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香炉峯 アーカイブ

2004年02月28日

朧座香港芸術班、胎動す

三つのアイテム
東京を発つ直前、私は彼らのために三種類のアイテムを用意している。

一つ目はロサンゼルス美術館から直接取り寄せた『NOH and KYOGEN THEATER IN JAPAN』という分厚い書物。全文英語で書かれてはいるが、この書物がいかに優れているかは、掲載されている図版を見るだけでわかる。木材が女面と化して行く各過程を一列に並べて一枚の写真に収めてある。あるいは、装束のどれを体のどこにどのように着るのか、色塗りされた図でわかりやすくかつ詳細に説明している。
能楽の美術面を詳しく知りたい者ならば当然欲するであろうこれらの知識が、実は国内で手に入るほとんどの日本語の解説書には書かれていない。そんな馬鹿なと思われるかも知れないが、事実である。
私は以前、資料集めのためLesと千駄ヶ谷の国立能楽堂を訪れて地下にある図書閲覧室で初めてこの書物を知った時、正直なところ羨望を禁じ得なかった。国内の文化芸術が国外でより詳密に語られているのは何故なのか…。そういえば日本の古典文学に関するサイトも、明らかにアメリカのものの方が充実している。
日本の、重箱の隅をつつくような学者達と、自らの足元を無視して疑わない戦後の世の風潮がなせる業だろうか。
複雑な能装束の世界だが、この書物があれば、香港映画のスター達のスタイリングに多忙なEvelynにとって何よりも簡便な道しるべになるに違いない。

二つ目は、私が古本店で見つかるままに買い求めた過去の美術展のカタログ類である。これは、Lesと『香炉峯』のチラシのデザインについて話し合ったとき、ふと思い付いて実行したことで、内容は中国の山水を描いた雪舟らの水墨画である。
チラシのデザインに役立てばと思ってのことだったが、香港の図書館に行ってようやく気が付いた。わざわざ日本の古書を当たらずとも、山水画なら雪舟の師匠や先輩格に当たる本場中国の画家の作品が、ここ香港では日本より大量かつスムーズに探せるのである。
というわけで、重たい思いをして日本から画集を持ち運んだ苦労は水の泡となったが、より良い絵が見つかったのだから喜ぶべきだろう。どんなチラシが出来上がるかは、実物を見てのお楽しみである。

三つ目、専門の能面師である故・佐々木史生師のお孫さんで、今申楽朧座のスーパーバイザーでもある井上昌隆から借り受けた、師の遺品、未完成品ノーメイクの小面である。
これは二つの意味で大変な貴重品だ。未完の能面など、まず一般人の手に入るところではない。しかも井上からすれば、祖父の大切な形見である。
しかし井上は、学生時代に能楽サークルの部長を長らく務め上げ、謡や仕舞それに大鼓をよくするばかりか、素人ながらに本式の能を舞い、あまつさえ現代演劇やミュージカルまでこなす根っからの舞台馬鹿(失礼)である。彼は言ってくれた。「いかなる形であれ、舞台にかけられる事が面にとって幸福だろう。もし、デザイナーさんがこの面をいじりたいと言うなら、寄贈しても構わないですよ」と…。
すっぴんの小面も、なかなかの美人である。いやむしろ、平安時代風の化粧ではないぶん、現代人にとって普通の能面より親しみやすい顔かも知れない。人間の顔は変わっていないなと再確認したような気持ちになる。こういう刺激物を見て、好奇心の塊のような香港勢がどういう反応を示すか、楽しみなところだ。
大成の目が、この面を見て変わった。彼の名刺に印刷されている「Antique Doctor」という肩書きを思い出させる視線だ。一体、彼の脳裏には今、どんな面が思い浮かんでいるのだろう…。

香港には発想の自由さがある
その後、ここ香港ではさまざまな事柄が決して行ったが、残念ながら本番の幕が上がるまでは明らかにすることが出来ない。乞御期待、とだけ申し上げておこう。
ともあれ、彼ら香港美術班のスピードは速い。物事の処理の仕方が直接的だ。
そこには、型や枠にとらわれない発想の自由さがある。
伝統の重みに遠慮せず、純粋に芸術を志向する理性がある。

やるからには、突き抜けたもの、痛快なまでの新鮮さが欲しい。だからこそ、Lesをはじめとする香港勢に今回の仕事を頼んだのだ。彼らに寄せる期待、大なるものがある。

2004年03月12日

勝算宣言

しかし努力の甲斐あって関係各位のご賛助を賜り、当公演、パッケージ的には当初の予想をはるかに上回る感じになってきた。とにかく芸術性のレベルを保つべく、従来の小劇場演劇の悪弊である「役者によるチケット手売りノルマ制」を排したいのだ。企業から寄付を募ろうというのはその一念の故である。
さて、ここまでくれば、いよいよソフトに着手すべき段階である。パッケージのレベルが良く、しかも誰も見たことのない試みであるため、近頃多くの方から「大丈夫?」とよく聞かれる。しかし心配はご無用。
私には、今回、確かな勝算があるのである。本と演出と役者について。

2004年03月13日

ワークショップでやるべきこと

今日はワークショップ初日だった。始まる前からワクワクしていたが、終わってますますワクワクがつのっているのは私だけではあるまい。最高に刺激的だった。この分ならもっともっと色々な事が試せるはずだ。共同演出の空也坊の興奮もよく伝わってきた。もっとも、私は私で、彼が出演者を前に実演してみせた謡にすっかり魅了されてしまっていたのだが。
今日のワークショップで、改めて、3月・4月に我々がやっておくべきことがはっきりした。
「能の台本を、俳優が読む。」やはり、この一言に尽きるのである。
能楽の世界では、異端視されつつも新作能を手掛ける能楽師がいる。では、現代演劇の側に、能に近づこうというベクトルは存在するだろうか?残念ながら、三島由紀夫『近代能楽集』などはわずかな例外であろう。その三島の達成も、しかし私のやりたい方向とは異なっているのだ。三島は能を新劇にした。私はあくまでも「能」がやりたいのである。
空也坊は能楽師としての見地から『香炉峯』の台本を分析し、のみならず同業の能楽師にもこの本を見せたという。彼らの結論は「これは能の台本だ」。
能楽師が能の本だと認める本を、能楽師ではなく現代演劇の俳優が読むのである。

戦いの幕はここに切って落とされたのだ。

2004年03月20日

舞台美術イメージイラストを観て

今日、舞台美術の横井紅炎さんがイメージイラストを仕上げて稽古場に持って来て下さった。一同、絵を観てうなる、ただうなる。横井さんが日頃活けるお花の世界とは明らかに異質の空間がそこには描かれている。先日も六本木ヒルズで行われたテレビ朝日のイベントで彼女が活けた花を観て来た。絢爛たる春の花々、色と香の饗宴。
ところが、この絵にそういう派手さや艶やかさはない。重く暗く、沈んだ世界だ。それでいて、実はこの舞台は無数の花々に彩られている、ひっそりと。 

この二次元上に描かれた世界が、やがて三次元にいかなる夢幻の像を結ぶことか。

とんでもないことになりそうだ。

2004年03月26日

各界の才能集まる

先日、公演会場であるザムザ阿佐ヶ谷にて、ワークショップ風景の撮影を行った。この公演を後援下さっているザムザ阿佐ヶ谷と、今回撮影・編集を快く引き受けてくれた朧座衆きっての映像の達人・遊人君のご好意の賜物である。出来は上々、プロモーションビデオといって良い完成度だった。この場を借りて、心より厚く御礼申し上げる。
この日、最後のキャストである亀谷さやかの出演が正式に決定。彼女も他の多くのキャスト同様、最初は「能を知らない私が?」という反応だった。しかし、私は彼女に話した。なぜ私は能に惚れたのか、私の中での清少納言像…最後、彼女は私にこう言ってくれた。「同じ日本語だもんね!」と。一番心強い言葉だ。
思うに、これは一種の方言芝居である。現代方言を標準語などと思うのは錯覚だ。ただ、現代人の俳優が平安時方や室町時方特有の言葉を喋るには、当然、方言指導が必要である。私の高校時代の恩師にして、国語学者のTADAZUMI先生が、今回のスーパーバイザーを正式にお引き受け下さったことで、出演者たちにもひと安心してもらえるはずだ。
スーパーバイザーと言えばもう一人、作曲家の若杉直樹さんも今回の作品に音楽的見地から意見を下さることが決まった。若杉さんとは、私の前の作演出作品『如人草』でコンビを組ませて戴いたが、実際は彼の素晴らしい音楽にお世話になりっ放しだった。今回は是非、こちらからも彼の感性を刺激する材料を提供したいと思っている。
同じ頃、香港から今回のフライヤー試作品が到着。芸術監督Les Suenの力作だ。いかにも彼らしい、紙の質感を遊び尽くした非常に独創的なフライヤーだ。人々の心になんとも言えない印象を残す不思議な力を持っている。こんなチラシを無駄にばら撒くのはもったいない。芸術品は一枚一枚大切に、戦略的にまかなければならない。
さて一方、21日、杉並区の広報誌に本公演の紹介記事が掲載されてからというもの、早くも20通を越える応募の葉書を戴いている。この旨、区の担当の方に御報告したところ、上々の反響ですねと言われた。舞台芸術の最終完成者は観客である。さらに(財)民族芸術交流財団のメールマガジンで当企画のボランティアスタッフを募ったところ、早くも何人かの方が名乗りを挙げて下さっている。反響は当初の予想よりはるかに大きい。
そして、本公演広報部門のyusukeは、ついにシステム管理担当という肩書きをWebサイトプロデューサーに改め、「若手の伝統芸能系サイトのプロデュースを行う」ブランドを立ち上げると宣言。「TOMOSU(灯す)」という名前だそうだ。同じ広報部安藤誠もこのサイトを見て、一計を講じたらしい。近々、検索エンジンで当サイトの本格デビューと相成る予定。ますますの御期待を乞う。

2004年04月07日

自然と言葉──香炉峯の場合

先日、ワークショップを終えて稽古場を出る時の事だ。共同演出の空也さんが夜空を見上げてこう言った。
「太夫さん、『田村』ですよ」
そう言われて私も夜空を見上げる。綺麗に澄んだ濃紺の夜空に、月が煌々と冴えている。そして稽古場の庭には、桜が今を盛りと咲き満ちている。穏やかな春の陽気を含みつつも、この時間の空気は凛として冷ややかだ。
春宵一刻、値千金…
ああ、まさしく能『田村』の世界なのだ。これで場所が京都の清水寺だったら、それこそ地主の社から由ありげな花守の童子が滲み出て来てもおかしくはない。
能を解析する時、一つにはこういう要素がある。
季節とか土地とか情景とか、そういうものと能の言葉とは渾然一体と化している。

もはや、京清水の春の宵、そこに在る花と月とが言葉なのか、それともそこに現れる花守の童子が旅の僧に語って聞かせる言葉の数々が自然なのか、自然と詞章とが融けあい絡みあっていずれをいずれとも分かち難い。そして双方の楽器は世にも妙なる協奏曲を奏でるのだ。
こういうのをおそらく「絶唱」というのだろう。
絶唱といえば、先日は満開だった桜が、今日はすでに散り始めている。
  
 ひさかたの光のどけき春の日に静心なく花の散るらむ   紀友則

毎年、この季節になると友則のこの歌を思い出さずにはいられない。彼の絶唱は、桜という品種とともに悠久の命運をともにすることになった。

能では自然と言葉が一体化しているのだ。
世阿弥が父・観阿弥の教えとして風姿花伝に記しているところによれば、ただただ稽古に専念あるべし、ただし歌道はたしなめという。
能面も型なら、自然と言葉、四季と人心の結晶たる歌もまた、能にあっては一つの型なのだろう。

いやはや、陰暦夏四月、卯の花月夜の逢坂の関に行ってみたくなってきた。
『香炉峯』の季と処なのである。

2004年04月09日

『香炉峯』研修旅行日程・宿泊地決定

今回の公演を後援下さっている団体の一つ、財団法人民族芸術交流財団は、「伝統文化コーディネーター」という独自のライセンスを発行しており、私もその一員である。先日、京都在住の伝統文化コーディネーターさんにお願いをして、『香炉峯』の出演者で研修旅行を行いたい、ついてはこの物語の舞台となる逢坂の関の近辺に良い宿はないものか、探して戴いた。
で、当方の希望条件にかなう多くの宿を探して下さったのだが、その中に一つ、私の目を釘付けにした宿があった。

総本山 圓満院門跡 http://www.enmanin.jp/syuku/

これだ!と思い宿泊地はここに決定した。
宿坊。すなわち寺院の参詣者が使わせてもらえる寺の宿泊施設である。
日程は5月の23・24日。

陰暦夏四月・近江国逢坂の関の程近く。
『香炉峯』の研修旅行にこれ以上ふさわしい季節と場所はあるまい。

京都の伝統文化コーディネーターさんには、今回大変なご尽力を戴いた。この場を借りて心より厚く御礼申し上げるとともに、研修旅行中に初めて直接お会いできることが今から楽しみである。

2004年04月17日

最近のワークショップから

12日。国語学者にして朧座国語監修・TADAZUMI先生、稽古場初お目見え。本編前半部、読みの指導を戴く。有意義極まる内容。国語監修などというと語弊があるかも知れない。何を隠そう、先生は高校時代の私の恩師で、当時古典など興味もなかった私を今日の状態に変えて下さった方なのだ。名教師とは、すなわち役者である。能楽にももちろんお詳しいし、ご自身もバレエの稽古に余念なくしばしば舞台に立たれるという演劇人なのである。私も今まで出演した作品の言葉遣いが気になったときなどは必ず先生のご教示を仰いできた。その先生のことであるから、指導監修も「演劇の台本の読み」という視座に徹して下さり、本当に貴重な助言を多数戴いた。学者ではなく役者としての監修であったと、つくづく共同演出・空也坊とともに感謝の念を語り合ったことである。先生、引き続きご指導の程、何卒よろしくお願い申し上げます。
16日。能(『船弁慶』)のビデオを御覧になった出演者の小名紫さんより大事な提案有り。そう、今はワークショップ期間であるからこのような提案は大歓迎で、禁じ手といったものは特にないのだ。ああでもないこうでもないと色々意見を自由に出し合いながら失敗を恐れず試せる場、それがワークショップではないだろうか。
で、紫さんの提案というのはこうである。「ビデオの中で、子方の演技が印象的だった。シテやワキと違い何を言っているのかわかるのだ。こういう感じなら、我々も挑戦できるのではないか」と。
実は、他の出演者もみなこれと同様の感想を持ったらしい。こういう反応は、能に慣れてしまっている私や空也坊には誠に新鮮であった。しかし、言われてみるとなるほどと思う。この先我々が子方の演技に学ぶところは大きそうだ。
16日のワークショップでは、最終的には能ではなく今申楽における謡、名付けて今謡とはいかにあるべきかまで話が進んだ。どこまで感情を表現して良いのか、どこからはモノトーンに叙景に徹するべきか。
帰宅後、出演者の川野誠一さんと電話で話し合う。彼は先日、世阿弥の代表作『井筒』を初めて観て、色々と考えるところがあったようだ。特にワキの存在が、観客と同じ様な位置にあり、ただ見ている、ただ聞いていると言った感じがした、彼としてはもう少し物語の中で「何を感じているのか?」そういった演じ方をしても良いのではと思ったとのことである。また、今日では完全な「一人説明」となっている間狂言についても何かを感じたようだ。
演劇は何事かの到来を描くという。能は何者かの到来を描くという。私は、何者かの到来を何者かが心に感じ受け止め言葉を交わす、そういう何事かを描きたい。
舞台は、何者かと何者かが出逢うという逢坂の関である。

2004年04月19日

枕草子と卯の花

まもなく卯の花の季節である。この花、新緑に白い花という組み合わせが古来愛されてきた。和服の世界で卯の花と言えば襲の色目(かさねのいろめ。重ね着の色合いのパターン。古人もおしゃれだったのだ)の一種、表は白に裏は萌葱(もえぎ、すなわち新緑の色)という組み合わせを意味するほどにである。

また、この花、古往今来の文学美術にも深い交渉を持ってきた。それは花の季節が、ちょうどこの晩春から初夏にかけてであり、不如帰血に啼き、若葉の雨の、ともすれば白妙の花を叩く風情などがこの花の詩趣を深からしめているからである。なかんずく、最も精細を発揮しているのは清少納言の『枕草子』で、その中にはこの花が一幅の絵のように描かれている。

清少納言は、白が好きらしい。白い雪があって、コントラストの合う色が出てくるととても感激している。また、つららや冷気の透明感、冬の凛とした美しさの表現が実に巧みだ。
白。それは最も純なる色であろう。
逆に彼女は紅葉を描かない。色変わりして散るというモチーフを好まなかったのであろうか。

彼女は、毎年この季節、卯の花垣に点々とほころぶ白い花を見つめて、何を思い出していただろう。

2004年04月22日

最近のワークショップから

昨日のワークショップは、地謡のお二人(小名さん・亀谷さん)に私、それに制作の近藤君が1時間ほど飛び入り参加してくれた。おかげで近藤君は私や高田さんの代役をやらされる破目になってしまった。近藤君にはもともと、置きチラシ(各劇場に置かせて戴くチラシ)のためにチラシを取りに来てもらったはずなのだが、つい甘えてしまった。実は彼は役者なのだ。しかし、制作といおうか演出助手といおうか、稽古場にこういう助っ人ないし守護神的な方がいて下さると本当に助かる。私は今回作・演出・出演を兼ねているのだが、昨日は実は作演出に専念したいところだったので、彼のおかげで非常に助かった。近藤君、ありがとう。

で、近藤君に地謡以外の役を代読してもらい、地謡のお二人には色々と注文をつけながら、ここは小名さん、あそこは亀谷さん、ここはお二人で、などと振り分けを決めて行く。実は地謡の振り分けは、空也さんから前々から宿題に出されていたのだが、ついつい結論を出さぬまま昨日まで及んでしまった。皆様申し訳ありません。しかし昨日でようやく決まった。なぜか今朝は目覚めが良い。

地謡の振り分け方を探りつつ、枕詞・助動詞「けり」・係り結びにまで話が及ぶ。まずは枕詞。受験勉強の世界では「ある特定の語を導き出すための飾り言葉なので、訳出の必要なし」と教わる。しかし今申楽ではそういうレベルでは困るのだ。例に出したのが斎藤茂吉の歌「のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にいて足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり」。「たらちね」を広辞苑で引けば、乳を垂らす女、また乳の足りた女、満ち足りた女の意などという、と説明されている。この書き方は、要するに、学者にもはっきりとはわかっていないということだ。しかし、わからずとも伝わるではないか。大好きな大好きな母親を失った男の悲痛さが。
「東」という語を導き出す「鶏(とり)がなく」という枕詞、これは関西人つまり当時の都会人が、東国人の言葉は鳥がなくようでようわかりまへんと馬鹿にして作ったものだという。小名さんが、鶏は洋の東西で良くないたとえに使われると指摘。なるほどアメリカでchickenと言えば青二才の意味となる。
で、今回の作品『香炉峯』にも三つの枕詞が登場する。その話をしていて、そもそも「栲」(たえ)って何だ?という話になった。私は詳しい意味も知らずにこの「栲」という語を作中に使ってしまっている。こういう盲点を衝いてくるのはたいてい亀谷さんだ。おかげで私も改めて辞書をひもとくことになる。「栲」はカジノキなどの繊維で織った布、あるいは一般に布、の意と判明。このイメージからいくつか有名な枕詞が生まれているのだった。どんな枕詞が生まれているか、詳しくは劇場にてお確かめ下さい。
「けり」は気付きの助動詞だ、ということもお二人にお話しした。何しろお二人の役である「地謡」にはこの助動詞が頻出するので。この言葉は、過去の事実に今気が付いた、というニュアンスなのだ。それを一人でしみじみ「たんだなあ……」と噛み締めれば詠嘆的になるし、長生きした爺さん婆さんが孫に昔を物語るシチュエーションで使えば「たとさ」と昔語りの色を帯びる。
亀谷「なるほどね〜もっと勉強しとけばよかったなあ…」
朧「そういう時こそケリを使う。もっと勉強しとけばよかりけり」
小名「よかりける、じゃなくて?」

大変良い御質問だが(なんだか学校の先生みたいでおこがましいが)、これにお答えするには少し時間をかけなければならない。後日に譲ろう。


 

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2004年05月02日

最近のワークショップから

出演者の一人、白井真木さんが釧路での旅公演を無事終えられ、当方のワークショップに復帰された。配役については本番当日のお楽しみにとっておくことにするので、あまり多くのことをこのサイトで書き散らすわけにも行かないが、白井さんの復帰によって、俄然、私が役者としてなすべき仕事が増えてきた(要は、白井さんとの絡みが多いのである)。
26日は、初の出演者全員集合。監修のTADAZUMI先生をはじめスタッフさんも多数参加下さり、改めて今回の顔ぶれの頼もしさを痛感する。皆、技と志を持った方々ばかりだ。
28日、うってかわってこじんまりと、白井さんと抜き稽古。この『香炉峯』という作品、途中で私と白井さんが名詞を交互に列挙するシーンがある(ああ、内容をハッキリ言うわけにはいかないもどかしさ…)。台詞としては、ただ、二人が互いに名詞を並べて行くだけだ。しりとりのような感じである。台本の紙の上ではただそれだけのことなのだが、それが、白井さんという役者の出現によって思いもかけない様相を帯びてくるところが演劇は面白い。しかしこのシーン、もっともっと稽古して究めたい。
30日、そろそろ立って動こうということに。今まではただひたすら台本の読みを行ってきた。最初は、皆さん、立って動くどころではなかったと思う。台本を渡した当初、「?」という表情だった。それはそうだろう、現代演劇の俳優に能の台本を渡したようなものなのだから。一方、能楽師の空也坊さんから見たら、「こんな長い能の台本は有り得ない」と危惧されたわけである。
しかし、実は、なんのことはない。「俳優」「能楽師」という括りに縛られず、今申楽をやって戴けると信頼出来る役者さんに今申楽の台本をお渡しした、ただそういうことだったのだ。最近は皆さん表情が生き生きとしてきた。この雰囲気はとても嬉しい。物創りの現場の雰囲気だ。
もう、ワークショップという期間は終えて良いだろうと判断した。皆さん、もはや作演出と対等の視線でこの台本と作品を考えて下さっている。

いよいよ5月。本番まで正味一月。
これからはワークショップではなく稽古期間と考えることにした。
機は熟している!

2004年05月19日

(^^) 

太夫はさっき寝てしまった。今日も今申楽とやらの稽古でくたびれたらしい。
今のうちだ。
こっそり抜け出して、前から触ってみたくて仕方のなかったこのパソコンという品に触れてみることにする。
《ローマ字入力》も、《現代仮名遣い》も、太夫がパソコンをいじってゐる間に見よう見まねで覚えたつもりだが…
いざこうして打ってみると、やはり難しい。
特に、現代仮名遣いが難しい。ローマ字入力はまだしも慣れの問題という気がする。
どうして、こんな変てこな仮名遣いを思いついたのだろう。とても不思議。

それにしても…プリンターか。便利な世の中になったものである。
昔は大変だった。硯に髪が入ってすられたり、墨の中に混じり込んだ石がキシキシ嫌な音を立てて鳴ったり。
でも、蚊という生き物の憎らしさだけは変わってない。稽古場にも蚊がたくさんゐて、役者たちを刺そうと飛びまわってゐる。あいかわらず、羽風さえその身の程にある辺りが実に憎たらしい虫である。
太夫が、「今も昔も変わってゐませんねえ」なんて知ったようなことを言いながらクーラーなんか付けてゐるのもすごく滑稽。昔はね、クーラーなんかなかったんです。

まだこれしか書いてゐないのに、もう夜が明けてきてしまった。
早めにパソコン覚えよっと…

  夏の夜はまだ宵ながら明けぬるを
             雲のいづこに月宿るらむ

ご先祖様もうまいことをおっしゃったものだ。
しかし…夏は夜、か。
ほんと、ご先祖様はうまいことをおっしゃったものですねえ。

え、私の名前?うーん、内緒。朧太夫。なんちゃって。
また、たまに現れていたずらしますね(^^)よろしく。

2004年06月08日

朧座第一回公演『香炉峯』、終了す

朧座第一回公演『香炉峯』が終った。様々な紆余曲折を経つつも、無事千秋楽を迎えることが出来たのは、ひとえに関係各位そして御来場戴いた全てのお客様のお力添えの故なることと、まずはこの場を借りて厚く御礼申し上げたい。
さて、さるお客様より、当日パンフレットに配役の記述がない、誰がどの役をやっているかわからずもどかしいとのご助言を戴いた。
そこで、公演無事終了の御報告かたがた、ここに遅ればせながら配役を御紹介申し上げる。

シテ(朧太夫・里の女・清少納言)…朧太夫
ツレ(朧座衆・定子皇后)…白井真木
マエ(枕草子の精)・アイ(所の者)…川野誠一(劇団大樹)
ワキ(兼好法師)…高田べん(株式会社シグマ・セブン)
地謡
 甲…亀谷さやか
 乙…小名紫
囃子
 笛…般若雄治
 大鼓…井上昌隆
 小鼓・手風琴…今井尋也(Megalo Theatre) 

影謡…空也坊

また、簡潔なストーリーの解説が欲しい、いま少し宣伝に力を入れてはどうか、などのご意見も頂戴した。いずれも謹んで拝聴すべきお声と思う。これらの点は今後の課題としたい。
とまれ今回の公演、死者もなく怪我人もなく、どうにか無事、幕をおろすことが出来た。この頃よく戴く質問が「二回目はいつ?」
次回はさらなる飛躍と成長を遂げたい。今申楽朧座の今後に御期待を乞う。

2004年06月25日

その後の『香炉峯』�

第一回公演終了から3週間。この間、関係各位のサイトを訪れると、「千秋楽!」「終わった!」「お疲れ様でした!」等等の文字が踊っている。それを眺めてようやく主宰者本人が「ああ、とりあえず終わったんだなあ…」などと間抜けな感慨に至る日々であった。
そしてようやく、今日に至っていささかは冷静に公演を振り返るゆとりが生まれてきたように思う。
思えば公演終了後のサイト更新をだいぶ怠ってしまった。新情報を心待ちにして下さった方々にまずはお詫び申し上げる。

公演二日目、6月5日(金)19時の部上演中に劇場内で起きた現象については、いずれこのサイトでも詳しく御紹介したいと思っている。が、今は諸事情に鑑み、事のあらましを簡単にお伝えするに留めたい。

以下、当時の状況を最も客観的に把握していたと思われる舞台監督の証言を御紹介してみたい。

「順調に進み中盤近くにさしかかったころ美術スタッフが一人抱えて顔色を変えながらやってきた。
一言、『マズイ!いつもの状態じゃない!』
香港から来たスタッフだが女の子が泣きじゃくっている。
ただ事ではない状況を感じ外へ連れ出した。
何があったのかさっぱりわからない。
後で判明したがどうやらトランス状態に陥ったらしい。
別の言い方でいえば清少納言が憑依したとでもいうのだろう。

もうピンチです!!!
装束なので早替えは美術スタッフしか出来ない状況。
俺はすだれの上げ下げをする為その場を離れられない状況。
女の子についていないと何をするか分からない状況。
更に遅れてきた客を誘導しなければならない状況。
いっぺんに4つの状況に陥った!!!
しかも舞台は進行していて一刻の猶予も無いのだ!

もう頭と体をフル回転させるしかない!!

まずは客が来ないことを祈りつつ手伝いの子に誘導の指示を出した。
次は女の子のフォローは受付に一人残っていたので俺がいない間
見てもらった。
残る2つは俺がやるしかないだろう!
舞台の状況を確認しつつ控えている役者一人と二人で
早替えと上げ下げを同時に行うという決断を下した。
役者には最悪袖からの出が遅れる事を告げながら片手で衣装を支え
もう片方で紐を持つ無謀な状態。

結果はどうにかぎりぎりの所で役者の出は間に合った。ふ〜。

次は女の子の状態確認をしなければならない。
しかし日本語がしゃべれず更に泣きじゃくっている状態なので
さっぱりわからん。
しょうがないのでもう一人の香港スタッフに一緒にいてもらうことにして
舞台に戻ったらもう終わりかけていた。

何も無かった様に客出しのあいさつをして舞台は無事終わった。。。

はっきりいってこんな日初めてです。
女の子はその後知り合いの霊媒師に連れて行ったので明日には
いつもの状態になっているだろう。
(なんで知り合いに霊媒師がいるの?っていうツッコミは無しです)

明日は早めに言って劇場に御清めしないと・・・
やっぱり「能」って死者がでる話だから最初にお払いするべきだったかな?
小道具も本番直前で壊れたりしたし。。。

明日は無事公演とバラシが出来ますように祈ろうっと。」

2004年06月27日

その後の『香炉峯』�

「本番中、舞台の袖に控えていたスタッフの一人が、清少納言の霊に憑依されるという現象が発生した。そして清少納言は本番終了後もしばらくそのスタッフの身体に留まり続け、確かに私や共同演出の空也坊を初めとする何人かのスタッフに声言葉をかけてから、去っていったのである。」

今回の出来事の過程をよく知る、ある関係者の表現を借りるならば──どうやら、そういう結論に落ち着くらしい。
そして、正直に言うと、私はその結論にさほどの違和感を感じてはいない。

トランス状態に陥ったスタッフは私に泣きながらずっと「ありがとう」と言い続けていた。
また、芝居がはねた後の関係者の歓声をよそに、舞台袖で清少納言や定子皇后の面をずっと眺めていた。そして、舞台に出て卯の花を眺め、私が「あの方がこの花を作ってくれたんですよ」と紹介すると、舞台美術担当の横井さんを手招きして花を指差し「かわいい」という言葉を発した。
あくまで私の想像だが…あるいは彼女は「いとをかし」と言いたかったのではあるまいか。もしそのスタッフが「いとをかし」という言葉を知っていれば。

もし、この世の中にはそういう摩訶不思議なこともたくさんあるのだと仮定すると──

「清少納言」はこの公演への感謝とねぎらい、そして台本に一点だけ、作品をより良くするためのアドバイスの言葉を与えるために降りて来てくれたのではないか(このアドバイスについてはいつか述べる日が来よう)。霊というととかく怨みとか祟りとかいう話になりがちだが、そうではなく、言わば叱咤激励のお気持ちで現れて下さったのではないか。

だとすれば──本当に有難いことである。

神秘体験とでも言うのだろうか。「清少納言さんはやっぱりとてもいい人だったのではないか」と、改めてそんな思いを強くした。彼女を「軽薄な女」と悪く言う学者はとても多い。かかる偏見はその学者の器量の狭さの故であり、実は一見軽薄と見えなくもない彼女の筆致はすべて計算された演技、わざとやっていることであろうという推測のもとに今回の台本を書いた。
そしてその推測は、やはり間違っていなかったと思うのである。

スタッフの精神的錯乱である、またそれを見て周囲の者がかかった集団暗示である、と片付けるのはいともたやすい。
もちろん、そう解釈すべき部分もあろう。トランス状態をきたしたスタッフは、そのとき疲労の極にあったはずだし、またそれを見た私ども周囲の者も皆疲れていた。錯乱、暗示、そういう要素もおそらくある。
しかし、それだけでは説明できない要素もあったのだ。たぶん。

別に今回の経験でオカルト世界に開眼したというわけではないので御心配なく(そういう懸念を招きかねない内容であることは重々承知しているが)。
翻ってみれば、四谷稲荷に映画『ポルターガイスト』等々、古往今来この世界ではよく聞かれる話なのだから。

2004年06月28日

その後の『香炉峯』�

祭りの後の寂しさなどとよく言うが、本当に「祭り」をやってしまったんだなあ、と今にして思う。「今申楽」とはそもそも何なのか、皆で模索に模索を重ねた数ヶ月であったが…結局のところ、「今申楽」という名前通りの事を行ってしまったのかなあと。

今日の能楽(能と狂言)なる芸能は、もとをたどれば祭り、神仏に捧げる奉納芸能であった。能楽大成以前、何者かが「神楽」の神の字から神意をあらわす示扁(しめすへん)を取り去り、もって純粋の神事から演劇の方向へとこの芸能を変質させた人物が存在する。それが観阿弥であるのか世阿弥であるのか、またはそれ以前の申楽者の所業であるのか、今ここに明らかにする力を持ち合わせてはいない。
いずれにせよ、能楽の前身たる申楽、それは祭りの性格を色濃く帯びた演劇であった。神々とともに在る芸能、「神劇」であった。

そこがつまり、近現代の演劇と決定的に異なる点であり、面というものを使う最大の理由でもあるのではないだろうか。

もとより世の中、数式や化学記号で解明できる内容が全てではない。現代日本人が手放しでよりかかる自然科学とは、近代(人類史から見ればつい最近)になって欧米辺りから流行りだした一思潮であろう。この思潮、顕微鏡やら望遠鏡やらをのぞきこんで世界のあらましがわかったような錯覚を人にもたらす悪しき一面がある。
解明できていない事もある、いやおそらく、解明できていない事の方が圧倒的に多いのだ。特に人間の脳や心について。

今回の経験を、仏教思想に造詣の深いある友人に紹介したところ、こんなことを教えてもらった。
すなわち、我々人間はまず個々人が各々の記憶を有する。では昨日乗った電車で隣に座った人物の顔を覚えているかと言えばふつう覚えていない。ところが、少し催眠をかけただけでたちどころに思い出すのだという。こういう、表層から埋もれたところに潜在的な記憶というものがある。これをどんどん掘り下げて行くと、やがて家族の記憶となり民族の記憶となって行くという。その最奥に「神」があるのだともいう。
この深層の記憶、神々は個々人に対し、時には宝となり時には毒となって作用するらしい。個々人が個々人を確かに持ち、しかも深層の記憶に正しく対すること、これが仏教の教えであるという。そして、今回の公演『香炉峯』では、たまたまそういう深層にまで事を掘り下げてしまったのだ、それは宝となるかも知れず毒となるかも知れず危険な要素をはらんでもいるのだが、しかしこういうところに行き当たらない限りは真なる芸術は生まれないのだから悲観することはない、要は己を失わず、しかも事を正しく処することが重要である──と彼は説明してくれた。
(なお付言すれば、ユングの精神医学は仏教の説とも符合するところがあるのだとか…いろいろと勉強すべきことは多い。)

今、私は香港に来ている。

今回、公演の生命ともいうべき面装束の制作をすべて香港の美術スタッフに依頼した。公演二日目、トランス状態に陥ったのは香港のファッションデザイナーであったが、この頃、実は面制作者もまた香港で体調不調をきたしていた(彼は、目も鼻も口もない、全く顔の要素を喪失した枕草子の精の面を打った。また、石膏で私のライフマスクを作り、かつ伝統的な能面のデザインを研究して、リアルな人面に能面の美学を盛り込んだ清少納言の面を打った。彩色は芸術監督が行った)。

彼らのその後の体調を見舞うためここ香港までやってきたのだが、今日に至ってようやく全員回復の方向に向かいつつあり、今はほっと胸をなでおろしている次第である。

しかし、「祭り」は、実はまだ終わってはいないらしい。
文献上は全く確認できないことだが──どうも、清少納言は生前、中国に渡っているらしいのである。

2004年06月29日

その後の『香炉峯』�

共同演出の空也坊が言っていた。
「我々の世界(能楽界のこと)でも、こんなことは滅多に起きませんよ」
こんなこととはつまり、先日来述べている、今回の公演中に起きた不思議な現象を指している。
今回の公演、反省点も数え上げればきりがないが、一つだけ、これだけは自信をもって臨んだと言い切れる事がある。
いわば今申楽朧座の生命線、最後の最後まで空也坊とともに死守した一線。
それは「こだわり」である。我々にとって能は「師」であり「敵」である、正面からがっぷり能と取り組まなければならない、逃げたり誤魔化したり卑怯な事をしてはならない、さもなくば到底能に太刀打ちすることなどは出来ない──そういう「こだわり」である。
能楽もどきの演劇、演劇もどきの能楽、そんなものは私も空也坊も大嫌いなのだ。死ぬほど嫌いなのだ。そういう奇をてらった催しは演劇界においても能楽界においても正直言って昔から少なくないが、我々朧座はそういう中途半端な自殺行為だけはしたくなかった。能楽=演劇、演劇=能楽という信念だけは忘れまいと常に努めた。
「もっと能楽寄りでも良かったのでは」「もっと演劇寄りでも良かったのでは」
お客様の反応が、大きくこの二つのどちらかに分かれるであろうことはもとより想定していた。
よくある「能楽だか演劇だか訳の分からない、微温的で不愉快」な作品にだけはするまいと、実に実にその一線だけは正直血の出る思いで死守し続けたつもりである。
その信念が果たしてどれほど舞台に反映されていたことか──もはやそこはお客様お一人お一人におゆだねするより他ない。

が、しかし──その信念だけはほめてもらったような気がしている。ある女性から。
いやそれどころか、「どうせこだわるならもっとちゃんとこだわってよ」と、背中をどんと押してもらったような気分だ。
「私はそんなふうには書いてないでしょ。原作、ちゃんと読んでね」
だから、実は公演三日目から台詞をほんの一部だけ微修正したのだ。

「清少納言の声が聴こえたような気がする」
たぶん、この台本を書いた私一人の感覚であろう。
「清少納言は一点だけ台本に駄目出しをして行ってくれた。その駄目出しのおかげで、この台本を書いた時はどうにもすっきりしていなかったところが非常にすっきりした。そして、文献上は確認する事ができないが、実は彼女は中国に渡ったことがある。これから中国について、いろいろ調べることが私にはある」
と、ふとそんな気がしたのだ。錯覚だろうが思い込みだろうが、呼ばれ方などは何でも良い。
ふと、そんな気がしたまでの事なのだ。
それもあってここ香港に来たのである。

もとより、非当事者が読めば、いかにも熱に浮かされたような信じ難い内容であろう。折も折、Yahoo! JAPANに当サイトが掲載された。サイト立ち上げ当時は、朧座関係者を主な読者に想定して更新していた。しかし今や事情が異なる。第一回公演が終了し、大手検索エンジンの能楽サイト欄に、他の名門能楽師らのサイトと同列に紹介されてしまっている。
当サイトの公的色彩を考慮し、今後しばらくの間はこの話題を離れることとしよう。

私一人の思惑はともかく。
朧座第一回公演『香炉峯』は、もう、とっくに終わったのだ。
今、朧座は次に向かわなければならない。前進しなければならない。

空也坊はこんなふうに言っている。
「今度は四番目、直面物なんかどうです」
四番目、直面物とは能の用語。劇能とも呼ばれ、『香炉峯』とは正反対の作風を言う。

また、私の先輩格に当たるある劇団の主宰者が、自身のサイトに概ねこんな感想を書いて下さっていたのがとても嬉しかった。
「朧太夫プロデュースの今申楽朧座を見に行く。古文の口調が若干難しい。まあ、新しい事をやる為に行った初めての作品はこんなものだろう。あと3回程やれば、独自の方法と理論、そして哲学が見えて来てより効率良く作品づくりが出来てくるはずだ。始める事も大変だが、続ける事はもっと大変なのだ。がんばれ」

こういう言葉を裏切ってはならない。
今申楽朧座、第二回公演に向けて全力前進あるのみである。

2006年09月07日

若干の手直し

『修禅寺』第一回公演の疲れもようやく取れ始め(まだダメダシをしたりされたりする夢を見るが)、残務処理に当る日々である。が、どういうわけか今日、合間につらつらと『香炉峯』の台本に若干の手直しなんぞを加えてみたのであった。
2年も経つとさすがに相当客観的になっていて、当時であればあれこれ考え込んでしまったであろう箇所もすいすい修正を進める事が出来た。
『修禅寺』はどのくらい経ったらこれくらいスムーズに書き直せるようになっているのであろうか。

さて、いつごろどこでやったものか。『香炉峯』再演は。

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