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日々朧々 アーカイブ

2003年09月29日

能の進化は止まっている

能は観阿弥・世阿弥親子によって大成されたというけれど、実は大成されると同時に、その成長は以後六世紀の長きにわたってほとんど止まってしまったままなのだ。わずかに応仁の乱前後に若干の試行錯誤・模索が行われた形跡が認められるのを唯一の例外として。従って能の黄金期とは即ち室町の黄金期、将軍義満・義持・義教のわずか三、四代に限られているのであった。以後はおしなべて退化、劣化、悪化の一途を辿ったといって差し支えない。老化ではない、退化・劣化・悪化である。老化ならば救いもある。春の花の色気は失せるが、要らぬものが削ぎ落とされて秋の紅葉の美しさがある。そういう洗練の美を貫いて凛々たる老いに殉じた正統派はしかし極めて少数であり、かかる例外を除くほぼ全ての演者見者が江戸式楽以来今日に至るまでよってたかって能を腐らせてきたのであった。そろそろ能は若返らねばならない。その為に今私が模索している方法論の一つが、「群衆能」というものである。

2003年10月02日

「群集能」

私はこれまで本業の分野で「群集劇」と呼ばれるタイプの演劇と付き合ってきた。大勢の登場人物が出て来て、人間群像が描かれる。無論、各々にスポットライトが当てられる事もある。しかし最終的には、個々の人間像が綾なして大河の如き群集絵巻を織り成して行くのだ。そこにはもはや明確な主人公等存在しない。群集の一人一人が主人公なのだ。これを私は能でやりたいのである。応仁の乱前後の能、例えば『一角仙人』等を観ると、この時期の能作者らがいかにシテ独演主義に対して様々な試みを行ったかが判る。しかしなお大勢は揺るがず、ついに本格的な群衆能の実現、即ち能の本質的構造改革は六世紀後の今申楽に持ち越されたのであった。もはや私の頭の中では具体的な構想もかなり定まってきている。仮タイトルは『雲隠』。登場人物は光源氏、頭中将、空蝉、末摘花、玉鬘、六条御息所、桐壺更衣…そして二人の紫式部。皆、シテである。「源氏物語の主人公は実は光源氏ではない、源氏を取り巻く数多の女君である」という瀬戸内寂聴氏の説に、想を得た。

2003年10月04日

名曲と駄曲

能は現行曲といって約二百番程のレパートリーが決まっている。能の長い歴史の中でいつしか演ぜられなくなったもの(廃曲)もあるし、それがまた何らかの機会に再び演ぜられるようになる(復曲)場合もある。ともあれ、現行曲の全てが面白いとは限らない。駄作も案外多い。駄作であるが故に廃曲と化していたものを、わざわざ復曲する場合もある。何か変った能がやりたいという物好きな役者の所業か(だとしたらつまらぬ廃曲等に手を出すより新作能に挑むべきだと私は思うが)、さもなくば埋れる無形文化を発掘せんという学問的関心の故か。とにかく「今ある能は全て面白いから残った」等というのは能に肩入れする者の詭弁に過ぎない。何しろ能が本当に面白かったのは室町黄金期だけなのだから。かの秀吉が既に相当歪んだ楽しみ方をしている辺りからもそれは容易に察せられる。面白いから残った名作と、面白いのかつまらないのか誰も判らぬという悲惨な状況の下、たまたま残ってしまった駄作とが、今日、現行曲等といって無形文化の名の下に一緒くたにされてしまっているのだ。

2003年10月06日

「能楽堂」の功罪

古仏にせよ古建築にせよ、生きていなければならない、という事だ。博物館や美術館のガラスケースに収まってしまった古仏は、確実に死んで行く。古建築もそう。例えば奥州平泉の中尊寺金色堂などは、文化財保護の為余儀ない事とはいえ、コンクリートの覆堂によってすっぽりと覆われ、さらに四方をガラス窓で遮られてしまって、完全に死んでいる訳だ。仏像も堂宇内陣で間近に拝観出来るものでないと駄目である。屈指の傑作・奈良聖林寺の十一面観音も、折角堂宇に安置されながら、ガラスケースに囚われの身である。実にもったいない。これら古美術を考える時忘れてならないのは、同時にそれらは現在に生きる信仰の対象であり続けているのだ、という事である。能についても、全く同じ事が言える。ガラスケースに入った能面は確実に死んで行くという増田正造氏の説は正しいが、面のみならず、能それ自体をガラスケースに入れてしまってはならないのだ。外気に触れねば死んでしまう。故に、実は「能楽堂」なる近代の覆堂もまた、野外こそ真骨頂たる能にとって諸刃の剣なのであった。

2003年10月09日

「日本昔話」の復権を

これは大変よく出来た、本当に素晴らしい作品だったのに、なぜ放送が終わってしまったのだろう。最終回からもう何年も経った先日、古本屋をぶらぶらしていたら、こんな本を見つけた。『錦絵 京都のむかし話』(浅井収編著・蝸牛社)。素晴らしい本だ。明けてみると、かつて自分がテレビで親しんだ世界がそこにはある。アニメのもとのイメージは、この本に収められているような錦絵、浮世絵にあったのだろう。もくじには、「草子洗小町」「百夜通い」「頼政のぬえ退治」「祇王寺」…このような世界に幼心から親しんでいれば、能はそんなに難しくなくなるはずだ。なぜなら、こういった昔話こそ、能の元ネタ、「本説」(典拠の意)なのだから。百夜通いと聞いて何のことだかわからない現代の大人は、一昔前の子供たちより無教養ということになるのではないか。漏れ聞くところ、昨今は幼稚園でも英語にパソコンという。それより子供にはまず日本の昔話なんかいかがでしょう、教育関係者各位。

2003年10月16日

新作差別

どうやら江戸以前の作品群が普通の能、正統の能とされるのに対して、明治以降の作品群を一括して称する用語であるらしい。この呼び方がそもそも良くない。その背景に、「明治以降の新作能なんて、例外、特殊。キワモノ、ゲテモノ。能はやっぱり、古典でしょ」という、伝統の何たるかを真に理解していない人々の浅薄な保守意識に裏打ちされた差別臭を嗅ぎ取らぬ訳には行かない。今は古典と崇め奉られている能も、かつては皆、「新作能」だったのだ。そして、本当の意味で伝統を享受する為には、先人の作品を追慕するに終らず、自らの内に取り込んで再生産して行く営為こそ必要不可欠なのだ。三島由紀夫氏は能を近代演劇に翻訳してみせた。俵万智氏は現代語で三十一文字(みそひともじ)を詠んでのけた。三島氏は能を、俵氏は歌を、こよなく愛している。自信をもって堂々と愛しているから、「今」を生きる人の心に直に訴える形を選び、形を変えてもなおその心は容易に揺るがない事を知っているのだ。いずれも伝統の破壊ではない、伝統の真なる享受である。紀貫之、藤原定家、今は古典の大偉人も皆、当時は伝統を人一倍愛するニューウェーブであった。伝統の真なる享受、それは遵守と再生産の両輪の上に初めて成り立つ事を忘れてはならない。

2003年10月22日

中正面から能を観る

「中正面から能を観る」。これはどういう意味かというと…能舞台を取り巻く客席(見所という)には三種類ある。正面、脇正面、そして中正面。正面は文字通り。脇正面というのは能に出てくるワキ(簡単に言えば脇役)にとっての正面だ。正面から観ると、ワキは常に普通の舞台用語で言うところの下手、つまり客席から向かって左手に向かって座る。つまり普通の舞台で言うところの下手の部分にも能では客席があるのだ。言葉で説明するとまことにややこしいが、そこを脇正面という。さて、正面と脇正面の間に存する客席部分を中正面という。能では正面・脇正面そして中正面の三区域の客席が、扇型をなして舞台を三方から取り囲んでいるわけだ。普通はやはり正面席を選ぶ。だが、役者や能面を横から観たいと思う能楽通などはしばしば脇正面に座る。さて、中正面、ここはあまり座る人がいない。三種類ある客席で最も入場料が安くなるとしたらまずここだ。ここに座ってしまうと、能舞台にある目付柱という奴が能を観るのに邪魔になってしまうのである。私が「中正面から能を観る」と言う場合、実はそれは私の能の見方の比喩なのだ。
つまりは、「お能拝見」などというかつての封建的遺風に遠慮する必要のない昨今、能を批判的に観る事が求められているのである。少なくとも、私はそう思って能を観るようにしている。すると、どうもおかしな事、演劇としては不成立な要素も能には少なからず散見されるのだ。例えば、目付柱の存在である。調べてみたら、あんなものは能の創立期にはなかったのである。「どう考えても邪魔なんだから、いっそのこと取っ払ってしまってはどうか」と提案できる理性が、演劇としての能楽を復興するためには欠かせない。
何もかもやみくもにありがたがっていては良いものは創れないと思う。好きだからこそ、愛があればこそ、心を鬼にしてクリティーク精神で能に臨むのである。

今申楽を創るには能リテラシーが必要である。

2004年02月29日

能作者・多田富雄氏のこと

その代表作『無明の井』は脳死と心臓移植を、『望恨歌』は朝鮮人強制連行を、『一石仙人』はアインシュタインの相対性理論をテーマとする。まず、テーマが良い。現代性、また理系という従来の能楽界になかった視点、群を抜いて鮮やかだ。稀にこういう正統派の創作に接すると、私も頑張らねば、などと勇気が湧いて来る。唯一、疑義を差し挟むとすれば、これほどの現代的テーマを厳選しながら、何故古語にこだわっていられるのだろう。テーマから言うなら、口語謡に挑戦されるべきではなかったかと私は思うが、どうだろう。あるいはやはり、現代語の謡曲能本は不可能とお考えなのだろうか。『香炉峯』はオーソドックスな伝統語で書いたが、いずれ、完全な現代語でも能を書きたい。そちらも乞御期待である。

2004年03月11日

プロデュースの日々

ただ、最近多くの方から「事務方の補佐が必要だね」とよく言われる。その通りだと思う。というわけで、朧座の事務面を補佐下さる方を募集します。我はと思う方、ぜひ一報下さい。とにかく、今のこの時期というのは、本番直前の次に忙しいようだ。私一人ではどうしても仕事に穴があるので、朧座衆の面々には事あるごとに「私をどんどん突っついて下さい、たいてい忘れているので」とお願いしている。我ながら誠に情けない。ただ一つ救いなのは、何故こんなに慌しいかといえば、この企画が今ほうぼうで予想外に大きな反響を集めているからだということ。一歩を踏み出すまではわからなかったが、思いのほか多くの方が期待を寄せて下さっている。

2004年03月14日

「意外と通じる」

本日、記憶にとどめたい知人友人の言葉。

T君「枕草子か〜懐かしいなあ」
T君は決して古典が得意というわけではない、それでも中学で覚えさせられた冒頭を見てそう言うのである。
枕草子なら、行ける。今でも多くの人に出だしくらいは覚えてもらっている、珍しい古典である。わかりやすくて親近感が持てる。典拠(元ネタのこと)として、これほど現代人にとって入りやすいものはあるまい。にもかかわらず、能の世界で採り上げられていないのはなぜだろう。古典離れとよく言われるが、お世辞にも勉強好きとは言えないT君がしみじみ回想するのだ、「春は曙」と。

思うに、「春は曙が趣がある」などという嘘の訳を強要する学校の先生たちが、古典を現代人から遠ざけている。今でも言うではないか、「男は度胸」とか「女は愛嬌」とか。これを「男は度胸が趣がある」「女は愛嬌が趣がある」などと言ったら訳がわからない。

Yさん「歌舞伎座のイヤホンガイドって要らないですよね」
そう、まったくそうなのだ。言葉なんかわからなくても良いのだ、通じれば。
先日、香港で過ごした日々を思い出す。はっきり言って、私の英語力など中学生レベルなのだが、にもかかわらず面を創ってもらうデザイナー・陳大成とはものすごく内容の濃い対話を交わしてきたのだ。
能楽師にとって能面は命である。つまり私は俳優の生命を陳に託してきたのだ。
古語だろうが外国語だろうが関係ない、片言の英語でも命懸けの文化交流は出来るしやっぱり歌舞伎座にイヤホンガイドは必要ないのである。

今のこの季節、早起きしてみるとよくわかる。
「古典」は、思ったほど古くないと。
春は曙…ふと口をついて出るこの言葉は、果たして古語か、それとも…?

2004年03月16日

新作能から今申楽へ

能の本を俳優が読む。とうとう、そういう段階に来たのだなあと、しみじみ思ってしまう。ワークショップが終わって、空也坊・出演者と食事をしながら、そう思った。
『香炉峯』は、2001年5月に書いた。今でもはっきり覚えているが、当時はただ単純に能に惚れてこの本を書き上げた。惚れた直後で、今ほど能のことを冷静に見ていなかった。だから、書いているときは漠然と「いつかこの本が誰か能楽師の目に止まって上演してもらえたらいいなあ」などと夢想していた。自分自身で演ずるなど思いも寄らない、まったくの他力本願だった。つまり、その頃これはまだ「新作能」の本であって、「今申楽」の本ではなかった。
「今申楽」という発想が湧いてきたのは、その後のことである。この本を何人かの能楽師に見せたが、反応はたいてい「まあ、大変ご熱心ですね」とか、そんなのばかり。私としては「よし、じゃこれを舞台に上げましょう」というような心強い言葉を待っているわけだが、そういう情熱的な気配はあまりなかった。そうこうしてうちに、惚れた直後の熱はやや冷めはじめて、もう少し能をクールに考えるようになってきた。流儀流派、家元制度、お稽古事としての能…
だんだん、自分たちでやっても良い気がしてきた、「今申楽」として。もちろん、能楽師に「新作能」として演じてもらう夢も放棄したわけではない、でもしばらくは保留にすることに決めた。もう私は待ちくたびれたのである。早くやりたいのだ。
で、この台本でやってもらう俳優を募るにあたり、気を使ったことが一つある。
変な言い方だが、芝居の出来る方だけを誘った。はっきり言って、現代語の芝居が出来ない役者にこの台本は読めない。
「ノルマを課して下手な役者を出す」という段階を卒業して、「ノルマなんか課さずに上手い人を使う」という段階に進まなければ、到底「今申楽」は成り立たないと思う。
今日のワークショップを見ていて思った。この人たちとなら、『香炉峯』が出来る、と。彼らと食事をしながら、新作能ではなく今申楽として今確かに産声をあげつつあるこの作品の明日を思うのである。

2004年03月17日

能楽への思い

昨日から今日にかけて、朧座衆の面々の言葉が私の心に深く残っているのでご紹介する。まずは空也坊氏のこの言葉。
能楽師たる者、立っては舞、座しては謡が勝負。
この言葉の何たる重み。

朧座システム管理部長yusukeのアドバイス。
「このサイトを訪れる人の中には『能楽の一般知識を求めている』人もいるだろう。
その場合に、あまり偏った情報(今の能楽は、だめだ!みたいな)だけを提供しているのは、よくない。『能楽の文化に尊敬を抱きながらも、新しいことをしたい』というメッセージにならないと。
朧太夫は、十分に文化へ知識や尊敬の念を持った上で、『新しいことをしたい』と言っていると思う。でも、今のサイトでは、前半が抜けている。それは、君にとって、
前半が当たり前のことだから。その当たり前を、言葉にすることも意識してみてはどうでしょうか。」

持つべきものは、友人である。感謝。
今申楽朧座、これまでもたくさんの方にお世話になり、これからもまた然りなのだが、一つ最大の恩人を挙げよと言われれば、ためらわず次のように答える。

それは、能楽である。

今後は、yusukeの助言を生かし、空也氏とも相談して、より詳しく能楽、その魅力についても述べて行こうと思う。

2004年04月08日

朧座の名の由来

昨日、第一回公演『香炉峯』のワークショップ中、出演者の高田べんさんから次のような質問を戴いた。

「太夫くん、僕は直面(ひためん)なわけだけど、表情は動かして良いの?」

直面とは能の用語で、能面を着けず素顔で演じること。現在の能では、顔面筋肉による表現はご法度とされている。
非常に本質を衝いた鋭い質問だ。
で、私は彼に次のようにお願いした。
「普段我々が行っている現代演劇の要領で結構です。
ただ、もし能のスピリットに学ぶところがあるとすれば、やはり過剰な表情、無駄な表現は避け、動かすべきところで初めて動かすのが良いと思います。
…まあ、考えてみれば普段から我々やっていることですが…」

帰宅して共同演出の空也坊氏と電話でこの件について話す。氏曰く。
「いやー今だから言いますとね。僕も最初、この台本をもらった時、ト書きに『笑い転げんばかりに』と書いてあるのを見て、この企画に乗るべきかどうか、非常に迷ったんです」(注・オーソドックスな能には「笑いの演技」は存在しない)
そこでこう答えた。「僕がこの台本を能の台本として書いた当初は、このト書きは現実に笑えという意味ではなく、演者の心が笑いそうになるくらいに、という意味だったんです。能の台本にも『気ヲカへ』といったト書きがあるのと同じように。しかし、今申楽ではこのト書きをどう解釈するのか、実は皆が知りたがっていることだと思います。
例えば、今申楽朧座では顔面表情をどうするのか、あるいは笑いの演技をどう処理するのか、そういったことを解決して行くうちに、今申楽のスタンダードといったものが生まれて行くと思います」

ワークショップを終えて夜空を見上げると、昨夜は見事な朧月夜であった。
べんさんに言った。「朧座って、まさにあの月みたいなものなんです」と。
朧という言葉は、月の光がぼんやりとして、輪郭がはっきり見えないさまを言う。
今、我々は全員、朧だ。自分たちが行おうとしていることを、「芝居だ」「能だ」と単純にはカテゴライズ出来ない状況にある。
しかし、もちろん、帰するところは現代の観客と心を通わす現代演劇でなくてはならない。
見知らぬ土地を歩くのは勇気が要るが、今となってはそこを楽しむしかないだろう!

それに全ての演劇は、本来、朧なはずなのだし。

2004年04月09日

能、それは「人」と「霊」とのドラマである

能は演劇である。
しかし、今日普通に見かける演劇と大きく異なる部分が、おそらく、一つだけある。
今日の演劇では「人」と「人」との関係性が描かれる。
能では、「人」と「霊」なのだ。

今日の演劇は「人」同士の関係性を描くのであるから、舞台は例えば駅の待合室とかカウンターバーなんかが適している。つまり「人」同士がお互い対等に対話しうる場だ。
能の舞台はそこが違う。全ての能は、この世とあの世を結ぶ橋の上が舞台となっている。電車に乗って能楽堂にたどり着き観客席に腰を下す、ここまではこの世だ。やがて五色の幕の向こうから笛や鼓の音が聞こえてくる。このとき、この世とあの世の境目はすでに揺らぎつつあるのだ。そろそろおしゃべりは止めなければならない。幕の向こう側は──あの世だ。

登場する霊たちはみな、能面を着けている。霊には顔面筋肉というものがない。そういう余計な仮面で真の顔を覆い隠し、泣いたり笑ったり怒ったりと大げさに振舞って見せるのが生者という奴なのだ。
能面は、仮面ではない。能では、能面こそ真の顔なのだ。
顔面筋肉などという、余計で嘘っぱちな仮面を脱ぎ捨てたとき、そこには真に美しい霊の顔が現れる。

能舞台という、この世とあの世を結ぶ不思議の橋の上で、能面を着けたあの世の者と能面を着けないこの世の者とが声言葉を交す。
能とは、そういうドラマなのだ。

2004年04月22日

眠い能ほど良い能か?

眠い能ほど良い能だ、と専門家はよくいう。私は、この言葉を昔はまったく信用していなかった。今でもあまり信用していない。少なくとも、初心者はみな、役者が何を言っているのかわからず、暇で退屈でウンザリ、疲れ果ててやむを得ず寝るのである。能は夢うつつの境を描くから、当の観客も夢うつつで良いのだと真面目に説く人もある。だとすれば、観客席を観客寝台に改めてもらいたい気がする。座りながら寝るのはなお疲れるのである。能から開放される頃にはもうクタクタになっている。チケット代を支払って体験させられる地獄。
だいたい何を言っているのかわからない、聞こえない、そういう精神状態で幽玄を味わうもへったくれもないのではなかろうか。

昔、私が中学生の時、音楽の授業中にオーケストラのビデオを見させられたのだが、あまりの心地よさに私は寝てしまった。授業が終わる時、音楽の先生が
「田中(私)が寝ていた」
と怖い声で皆に言う。謹厳で知られる先生だから叱られるかなと思いきや、先生、
「実に気持ちのよさそうな顔だった」
珍しく菩薩のような笑みをたたえていたのを今に忘れない。この時から私は彼を、心の中で正式に先生とカウントするようになった。
もうお気づきかも知れないが、私は先生でもない人間を先生呼ばわりするのが嫌いである。お上を闇雲にありがたがるのは日本人の悪弊だ。礼節は輸入したが易姓革命は輸入しなかったのだ。
学校の先生というのは、資格的には結構簡単に取れてしまう。事実、恐ろしいことに私はあと一歩のところで小中学校の国語教師の資格を取ってしまうところであった(自粛したが)。資格をとるのは簡単だが、真なる職業として学校の先生になるというのは、おそらく、相当難しい。想像を絶するほど難しい。何より真の先生は、当たり前のことだが、生徒の心がわからなければならない。生徒にどう見られているか、今自分は生徒にちゃんと通じる言葉で話しているかどうか、生徒のまなざし、生徒の声、生徒の反応にセンスティブであらねばならない。
そういう真なる先生は、小学校から大学を辞するまで、管見の限り数人であった。

私は、専門家の謬説を信じない(正しい説なら良いが)。世にも美しい夢の世界が眼前に展開されていて、人はそうやすやすと寝るものであろうか。なるほど、オーケストラの心地よさに寝ることはある。同様の理屈で、ある程度能に親しんだ者なら、能の心地よさに寝ることもある。それは、曲の内容や詞章を水や空気のように既に身体に取り込んでいるからだ。しかし、あえて言うが、それは演劇の観客としては消極的な楽しみ方だと私はやっぱり思う。
人生の劇的なる部分が描かれ、そこに観客が遭遇する。それが演劇ではないのか、世阿弥の説く「花」ではないのか。
寝ていては「花」が観られないではないか。

どんな夢が舞台上に紡ぎだされるのか?それを我々観客はもっとワクワクドキドキしながら体験するべきではなかろうか。

だから、私は言いたい。上手い能楽師の舞台が観たいと。
上手い能楽師とは、数々のハンディにもかかわらず、現代の観客に問いかけ訴える技量の持ち主を言う。

私は、眠い能ほど良い能だ、という説には賛同できない。
良い能なら、眠くならないはずだ。少なくとも、能を積極的に演劇として楽しもうとする立場からすれば。
なぜなら、上手い能楽師は必ず現代の観客の心に迫ってくるはずだからである。

2004年05月07日

能は原作

よく聞かれる。今申楽にとって、能とは何なのか、と。答えよう。能は今申楽にとって「原作」である。
小説を映画化したい時、監督は小説の書き方を学ぶ必要があるだろうか。ない。知る必要があるのはその小説に表されている世界の方である。その世界を、彼の技術で映画の世界に換骨奪胎するわけだ。
アニメーションの原作が漫画である場合、違和感は比較的少なく済むと言う人もいるけれど、ものによるだろう。私が子供の頃テレビで放映されたアニメの『ゲゲゲの鬼太郎』は、水木しげる氏の原作とあまりにも違い過ぎるということで、水木ファンには評判がよくなかった。私も水木ファンだが、その違いが面白かった。アニメにはアニメの良さがあった。アレンジの妙と、アニメの作り手たちの冒険を好意的に受け止めていたものである。
水木漫画には、農村とか、太平洋戦争前後の雰囲気が横溢している。それはそれ、私の眼には異郷として魅力的に映えるわけだが、しかしアニメ放映当時というのは80年代、バブル全盛時代である。妖怪ぬらりひょんがベンツを乗り回していたり、妖怪いやみが原宿の歩行者天国に出没したり、水木ワールドの住人たちを時代の空気にうまく生かしていたと思う。

話は脱線したが、要はそういうことである。
今申楽は、能ではない。能を「原作」としてはいるが、別物である。しかも、能の小説版とか漫画版とかの方が違和感は少ないだろう。今申楽の場合、同じ舞台芸術であるだけに、かえって違和感は大きいだろう。
最近、市川猿之助氏の「スーパー歌舞伎」なる造語の上手さをつくづく痛感している。「スーパー」なんて変わった形容詞が付いてるから、明らかに別物なのだ。それでいて、猿之助氏なら「歌舞伎」を名乗る資格があるだろう、歌舞伎役者なのだから。訳せば超歌舞伎、歌舞伎を超えてかつ歌舞伎であるという心意気であろう。
だから、古典歌舞伎のファンがスーパー歌舞伎を観た時味わうであろう違和感よりも、もっともっと大きいはずである。能だと思って来られた方が今申楽を観て経験されるであろう違和感は…。

その違和感をこそ、ぜひともお楽しみ願いたい。
能は原作。御期待の程、こいねがう次第である。

2004年05月11日

花ってなんだろう

芝居というものがよく分からなくなるときがある。

私は、ずっと役者をやってきたが、近頃は作演出の面白味に気付きつつある。
作演出デビューは『如人草(にょにんそう)』なる作品だった。
こちらは、登場人物全員、完全に現代口語を操る普通の芝居(内容はあんまり普通じゃなかったが)。

何しろデビュー作、作演出家として経験もない実績もない。
だから、自ずから私の先輩に当たるような役者は誘いにくく、出演者の多くは私と同じくらいか私よりも後輩に当たるような役者であった。その中には(これは狙いでもあったのだが)観劇体験は誠に豊富だが演劇体験はゼロ、といういわゆる素人も何人かいた。

この、いわゆる素人さんたちの放った存在感、舞台に生きる躍動感といったらなかった。彼らは普段は役者という肩書きを背負って生きていない(これから先は知らないが)、『如人草』終了後はとりあえず再び堅気(?)の世界に戻ったようなのでここに実名を出すことは一応控えて、役名で呼んでおくことにしよう。

奈菜篠権兵衛さんと、山辺宮弘仁親王殿下である。
舞台が終わった今だからハッキリ白状するが、私はこの二人の存在感を生涯忘れることはないだろう。
奈菜篠さんは、普段、何も喋らない役である。台詞がほとんどない役なのだ。その彼が「…悟じゃなくて?」という台詞を放つ瞬間、舞台上にとんでもない花が咲いてしまうのだった。殿下は、普段、ヘラヘラ酒を呑んで徹夜で麻雀やってるだけの遊び人である。その遊び人が一瞬「山田」と、自らの使用人の名を真面目に発する瞬間、やはりこれまた忘れ難い花がほころぶのである。

この二人を観ていてつくづく考えさせられた。花ってなんだろうと。
世阿弥もさかんに花、花、花、と言っている。
一つ、確かに言えることがある。
彼らは普段、役者という肩書きを背負って生きていない。

だから、決して造花になることはないのである。

芝居というものがよく分からなくなるときがある。

2004年05月14日

グチ

そもそもまともに批評をする・されるという風俗習慣が定着していないので、嘆いてみても始まらないのだろうが、とかく私は「おたく」「内輪受け」が嫌で嫌で嫌でたまらない。しかし、そういう作品は多い。どこの誰とは言わないが、もう、そういう作品(?)は圧倒的に多いのだ。
オタクというのはもちろん多義語で、もっと良い意味で使われるべき場合もあるとは思うが、今言っているのは最悪な人々による最悪な作品群、そこに流れ漂う最悪な腐臭を申します。

「つまんねーよ、バカ。」「おまえの作品、魅力ないよ。」って誰かが教えてあげないとわからないんでしょうか。そういうこと、親でもないと言ってくれない年頃かなとも思うのですが。

義理で行きたくもない芝居を見に行き、結果ますます鬱になる。やな国ですねえ。

品とは

私の家の近所に松屋があり、さっき入って昼食をとったのだが、そこでバイトしているおばさんが、非常に上品なのだ。そこの松屋はしばしば使うのだが、そのおばさんは初めて見る顔だった。働き出したばかりなのだろう、仕事が全然慣れていない。いつまでもつだろうか、おせっかいながら心配になってくる。スピ−ドが売りなんだからそんなに丁寧にお辞儀していたら間に合わないですよ、安さが売りなんだからそこまで笑顔でお見送りしなくてもいいですよ…

品というものは滲み出るものである。そのおばさんにはつくろいの厭らしさがない。本当に、純な心で発する彼女の声や表情が、全く計算なく自然で上品なのだ。

昔、私が水商売のバイトをしていた時分を思い出す。
何が苦痛かと言って、店長が「上品」という言葉を全く誤解して使っていることが苦痛でたまらなかった。
その店長は、「上品」を「金額が高い」という意味で使っていた。つまり、本当の意味で下品なのだ。

翻って、日本文化の周辺に巣食う人種にも、この手の人々が実に多い。
しばしば、上品という賛辞を、下品な対象に贈っている。
文化っぽいもの、芸術っぽいものに対して、その真贋を見究めることなく「上品」などと薄っぺらいおべっかを使って、自らの審美眼のなさを露呈している。
日本文化なるもの、これでは若者に嫌われ外国になめられ、残るは誤った既得権益に群がりしがみつくゾンビの如き御歴々。

まことに悲しい事である。

2004年06月06日

千秋楽

「千秋楽は民を撫(な)で、
万歳楽(まんざいらく)には命を延ぶ。
相生(あいおい)の松風、
颯々(さつさつ)の声ぞ楽しむ、颯々の声ぞ楽しむ」
謡曲・高砂の切(きり)、即ち結びの一節である。
一日の番組の最後に付けるめでたい能を祝言能と呼ぶ。
分けてもめでたい一節を、役者が舞う替りに、
地謡が謡い納めてその日一日の演能を締め括る、
これを付(つけ)祝言と称する。
囃子は加わらない。普通、先に紹介した高砂の切が謡われる。
今日、結婚式等の晴の場に、嗜(たしな)みのある人が招かれて、
祝いのしるしに謡ったりするのが、このめでたい一節なのである。

能は、元々、祭りの性格を色濃く持っていた。
その祝祭性は後の歌舞伎にも大いに継承された。
そして近代の洗礼を浴びた筈の我々もまた、当り前のようにして、この言葉に親しんでいる。
カーテンコールの際、劇団の主催者等が
「本日楽日につき、役者紹介をさせて戴きます」なんて挨拶して、客出しして、
芝居の間ずっと世話になった舞台を惜しむ間もなく叩き壊して、跡形もなく片付けて、
それが終るや否や打ち上げに直行である。
もう終ってしまった、明日からは稽古も本番もないのだと思うとちょっと寂しくもなるが、
「千秋楽」
この、いかにもめでたくはなやかな言葉が、そんな寂しさを束の間忘れさせてくれるのだ。
かくて宴の夜は心楽しく更けて行く。

そんな訳で、我々もまた、随分とこの言葉の恩恵に浴している訳だが、
しかし当の能の世界にあっては、祝祭もいつの間にやら儀礼と堕して、
めでたさよりもしかつめらしさが先に立つようになってしまった。
祝言能と言うと、やれ「神能(かみのう)の後半を一定の方式に基づき演ずる」だの、
「しかし猩々(しょうじょう)・石橋(しゃっきょう)等めでたい曲が切能(きりのう)の時は添えぬ」だのと、喧(やかま)しい。

それはさておき、興行最終日を言うめでたい言葉として、
同じく高砂の結句でありながら、「千秋楽」が選ばれて「万歳楽」が採られなかったのは何故か。
これにつき、服部幸雄氏が面白い事を述べておられるのでご紹介しよう。
 
《歌舞伎の興行関係者は、たび重なる火災によって劇場を焼かれたため、「火」の文字をタブーとした。そのために、あえて「秋」の字を避けて「千穐楽」と表記してきた。そこまでしても、「万歳楽」ではなく、あくまでも「千秋楽」に固執しつづけたのは、この世界における習慣の強さということの他に、「秋(しゅう)」と「終(しゅう)」との音通による、江戸人らしい洒落の感覚が働いていたのではあるまいか。》(『歌舞伎のキーワード』岩波新書より)
この説は面白い。なるほど、言葉というものに対して、今日の我々には想像もつかぬ程の豊穣な感性を有していた前近代人の事である。
服部氏の言うような事もあったかも知れない。
しかし私は役者として、自らの実体験から、あえて文化史学者とは異なる私見を述べてみようと思うのだ。

何故に「万歳楽」ではなく「千秋楽」か。
普通に考えたら、「万歳楽」の方が「千秋楽」以上にめでたそうではないか。
と、ここまで考えて、ふと私は自らの経験に思い至ったのである。
実は私にとって、芝居の最終日を迎えるというのは、結構辛い事なのだ。
芝居で完全燃焼出来る事など、正直言って私の場合、皆無に近い。
芝居をやれば必ずといって良い程、多かれ少なかれ未完走の気味を残したまま千秋楽を迎える破目に陥るのである。
いつも「途上」にあるまま、芝居は終ってしまうのだ。
到達点は、まだ先にあるのだ。
だから、「万歳楽」は、私にとって見果てぬ夢、完走の日である。
まだまだだけど、全然まだまだだけど、
しかし何はともあれ、まあまずはよく頑張った、とりあえずご苦労さん。
これが私の「千秋楽」である。

未熟者のとりあえずの成果を、ともかく祝おう。
見果てぬ夢に向かって、まずは乾杯。
今の私によく似た、悩み多き役者が昔の世にもいて、
そんな人間が「万歳楽」ではなく「千秋楽」を選んだのだとしたら、
怠惰な私は、何だかとても救われる。

そして、もし「千秋楽」がそういう言葉であったとして。
能という芸能それ自体、まだまだ「千秋楽」である。
「万歳楽」では、決してない。
幾多もの「千秋楽」を重ねながら、未だ見ぬ「万歳楽」を追い続けて行く事が出来る筈だ。
未完の故に、無限の可能性が、そこにはある。
私は、そう信ずるのである。
(H13.10.9)

2004年06月30日

朧座第二回公演は

今となっては笑い話である。もうそろそろ書いてもよかろう。

能の魅力にとりつかれてからはや数年。ただ私の場合、一般客とは少し事情が違って、同じ舞台人、広い意味での同業者だったのだ。
私ども現代演劇の場合、よほどの名作傑作なら再演ということもあるが、基本的には公演のつど作家が新作を書き下ろすというのが常態である。
脚本を書く、脚本が上がるというところからふつう出発するのである。
だから、能にぞっこん惚れこんだ時も私はすぐに看破した。「ああ、能って昔のレパートリーばっかりなのか、もったいない。新作もやらないと駄目だろう!」
看破などと、つい偉そうな言葉を使ってしまったのは他でもない。後で調べてみたら、やっぱり大成者世阿弥は著書の中で声高らかに宣言していたのだ。「能の本を書くこと、この道の命なり」と。しかも能楽関係者なら絶対に熟読しているはずの『風姿花伝』の中で。
だから当時は、新作能なる挑戦に不熱心な多くの能楽師のスタンスに批判的だった。今では多少成長して、何でもかんでも挑戦すれば良いというものではないということも知っている。むしろ、正統継承者の方々には正統をこそ継承して戴きたい、生半可な試みはお遊びであり邪道であるとさえ思っている。
こんなことを書くとは、私も一頃に比べれば少しは大人になったものである。

さて、このままではまずい!なんとかしなければ!と義憤の念にかられた当時の幼い私は、とるもとりあえず猛然と能の台本、記念すべき我が能本第一作を書き上げた。
タイトルは、色々吟味したあげく『晴明』と決定した。
お察しの通り、当時大流行だった夢枕獏氏の小説に便乗したわけだ。まあ、私にとっては習作みたいなものだったわけで、その辺りの軽さはどうか笑って許してやって戴きたい(ちなみにその後書いた朧座第一回公演『香炉峯』同様、こちらもきっちり複式夢幻能の形式を守っている。ストーリーは内緒)。
さる名門能楽師の口から『安倍晴明』なる新作能制作が発表されたのはその直後のことであった。先を越されてしまった格好で、正直それなりにはくやしかったが大した痛手でもなかった。安倍晴明という、流行りの小説で既に手垢のついた素材で勝負をかけるつもりは私にはなかったので。
(しかし余談ではあるがこの新作能、なんでも京都の晴明神社でも再演されたとか。やっぱりちょっと羨ましいなあ。いいけど。)

まあ、我が処女作には、しばらく眠っておいてもらうこととしよう。
しかし、この安倍晴明の一件は、私に一つの重大な教訓を与えてくれた。すなわち、いかに名もない一庶民がとある能本を独り寂しく手掛けたとて、たまたまそれと同じ題材に目をつけた名門能楽師が記者会見を開いて「やる!」と言い出し、著名な作家や文化人に台本を書かせて実際に演じてしまえば、もう既成事実として後者の存在感は揺るぎないものとなり、反対に前者が今後発表される可能性は著しく減退してしまうということだ。
これは厳然たる事実である。

そんな苦渋、というほどでもないか、そんな経験も過去には味わった。しかし今は違う。新作能という、新作台本を既存の能の形式にあてはめて演ずる従来のやり方ではなく、今申楽という全く新たな方法で行く事を決めた我々朧座は、すでに第一回公演を確かに見届けて下さった約500名の証人を有している。
今申楽朧座はもはや母胎の内なる存在にあらず、明らかな産声を上げて既にこの世に生誕したのだ。

同じ轍は踏むまい。というわけでここに大音声にて発表するのである。


今申楽朧座 第二回公演
『修禅寺』
尼将軍 北条政子

公演日時・会場等々、詳細一切未定。
出演者募集。経験不問、但しともに真剣に舞台芸術を志せる方に限らせて戴く。
なお題名・内容は変更の可能性あり。ちょっとずるいか?
何はともあれ乞う御期待。


嗚呼、書いてしまった……どうしよう。

2004年07月03日

「新作能」の明日

新作能が今、静かなブームの兆しを見せている。あちこちで、色々な取り組みがなされ始めた。こうした取り組みがきっかけとなって、「真なる意味で能を新しく作る」という機運が芽生えたら大変素晴らしいことである。

新作能。実を言えば、私も昔は「新作能の作者」と呼ばれてみたかった時期がある。まだ「今申楽」という発想が湧いてくる前の頃の話だ。能を観に行く時には、駄目でもともと、何か大事な出会いがあるかも知れないと思って、必ず『香炉峯』など新作能のつもりで書いた自作の台本を何部か印刷して持参したものだ。機会に恵まれて、何人かの能楽師の目にとまった時など、もう何と感想を言われるものやら、期待と不安でカチンコチンにしゃちほこばっていた。結局、感想らしき感想が帰ってくるのは稀であった。今にして思えば、感想と言われても、何を言えば良いのかよくわからないという方も多かったことであろう。

しかし、今では今申楽朧座の主宰者兼座付き作家になってしまったので、「新作能の作者」と呼ばれたいという気持ちはもう存在しない。だが、空也坊が「私はいつか『香炉峯』を新作能という形でも上演したい。ただし準備が整うまで、あと何年かかるかわからないが…」と言ってくれたので、いつかは「新作能の作者」と呼んでもらえる日が来るかも知れない。その暁には、能舞台で能楽師たちが本式の能『香炉峯』を演じて下さるわけである。主人公・清少納言を演ずるはやはり空也坊であろうか。空也坊、否、その時こそは彼の能楽師としての名がパンフレットに燦然と記載されているに相違ない。そしてその頃、見所(=客席)の奥にて呆々と舞台を眺める白髪の老人が私だ。

閑話休題。方法として、昔は今申楽の方が難しいと思っていた。今では新作能の方がはるかに難しいと思う。第一回公演の幕が上がるまでは、私をはじめ朧座一同みなヒヤヒヤであった。何しろ初めての試みなのでお客様がどう受け止めて下さるか…全くの未知数であったから。だが、千秋楽を終えた今、第二回が楽しみだと多くの方が言って下さっている。必ず第二回はやる。もちろん、第一回の反省点を生かし、万全の準備を行ってからの話だが。
しかし、生みの苦しみもいろいろ味わった分、生まれた喜びも大きい。そして、今申楽という方法を生んでみて、初めて実感したのだ。ああ、これは新作能の方がよっぽど難しいな、と。

一般に言うところの新作能、それは能に造詣の深い文学者などが台本を新作し(場合によっては、面や装束も台本のイメージに合うものが新調される)、それに能楽師が既存の謡や舞を当てはめて演じるという方法をとる。

しかし、その方法は、実は非常に大きな矛盾を孕んでいるのである。
「既存の謡や舞を当てはめて」というところに、誠に大きな陥穽がある。
結論から言えば、既存の謡や舞は、既存の台本でやれば良いのである。
台本を新調する以上、謡も舞も新調するべきだと私は考える。面や装束のような物質面だけ新調して「新作」を名乗るのは、ちょっとせこいのではないか。

作家に新作を書かせて、デザイナーに面や装束を新作させて、謡や舞はどっかの切り張り、いつものまんま。なんだかねえ、という気持ちになってしまうのは果たして私だけであろうか。

要は、何をもって能と名付けるか、定義の仕方である。
能とは何か、という問題である。
伝統芸能?無形文化財?それとも、あるいは…?という話。

「真に能を新しく作る」ためには、相当多くの人間が相当多くの事柄を考え直さなければならないだろう。本質的に。
昔、私がプロの能楽師に能を習いたいと言い出した時、私の計画(その後「今申楽」と呼ばれることになる。当時は単に「新しい能楽を創る」と称していた)をよく知る何人かの友人が真剣に私に忠告してくれたものだ。
「やめておけ。お前のやりたいこと、出来なくなるぞ」
友人たちの忠告はありがたかったし、その意図もよくわかったが、私は入門を決断したのだった。
そして、その決断は正しかったのである。師匠に恵まれたため。

ともかく、もう一度繰り返す。
「真に能を新しく作る」ためには、おそらく、多くの人間の意識改革が必要である。「能」とは何か、関係者全員、徹底的に考え直さなければならないと思う。そしてその結果、既存の型をただ当てはめて事足れり、などという微温的結論を突き抜けたところにまで行かないと、ことは新作能ごっこに終わり、関係者もそれを持ち上げたマスコミも足を運んだ観客も、全員頭が悪くなるか空しい思いを味わうかという結末を迎えるに相違ない。

…と、この辺りの事をきちんと皆で考え合えるようになったら、新作能という方法にも初めて未来は開けてくることと私は思う。
空也坊が「私が『香炉峯』を新作能で上演できる日が来るまで、あと何年かかるかわからない」というのは、「新作能がやれるような身分になるまで」の意ではあるまい。「真なる意味での『新作能』がやれるような機運が熟するまで」の意に相違ない。

想像をたくましくするに、もうその頃には、「今申楽」と「新作能」の距離は相当縮んでいるのではあるまいか。
まあ、夢のような話ではあるが、いつかかなう日も来よう。

2004年07月04日

香港雑感

まだ香港にいる。
街を歩いていて思った事をいくつか。

香港において、日常使われているのは広東語である。また、長らくイギリスの植民地支配が続いたとあって、香港における英語教育は行き届いている。従って英語の上手い香港人は多い。私は、片言の英語と漢字をフル活用しての筆談とで辛くも異文化交流をはかる日々である。そんな私がある時、香港の面々と会食した折に、高校時代に習ったうろ覚えの漢詩をパクって適当にこしらえたものを開陳したとたん、一座にちょっとした爆弾クラスの衝撃を与えてしまったのが楽しかった。

香港の街を歩いていると、中国の神々を祀った祠や廟所の類がそこかしこに点在し、線香の香りを漂わせている。また、通りで足元をよく見てみると、建物の一角などにも線香を供えるスペースがきちんと設けられている。つまり、道教や風水といった民間信仰が今なお健在であり、そういうものがいわゆる百万ドルの夜景、現代的な摩天楼の群れと妙に同居しているわけだ。なかなか不思議な、面白い光景である。

羨ましいのは、新暦と旧暦を見事に併用しきっているところである。いやむしろ、中国では旧正月の方が盛り上がるとのこと。朧座の次回予定作品の季節をお盆の頃に設定したいと思っていざ考えたら、地方では八月、都会では七月と、もう現代日本人の盆感覚は相当狂ってしまっていることを思い出した。なんで旧暦を止めたのだろうか。フクザワユキチの仕業か?便利なのに。
盆というのは祖先の霊をお迎えする行事。そんな大事な行事の日取りが、田舎では季節を尊重して八月に行います、いや東京では面倒なので昔の日付のまんま七月にやります、そんな手抜きな招待感覚ではご先祖様達も不愉快だろう。
道理で香港の街が元気に見えるわけだ。今の日本はどうも神々に祝福されていない感じである。

持参した香港のガイドブックにも「アジアを体感!」とか変てこな事が書いてある。
もともと日本はアジアなのである。

2004年07月07日

私の仕事

私は、お客様の為の表現に生きていたい。
お客様に夢を与え勇気付ける、そのような舞台芸術の一担い手であり続けたい。
何やら経営方針みたいな書き出しで始まってしまったが、切にそう思う。

つい、「何を表現するか」に血道をあげるあまり、「誰に表現するか」を忘れがちである。お客様の為の表現なのだ。表現者自身の為の表現であってはならないのだ。木戸銭を頂戴するとは、つまりそういうことである。
戒めているつもりでも、いつの間にかつい、その戒めが緩んでくる。厳に用心しなければならない。舞台芸術の最終完成者は観客である。
私が最終的に信用するのは、お客様である。そして、お客様を忘れる事なくちゃんとお客様の期待に応ずるだけの力を備えた台本と共演者である。

何もこびへつらって言うのではない。「お客様は神様です」は名言である。

では、どうすればお客様に夢を与え勇気付けることが出来るのだろうか?
私の場合、どうすればお客様の為の表現に生きて行くことが出来るのだろうか?

最近、それは「埋もれた過去の神話を掘り起し、それを現代の観客に語りかける」ということなのだろうか、などと漠然と考えている。
「神話的」という言葉は、「共有の記憶にある」「共通に記憶されている」などと言い換える事が出来ると思う。小さな仲間うちにおける共通ではなく、大きな大きな、民族的規模における共通である。
ところがたまに、「皆に当然記憶されているはずの事項であるのに、何かの事情で忘れられている、または誤解されている」というような事柄がある。長い歴史の背後には、後世の人間が正しく記憶しなおすべき案件がたくさんあるはずだ。
例えば──この例は、神話というにはまだちょっと新し過ぎる、ごく最近の人物と私は思うが──「犬公方」こと五代将軍・徳川綱吉に対する現代人の記憶などは大いに訂正の余地があると思う。犬には犬権あり猫には猫権あり、いわんや人においてをや、江戸を殺人の世から文化の世へと転換させた大仕掛け人ではないのか。テロが毎日のように起こり、人殺しが平然と行われる今日、我々現代人は生類憐れみの令を手放しで笑う資格があるであろうか。
北条政子だってそうだ。恐ろしいやきもちを焼いて夫頼朝を困らせたというが、一夫多妻が理の当然、誰もがこれを信じて疑わなかったあの時代に、「一夫一妻」じゃなきゃ駄目よ!と直感で看破した女性である。「生涯この女を妻とし変わらぬ愛を…」などと誓ってもらえる時代ではないのだ。大変な炯眼である。

という訳で、今は政子にちょっと関心をもっている。
多くの歴史家が彼女に対して、ひどく雑な言い方をしているのが気になるのだ。
例えば「政子は子よりも実家の北条家を中心に考えて行く。そして、最後まで彼女自身のいわば間接的な命令でその子供たち──頼家、実朝──が死んで行く」というような言がまかり通っている。本当であろうか。
やはりどうも、この人も「記憶の訂正」を待っている一人という気がしてならない。

歴史上かくかくしかじかと伝えられるあの人物の、真の言い分。
それを代弁して現代人に語りかける時、観客の内奥に、ある何事かが確かに起きる、その何事かの為に生きられれば、もう他にさしたる望みはない。

以上の雑言を要するに、現代の人々の心に届き伝わることを待っている過去の人々が多くいる、その橋渡しこそが私の仕事なのではないか?現代の人々の心に届き伝わらなければ意味がないのだ。なぜなら過去の人々はそれを心待ちにしているのだから。
返す返すも、お客様の為の表現に生きていたいと思う、私は。
と、こうして結論はここに帰ってくるのであった。

2004年07月11日

広東語あれこれ

香港が歴史の表舞台に登場するのはこの150年ほどである。いわば現代人の一生二人分のうちに、一漁村から世界有数の都市へと変貌を遂げたのであった。確かに万事スピード感覚が違うように思われる。店やタクシーで料金を払う時も、日本より手早さが要求される。
英語が得意な香港人が多いと先の「香港雑感」に書いたが、香港で義務教育が始まったのは1980年である。確かに、英語教育が日本よりも行き届いているので英語の上手い人は多いが、しかしそう思って香港に行くと、実際はさほど多くもないという印象を持たれるかもしれない。
当然、香港の日常生活は広東語をもって行われるのである。
広東語と日本語は違う。香港式の英語教育は日本のそれよりはるかに成功している、だからといってすぐに日本に直輸入すべきかというとそんなに簡単な話ではないと私は思う。

さて、その広東語だが、昨夜、香港の友人と実験して判明した事がある。
いや、判明とまでいってしまうと非学問的なので、「浮上した」とでも言っておこう。
日本の漢字の音読みは、北京語よりも広東語に近いものがかなり多いのだ。
(また、その漢字も、中国大陸のように原形を思い出せないような略字がないので日本人にはわかりやすい。かなりスムーズに筆談する事ができる。)

古代日本語はインド南部のタミールから到来したという説がある。
飛行機が常識となった今でこそ、日本は島国などと思い込みがちだが、その昔はずいぶんと活発に海上交通が行われていたとも聞く。現代人が想像するよりもアジアは近かったというわけだ。
それに遣唐使廃止の後も、インドに行く仏教関係者は多かった。彼らに頼んで船に同乗させてもらい、途中のどこかで降ろしてもらう。あとは陸路で目的地を目指す。そういう、「高僧と一緒の船旅」の方が、ひょっとしたら昔は安全だったかも知れないし(坊さんだから手を出される心配はないし何かあれば祈ってもらえる。しかも坊さんたちも女を船に同乗させたとは言えないから、完全にお忍びで行ける)、目的地によってはその方が近道でもあったろう。

清少納言は南方から唐入りを果たし、現地の人間に白居易の詩の読み方などを教わりながら、「え、日本の音読みと似てる!」などとビックリしながら、一路、香炉峯を目指した。そう想像することは不可能であろうか。
(そういえば、これは余談だが、ピーターグリーナウェイ監督の映画『PILLOW BOOK』もまた、撮影地は日本と香港であった。)

当サイトは学問の場ではないので、こういう妄想的記述も悪しからずお許し願いたい。

2004年07月12日

朧座が外国語上演に踏み切る可能性

舞台芸術批評フリーペーパー『プチクリ』Vol.8(2004年3月15日プチクリオフィス発行)を読んでいたら、現在のフランスにおける日本事情を紹介する記事が載っていた。フランスの日本イメージには、サムライ・ハラキリなどオリエント憧憬から生まれる“JAPON”型とテクノロジー・サブカルチャーの氾濫する都市“TOKYO”型、二つの極端な原形があるという。そして、「北野映画の世界戦略は明らかにJAPON型をますます強める作風からも明らかである。そんないわゆる“世界マーケット”は、日本色をあえて前面に出さない日本ダンサーたちの果敢で率直な欲求に対しては、皮肉な現状ではある。」(豊島由佳氏)と結んでいる。

なるほど。

フランスの人が今申楽朧座を観たらどう反応するだろう。やっぱりJAPON型に分類されるのだろうか。
私としては、ずばり“日本”型を目指しているのだが…
つまり、まずは日本国内の世に問いたいのだ。日本語がわかる人達に向けて発したいのである。
「英語能」という大変ユニークな試みを行っている外国の学者もおられる。その賛否はともかく、英語を母語とする人々が能を何とか演じようとすれば、そういう形になるというのも一つの意見であろう。私は、英語能をやるなら、ケルトの神話伝説あたりに典拠を求めるのが良いと思う。シテ(能の用語。主役のこと)はアーサー王とか妖精パックなど。それなら賛成だ。英語で小野小町や在原業平など日本の古典をやるのは反対。小町や業平は英語を喋れないから。つまり、小町や業平が英語を喋ったら、それはごくチープな演劇になってしまい、能にはならないと私は思うのである。

今申楽朧座は、当面、日本語での上演を考えている。
英語で演じても良いが、それは英語が話せる俳優が座衆に何人か加わった時初めて検討され得る路線であろう。そしてその俳優は、アーサー王や妖精パックの言葉が喋れるくらいネイティブないしネイティブも同然の英語能力が問われる。かつ、能楽スピリットの研究までしなければならないわけだから大変だ。

で、少なくとも私にはそんな偉業は為し得ない。
私に出来そうなことと言えば、せいぜい、母語を同じくする「古人」たちと、さながら現代人同志のようにつきあうことくらいだろう。
だから、まずは母語を同じくする観客に対して演じたい。外国の方には、申し訳ないけれど私が演ずる分には、それこそ字幕か当日パンフの翻訳台本で理解を補って戴くより他ない。
“JAPON”型ではなく“日本”型を目指したいと称する所以である。お客様にはあくまでも「観光」ではなく「鑑賞」して戴きたいからだ。

2004年07月13日

人間国宝ってなんなんざます?

とある日本の伝統芸能関係のサイトを眺めていて、ふと気付いたことがある。
このサイト、他の同類サイトとは一線を画している点が一つある。「重要無形文化財保持者」なる表現がたびたび登場し、そして一切、「人間国宝」という表現を使っていないのだ。
なるほど、センスとか品位とかいうものはこういうところに滲み出るものか、と痛感。

実は、「人間国宝」というのはマスコミが勝手に作り上げた呼び方である。「重要無形文化財保持者」が正しい。
私は昔からこの「人間国宝」という言い様がどうにも肌に合わなかったクチである。

その理由。まず、国宝というのは重要文化財、いわゆる重文の一部を指す概念である。「重要文化財のうち、世界文化の見地から価値の高いもので、たぐいない国民の宝たるものであるとして文部科学大臣が指定したもの」(文化財保護法27条2項)がすなわち国宝である。つまり、国宝と重文は同じではない。異なる概念である。
しかも、重文のうちどれを国宝と定めて良いものかというと、この判断が大変難しいのである。日本史の教科書に出てくる有名な国宝円覚寺舎利殿、あれを国宝にしてしまったのも実は学者の早とちりで、本当は重文で十分(失礼)なんだそうである。他にも、「え、なんでこれが重文なの?国宝で良いのに」「え、なんでこれが国宝なの?重文で良いのに」と思わせる例は、管見の限りでも少なくない。奈良・談山神社十三重塔などは前者の好例であろう。
国宝というのは、相当重い言葉である。ことほどさように、国宝と重文は違うのだ。

だから、せめて「人間国宝」はやめて「人間重文」にして欲しい。と、言いたいところだが…「人間重文」という呼び方もまた間違っている。私はそう思う。
「財」や「宝」は、ふつう、人が人以外の事物を指して使う言葉であろう。
否、人が人を指して使う場合もあるかも知れない。その場合、国民はみな国宝のはずだし、人類はみな重要文化財に認定されるべきである。
「国宝や重文の枠内に特定個人がカウントされる」などという現象は、理想から言っても事実から言っても存在しない。「国宝や重文を持っている特定個人」ということならばあり得る。
というわけで、ここはやはり「重要無形文化財保持者」が正しいという結論に落ち着くのである。ちょっと長いからといって、「人間国宝」などという法的にも倫理的にも誤った略称を軽々に用いるべきではあるまい。
特に文化財関係者やマスコミといった、文化に関わる仕事をしている人間こそ率先して慎重な言葉使いを心がけるべきであろう。

「人間国宝」などと言われるとつい鼻白んでしまう庶民感覚の方が、よほど文化的だ。そちらの方が言葉に対して敏感であり、かつ正当な反応というものである。
私はそう思う。

2004年07月16日

田中一光氏の文章より

故・田中一光氏と言えば、現代日本を代表するデザイナーの一人であった。
その氏が、こんなことを書いている。


  私の古典
  私にとっては興福寺にしろ、東大寺にし
  ろ、幼年のころからの遊び場であった。
  また、少なくとも月に一度や二度は
  祖母たちに手をひかれて、参詣した
  信仰の寺々でもあり、国宝になって
  しまった興福寺の三重塔など
  小学校帰りの道草の場所であった。
  当時は興福寺三重塔の周辺はまだ
  囲いもなく雑草が生い繁るうす暗い
  ところであった。
  塔を三度廻って石を投げると鬼婆が出
  るというので、塔に石をぶつけては一
  目散に逃げ帰ったりした記憶がある。
  早春の東大寺二月堂のお水取りも、
  その後に行われる
  達陀(だったん)帽子の行事も、
  春日大社の雅楽も薪能も、
  すべて奈良の市民のお祭りである。
  なんの不思議もなく、
  千数百年前の古典に対して日常的
  な接触を繰り返していたのである。
  (『第7回現代芸術祭「田中一光展 伝統と今日のデザイン」カタログ』
  富山県立近代美術館発行)

誠に、奈良の魅力を語って余すところがない。
氏の示唆する如く、《真に古代が生きている》ところにこの地の得難い良さがある。
猿沢の池や奈良町辺りの小路など、県庁所在地だというのに、夜は真なる闇である。
これが京都では、こうは行くまい。
祇園の喧騒、高瀬川のネオン。私の求める情緒は、そこにはない。

再び、田中氏の文章を引く。

  能の美しさ 
  能の舞台に登場する「造り物」は、簡素
  で華やかで、夾雑物をすっかり取り除
  いてしまったまるで彫刻の骨格のよう
  である。いつも、その存在感と優雅な
  美しさにみとれてしまうのである。
  なにしろ、戦後は欧米の舞台美術の
  リアリズムがどこまでも主流であり、  
  写実を越えることのできる抽象の美の  
  真髄を、私は改めて能から教わったと
  思っている。
  一畳台の貧しい宿で枕をとる寝台が
  一転して、貴族の部室に転換する。  
  能が美しいと思うのは単に視覚的な
  ことを指すばかりではない。
  詞による文学性が舞台一面に満々と
  たたえられていて、動かない。
  老いた小町が美しい過去を語る
  場面で、人間のはかなさが
  ハラリと落ちる。
  そんな時、能は近代を越えていると
  いつも思う。
  (同)


あまりにも良い文章なので引用してみた。
今申楽も、むろん現代の観客というものを両手に受け止めた上で、最終的に帰するところはこういう境地でありたい。
今の能を観て、何から何までこれが能本来の抽象美であるとは私は思わない。
さりとて、江戸期の洗練過剰・形骸化の弊を厭う余り、能を目先の近代リアリズムに近付けようなどと企てるのは甚だ愚かな蛮行と言わねばならぬ。
能を殺す所業である。

今の能から、現代の観客にも《ハンディなし》に通ずる能本来の美のありようをすくい上げることこそ、我ら今申楽朧座が天に課された(?)使命なのである。

それにしても、現代美術の大家が能に造詣が深かったなどというのは、もっと知られて良い事実だと思う。
無印良品をぶらつきながら、ふと能の抽象美と出くわす事だって出来るかも知れないのだから。

2004年07月25日

久しぶりの観能

久しぶりに能を観てきた。朧座第一回公演以来、初めての観能である。
能楽堂に到着、客席中正面に座を占める。そうそう、この中正面というポジション、舞台の柱が邪魔になって客の視界をさえぎるという問題があるのだった。
舞台後方、鏡板に描かれた巨大な松の木に目が止まる。この松の木を今申楽ではどう処理したものか、舞台美術の横井さんらとさんざん話し合ったものだ。そういえば大昔、照明の吉川さんに「いつか新しい能を創るのでその時は是非力をお貸し下さい」とお願いした時、「タユー、あれが何を意味しているか、知ってるか?」と聞かれたのもこの松の木であった。
やがて橋掛かりの奥、五色の幕の向こうから囃子方のお調べが聞こえてくる。ああ、橋掛かり、幕、お調べ、全部一から検討したなあ…などと既に感無量。能はまだこれからだというのに。
能が始まる。曲は『雷電』。鬼や化け物が登場して比較的派手な展開を見せる切能(きりのう)の一つ。本曲ではかの菅原道真の怨霊が登場し、都に怨念の雷を雨あられのごとくほとばしらせる。台詞がよく聞き取れないのは別に今回の演者のせいではなく、私に言わせるとほぼ能一般に言えること。そして今申楽がもっとも力を注いで立ち向かわなければならない問題でもある。
昔の私は若気の至りで、この「言葉がよく聞き取れない」という一事を、能楽なる芸能が今日抱え持つ最大の瑕疵(キズ)と悪くとらえていた。まあ、その観方が100パーセント間違っているとは今でも思わない。しかし、そんな昔に比べて、ずいぶん好意的に能を眺めるようになった自分自身に、今回ビックリさせられた。これも、今申楽を実際に世に送り出してしまった事の一つの結果であろうか。もう、言葉を追うのは止めていたのだ。能に「聞き取れる言葉」を期待するのは止めていたのだ。役者が何を言っているのか聞き取れない、それでもシテが俄かに面色を変えた様、そのただならぬ気配に気付いて祈祷の構えをとるワキの緊張、そして地謡勢の醸し出す「吟」の迫力。日本国の臣下にあっては史上最強の怨念をもって憤死した菅公の異様なオーラがまざまざ舞台にみなぎっているのを、言葉に頼らずとも肌で感ずることは十分出来る。
それで良いのだ…という、能の観方としては初歩の初歩に属するような事柄を、私というへそ曲がりは今になってようやく体得出来たようである。
「聞き取れる言葉」で能の本を読む、それはもはや能ではなく我々の仕事なのだ。
そして、後段。この曲が、まさにそのタイトルが示す如く、落雷に対する古代人の恐怖をそのまま舞台にすくい上げたものであることを痛感する。現代人にとっても、雷は怖い。その原理がわかっているつもりでも、本能的にあの音、しかもそれが連続する時人に与える精神的な影響というものをこの能は描いていると思う。
シテが所狭しと舞台上を蹂躙して床を踏みとどろかせる様は、まさしく京の都のあちこちに次々と下る怒りの鉄槌、神の雷鳴なのだ。
と、そう考えると、切能というものも全く馬鹿には出来ないものだと気付く。切能というとつい、ショー的な派手な見せ場で退屈させないものだというふうに考える演者見者が多いのではないか。違う、その根っ子にある日本人本来の自然物に対する畏怖や恐怖こそが大切なのではな