、いつしか構想を練るうちに、私はその当初の案からだんだん離れていったのだ。たぶん、ある「英霊」の導きだろう。そして今では、だいぶ様変わりした案を温めている。
もうすぐ、産声が聞こえるのではないかと思う。

倉本さんはじめ皆様には心からの拍手を送りたい。
そして、私はともかく私の球を投げるしかないのだと、改めて誓った。

2010年09月02日

2度目の沖縄訪問

先月27日から今月2日にかけ、行楽と新作の取材とを兼ねて沖縄に行ってきた。一昨年の夏に続き、2度目の訪問である。
31日には帰京の予定が、台風7号の直撃で延期を余儀なくされたのも、沖縄的といえば沖縄的な体験であった。ほうぼうに迷惑をかけることになってしまったが。
主に訪れたのは、久高島、奥武島、本部半島、古宇利島、美ら海水族館、塩屋湾海神祭(ウンガミ)、東村内、宜野湾市内、エメラルドビーチ、瀬底島、国際通り近辺、知念半島、喜屋武岬・平和の塔、波上宮、波の上ビーチ、護国寺、陸上自衛隊那覇駐屯地である。

美しい自然の中でシュノーケリングや乗馬、それに地元の味を楽しんだ。
しかしながら、例によってというべきか、とんでもない体験もどうやらしてしまったようである。
その内容をここに詳らかにすることは、おそらく憚るべきなのだろう。今はただただ、朧座に課せられた使命の大きさを思いつつ、先の大戦で犠牲となられた方々の御冥福をお祈り申し上げる他はない。
「戦争は終わってなどいない」という、ただただその一事を噛み締めつつ、沖縄を後にした。
そして、飛行機の窓から、どこまでも青い海と空とを眺めつつ、改めて、昭和20年5月25日、このあたりに散華した第55振武隊K少尉の辞世の歌を思い出していた。

私は新作を書き始めた。

2度目の沖縄訪問

先月27日から今月2日にかけ、行楽と新作の取材とを兼ねて沖縄に行ってきた。一昨年の夏に続き、2度目の訪問である。
31日には帰京の予定が、台風7号の直撃で延期を余儀なくされたのも、沖縄的といえば沖縄的な体験であった。ほうぼうに迷惑をかけることになってしまったが。
主に訪れたのは、久高島、奥武島、本部半島、古宇利島、美ら海水族館、塩屋湾海神祭(ウンガミ)、東村内、宜野湾市内、エメラルドビーチ、瀬底島、国際通り近辺、知念半島、喜屋武岬・平和の塔、波上宮、波の上ビーチ、護国寺、陸上自衛隊那覇駐屯地である。

美しい自然の中でシュノーケリングや乗馬、それに地元の味を楽しんだ。
しかしながら、例によってというべきか、とんでもない体験もどうやらしてしまったようである。
その内容をここに詳らかにすることは、おそらく憚るべきなのだろう。今はただただ、朧座に課せられた使命の大きさを思いつつ、先の大戦で犠牲となられた方々の御冥福をお祈り申し上げる他はない。
「戦争は終わってなどいない」という、ただただその一事を噛み締めつつ、沖縄を後にした。
そして、飛行機の窓から、どこまでも青い海と空とを眺めつつ、改めて、昭和20年5月25日、このあたりに散華した第55振武隊K少尉の辞世の歌を思い出していた。

私は新作を書き始めた。

2010年09月27日

ひょっとして、次の公演、戦争中だったりして…

最近、不愉快過ぎてニュースも新聞もろくに見ていない。
それでも最低限、見出し程度の内容は嫌でも目に飛び込んでくるわけである。
どうやらシナによる日本侵略が本格的に開始されている模様である。
尖閣はおろか、邦人4名の命までが質に取られているというではないか。
アメリカなんぞは頼りにならぬということも、これまた明々白々ではないか。

今日、日本が置かれている状況は、大東亜戦争勃発前夜のそれによく似ている。
大国の侵略に屈するか、さもなくば「悠久の大義」に生きるか。
遠からぬ将来、この問いが全ての日本人に、他人事ではなく我が事として突きつけられることであろう。
ご承知とは思うが、念のために言っておく。私はちっともふざけてなどいない。

最近、私は、特攻隊・靖国関連の新作を執筆中である。
まあ、「歴史に参画する以上、ただでは相済まぬ」というのが、我が一座の伝統ではある。しかし、よもやここまでの事態に至るとは私も想定していなかった。
普天間問題あたりから、「あれ?なんだ、これ?」という感覚は芽生えていたのだが。

「ひょっとして、次の公演、戦争中だったりして…」という、この感覚。

そういえば、観阿弥や世阿弥ら先達もみな、血腥い戦場の傍らで、申楽を創っていた。

執筆と、平和の崩壊とが、日々、なぜか同時に進んでいる。

2010年10月06日

3作目始動

新作が、一応何とか最後まで、書けた。
前から、「次は特攻隊・靖国関連の新作を書く」と、半ば己への発破掛けとしてしたためてきたが、どうにかその言に違わぬ内容にはなっていると思う。

とは言っても、突貫工事もいいところである。まだ初稿として人に見せられる段階ですらない。

例えて言えば、ヒトの出産と似ている。
ヒトは、直立二足歩行の所為であったか、とにかく本来よりも胎児を産む時期が早過ぎるという話を聞いたことがある。
今、手元にある原稿も、それと同じで、初稿と呼ぶにはまだ早過ぎる内容なのである。

ただ、ここまで来れば、とりあえず中絶の危険だけは去ったので、親としてまずは一安心の段階である。
私の場合、この「一応最後まで辿り着く」という段階に至らぬうちは、いつ中絶してもおかしくないという考えで筆を進めるので、どうしてもその間、気が張り詰めてしまう。
ま、中絶したらしたでそれでもいいや、というほどの気楽さで取り組むというのも一つの方法だとは思うのだが、私にはなかなかそれが出来ない。

この先、いろいろ手を加えて行く必要のある、荒削りな、いや荒削り以前といった方が適切な内容である。
登場人物は3人。全員、軍人である。うち2人が主人公である。
この2人が、作者が言うのも何だが、なんとも愛しい。
私はこの2人が2人とも大好きである。
階級は、少尉と伍長である。あと、主人公ではないが、大事な脇役が登場する。その脇役の階級は、当分の間、内緒にしておく。タイトルと合わせて、そのうちお披露目する日が来るであろう。

ここまで来たら、いつか絶対にこれを板の上に乗せる日が来るのである。そう思うと、それなりに感慨深いものがある。
朧座の3作目が、ここに始動した。

2010年12月23日

しばらくの間、このブログの更新はお休みさせて下さい。

朧座の新作を書いているうちに気が付いた。
「戦後」どころか、実はまだ何も片付いてはいないのだと。
そして、この作品を書き上げる前に、現代日本人としてやるべきことがあると気が付いた。
ごめんなさい。しばらくの間、このブログの更新はお休みさせて下さい。

2011年05月03日

「議員」という名の面をかけて

最後の更新から、4か月あまりが過ぎ去ってしまった。辛抱強くお待ち下さった皆様に、まずは衷心よりお詫び申し上げる。
この間、私朧太夫は何をしていたか。
政治活動を行っていた。はっきり言えば、先の杉並区議会議員選挙に立候補したのである。
そして、有難いことに当選と相成り、選挙管理委員会から証書も頂戴して、今日に至る。

このサイトで、私はつまるところ「まつり」がやりたいのだ、と述べてきた。
語弊を恐れずに書くが、その願いが、極端な形で実現してしまったといえる。
今までも、まつりをやってきた。逢坂の関や伊豆修禅寺という「名所旧跡」をまつってきた。
しかし、今回のまつりはちょっと違う。
一言でいえば、杉並区の現在をまつるということだ。もって日本の現在をまつるということだ。

重い務めではあるが、逆に言えば、「今申楽」を号する者として、これほど栄えあるテーマを頂くこともめったにあるまい。
「議員」という名の面をかけて、そろりそろりと参ろう。

2011年05月31日

怒り

民主主義なるものが、必ずしもこの国の美徳といったものを重んずるとは限らない。
実は昨日、私はそのような事態を目の当たりにしてしまった。
このブログをしたためつつ、今頃になって、静かに怒りが沸いてきた。

確かに、昨日私は、象徴的な体験を味わったようである。

2011年06月15日

「わかった」

先日、縁あって友人らと能を見る(於・国立能楽堂)。能『竹生島』中村裕、狂言『梟山伏』三宅右近、能『半蔀』梅若万三郎の各氏が出演。『半蔀』はもう何回も観てきたが、この日初めてこの作品がわかった。「わかった」という表現では何か語弊を招きそうで他の表現を探してみるが、やはり「わかった」としか言いようがない。
「理解できた」のではない、「わかった」のだ。
よく、シテは源氏の愛人夕顔の亡霊なのか、はたまた夕顔の花の精であるのか…などと言われる曲だが、そんなことは要するにどうでもよいのであろう。このシテは、女心そのものであろう。男の手に触れられた時のほんの一瞬の、しかし永遠の恍惚感、それがたまたま「夕顔」という艶な歌言葉を借りて表現されているのであろう、おそらく。

能は、いつも私に新しい感動をもたらし続けてくれる。

2011年07月20日

ご報告

今月初旬、朧座の新作台本初稿が出来上がった。
構想に約4年を費やしてしまった。脱稿まであとしばらくはかかりそうだな、と思っていた矢先、何故か先日、突然スッスッと筆が運んで、どうにか最後までこぎつけた。
台本が書けたということは、つまり、上演までの戦いの日々が始まったということだ。
楽しみである。

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